古典ライブラリー

平家物語 巻第八

那都羅の事

都では木曾義仲が左馬頭・越後守となり、「朝日の将軍」の院宣を受け、行家も備前守となった。平家一門は官職を解かれ、大宰府に着いた平家のもとには九州の武士もほとんど参らない。八月二十日、四の宮(後鳥羽天皇)が即位し、都と西国に二人の帝が並び立つことになった。話は昔にさかのぼり、文徳天皇の後継を、惟喬親王方の那都羅と惟仁親王方の善雄が相撲で争い、恵亮和尚の祈りで善雄が勝って惟仁親王(清和天皇)が位についたことを語る。

  1. 1同おな同おなおなじきじきじき十とを十とをとお日か日かかののの日ひ日ひひ、、、木き木きき曾そ曾そそ左さ左ささ馬まの馬まのまの頭かみ頭かみかみににになつなつなっててて越ゑち越ゑちえち後ご後ごごののの國くに國くにくにををを賜たま賜たまたまははわるるる。。。其そ其そそののの上うへ上うへうえ、、、朝あさ朝あさあさ日ひ日ひひののの將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんととといふいふいう院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜんをををばばば下くだ下くだくだささされれれけるけるける。。。十じふ十じふじゅう郎らう郎らうろう藏くら藏くらくら人んど人んどんど備びん備びんびん後ご後ごごののの守かみ守かみかみににになつなつなっててて備びん備びんびん後ご後ごごののの國くに國くにくにををを賜たま賜たまたまははわるるる。。。木き木きき曾そ曾そそ越ゑち越ゑちえち後ご後ごごををを嫌きら嫌きらきらへへえばばば、、、伊い伊いい豫よ豫よよををを賜た賜たたぶぶぶ。。。十じふ十じふじゅう郎らう郎らうろう藏くら藏くらくら人んど人んどんど備びん備びんびん後ご後ごごををを嫌きら嫌きらきらへへえばばば、、、備び備びび前ぜん前ぜんぜんををを賜たま賜たまたまははわるるる。。。そのそのその外ほか外ほかほか源げん源げんげん氏じ氏じじ十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ人にん人にんにん、、、受じゆ受じゆじゅ領りやう領りやうりょう、、、檢けん檢けんけん非び非びび違ゐ違ゐい使し使しし、、、靫ゆき靫ゆきゆき負へ負へへののの尉じよう尉じようじょう、、、兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの尉じよう尉じようじょうにににぞぞぞなさなさなされれれけるけるける。。。同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろく日にち日にちにち、、、前さき前さきさきののの内ない内ないない大だい大だいだい臣じん臣じんじん宗むね宗むねむね盛もり盛もりもり公こう公こうこう以い以いい下げ下げげ平へい平へいへい家け家けけののの一いち一いちいち族ぞく族ぞくぞく百ひやく百ひやくひゃく六ろく六ろくろく十じふ十じふじゅう人にん人にんにんががが官くわん官くわんかん職しよく職しよくしょくををを停とゞ停とゞとどめめめててて殿てん殿てんてん上じやう上じやうじょうののの御み御みみ簡ふだ簡ふだふだををを削けづ削けづけずらららるるる。。。そのそのその中なか中なかなかににに平へい平へいへい大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん時とき時ときとき忠たゞ忠たゞただののの卿きやう卿きやうきょう、、、内藏くら内藏くらくらののの頭かみ頭かみかみ信のぶ信のぶのぶ基もと基もともと、、、讃さぬ讃さぬさぬ岐き岐ききののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう時とき時ときとき實ざね實ざねざね、、、父ふ父ふふ子し子しし三さん三さんさん人にん人にんにんをををばばば削けづ削けづけずららられれれずずず。。。そのそのその故ゆゑ故ゆゑゆえははは主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょう、、、竝ならび竝ならびならびににに三さん三さんさん種しゆ種しゆしゅののの神じん神じんじん器ぎ器ぎぎ、、、ことことことゆゑゆゑゆえなうなうのう都みやこ都みやこみやこへへへ返かへ返かへかえししし入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつれれれととと、、、時とき時ときとき忠たゞ忠たゞただののの卿きやう卿きやうきょうのののもともともとへへへ、、、度たび度たびたび々たび々たびたび仰おほ仰おほおおせせせ下くだ下くだくだささされれれけるけるけるににに依よ依よよつつってててなりなりなり。。。
  2. 2あくるあくるあくる十じふ十じふじゅう七しち七しちしち日にち日にちにち、、、平へい平へいへい家け家けけははは筑ちく筑ちくちく前ぜん前ぜんぜんののの國くに國くにくに三み三みみ笠かさ笠かさかさののの郡こほり郡こほりこおり太だ太だだ宰ざい宰ざいざい府ふ府ふふにににこそこそこそ著つ著つつききき給たま給たまたまへへえ。。。菊きく菊きくきく池ち池ちちののの次じ次じじ郎らう郎らうろう高たか高たかたか直なほ直なほなおははは都みやこ都みやこみやこよりよりより平へい平へいへい家け家けけののの御おん御おんおん供とも供ともともににに候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるけるががが、、、大おほ大おほおお津づ津づず山やま山やまやまののの關せき關せきせきあけあけあけててて參まゐ參まゐまいらせらせらせんんんとてとてとて、、、肥ひ肥ひひ後ご後ごごののの國くに國くにくににににうちうちうち越こ越ここえええ、、、おのおのおのががが城じやう城じやうじょうににに引ひき引ひきひき籠こも籠こもこもつつっててて、、、召め召めめせせせども〳〵ども〳〵どもめせども參まゐ參まゐまいらららずずず。。。そのそのその外ほか外ほかほか九きう九きうきゅう州しう州しうしゅう二に二にに島たう島たうとうのののものものものどもどもども、、、みなみなみな參まゐ參まゐまいるるるべきべきべき由よし由よしよしののの御ご御ごご領りやう領りやうりょう承じやう承じやうじょうをををばばば申まう申まうもうしししながらながらながら、、、一いち一いちいち人にん人にんにんももも參まゐ參まゐまいらららずずず。。。當たう當たうとう時じ時じじははは岩いは岩いはいわ戸と戸ととののの諸しよ諸しよしょ卿きやう卿きやうきょう大おほ大おほおお藏くら藏くらくら種たね種たねたね直なほ直なほなおばかりばかりばかりぞぞぞ候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるける。。。同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう八はち八はちはち日にち日にちにち、、、平へい平へいへい家け家けけ安あん安あんあん樂らく樂らくらく寺じ寺じじににに參まゐ參まゐまいりりり、、、夜よ夜よよもすがらもすがらもすがら歌うた歌うたうた詠よ詠よよみみみ、、、連れん連れんれん歌が歌ががしししててて、、、宮みや宮みやみや仕づか仕づかづかへへえ給たま給たまたまひひいしししににに、、、中なか中なかなかにににももも本ほん本ほんほん三ざん三ざんざん位み位みみののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう重しげ重しげしげ衡ひら衡ひらひらののの卿きやう卿きやうきょう、、、
  3. 3住す住すすみみみなれなれなれしししふるきふるきふるき都みやこ都みやこみやこののの戀こひ戀こひこいしさしさしさははは神かみ神かみかみももも昔むかし昔むかしむかしにににおもひおもひおもい知し知ししるるるらむらむらん
  4. 4人ひと人ひとひと々びと々びとびとまことまことまことにににあはれあはれあわれににに覺おぼ覺おぼおぼえええててて、、、みなみなみな袖そで袖そでそでをををぞぞぞぬらさぬらさぬらされれれけるけるける。。。
  5. 5同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう日にち日にちにちののの日ひ日ひひ、、、都みやこ都みやこみやこにににははは法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうののの宣せん宣せんせん命みやう命みやうみょうにてにてにて、、、四し四ししののの宮みや宮みやみや、、、閑かん閑かんかん院ゐん院ゐんいん殿どの殿どのどのにてにてにて位くらゐ位くらゐくらいににに即つ即つつかかかせせせ給たま給たまたまふふう。。。攝せつ攝せつせつ政しやう政しやうしょうはははもともともとののの攝せつ攝せつせつ政しやう政しやうしょう近こん近こんこん衞ゑ衞ゑえ殿どの殿どのどのかはらかはらかわらせせせ給たま給たまたまははわずずず。。。頭とう頭とうとうややや藏くら藏くらくら人んど人んどんどなしなしなし置お置おおいいいててて、、、人ひと人ひとひと々びと々びとびとみなみなみな退たい退たいたい出しゆつ出しゆつしゅつせせせられられられたりたりたり。。。三さん三さんさんののの宮みや宮みやみやののの御おん御おんおん乳めの乳めのめの母と母とと泣な泣ななききき悲かな悲かなかなしみしみしみ、、、後こう後こうこう悔くわい悔くわいかいすれすれすれどもどもどもかひかひかいぞぞぞなきなきなき。。。天てん天てんてんににに二ふた二ふたふたつつつののの日ひ日ひひなしなしなし、、、國くに國くにくにににに二ふた二ふたふた人り人りりののの王わう王わうおうなしなしなしとととははは申まう申まうもうせせせどもどもども、、、平へい平へいへい家け家けけののの惡あく惡あくあく行ぎやう行ぎやうぎょうににに依よ依よよつつってててこそこそこそ、、、京きやう京きやうきょう、、、田ゐ田ゐい舎なか舎なかなかににに二ふた二ふたふた人り人りりののの王わう王わうおうはははまし〳〵まし〳〵ましましけれけれけれ。。。
  6. 6昔むかし昔むかしむかし文もん文もんもん德とく德とくとく天てん天てんてん皇わう皇わうおう、、、天てん天てんてん安あん安あんあん二に二にに年ねん年ねんねん八はち八はちはち月ぐわつ月ぐわつがつ二に二にに十じふ十じふじゅう三さん三さんさん日にち日にちにちかくれかくれかくれさせさせさせ給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。御み御みみ子こ子ここののの宮みや宮みやみやたちたちたちあまたあまたあまた御み御みみ位くらゐ位くらゐくらいににに望のぞ望のぞのぞみみみをををかけかけかけてててまし〳〵まし〳〵ましましけれけれければばば、、、内ない内ないない々ない々ないない御おん御おんおん祈いの祈いのいのりりりどもどもどもありありありけりけりけり。。。一いち一いちいちののの皇み皇みみ子こ子ここ惟これ惟これこれ喬たか喬たかたかののの親しん親しんしん王わう王わうのうをををばばば木こ木ここ原はら原はらはらののの皇み皇みみ子こ子こことととももも申まう申まうもうしししききき。。。王わう王わうおう者じや者じやじゃののの才さい才さいさい量りやう量りやうりょうををを御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころにににかけかけかけ、、、四し四しし海かい海かいかいののの安あん安あんあん危き危ききははは掌たなごゝろ掌たなごゝろたなごころののの中なか中なかなかににに照てら照てらてらししし、、、百はく百はくはく王わう王わうおうののの理り理りり亂らん亂らんらんははは御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころにににかけかけかけ給たま給たまたまへへえりりり。。。さればさればされば賢けん賢けんけん聖せい聖せいせいののの名な名ななをををももも取と取ととらららせせせまし〳〵まし〳〵ましましぬぬぬべきべきべき君きみ君きみきみなりなりなりととと見み見みみえええ給たま給たまたまへへえりりり。。。二に二ににののの宮みや宮みやみや惟これ惟これこれ仁ひと仁ひとひと親しん親しんしん王わう王わうのうははは、、、そのそのその頃ころ頃ころころののの執しつ執しつしっ柄ぺい柄ぺいぺい忠ちう忠ちうちゅう仁じん仁じんじん公こう公こうこうののの御おん御おんおん女むすめ女むすめむすめ、、、染そめ染そめそめ殿どの殿どのどのののの后きさき后きさききさきののの御おん御おんおん腹はら腹はらはらなりなりなり。。。一いち一いちいち門もん門もんもんののの公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう列れつ列れつれつしししてててもてなしもてなしもてなし奉たてまつ奉たてまつたてまつらららせせせ給たま給たまたまひひいしかしかしかばばば、、、これこれこれもももまたまたまたさしさしさし置お置おおきききがたきがたきがたき御おん御おんおん事こと事ことことなりなりなり。。。かれかれかれははは守しゆ守しゆしゅ文ぶん文ぶんぶん繼けい繼けいけい體たい體たいたいののの器き器きき量りやう量りやうりょうありありあり、、、これこれこれははは萬ばん萬ばんばん機き機きき補ほ補ほほ佐さ佐ささののの臣しん臣しんしん相しやう相しやうしょうありありあり。。。かれかれかれもももこれこれこれもももいたはしくいたはしくいたわしくててて、、、いづれいづれいずれももも思おぼし思おぼしおぼし召め召めめしししわづらはわづらはわずらわれれれききき。。。
  7. 7一いち一いちいちののの皇み皇みみ子こ子ここ惟これ惟これこれ喬たか喬たかたか親しん親しんしん王わう王わうのう家け家けけののの御おん御おんおん祈いの祈いのいのりりりにににははは、、、柿かき柿かきかきののの本もと本もともとののの紀き紀きき僧そう僧そうそう正じやう正じやうじょう眞しん眞しんしん濟ぜい濟ぜいぜいとてとてとて、、、東とう東とうとう寺じ寺じじののの一いち一いちいちののの長ちやう長ちやうちょう者じや者じやじゃ、、、弘こう弘こうこう法ぼふ法ぼふぼう大だい大だいだい師し師ししののの御おん御おんおん弟で弟でで子し子ししなりなりなり。。。二に二ににののの宮みや宮みやみや惟これ惟これこれ仁ひと仁ひとひと親しん親しんしん王わう王わうのう家け家けけののの御おん御おんおん祈いの祈いのいのりりりにににははは、、、外ぐわい外ぐわいがい祖そ祖そそ忠ちう忠ちうちゅう仁じん仁じんじん公こう公こうこうののの御ご御ごご持ぢ持ぢじ僧そう僧そうそう、、、比ひ比ひひ叡えい叡えいえい山さん山さんさんののの惠ゑ惠ゑえ亮りやう亮りやうりょう和くわ和くわか尙しやう尙しやうしょうぞぞぞ承うけたまは承うけたまはうけたまわららられれれけるけるける。。。何いづ何いづいずれれれももも劣おと劣おとおとらららぬぬぬ高かう高かうこう僧そう僧そうそうたちたちたちなりなりなり。。。とみとみとみににに事こと事ことことゆきゆきゆき難がた難がたがとうううやややあらあらあらんんんずらんずらんずらんととと、、、人ひと人ひとひと々びと々びとびと内ない内ないない々ない々ないないさゝやきさゝやきささやき合あ合ああははわれれれけりけりけり。。。案あん案あんあんののの如ごと如ごとごとくくく帝みかど帝みかどみかどかくれかくれかくれさせさせさせ給たま給たまたまひひいしかしかしかばばば、、、公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう僉せん僉せんせん議ぎ議ぎぎありありありけりけりけり。。。「「「抑そも〳〵抑そも〳〵そもそも臣しん臣しんしん等ら等ららががが慮おもんぱかり慮おもんぱかりおもんぱかりををを以もつ以もつもっててて、、、選えら選えらえらんんんででで位くらゐ位くらゐくらいににに即つ即つつけけけ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららんんん事こと事ことこと、、、用よう用ようよう捨しや捨しやしゃ私わたくし私わたくしわたくしあるあるあるににに似に似ににたりたりたり。。。萬ばん萬ばんばん人にん人にんにん脣くちびる脣くちびるくちびるをををかへすかへすかえすべしべしべし。。。如し如ししかかかずずず競けい競けいけい馬ば馬ばば、、、相す相すす撲まふ撲まふもうののの節せち節せちせちををを遂と遂ととげげげ、、、そのそのその運うん運うんうんををを知し知ししりりり、、、雌し雌しし雄ゆう雄ゆうゆうににに依よ依よよつつっててて、、、寶はう寶はうほう祚そ祚そそ授さづ授さづさずけけけ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるべしべしべし。。。」」」ととと議ぎ議ぎぎ定ぢやう定ぢやうじょうをををはんはんはんぬぬぬ。。。
  8. 8さるさるさる程ほど程ほどほどににに同おな同おなおなじきじきじき九く九くく月ぐわつ月ぐわつがつ二ふつ二ふつふつ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、二ふた二ふたふた人り人りりののの宮みや宮みやみやたちたちたち右う右うう近こん近こんこんののの馬ば馬ばば場ば場ばばへへへ行ぎやう行ぎやうぎょう啓けい啓けいけいありありありけりけりけり。。。こゝこゝここににに王わう王わうおう公こう公こうこう卿けい卿けいけい相しやう相しやうしょう、、、玉たま玉たまたまののの轡くつばみ轡くつばみくつばみををを竝なら竝ならならべべべ、、、花はな花はなはなののの袂たもと袂たもとたもとをををよそほひよそほひよそおい、、、雲くも雲くもくもののの如ごと如ごとごとくくくにににかさなりかさなりかさなり、、、星ほし星ほしほしののの如ごと如ごとごとくくくににに列つらな列つらなつらなりりり給たま給たまたまへへえりりり。。。これこれこれ希き希きき代たい代たいたいののの勝しよう勝しようしょう事じ事じじ、、、天てん天てんてん下が下ががののの壯さう壯さうそう觀くわん觀くわんかん、、、日ひ日ひひ頃ごろ頃ごろごろ心こゝろ心こゝろこころををを寄よ寄よよせせせ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりししし月げつ月げつげつ卿けい卿けいけい雲うん雲うんうん客かく客かくかく、、、兩りやう兩りやうりょう方ばう方ばうぼうににに引ひ引ひひきききわかつわかつわかっててて、、、手て手ててををを握にぎ握にぎにぎりりり心こゝろ心こゝろこころをををくだきくだきくだき給たま給たまたまへへえりりり。。。御おん御おんおん祈いの祈いのいのりりりののの高かう高かうこう僧そう僧そうそうたちたちたち、、、いづれいづれいずれかかか疎そ疎そそ畧りやく畧りやくりやくあらあらあらんんんややや。。。眞しん眞しんしん濟ぜい濟ぜいぜい僧そう僧そうそう正じやう正じやうじょうははは東とう東とうとう寺じ寺じじににに壇だん壇だんだんををを立た立たたててて、、、惠ゑ惠ゑえ亮りやう亮りやうりょう和くわ和くわか尙しやう尙しやうしょうははは大だい大だいだい内だい内だいだいののの眞しん眞しんしん言ごん言ごんごん院ゐん院ゐんいんににに壇だん壇だんだんををを立た立たたてててててて祈いの祈いのいのららられれれけるけるけるががが、、、惠ゑ惠ゑえ亮りやう亮りやうりょうははは亡う亡ううせせせたりたりたりととといふいふいう披ひ披ひひ露ろう露ろうろうをををなさなさなさばばば、、、眞しん眞しんしん濟ぜい濟ぜいぜい僧そう僧そうそう正じやう正じやうじょう少すこ少すこすこしししたゆむたゆむたゆむ心こゝろ心こゝろこころもももやややおはすおはすおわすらんらんらんとてとてとて、、、惠ゑ惠ゑえ亮りやう亮りやうりょうはははうせうせうせたりたりたりととといふいふいう披ひ披ひひ露ろう露ろうろうをををなしなしなしててて肝かん肝かんかん膽たん膽たんたんををを碎くだ碎くだくだいいいててて祈いの祈いのいのららられれれけりけりけり。。。
  9. 9既すで既すですでににに十じふ十じふじゅう番ばん番ばんばんののの競けい競けいけい馬ば馬ばばはじまるはじまるはじまる。。。はじめはじめはじめ四し四しし番ばん番ばんばんははは一いち一いちいちののの皇み皇みみ子こ子ここ惟これ惟これこれ喬たか喬たかたか親しん親しんしん王わう王わうのう家け家けけ勝か勝かかたたたせせせ給たま給たまたまふふう。。。後のち後のちのち六ろく六ろくろく番ばん番ばんばんははは二に二ににののの宮みや宮みやみや惟これ惟これこれ仁ひと仁ひとひと親しん親しんしん王わう王わうのう家け家けけ勝か勝かかたたたせせせ給たま給たまたまふふう。。。やがてやがてやがて相す相すす撲まふ撲まふもうののの節せち節せちせちあるあるあるべしべしべしとてとてとて、、、一いち一いちいちののの皇み皇みみ子こ子ここ惟これ惟これこれ喬たか喬たかたかののの親しん親しんしん王わう王わうのう家け家けけよりよりよりははは那な那なな都と都とと羅ら羅ららののの右う右うう兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの督かみ督かみかみとてとてとて、、、およそおよそおよそ六ろく六ろくろく十じふ十じふじゅう人にん人にんにんががが力ちから力ちからちからあらはしあらはしあらわしたるたるたる、、、ゆゝしきゆゝしきゆゆしき人ひと人ひとひとををを出いだ出いだいだささされれれたりたりたり。。。二に二ににののの宮みや宮みやみや惟これ惟これこれ仁ひと仁ひとひとののの親しん親しんしん王わう王わうのう家け家けけよりよりよりははは善よし善よしよし雄を雄をおののの少せう少せうしょう將しやう將しやうしょうとてとてとて、、、背せい背せいせい小ちひ小ちひちいさうさうそう、、、妙たへ妙たへたえにににしてしてして、、、片かた片かたかた手て手ててににに合あ合ああふふうべしべしべしとととももも見み見みみえええぬぬぬ人ひと人ひとひと、、、御ご御ごご夢む夢むむ想さう想さうそうののの御おん御おんおん告つ告つつげげげありありありとてとてとて、、、申まう申まうもうしししうけうけうけてててぞぞぞ出い出いいでででられられられけるけるける。。。
  10. 10さるさるさる程ほど程ほどほどににに那な那なな都と都とと羅ら羅らら、、、善よし善よしよし雄を雄をお寄よ寄よよりりりあひあひあいててて、、、ひし〳〵ひし〳〵ひしひしとととつまつまつまどりどりどりしてしてして退の退ののきききにににけりけりけり。。。暫しばら暫しばらしばらくくくあつあつあっててて、、、那な那なな都と都とと羅ら羅ららつつつととと寄よ寄よよりりり、、、善よし善よしよし雄を雄をおををを取と取ととつつっててて捧さゝ捧さゝささげげげ、、、二に二にに丈ぢやう丈ぢやうじょうばかりばかりばかりぞぞぞ投な投ななげげげ上あ上ああげげげたるたるたる。。。たゞたゞただ直なほ直なほなおつつっててて倒たふ倒たふたおれれれずずず。。。善よし善よしよし雄を雄をおまたまたまたつつつととと寄よ寄よよりりり、、、那な那なな都と都とと羅ら羅ららををを取と取ととつつっててて伏ふ伏ふふせせせんんんとととすすす。。。されどもされどもされども那な那なな都と都とと羅ら羅ららははは大だい大だいだいののの男をとこ男をとこおとこ、、、かさかさかさににに廻まは廻まはまわるるる。。。善よし善よしよし雄を雄をおあぶなうあぶなうあぶのう見み見みみえええけれけれければばば、、、御おん御おんおん母ぼ母ぼぼ儀ぎ儀ぎぎ染そめ染そめそめ殿どの殿どのどのののの后きさき后きさききさきよりよりより、、、御おん御おんおん使つかひ使つかひつかい櫛くし櫛くしくしののの齒は齒ははののの如ごと如ごとごとくくくにににしげうしげうしぎょう走はし走はしはしりりり重かさ重かさかさなつなつなっててて、、、「「「御み御みみ方かた方かたかた既すで既すですでににに負ま負ままけけけ色いろ色いろいろににに見み見みみゆゆゆ、、、いかゞいかゞいかがせせせんんん。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、惠ゑ惠ゑえ亮りやう亮りやうりょう和くわ和くわか尙しやう尙しやうしょうははは大だい大だいだい威ゐ威ゐい德とく德とくとくののの法ほふ法ほふほうををを行おこな行おこなおこなははわれれれけるけるけるががが、、、こここははは心こゝろ心こゝろこころ憂う憂ううきききことことことなりなりなりとてとてとて、、、獨どく獨どくどく鈷こ鈷ここををを以もつ以もつもっててて頭かうべ頭かうべこうべをををつきつきつき破やぶ破やぶやぶりりり、、、腦なづき腦なづきなずきをををくだきくだきくだき乳にう乳にうにゅうににに和わ和わわしししててて護ご護ごご摩ま摩ままににに燒た燒たたききき、、、黑くろ黑くろくろ煙けぶり煙けぶりけぶりををを立た立たたてててててて、、、一ひと一ひとひともみもみもみ揉も揉ももまままれれれたりたりたりけれけれければばば、、、善よし善よしよし雄を雄をお相す相すす撲まふ撲まふもうににに勝か勝かかちちちにににけりけりけり。。。
  11. 11二に二ににののの宮みや宮みやみや位くらゐ位くらゐくらいににに即つ即つつかかかせせせ給たま給たまたまふふう。。。淸せい淸せいせい和わ和わわののの帝みかど帝みかどみかどこれこれこれなりなりなり。。。後のち後のちのちにににははは水みづの水みづのみずの尾を尾をおののの天てん天てんてん皇わう皇わうおうとととももも申まう申まうもうしししききき。。。それそれそれよりよりよりしてしてして山さん山さんさん門もん門もんもんにににははは聊いさゝ聊いさゝいささかかかのののことことことにてにてにてももも、、、「「「惠ゑ惠ゑえ亮りやう亮りやうりょう腦なづき腦なづきなずきををを碎くだ碎くだくだけけけばばば二じ二じじ帝てい帝ていてい位くらゐ位くらゐくらいにににつきつきつき、、、尊そん尊そんそん意い意いい智ち智ちち劍けん劍けんけんををを振ふ振ふふつつっしかしかしかばばば、、、菅くわん菅くわんかん相しやう相しやうしょう納なふ納なふのう受じゆ受じゆじゅししし給たま給たまたまふふう。。。」」」とととももも傳つた傳つたつたへへえたりたりたり。。。これこれこれのみのみのみややや法ほふ法ほふほう力りき力りきりきにてにてにてもももありありありけんけんけん、、、そのそのその外ほか外ほかほかはははみなみなみな天てん天てんてん照せう照せうしょう大だい大だいだい神じん神じんじんののの御おん御おんおん計はか計はかはからひらひらいなりなりなりとととぞぞぞ見み見みみえええたりたりたりけるけるける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

同月(八月)十日、木曾は左馬頭になって越後国を賜った。そのうえ「朝日の将軍」と称せよという院宣を下された。十郎蔵人行家は備後守になって備後国を賜った。木曾が越後を嫌ったので伊予を賜り、十郎蔵人が備後を嫌ったので備前を賜った。そのほか源氏十余人が、受領・検非違使・靫負尉・兵衛尉に任じられた。同月十六日、前内大臣宗盛公以下、平家の一族百六十人が官職を停止され、殿上の名簿から名を削られた。そのなかで平大納言時忠卿、内蔵頭信基、讃岐中将時実の父子三人は削られなかった。そのわけは、天皇と三種の神器を無事に都へお返し申せと、時忠卿のもとへたびたび仰せ下されていたためである。

あくる十七日、平家は筑前国三笠郡の大宰府にお着きになった。菊池次郎高直は都から平家のお供をしていたが、大津山の関を開けてお通し申しましょうといって肥後国へ越え、自分の城に引きこもって、召しても召しても参らない。そのほか九州・二島(壱岐・対馬)の者たちも、みな参りますとの承諾は申しながら、一人も参らない。今は岩戸の少卿大蔵種直だけが控えていた。同月十八日、平家は安楽寺(太宰府天満宮)に参り、夜通し歌を詠み連歌をして神にお仕えになったが、なかでも本三位中将重衡卿は、

(住みなれた古い都の恋しさは、昔都を追われてこの地に来られた神も、身にしみてご存じのことでしょう)

人々はまことに哀れに思って、みな袖を濡らされた。

同月二十日、都では法皇の宣命によって、四の宮が閑院殿で位におつきになった。摂政はもとの摂政近衛殿(基通)が変わらずにお勤めになる。蔵人頭や蔵人を任命して、人々はみな退出された。三の宮の乳母は泣き悲しんで後悔したが、どうにもならない。天に二つの太陽はなく、国に二人の王はないとは申すけれども、平家の悪行によって、京と田舎に二人の帝がおられることになった。

昔、文徳天皇が天安二年八月二十三日に崩御された。御子の宮たちが大勢、御位に望みをかけておられたので、内々にお祈りがいろいろ行われた。第一皇子の惟喬親王を木原の皇子とも申した。王者としての才覚を心にかけ、天下の安危を手のひらの中のように明らかにし、歴代の帝の治乱を心にとめておられた。だから賢王の名をも得られるにちがいない君と見えた。第二皇子の惟仁親王は、当時の摂政忠仁公(藤原良房)の娘、染殿の后(明子)のお生みになった方である。一門の公卿が連なって大切にお世話申していたので、これもまた捨ておきがたい方であった。一方は先帝の文を守り位を継ぐ器量があり、他方は政務を補佐する臣下の後ろ盾がある。どちらもいとおしくて、どちらに決めるか思い悩まれた。

第一皇子惟喬親王の方のお祈りは、柿本の紀僧正真済といって、東寺の一の長者で弘法大師の御弟子である。第二皇子惟仁親王の方のお祈りは、外祖父忠仁公の護持僧、比叡山の恵亮和尚がお引き受けになった。どちらも劣らぬ高僧である。すぐには決着がつかないのではないかと、人々は内々ささやき合った。案の定、帝が崩御されたので、公卿の会議があった。「そもそも臣下の考えで選んで位におつけすることは、えこひいきがあるように見える。人々が非難するだろう。それより競馬と相撲の節会を行い、その運を見て、勝ち負けによって帝位をお授けするのがよい」と決定した。

そうしているうちに、同年九月二日、二人の宮は右近の馬場へお出ましになった。ここに王公・卿相は玉の轡を並べ、花やかな袂をよそおって、雲のように重なり、星のように連なっておられた。これはまれに見る晴れの行事で、天下の壮観であり、日ごろ心を寄せ申していた公卿・殿上人は両方に分かれて、手に汗を握り、心をくだかれた。お祈りの高僧たちも、どうしておろそかにすることがあろうか。真済僧正は東寺に壇を立て、恵亮和尚は大内裏の真言院に壇を立てて祈られたが、恵亮が死んだと言いふらせば、真済僧正が少し気をゆるめることもあろうかといって、恵亮は死んだと言いふらして、肝胆をくだいて祈られた。

いよいよ十番の競馬が始まる。はじめの四番は第一皇子惟喬親王の方がお勝ちになる。後の六番は第二皇子惟仁親王の方がお勝ちになる。続いて相撲の節会があるというので、惟喬親王の方からは那都羅の右兵衛督といって、およそ六十人分の力があるという恐ろしい人を出された。惟仁親王の方からは善雄の少将といって、背が小さく、ほっそりとして、片手で相手になるとも見えない人を、夢のお告げがあったといって、申し受けて出された。

やがて那都羅と善雄が寄り合って、ひしひしと組み合ってはまた離れた。しばらくして那都羅がさっと寄り、善雄をつかんで持ち上げ、二丈ほども投げ上げた。善雄はまっすぐに立ち直って倒れない。善雄がまたさっと寄って、那都羅をつかんで伏せようとする。けれども那都羅は大男で、上からのしかかってくる。善雄が危うく見えたので、御母の染殿の后から、お使いが櫛の歯のように次々と走り重なって、「味方はもう負けそうに見える。どうしたらよいか」とおっしゃったので、恵亮和尚は大威徳の法を行っておられたが、これは情けないことだといって、独鈷で自分の頭を突き破り、脳をくだいて乳に混ぜて護摩に焼き、黒煙を立てて、一心にもみにもんで祈られたところ、善雄は相撲に勝った。

第二皇子が位におつきになる。清和天皇がこの方である。のちには水尾の天皇とも申した。それ以来、山門(延暦寺)では、ちょっとしたことにつけても、「恵亮が脳をくだけば二の宮が帝位につき、尊意が智剣を振るえば菅原道真の霊も聞き入れられた」と伝えている。これだけは法力でもあったろうか、そのほかはみな天照大神のお計らいであると見えた。

意訳

平家が九州に落ちつく一方、都では義仲・行家が国守に任じられ、平家一門は官職を奪われた。四の宮(後鳥羽天皇)の即位によって、安徳天皇と並んで「二人の王」が立つという異常な事態になる。九州の武士も平家に従わず、大宰府での重衡の歌には、都を追われた菅原道真の境遇に自分たちを重ねる思いがこめられている。

後半の那都羅と善雄の相撲は、帝位が人の思惑を超えたもので決まるという例として引かれる。恵亮が自らの頭をくだいて祈った話は比叡山の法力の誇りとして伝えられたが、語り手はそれも含めて、帝位はつまるところ天照大神の計らいによるとまとめ、後鳥羽天皇の即位を正当なものとして位置づけている。

語釈・文法注

文法

「朝日の將軍」
義仲に与えられた称号。のちの『吾妻鏡』などでは「旭将軍」とも書く。
「賜ぶ」
「たぶ」。「賜ふ」と同じく、お与えになる意。
「靫負の尉」
衛門府の尉。靫負は衛門府の別名。
「殿上の御簡」
殿上の間に掛ける、昇殿を許された者の名を記した札(日給の簡)。名を削ることは昇殿を止めること。
「岩戸の諸卿」
大宰少弐を務めた大蔵種直を、地名の岩戸と官名の少卿で呼んだもの。「諸卿」は底本の表記。
「神も昔におもひ知るらむ」
安楽寺に祀られる菅原道真が、昔都を追われて大宰府に流されたことを踏まえる。
「守文繼體」
先帝の定めた法を守り、皇統を継ぐこと。
「萬人脣をかへすべし」
人々が口をそろえて非難するであろう。
「議定をはんぬ」
「をはんぬ」は「をはりぬ」の音便。評定が終わった。
「かさに廻る」
上からのしかかるように押してくる。
「尊意智劍を振つしかば、菅相納受し給ふ」
天台座主尊意が法力で菅原道真(菅相)の怨霊を鎮めたという伝え。

和歌

住みなれしふるき都の戀しさは神も昔におもひ知るらむ

詠者
平重衡
状況
大宰府に落ちた平家が安楽寺(菅原道真の廟所)に参り、夜通し歌や連歌を奉納したときの歌。

修辞

神も昔に
安楽寺の祭神菅原道真も、昔、都を追われてこの地に流されたので、都を恋しく思う心を知っておられるだろう、の意。

解説

後鳥羽天皇は寿永二年(1183)八月二十日、神器のないまま践祚した。安徳天皇は退位しておらず、平家が滅ぶ文治元年(1185)まで二人の天皇が並び立った。平家一門の解官は八月六日と伝えられ、本章段の日付とは異なる。

惟喬親王と惟仁親王の皇位争いの話は、『平家物語』のほか『江談抄』『曽我物語』などにも見えるが、史実としては、惟仁親王は生後まもなく立太子しており、相撲で決まったわけではない。惟喬親王はのちに出家して小野に隠棲し、在原業平との交流が『伊勢物語』に描かれている。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、604–608頁(コマ331–333)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日