古典ライブラリー

平家物語 巻第八

山門御幸の事

平家が都を落ちる前夜、後白河法皇はひそかに御所を抜け出して比叡山に入り、公卿たちはこぞって山に参った。法皇は木曾義仲の軍に守られて都へ帰り、義仲と行家に平家追討を命じる。西国へ連れ去られた安徳天皇に代わる帝を立てるため、法皇は高倉院の皇子たちを呼び寄せ、人見知りせずに膝に乗った四の宮(後鳥羽天皇)を位につけることに心を決めた。四の宮を西国へ連れ出されかけたところで引き止めた紀伊守範光は、落書の歌によって正三位に叙せられた。

  1. 1壽じゆ壽じゆじゅ永えい永えいえい二に二にに年ねん年ねんねん七しち七しちしち月ぐわつ月ぐわつがつ二に二にに十じふ十じふじゅう四よつ四よつよっ日か日かかののの夜や夜やや半はん半はんはんばかりばかりばかり、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうははは按あ按ああ察ぜ察ぜぜ使ち使ちち大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん資すけ資すけすけ賢かた賢かたかたののの卿きやう卿きやうきょうののの子し子しし息そく息そくそく右う右うう馬ま馬ままののの頭かみ頭かみかみ資すけ資すけすけ時とき時ときときばかりばかりばかりををを御おん御おんおん供とも供ともともにてにてにて、、、ひそかひそかひそかににに御ご御ごご所しよ所しよしょををを出い出いいでででさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、鞍くら鞍くらくら馬ま馬ままののの奧おく奧おくおくへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうなるなるなる。。。寺じ寺じじ僧そう僧そうそうどもどもども、、、「「「これこれこれはははなほなほなお都みやこ都みやこみやこ近ちか近ちかちこうううててて惡あ惡ああしうしうしゅう候さふら候さふらそうらひひいなんなんなん。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、さらばさらばさらばとてとてとて、、、笹さゝ笹さゝささののの峯みね峯みねみね、、、藥やく藥やくやく王わう王わうおう坂ざか坂ざかざかなどなどなどいふいふいうさかしきさかしきさかしき險けん險けんけん難なん難なんなんををを凌しの凌しのしのがががせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、横よ横よよ川かは川かはかわののの解げ解げげ脫だつ脫だつだつ谷だに谷だにだに寂じやく寂じやくじゃく定ぢやう定ぢやうじょう坊ばう坊ばうぼうへへへ入い入いいらららせせせおはしますおはしますおわします。。。大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ起おこ起おこおこつつっててて、、、「「「東とう東とうとう塔たふ塔たふとうへへへこそこそこそ御ご御ごご幸かう幸かうこうはははなるなるなるべけれべけれべけれ。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、東とう東とうとう塔たふ塔たふとうののの南みなみ南みなみみなみ谷だに谷だにだに圓ゑん圓ゑんえん融ゆう融ゆうゆう坊ばう坊ばうぼう御ご御ごご所しよ所しよしょににになるなるなる。。。斯か斯かかかりかりかりしかしかしかばばば衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒ととももも武ぶ武ぶぶ士し士ししももも、、、みなみなみな圓ゑん圓ゑんえん融ゆう融ゆうゆう坊ばう坊ばうぼうををを守しゆ守しゆしゅ護ご護ごごししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうははは仙せん仙せんせん洞とう洞とうとうををを出い出いいでででててて天てん天てんてん台だい台だいだい山さん山さんさんへへへ、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうははは鳳ほう鳳ほうほう闕けつ闕けつけつををを去さ去ささつつっててて西さい西さいさい海かい海かいかいへへへ、、、攝せつ攝せつせつ政しやう政しやうしょう殿どの殿どのどのははは吉よし吉よしよし野の野ののののの奧おく奧おくおくとととかやかやかや。。。女によ女によにょ院ゐん院ゐんいん宮みや宮みやみや々みや々みやみやははは八や八やや幡はた幡はたはた、、、賀か賀かか茂も茂もも、、、嵯さ嵯ささ峨が峨がが、、、太うづ太うづうず秦まさ秦まさまさ、、、西にし西にしにし山やま山やまやま、、、東ひがし東ひがしひがし山やま山やまやまのののかたかたかたほとりほとりほとりににについついついててて、、、逃に逃ににけけけ遁のが遁のがのがれれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。平へい平へいへい家け家けけははは落お落おおちちちぬれぬれぬれどどど、、、源げん源げんげん氏じ氏じじははは未いま未いまいまだだだ入い入いいりりり代かは代かはかわらららずずず、、、既すで既すですでにににこのこのこの京きやう京きやうきょうははは主ぬし主ぬしぬしなきなきなき里さと里さとさととととぞぞぞなりなりなりにににけるけるける。。。開かい開かいかい闢びやく闢びやくびゃくよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、斯か斯かかかるかるかる事こと事ことことあるあるあるべしべしべしとととももも覺おぼ覺おぼおぼえええずずず。。。聖しやう聖しやうしょう德とく德とくとく太たい太たいたい子し子ししののの未み未みみ來らい來らいらい記き記ききにににももも、、、今日けふ今日けふきょうののの事こと事ことことこそこそこそゆかしけれゆかしけれゆかしけれ。。。
  2. 2さるさるさる程ほど程ほどほどににに法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう天てん天てんてん台だい台だいだい山さん山さんさんににに渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまふふうととと聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、御おん御おんおん迎むか迎むかむかへへえににに馳は馳ははせせせ參まゐ參まゐまいらららせせせ給たま給たまたまふふう人ひと人ひとひと々びと々びとびと、、、そのそのその頃ころ頃ころころののの入にふ入にふにゅう道だう道だうどう殿どの殿どのどのとととははは前さき前さきさきののの關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱく松まつ松まつまつ殿どの殿どのどの、、、當たう當たうとう殿どの殿どのどのとととははは近こん近こんこん衞ゑ衞ゑえ殿どの殿どのどの、、、太だい太だいだい政じやう政じやうじょう大だい大だいだい臣じん臣じんじん、、、左さ左ささ右いう右いうゆうののの大だい大だいだい臣じん臣じんじん、、、内ない内ないない大だい大だいだい臣じん臣じんじん、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん、、、中ちう中ちうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん、、、宰さい宰さいさい相しやう相しやうしょう、、、三さん三さんさん位み位みみ、、、四し四しし位ゐ位ゐい、、、五ご五ごご位ゐ位ゐいののの殿てん殿てんてん上じやう上じやうじょう人びと人びとびと、、、すべてすべてすべて世よ世よよににに人ひと人ひとひとととと數かぞ數かぞかぞへへへられられられ、、、官くわん官くわんかん加か加かか階かい階かいかいににに望のぞ望のぞのぞみみみをををかけかけかけ、、、所しよ所しよしょ帶たい帶たいたい所しよ所しよしょ職しよく職しよくしょくををを帶たい帶たいたいするするする程ほど程ほどほどののの人ひと人ひとひとののの、、、一いち一いちいち人にん人にんにんももも洩も洩ももるゝるゝるるはははなかりなかりなかりけりけりけり。。。圓ゑん圓ゑんえん融ゆう融ゆうゆう坊ばう坊ばうぼうにににはははあまりあまりあまりににに人ひと人ひとひと多おほ多おほおおくくく參まゐ參まゐまいりりりつどひつどひつどいててて、、、堂だう堂だうどう上しやう上しやうしょう堂だう堂だうどう下か下かか、、、門もん門もんもん外げ外げげ門もん門もんもん内ない内ないない、、、ひまひまひまはざまはざまはざまもももなうなうのうぞぞぞ充み充みみちちち滿み滿みみちちちたるたるたる。。。山さん山さんさん門もん門もんもん繁はん繁はんはん昌じやう昌じやうじょう、、、門もん門もんもん跡ぜき跡ぜきぜきののの面めん面めんめん目ぼく目ぼくぼくとととこそこそこそ見み見みみえええたりたりたりけれけれけれ。。。
  3. 3同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう八はち八はちはち日にち日にちにち、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう都みやこ都みやこみやこへへへ還くわん還くわんかん御ぎよ御ぎよぎょなるなるなる。。。木き木きき曾そ曾そそ五ご五ごご萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎ききででで守しゆ守しゆしゅ護ご護ごごししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。近あふ近あふおう江み江みみ源げん源げんげん氏じ氏じじ山やま山やまやま本もと本もともとののの冠くわん冠くわんかん者じや者じやじゃ義よし義よしよし高たか高たかたか、、、白しら白しらしら旗はた旗はたはた差さ差ささいいいててて先せん先せんせん陣ぢん陣ぢんじんににに供ぐ供ぐぐ奉ぶ奉ぶぶすすす。。。このこのこの二に二にに十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ年ねん年ねんねん見み見みみざりざりざりつるつるつる白しら白しらしら旗はた旗はたはたののの、、、今日けふ今日けふきょう始はじ始はじはじめめめててて都みやこ都みやこみやこへへへ入い入いいるるる。。。めづらしかりめづらしかりめずらしかりししし見けん見けんけん物ぶつ物ぶつぶつなりなりなり。。。十じふ十じふじゅう郎らう郎らうろう藏くら藏くらくら人んど人んどんど行ゆき行ゆきゆき家いへ家いへいえ、、、數す數すす千せん千せんせん騎ぎ騎ぎぎででで宇う宇うう治ぢ治ぢじ橋ばし橋ばしばしををを渡わた渡わたわたつつっててて都みやこ都みやこみやこへへへ入い入いいるるる。。。陸奧みちのく陸奧みちのくみちのくののの新しん新しんしん判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん義よし義よしよし康やす康やすやすががが子こ子ここ矢や矢やや田だ田だだののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん代だい代だいだい義よし義よしよし淸きよ淸きよきよ、、、大おほ大おほおお江え江ええ山やま山やまやまををを經へ經へへててて上しやう上しやうしょう洛らく洛らくらくすすす。。。またまたまた攝つ攝つつ津の津ののののの國くに國くにくに、、、河かう河かうこう内ち内ちちののの源げん源げんげん氏じ氏じじ等ら等らら同どう同どうどう心しん心しんしんしししててて、、、同おな同おなおなじうじうじゅう都みやこ都みやこみやこへへへ亂みだ亂みだみだれれれ入い入いいるるる。。。およそおよそおよそ京きやう京きやうきょう中ぢう中ぢうじゅうにににははは源げん源げんげん氏じ氏じじののの勢せい勢せいせい充み充みみちちち滿み滿みみちちちたりたりたり。。。
  4. 4勘か勘かか解げ解げげ由ゆ由ゆゆののの小こう小こうこう路ぢ路ぢじののの中ちう中ちうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん經つね經つねつね房ふさ房ふさふさののの卿きやう卿きやうきょう、、、檢けん檢けんけん非び非びび違ゐ違ゐい使し使ししののの別べつ別べつべつ當たう當たうとう左さ左ささ衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみ實さね實さねさね家いへ家いへいえ兩りやう兩りやうりょう人にん人にんにん、、、院ゐん院ゐんいんののの殿てん殿てんてん上じやう上じやうじょうののの簀す簀すす子のこ子のこのこににに候さぶら候さぶらさぶらひひいててて、、、義よし義よしよし仲なか仲なかなか、、、行ゆき行ゆきゆき家いへ家いへいえををを召め召めめすすす。。。木き木きき曾そ曾そそそのそのその日ひ日ひひののの裝しやう裝しやうしょう束ぞく束ぞくぞくにににははは、、、赤あか赤あかあか地ぢ地ぢじののの錦にしき錦にしきにしきののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれににに、、、唐から唐からから綾あや綾あやあや縅をどし縅をどしおどしののの鎧よろひ鎧よろひよろい著き著ききててて、、、いかいかいか物もの物ものものづくりづくりづくりののの太た太たた刀ち刀ちちををを佩は佩ははききき、、、二に二にに十じふ十じふじゅう四し四ししさいさいさいたるたるたる切きり切きりきり斑ふ斑ふふののの矢や矢やや負お負おおひひい、、、滋しげ滋しげしげ籐どう籐どうどうののの弓ゆみ弓ゆみゆみ脇わき脇わきわきににに挾はさ挾はさはさみみみ、、、兜かぶと兜かぶとかぶとをををばばばぬいぬいぬいででで高たか高たかたか紐ひも紐ひもひもにににかけかけかけ、、、跪ひざまづ跪ひざまづひざまずいいいてててぞぞぞ候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるける。。。十じふ十じふじゅう郎らう郎らうろう藏くら藏くらくら人んど人んどんど行ゆき行ゆきゆき家いへ家いへいえははは、、、紺こん紺こんこん地ぢ地ぢじののの錦にしき錦にしきにしきののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれににに黑くろ黑くろくろ絲いと絲いといと縅をどし縅をどしおどしののの鎧よろひ鎧よろひよろい著き著ききててて、、、黑こく黑こくこく漆しつ漆しつしつののの太た太たた刀ち刀ちちををを佩は佩ははききき、、、二に二にに十じふ十じふじゅう四し四ししさいさいさいたるたるたる大おほ大おほおお中なか中なかなか黑ぐろ黑ぐろぐろののの矢や矢やや負お負おおひひい、、、塗ぬり塗ぬりぬり籠ごめ籠ごめごめ籐どう籐どうどうののの弓ゆみ弓ゆみゆみ脇わき脇わきわきににに挾はさ挾はさはさみみみ、、、これこれこれももも兜かぶと兜かぶとかぶとをををぬいぬいぬいででで高たか高たかたか紐ひも紐ひもひもにににかけかけかけ、、、畏かしこ畏かしこかしこまつまつまってててぞぞぞ候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるける。。。前さき前さきさきののの内ない内ないない大だい大だいだい臣じん臣じんじん宗むね宗むねむね盛もり盛もりもり公こう公こうこうををを始はじ始はじはじめめめとととしてしてして、、、平へい平へいへい家け家けけののの一いち一いちいち族ぞく族ぞくぞくみなみなみな追つゐ追つゐつい討たう討たうとうすすすべきべきべき由よし由よしよし、、、仰おほ仰おほおおせせせ下くだ下くだくださささるるる。。。兩りやう兩りやうりょう人にん人にんにん庭てい庭ていてい上しやう上しやうしょうににに畏かしこ畏かしこかしこまりまりまり承うけたまは承うけたまはうけたまわつつってててまかりまかりまかり出い出いいづづず。。。各おのおの各おのおのおのおの宿しゆく宿しゆくしゅく所しよ所しよしょなきなきなきよしよしよしををを奏そう奏そうそう聞もん聞もんもんすすす。。。木き木きき曾そ曾そそははは大だい大だいだい膳ぜん膳ぜんぜんののの大だい大だいだい夫ぶ夫ぶぶ成なり成なりなり忠たゞ忠たゞただががが宿しゆく宿しゆくしゅく所しよ所しよしょ、、、六ろく六ろくろく條でう條でうじょう西にし西にしにしののの洞たう洞たうとう院ゐん院ゐんいんををを下くだ下くだくださささるるる。。。十じふ十じふじゅう郎らう郎らうろう藏くら藏くらくら人んど人んどんど行ゆき行ゆきゆき家いへ家いへいえははは法ほふ法ほふほう住ぢゆう住ぢゆうじゅう寺じ寺じじ殿どの殿どのどのののの南みなみ南みなみみなみ殿どの殿どのどのととと申まう申まうもうすすす、、、賀か賀かか陽や陽ややののの御ご御ごご所しよ所しよしょをををぞぞぞ賜たま賜たまたまははわりりりけるけるける。。。
  5. 5主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうははは外ぐわい外ぐわいがい戚せき戚せきせきののの平へい平へいへい家け家けけににに捕とら捕とらとらははわれれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、西さい西さいさい海かい海かいかいののの波なみ波なみなみののの上うへ上うへうえににに漂たゞよ漂たゞよただよははわせせせ給たま給たまたまふふう事こと事ことことををを、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうなのめなのめなのめならならならずずず御おん御おんおん歎なげ歎なげなげきききあつあつあっててて、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょう竝ならび竝ならびならびににに三さん三さんさん種しゆ種しゆしゅののの神じん神じんじん器ぎ器ぎぎ、、、ことことことゆゑゆゑゆえなうなうのう都みやこ都みやこみやこへへへ返かへ返かへかえししし入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるべきべきべき由よし由よしよし、、、西さい西さいさい國こく國こくこくへへへ仰おほ仰おほおおせせせ下くだ下くだくだささされれれけれけれけれどもどもども、、、平へい平へいへい家け家けけ用もち用もちもちゐゐい奉たてまつ奉たてまつたてまつらららずずず。。。高たか高たかたか倉くら倉くらくら院ゐん院ゐんいんののの皇み皇みみ子こ子ここははは、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうののの外ほか外ほかほか三み三みみ所ところ所ところところおはしましおはしましおわしましききき。。。中なか中なかなかにににももも二に二ににののの宮みや宮みやみやをををばばば、、、儲まうけの儲まうけのもうけの君きみ君きみきみにににししし奉たてまつ奉たてまつたてまつらららんんんとてとてとて、、、平へい平へいへい家け家けけ取と取ととりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて西さい西さいさい國こく國こくこくへへへ落お落おおちちち下くだ下くだくだりりりぬぬぬ。。。三さん三さんさん四し四ししははは都みやこ都みやこみやこにににまし〳〵まし〳〵ましましけりけりけり。。。八はち八はちはち月ぐわつ月ぐわつがつ五いつ五いついつ日か日かか、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうこのこのこの宮みや宮みやみやたちたちたち迎むか迎むかむかへへえ寄よ寄よよせせせ參まゐ參まゐまいらららさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、まづまづまず三さん三さんさんののの宮みや宮みやみやののの五ご五ごご歳さい歳さいさいにににならならならせせせまし〳〵まし〳〵ましましけるけるけるををを、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう、、、「「「あれあれあれはははいかにいかにいかに。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうををを見み見みみ參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまひひいててて、、、大おほ大おほおおきききにににむつがらむつがらむつがらせせせ給たま給たまたまふふう間あひだ間あひだあいだ、、、「「「とう〳〵とう〳〵とうとう。。。」」」とてとてとて、、、出いだ出いだいだししし參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。そのそのその後のち後のちのち、、、四し四ししののの宮みや宮みやみやののの四し四しし歳さい歳さいさいにににならならならせせせまし〳〵まし〳〵ましましけるけるけるををを、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう、、、「「「あれあれあれはははいかにいかにいかに。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、やがてやがてやがて法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうののの御おん御おんおん膝ひざ膝ひざひざののの上うへ上うへうえににに參まゐ參まゐまいらららさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、なのめなのめなのめならならならずずず、、、なつかしげなつかしげなつかしげにてにてにてぞぞぞまし〳〵まし〳〵ましましけるけるける。。。
  6. 6法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう御おん御おんおん涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながさささせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、「「「げにげにげにもももすゞろすゞろすずろならならならんんん者もの者ものものののの、、、このこのこの老おい老おいおい法ほふ法ほふほう師し師ししををを見み見みみててて、、、いかでいかでいかでかかかなつかしげなつかしげなつかしげにににははは思おも思おもおもふふうべきべきべき。。。これこれこれぞぞぞまことまことまことのののわがわがわが御おん御おんおん孫まご孫まごまごにてにてにておはしますおはしますおわします。。。故こ故ここ院ゐん院ゐんいんののの幼をさ幼をさおさ生な生ななひひいににに少すこ少すこすこしししももも違たが違たがたがははわせせせ給たま給たまたまははわぬぬぬものものものかなかなかな。。。これこれこれ程ほど程ほどほどののの忘わす忘わすわすれれれがたみがたみがたみををを、、、今いま今いまいままでまでまで御ご御ごご覽らん覽らんらんぜぜぜられられられざりざりざりつるつるつることことことよよよ。。。」」」とてとてとて、、、御おん御おんおん涙なみだ涙なみだなみだせきせきせきあへあへあえさせさせさせ給たま給たまたまははわずずず。。。
  7. 7淨じやう淨じやうじょう土ど土どど寺じ寺じじののの二に二にに位ゐ位ゐい殿どの殿どのどの、、、そのそのその時とき時ときときははは未いま未いまいまだだだ丹たん丹たんたん後ご後ごご殿どの殿どのどのとてとてとて、、、御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんににに候さぶら候さぶらさぶらははわれれれけるけるけるががが、、、「「「さてさてさて御おん御おんおん位くらゐ位くらゐくらいはははこのこのこの宮みや宮みやみやにてにてにてこそこそこそわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまひひい候さふら候さふらそうらははわめめめなうなうのう。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう、、、「「「仔し仔しし細さい細さいさいにににややや。。。」」」とととぞぞぞ仰おほ仰おほおおせせせけるけるける。。。内ない内ないない々ない々ないない御み御みみ占うら占うらうらのののありありありしししにににももも、、、四し四ししののの宮みや宮みやみや位くらゐ位くらゐくらいににに御おん御おんおんつかつかつかせせせ給たま給たまたまははわばばば、、、百はく百はくはく王わう王わうおうまでまでまでももも日につ日につにっ本ぽん本ぽんぽん國ごく國ごくごくののの御おん御おんおんあるじあるじあるじたるたるたるべしべしべしとととぞぞぞ勘かんが勘かんがかんがへへえ申まう申まうもうしししけるけるける。。。御おん御おんおん母ぼ母ぼぼ儀ぎ儀ぎぎははは七しち七しちしち條でう條でうじょうののの修しゆ修しゆしゅ理り理りりののの大だい大だいだい夫ぶ夫ぶぶ信のぶ信のぶのぶ隆たか隆たかたかののの卿きやう卿きやうきょうののの御おん御おんおん女むすめ女むすめむすめなりなりなり。。。中ちう中ちうちゅう宮ぐう宮ぐうぐうののの御おん御おんおん方かた方かたかたににに宮みや宮みやみや仕づか仕づかづかへへえ給たま給たまたまひひいしししををを、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょう常つね常つねつねははは召め召めめささされれれ參まゐ參まゐまいらせらせらせけるけるける程ほど程ほどほどににに、、、宮みや宮みやみやあまたあまたあまた出い出いいででで來き來ききまゐらせまゐらせまいらせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。
  8. 8このこのこの信のぶ信のぶのぶ隆たか隆たかたかののの卿きやう卿きやうきょうははは御おん御おんおん女むすめ女むすめむすめ多おほ多おほおおくくくおはしましおはしましおわしましけれけれければばば、、、いづれいづれいずれにてにてにてももも女によう女にようにょう御ご御ごご、、、后きさき后きさききさきににに立た立たたててて參まゐ參まゐまいらせらせらせたくたくたく思おも思おもおもははわれれれけるけるけるががが、、、人ひと人ひとひとののの家いへ家いへいえににに白しろ白しろしろいいい鷄にはとり鷄にはとりにわとりををを千せん千せんせん飼か飼かかひひいつれつれつればばば、、、そのそのその家いへ家いへいえににに必かなら必かならかならずずず后きさき后きさききさきののの出い出いいででで來く來くくととといふいふいうののの事こと事ことことあれあれあればばばとてとてとて、、、鷄にはとり鷄にはとりにわとりののの白しろ白しろしろきききををを千せん千せんせん揃そろ揃そろそろへへえててて飼か飼かかはははれれれたりたりたりけるけるける故ゆゑ故ゆゑゆえにににややや、、、このこのこの御おん御おんおん女むすめ女むすめむすめ皇み皇みみ子こ子ここあまたあまたあまた產う產ううみみみ參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。信のぶ信のぶのぶ隆たか隆たかたかののの卿きやう卿きやうきょうももも内ない内ないない々ない々ないないうれしくうれしくうれしく思おも思おもおもははわれれれけれけれけれどもどもども、、、或あるい或あるいあるいははは平へい平へいへい家け家けけにににもももおそれおそれおそれをををなしなしなし、、、或あるい或あるいあるいははは中ちう中ちうちゅう宮ぐう宮ぐうぐうををを憚はゞか憚はゞかはばかりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、もてなしもてなしもてなし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる事こと事ことこともももなかりなかりなかりしししををを、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの北きた北きたきたののの方かた方かたかた八はち八はちはち條でう條でうじょうののの二に二にに位ゐ位ゐい殿どの殿どのどの、、、「「「よし〳〵よし〳〵よしよし、、、苦くる苦くるくるしかるしかるしかるまじまじまじ。。。われわれわれ育そだ育そだそだててて參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、儲まうけの儲まうけのもうけの君きみ君きみきみにににししし奉たてまつ奉たてまつたてまつらららんんん。。。」」」とてとてとて、、、御おん御おんおん乳めの乳めのめの母と母ととあまたあまたあまたつけつけつけててて、、、もてなしもてなしもてなし參まゐ參まゐまいらららさせさせさせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。
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  10. 10一ひと一ひとひと聲こゑ聲こゑこえはははおもひおもひおもい出で出ででててて啼な啼ななけけけほとゝぎすほとゝぎすほととぎすおいそおいそおいそののの森もり森もりもりののの夜よ夜よよ半は半ははののの昔むかし昔むかしむかしををを
  11. 11籠こ籠ここののの中うち中うちうちもももなほなほなおうらやましうらやましうらやまし山やま山やまやまがらがらがらののの身み身みみのののほどほどほどかくすかくすかくすゆふゆふゆう顏がほ顏がほがおのののやどやどやど
  12. 12主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうこのこのこのよしよしよし聞きこし聞きこしきこし召め召めめしししててて、、、これこれこれ程ほど程ほどほどののの事こと事ことことををを、、、今いま今いまいままでまでまで思おぼし思おぼしおぼし召め召めめししし寄よ寄よよらららざりざりざりけるけるけるこそこそこそ、、、かへす〴〵かへす〴〵かえすがえすもももおろかおろかおろかなれなれなれとてとてとて、、、やがてやがてやがて朝てう朝てうちょう恩おん恩おんおん蒙かうむ蒙かうむこうむつつっててて正じやう正じやうじょう三さん三さんさん位み位みみににに敍じよ敍じよじょせせせられられられけるけるけるとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

寿永二年七月二十四日の夜半ごろ、法皇は按察使大納言資賢卿の子息、右馬頭資時だけをお供にして、ひそかに御所をお出になり、鞍馬の奥へ御幸なさった。寺の僧たちが「ここはやはり都に近くて具合が悪うございましょう」と申したので、それならばといって、笹の峰・薬王坂などという険しい難所を越えられて、横川の解脱谷の寂定坊へお入りになる。比叡山の大衆が立ち上がって、「東塔へこそ御幸なさるべきです」と申したので、東塔の南谷の円融坊が御所となった。こういうわけで、衆徒も武士もみな円融坊をお守りした。法皇は仙洞御所を出て天台山(比叡山)へ、天皇は宮城を去って西海へ、摂政殿は吉野の奥とかいうことである。女院や宮々は八幡・賀茂・嵯峨・太秦・西山・東山のはずれに身を寄せて、逃げ隠れなさった。平家は落ちたけれども、源氏はまだ入れ代わっておらず、もはやこの京は主のない里となってしまった。国の開けて以来、このようなことがあろうとは思われない。聖徳太子の未来記にも、今日のことはどう書かれているのか知りたいものである。

そうするうちに、法皇が天台山においでになると聞こえたので、お迎えに馳せ参られた人々は、当時の入道殿という前関白の松殿(基房)、当殿という近衛殿(基通)をはじめ、太政大臣、左右の大臣、内大臣、大納言、中納言、宰相、三位・四位・五位の殿上人と、すべて世間で人並みに数えられ、官位の昇進に望みをかけ、所領や官職を持つほどの人で、一人も漏れる者はなかった。円融坊にはあまりに多くの人が参り集まって、堂の上も堂の下も、門の外も門の内も、すきまもないほどに満ちあふれた。山門の繁栄、門跡の面目と見えた。

同月二十八日、法皇は都へお帰りになった。木曾が五万余騎でお守りした。近江源氏の山本冠者義高が白旗を差して先陣にお供した。この二十余年見ることのなかった源氏の白旗が、今日はじめて都へ入る。珍しい見物であった。十郎蔵人行家は数千騎で宇治橋を渡って都へ入る。陸奥新判官義康の子、矢田判官代義清は大江山を通って上洛する。また摂津国・河内国の源氏たちも同心して、同じく都へなだれこむ。およそ京中には源氏の軍勢が満ちあふれた。

勘解由小路中納言経房卿と、検非違使別当の左衛門督実家の二人が、院の殿上の簀子に控えて、義仲と行家を召した。木曾のその日の装束は、赤地の錦の直垂に唐綾縅の鎧を着て、いかめしい作りの太刀を佩き、二十四本差した切斑の矢を負い、滋籐の弓を脇に挟み、兜を脱いで高紐にかけ、ひざまずいて控えていた。十郎蔵人行家は紺地の錦の直垂に黒糸縅の鎧を着て、黒漆の太刀を佩き、二十四本差した大中黒の矢を負い、塗籠籐の弓を脇に挟み、これも兜を脱いで高紐にかけ、かしこまって控えていた。前内大臣宗盛公をはじめとして、平家の一族をみな追討せよとの仰せが下された。二人は庭上でかしこまって承り、退出した。それぞれ宿所がないことを申し上げると、木曾には大膳大夫成忠の宿所である六条西洞院が下され、十郎蔵人行家には法住寺殿の南殿という賀陽の御所が与えられた。

天皇が外戚の平家に捕らわれなさって、西海の波の上にさまよっておられることを、法皇はひとかたならずお嘆きになって、天皇と三種の神器を無事に都へお返し申せと西国へ仰せ下されたが、平家は従わなかった。高倉院の皇子は、天皇のほかに三人おられた。そのうち二の宮を皇太子にしようといって、平家がお連れして西国へ落ちていった。三の宮と四の宮は都におられた。八月五日、法皇はこの宮たちをお呼び寄せになって、まず五歳になられる三の宮に「あれは誰か」とおっしゃると、宮は法皇をご覧になって、ひどくむずかりなさったので、「早く早く」といって連れ出させなさった。その後、四歳になられる四の宮に「あれは誰か」とおっしゃると、宮はすぐに法皇のお膝の上にお上りになって、たいそうなつかしそうにしておられた。

法皇は涙を流されて、「本当に、縁もゆかりもない者が、この老法師を見て、どうしてなつかしそうに思うだろうか。これこそまことのわが孫でいらっしゃる。故院(高倉院)の幼いころのお姿に少しも違っておられないことよ。これほどの形見を、今まで見ずにいたことよ」といって、涙をおさえきれなかった。

浄土寺の二位殿(丹後局)は、そのころはまだ丹後殿といって御前に控えておられたが、「それでは御位はこの宮にこそお定めになるのでございましょうね」と申されたので、法皇は「言うまでもない」とおっしゃった。内々に占いをさせたときにも、四の宮が位におつきになれば、百代の後までも日本国の主となられるであろうと占い申した。御母は七条修理大夫信隆卿の娘である。中宮(建礼門院)の御方に宮仕えしておられたのを、天皇がいつもお召しになっているうちに、宮が大勢お生まれになった。

この信隆卿は娘が多くおありだったので、どの娘でも女御や后に立てたいと思っておられたが、人の家で白い鶏を千羽飼えば、その家に必ず后が出るということがあるといって、白い鶏を千羽そろえて飼われたためであろうか、この娘は皇子を大勢お生みになった。信隆卿も内心うれしく思われたが、一つには平家にも恐れをなし、一つには中宮に遠慮して、大事にお世話することもなかったのを、入道相国の北の方である八条の二位殿が、「よいよい、かまうまい。私がお育て申して、皇太子にしよう」といって、乳母を大勢つけて大切にお世話なさった。

なかでも四の宮は、二位殿の兄の法勝寺執行能円法印の養君でいらっしゃった。ところが法印は平家に連れられて、宮も妻も京都に残したまま西海へ落ちていったが、法印が西国から使いをよこして、「宮をお連れして急いで下ってきなさい」と申し上げてきたので、北の方はたいそう喜んで、宮をお連れして西の七条まで出られたところを、北の方の兄の紀伊守範光が、「これは物の怪がついて正気を失われたのか。この宮のご運はいまにも開けようとしているのに」といって、お引き止め申したその次の日に、法皇からのお迎えの御車が参ったということである。何事もそうなるべき定めとは申しながら、紀伊守範光は四の宮のためには、たいへんな忠義の人と見えた。けれども天皇はその忠義をお思い出しにならなかったのか、範光はむなしく年月を送っていたが、あるとき範光は、もしやと思って二首の歌を詠んで、宮中に落書をした。

(ほととぎすよ、一声だけでも思い出して鳴いておくれ。老蘇の森の、あの夜半の昔のことを)

(籠の中にいてもやはりうらやましい。山雀が身を隠す夕顔の宿のように、身の置き所のあるものは)

天皇はこのことをお聞きになって、これほどのことを今まで思い出さなかったのは、かえすがえすも行き届かないことだといって、すぐに朝廷の恩を受けて正三位に叙せられたと聞こえた。

意訳

巻第八の冒頭の章段である。平家が安徳天皇と三種の神器を奉じて西へ落ちる前夜、後白河法皇は比叡山に逃れて平家と行動を共にすることを避けた。都に残った公卿たちがこぞって山に参ったことは、政治の中心が平家から法皇へ戻ったことを示している。

法皇は、膝に抱かれてなついた四の宮を新しい帝に選ぶ。のちの後鳥羽天皇である。帝の選びが幼い皇子のふるまいと占いで決まったと語るところに、天皇が二人並び立つという異常な事態の始まりが、静かに描かれている。範光の二首は、自分の忠義を忘れないでほしいという訴えを、ほととぎすや山雀に託したものである。

語釈・文法注

文法

「逃け遁れさせ給ひけり」
底本は「逃け」と濁点なしで刷る。「逃げ」と読む。
「聖德太子の未來記」
聖徳太子が未来のことを書き記したと伝えられる予言の書。
「入道殿とは前の關白松殿、當殿とは近衞殿」
松殿は藤原基房、近衛殿は藤原基通。「當殿」は当時の摂政。
「二十四さいたる」
箙に矢を二十四本差している。
「仔細にや」
「わけがあろうか、いや言うまでもない」の意。
「出で來といふの事」
底本どおり。「出で來」は連体形「出で來る」に当たる。
「なのめならずに悅び」
底本は「なのめならずに」と刷る。
「もののつきて」
物の怪がとりついて。正気を失ったのかと責める言葉。

和歌

一聲はおもひ出て啼けほとゝぎすおいその森の夜半の昔を

詠者
紀伊守範光
状況
四の宮(後鳥羽天皇)を西国へ連れ出されかけたところを引き止めたのに、恩賞の沙汰がなかったので、宮中に落書として書いた歌。

修辞

おいその森
近江国の歌枕「老蘇の森」。「老い」を掛け、老いた自分を思い出してほしいと訴える。
夜半の昔
宮を引き止めた夜の昔のこと。

籠の中もなほうらやまし山がらの身のほどかくすゆふ顏のやど

詠者
紀伊守範光
状況
前の歌と同じときに書いた落書。

修辞

山がら
山雀。籠で飼われる小鳥。身を寄せる所のある山雀さえうらやましいと、不遇を嘆く。
ゆふ顏のやど
夕顔の実をくりぬいて作った山雀の巣籠。

解説

後白河法皇の比叡山への脱出は寿永二年(1183)七月二十四日夜、平家の都落ちの前夜のことである。法皇が平家とともに西国へ下ることを避けたため、平家は天皇と神器だけを奉じて落ちることになった。法皇は同月二十八日、木曾義仲・源行家に守られて都へ戻り、二人に平家追討を命じた。

安徳天皇が西国にあるまま、法皇は八月二十日、高倉院の第四皇子尊成親王を践祚させた。後鳥羽天皇である。神器のないままの即位であり、以後しばらく、都と西国に二人の天皇が並び立つことになった。母は七条院殖子(坊門信隆の娘)である。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、600–604頁(コマ329–331)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日