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平家物語 巻第七

経正の都落ちの事

幼いころから仁和寺の御室(守覚法親王)に仕えた皇后宮亮経正は、都落ちに際して御室のもとを訪れた。経正は、かつて賜った琵琶の名器「青山」を田舎の塵にするのは惜しいとして御室に返し、運が開けて都へ帰る日が来たら、ふたたび賜りたいと申し上げた。御室と経正は別れの歌を交わし、寺の人々もみな名残を惜しんだ。桂川まで見送った行慶とも歌を詠み交わし、経正は赤旗を掲げて集まった侍百騎とともに行幸に追いついた。

  1. 1修しゆ修しゆしゅ理り理りりののの大だい大だいだい夫ぶ夫ぶぶ經つね經つねつね盛もり盛もりもりののの嫡ちやく嫡ちやくちゃく子し子しし皇くわう皇くわうこう后ごう后ごうごう宮ぐう宮ぐうぐうののの亮すけ亮すけすけ經つね經つねつね正まさ正まさまさははは、、、幼えう幼えうよう少せう少せうしょうののの時とき時ときときよりよりより仁にん仁にんにん和な和なな寺じ寺じじののの御お御おお室むろ室むろむろののの御ご御ごご所しよ所しよしょににに、、、童どう童どうどう形ぎやう形ぎやうぎょうにてにてにて候さぶら候さぶらさぶらははわれれれしかしかしかばばば、、、斯か斯かかかるかるかる怱そう怱そうそう劇げき劇げきげきののの中なか中なかなかにににももも、、、君きみ君きみきみののの御おん御おんおん名な名なな殘ごり殘ごりごりきつきつきっととと思おも思おもおもひひい出い出いいででで參まゐ參まゐまいらせらせらせ、、、侍さぶらひ侍さぶらひさぶらい五ご五ごご六ろく六ろくろく騎き騎きき召め召めめししし具ぐ具ぐぐしししててて仁にん仁にんにん和な和なな寺じ寺じじ殿どの殿どのどのへへへ馳は馳ははせせせ參まゐ參まゐまいりりり、、、急いそ急いそいそぎぎぎ馬むま馬むまうまよりよりより飛と飛ととんんんででで下お下おおりりり、、、門もん門もんもんををを叩たゝ叩たゝたたかかかせせせ申まう申まうもうししし入い入いいれれれられられられけるけるけるははは、、、「「「君きみ君きみきみ既すで既すですでににに帝てい帝ていてい都と都ととををを出い出いいでででさせさせさせ給たま給たまたまひひい候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬ。。。一いち一いちいち門もん門もんもんののの運うん運うんうん命めい命めいめい、、、今日けふ今日けふきょう既すで既すですでににに盡つ盡つつきききはてはてはて候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬ。。。うきうきうき世よ世よよににに思おも思おもおもひひい置お置おおくくく事こと事ことこととととてててははは、、、たゞたゞただ君きみ君きみきみののの御おん御おんおん名な名なな殘ごり殘ごりごりばかりばかりばかりなりなりなり。。。八はつ八はつはっ歳さい歳さいさいののの年とし年としとしこのこのこの御ご御ごご所しよ所しよしょへへへ參まゐ參まゐまいりりり始はじ始はじはじめめめ候さふら候さふらそうらひひいててて、、、十じふ十じふじゅう三さん三さんさんででで元げん元げんげん服ぷく服ぷくぷく仕つかまつ仕つかまつつかまつりりり候さふら候さふらそうらひひいしししまでまでまでははは、、、いさゝかいさゝかいささか相あひ相あひあいいたはるいたはるいたわる事こと事ことことののの候さふら候さふらそうらははわんんんよりよりより外ほか外ほかほかははは、、、あからさまあからさまあからさまににに御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんををを立たち立たちたち去さ去ささるるる事こと事ことことももも候さふら候さふらそうらははわずずず、、、今日けふ今日けふきょう既すで既すですでににに西さい西さいさい海かい海かいかい千せん千せんせん里り里りりののの波なみ波なみなみ路ぢ路ぢじににに赴おもむ赴おもむおもむききき候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、またまたまたいづれいづれいずれののの日ひ日ひひ、、、いづれいづれいずれののの時とき時ときとき、、、必かなら必かならかならずずず立たち立たちたち歸かへ歸かへかえるるるべしべしべしとととももも覺おぼ覺おぼおぼえええぬぬぬ事こと事ことことこそこそこそ、、、口くち口くちくち惜を惜をおしうしうしゅう候さふら候さふらそうらへへえ。。。今いま今いまいま一いち一いちいち度ど度どど御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんへへへ參まゐ參まゐまいつつっててて、、、君きみ君きみきみをををももも見み見みみ參まゐ參まゐまいらせらせらせたうたうとう存ぞん存ぞんぞんじじじ候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、甲かつ甲かつかっ冑ちう冑ちうちゅうをををよろひよろひよろい、、、弓きう弓きうきゅう箭せん箭せんせんををを帶たい帶たいたいしししててて、、、あらあらあらぬぬぬ樣さま樣さまさまなるなるなるよそほひよそほひよそおいにににまかりまかりまかりなつなつなっててて候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、憚はゞか憚はゞかはばかりりり存ぞん存ぞんぞんじじじ候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、御お御おお室むろ室むろむろあはれあはれあわれににに思おぼし思おぼしおぼし召め召めめしししててて、、、「「「たゞたゞただそのそのその姿すがた姿すがたすがたををを改あらた改あらたあらためめめずずずしてしてして參まゐ參まゐまいれれれ。。。」」」とととこそこそこそ仰おほ仰おほおおせせせられられられけれけれけれ。。。
  2. 2經つね經つねつね正まさ正まさまさそのそのその日ひ日ひひははは、、、紫むらさき紫むらさきむらさき地ぢ地ぢじののの錦にしき錦にしきにしきののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれににに萌もえ萌もえもえ黄ぎ黄ぎぎ匂にほひ匂にほひにおいののの鎧よろひ鎧よろひよろい著き著ききててて、、、長なが長ながなが覆ぷく覆ぷくぷく輪りん輪りんりんののの太た太たた刀ち刀ちちををを佩は佩ははききき、、、二に二にに十じふ十じふじゅう四し四ししさいさいさいたるたるたる切きり切きりきり斑ふ斑ふふののの矢や矢やや負お負おおひひい、、、滋しげ滋しげしげ籐どう籐どうどうののの弓ゆみ弓ゆみゆみ脇わき脇わきわきににに挾はさ挾はさはさみみみ、、、兜かぶと兜かぶとかぶとをををばばばぬいぬいぬいででで高たか高たかたか紐ひも紐ひもひもにににかけかけかけ、、、御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんののの御おん御おんおん坪つぼ坪つぼつぼににに畏かしこ畏かしこかしこまるまるまる。。。御お御おお室むろ室むろむろやがてやがてやがて御ぎよ御ぎよぎょ出しゆつ出しゆつしゅつあつあつあっててて、、、御み御みみ簾す簾すす高たか高たかたかくくくあげあげあげさせさせさせ、、、「「「これこれこれへ〳〵へ〳〵へこれへ。。。」」」ととと召め召めめささされれれけれけれければばば、、、經つね經つねつね正まさ正まさまさ大おほ大おほおお床ゆか床ゆかゆかにににこそこそこそ參まゐ參まゐまいららられれれけれけれけれ。。。供とも供ともともににに候さぶらふ候さぶらふさぶらう藤とう藤とうとう兵びやう兵びやうびょう衞ゑ衞ゑえののの尉じよう尉じようじょう有あり有ありあり教のり教のりのりををを召め召めめすすす。。。赤あか赤あかあか地ぢ地ぢじののの錦にしき錦にしきにしきののの袋ふくろ袋ふくろふくろににに入い入いいれれれたりたりたりけるけるける、、、御おん御おんおん琵び琵びび琶は琶はわををを持も持ももつつっててて參まゐ參まゐまいつつったりたりたり。。。經つね經つねつね正まさ正まさまさこれこれこれををを取と取ととりりりついついついででで、、、御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんにににさしさしさし置お置おおききき、、、申まう申まうもうささされれれけるけるけるははは、、、「「「先せん先せんせん年ねん年ねんねん下くだ下くだくだししし預あづか預あづかあずかつつっててて候さふら候さふらそうらひひいししし青せい青せいせい山ざん山ざんざん、、、持も持ももたたたせせせててて參まゐ參まゐまいつつっててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。名な名なな殘ごり殘ごりごりははは盡つ盡つつきききずずず存ぞん存ぞんぞんじじじ候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、さしもさしもさしものののわがわがわが朝てう朝てうちょうののの重ちよう重ちようちょう寶ほう寶ほうほうををを田でん田でんでん舎じや舎じやじゃののの塵ちり塵ちりちりににになさなさなさんんん事こと事ことことののの、、、口くち口くちくち惜を惜をおしうしうしゅう存ぞん存ぞんぞんじじじ候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、參まゐ參まゐまいらせらせらせ置お置おおききき候さふらふ候さふらふそうろう。。。もしもしもし不ふ不ふふ思し思しし議ぎ議ぎぎににに運うん運うんうん命めい命めいめいひらけひらけひらけててて、、、都みやこ都みやこみやこへへへ立たち立たちたち歸かへ歸かへかえるるる事こと事ことことももも候さふら候さふらそうらははわばばば、、、そのそのその時とき時ときときこそこそこそ重かさ重かさかさねねねててて下くだ下くだくだししし預あづか預あづかあずかりりり候さふら候さふらそうらははわめめめ。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、御お御おお室むろ室むろむろあはれあはれあわれににに思おぼし思おぼしおぼし召め召めめしししててて、、、一いつ一いついっ首しゆ首しゆしゅののの御ぎよ御ぎよぎょ詠えい詠えいえいをををあそばいあそばいあそばいてててぞぞぞ下くだ下くだくだささされれれけるけるける。。。
  3. 3あかあかあかずずずしてしてして別わか別わかわかるゝるゝるる君きみ君きみきみががが名な名なな殘ごり殘ごりごりをををばばば後のち後のちのちのののかたみかたみかたみにににつゝみつゝみつつみてててぞぞぞおくおくおく
  4. 4經つね經つねつね正まさ正まさまさ御おん御おんおん硯すゞり硯すゞりすずり下くだ下くだくだささされれれててて、、、
  5. 5呉くれ呉くれくれ竹たけ竹たけたけのののかけひかけひかけいののの水みづ水みづみずはははかはれかはれかわれどもどもども猶なほ猶なほなおすみすみすみあかあかあかぬぬぬ宮みや宮みやみやのののうちうちうちかなかなかな
  6. 6さてさてさて經つね經つねつね正まさ正まさまさ御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんをををまかりまかりまかり出い出いいでででられられられけるけるけるににに、、、數す數すす輩はい輩はいはいののの童どう童どうどう形ぎやう形ぎやうぎょう、、、出しゆつ出しゆつしゅっ世せ世せせ者しや者しやしゃ、、、坊ばう坊ばうぼう官くわん官くわんかん、、、侍さぶらひ侍さぶらひさぶらい僧そう僧そうそうににに至いた至いたいたるるるまでまでまで、、、經つね經つねつね正まさ正まさまさののの名な名なな殘ごり殘ごりごりををを惜を惜をおしみしみしみ、、、袂たもと袂たもとたもとにににすがりすがりすがり、、、涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながししし、、、袖そで袖そでそでをををぬらさぬらさぬらさぬぬぬはははなかりなかりなかりけりけりけり。。。中なか中なかなかにににももも幼えう幼えうよう少せう少せうしょうののの時とき時ときとき、、、小こ小ここ師じ師じじでででおはせおはせおわせししし大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんののの法ほふ法ほふほう師し師しし行ぎやう行ぎやうぎょう慶けい慶けいけいととと申まう申まうもうししししししははは、、、葉は葉はは室むろ室むろむろののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん光みつ光みつみつ賴より賴よりより卿きやう卿きやうきょうののの御おん御おんおん子こ子ここなりなりなり。。。あまりあまりあまりににに名な名なな殘ごり殘ごりごりををを惜を惜をおしみしみしみ參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、桂かつら桂かつらかつら川がは川がはがわののの端はた端はたはたまでまでまでうちうちうち送おく送おくおくりりり、、、それそれそれよりよりより暇いとま暇いとまいとま乞こ乞ここうううててて歸かへ歸かへかえららられれれけるけるけるががが、、、法ほふ法ほふほう師し師しし泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく、、、かうかうこうぞぞぞ思おも思おもおもひひいつゞけつゞけつづけ給たま給たまたまふふう。。。
  7. 7あはれあはれあわれなりなりなり老おい老おいおい木き木きき若わか若わかわか木ぎ木ぎぎももも山やま山やまやまざくらざくらざくらおくれおくれおくれさきさきさきだちだちだち花はな花はなはなはははのこらのこらのこらじじじ
  8. 8經つね經つねつね正まさ正まさまさののの返へん返へんへん事じ事じじににに、、、
  9. 9旅たび旅たびたびごろもごろもごろも夜よ夜よよな〳〵な〳〵なよな袖そで袖そでそでをををかたしきかたしきかたしきててておもへおもへおもえばばばわれわれわれははは遠とほ遠とほとおくくく行ゆ行ゆゆきききなななむむん
  10. 10さてさてさて巻ま巻ままいいいててて持も持ももたたたせせせたりたりたりけるけるける赤あか赤あかあか旗はた旗はたはた、、、さつさつさっとととさしさしさし上あ上ああげげげたれたれたればばば、、、あそあそあそここここゝこゝここににに控ひか控ひかひかへへえててて待ま待ままちちち奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいどもどもども、、、あはやあはやあわやとてとてとて馳は馳ははせせせ集あつ集あつあつまりまりまり、、、そのそのその勢せい勢せいせい百ひやく百ひやくひゃく騎き騎きき許ばか許ばかばかりりり、、、鞭むち鞭むちむちをををあげあげあげ、、、駒こま駒こまこまををを早はや早はやはやめめめててて、、、程ほど程ほどほどなくなくなく行ぎやう行ぎやうぎょう幸かう幸かうこうににに追お追おおつつつつきつきっつき奉たてまつ奉たてまつたてまつらららるるる。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

修理大夫経盛の嫡子、皇后宮亮経正は、幼いころから仁和寺の御室の御所に稚児としてお仕えしていたので、このような慌ただしい中でも御室とのお別れをはっと思い出して、侍五、六騎を連れて仁和寺殿へ駆けつけ、急いで馬から飛び下り、門を叩かせて申し入れられるには、「天皇はすでに都をお出になりました。一門の運命は今日もう尽き果てました。この世に思い残すことといえば、ただ君(御室)とのお別れだけです。八歳の年にこの御所へ参りはじめてから、十三で元服いたしますまでは、少し病気をしたときのほかは、かりそめにも御前を離れることはありませんでした。今日すでに西海千里の波路に赴きますので、またいつの日、いつの時に必ず帰って来られるとも思われないのが残念でございます。もう一度御前へ参って、君にお目にかかりたいと存じますが、甲冑を着け弓矢を帯びて、見苦しい姿になっておりますので、はばかられます」と申されたので、御室はあわれにお思いになって、「ただその姿のまま参れ」とおっしゃった。

経正はその日、紫地の錦の直垂に萌黄匂の鎧を着て、長覆輪の太刀を佩き、二十四本差した切斑の矢を背負い、滋籐の弓を脇にはさみ、兜を脱いで高紐にかけ、御前の庭にかしこまった。御室はすぐにお出ましになって、御簾を高く上げさせ、「こちらへ、こちらへ」とお呼びになったので、経正は大床に上がられた。お供の藤兵衛尉有教を呼ぶ。有教は赤地の錦の袋に入れた琵琶を持って参った。経正はこれを受け取って御前に置き、申されるには、「先年いただきました青山を持たせて参りました。名残は尽きないと存じますが、これほどのわが国の宝を田舎の塵にしてしまうのは残念に存じますので、お返し申し上げます。もし思いがけず運が開けて都へ帰ることがございましたら、そのときこそ重ねていただきとうございます」と申されたので、御室はあわれにお思いになって、一首の歌をお詠みになって下された。

名残を尽くせずに別れていくそなたの形見として、この琵琶を大切に包んでおこう。

経正は硯をいただいて、

呉竹の筧の水(わたしの身の上)は変わってしまいましたが、なお澄んで住み飽きることのない御所の内であることよ。

さて経正が御前を退出されると、大勢の稚児、出世者、坊官、侍僧に至るまで、経正との名残を惜しみ、袂にすがり涙を流して、袖を濡らさない者はなかった。なかでも幼いころ経正の師僧であった大納言法師行慶という人は、葉室大納言光頼卿の御子である。あまりに名残を惜しんで、桂川のほとりまで送り、そこで別れを告げて帰られたが、法師は泣く泣くこのように詠まれた。

あわれなことよ。老木も若木も、山桜は遅れたり先立ったりして、どの花も散り残ることはあるまい。

経正の返歌に、

旅の衣で夜ごと袖を片敷いて独り寝をすることを思うと、わたしは遠くへ行ってしまうのだなあ。

さて、巻いて持たせていた赤旗をさっと差し上げると、あちらこちらに控えて待っていた侍たちが「すわ」と駆け集まり、その勢百騎ほどで鞭を上げ、駒を急がせて、まもなく行幸に追いつき申し上げた。

意訳

都落ちに際しての経正と仁和寺の御室との別れを描く章段である。琵琶の名手経正は、かつて賜った名器「青山」を、戦乱の地へ持って行って塵にするのは惜しいと、御室に返す。風雅を重んじる平家の公達らしい心づかいである。

御室・行慶と交わされる歌には、二度と会えないかもしれない別れの悲しみがこめられている。しかし経正は最後には赤旗を掲げて武士の姿にもどり、行幸を追っていく。経正はのちに一の谷で討死する。

語釈・文法注

文法

「相いたはる事」
病気をすること。
「出世者」
寺で修行し、僧官の昇進を目指す僧。
「かけひの水」
竹の管で引いた水。「すみ」に「澄み」と「住み」をかける。
「おくれさきだち」
後に残ったり先に死んだりして。

和歌

あかずして別るゝ君が名殘をば後のかたみにつゝみてぞおく

詠者
守覚法親王(仁和寺の御室)
状況
経正が琵琶「青山」を返したときに、御室が詠んで下された歌。

修辞

縁語
「つゝみて」は琵琶を包む意と、名残を胸に包む意をかける。

呉竹のかけひの水はかはれども猶すみあかぬ宮のうちかな

詠者
平経正
状況
御室の歌への返歌。

修辞

掛詞
「すみ」に水が「澄み」と御所に「住み」をかける。

あはれなり老木若木も山ざくらおくれさきだち花はのこらじ

詠者
行慶
状況
桂川まで見送った行慶が、別れに際して詠んだ歌。

修辞

比喩
老木・若木の山桜に、老いた者も若い者も、いずれは散る(死ぬ)ことをたとえる。

旅ごろも夜な〳〵袖をかたしきておもへばわれは遠く行きなむ

詠者
平経正
状況
行慶の歌への返歌。

修辞

縁語
「旅ごろも」「袖」「かたしき」は衣の縁語。

解説

仁和寺の御室は後白河法皇の皇子、守覚法親王である。琵琶「青山」は唐から伝わった名器とされ、次の章段「青山の沙汰の事」でその由来が語られる。平経正は琵琶と和歌にすぐれ、巻第七「竹生島詣での事」でも琵琶の秘曲を弾いている。

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出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、588–591頁(コマ323–324)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日