平家物語 巻第七
聖主臨幸の事
平家が火を放った都は、天皇の行幸の地も后妃の遊宴の場も灰となり、物語は呉や秦の滅亡にもたとえてその無常を嘆く。昨日は雨を降らせる神龍であった平家が、今日は水を失った魚のようになった。また、捕らえられていた東国の武士畠山重能・小山田有重・宇都宮朝綱は、知盛の進言で斬られずに東国へ帰された。供を願う三人に宗盛は、魂は東国にあるのだから抜け殻だけを連れて行けないと言い、三人は涙をこらえきれなかった。
- 1或或あるいははは聖聖せい主主しゅ臨臨りん幸幸こうののの地地ちなりなりなり、、、鳳鳳ほう闕闕けつ空空むなしくしくしく礎礎いしずえををを殘殘のこししし、、、鸞鸞らん輿輿よたゞたゞただ跡跡あとをををとゞむとゞむとどむ、、、或或あるいははは后后こう妃妃ひ遊遊ゆう宴宴えんののの砌砌みぎりなりなりなり。。。椒椒しょう房房ぼうののの嵐嵐あらし聲聲こえ悲悲かなしみしみしみ、、、掖掖えき庭庭ていののの露露つゆ色色いろ憂憂うれふふう。。。粧粧そう鏡鏡きょう翠翠すい帳帳ちょうののの基基もとい、、、弋弋よく林林りん釣釣ちょう渚渚しょののの館館たち、、、槐槐かい棘棘きょくののの座座ざ、、、鴛鴛えん鸞鸞らんのののすみかすみかすみか、、、多多た日日じつののの經經けい營營えいををを空空むなしうしうしゅうしてしてして、、、片片へん時時じののの灰灰かい燼燼じんとととなりなりなりはてはてはてぬぬぬ。。。況況いわんんんややや郎郎ろう從從じゅうののの蓬蓬ほう蓽蓽ひつにににおいおいおいてててをををややや、、、況況いわんんんややや雜雜ぞう人人にんののの屋屋おく舎舎しゃにににおいおいおいてててをををややや。。。餘餘よ焰焰えんののの及及およぶぶぶ所所ところ、、、在在ざい々々ざい所所しょ々々しょ數數すう十十じっ町町ちょうなりなりなり。。。強強きょう呉呉ご忽忽たちまちちちににに亡亡ほろびびびててて、、、姑姑こ蘇蘇そ臺臺だいののの露露つゆ荊荊けい棘棘きょくににに移移うつりりり、、、暴暴ぼう秦秦しん既既すでににに衰衰おとろへへえててて、、、咸咸かん陽陽よう宮宮きゅうののの煙煙けぶり睥睥へい睨睨げいををを隱隱かくしししけんけんけんももも、、、かくかくかくやややとととぞぞぞ覺覺おぼえええけるけるける。。。日日ひ頃頃ごろははは函函かん谷谷こく二二じ崤崤こうののの嶮嶮さかしきしきしきををを固固かとうううせせせしかしかしかどもどもども、、、北北ほく狄狄てきののの爲爲ためにににこれこれこれををを破破やぶららられれれ、、、今今いまははは洪洪こう河河が涇涇けい渭渭いののの深深ふかきききををを賴賴たのみみみしかしかしかどもどもども、、、東東とう夷夷いののの爲爲ためにににこれこれこれををを取取とららられれれたりたりたり。。。豈豈あに圖圖はかりりりきききややや、、、忽忽たちまちちちににに禮禮れい儀儀ぎののの郷郷きょうををを攻攻せめめめ出出いだささされれれててて、、、泣泣なく〳〵く〳〵くなく無無む知知ちののの境境さかいににに身身みををを寄寄よせせせんんんとととははは。。。昨日昨日きのうははは雲雲くもののの上上うえにてにてにて雨雨あめををを下下くだすすす神神じん龍龍りゅうたりたりたりききき、、、今日今日きょうははは市市いち鄽鄽ぐらのののほとりほとりほとりににに水水みずををを失失うしなふふう枯枯こ魚魚ぎょののの如如ごとししし。。。禍禍か福福ふく道道みちををを同同おなじうじうじゅうししし、、、盛盛しょう衰衰すい掌掌たなごころををを反反かえすすす、、、今今いま眼眼まなこののの前前まえにににありありあり。。。誰誰たれかかかこれこれこれををを悲悲かなしましましまざらざらざらんんん。。。保保ほう元元げんののの昔昔むかしははは春春はるののの花花はなととと榮榮さかえええしかしかしかどもどもども、、、壽壽じゅ永永えいののの今今いまはははまたまたまた、、、秋秋あきののの紅紅も葉葉みじととと落落おちちちはてはてはてぬぬぬ。。。
- 2畠畠はたけ山山やまののの莊莊しょう司司じ重重しげ能能よし、、、小小お山山やま田田だののの別別べつ當當とう有有あり重重しげ、、、宇宇う都都つの宮宮みやののの左左さ衞衞え門門もん朝朝とも綱綱つな、、、これらこれらこれらははは去去いんんんぬるぬるぬる治治じ承承しょうよりよりより壽壽じゅ永永えいまでまでまで、、、召召めし籠籠こめめめられられられてててありありありしししががが、、、そのそのその時時とき既既すでににに斬斬きらららるるるべかりべかりべかりしししををを、、、新新しん中中ちゅう納納な言言ごん知知とも盛盛もりののの卿卿きょうののの意意い見見けんににに申申もうささされれれけるけるけるははは、、、「「「かれらかれらかれら百百ひゃく人人にん千千せん人人にんががが首首くびををを斬斬きらららせせせ給給たまひひいててて候候そうろうともともとも、、、御御ご運運うん盡盡つきききさせさせさせ候候そうらひひいなななばばば、、、御御おん世世よををを保保たもたたたせせせ給給たまははわんんん事事ことありありありがたしがたしがたし。。。故故こ郷郷きょうににに候候そうろう妻妻さい子子し所所しょ從從じゅう等等ら、、、いかばかりいかばかりいかばかり歎歎なげききき悲悲かなしみしみしみ候候そうろうらんらんらん。。。たゞたゞただ理理りをををまげまげまげててて下下くださささせせせたまへたまへたまえ。。。もしもしもし運運うん命命めい開開ひらけけけててて都都みやこへへへ歸歸かえりりり上上のぼらららせせせ給給たまふふう事事ことももも候候そうらははわばばば、、、ありありありがたきがたきがたき御御おん情情なさけでででこそこそこそ候候そうらははわんずれんずれんずれ。。。」」」ととと申申もうささされれれけれけれければばば、、、大臣殿大臣殿おおいどの、、、「「「さらばさらばさらばとうとうとう下下くだれれれ。。。」」」とととこそこそこそのたまひのたまひのたまいけれけれけれ。。。これらこれらこれら首首こうべををを傾傾かたむけけけ掌掌たなごころををを合合あははわせせせててて、、、「「「いづくいづくいずくまでまでまでももも御御おん供供とも仕仕つかまつりりり候候そうらははわんんん。。。」」」ととと申申もうしししけれけれければばば、、、大臣殿大臣殿おおいどの、、、「「「汝汝なんじ等等らががが魂魂たましいははは皆皆みな東東とう國國ごくにににこそこそこそあるあるあるべきべきべきににに、、、ぬけぬけぬけがらがらがら許許ばかりりり西西さい國國こくへへへ召召めししし具具ぐすすすべきべきべきやうやうようなしなしなし。。。たゞたゞただとうとうとう下下くだれれれ。。。」」」とととこそこそこそのたまひのたまひのたまいけれけれけれ。。。これらこれらこれらももも二二に十十じゅう餘餘よ年年ねんののの主主しゅうなりなりなりけれけれければばば、、、別別わかれれれののの涙涙なみだおさへおさへおさえ難難がたししし。。。
現代語訳
あるいは天皇が行幸された地であり、宮殿はむなしく礎石を残し、天子の輿はただ跡をとどめるばかりである。あるいは后妃たちが遊宴された場所である。后の御殿には嵐の音が悲しく響き、後宮の庭の露も愁いを帯びている。化粧の鏡や翠の帳をしつらえた所、狩りや釣りを楽しんだ館、大臣公卿の座、高貴な人々の住まいも、多くの日数をかけた造営がむなしく、一時の灰燼となってしまった。まして郎従たちの粗末な家などはなおさらである。まして下々の者の家などはなおさらである。燃え広がった火の及ぶ所は、あちこち数十町に及んだ。強大な呉がたちまち滅んで姑蘇台の露が茨の上に移り、暴虐な秦が衰えて咸陽宮の煙が城壁を隠したというのも、このようであったかと思われた。日ごろは函谷関や二崤の険しさを固めていたのに北狄にこれを破られ、今は黄河や涇水・渭水の深さを頼みにしていたのに東夷にこれを取られてしまった。思いもしなかった、たちまち礼儀の国を追い出されて、泣く泣く無知の地に身を寄せることになろうとは。昨日は雲の上で雨を降らせる神龍であったが、今日は市場のほとりで水を失った干し魚のようである。禍と福とは同じ道にあり、盛衰は手のひらを返すようだということが、今目の前にある。誰がこれを悲しまずにいられようか。保元の昔は春の花のように栄えたが、寿永の今はまた秋の紅葉のように散り果ててしまった。
畠山庄司重能、小山田別当有重、宇都宮左衛門朝綱、この人々は去る治承から寿永まで都に留め置かれていたが、そのときもはや斬られるはずであったのを、新中納言知盛卿が意見を申されるには、「この者たちの首を百人千人斬らせなさっても、ご運が尽きてしまえば、御世を保たれることはむずかしいでしょう。故郷にいる妻子や家来たちは、どれほど嘆き悲しんでいることでしょう。ただ無理を承知で東国へお帰しください。もし運が開けて都へ帰り上られることがあれば、ありがたいお情けとなりましょう」と申されたので、大臣殿は「それなら早く下れ」とおっしゃった。この者たちは頭を垂れ手を合わせて、「どこまでもお供いたしましょう」と申したが、大臣殿は「おまえたちの魂はみな東国にあるはずなのに、抜け殻だけを西国へ連れて行くわけにはいかない。ただ早く下れ」とおっしゃった。この人々にとっても二十余年の主人であったので、別れの涙をこらえきれなかった。
意訳
平家が火を放った都の荒廃を、漢文調の美文で嘆く章段である。呉や秦の滅亡の故事を引き、神龍が枯魚となり、春の花が秋の紅葉と散るというたとえで、平家の栄華から没落への転落を描いている。
後半の東国武士の帰郷の話は、知盛の情けと宗盛の言葉に、なお武士の心を思いやる平家の人々の姿を伝えている。畠山重能の子重忠は、のちに源氏方の有力な武将となる。
語釈・文法注
文法
- 「蓬蓽」
- よもぎやいばらで作った粗末な家。
- 「函谷二崤」
- 中国の函谷関と崤山。秦の都を守る要害。
- 「洪河涇渭」
- 黄河と涇水・渭水。都の守りとなる大河。
- 「市鄽のほとりに水を失ふ枯魚」
- 市場の店先に並べられた干し魚。頼りを失った身のたとえ。
- 「とう下れ」
- 早く下れ。「疾う」は「疾く」の音便。
解説
畠山重能・小山田有重・宇都宮朝綱は大番役で在京していた東国の武士で、頼朝挙兵後は平家に留め置かれていた。都落ちに際して東国へ帰された三人は、のちに頼朝に従った。重能の子畠山重忠は、一の谷の合戦で名をあげる。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、585–586頁(コマ321–322)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日