古典ライブラリー

平家物語 巻第七

木曾山門牒状の事

越前の国府に着いた義仲は、都へ上るには比叡山の衆徒と戦うおそれがあることを案じた。覚明の進言で、山門の真意を確かめる牒状を書かせて送る。牒状は、平家の悪逆を数え上げ、以仁王の令旨を受けて挙兵した義仲の戦いの経過を述べたうえで、天台の衆徒は平家に味方するのか源氏に味方するのかと問い、源氏に同心して凶徒を討つよう求めたものであった。

  1. 1さるさるさる程ほど程ほどほどににに木き木きき曾そ曾そそ義よし義よしよし仲なか仲なかなかははは越ゑち越ゑちえち前ぜん前ぜんぜんののの國こ國ここ府ふ府ふふににに著つ著つついいいててて、、、家いへ家いへいえののの子こ子ここ、、、郎らう郎らうろう等どう等どうどう召めし召めしめし集あつ集あつあつめめめててて評ひやう評ひやうひょう定ぢやう定ぢやうじょうすすす。。。「「「抑そも〳〵抑そも〳〵そもそも義よし義よしよし仲なか仲なかなか、、、近あふ近あふおう江み江みみののの國くに國くにくにををを經へ經へへてててこそこそこそ、、、都みやこ都みやこみやこへへへははは上のぼ上のぼのぼるるるべきべきべきににに、、、例れい例れいれいののの山さん山さんさん僧ぞう僧ぞうぞうどもどもどもののの防ふせ防ふせふせぐぐぐ事こと事ことこともももやややあらあらあらんずんずんずらんらんらん。。。驅か驅かかけけけ破やぶ破やぶやぶつつっててて通とほ通とほとおらららんんん事こと事ことことははは安やす安やすやすけれけれけれどもどもども、、、當たう當たうとう時じ時じじははは平へい平へいへい家け家けけこそこそこそ、、、佛ぶつ佛ぶつぶつ法ぽふ法ぽふぽうととともももいはいはいわずずず、、、寺てら寺てらてらををを亡ほろ亡ほろほろぼしぼしぼし、、、僧そう僧そうそうををを失うしな失うしなうしなひひい、、、惡あく惡あくあく行ぎやう行ぎやうぎょうをををばばばいたすいたすいたすなれなれなれ。。。それそれそれををを守しゆ守しゆしゅ護ご護ごごののの爲ため爲ためためににに上しやう上しやうしょう洛らく洛らくらくせせせんずるんずるんずる義よし義よしよし仲なか仲なかなかががが、、、平へい平へいへい家け家けけととと一ひと一ひとひとつつつなれなれなればばばとてとてとて、、、山さん山さんさん門もん門もんもんののの衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒ととににに向むか向むかむかつつっててて合かつ合かつかっ戰せん戰せんせんせせせんんん事こと事ことこと、、、少すこ少すこすこしししももも違たが違たがたがははわぬぬぬ二に二ににののの舞まひ舞まひまいなるなるなるべしべしべし。。。これこれこれこそこそこそさすがさすがさすが安やす安やすやす大だい大だいだい事じ事じじよよよ。。。いかゞいかゞいかがせせせんんん。。。」」」ととと宣のたま宣のたまのたまへへえばばば、、、手て手てて書がき書がきがきににに具ぐ具ぐぐせせせられられられたりたりたりけるけるける大だい大だいだい夫ぶ夫ぶぶ坊ばう坊ばうぼう覺かく覺かくかく明めい明めいめい、、、進すゝ進すゝすすみみみ出い出いいでででててて申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「山さん山さんさん門もん門もんもんののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅははは三さん三さんさん千ぜん千ぜんぜん人にん人にんにん候さふらふ候さふらふそうろうなるなるなるががが、、、必かなら必かならかならずずず一いち一いちいち味み味みみ同どう同どうどう心しん心しんしんなるなるなることことことははは候さふら候さふらそうらははわずずず。。。或あるい或あるいあるいははは平へい平へいへい家け家けけににに同どう同どうどう心しん心しんしんせせせんんんととと申まう申まうもうすすす衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒ととももも候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん。。。或あるい或あるいあるいははは源げん源げんげん氏じ氏じじにににつかつかつかんんんととと申まう申まうもうすすす大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅももも候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん。。。詮せん詮せんせんずるずるずる所ところ所ところところ、、、牒てふ牒てふちょう狀じやう狀じやうじょうををを遣つか遣つかつかははわしししててて御ご御ごご覽らん覽らんらん候さふら候さふらそうらへへえ。。。返へん返へんへん牒てふ牒てふちょうにににこそこそこそ、、、そのそのその樣やう樣やうようははは見み見みみえええ候さふら候さふらそうらははわんずんずんずらめらめらめ。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどの、、、「「「このこのこの儀ぎ儀ぎぎ最もつと最もつともっとももも然しか然しかしかるるるべしべしべし。。。さらばさらばさらば書か書かかけけけ。。。」」」とてとてとて、、、覺かく覺かくかく明めい明めいめいににに牒てふ牒てふちょう狀じやう狀じやうじょうををを書か書かかかかかせせせててて、、、山さん山さんさん門もん門もんもんへへへ送おく送おくおくらららるるる。。。
  2. 2そのそのその狀じやう狀じやうじょうににに曰いは曰いはいわくくく、、、「「「義よし義よしよし仲なか仲なかなかつら〳〵つら〳〵つらつら平へい平へいへい家け家けけののの惡あく惡あくあく逆ぎやく逆ぎやくぎやくををを見み見みみるるるににに、、、保ほう保ほうほう元げん元げんげん、、、平へい平へいへい治ぢ治ぢじよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、長なが長ながながくくく人じん人じんじん臣しん臣しんしんののの禮れい禮れいれいををを失うしな失うしなうしなふふう。。。然しか然しかしかりりりととといへいへいえどもどもども貴き貴きき賤せん賤せんせん手て手ててをををつかねつかねつかね、、、緇し緇しし素そ素そそ足あし足あしあしををを戴いたゞ戴いたゞいただくくく。。。恣ほしいまゝ恣ほしいまゝほしいままににに帝てい帝ていてい位ゐ位ゐいををを進しん進しんしん退たい退たいたいししし、、、あくまであくまであくまで國こく國こくこく郡ぐん郡ぐんぐんををを虜りよ虜りよりょ領りやう領りやうりょうすすす。。。道だう道だうどう理り理りり非ひ非ひひ理り理りりををを論ろん論ろんろんぜぜぜずずず、、、權けん權けんけん門もん門もんもん勢せい勢せいせい家か家かかををを追つ追つつ捕ぶ捕ぶぶししし、、、有う有うう財ざい財ざいざい無む無むむ財ざい財ざいざいをををいはいはいわずずず、、、卿けい卿けいけい相しやう相しやうしょう侍じ侍じじ臣しん臣しんしんををを損そん損そんそん亡まう亡まうもうすすす。。。そのそのその資し資しし財ざい財ざいざいををを奪うば奪うばうばひひい取と取ととつつっててて、、、悉ことごと悉ことごとことごとくくく郎らう郎らうろう從じゆう從じゆうじゅうににに與あた與あたあたへへえ、、、かのかのかの莊しやう莊しやうしょう園ゑん園ゑんえんををを沒もつ沒もつもっ收しう收しうしゅうしてしてして、、、みだりがはしくみだりがはしくみだりがわしく子し子しし孫そん孫そんそんににに省はぶ省はぶはぶくくく。。。なかんづくなかんづくなかんずく去い去いいんんんぬるぬるぬる治ぢ治ぢじ承しよう承しようしょう三さん三さんさん年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう一いち一いちいち月ぐわつ月ぐわつがつ、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうををを城せい城せいせい南なん南なんなんののの離り離りり宮きう宮きうきゅうににに遷うつ遷うつうつししし奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、博はく博はくはく陸りく陸りくりくををを海かい海かいかい西せい西せいせいののの絶ぜつ絶ぜつぜつ域ゐき域ゐきいきににに流なが流ながながししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。衆しゆ衆しゆしゅ庶しよ庶しよしょものものものいはいはいわずずず、、、道だう道だうどう路ろ路ろろ目め目めめををを以もつ以もつもってててすすす。。。しかのみならずしかのみならずしかのみならず、、、同おな同おなおなじきじきじき四し四しし年ねん年ねんねん五ご五ごご月ぐわつ月ぐわつがつ、、、二に二ににののの宮みや宮みやみやののの朱しゆ朱しゆしゅ閣かく閣かくかくををを圍かこ圍かこかこみみみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、九きう九きうきゅう重ちよう重ちようちょうののの垢こう垢こうこう塵ぢん塵ぢんじんををを驚おどろ驚おどろおどろかさかさかさしむしむしむ。。。こゝこゝここににに帝てい帝ていてい子し子しし非ひ非ひひ分ぶん分ぶんぶんののの害がい害がいがいををを遁のが遁のがのがれれれんんんががが爲ため爲ためためににに、、、ひそかひそかひそかににに園をん園をんおん城じやう城じやうじょう寺じ寺じじへへへ入にふ入にふにゅう御ぎよ御ぎよぎょののの時とき時ときとき、、、義よし義よしよし仲なか仲なかなか先せん先せんせん日じつ日じつじつににに令りやう令りやうりょう旨じ旨じじををを賜たま賜たまたまはるはるわるににに依よ依よよつつっててて、、、鞭むち鞭むちむちををを揚あ揚ああげげげんんんととと欲ほつ欲ほつほっするするする所ところ所ところところににに、、、怨をん怨をんおん敵てき敵てきてき巷ちまた巷ちまたちまたににに滿み滿みみちちちててて、、、豫よ豫よよ參さん參さんさん道みち道みちみちををを失うしな失うしなうしなふふう。。。近きん近きんきん境けい境けいけいののの源げん源げんげん氏じ氏じじなほなほなお參さん參さんさん候こう候こうこうせせせずずず。。。況いは況いはいわんんんややや遠をん遠をんおん境けい境けいけいにににおいおいおいてててをををややや。。。しかるしかるしかるににに園をん園をんおん城じやう城じやうじょうははは分ぶん分ぶんぶん限げん限げんげんなきなきなきににに依よ依よよつつっててて、、、南なん南なんなん都と都ととへへへ赴おもむ赴おもむおもむかかかしめしめしめ給たま給たまたまふふう閒あひだ閒あひだあいだ、、、宇う宇うう治ぢ治ぢじ橋ばし橋ばしばしにににしてしてして合かつ合かつかっ戰せん戰せんせんすすす。。。大たい大たいたい將しやう將しやうしょう三さん三さんさん位み位みみ入にふ入にふにゅう道だう道だうどう賴より賴よりより政まさ政まさまさ父ふ父ふふ子し子しし、、、命いのち命いのちいのちををを輕かろ輕かろかろんんんじじじ義ぎ義ぎぎををを重おも重おもおもんんんじじじててて、、、一いつ一いついっ戰せん戰せんせんののの功こう功こうこうををを勵はげ勵はげはげますますますととと雖いへど雖いへどいえどももも、、、多た多たた勢ぜい勢ぜいぜいののの攻せ攻せせめめめををを免まぬか免まぬかまぬかれれれずずず。。。形けい形けいけい骸がい骸がいがいををを古こ古ここ岸がん岸がんがんののの苔こけ苔こけこけににに暴さら暴さらさらししし、、、姓せい姓せいせい名めい名めいめいををを長ちやう長ちやうちょう河が河ががののの波なみ波なみなみににに流なが流ながながすすす。。。令りやう令りやうりょう旨じ旨じじののの趣おもむき趣おもむきおもむき、、、肝きも肝きもきもににに銘めい銘めいめいじじじ、、、同どう同どうどう類るい類るいるいののの悲かな悲かなかなしみしみしみ魂たましひ魂たましひたましいををを消け消けけすすす。。。之これ之これこれににに依よ依よよつつっててて東とう東とうとう國ごく國ごくごく、、、北ほつ北ほつほっ國こく國こくこくののの源げん源げんげん氏じ氏じじ等ら等らら、、、各おのおの各おのおのおのおの參さん參さんさん洛らく洛らくらくををを企くはだ企くはだくわだててて、、、平へい平へいへい家け家けけををを亡ほろ亡ほろほろぼさぼさぼさんんんととと欲ほつ欲ほつほっすすす。。。義よし義よしよし仲なか仲なかなか去い去いいんんんじじじ年とし年としとしののの秋あき秋あきあき、、、宿しゆく宿しゆくしゅく意い意いいををを達たつ達たつたつせせせんんんががが爲ため爲ためためににに、、、旗はた旗はたはたををを揚あ揚ああげげげ劒けん劒けんけんををを把と把ととつつっててて信しん信しんしん州しう州しうしゅうををを出い出いいでででししし日ひ日ひひ、、、越ゑち越ゑちえち後ご後ごごののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん城じやう城じやうじょうののの四し四しし郎らう郎らうろう長なが長ながなが茂もち茂もちもち、、、數す數すす萬まん萬まんまんののの軍ぐん軍ぐんぐん兵びやう兵びやうびょうををを率そつ率そつそつしししててて發はつ發はつはっ向かう向かうこうせせせしむるしむるしむる閒あひだ閒あひだあいだ、、、當たう當たうとう國ごく國ごくごく横よこ横よこよこ田た田たた河かは河かはかわ原ら原ららにににしてしてして合かつ合かつかっ戰せん戰せんせんすすす。。。義よし義よしよし仲なか仲なかなか僅わづか僅わづかわずかににに三さん三さんさん千ぜん千ぜんぜん餘よ餘よよ騎き騎ききををを以もつ以もつもってててかのかのかの數す數すす萬まん萬まんまんののの兵つはもの兵つはものつわものををを破やぶ破やぶやぶりりり終をは終をはおわんんんぬぬぬ。。。風ふう風ふうふう聞ぶん聞ぶんぶん廣ひろ廣ひろひろきききににに及およ及およおよんんんででで、、、平へい平へいへい氏じ氏じじののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょう十じふ十じふじゅう萬まん萬まんまんののの軍ぐん軍ぐんぐん士し士ししををを率そつ率そつそつしししててて、、、北ほく北ほくほく陸ろく陸ろくろくににに發はつ發はつはっ向かう向かうこうすすす。。。越ゑつ越ゑつえっ州しう州しうしゅう、、、加か加かか州しう州しうしゅう、、、礪と礪とと竝なみ竝なみなみ、、、黑くろ黑くろくろ坂さか坂さかさか、、、鹽しほ鹽しほしお坂さか坂さかさか、、、篠しの篠しのしの原はら原はらはら以い以いい下げ下げげののの城じやう城じやうじょう郭くわく郭くわくかくにににしてしてして、、、數す數すす箇か箇かか度ど度どど合かつ合かつかっ戰せん戰せんせんすすす。。。策はかりごと策はかりごとはかりごとををを帷ゐ帷ゐい幄あく幄あくあくののの中うち中うちうちににに運めぐ運めぐめぐらしらしらしててて、、、勝か勝かかつつつことことことををを咫し咫しし尺せき尺せきせきのののもともともとににに得え得ええたりたりたり。。。然しか然しかしかるるるににに撃う撃ううてててばばば必かなら必かならかならずずず伏ふく伏ふくふくししし、、、攻せ攻せせむれむれむればばば必かなら必かならかならずずず降くだ降くだくだるるる。。。秋あき秋あきあきののの風かぜ風かぜかぜののの芭は芭はは蕉せを蕉せをせおををを破やぶ破やぶやぶるるるににに異こと異ことことならならならずずず。。。冬ふゆ冬ふゆふゆののの霜しも霜しもしもののの薰くん薰くんくん蕕いう蕕いうゆうををを枯か枯かからすらすらすににに相あひ相あひあい同おな同おなおなじじじ。。。これこれこれ偏ひとへ偏ひとへひとえににに神しん神しんしん明めい明めいめい、、、佛ぶつ佛ぶつぶつ陀だ陀だだののの助たす助たすたすけけけなりなりなり。。。更さら更さらさらににに義よし義よしよし仲なか仲なかなかががが武ぶ武ぶぶ畧りやく畧りやくりやくにににあらあらあらずずず。。。平へい平へいへい氏じ氏じじ敗はい敗はいはい北ぼく北ぼくぼくののの上うへ上うへうえははは、、、參さん參さんさん洛らく洛らくらくををを企くはだ企くはだくわだつるつるつるなりなりなり。。。今いま今いまいま叡えい叡えいえい岳がく岳がくがくののの麓ふもと麓ふもとふもとををを過す過すすぎぎぎててて、、、洛らく洛らくらく陽やう陽やうようののの衢ちまた衢ちまたちまたににに入い入いいるるるべしべしべし。。。このこのこの時とき時ときときににに當あた當あたあたつつってててひそかひそかひそかににに疑ぎ疑ぎぎ胎たい胎たいたいありありあり。。。そも〳〵そも〳〵そもそも天てん天てんてん台だい台だいだいののの衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒ととははは平へい平へいへい家け家けけににに同どう同どうどう心しん心しんしんかかか、、、源げん源げんげん氏じ氏じじににに與よ與よよ力りき力りきりきかかか。。。もしもしもしかのかのかの惡あく惡あくあく徒と徒ととををを助たす助たすたすけけけらるらるらるべくべくべくばばば、、、衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒ととににに向むか向むかむかひひいててて合かつ合かつかっ戰せん戰せんせんすすすべしべしべし。。。もしもしもし合かつ合かつかっ戰せん戰せんせんををを致いた致いたいたさささばばば、、、叡えい叡えいえい岳がく岳がくがくののの滅めつ滅めつめつ亡ばう亡ばうぼう、、、踵くびす踵くびすくびすををを旋めぐ旋めぐめぐらすらすらすべからべからべからずずず。。。悲かな悲かなかなしいしいしいかなかなかな平へい平へいへい家け家けけ宸しん宸しんしん襟きん襟きんきんををを惱なや惱なやなやましましまし、、、佛ぶつ佛ぶつぶつ法ぽふ法ぽふぽうををを滅ほろ滅ほろほろぼすぼすぼす閒あひだ閒あひだあいだ、、、惡あく惡あくあく逆ぎやく逆ぎやくぎやくををを鎭しづ鎭しづしずめめめんんんががが爲ため爲ためためににに義ぎ義ぎぎ兵へい兵へいへいををを起おこ起おこおこすすす所ところ所ところところににに、、、忽たちま忽たちまたちまちちちににに三さん三さんさん千ぜん千ぜんぜんののの衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒ととににに向むか向むかむこうううててて、、、不ふ不ふふ慮りよ慮りよりょののの合かつ合かつかっ戰せん戰せんせんををを致いた致いたいたさささんんんことことことををを。。。いたましきいたましきいたましきかなかなかな醫い醫いい王わう王わうおう山さん山さんさん王わう王わうおうににに憚はゞか憚はゞかはばかりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、行かう行かうこう程てい程ていていににに遲ち遲ちち留りう留りうりゅうせせせしめしめしめばばば、、、朝てう朝てうちょう廷てい廷ていてい緩くわん緩くわんかん怠たい怠たいたいののの臣しん臣しんしんとととしてしてして、、、長なが長ながながくくく武ぶ武ぶぶ畧りやく畧りやくりやく瑕か瑕かか瑾きん瑾きんきんののの謗そし謗そしそしりりりををを遺のこ遺のこのこさささんんんことことことををを。。。進しん進しんしん退たい退たいたいににに惑まど惑まどまどつつっててて、、、かねかねかねててて案あん案あんあん内ない内ないないををを啓けい啓けいけいするするする所ところ所ところところなりなりなり、、、冀こひねが冀こひねがこいねがははわくくくははは天てん天てんてん台だい台だいだいののの衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒とと、、、神かみ神かみかみのののためためため、、、佛ほとけ佛ほとけほとけのののためためため、、、國くに國くにくにのののためためため、、、君きみ君きみきみのののためためため、、、源げん源げんげん氏じ氏じじににに同どう同どうどう心しん心しんしんしてしてして兇きよう兇きようきょう徒と徒ととををを誅ちう誅ちうちゅうししし、、、鴻こう鴻こうこう化くわ化くわかににに浴よく浴よくよくせせせんんんことことこと、、、懇こん懇こんこん丹たん丹たんたんののの至いた至いたいたりりりににに堪た堪たたへへえずずず。。。義よし義よしよし仲なか仲なかなか恐きよう恐きようきょう惶くわう惶くわうこう謹きん謹きんきん言げん言げんげん。。。壽じゆ壽じゆじゅ永えい永えいえい二に二にに年ねん年ねんねん六ろく六ろくろく月ぐわつ月ぐわつがつ十とを十とをとお日か日かかののの日ひ日ひひ、、、源みなもと源みなもとみなもとののの義よし義よしよし仲なか仲なかなか進しん進しんしん上じやう上じやうじょう。。。慧ゑ慧ゑえ光くわう光くわうこう坊ばう坊ばうぼうののの律りつ律りつりつ師し師ししののの御ご御ごご坊ばう坊ばうぼうへへへ。。。」」」とととぞぞぞ書か書かかかかかれれれたるたるたる。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

そうこうするうちに木曾義仲は越前の国府に着いて、家の子・郎等を召し集めて評議した。「そもそも義仲は近江国を通って都へ上るべきだが、例の比叡山の僧たちが防ぐこともあろう。駆け破って通ることはたやすいが、今は平家こそ仏法も顧みず、寺を滅ぼし、僧を殺し、悪行をしているのだ。それから仏法を守るために上洛しようとする義仲が、平家と同じだからといって山門の衆徒と戦うことになれば、まったく同じ二の舞になるだろう。これこそ、たやすいようで大事なことだ。どうしよう」とおっしゃると、右筆として連れていた大夫坊覚明が進み出て申すには、「山門の大衆は三千人おりますが、必ずしも心を一つにしているわけではありません。平家に味方しようという衆徒もおりましょう。源氏につこうという大衆もおりましょう。結局のところ、牒状を遣わしてご覧なさいませ。返牒にこそ、その様子は表れましょう」と申したので、木曾殿は「もっともだ。それでは書け」といって、覚明に牒状を書かせて山門へ送られた。

その状には次のようにある。「義仲がつくづく平家の悪逆を見るに、保元・平治以来、長く臣下としての礼を失っている。それなのに貴賤は手をこまねき、僧俗はその足を押しいただいている。ほしいままに帝位を左右し、あくまで国郡を奪い取っている。道理も非理も論ぜず権門勢家を捕らえ、財の有無を問わず公卿侍臣を滅ぼしている。その財産を奪い取ってことごとく郎従に与え、その荘園を没収してみだりに子孫に分け与えている。とりわけ去る治承三年十一月、法皇を城南の離宮(鳥羽殿)にお移しし、関白(基房)を西海の遠い地に流し申した。民衆はものも言えず、道で会っても目で語り合うばかりである。そればかりか、同じ四年五月、二の宮(以仁王)の御所を囲んで、宮中を騒がせた。そこで皇子は不当な害を逃れるために、ひそかに園城寺へお入りになったとき、義仲は先日令旨を賜っていたので、駆けつけようとしたところ、怨敵が巷に満ちて、参上する道を失った。近くの源氏さえ参らなかった。まして遠国の源氏はなおさらである。ところが園城寺は守りが十分でなかったので、宮は南都へお向かいになり、その途中、宇治橋で合戦となった。大将の三位入道頼政父子は、命を軽んじ義を重んじて一戦の功を励んだが、多勢の攻めを免れなかった。屍を古い岸の苔にさらし、名を長い川の波に流した。令旨の趣旨は肝に銘じ、同類の悲しみに魂も消える思いである。これによって東国・北国の源氏たちは、それぞれ上洛を企て、平家を滅ぼそうとしている。義仲は去年の秋、かねての思いを遂げるために、旗を揚げ剣を取って信濃を出た日に、越後国の住人城四郎長茂が数万の軍兵を率いて向かって来たので、その国の横田河原で合戦した。義仲はわずか三千余騎でその数万の兵を破った。うわさが広まって、平氏の大将が十万の軍士を率いて北陸に向かって来た。越前・加賀、礪波・黒坂・塩坂・篠原などの城郭で数度合戦した。陣中で策をめぐらして、たやすく勝利を得た。そのうえ、撃てば必ず伏し、攻めれば必ず降った。秋風が芭蕉を破るのと異ならず、冬の霜が香草も臭草も枯らすのと同じである。これはひとえに神仏の助けであって、決して義仲の武略によるものではない。平氏が敗北したうえは、上洛を企てるのである。今、比叡山の麓を過ぎて、都の巷に入ろうとしている。この時にあたって、ひそかに疑いがある。そもそも天台の衆徒は平家に味方するのか、源氏に力を貸すのか。もしあの悪徒を助けられるならば、衆徒に向かって合戦しなければならない。もし合戦をすれば、比叡山の滅亡はたちまちであろう。悲しいことに、平家が天子のお心を悩ませ、仏法を滅ぼすので、その悪逆を鎮めるために義兵を起こしたところで、たちまち三千の衆徒に向かって思いがけない合戦をすることになるとは。痛ましいことに、医王・山王をはばかって行軍を遅らせれば、朝廷に対して怠慢な臣として、長く武略の傷という非難を残すことになるとは。進退に迷って、あらかじめ事情を申し述べるのである。願わくは天台の衆徒は、神のため、仏のため、国のため、君のため、源氏に同心して凶徒を誅し、天子の恩沢に浴されんことを、心からお願いする。義仲恐惶謹言。寿永二年六月十日、源義仲進上。慧光坊律師御坊へ」と書かれていた。

意訳

上洛を前にした義仲が、比叡山の衆徒の向背を確かめるために牒状を送る章段である。仏法を守るために平家を討つと言いながら、比叡山と戦うことになれば平家の二の舞になるという義仲の懸念が、覚明の進言を生んだ。

覚明の書いた牒状は、平家の悪逆と義仲の戦いの経過を、漢文調の美文で述べている。秋風が芭蕉を破り、冬の霜が草を枯らすような勝利は神仏の助けによるものだとし、源氏への同心を強く求めている。

語釈・文法注

文法

「安大事」
たやすいようで実は大事なこと。
「道路目を以てす」
道で会っても、ものを言えず目くばせするだけである。暴政をはばかるさま。
「薰蕕」
香りのよい草と悪臭のある草。善人と悪人のたとえ。
「疑胎」
底本のまま。疑いの意で、通行本文は「疑殆」。
「醫王山王」
比叡山の本尊である薬師如来(医王)と、日吉の山王権現。

解説

義仲の牒状は寿永二年(1183)六月のことである。比叡山は平家と源氏の間で揺れていたが、この牒状を受けて源氏に味方することを決める(次の「山門返牒の事」)。覚明の文は、巻第四の「南都返牒の事」とともに、平家物語の中の漢文調の名文として知られる。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、571–573頁(コマ314–315)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日