平家物語 巻第六
祇園の女御の事
清盛は実は白河院の御子だという話を伝える章段である。五月雨の夜、白河院が祇園の女御のもとへ忍んで行く途中、銀の針のように光る鬼のようなものが現れた。院に命じられた平忠盛は、それを射殺さずに組み止め、灯明をともしに来た老法師であることを明らかにした。院は思慮深い忠盛に祇園の女御を与え、生まれた男子がのちの清盛であった。
- 1またまたまたふるいふるいふるい人人ひとののの申申もうしししけるけるけるははは、、、清清きよ盛盛もり公公こうははは只只ただ人人びとにににはははあらあらあらずずず。。。まことまことまことにににははは白白しら河河かわ院院のいんののの御御おん子子こなりなりなり。。。そのそのその故故ゆえははは去去いんんんぬるぬるぬる永永えい久久きゅうのののころほひころほひころおい、、、祇祇ぎ園園おんののの女女にょう御御ごとてとてとて幸幸さいわい人人びとおはしましおはしましおわしましききき。。。件件くだんののの女女にょう房房ぼうののの住住すま居居ひ所所どころははは東東ひがし山山やまののの麓麓ふもと、、、祇祇ぎ園園おんのののほとりほとりほとりにてにてにてぞぞぞありありありけるけるける。。。白白しら河河かわ院院のいん常常つねはははかしこかしこかしこへへへ御御ご幸幸こうなるなるなる。。。あるあるある時時とき殿殿てん上上じょう人人びと一一いち兩兩りょう人人にん、、、北北ほく面面めん少少しょう々々しょう召召めししし具具ぐしししててて忍忍しのびびびののの御御ご幸幸こうありありありしししににに、、、頃頃ころははは五五さ月月つき二二に十十じゅう日日か餘餘あまりりりまだまだまだ宵宵よいのののことことことなるなるなるににに、、、五五さ月月み雨雨だれさへさへさへかきかきかきくれくれくれててて、、、よろづよろづよろずものものものいぶせかりいぶせかりいぶせかりけるけるける折折おりふしふしふし、、、件件くだんののの女女にょう房房ぼうののの宿宿しゅく所所しょ近近ちこううう御御み堂堂どうありありあり。。。御御み堂堂どうののの片片かたほとりほとりほとりよりよりより、、、光光ひかりりり物物ものこそこそこそ出出いででできききたれたれたれ。。。頭頭かしらははは銀銀しろがねののの針針はりををを磨磨みがきききたてたてたてたるたるたるやうやうようにににきらめききらめききらめき、、、片片かた手手てにににははは槌槌つちのののやうやうようなるなるなる物物ものををを持持もちちち、、、片片かた手手てにににははは光光ひかるるる物物ものをををぞぞぞ持持もつつったりたりたりけるけるける。。。これこれこれぞぞぞまことまことまことののの鬼鬼おにととと覺覺おぼゆるゆるゆる。。。手手てににに持持もてててるるる物物ものははは、、、聞聞きこゆるゆるゆる打打うち出出でののの小小こ槌槌ずちなるなるなるべしべしべし。。。いかゞいかゞいかがせせせんんんとてとてとて、、、君君きみももも臣臣しんももも大大おおきききににに騒騒さわがががせせせおはしますおはしますおわします。。。そのそのその時時とき忠忠ただ盛盛もり、、、北北ほく面面めんののの下下げ臈臈ろうにてにてにて供供ぐ奉奉ぶせせせられられられたりたりたりけるけるけるををを、、、御御ご前前ぜんへへへ召召めしししててて、、、「「「このこのこの中中なかにににははは汝汝なんじぞぞぞあるあるあるらんらんらん、、、あのあのあの者者もの射射いももも殺殺ころししし、、、斬斬きりりりももも止止とどめめめなななんんんややや。。。」」」ととと仰仰おおせせせけれけれければばば、、、畏畏かしこまりまりまり承承うけたまわつつっててて歩歩あゆみみみ向向むかふふう。。。
- 2忠忠ただ盛盛もり内内ない々々ない思思おもひひいけるけるけるははは、、、このこのこの者者ものさしてさしてさして猛猛たけききき者者ものとととははは見見みえええずずず。。。想想おもふふうににに狐狐きつね狸狸たぬきのののしわざしわざしわざにてにてにてぞぞぞあるあるあるらんらんらん。。。これこれこれををを射射いももも殺殺ころししし、、、斬斬きりりりももも止止とどめめめたらたらたらんんんははは、、、むげむげむげににに念念ねんなからなからなからましましまし。。。同同おなじくじくじくははは生生いけ擒擒どりにににせせせんんんととと思思おもうううててて、、、歩歩あゆみみみ向向むかふふう。。。とととばかりばかりばかりあつあつあってててははは、、、さつさつさっとととははは光光ひかりりり、、、とととばかりばかりばかりあつあつあってててははは、、、さつさつさっとととははは光光ひかりりり、、、二二に三三さん度度どしししけるけるけるををを、、、忠忠ただ盛盛もり走走はしりりり寄寄よつつってててむずむずむずととと組組くむむむ。。。組組くまままれれれててて、、、「「「こここはははいかにいかにいかに。。。」」」ととと騷騷さわぐぐぐ。。。變變へん化化げののの者者ものにてにてにてはははなかりなかりなかりけりけりけり。。。人人ひとにてにてにてぞぞぞ候候さぶらひひいけるけるける。。。
- 3そのそのその時時とき上上じょう下下か、、、手手てんんん手手でににに火火ひををを燃燃ともいいいててて、、、これこれこれををを御御ご覽覽らんじじじ見見み給給たまふふうににに、、、六六ろく十十じゅう許許ばかりりりののの法法ほう師師しなりなりなり。。。たとへばたとへばたとえば御御み堂堂どうののの承承しょう仕仕じ法法ぼう師師しにてにてにてありありありけるけるけるががが、、、佛佛ほとけににに燈燈み明明あかしををを參參まいらせらせらせんんんとてとてとて、、、片片かた手手てにににははは手手て瓶瓶がめととといふいふいう物物ものににに油油あぶらををを入入いれれれててて持持もららら、、、片片かた手手てにににははは土土かわ器器らけににに火火ひををを入入いれれれてててぞぞぞ持持もつつったりたりたりけるけるける。。。雨雨あめはははゐゐいにににゐゐいててて降降ふるるる。。。濡濡ぬれれれじじじとてとてとて、、、小小こ麥麥むぎのののからからからををを引引ひき結結むすんんんででで被被かずいいかずいたりたりたりけるけるけるががが、、、土土かわ器器らけののの火火ひににに輝輝かがやいいいててて、、、ひとへひとへひとえににに白白しろ銀銀がねののの針針はりののの如如ごとくくくにににははは見見みえええけるけるけるなりなりなり。。。ことことことののの體體てい一一いち々々いち次次し第第だいにににあらはれあらはれあらわれぬぬぬ。。。これこれこれををを射射いももも殺殺ころししし、、、斬斬きりりりももも止止とどめめめたらたらたらんんんははは、、、いかにいかにいかに念念ねんなからなからなからましましまし。。。忠忠ただ盛盛もりがががふるまひふるまひふるまいこそこそこそまことまことまことににに思思し慮慮りょ深深ふかけれけれけれ。。。弓弓ゆみ矢矢や取取とりりりはははやさしかりやさしかりやさしかりけるけるけるものものものかなかなかなとてとてとて、、、さしもさしもさしも御御ご最最さい愛愛あいととと聞聞きこえええししし祇祇ぎ園園おんののの女女にょう御御ごををを、、、忠忠ただ盛盛もりにににこそこそこそ下下くだささされれれけれけれけれ。。。このこのこの女女にょう御御ご孕孕はらみみみたまへたまへたまえりりり、、、「「「生生うめめめらららんんん子子こ女女にょ子子しならならならばばば、、、朕朕ちんががが子子こにににせせせんんん。。。男男なん子子しならならならばばば、、、忠忠ただ盛盛もり取取とつつっててて弓弓ゆみ矢矢や取取とりりりにににしししたてたてたてよよよ。。。」」」とととぞぞぞ仰仰おおせせせけるけるける。。。すなはちすなはちすなわち男男なんををを生生うめめめりりり。。。事事ことににに觸觸ふれれれてててははは披披ひ露露ろうせせせざりざりざりけれけれけれどもどもども、、、内内ない々々ないはははもてなしもてなしもてなしけりけりけり。。。
- 4このこのこの事事こといかにいかにいかにもももしてしてして奏奏そうせせせばやばやばやととと思思おもははわれれれけれけれけれどもどもども、、、然然しかるるるべきべきべき便便びん宜宜ぎもももなかりなかりなかりけるけるけるががが、、、あるあるある時時とき白白しら河河かわののの院院いん、、、熊熊くま野野のへへへ御御ご幸幸こうなるなるなる。。。紀紀き伊伊いののの國國くに絲絲いとががが坂坂さかととといふいふいう所所ところににに御御み輿輿こしかきかきかき据据すゑゑえさせさせさせ、、、しばらくしばらくしばらく御御ご休休きゅう息息そくありありありけりけりけり。。。そのそのその時時とき忠忠ただ盛盛もり、、、藪藪やぶにににいくらいくらいくらもももありありありけるけるけるぬかごぬかごぬかごををを袖袖そでにににもりもりもり入入いれれれ、、、御御ご前前ぜんへへへ參參まいりりり畏畏かしこまつまつまっててて、、、
- 5いもいもいもががが子子こははは這這はふふうほどほどほどにににこそこそこそなりなりなりにににけれけれけれ
- 6ととと申申もうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、院院いんやがてやがてやがて御御おん心心こころ得得えあつあつあっててて、、、
- 7たゞもりたゞもりただもりとりとりとりてててやしなひやしなひやしないにににせよせよせよ
- 8とととぞぞぞ附附つけけけさせさせさせまし〳〵まし〳〵ましましけるけるける。。。さてさてさてこそこそこそわがわがわが子子ことととはははもてなさもてなさもてなされれれけれけれけれ。。。このこのこの若若わか君君ぎみ、、、あまりあまりあまりににに夜夜よ泣泣なきをををししし給給たまひひいしかしかしかばばば、、、院院いん聞聞きこし召召めしししててて、、、一一いっ首首しゅののの御御ご詠詠えいをををあそばいあそばいあそばいてててぞぞぞ下下くだささされれれけるけるける。。。
- 9夜夜よ泣泣なきすすすとととたゞもりたゞもりただもり立立たてててよよよ末末すえののの世世よににに清清きよくくく盛盛さかふるふるうることことこともももこそこそこそあれあれあれ
- 10それそれそれよりよりよりしてしてしてこそこそこそ清清きよ盛盛もりとととははは名名な乘乘のららられれれけれけれけれ。。。
- 11十十じゅう二二にののの年年とし元元げん服服ぷくしてしてして兵兵ひょう衞衞えののの佐佐すけににになりなりなり、、、十十じゅう八八はちののの年年とし四四し品品ほんしてしてして、、、四四し位位いののの兵兵ひょう衞衞えののの佐佐すけととと申申もうせせせしししををを、、、仔仔し細細さい存存ぞん知知じせせせぬぬぬ人人ひとははは、、、「「「華華か族族ぞくののの人人ひとこそこそこそかうかうこうははは。。。」」」ととと申申もうささされれれけれけれければばば、、、鳥鳥と羽羽ば院院のいんはははしろしめししろしめししろしめしててて、、、「「「清清きよ盛盛もりががが華華か族族ぞくははは人人ひとににに劣劣おとらららじじじ。。。」」」とととこそこそこそ仰仰おおせせせけれけれけれ。。。
- 12昔昔むかしももも、、、天天てん智智じ天天てん皇皇おう、、、孕孕はらみみみ給給たまへへえるるる女女にょう御御ごををを大大たい織織しょく冠冠かんににに賜賜たまふふうとてとてとて、、、「「「このこのこの女女にょう御御ごののの生生うめめめらららんんん子子こ、、、女女にょ子子しならならならばばば朕朕ちんががが子子こにににせせせんんん、、、男男なん子子しならならならばばば臣臣しんががが子子こにににせせせよよよ。。。」」」ととと仰仰おおせせせけるけるけるににに、、、すなはちすなはちすなわち男男なんををを生生うめめめりりり。。。多多た武武ぶののの峯峯みねののの本本ほん願願がん定定じょう慧慧え和和か尙尙しょうこれこれこれなりなりなり。。。上上じょう代代だいにににももも斯斯かかるかるかる例例ためしありありありけれけれければばば、、、末末まっ代代だいにににももも清清きよ盛盛もり公公こう、、、まことまことまことにににははは白白しら河河かわ院院のいんののの皇皇おう子子じとととしてしてして、、、さしもさしもさしもたやすからたやすからたやすからぬぬぬ天天てん下下かののの大大だい事事じ、、、都都みやこうつりうつりうつりなどなどなどいふいふいう事事ことをををももも、、、思思おもひひい立立たたたたれれれけるけるけるにににこそこそこそ。。。
現代語訳
また古老が言うには、清盛公はただ人ではない。まことは白河院の御子である。そのわけは、去る永久のころ、祇園の女御といって、院のご寵愛を受けた女性がおられた。その女房の住まいは東山の麓、祇園のあたりにあった。白河院はいつもそこへお出かけになった。あるとき殿上人を一、二人、北面の武士を少し連れて忍びのお出かけがあったが、ころは五月二十日過ぎの、まだ宵のうちのことで、五月雨まで降り暗くて、何もかもうっとうしいおりしも、その女房の宿所の近くに御堂がある。その御堂のかたわらから、光るものが出て来た。頭は銀の針を磨き立てたようにきらめき、片手には槌のような物を持ち、片手には光る物を持っていた。これこそまことの鬼と思われる。手に持っている物は、うわさに聞く打出の小槌であろう。どうしようと、君も臣もたいそう騒がれた。そのとき忠盛は北面の下級の武士としてお供していたのを、御前へ召して、「この中ではそなたが頼りだ。あの者を射殺すか、斬り止めるかしてくれまいか」とおっしゃったので、かしこまって承り、歩み向かった。
忠盛が内心思うには、この者はそれほど猛々しい者とは見えない。思うに狐や狸のしわざであろう。これを射殺したり斬り止めたりするのは、まったく残念なことだ。同じことなら生け捕りにしようと思って歩み向かった。しばらくすると、さっと光り、しばらくすると、さっと光り、二、三度そうしたのを、忠盛は走り寄ってむずと組みついた。組まれて「これは何をする」と騒ぐ。化け物ではなかった。人であった。
そのとき上下の人々が手に手に火をともしてご覧になると、六十ほどの法師である。じつは御堂の承仕法師であったが、仏に灯明をお供えしようとして、片手には手瓶という物に油を入れて持ち、片手には土器に火を入れて持っていた。雨はしとしとと降る。濡れまいとして、小麦のわらを結んでかぶっていたのが、土器の火に照らされて、まるで白銀の針のように見えたのであった。ことのありさまが一つ一つ順に明らかになった。これを射殺したり斬り止めたりしていたら、どんなに残念なことであったろう。忠盛のふるまいこそ、まことに思慮深い。弓矢を取る者は立派なものだといって、あれほどご寵愛と聞こえた祇園の女御を、忠盛にお下しになった。この女御は身ごもっておられたので、「生まれる子が女子ならば朕の子にしよう。男子ならば忠盛が引き取って弓矢取りに育てよ」とおっしゃった。そして男子を生んだ。事あるごとに公にはしなかったが、内々には大切にしていた。
忠盛はこのことをなんとかして院に申し上げたいと思ったが、よい機会もなかったところ、あるとき白河院が熊野へお出かけになった。紀伊国の糸が坂という所に御輿を据えさせて、しばらくご休息になった。そのとき忠盛は、藪にたくさんあったむかごを袖に入れ、御前へ参ってかしこまり、
(芋の子ならぬ)あの子は、もう這うほどに大きくなりました。
と申されたので、院はすぐにお察しになって、
忠盛よ、取って養い育てよ。
と付けられた。それからわが子としてお扱いになった。この若君がたいそう夜泣きをされたので、院はお聞きになって、一首の歌をお詠みになって下された。
夜泣きをしても、忠盛よ、大切に育てよ。末の世に清く盛えることもあろうから。
それ以来、清盛と名のられたのである。
十二歳で元服して兵衛佐になり、十八歳で四位に叙せられて四位の兵衛佐と申したのを、事情を知らない人は、「華族(名門)の人こそこのように昇進するものなのに」と申したので、鳥羽院はそのことをご存じで、「清盛の家柄は人に劣るまい」とおっしゃった。
昔も天智天皇が、身ごもっておられた女御を大織冠(藤原鎌足)に与えるとき、「この女御の生む子が女子ならば朕の子にしよう。男子ならば臣の子にせよ」とおっしゃったところ、男子を生んだ。多武峯の開山、定恵和尚がこの人である。上代にもこのような例があったので、末代にも清盛公は、まことは白河院の皇子として、あれほど容易でない天下の大事である遷都なども、思い立たれたのであろう。
意訳
清盛の出生の秘密を語る章段である。白河院の寵愛した祇園の女御を、思慮深さを認められた忠盛が賜り、その子が清盛であったという。鬼と見えたものが実は老法師であったという話は、忠盛の沈着さを伝える逸話でもある。
物語は、天智天皇が身ごもった女御を藤原鎌足に与えた故事を引き、清盛が皇子であったからこそ遷都のような大事を思い立てたのだと結ぶ。前の「慈心坊の事」とともに、清盛という人物の非凡さを示す章段である。
語釈・文法注
文法
- 「幸人」
- 幸運な人。ここでは院の寵愛を受けた女性。
- 「とばかりあつては」
- しばらくすると。
- 「持ら」
- 底本のまま。「持ち」の誤植と見られる。
- 「ゐにゐて降る」
- しとしとと降る。
- 「ぬかご」
- むかご。山芋の葉のつけねにできる小さな芋。「いもが子」を引き出す。
和歌
いもが子は這ふほどにこそなりにけれ たゞもりとりてやしなひにせよ
- 詠者
- 平忠盛(上の句)・白河院(下の句)
- 状況
- 熊野御幸の途中、忠盛がむかごを差し出して上の句を詠み、院が下の句を付けた連歌。
修辞
- 掛詞
- 「いもが子」に「芋の子(むかご)」と「妹(女御)が子」を、「たゞもり」に「ただ盛り(器に盛る)」と「忠盛」を掛ける。
夜泣すとたゞもり立てよ末の世に清く盛ふることもこそあれ
- 詠者
- 白河院
- 状況
- 若君の夜泣きを聞いた院が、忠盛に下した歌。この歌から「清盛」と名づけられたという。
修辞
- 掛詞
- 「たゞもり立てよ」に「ただ守り立てよ」と「忠盛」を、「清く盛ふる」に「清盛」の名を詠みこむ。
解説
清盛を白河院の落胤とする説は、『平家物語』のほか近江の胡宮神社に伝わる文書(仏舎利相承系図)などにも見え、史実の可能性も論じられている。清盛の母については、祇園女御本人とする説と、その妹とする説とがある。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、538–540頁(コマ298–299)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日