平家物語 巻第六
入道逝去の事
宗盛を大将軍に東国へ下ろうとした矢先、清盛は熱病に倒れた。体は火のように熱く、比叡山の千手井の水も湯に沸き、注ぐ水は炎となって燃えあがる。妻の二位殿は、清盛を無間地獄へ迎える火の車の夢を見た。清盛は「頼朝の首をわが墓の前に懸けよ。それこそ孝養だ」と言い残し、閏二月四日、悶え苦しんで死んだ。六十四歳であった。
- 1同同おなじきじきじき二二に十十じゅう三三さん日日にち、、、院院いんののの殿殿てん上上じょうにてにてにて、、、俄俄にはかににに公公く卿卿ぎょう僉僉せん議議ぎありありあり、、、前前さきののの右右う大大だい將將しょう宗宗むね盛盛もりののの卿卿きょうののの申申もうささされれれけるけるけるははは、、、今今こん度度ど坂坂ばん東東どうへへへ討討うつ手手て向向むこうううたりたりたりととといへいへいえどもどもども、、、させるさせるさせる仕仕し出出いだしししたるたるたる事事こともももなしなしなし。。。今今こん度度どははは宗宗むね盛盛もり大大たい將將しょう軍軍ぐんををを承承うけたまわつつっててて、、、東東とう國國ごく、、、北北ほっ國國こくののの兇兇きょう徒徒と等等らををを追追つい討討とうすすすべきべきべき由由よし申申もうささされれれけれけれければばば、、、諸諸しょ卿卿きょう色色しき代代だいしてしてして、、、「「「宗宗むね盛盛もりののの卿卿きょうののの申申もうすすす條條じょうゆゝしうゆゝしうゆゆしゅう候候そうらひひいなななんずんずんず。。。」」」とととぞぞぞ申申もうささされれれけるけるける。。。法法ほう皇皇おう大大おおきききににに御御ぎょ感感かんありありありけりけりけり。。。公公く卿卿ぎょう、、、殿殿てん上上じょう人人びとももも武武ぶ官官かんににに備備そなはりはりわり、、、少少すこしししももも弓弓きゅう箭箭せんにににたづさはらたづさはらたずさわらんんん程程ほどののの人人ひと々々びとははは、、、宗宗むね盛盛もりををを大大たい將將しょう軍軍ぐんとととしてしてして、、、東東とう國國ごく、、、北北ほっ國國こくののの兇兇きょう徒徒と等等らををを追追つい討討とうすすすべきべきべき由由よし仰仰おおせせせ下下くださささるるる。。。
- 2同同おなじきじきじき二二に十十じゅう七七しち日日にち門門かど出出でしてしてして、、、既既すでにににうちうちうち立立たたたたんんんとととししし給給たまひひいけるけるける夜夜や半半はんばかりばかりばかりよりよりより、、、入入にゅう道道どう相相しょう國國こく違違い例例れいののの心心ここちちちとてとてとて止止とどまりまりまり給給たまひひいぬぬぬ。。。あくるあくるあくる二二に十十じゅう八八はち日日にち、、、重重じゅう病病びょうををを受受うけけけ給給たまへへえりりりととと聞聞きこえええしかしかしかばばば、、、京京きょう中中じゅう、、、六六ろく波波は羅羅らひしめきひしめきひしめきあへあへあえりりり。。。「「「すはすはすわしつるしつるしつるははは。。。」」」「「「さささ見見みつるつるつることことことよよよ。。。」」」とととぞぞぞさゝやきさゝやきささやきけるけるける。。。入入にゅう道道どう相相しょう國國こく病病やみみみつきつきつき給給たまへへえるるる日日ひよりよりよりしてしてして、、、湯湯ゆ水水みずももも喉喉のどへへへ入入いれれれられられられずずず、、、身身みののの内内うちののの熱熱あつききき事事ことははは火火ひををを焚焚たくくくががが如如ごとししし。。。臥臥ふししし給給たまへへえるるる所所ところ四四し五五ご閒閒けんががが内内うちへへへ入入いるるる者者ものははは、、、熱熱あつさささ堪堪たへへえ難難がたししし。。。たゞたゞただのたまふのたまふのたまう事事こととととてててははは、、、あた〳〵あた〳〵あたあたとととばかりばかりばかりなりなりなり。。。まことまことまことにににたゞたゞただごとごとごととととももも見見みえええ給給たまははわずずず。。。あまりあまりあまりののの堪堪たへへえ難難がたさささにににややや、、、比比ひ叡叡えい山山さんよりよりより千千せん手手じゅ井井いののの水水みずををを汲汲くみみみ下下くだししし、、、石石いしののの船船ふねににに湛湛たたへへえ、、、それそれそれににに下下おりりりててて冷冷ひえええ給給たまへへえばばば、、、水水みずおびたゞしうおびたゞしうおびただしゅう沸沸わききき上上あがつつっててて、、、程程ほどなくなくなく湯湯ゆにににぞぞぞなりなりなりにににけるけるける。。。もしもしもしやややととと筧筧かけいののの水水みずをををまかすまかすまかすれれればばば、、、石石いしややや鐵鐵くろがねなどなどなどののの燒燒やけけけたるたるたるやうやうようににに、、、水水みずほとばしつほとばしつほとばしっててて寄寄よりりりつかつかつかずずず。。。おのづからおのづからおのずから當當あたるるる水水みずははは、、、炎炎ほむらとととなつなつなっててて燃燃もえええけれけれければばば、、、黑黑こく煙煙えん殿殿でん中中ちゅうににに充充みちちち滿滿みちちちててて、、、炎炎ほのおうづうづうず巻巻まいいいてててぞぞぞ上上のぼりりりけるけるける。。。これこれこれややや昔昔むかし法法ほう藏藏ぞう僧僧そう都都ずととといひいひいいししし人人ひと、、、閻閻えん王王おうののの廳廳ちょうににに赴赴おもむいいいててて、、、母母ははののの生生せい所所しょををを尋尋たずねねねしししににに、、、閻閻えん王王おう憐憐あわれみみみ給給たまひひいててて、、、獄獄ごく卒卒そつををを相相あい添添そへへえててて焦焦しょう熱熱ねつ地地じ獄獄ごくへへへ遣遣つかははわさるさるさる。。。鐵鐵くろがねののの門門もんののの内内うちへへへさしさしさし入入いつつっててて見見みれれればばば、、、流流りゅう星星せいなどなどなどののの如如ごとくくくににに、、、焰焰ほのお空空ぞらにににうちうちうち上上のぼりりり、、、多多た百百ひゃく由由ゆ旬旬じゅんににに及及およびびびけんけんけんももも、、、これこれこれにににははは過過すぎぎぎじじじとととぞぞぞ覺覺おぼえええけるけるける。。。
- 3またまたまた入入にゅう道道どう相相しょう國國こくののの北北きたののの方方かた、、、八八はち條條じょうののの二二に位位い殿殿どのののの夢夢ゆめににに見見み給給たまひひいけるけるける事事ことこそこそこそ恐恐おそろしけれろしけれろしけれ。。。たとへばたとへばたとえば猛猛みょう火火かのののおびたゞしうおびたゞしうおびただしゅう燃燃もえええたるたるたる車車くるまののの、、、主主ぬしもももなきなきなきををを、、、門門もんののの内内うちへへへやりやりやり入入いれれれたるたるたるををを見見みれれればばば、、、車車くるまののの前前ぜん後後ごににに立立たちちちたるたるたる者者ものははは、、、或或あるいははは牛牛うしののの面面おもてのののやうやうようなるなるなる者者ものもももありありあり、、、或或あるいははは馬馬うまのののやうやうようなるなるなる者者ものもももありありあり。。。車車くるまののの前前まえにににははは無無むととといふいふいう文文も字字じ許許ばかりりり現現あらははわれれれたるたるたる、、、鐵鐵くろがねののの札札ふだをををぞぞぞ打打うちちちたりたりたりけるけるける。。。二二に位位い殿殿どの夢夢ゆめののの内内うちににに、、、「「「これこれこれはははいづくいづくいずくよりよりよりいづちいづちいずちへへへ。。。」」」ととと問問とひひい給給たまへへえばばば、、、「「「平平へい家家けののの太太だい政政じょうののの入入にゅう道道どう殿殿どのののの惡惡あく行行ぎょう超超ちょう過過かししし給給たまへへえるるるににに依依よつつっててて、、、閻閻えん魔魔ま王王おう宮宮きゅうよりよりよりののの御御おん迎迎むかへへえののの御御おん車車くるまなりなりなり。。。」」」ととと申申もうすすす。。。「「「さてさてさてあのあのあの札札ふだはははいかにいかにいかに。。。」」」ととと問問とひひい給給たまへへえばばば、、、「「「南南なん閻閻えん浮浮ぶ提提だい金金こん銅銅どう十十じゅう六六ろく丈丈じょうののの盧盧る遮遮しゃ那那な佛佛ぶつ、、、燒燒やききき亡亡ほろぼしぼしぼし給給たまへへえるるる罪罪つみににに依依よつつっててて、、、無無む間間けんののの底底そこににに沉沉しずめめめ給給たまふふうべきべきべき由由よし、、、閻閻えん魔魔まののの廳廳ちょうにてにてにて御御ご沙沙さ汰汰たありありありしししががが、、、無無む間間けんののの無無むをををばばば書書かかかかれれれたれたれたれどもどもども、、、未未いまだだだ間間けんののの字字じをををばばば書書かかかかれれれぬぬぬなりなりなり。。。」」」とととぞぞぞ申申もうしししけるけるける。。。二二に位位い殿殿どの夢夢ゆめ覺覺さめめめててて後後のち、、、汗汗あせ水水みずににになりなりなりつゝつゝつつ、、、これこれこれををを人人ひとににに語語かたりりり給給たまへへえばばば、、、聞聞きくくく人人ひと皆皆みな身身みののの毛毛けよだちよだちよだちけりけりけり。。。靈靈れい佛佛ぶつ、、、靈靈れい社社しゃへへへ金金こん銀銀ごん七七しっ寶寶ぽうををを投投なげげげ、、、馬馬うま、、、鞍鞍くら、、、鎧鎧よろい、、、兜兜かぶと、、、弓弓ゆみ矢矢や、、、太太た刀刀ち、、、刀刀かたなににに至至いたるるるまでまでまで取取とりりり出出いででで、、、運運はこびびび出出いだしししててて祈祈いのりりり申申もうささされれれけれけれけれどもどもども、、、叶叶かなふふうべしべしべしとととももも見見みえええ給給たまははわずずず。。。たゞたゞただ男男なん女女にょののの公公きん達達だち、、、後後あと枕枕まくらにににさしさしさしつどひつどひつどいててて、、、歎歎なげききき悲悲かなしみしみしみ給給たまひひいけりけりけり。。。
- 4閏閏うるう二二に月月がつ二二ふつ日日かののの日日ひ、、、二二に位位い殿殿どの熱熱あつさささ堪堪たへへえがたけれがたけれがたけれどもどもども、、、入入にゅう道道どう相相しょう國國こくののの御御おん枕枕まくらににによつよつよっててて、、、「「「御御おんありさまありさまありさま見見み奉奉たてまつるるるににに、、、日日ひににに添添そへへえててて賴賴たのみみみ少少すくなうなうのうこそこそこそ見見みえええさせさせさせおはしませおはしませおわしませ。。。物物ものののの少少すこしししももも覺覺おぼえええさせさせさせ給給たまふふう時時とき、、、思思おぼし召召めすすすことことことあらあらあらばばば仰仰おおせせせ置置おかかかれれれよよよ。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。入入にゅう道道どう相相しょう國國こく、、、日日ひ頃頃ごろはははさしもさしもさしもゆゝしうゆゝしうゆゆしゅうおはせおはせおわせしかしかしかどもどもども、、、今今いまはははののの時時ときにににもももなりなりなりしかしかしかばばば、、、世世よにににももも苦苦くるしげしげしげにてにてにて、、、息息いきののの下下したにてにてにて宣宣のたまひひいけるけるけるははは、、、「「「當當とう家家けははは保保ほう元元げん、、、平平へい治治じよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、度度ど々々どののの朝朝ちょう敵敵てきををを平平たいらげらげらげ、、、勸勸けん賞賞じょう身身みにににあまりあまりあまり、、、忝忝かたじけなくくくももも一一いっ天天てんののの君君きみののの御御ご外外がい戚戚せきとととしてしてして、、、丞丞じょう相相しょうののの位位くらいににに至至いたりりり、、、榮榮えい花花が既既すでににに子子し孫孫そんににに殘殘のこすすす。。。今今こん生生じょうののの望望のぞみみみははは一一いち事事じももも思思おもひひい置置おくくく事事ことなしなしなし。。。たゞたゞただ思思おもひひい置置おくくく事事こととととてててははは、、、兵兵ひょう衞衞えののの佐佐すけ賴賴より朝朝ともががが首首こうべををを見見みざりざりざりつるつるつる事事ことこそこそこそ、、、何何なによりよりよりもももまたまたまた本本ほ意意いなけれなけれなけれ。。。われわれわれいかにいかにいかにもももなりなりなりなななんんん後後のち、、、佛佛ぶつ事事じ孝孝きょう養養ようをををもももすすすべからべからべからずずず、、、堂堂どう塔塔とうをををももも立立たつつつべからべからべからずずず。。。急急いそぎぎぎ討討うつ手手てををを下下くだししし、、、賴賴より朝朝ともががが首首くびををを刎刎はねねねてててわがわがわが墓墓はかののの前前まえににに懸懸かくくくべしべしべし。。。それそれそれぞぞぞ今今こん生生じょう後後ご生生しょうののの孝孝きょう養養ようにてにてにてあらあらあらんずるんずるんずるぞぞぞ。。。」」」とととのたまひのたまひのたまいけるけるけるこそこそこそ、、、いとゞいとゞいとど罪罪つみ深深ふこうううははは聞聞きこえええししし。。。
- 5もしもしもしややや助助たすかるかるかるととと、、、板板いたににに水水みずををを置置おきききててて伏伏ふしししまろびまろびまろび給給たまへへえどもどもども、、、助助たすかるかるかる心心ここちちちもももししし給給たまははわずずず。。。同同おなじきじきじき四四よつ日日かののの日日ひ悶悶もん絶絶ぜつ躃躃びゃく地地じしてしてして、、、遂遂ついにににあつちあつちあつち死死じにぞぞぞしししたまひたまひたまいけるけるける。。。馬馬うま車車くるまののの馳馳はせせせ違違ちがふふう音音おとははは天天てんももも響響ひびききき、、、大大だい地地ちもももゆるぐゆるぐゆるぐばかりばかりばかりなりなりなり。。。一一いっ天天てんののの君君きみ、、、萬萬ばん乘乘じょうののの主主あるじのののいかなるいかなるいかなる御御おん事事ことましますともましますともましますとも、、、これこれこれはははいかでいかでいかでかかかまさるまさるまさるべきべきべき。。。今今こ年年としははは六六ろく十十じゅう四四しにににぞぞぞならならなられれれけるけるける。。。老老おい死死じにととといふいふいうべきべきべきにににはははあらあらあらねねねどもどもども、、、宿宿しゅく運運うん忽忽たちまちちちににに盡盡つきききぬれぬれぬればばば、、、大大だい法法ほう祕祕ひ法法ほうののの效效こう驗驗げんもももなくなくなく、、、神神しん明明めい佛佛ぶつ陀陀だののの威威い光光こうももも消消きえええ、、、諸諸しょ天天てんももも擁擁おう護護ごししし給給たまははわずずず。。。況況いわんんんややや凡凡ぼん慮慮りょにににおいおいおいてててをををややや。。。身身みににに代代かわりりり命命いのちににに代代かわらららんんんととと、、、忠忠ちゅうををを存存ぞんぜぜぜししし數數す萬萬まんののの軍軍ぐん旅旅りょははは、、、堂堂どう上上じょう、、、堂堂どう下下げににになみなみなみゐゐいたれたれたれどもどもども、、、これこれこれははは目目めにににももも見見みえええずずず、、、力力ちからにににもももかゝはらかゝはらかかわらぬぬぬ無無む常常じょうののの刹刹せつ鬼鬼きをををばばば、、、暫暫ざん時時じももも戰戰たたかひひい返返かえさささずずず、、、又又また歸歸かえりりり來來こぬぬぬ死死し出出でののの山山やま、、、三三さん途途ず瀨瀨せ川川がわ、、、黃黃こう泉泉せん中中ちゅう有有うののの旅旅たびののの空空そらににに、、、たゞたゞただ一一いっ所所しょこそこそこそ赴赴おもむかかかれれれけれけれけれ。。。されどもされどもされども日日ひ頃頃ごろ作作つくりりり置置おかかかれれれししし罪罪ざい業業ごうばかりばかりばかりこそこそこそ、、、獄獄ごく卒卒そつとととなつなつなっててて迎迎むかへへえにににももも來來きたりりりけめけめけめ。。。あはれあはれあわれなりなりなりししし事事ことどもどもどもなりなりなり。。。
- 6さてさてさてしもしもしもあるあるあるべきべきべき事事ことならならならねねねばばば、、、同同おなじきじきじき七七なぬ日日かののの日日ひ、、、愛愛お宕宕たぎにてにてにて煙煙けぶりににになしなしなし奉奉たてまつりりり、、、骨骨こつをををばばば圓圓えん實實じつ法法ほう眼眼げん頸頸くびにににかけかけかけ、、、攝攝つ津津のののの國國くにへへへ下下くだりりり、、、經經きょうののの島島しまにににぞぞぞ納納おさめめめけるけるける。。。さしもさしもさしも日日にっ本本ぽん一一いっ州州しゅうににに名名なをををあげあげあげ、、、威威いをををふるひふるひふるいししし人人ひとなれなれなれどもどもども、、、身身みははは一一いっ時時ときののの煙煙けぶりとととなつなつなっててて、、、都都みやこののの空空そらへへへ立立たち上上のぼりりり、、、屍屍かばねはははしばししばししばしやすらひやすらひやすらいててて、、、濱濱はまののの眞眞ま砂砂さごににに戲戲たわぶれれれつゝつゝつつ、、、空空むなしきしきしき土土つちとととぞぞぞなりなりなり給給たまふふう。。。
現代語訳
同じ二十三日、院の殿上で急に公卿の評議があり、前右大将宗盛卿が申されるには、「今度坂東へ討手が向かったが、これといった手柄もない。今度は宗盛が大将軍を承って、東国・北国の凶徒を追討しよう」と申されたので、諸卿はへつらって、「宗盛卿のおっしゃることはまことに立派です」と申された。法皇もたいそうお喜びになった。公卿・殿上人も武官を兼ね、少しでも弓矢にかかわるほどの人々は、宗盛を大将軍として東国・北国の凶徒を追討せよと命じられた。
同じ二十七日に門出して、いよいよ出発しようとされた夜半ごろから、入道相国は気分がすぐれないといって出発を取りやめられた。翌二十八日、重病にかかられたと聞こえたので、京中も六波羅も大騒ぎになった。「それ見たことか」「やはりこうなった」とささやきあった。入道相国は病みつかれた日から、湯水も喉を通らず、体の熱いことは火をたいているようである。寝ておられる所から四、五間以内に入る者は、熱さに耐えられない。ただおっしゃることといえば、「熱い熱い」とばかりである。まったくただごととは見えない。あまりの堪えがたさに、比叡山から千手井の水を汲み下ろし、石の浴槽にたたえて、その中に入って冷やされると、水がおびただしく沸き上がって、まもなく湯になってしまった。もしやと筧の水を注ぎかけると、焼けた石や鉄に注いだように、水がはね返って寄りつかない。たまたま当たった水は炎となって燃えたので、黒煙が殿中に満ちて、炎が渦を巻いて上った。昔、法蔵僧都という人が閻魔王の庁に赴いて母の生まれ変わった所を尋ねたところ、閻魔王があわれんで、獄卒を添えて焦熱地獄へ遣わされた。鉄の門の中へ入って見ると、流れ星のように炎が空に吹き上がり、多百由旬に及んだというのも、これ以上ではあるまいと思われた。
また入道相国の北の方、八条の二位殿が夢にご覧になったことは恐ろしい。たとえば猛火がおびただしく燃えている車を、主もないまま門の中へ引き入れたのを見ると、車の前後に立っている者は、あるいは牛の顔のような者もあり、あるいは馬の顔のような者もある。車の前には「無」という文字だけが見える鉄の札が打ちつけてあった。二位殿が夢の中で「これはどこからどこへ行くのか」とお尋ねになると、「平家の太政入道殿の悪行が度を越したために、閻魔王宮からのお迎えの御車です」と申す。「それであの札は何か」とお尋ねになると、「南閻浮提の金銅十六丈の盧遮那仏を焼き滅ぼされた罪によって、無間地獄の底に沈めるべきだと閻魔の庁で決められましたが、無間の『無』は書かれたものの、まだ『間』の字は書かれていないのです」と申した。二位殿は夢から覚めた後、汗びっしょりになって、これを人に語られると、聞く人はみな身の毛がよだった。霊験あらたかな仏や神社へ金銀七宝を奉り、馬・鞍・鎧・兜・弓矢・太刀・刀に至るまで取り出し運び出して祈られたが、かなうとも見えない。ただ男女の公達が枕もとや足もとに集まって、嘆き悲しまれるばかりであった。
閏二月二日、二位殿は熱さに耐えがたかったが、入道相国の枕もとに寄って、「ご様子を拝見すると、日を追ってお頼みも少なく見えます。少しでも意識のあるうちに、お思いになることがあればおっしゃっておいてください」とおっしゃった。入道相国は、ふだんはあれほど威勢がよかったが、今は臨終のときになったので、ひどく苦しそうに、息の下からおっしゃるには、「わが家は保元・平治以来、たびたびの朝敵を平らげ、恩賞は身にあまり、おそれ多くも天皇の外戚として大臣の位に至り、栄華はすでに子孫に残した。この世の望みは一つとして思い残すことはない。ただ思い残すことといえば、兵衛佐頼朝の首を見なかったことが、何よりも残念である。わたしが死んだ後は、仏事供養もしてはならない。堂塔も建ててはならない。急いで討手を下し、頼朝の首をはねてわが墓の前に懸けよ。それこそが今生と後生の孝養となるのだ」とおっしゃったのは、いっそう罪深く聞こえた。
もしや助かるかと、板に水をかけてその上を転げ回られたが、助かる様子もない。同じ四日、悶え苦しんで地に倒れ、ついに熱さに悶え死にされた。馬や車の行き交う音は天にも響き、大地も揺れるほどである。天皇にどのようなことがあっても、これ以上の騒ぎにはなるまい。今年六十四歳になっておられた。老死というべき年ではないが、宿運がたちまち尽きたので、大法・秘法の効験もなく、神仏の威光も消え、諸天も守ってはくださらない。まして凡人の思慮では、どうにもならない。身代わりに命にかわろうと忠義を尽くす数万の軍兵が堂の上下に並んでいたが、目にも見えず、力でもかなわない無常の鬼を、少しも戦い返すことはできず、二度と帰って来られない死出の山、三途の川、黄泉・中有の旅の空へ、ただ一人で赴かれた。しかし日ごろ作っておかれた罪業ばかりが、獄卒となって迎えに来たのであろう。哀れなことである。
そのままにしておくわけにもいかないので、同じ七日、愛宕で火葬にし、骨は円実法眼が首にかけて摂津国へ下り、経の島に納めた。あれほど日本中に名をあげ、威勢をふるった人であったが、身は一時の煙となって都の空へ立ちのぼり、骨はしばらくとどまって、浜の砂に戯れながら、むなしい土となってしまわれた。
意訳
平清盛の最期を描く、『平家物語』の大きな山場の一つである。熱病に苦しむ清盛の体は、注ぐ水を炎に変えるほどに熱く、二位殿の夢には無間地獄へ迎える火の車が現れる。南都焼き討ちで大仏を焼いた罪の報いが、凄まじい描写で語られる。
死に臨んだ清盛は、仏事も供養もいらない、頼朝の首をわが墓の前に懸けよと言い残す。物語は、権勢をきわめた人も無常の鬼には勝てず、ただ一人で死出の旅に赴いたと述べ、浜の砂に戯れる骨のはかなさで結んでいる。
語釈・文法注
文法
- 「色代して」
- へつらって。追従して。
- 「すはしつるは」
- それ見たことか。予想していたことが起こったときの言葉。
- 「あた〳〵」
- 熱い熱い。「あたあた」は熱さを訴える声。
- 「あつち死」
- 熱さに悶えて死ぬこと。
- 「三途瀨川」
- 三途の川。底本は「三途瀨川」と刷る。
解説
平清盛は治承五年(1181)閏二月四日に没した。『玉葉』などは高熱を伴う病であったと伝える。物語が描く熱病の凄まじさは、南都焼き討ちの仏罰として誇張されたものである。遺言の「頼朝の首をわが墓の前に懸けよ」は、清盛の執念を伝える言葉として名高い。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、529–532頁(コマ293–295)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日