古典ライブラリー

平家物語 巻第五

伊豆院宣の事

伊豆の奈古屋に住まわされた文覚は、近くの蛭が小島の頼朝のもとへ通い、重盛亡き今、天下の将軍の相をもつのは頼朝だけだと挙兵を勧めた。ためらう頼朝に、文覚は父義朝の髑髏と称するものを見せて心を動かす。さらに文覚はひそかに福原へ上り、光能を通じて後白河法皇の院宣を賜り、八日目に頼朝に届けた。頼朝はこれを三度拝して開き、石橋山の合戦にも首にかけて臨んだ。

  1. 1其そ其そそののの後のち後のちのち文もん文もんもん覺がく覺がくがくをををばばば、、、當たう當たうとう國ごく國ごくごくののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん近こん近こんこん藤どう藤どうどう四し四しし郎らう郎らうろう國くに國くにくに隆たか隆たかたかににに仰おほ仰おほおおせせせててて、、、奈な奈なな古ご古ごご屋や屋ややががが奧おく奧おくおくにににぞぞぞ住すま住すますまははわせせせけるけるける。。。さるさるさる程ほど程ほどほどににに兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどのおはしおはしおわしけるけるける蛭ひる蛭ひるひるががが小こ小ここ島じま島じまじまももも程ほど程ほどほど近ちか近ちかちかししし、、、文もん文もんもん覺がく覺がくがく常つね常つねつねははは參まゐ參まゐまいりりり、、、御おん御おんおん物もの物ものもの語がたり語がたりがたりどもどもども申まう申まうもうしししけるけるけるとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。あるあるある時とき時ときとき文もん文もんもん覺がく覺がくがく、、、兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどのににに申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「平へい平へいへい家け家けけにににははは小こ小ここ松まつ松まつまつののの大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのこそこそこそ、、、心こころ心こころこころももも剛がう剛がうごうににに、、、謀はかりごと謀はかりごとはかりごともももすぐれすぐれすぐれててておはせおはせおわせしししががが、、、平へい平へいへい家け家けけののの運うん運うんうん命めい命めいめいののの末すゑ末すゑすえににになるなるなるやらやらやらんんん、、、去こ去ここ年ぞ年ぞぞののの八はち八はちはち月ぐわつ月ぐわつがつ薨こう薨こうこうぜぜぜられられられぬぬぬ。。。今いま今いまいまははは源げん源げんげん平ぺい平ぺいぺいののの中なか中なかなかににに、、、御ご御ごご邊へん邊へんへんほどほどほど天てん天てんてん下か下かかののの將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんののの相さう相さうそうもちもちもちたるたるたる人ひと人ひとひとはははなしなしなし。。。早はや早はやはやくくく謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんおこさおこさおこさせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、日に日にに本ほん本ほんほん國ごく國ごくごく從したが從したがしたがへへえ給たま給たまたまへへえ。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどの、、、「「「それそれそれ思おも思おもおもひひいもももよらよらよらずずず。。。われわれわれははは故こ故ここ池いけ池いけいけののの禪ぜん禪ぜんぜん尼に尼ににににに助たす助たすたすけけけられられられ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつったれたれたればばば、、、そのそのその恩おん恩おんおんををを報はう報はうほうぜぜぜんんんががが爲ため爲ためためににに、、、毎まい毎まいまい日にち日にちにち法ほ法ほほ華け華けけ經きやう經きやうきょう一いち一いちいち部ぶ部ぶぶ轉てん轉てんてん讀どく讀どくどくししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるよりよりより外ほか外ほかほかははは、、、またまたまた他た他たた事じ事じじなしなしなし。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。文もん文もんもん覺がく覺がくがくかさねかさねかさねててて、、、「「「天てん天てんてんののの與あた與あたあたふるふるうるををを取と取ととらららざれざれざればばば卻かへ卻かへかえつつってててそのそのその咎とが咎とがとがををを受う受ううくくく。。。時とき時ときとき至いた至いたいたりりりたるたるたるををを行おこな行おこなおこなははわざれざれざればばば、、、卻かへ卻かへかえつつってててそのそのその殃わざはひ殃わざはひわざわいををを受う受ううくくくととといふいふいう本ほん本ほんほん文もん文もんもんありありあり。。。かやうかやうかようににに申まう申まうもうせせせばばば、、、御ご御ごご邊へん邊へんへんののの御み御みみ心こころ心こころこころをををがながながな引ひ引ひひかかかんんんとてとてとて、、、申まう申まうもうすすすとととやややおぼしめさおぼしめさおぼしめされれれ候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん。。。そのそのその儀ぎ儀ぎぎでででははは候さふら候さふらそうらははわずずず。。。まづまづまず御ご御ごご邊へん邊へんへんののの爲ため爲ためためににに、、、志こころざし志こころざしこころざしののの深ふか深ふかふかいいいやうやうようををを見み見みみ給たま給たまたまへへえ。。。」」」とてとてとて、、、懷ふところ懷ふところふところよりよりより白しろ白しろしろいいい布ぬの布ぬのぬのにににててて包つゝ包つゝつつんんんだるだるだる髑どく髑どくどく髏ろ髏ろろををを一ひと一ひとひとつつつ取と取ととりりり出いだ出いだいだすすす。。。兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどの、、、「「「あれあれあれはははいかにいかにいかに。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「これこれこれこそこそこそ御ご御ごご邊へん邊へんへんののの父ちゝ父ちゝちち故こ故ここ左さ左ささ馬ま馬ままののの頭かう頭かうこうののの殿との殿とのとのののの首かうべ首かうべこうべよよよ。。。平へい平へいへい治ぢ治ぢじののの後のち後のちのちははは獄ごく獄ごくごく舍しや舍しやしゃののの前まへ前まへまえののの苔こけ苔こけこけののの下した下したしたににに埋うづも埋うづもうずもれれれててて、、、後ご後ごご世せ世せせ弔とぶら弔とぶらとぶらふふう人ひと人ひとひともももなかりなかりなかりしししををを、、、文もん文もんもん覺がく覺がくがく存ぞん存ぞんぞんずるずるずる旨むね旨むねむねあつあつあっててて、、、獄ごく獄ごくごく守もり守もりもりににに乞こ乞ここひひい、、、首くび首くびくびにににかけかけかけ、、、山やま山やまやま々やま々やまやま寺てら寺てらてら々でら々でらでら修しゆ修しゆしゅ業ぎやう業ぎやうぎょうしてしてして、、、このこのこの二に二にに十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ年ねん年ねんねんががが閒あひだ閒あひだあいだ弔とぶら弔とぶらとぶらひひい奉たてまつ奉たてまつたてまつつつったれたれたればばば、、、今いま今いまいまははは定さだ定さださだめめめててて一いち一いちいち劫ごふ劫ごふごうももも浮うか浮うかうかびびび給たま給たまたまひひいぬぬぬらんらんらん。。。さればさればされば故こ故ここ頭かう頭かうこうののの殿との殿とのとのののの御おん御おんおん爲ため爲ためためにににははは、、、さしもさしもさしも奉ほう奉ほうほう公こう公こうこうののの者もの者ものものにににててて候さふらふ候さふらふそうろうぞぞぞかしかしかし。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ一いち一いちいち定ぢやう定ぢやうじょうとととははは覺おぼ覺おぼおぼえええねねねどどど、、、父ちゝ父ちゝちちののの首くび首くびくびととと聞き聞ききくくく懷なつ懷なつなつかしさかしさかしさににに、、、まづまづまず涙なみだ涙なみだなみだをををぞぞぞ流なが流ながながささされれれけるけるける。。。
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  3. 3ひじりひじりひじり奈な奈なな古ご古ごご屋や屋ややににに歸かへ歸かへかえりりりててて、、、弟で弟でで子し子ししどもどもどもにににははは、、、人ひと人ひとひとににに忍しの忍しのしのうううででで伊い伊いい豆づ豆づずののの御み御みみ山やま山やまやまににに、、、七なぬ七なぬなぬ日か日かか參さん參さんさん籠ろう籠ろうろうののの志こころざし志こころざしこころざしありありありとてとてとて出い出いいでででにににけりけりけり。。。げにげにげにももも三みつ三みつみつ日か日かかととといふいふいうにににははは、、、福ふく福ふくふく原はら原はらはらののの新しん新しんしん都と都ととににに上のぼ上のぼのぼりりり著つ著つついいいててて、、、前さき前さきさきののの右う右うう兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの督かみ督かみかみ光みつ光みつみつ能よし能よしよしののの卿きやう卿きやうきょうのののもともともとににに、、、いさゝかいさゝかいささか緣ゆかり緣ゆかりゆかりありありありけれけれければばば、、、それそれそれににに尋たづ尋たづたずねねね行ゆ行ゆゆきききててて、、、「「「伊い伊いい豆づ豆づずののの國くに國くにくにののの流る流るる人にん人にんにん前さき前さきさきののの右う右うう兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ賴より賴よりより朝とも朝ともとも、、、敕ちよく敕ちよくちょく勘かん勘かんかんををを赦ゆる赦ゆるゆるささされれれててて、、、院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜんをををだにだにだに蒙かうぶ蒙かうぶこうぶりりり候さふら候さふらそうらははわばばば、、、八はつ八はつはっ箇か箇かか國こく國こくこくののの家け家けけ人にん人にんにん共ども共どもども催もよほ催もよほもよおししし集あつ集あつあつめめめててて、、、平へい平へいへい家け家けけををを亡ほろ亡ほろほろぼしぼしぼし、、、天てん天てんてん下か下かかををを鎭しづ鎭しづしずめめめんんんとととこそこそこそ申まう申まうもうししし候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」光みつ光みつみつ能よし能よしよしののの卿きやう卿きやうきょう、、、「「「いさとよいさとよいさとよ、、、わがわがわが身み身みみももも當たう當たうとう時じ時じじははは三さん三さんさん官くわん官くわんかんともともともににに停とゞ停とゞとどめめめられられられててて、、、心こころ心こころこころ苦ぐる苦ぐるぐるしきしきしき折をり折をりおりふしふしふしなりなりなり。。。法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうもももおしおしおしこめこめこめられられられてててわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまへへえばばば、、、いかゞいかゞいかがあらあらあらんんんずずずらんらんらん。。。さりながらさりながらさりながらももも伺うかゞ伺うかゞうかごうううてててこそこそこそ見み見みみめめめ。。。」」」とてとてとて、、、このこのこの由よし由よしよしひそかひそかひそかににに奏そう奏そうそう聞もん聞もんもんせせせられられられたりたりたりけれけれければばば、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう大おほ大おほおおきききににに御ぎよ御ぎよぎょ感かん感かんかんあつあつあっててて、、、やがてやがてやがて院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜんをををぞぞぞ下くだ下くだくだささされれれけるけるける。。。文もん文もんもん覺がく覺がくがく喜よろこ喜よろこよろこんんんででで頸くび頸くびくびににに掛か掛かかけけけ、、、又また又またまた三みつ三みつみつ日か日かかととといふいふいうにににははは、、、伊い伊いい豆づ豆づずののの國くに國くにくにへへへ下くだ下くだくだりりり著つ著つつくくく。。。兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどの、、、聖ひじり聖ひじりひじりののの御ご御ごご坊ばう坊ばうぼうのののなまじひなまじひなまじいなるなるなる事こと事ことこと申まう申まうもうししし出いだ出いだいだしししててて、、、賴より賴よりより朝とも朝ともともまたまたまたいかなるいかなるいかなる憂う憂ううききき目め目めめにににあはあはあわんんんずずずらんらんらんととと、、、思おも思おもおもははわじじじ事こと事ことことなうなうのう案あん案あんあんじじじつゞけつゞけつづけててておはしおはしおわしけるけるける、、、八やう八やうよう日か日かかととといふいふいう午うま午うまうまののの刻こく刻こくこくににに下くだ下くだくだりりり著つ著つついいいててて、、、「「「すはすはすわ院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜんよよよ。。。」」」とてとてとて奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。
  4. 4兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどの院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜんととと聞き聞ききくくく忝かたじけな忝かたじけなかたじけなさささににに、、、新あたら新あたらあたらしきしきしき烏え烏ええ帽ぼ帽ぼぼ子し子しし、、、淨じやう淨じやうじょう衣え衣ええををを著き著きき、、、手てう手てうちょう水づ水づずうがひうがひうがいしてしてして、、、院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜんををを三さん三さんさん度ど度どど拜はい拜はいはいしししててて開ひら開ひらひらかかかれれれけりけりけり。。。「「「しきりしきりしきりののの年とし年としとしよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、平へい平へいへい氏じ氏じじ王わう王わうおう化くわ化くわかををを蔑べつ蔑べつべつ如じよ如じよじょししし、、、政せい政せいせい道だう道だうどうににに憚はゞか憚はゞかはばかるるる事こと事ことことなしなしなし。。。佛ぶつ佛ぶつぶつ法ぽふ法ぽふぽうををを破は破はは滅めつ滅めつめつししし、、、王わう王わうおう法ぼふ法ぼふぼうををを亂みだ亂みだみだらららんんんととと欲ほつ欲ほつほっすすす。。。それそれそれわがわがわが國くに國くにくにははは神しん神しんしん國こく國こくこくなりなりなり。。。宗そう宗そうそう廟べう廟べうびょう相あひ相あひあい竝なら竝ならならんんんででで、、、神しん神しんしん德とく德とくとくこれこれこれ新あらた新あらたあらたなりなりなり。。。故ゆゑ故ゆゑゆえににに朝てう朝てうちょう廷てい廷ていてい開かい開かいかい基き基ききののの後のち後のちのち數すう數すうすう千せん千せんせん餘よ餘よよ歳さい歳さいさいののの閒あひだ閒あひだあいだ、、、帝てい帝ていてい位ゐ位ゐいををを傾かたぶ傾かたぶかたぶけけけ、、、國こく國こくこく家か家かかをををあやぶめあやぶめあやぶめんんんととと欲ほつ欲ほつほっするするするものものもの、、、みなみなみな以もつ以もつもっててて敗はい敗はいはい北ぼく北ぼくぼくせせせずずずととといふいふいうことことことなしなしなし。。。然しか然しかしかれれればばばすなはちすなはちすなわち、、、かつかつかつははは神しん神しんしん道だう道だうどうののの冥めい冥めいめい助じよ助じよじょにににまかせまかせまかせ、、、かつかつかつははは敕ちよく敕ちよくちょく宣せん宣せんせんののの旨しい旨しいしい趣しゆ趣しゆしゅををを守まも守まもまもつつっててて、、、早はや早はやはやくくく平へい平へいへい氏じ氏じじののの一いち一いちいち類るゐ類るゐるいををを亡ほろ亡ほろほろぼしぼしぼしててて、、、朝てう朝てうちょう家け家けけののの怨をん怨をんおん敵てき敵てきてきををを退しりぞ退しりぞしりぞけけけよよよ。。。譜ふ譜ふふ代だい代だいだい相さう相さうそう傳でん傳でんでんののの兵ひやう兵ひやうひょう畧りやく畧りやくりやくををを繼つ繼つつぎぎぎ、、、累るゐ累るゐるい祖そ祖そそ奉ほう奉ほうほう公こう公こうこうののの忠ちゆう忠ちゆうちゅう勤きん勤きんきんををを抽ぬき抽ぬきぬきんんんでででててて、、、身み身みみををを立た立たたててて家いへ家いへいえををを興おこ興おこおこすすすべしべしべし。。。ててていれいれいればばば院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜんかくかくかくののの如ごと如ごとごとくくく、、、依よ依よよつつっててて執しつ執しつしっ達たつ達たつたつ件くだん件くだんくだんののの如ごと如ごとごとししし。。。治ぢ治ぢじ承しよう承しようしょう四し四しし年ねん年ねんねん七しち七しちしち月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう四よつ四よつよっ日か日かか、、、前さき前さきさきののの右う右うう兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの督かみ督かみかみ光みつ光みつみつ能よし能よしよし承うけたまは承うけたまはうけたまわつつっててて謹きん謹きんきん上じやう上じやうじょう、、、前さき前さきさきののの右う右うう兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどのへへへ。。。」」」とととぞぞぞ書か書かかかかかれれれたるたるたる。。。このこのこの院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜんをををばばば錦にしき錦にしきにしきののの袋ふくろ袋ふくろふくろににに入い入いいれれれててて、、、石いし石いしいし橋ばし橋ばしばし山やま山やまやまののの合かつ合かつかっ戰せん戰せんせんののの時とき時ときときももも、、、兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどの頸くび頸くびくびにににかけかけかけられられられけるけるけるとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

その後文覚は、伊豆国の住人近藤四郎国隆に命じて、奈古屋の奥に住まわされた。ところで兵衛佐殿(頼朝)がおられる蛭が小島も近いので、文覚はいつも参ってお話などを申し上げていたと聞こえた。あるとき文覚が兵衛佐殿に申すには、「平家では小松の大臣殿(重盛)こそ、心も剛く謀もすぐれておられたが、平家の運命が末になるのであろうか、去年の八月に亡くなられた。今は源平の中で、あなたほど天下の将軍の相を持った人はいない。早く謀叛を起こされて日本国を従えなさい」と言ったので、兵衛佐殿は「それは思いもよらない。私は故池の禅尼に助けていただいたので、その恩に報いるために、毎日法華経一部を読誦申すほかには、ほかのことはない」とおっしゃった。文覚は重ねて、「天が与えるものを取らなければ、かえってその咎めを受ける。時が来たのに行わなければ、かえってその災いを受けるという古い言葉がある。このように申すと、あなたのお心をなんとか引き出そうとして申していると思われるでしょうか。そうではございません。まずあなたのための私の志の深さをご覧なさい」といって、懐から白い布に包んだ髑髏を一つ取り出した。兵衛佐殿が「それは何か」とおっしゃると、「これこそあなたの父、故左馬頭殿の首だ。平治の乱の後、獄舎の前の苔の下に埋もれて、後世を弔う人もなかったのを、文覚は思うところがあって獄守に乞い受け、首にかけて山々寺々を修行して、この二十余年の間弔い申したので、今はきっと一劫の苦しみからも浮かばれておられるだろう。だから故頭殿のためには、たいそうな奉公をした者なのだ」と申されたので、兵衛佐は確かだとは思わなかったが、父の首と聞く懐かしさに、まず涙を流された。

しばらくして兵衛佐殿は涙を抑えておっしゃるには、「そもそも頼朝は勅勘を許されないで、どうして謀叛を起こせようか」とおっしゃると、「それはたやすいことだ。すぐに上って、申し許してさしあげよう」。兵衛佐殿はあざ笑って、「ご自分も勅勘の身でありながら、人のことを申し上げようとおっしゃる、聖の御坊の思いつきはまったく当てにならない」とおっしゃると、文覚はひどく怒って、「わが身の咎を許してくれと申すのなら間違いだろうが、そなたのことを申すのに、どうして間違いがあろう。ここから今の都の福原の新都に上るのに三日もかかるまい。院宣を伺うのに一日の逗留があるだろう。合わせて七日か八日を過ぎることはあるまい」といって、飛び出して行った。

聖は奈古屋に帰って、弟子たちには、人に知られずに伊豆の御山に七日参籠するつもりだといって出かけた。言ったとおり三日目には福原の新都に上り着いて、前右兵衛督光能卿のもとに少し縁故があったので、そこを訪ねて行き、「伊豆国の流人前右兵衛佐頼朝は、勅勘を許されて院宣さえいただけるなら、八か国の家人を集めて平家を滅ぼし、天下を鎮めようと申しております」と言った。光能卿は「さあ、それは。私も今は三つの官をみな止められて心苦しい折である。法皇も押し込められておいでなので、どうなることか。それでも伺ってみよう」といって、このことをひそかに奏上されたので、法皇はたいそうお喜びになって、すぐに院宣を下された。文覚は喜んで首にかけ、また三日目には伊豆国に下り着いた。兵衛佐殿は、聖の御坊が中途半端なことを言い出して、頼朝はまたどんなつらい目に遭うことになるのかと、あれこれ思い悩んでおられたところへ、八日目の午の刻に文覚が下り着いて、「さあ、院宣だ」といって差し上げた。

兵衛佐殿は院宣と聞くありがたさに、新しい烏帽子と浄衣を着て、手を洗いうがいをして、院宣を三度拝してから開かれた。「近年来、平氏は天子の徳化をないがしろにし、政道をはばかることがない。仏法を破り、王法を乱そうとしている。そもそもわが国は神国である。宗廟が並び立ち、神徳はあらたかである。それゆえ朝廷が開かれてから数千余年の間、帝位を傾け国家を危うくしようとした者は、みな敗北しなかった者はない。そこで、一つには神道の冥助に任せ、一つには勅宣の趣旨を守って、早く平氏の一族を滅ぼして朝廷の怨敵を退けよ。代々伝わる兵法を継ぎ、先祖代々の奉公の忠勤を抜きんでて、身を立て家を興せ。院宣はこのとおりである。よって伝達は件のとおり。治承四年七月十四日、前右兵衛督光能が承って謹んで上る。前右兵衛佐殿へ」と書かれていた。この院宣を錦の袋に入れて、石橋山の合戦のときも、兵衛佐殿は首にかけておられたと聞こえた。

意訳

文覚が頼朝に挙兵を勧め、後白河法皇の院宣を得るまでを描く章段である。ためらう頼朝に、文覚は父義朝の髑髏と称するものを見せる。頼朝は「一定とは覺えねど」と半信半疑ながら、父を思って涙を流す。文覚の強引さと、頼朝の慎重さが対照的に描かれている。

文覚はわずか八日で福原から院宣を持ち帰り、頼朝はこれを三度拝して開く。院宣は平家を朝敵とし、源氏の挙兵に大義名分を与えるものであった。物語は、頼朝が石橋山の合戦にもこの院宣を首にかけて臨んだと伝えて結んでいる。

語釈・文法注

文法

「御心をがな引かん」
お心をなんとか引き出そう。「がな」は願望を表す。
「ゆりずして」
許されないで。「ゆる」の未然形に打消の「ず」が付いた形。
「あてがひ樣」
考えつき、計画。
「一劫」
非常に長い時間。
「蔑如」
ないがしろにすること。

解説

頼朝が挙兵の根拠としたのは以仁王の令旨であり、文覚が後白河法皇の院宣を届けたという話は『平家物語』独自のもので、史実とは考えられていない。ただし文覚がのちに頼朝の信任を得て、神護寺や東寺の復興に尽力したことは事実である。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、492–495頁(コマ275–276)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日