平家物語 巻第五
勧進帳の事
文覚は高雄の山奥で修行していたが、荒れ果てた神護寺を再興しようと大願を起こし、勧進帳を持って寄進を募り歩いた。ある日、後白河法皇の御所法住寺殿を訪ねたが、御遊の最中で取り次がれなかったので、中庭に押し入り、大声で勧進帳を読み上げた。
- 1そのそのその後後のち文文もん覺覺がくははは、、、高高たか雄雄おととといふいふいう山山やま奧奧おくににに行行おこなひひいすましすましすましてててぞぞぞ居居いたりたりたりけるけるける。。。かのかのかの高高たか雄雄おににに神神じん護護ご寺寺じととといふいふいう山山やま寺寺でらありありあり。。。これこれこれははは昔昔むかし稱稱しょう德德とく天天てん皇皇のうののの御御おん時時とき、、、和和わ氣氣けののの清清きよ麿麿まろががが建建たてててたりたりたりししし伽伽が藍藍らんなりなりなり。。。久久ひさしくしくしく修修しゅ造造ぞうなかりなかりなかりしかしかしかばばば、、、春春はるははは霞霞かすみににに立立たち籠籠こめめめててて、、、秋秋あきははは霧霧きりににに交交まじはりはりわり、、、扉扉とびらははは風風かぜににに倒倒たおれれれててて、、、落落おち葉葉ばののの下下したににに朽朽くちちち、、、甍甍いらかははは雨雨う露露ろににに侵侵おかささされれれててて、、、佛佛ぶつ壇壇だん更更さらにににあらはあらはあらわなりなりなり。。。住住じゅう持持じののの僧僧そうもももなけれなけれなければばば、、、稀稀まれにににさしさしさし入入いるるるものものものとてとてとてははは、、、たゞたゞただ日日じつ月月げつののの光光ひかり許許ばかりりりなりなりなり。。。文文もん覺覺がくいかにいかにいかにもももしてしてして、、、このこのこの寺寺てらををを修修しゅ造造ぞうせせせんんんととと思思おもふふう大大だい願願がん起起おこししし、、、勸勸かん進進じん帳帳ちょうををを捧捧ささげげげててて、、、十十じっ方方ぽう檀檀だん那那なをををすゝめすゝめすすめありくありくありく程程ほどににに、、、あるあるある時時とき、、、院院いんののの御御ご所所しょ法法ほう住住じゅう寺寺じ殿殿どのへへへぞぞぞ參參まいじじじたるたるたる。。。御御ご奉奉ほう加加があるあるあるべきべきべき由由よしををを奏奏そう聞聞もんすすす。。。御御ぎょ遊遊ゆうののの折折おりふしふしふしにににててて、、、聞聞きこし召召めしししももも入入いれれれざりざりざりけれけれければばば、、、文文もん覺覺がくはははもとよりもとよりもとより不不ふ敵敵てき第第だい一一いちののの荒荒あら聖聖ひじりででではははありありあり、、、御御ご前前ぜんのののことことことなきなきなきやうやうようをををばばば知知しらららずずずしてしてして、、、たゞたゞただ人人ひとののの申申もうししし入入いれれれぬぬぬぞぞぞととと心心こころ得得えててて、、、是是ぜ非非ひなくなくなく御御お坪坪つぼののの中中なかへへへ破破やぶりりり入入いりりり、、、大大だい音音おん聲聲じょうをををあげあげあげててて、、、「「「大大だい慈慈じ大大だい悲悲ひののの君君きみにににてててましますましますまします。。。これこれこれ程程ほどののの事事こと、、、などなどなどかかか聞聞きこし召召めししし入入いれれれざるざるざるべきべきべき。。。」」」とてとてとて、、、勸勸かん進進じん帳帳ちょうををを引引ひきききひろげひろげひろげててて、、、高高たからからからかにににこそこそこそ讀讀ようううだりだりだりけれけれけれ。。。
- 2「「「沙沙しゃ彌彌み文文もん覺覺がく敬敬うやまひひいててて白白もうすすす。。。殊殊ことにににははは貴貴き賤賤せん道道どう俗俗ぞくののの助助じょ成成じょうををを蒙蒙こうぶつつっててて、、、高高たか雄雄お山山さんののの靈靈れい地地ちににに一一いち院院いんををを建建こん立立りゅうししし、、、二二に世世せ安安あん樂樂らくののの大大だい利利りををを勸勸ごん行行ぎょうせせせんんんととと乞乞こふふう勸勸かん進進じんののの狀狀じょう。。。それそれそれ惟惟おもんみみみれれればばば、、、眞眞しん如如にょ廣廣こう大大だいなりなりなり。。。生生じょう佛佛ぶつののの假假け名名みょうををを立立たつつつととといへいへいえどもどもども、、、法法ほっ性性しょう隨隨ずい妄妄もうののの雲雲くも厚厚あつくくく覆覆おおつつっててて、、、十十じゅう二二に因因いん緣緣えんののの峯峯みねにににたなびきたなびきたなびきしししよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、本本ほん有有う心心しん蓮蓮れんののの月月つきののの光光ひかり幽幽かすかかかにににしてしてして、、、未未いまだだだ三三さん毒毒どく四四し慢慢まんののの大大たい虛虛こにににあらはれあらはれあらわれずずず。。。悲悲かなしいしいしいかなかなかな佛佛ぶつ日日にちはやくはやくはやく沒沒もつしししててて、、、生生しょう死死じ流流る轉轉てんののの衢衢ちまた冥冥みょう々々みょうたりたりたり。。。只只ただ色色いろににに耽耽ふけりりり酒酒さけににに耽耽ふけるるる。。。誰誰たれかかか狂狂きょう象象ぞう跳跳ちょう猿猿えんののの迷迷まよひひいををを謝謝しやせせせんんん。。。徒徒いたずらららににに人人ひとををを謗謗ほうししし法法ほうををを謗謗ほうすすす。。。これこれこれ豈豈あに閻閻えん羅羅ら獄獄ごく卒卒そつののの責責せめめめををを免免まぬかれれれんんんややや。。。こゝこゝここににに文文もん覺覺がく、、、たま〳〵たま〳〵たまたま俗俗ぞく塵塵じんををを打打うち拂拂はらつつっててて法法ほうををを飾飾かざるるるととといへいへいえどもどもども、、、惡惡あく行行ぎょうなほなほなお心心こころににに逞逞たくましうしうしゅうしてしてして、、、日日にち夜夜やにににつくりつくりつくり、、、善善ぜん苗苗びょうまたまたまた耳耳みみににに逆逆さかつつっててて、、、朝朝ちょう暮暮ぼにににすたるすたるすたる。。。いたましきいたましきいたましきかなかなかな、、、ふたゝびふたゝびふたたび三三さん途途ずののの火火か坑坑きょうににに歸歸かえつつっててて、、、永永ながくくく四四し生生しょうののの苦苦く輪輪りんををを廻廻めぐらららんんん事事ことををを。。。このこのこの故故ゆえににに牟牟む尼尼にののの憲憲けん章章しょう千千せん萬萬まん軸軸じく、、、軸軸じく々々じくににに佛佛ぶつ種種しゅののの因因いんをををあかしあかしあかし、、、隨隨ずい緣緣えん至至し誠誠じょうののの法法ほう、、、一一ひとつつつとととしてしてして菩菩ぼ提提だいののの彼彼ひ岸岸がんににに至至いたらららずずずととといふいふいう事事ことなしなしなし。。。故故ゆえににに文文もん覺覺がく、、、無無む常常じょうののの觀觀かん門門もんににに涙涙なみだををを落落おとししし、、、上上じょう下下げののの眞眞しん俗俗ぞくををを勸勸すすめめめててて、、、上上じょう品品ぼん蓮蓮れん臺臺だいににに緣緣えんををを結結むすびびび、、、等等とう妙妙みょう覺覺がく王王おうののの靈靈れい場場じょうををを建建たてててんんんとととなりなりなり。。。それそれそれ高高たか雄雄おははは山山やま堆堆うずたこうううしてしてして鷲鷲じゅ峯峯ぶ山山せんののの梢梢こずえををを表表ひょうししし、、、谷谷たに閑閑しずかにににしてしてして商商しょう山山ざん洞洞どうののの苔苔こけををを敷敷しけけけりりり。。。岩岩がん泉泉せん咽咽むせんんんででで布布ぬのををを引引ひききき、、、嶺嶺れい猿猿えん叫叫さけびびびててて枝枝えだににに遊遊あそぶぶぶ。。。人人ひと里里ざと遠遠とおくくくしてしてして囂囂きょう塵塵じんなくなくなく、、、師師し跡跡せきことことことなうなうのうしてしてして信信しん心心じんのみのみのみありありあり。。。地地ち形形ぎょうすぐれすぐれすぐれたりたりたり、、、最最もっとももも佛佛ぶつ天天てんををを崇崇あがむむむべしべしべし。。。奉奉ほう加加が少少すこしきしきしきなりなりなり、、、誰誰たれかかか助助じょ成成じょうせせせざらざらざらんんん。。。ほのかほのかほのかににに聞聞きくくく聚聚しゅ砂砂しゃ爲爲い佛佛ぶつ塔塔とうののの功功く德德どく、、、忽忽たちまちちちににに佛佛ぶつ因因いんををを感感かんずずず。。。況況いわんんんややや一一いっ紙紙し半半はん錢錢せんののの寶寶ほう財財ざいにににおいおいおいてててをををややや。。。願願ねがはくはくわくははは建建こん立立りゅう成成じょう就就じゅしてしてして、、、禁禁きん闕闕けつ鳳鳳ほう曆曆れき、、、御御ご願願がん圓圓えん滿滿まん、、、乃乃ない至至し都都と鄙鄙ひ遠遠おん近近きん、、、里里り民民みん緇緇し素素そ、、、堯堯ぎょう舜舜しゅん無無ぶ爲爲いののの化化かををを歌歌うたひひい、、、椿椿ちん葉葉よう再再さい會會かいののの笑笑えみみみををを披披ひらかかかんんん。。。殊殊ことにににはははまたまたまた聖聖しょう靈靈りょう幽幽ゆう儀儀ぎ、、、前前ぜん後後ご大大だい小小しょう、、、速速すみやかかかににに一一いち佛佛ぶつ眞眞しん門門もんののの臺臺うてなににに至至いたりりり、、、必必かならずずず三三さん身身じん萬萬まん德德とくののの月月つきををを翫翫もてあそばばばんんん。。。依依よつつっててて勸勸かん進進じん修修しゅ行行ぎょうののの趣趣おもむき、、、蓋蓋けだししし以以もってててかくかくかくののの如如ごとししし。。。治治じ承承しょう三三さん年年ねん三三さん月月がつ日日にち。。。文文もん覺覺がく。。。」」」とととこそこそこそ讀讀よみみみ上上あげげげたれたれたれ。。。
現代語訳
その後文覚は、高雄という山奥で修行に打ち込んでいた。その高雄に神護寺という山寺があった。これは昔、称徳天皇の御代に和気清麻呂が建てた伽藍である。長く修造されなかったので、春は霞に立ちこめられ、秋は霧にまぎれ、扉は風に倒れて落ち葉の下に朽ち、甍は雨露に侵されて、仏壇はすっかり露わになっていた。住持の僧もいないので、たまに差し込むものといえば、ただ日や月の光ばかりである。文覚は何とかしてこの寺を修造したいという大願を起こし、勧進帳を捧げて、あちこちの檀那に寄進を勧めて歩いていたが、あるとき、院の御所法住寺殿に参った。ご寄進いただきたい旨を申し上げた。ちょうど管弦の御遊の最中で、お聞き入れにならなかったので、文覚はもとより向こう見ずの荒法師であったから、御前で取り込み中であることも知らずに、ただ取り次ぎの者が申し入れないのだと思い込んで、無理やり中庭に押し入り、大声をあげて、「大慈大悲の君でいらっしゃる。これほどのことを、どうしてお聞き入れにならないことがあろう」といって、勧進帳を広げて高らかに読み上げた。
「沙弥文覚、謹んで申し上げる。とりわけ貴賤道俗の助力を受けて、高雄山の霊地に一院を建立し、現世と来世の安楽という大きな利益を勧め行おうと願う勧進の状。そもそも思えば、真如の理は広大である。衆生と仏の仮の名を立てるが、法性が妄念に従う雲が厚く覆って、十二因縁の峰にたなびいてからこのかた、本来の心の蓮の月の光はかすかで、まだ三毒四慢の大空に現れない。悲しいことに仏日は早く沈んで、生死流転の巷は暗い。人はただ色に耽り酒に耽る。誰が狂った象や跳ねる猿のような迷いを捨てられようか。いたずらに人をそしり法をそしる。これでどうして閻魔の獄卒の責めを免れようか。ここに文覚は、たまたま俗塵を払って仏法の道に入ったが、悪行はなお心にはびこって昼夜に作り、善の芽はまた耳に逆らって朝夕に廃れる。いたましいことに、再び三途の火の穴に帰って、長く四生の苦しみの輪を巡るであろう。それゆえ釈迦の教え千万巻は、一巻一巻に仏となる因を明らかにし、縁に従う至誠の法は、一つとして悟りの彼岸に至らないものはない。それゆえ文覚は、無常を観じて涙を落とし、上下の僧俗に勧めて、極楽の上品の蓮台に縁を結び、等覚・妙覚の仏の霊場を建てようとするのである。そもそも高雄は山が高く、霊鷲山の梢を思わせ、谷は静かで商山の洞の苔を敷いたようである。岩間の泉は咽ぶように布を引き、峰の猿は叫んで枝に遊ぶ。人里遠くて俗塵はなく、師の跡は格別でただ信心のみがある。地形はすぐれている。最も仏を崇めるべき所である。寄進が少しでもあれば、誰が助けないことがあろう。かすかに聞く、砂を集めて仏塔を作る功徳でさえ、たちまち仏となる因となるという。まして紙一枚、銭半分の財宝ならなおさらである。願わくは建立が成就して、宮中は長く栄え、ご願は円満に、さらには都鄙遠近、里の民や僧俗が、堯舜の無為の治世を歌い、長寿を祝う笑みを交わさんことを。とりわけまた亡き人々の霊が、先に逝った者も後の者も大小を問わず、速やかに仏の真の門の台に至り、必ず三身万徳の月を楽しまんことを。よって勧進修行の趣旨は、おおよそこのとおりである。治承三年三月某日。文覚」と読み上げた。
意訳
文覚が神護寺再興のために書いた勧進帳を、法皇の御所で読み上げる章段である。荒れ果てた神護寺の描写は、文覚の大願の切実さを伝えている。御遊の最中にもかまわず中庭に押し入る姿は、型破りな荒聖文覚の面目躍如である。
勧進帳は、仏教の教理を説いて人の迷いを嘆き、神護寺の地のすぐれたことを述べて寄進を求める、漢文訓読調の格調高い文章である。のちの歌舞伎「勧進帳」は、この文覚の勧進帳の場面を下敷きに、弁慶が白紙の勧進帳を読み上げる話として作られた。
語釈・文法注
文法
- 「勸進帳」
- 寺社の建立や修理の費用を集めるため、その趣旨を記して寄進を勧める文書。
- 「御奉加」
- 寄進。
- 「讀うだり」
- 「読みたり」の音便。
- 「聚砂爲佛塔」
- 子どもが戯れに砂を集めて仏塔を作っても仏道を成就する、という『法華経』方便品の句。
- 「椿葉再會」
- 長寿を祝う言葉。大椿は八千年を春とし八千年を秋とするという『荘子』の故事による。
解説
神護寺は京都高雄にある真言宗の寺で、和気清麻呂が建立し、空海も住した。平安時代末には荒廃していたが、文覚の尽力によって後白河法皇・源頼朝の援助を得て再興された。文覚が寄進を求めた「文覚四十五箇条起請文」が神護寺に伝わる。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、486–488頁(コマ272–273)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日