古典ライブラリー

平家物語 巻第五

文覚の荒行の事

頼朝が挙兵したのは高雄の文覚上人の勧めによる。文覚はもと遠藤盛遠という武士で、十九歳で出家し、修行の苦しさを試そうと真夏の藪に七日裸で伏した。真冬の那智の滝に打たれて死にかけるが、不動明王の使いの二童子に救われ、三七日の行を遂げた。さらに那智千日籠りをはじめ、日本中の霊山を巡って修行し、飛ぶ鳥も祈り落とすほどの験者となった。

  1. 1然しか然しかしかるるるにににかのかのかの賴より賴よりより朝とも朝ともともははは去さ去ささんんんぬるぬるぬる平へい平へいへい治ぢ治ぢじ元ぐわん元ぐわんがん年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう二に二にに月ぐわつ月ぐわつがつ、、、父ちゝ父ちゝちち左さ左ささ馬ま馬ままののの頭かみ頭かみかみ義よし義よしよし朝とも朝ともともががが謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんににに依よ依よよつつっててて、、、既すで既すですでににに誅ちゆう誅ちゆうちゅうせせせらるらるらるべかりべかりべかりしししををを、、、故こ故ここ池いけ池いけいけののの禪ぜん禪ぜんぜん尼に尼ににのののあながちあながちあながちににに歎なげ歎なげなげきききのたまふのたまふのたまうににに依よ依よよつつっててて、、、生しやう生しやうしょう年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう四し四しし歳さい歳さいさいととと申まう申まうもうししし、、、永えい永えいえい曆りやく曆りやくりゃく元ぐわん元ぐわんがん年ねん年ねんねん三さん三さんさん月ぐわつ月ぐわつがつ二は二はは十つ十つつ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、伊い伊いい豆づ豆づずののの國くに國くにくに北ほう北ほうほう條でう條でうじょう蛭ひる蛭ひるひるががが小こ小ここ島じま島じまじまへへへ流なが流ながながささされれれててて、、、二に二にに十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ年ねん年ねんねんののの春しゆん春しゆんしゅん秋じう秋じうじゅうををを送おく送おくおくりりりむかふむかふむかう。。。年とし年としとし比ごろ比ごろごろもももあれあれあればばばこそこそこそありありありけめけめけめ、、、今こ今ここ年とし年としとしいかなるいかなるいかなる心こころ心こころこころにににててて謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんをををばばば起おこ起おこおこささされれれけるけるけるぞぞぞととといふいふいうににに、、、高たか高たかたか雄を雄をおののの文もん文もんもん覺がく覺がくがく上しやう上しやうしょう人にん人にんにんののの勸すゝ勸すゝすすめめめ申まう申まうもうささされれれけるけるけるににに依よ依よよつつってててなりなりなり。。。
  2. 2そも〳〵そも〳〵そもそもこのこのこの文もん文もんもん覺がく覺がくがくととと申まう申まうもうすすすははは、、、渡わた渡わたわた邊なべ邊なべなべののの遠ゑん遠ゑんえん藤どう藤どうどう左さ左ささ近こん近こんこんののの將しやう將しやうしょう監げん監げんげん茂もち茂もちもち遠とほ遠とほとおががが子こ子ここににに遠ゑん遠ゑんえん藤どう藤どうどう武む武むむ者しや者しやしゃ盛もり盛もりもり遠とほ遠とほとおとてとてとて、、、上じやう上じやうじょう西さい西さいさい門もん門もんもん院ゐん院ゐんいんののの衆しゆ衆しゆしゅなりなりなり。。。然しか然しかしかるるるををを十じふ十じふじゅう九く九くくののの年とし年としとし道だう道だうどう心しん心しんしん起おこ起おこおこししし、、、髻もとどり髻もとどりもとどり切き切ききりりり、、、修しゆ修しゆしゅ行ぎやう行ぎやうぎょうににに出い出いいでででんんんとととしししけるけるけるががが、、、修しゆ修しゆしゅ行ぎやう行ぎやうぎょうととといふいふいうばばばいかいかいか程ほど程ほどほどののの大だい大だいだい事じ事じじやらやらやらんんん、、、ためしためしためしててて見み見みみんんんとてとてとて、、、六ろく六ろくろく月ぐわつ月ぐわつがつののの日ひ日ひひののの草くさ草くさくさもももゆるがゆるがゆるがずずず照て照ててつつったるたるたるににに、、、あるあるある片かた片かたかた山やま山やまやま里ざと里ざとざとののの藪やぶ藪やぶやぶののの中なか中なかなかへへへはひりはひりはいり、、、はだかはだかはだかににになりなりなり、、、仰あふ仰あふあうのののけけけににに伏ふ伏ふふすすす。。。虻あぶ虻あぶあぶぞぞぞ、、、蚊か蚊かかぞぞぞ、、、蜂はち蜂はちはち、、、蟻あり蟻ありありなどなどなどいふいふいう毒どく毒どくどく蟲むし蟲むしむしどもどもどもががが、、、身み身みみにににひしひしひしととと取と取ととりりりついついついててて、、、刺さ刺ささししし喰く喰くくひひいなどなどなどしししけれけれけれどもどもども、、、ちつちつちっとととももも身み身みみをををももも働はたら働はたらはたらかかかさささずずず。。。七なぬ七なぬなぬ日か日かかまでまでまでははは起お起おおきききももも上あが上あがあがらららずずず、、、八やう八やうよう日か日かかととといふいふいうににに起お起おおききき上あが上あがあがりりりててて、、、「「「修しゆ修しゆしゅ行ぎやう行ぎやうぎょうととといふいふいうはははこれこれこれ程ほど程ほどほどののの大だい大だいだい事じ事じじやらやらやらんんん。。。」」」ととと人ひと人ひとひとににに問と問ととへへへばばば、、、「「「それそれそれ程ほど程ほどほどならならならんんんにににははは、、、いかでいかでいかで命いのち命いのちいのちももも生い生いいくくくべきべきべき。。。」」」ととといふいふいう間あひだ間あひだあいだ、、、「「「さてさてさてははは安あん安あんあん平ぺい平ぺいぺい、、、ござんなれござんなれござんなれ。。。」」」とてとてとて、、、やがてやがてやがて修しゆ修しゆしゅ行ぎやう行ぎやうぎょうにににこそこそこそ出い出いいでででにににけれけれけれ。。。熊くま熊くまくま野の野ののへへへ參まゐ參まゐまいりりり、、、那な那なな智ち智ちちごもりごもりごもりせせせんんんとととしししけるけるけるががが、、、まづまづまず行ぎやう行ぎやうぎょうのののこゝろみこゝろみこころみににに、、、聞きこ聞きこきこゆるゆるゆる瀧たき瀧たきたきにににしばらくしばらくしばらく打う打ううたたたれれれててて見み見みみんんんとてとてとて、、、瀧たき瀧たきたき本もと本もともとへへへこそこそこそ參まゐ參まゐまいりりりけれけれけれ。。。
  3. 3頃ころ頃ころころははは十じふ十じふじゅう二に二にに月ぐわつ月ぐわつがつののの十とを十とをとお日か日かか餘あま餘あまあまりりりののの事こと事ことことなれなれなればばば、、、雪ゆき雪ゆきゆき降ふ降ふふりりりつもりつもりつもり、、、つらゝつらゝつららいていていて、、、谷たに谷たにたにののの小を小をを川がは川がはがはももも音おと音おとおともももせせせずずず。。。峯みね峯みねみねののの嵐あらし嵐あらしあらし吹ふ吹ふふききき氷こほ氷こほこおりりり、、、瀧たき瀧たきたきののの白しら白しらしら絲いと絲いといと垂たる垂たるたる氷ひ氷ひひとととなつなつなっててて、、、皆みな皆みなみな白しろ白しろしろ妙たへ妙たへたえにににおしおしおしなべなべなべててて、、、四よ四よよ方も方ももののの梢こずゑ梢こずゑこずえももも見み見みみえええわかわかわかずずず。。。然しか然しかしかるるるににに文もん文もんもん覺がく覺がくがく、、、瀧たき瀧たきたき壺つぼ壺つぼつぼにににおりおりおりひたりひたりひたり、、、首くび首くびくびぎはぎはぎわつかつつかつつかっててて、、、慈じ慈じじ救く救くくののの呪じゆ呪じゆじゅををを滿み滿みみてててけるけるけるががが、、、二ふつ二ふつふつ三か三かか日にち日にちにちこそこそこそありありありけれけれけれ、、、四し四しし五ご五ごご日にち日にちにちにににもももなりなりなりしかしかしかばばば、、、文もん文もんもん覺がく覺がくがくこらへこらへこらえずずずしてしてして浮う浮ううきききあがりあがりあがりぬぬぬ。。。數す數すす千せん千せんせん丈ぢやう丈ぢやうじょう張みなぎ張みなぎみなぎりりり落お落おおつるつるつる瀧たき瀧たきたきなれなれなればばば、、、なじかはなじかはなじかわたまるたまるたまるべきべきべき、、、さつさつさっとととおしおしおし落おと落おとおとささされれれ、、、刀かたな刀かたなかたなののの刃やいば刃やいばやいばののの如ごと如ごとごとくくくににに、、、さしもさしもさしも嚴きび嚴きびきびしきしきしき岩いは岩いはいわかどかどかどののの中なか中なかなかををを、、、浮う浮ううきききぬぬぬ沈しづ沈しづしずみみみぬぬぬ、、、五ご五ごご六ろく六ろくろく町ちやう町ちやうちょうこそこそこそ流なが流ながながれれれけれけれけれ。。。時とき時ときときににに美うつく美うつくうつくしきしきしき童どう童どうどう子じ子じじ一ひと一ひとひと人り人りり來きた來きたきたつつっててて、、、文もん文もんもん覺がく覺がくがくががが手て手ててををを取と取ととつつっててて引ひき引ひきひき上あ上ああげげげ給たま給たまたまふふう。。。人ひと人ひとひと奇き奇きき特どく特どくどくののの思おも思おもおもひひいをををなしなしなしててて、、、火ひ火ひひををを燒た燒たたきききあぶりあぶりあぶりなどなどなどしししけれけれければばば、、、定ぢやう定ぢやうじょう業ごふ業ごふごうならならならぬぬぬ命いのち命いのちいのちででではははありありあり、、、文もん文もんもん覺がく覺がくがく程ほど程ほどほどなくなくなく生い生いいききき出い出いいでででぬぬぬ。。。大だい大だいだいののの眼まなこ眼まなこまなこををを見み見みみいからかしいからかしいからかし、、、大だい大だいだい音おん音おんおん聲じやう聲じやうじょうをををあげあげあげててて、、、「「「われわれわれこのこのこの瀧たき瀧たきたきににに三さん三さんさん七しち七しちしち日にち日にちにちうたうたうたれれれててて、、、慈じ慈じじ救く救くくののの三さん三さんさん洛らく洛らくらく叉しや叉しやしゃををを滿み滿みみてててうううととと思おも思おもおもふふう大だい大だいだい願ぐわん願ぐわんがんありありあり。。。今日けふ今日けふきょうはははわづかわづかわずか五いつ五いついつ日か日かかにににこそこそこそなれなれなれ。。。未いま未いまいまだだだ七なぬ七なぬなぬ日か日かかだにだにだにももも過す過すすぎぎぎざるざるざるににに、、、何なに何なになに者もの者ものものかかかこれこれこれまでまでまでははは取と取ととつつっててて來きた來きたきたれれれるるるぞぞぞ。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、聞き聞ききくくく人ひと人ひとひと、、、身み身みみののの毛け毛けけよだつよだつよだってててものものものいはいはいわずずず。。。またまたまた瀧たき瀧たきたき壺つぼ壺つぼつぼににに歸かへ歸かへかえりりり立た立たたつつってててぞぞぞうたうたうたれれれけるけるける。。。
  4. 4第だい第だいだい二に二にに日にち日にちにちととと申まう申まうもうすすすににに、、、八はち八はちはち人にん人にんにんののの童どう童どうどう子じ子じじ來きた來きたきたつつっててて、、、文もん文もんもん覺がく覺がくがくががが左さ左さそ右う右ううののの手て手ててををを取と取ととつつっててて引ひき引ひきひき上あ上ああげげげんんんとととしたまへしたまへしたまえばばば、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに抓つか抓つかつかみみみあうあうおうててて上あが上あがあがらららずずず。。。第だい第だいだい三さん三さんさん日にち日にちにちととと申まう申まうもうすすすににに、、、遂つひ遂つひついにににはかなくはかなくはかなくなりなりなりぬぬぬ。。。時とき時ときときににに瀧たき瀧たきたき壺つぼ壺つぼつぼををを汚けが汚けがけがさささじじじとととややや、、、鬢びんづら鬢びんづらびんずらゆうゆうゆうたるたるたる天てん天てんてん童どう童どうどう二ふた二ふたふた人り人りり、、、瀧たき瀧たきたきののの上うへ上うへうえよりよりより下お下おおりりり降くだ降くだくだらららせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、世よ世よよににに暖あたゝ暖あたゝあたたかかかににに香かう香かうこうばしきばしきばしき御おん御おんおん手て手ててををを以もつ以もつもっててて、、、文もん文もんもん覺がく覺がくがくががが頂ちやう頂ちやうちょう上じやう上じやうじょうよりよりより始はじ始はじはじめめめててて、、、手て手てて足あし足あしあしののの爪つま爪つまつま先さき先さきさき、、、手た手たた裏なうら裏なうらのうらににに至いた至いたいたるるるまでまでまで、、、撫な撫ななででで下くだ下くだくださささせせせ給たま給たまたまへへえばばば、、、文もん文もんもん覺がく覺がくがく夢ゆめ夢ゆめゆめののの心ここ心ここここちちちしてしてして生い生いいききき出い出いいでででぬぬぬ。。。「「「そもそもそもいかなるいかなるいかなる人ひと人ひとひとにににてててましませましませましませばばば、、、かくかくかくははは憐あはれ憐あはれあわれみみみ給たま給たまたまふふうやらやらやらんんん。。。」」」ととと問と問ととひひい奉たてまつ奉たてまつたてまつれれればばば、、、童どう童どうどう子じ子じじ答こた答こたこたへへえててて曰いは曰いはいわくくく、、、「「「我われ我われわれはははこれこれこれ大だい大だいだい聖しやう聖しやうしょう不ふ不ふふ動どう動どうどう明みやう明みやうみょう王わう王わうおうののの御おん御おんおん使つかひ使つかひつかいににに金こん金こんこん伽が伽がが羅ら羅らら、、、勢せい勢せいせい多た多たた伽か伽かかととといふいふいう二に二にに童どう童どうどう子じ子じじなりなりなり。。。文もん文もんもん覺がく覺がくがく無む無むむ上じやう上じやうじょうののの願ぐわん願ぐわんがんををを起おこ起おこおこししし勇ゆう勇ゆうゆう猛まう猛まうもうののの行ぎやう行ぎやうぎょうををを企くはだ企くはだくわだつつつ、、、行ゆ行ゆゆいいいててて力ちから力ちからちからををを合あ合ああははわせせせよよよととと、、、明みやう明みやうみょう王わう王わうおうののの敕ちよく敕ちよくちょくににに依よ依よよつつっててて來きた來きたきたれれれるるるなりなりなり。。。」」」とととぞぞぞ答こた答こたこたへへえたまふたまふたまう。。。文もん文もんもん覺がく覺がくがく聲こゑ聲こゑこえををを怒いか怒いかいからかいらかいらかいててて、、、「「「さてさてさて明みやう明みやうみょう王わう王わうおうははは何い何いい處づく處づくずくにににましますましますましますぞぞぞ。。。」」」「「「都と都とと率そつ率そつそつ天てん天てんてんににに。。。」」」ととと答こた答こたこたへへえててて、、、雲くも雲くもくも居ゐ居ゐいはるかはるかはるかににに昇のぼ昇のぼのぼりりり給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。
  5. 5文もん文もんもん覺がく覺がくがく掌たなごゝろ掌たなごゝろたなごころををを合あ合ああははわせせせててて、、、さてさてさてわがわがわが行ぎやう行ぎやうぎょうをををばばば、、、大だい大だいだい聖しやう聖しやうしょう不ふ不ふふ動どう動どうどう明みやう明みやうみょう王わう王わうおうまでまでまでももも知しろし知しろししろし召め召めめささされれれたるたるたるにににこそこそこそととと、、、いよいよいよいよいよいよたのもしうたのもしうたのもしゅう思おも思おもおもひひい、、、猶なほ猶なほなお瀧たき瀧たきたき壺つぼ壺つぼつぼににに歸かへ歸かへかえりりり立た立たたつつってててぞぞぞうたうたうたれれれけるけるける。。。そのそのその後のち後のちのちはははまことまことまことにににめでたきめでたきめでたき瑞ずゐ瑞ずゐずい相さう相さうそうどもどもども多おほ多おほおおかりかりかりけれけれければばば、、、吹ふ吹ふふききき來く來くくるるる風かぜ風かぜかぜももも身み身みみにににしましましまずずず、、、落お落おおちちち來く來くくるるる水みづ水みづみずももも湯ゆ湯ゆゆののの如ごと如ごとごとししし。。。かくかくかくててて三さん三さんさん七しち七しちしち日にち日にちにちののの大だい大だいだい願ぐわん願ぐわんがん遂つひ遂つひついににに遂と遂ととげげげしかしかしかばばば、、、那な那なな智ち智ちちににに千せん千せんせん日にち日にちにち籠こも籠こもこもりりりけりけりけり。。。大おほ大おほおお峯みね峯みねみね三さん三さんさん度ど度どど、、、葛かつら葛かつらかつら城ぎ城ぎぎ二に二にに度ど度どど、、、高かう高かうこう野や野やや、、、粉こ粉ここ川かは川かはかわ、、、金きん金きんきん峯ぷ峯ぷぷ山せん山せんせん、、、白はく白はくはく山さん山さんさん、、、立たて立たてたて山やま山やまやま、、、富ふ富ふふ士じ士じじののの嶽たけ嶽たけたけ、、、伊い伊いい豆づ豆づず、、、箱はこ箱はこはこ根ね根ねね、、、信しな信しなしな濃の濃ののののの戸と戸とと隱がくし隱がくしがくし、、、出で出でで羽は羽はわののの羽は羽はは黑ぐろ黑ぐろぐろ、、、總そう總そうそうじじじててて日に日にに本ほん本ほんほん國ごく國ごくごく殘のこ殘のこのこるるる所ところ所ところところなうなうのう行おこな行おこなおこなひひい廻めぐ廻めぐめぐりりり、、、さすがさすがさすがなほなほなお故こ故ここ鄕きやう鄕きやうきょうややや戀こひ戀こひこいしかりしかりしかりけんけんけん、、、都みやこ都みやこみやこへへへ歸かへ歸かへかえりりり上のぼ上のぼのぼりりりたりたりたりけれけれければばば、、、およそおよそおよそ飛と飛ととぶぶぶ鳥とり鳥とりとりをををももも祈いの祈いのいのりりり落おと落おとおとすすす程ほど程ほどほどののの、、、刃やいば刃やいばやいばののの驗げん驗げんげん者じや者じやじゃとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

さて、あの頼朝は、去る平治元年(1159)十二月、父左馬頭義朝の謀叛によって当然誅されるはずであったのを、故池の禅尼がしいて嘆かれたので、生年十四歳で、永暦元年(1160)三月二十日、伊豆国北条の蛭が小島へ流されて、二十余年の春秋を送り迎えてきた。長年何事もなく過ごしてきたのに、今年どういう心で謀叛を起こしたのかといえば、高雄の文覚上人がお勧め申したからである。

そもそもこの文覚という人は、渡辺党の遠藤左近将監茂遠の子で遠藤武者盛遠といい、上西門院に仕える武士であった。それが十九の年に道心を起こして髻を切り、修行に出ようとしたが、修行というのはどれほどつらいものか試してみようと、六月の、草も揺るがぬほど日が照りつける日に、ある山里の藪の中へ入って裸になり、仰向けに寝た。虻や蚊、蜂や蟻などという毒虫が体にびっしり取りついて刺したりかんだりしたが、少しも身動きしない。七日までは起き上がらず、八日目に起き上がって、「修行というのはこれほどつらいものか」と人に尋ねると、「それほどなら、どうして命が助かりましょう」と言うので、「それなら楽なものだ」といって、すぐに修行に出かけた。熊野へ参って那智にこもろうとしたが、まず修行の手始めに、名高い滝にしばらく打たれてみようと、滝のもとへ参った。

ころは十二月の十日過ぎのことなので、雪が降り積もり、つららが下がり、谷の小川も凍って音もしない。峰の嵐は吹き凍らせ、滝の白糸はつららとなって、あたり一面真っ白で、四方の梢も見分けがつかない。そこへ文覚は滝壺に下りてつかり、首まで水に浸かって慈救の呪を唱えていたが、二、三日はもちこたえたものの、四、五日にもなると、文覚はこらえきれずに浮き上がってしまった。数千丈もみなぎり落ちる滝なので、どうしてたまろうか、さっと押し流されて、刀の刃のように鋭い岩角の間を浮きつ沈みつ、五、六町も流された。そのとき美しい童子が一人現れて、文覚の手を取って引き上げてくださった。人々は不思議に思って、火を焚いて温めなどしたので、定業ではない命だったから、文覚はまもなく生き返った。大きな眼をむいて大声をあげ、「わしはこの滝に三七日打たれて、慈救の呪を三十万遍唱えようという大願がある。今日はまだ五日にしかならない。七日も過ぎないのに、誰がここまで連れて来たのか」と言ったので、聞く人は身の毛がよだって何も言えない。文覚はまた滝壺に戻って打たれた。

二日目に、八人の童子が来て文覚の左右の手を取って引き上げようとなさったが、文覚はさんざんにつかみ合って上がらない。三日目に、とうとう息が絶えてしまった。そのとき滝壺を汚すまいというのであろうか、みずらを結った天童が二人、滝の上から降りて来られて、たいそう温かく香しいお手で、文覚の頭の上から手足の爪先、手のひらに至るまで撫で下ろされたので、文覚は夢のような心地で生き返った。「いったいどなたなので、このようにお憐れみくださるのですか」とお尋ねすると、童子は答えて、「われらは大聖不動明王の御使いで、金伽羅・制多伽という二童子である。文覚が無上の願を起こして勇猛な修行を企てているので、行って力を貸してやれという明王のご命令で来たのだ」とお答えになった。文覚が声を張り上げて、「では明王はどこにおいでになるのか」と言うと、「兜率天に」と答えて、雲のかなたに昇って行かれた。

文覚は手を合わせて、さてはわが修行を大聖不動明王までもご存じなのだと、いよいよ心強く思って、なお滝壺に戻って打たれた。その後はまことにめでたい瑞相が多くあったので、吹いて来る風も身にしみず、落ちて来る水も湯のようである。こうして三七日の大願をついに遂げたので、那智に千日こもった。大峰三度、葛城二度、高野・粉河・金峰山・白山・立山・富士の嶽・伊豆・箱根・信濃の戸隠・出羽の羽黒と、日本国中残る所なく修行して回り、さすがにやはり故郷が恋しかったのであろうか、都へ帰り上ったところ、およそ飛ぶ鳥も祈り落とすほどの、切れ味鋭い験者と評判になった。

意訳

頼朝挙兵の陰の立役者である文覚の前半生を語る章段である。もとは遠藤盛遠という武士で、出家後は常人離れした荒行を重ねた。真夏の藪で毒虫に七日刺されても動じず、真冬の那智の滝で死にかけても修行をやめない。不動明王の二童子が救いに現れる場面は、文覚の強烈な信念と験力を印象づけている。

「飛ぶ鳥をも祈り落す程の、刃の驗者」と評された文覚は、続く章段で法皇の御所に押し入り、伊豆に流されて頼朝と出会うことになる。荒々しく型破りな文覚の人物像が、物語に新しい動きをもたらしている。

語釈・文法注

文法

「安平、ござんなれ」
「安平」はたやすいこと。それならたやすいものだ、の意。
「首ぎはつかつて」
首のきわまで水に浸かって。
「慈救の呪」
不動明王の真言(慈救咒)。
「三洛叉」
洛叉は十万。三十万遍。
「金伽羅、勢多伽」
不動明王に仕える二童子、矜羯羅(こんがら)童子と制吒迦(せいたか)童子。
「刃の驗者」
刃のように鋭い霊験をもつ修験者。

解説

文覚(1139〜1203)は遠藤盛遠として上西門院に仕えたが、のちに出家し、神護寺の再興に尽力した。出家の動機については、人妻の袈裟御前を誤って殺したためとする説話が『源平盛衰記』などに見えるが、『平家物語』の流布本は触れていない。那智の滝の荒行の話は名高く、歌舞伎や浮世絵の題材となった。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、484–486頁(コマ271)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日