古典ライブラリー

平家物語 巻第五

咸陽宮の事

異国の例として、燕の太子丹は秦の始皇帝に捕らえられたが、孝心に天が感じて馬に角が生え烏の頭が白くなり、帰国を許された。丹は始皇帝を討とうと荊軻を遣わし、荊軻は樊於期の首と燕の地図を献じるふりをして咸陽宮で始皇帝に迫った。しかし始皇帝は后の琴に託された合図を聞き取って逃れ、荊軻は八つ裂きにされ、燕は滅んだ。頼朝もそうなるだろうと言う者もいた。

  1. 1又また又またまた異い異いい國こく國こくこくににに先せん先せんせん蹤じよう蹤じようじょうをををとぶらふとぶらふとぶらうににに、、、燕えん燕えんえんののの太たい太たいたい子し子しし丹たん丹たんたん、、、秦しん秦しんしんののの始し始しし皇くわう皇くわうかう帝てい帝ていていにににとらはれとらはれとらわれててて、、、戒いまし戒いましいましめめめををを蒙かうぶ蒙かうぶこうぶるるることことこと十じふ十じふじゅう二に二にに年ねん年ねんねん、、、或ある或あるある時とき時ときとき、、、燕えん燕えんえん丹たん丹たんたん涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながいいいててて、、、「「「われわれわれ故こ故ここ鄕きやう鄕きやうきょうににに老らう老らうろう母ぼ母ぼぼありありあり、、、暇いとま暇いとまいとまををを賜たま賜たまたまはつはつわっててて、、、今いま今いまいま一ひと一ひとひと度たび度たびたびかれかれかれををを見み見みみんんん。。。」」」とととぞぞぞ歎なげ歎なげなげきききけるけるける。。。始し始しし皇くわう皇くわうかう帝てい帝ていていあざあざあざ笑わら笑わらわらつつっててて、、、「「「汝なんぢ汝なんぢなんじににに暇いとま暇いとまいとまたばたばたばんんんことことこと、、、馬むま馬むまうまににに角つの角つのつの生お生おおひひい、、、烏からす烏からすからすののの頭かしら頭かしらかしらののの白しろ白しろしろくくくならならならんんんををを待ま待ままつつつべきべきべきなりなりなり。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。燕えん燕えんえん丹たん丹たんたん天てん天てんてんににに仰あふ仰あふあうぎぎぎ、、、地ち地ちちににに伏ふ伏ふふしししててて、、、「「「願ねが願ねがねがはくはくわくははは馬むま馬むまうまににに角つの角つのつの生お生おおひひい、、、烏からす烏からすからすののの頭かしら頭かしらかしら白しろ白しろしろくくくなしなしなしたべたべたべ。。。本ほん本ほんほん國ごく國ごくごくへへへ歸かへ歸かへかえつつっててて今いま今いまいま一ひと一ひとひと度たび度たびたび母はゝ母はゝははををを見み見みみんんん。。。」」」とととぞぞぞ祈いの祈いのいのりりりけるけるける。。。かのかのかの妙めう妙めうみょう音おん音おんおん菩ぼ菩ぼぼ薩さつ薩さつさつははは靈りやう靈りやうりょう山ぜん山ぜんぜん淨じやう淨じやうじょう土ど土どどににに詣けい詣けいけいしししててて、、、不ふ不ふふ孝けう孝けうきょうのののともがらともがらともがらををを戒いまし戒いましいましめめめ、、、孔こう孔こうこう子し子しし、、、顏がん顏がんがん囘くわい囘くわいかいははは支し支しし那な那なな震しん震しんしん旦だん旦だんだんににに出い出いいでででててて、、、忠ちゆう忠ちゆうちゅう孝かう孝かうこうののの道みち道みちみちををを始はじ始はじはじめめめ給たま給たまたまふふう。。。冥みやう冥みやうみょう顯けん顯けんけんののの三さん三さんさん寶ぼう寶ぼうぼう、、、孝かう孝かうこう行かう行かうこうののの志こころざし志こころざしこころざしををを憐あはれ憐あはれあわれみみみ給たま給たまたまふふう事こと事ことことなれなれなればばば、、、馬むま馬むまうまににに角つの角つのつの生お生おおひひいててて宮きゆう宮きゆうきゅう中ちゆう中ちゆうちゅうににに來きた來きたきたりりり、、、烏からす烏からすからすののの頭かしら頭かしらかしら白しろ白しろしろくくくなつなつなっててて庭てい庭ていてい前ぜん前ぜんぜんののの木き木ききににに住す住すすめめめりりりけりけりけり。。。始し始しし皇くわう皇くわうかう帝てい帝ていてい烏う烏うう頭とう頭とうとう馬は馬はは角かく角かくかくののの變へん變へんへんににに驚おどろ驚おどろおどろききき、、、綸りん綸りんりん言げん言げんげんかへらかへらかえらざるざるざる事こと事ことことををを深ふか深ふかふかくくく信しん信しんしんじじじててて、、、太たい太たいたい子し子しし丹たん丹たんたんををを宥なだ宥なだなだめめめつゝつゝつつ、、、本ほん本ほんほん國ごく國ごくごくへへへこそこそこそ歸かへ歸かへかえささされれれけれけれけれ。。。
  2. 2始し始しし皇くわう皇くわうかう猶なほ猶なほなお悔くや悔くやくやしみしみしみ給たま給たまたまひひいててて、、、秦しん秦しんしんののの國くに國くにくにととと燕えん燕えんえんののの國くに國くにくにののの境さかひ境さかひさかいににに楚そ楚そそ國こく國こくこくととといふいふいう國くに國くにくにありありあり。。。大おほ大おほおおきききなるなるなる河かは河かはかは流なが流ながながれれれたりたりたり。。。かのかのかの河かは河かはかはににに渡わた渡わたわたせせせるるる橋はし橋はしはしををを楚そ楚そそ國こく國こくこくののの橋はし橋はしはしととといへいへいえりりり。。。始し始しし皇くわう皇くわうかうさきさきさきににに官くわん官くわんかん軍ぐん軍ぐんぐんををを遣つか遣つかつかはしはしわしててて、、、燕えん燕えんえん丹たん丹たんたんががが渡わた渡わたわたらららんんん時とき時ときとき、、、川かは川かはかわ中なか中なかなかののの橋はし橋はしはしををを踏ふ踏ふふまままばばば落お落おおつるつるつるやうやうようにににしたゝめしたゝめしたためててて、、、渡わた渡わたわたささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、なじかはなじかはなじかわ好よ好よよかるかるかるべきべきべき、、、まんまんまん中なか中なかなかにににててて落お落おおちちち入い入いいりりりぬぬぬ。。。されどもされどもされども水みづ水みづみずにににはははちつちつちっとととももも溺おぼ溺おぼおぼれれれずずず、、、平へい平へいへい地ぢ地ぢじををを行ゆ行ゆゆくくくががが如ごと如ごとごとくくくにににててて、、、向むか向むかむかひひいののの岸きし岸きしきしにににぞぞぞ著つ著つつきききにににけるけるける。。。燕えん燕えんえん丹たん丹たんたんこはこはこわいかにいかにいかにととと思おも思おもおもひひいててて、、、後うしろ後うしろうしろををを顧かへり顧かへりかえりみみみたりたりたりけれけれければばば、、、龜かめ龜かめかめどもどもどもがががいくらいくらいくらととといふいふいう數かず數かずかずををを知し知ししらららずずず、、、水みづ水みづみずののの上うへ上うへうえににに浮う浮ううかれかれかれ來き來ききててて、、、甲かふ甲かふこうををを竝なら竝ならならべべべてててそのそのその上うへ上うへうえをををぞぞぞ通とほ通とほとおしししけるけるける。。。これこれこれももも孝かう孝かうこう行かう行かうこうののの志こころざし志こころざしこころざしををを、、、冥みやう冥みやうみょう顯けん顯けんけんののの憐あはれ憐あはれあわれみみみ給たま給たまたまふふうににに依よ依よよつつってててなりなりなり。。。
  3. 3燕えん燕えんえん丹たん丹たんたんなほなほなお恨うら恨うらうらみみみををを含ふく含ふくふくんんんででで始し始しし皇くわう皇くわうかう帝てい帝ていていににに從したが從したがしたがははわずずず。。。始し始しし皇くわう皇くわうかう官くわん官くわんかん軍ぐん軍ぐんぐんををを遣つか遣つかつかはしはしわしててて燕えん燕えんえん丹たん丹たんたんををを亡ほろ亡ほろほろぼさぼさぼさんんんとととすすす。。。燕えん燕えんえん丹たん丹たんたん大おほ大おほおおきききににに恐おそ恐おそおそれれれ戰をのゝ戰をのゝおののいいいててて、、、荊けい荊けいけい軻か軻かかととといふいふいう兵つはもの兵つはものつわものををを語かた語かたかたらうらうろうててて大だい大だいだい臣じん臣じんじんににになすなすなす。。。荊けい荊けいけい軻か軻かか又また又またまた田でん田でんでん光くわう光くわうこう先せん先せんせん生せい生せいせいととといふいふいう兵つはもの兵つはものつわものををを語かた語かたかたらふらふらうににに、、、かのかのかの先せん先せんせん生せい生せいせい申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「君きみ君きみきみはははこのこのこの身み身みみががが若わか若わかわこううう盛さか盛さかさかんんんなつなつなっししし事こと事ことことをををしろしめししろしめししろしめしててて、、、かくかくかくははは賴たの賴たのたのみみみ仰おほ仰おほおおせせせらるゝらるゝらるるかかか。。。麒き麒きき麟りん麟りんりんははは千せん千せんせん里り里りりををを飛と飛ととぶぶぶととといへいへいえどもどもども、、、老お老おおいいいぬれぬれぬればばば駑ど駑どど馬ば馬ばばにににももも劣おと劣おとおとれれれりりり。。。このこのこの身み身みみははは年とし年としとし老お老おおいいいててて、、、いかにいかにいかにももも適かな適かなかなひひい候さふらふ候さふらふそうろうまじまじまじ。。。詮せん詮せんせんずるずるずる所ところ所ところところ、、、よきよきよき兵つはもの兵つはものつわものををを語かた語かたかたらつらつらってててこそこそこそ參まゐ參まゐまいらせらせらせめめめ。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、荊けい荊けいけい軻か軻かか、、、「「「あなあなあなかしこかしこかしこ、、、このこのこの事こと事ことこと披ひ披ひひ露ろう露ろうろうすすすななな。。。」」」ととといふいふいう。。。先せん先せんせん生せい生せいせい聞き聞ききいいいててて「「「このこのこのことことこと洩も洩ももれれれぬるぬるぬるものものものならならならばばば、、、われわれわれ先ま先ままづづずさきさきさきににに疑うたが疑うたがうたがははわれれれなななんんんずずず。。。人ひと人ひとひとににに疑うたが疑うたがうたがははわれれれぬるぬるぬるににに過す過すすぎぎぎたるたるたる恥はぢ恥はぢはじこそこそこそなけれなけれなけれ。。。」」」とてとてとて、、、荊けい荊けいけい軻か軻かかががが門もん門もんもん前ぜん前ぜんぜんなるなるなる杏すもゝ杏すもゝすももののの木き木ききににに頭かしら頭かしらかしらをををつきつきつき當あ當ああててて、、、うちうちうち碎くだ碎くだくだいいいてててぞぞぞ死し死ししににににににけるけるける。。。
  4. 4またまたまた樊はん樊はんはん於よ於よよ期き期ききととといふいふいう兵つはもの兵つはものつわものありありあり。。。これこれこれははは秦しん秦しんしんののの國くに國くにくにののの者もの者ものものなりなりなりしかしかしかどもどもども、、、始し始しし皇くわう皇くわうかうののの爲ため爲ためためににに親おや親おやおや、、、叔を叔をお父ぢ父ぢじ、、、兄きやう兄きやうきょう弟だい弟だいだい亡ほろ亡ほろほろぼさぼさぼされれれててて、、、燕えん燕えんえんののの國くに國くにくにににに逃に逃ににげげげ籠こも籠こもこもりりりぬぬぬ。。。始し始しし皇くわう皇くわうかう四し四しし海かい海かいかいににに宣せん宣せんせん旨じ旨じじをををなしなしなし下くだ下くだくだししし、、、燕えん燕えんえんののの指さし指さしさし圖づ圖づず、、、竝ならび竝ならびならびににに樊はん樊はんはん於よ於よよ期き期ききががが首くび首くびくびををを持も持ももつつっててて參まゐ參まゐまいりりりたらたらたらんんんずるずるずる者もの者ものものにににははは、、、五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく斤こん斤こんこんののの金きん金きんきんををを與あた與あたあたへへえんんんととと披ひ披ひひ露ろう露ろうろうせせせらるらるらる。。。荊けい荊けいけい軻か軻かか、、、樊はん樊はんはん於よ於よよ期き期ききががが許もと許もともとににに行ゆ行ゆゆいいいててて、、、「「「われわれわれ聞き聞ききくくく、、、汝なんぢ汝なんぢなんじががが首くび首くびくび五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく斤こん斤こんこんののの金きん金きんきんににに報はう報はうほうぜぜぜられられられたんたんたんなりなりなり。。。汝なんぢ汝なんぢなんじががが首かうべ首かうべこうべわれわれわれににに借か借かかせせせ、、、取と取ととつつっててて始し始しし皇くわう皇くわうかう帝てい帝ていていににに奉たてまつ奉たてまつたてまつらららんんん。。。喜よろこ喜よろこよろこびびびててて叡えい叡えいえい覽らん覽らんらんををを經へ經へへられられられんんん時とき時ときとき、、、劒つるぎ劒つるぎつるぎををを拔ぬ拔ぬぬいいいててて胸むね胸むねむねををを刺さ刺さささささんんんははは易やす易やすやすかりかりかりなななんんん。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、樊はん樊はんはん於よ於よよ期き期きき踊をど踊をどおどりりり上あが上あがあがり〳〵り〳〵りおどりあがり、、、大おほ大おほおお息いき息いきいきついついついててて申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「わがわがわが親おや親おやおや、、、叔を叔をお父ぢ父ぢじ、、、兄きやう兄きやうきょう弟だい弟だいだいををを始し始しし皇くわう皇くわうかう帝てい帝ていていににに亡ほろ亡ほろほろぼさぼさぼされれれててて、、、夜よる夜よるよる晝ひる晝ひるひるこれこれこれををを思おも思おもおもふふうににに、、、骨こつ骨こつこつ髓ずゐ髓ずゐずいにににとほつとほつとおっててて忍しの忍しのしのびびび難がた難がたがたししし。。。まことまことまことににに始し始しし皇くわう皇くわうかう帝てい帝ていてい討う討ううつつつべからべからべからんんんにににおいおいおいてててははは、、、わがわがわが首くび首くびくび與あた與あたあたへへえんんんことことこと、、、塵ちり塵ちりちり芥あくた芥あくたあくたよりよりよりもももやすしやすしやすし。。。」」」とてとてとて、、、みづからみづからみずから首くび首くびくびををを切き切ききつつってててぞぞぞ死し死ししににににににけるけるける。。。
  5. 5またまたまた秦しん秦しんしん舞ぶ舞ぶぶ陽やう陽やうようととといへいへいえるるる兵つはもの兵つはものつわものありありあり。。。これこれこれももも秦しん秦しんしんののの國くに國くにくにののの者もの者ものものなりなりなりしししががが、、、十じふ十じふじゅう三さん三さんさんののの歳とし歳としとし敵かたき敵かたきかたきををを討う討ううつつっててて、、、燕えん燕えんえんののの國くに國くにくにににに逃に逃ににげげげ籠こも籠こもこもりりりぬぬぬ。。。かれかれかれががが笑ゑ笑ゑえんんんででで向むか向むかむかふふう時とき時ときときははは嬰みどり嬰みどりみどり子ご子ごごももも抱いだ抱いだいだかかかれれれ、、、またまたまた怒いか怒いかいかつつっててて向むか向むかむかふふう時とき時ときときははは大だい大だいだいののの男をとこ男をとこおとこももも絶ぜつ絶ぜつぜつ入じゆ入じゆじゅすすす。。。竝なら竝ならならびびびなきなきなき兵つはもの兵つはものつわものなりなりなり。。。荊けい荊けいけい軻か軻かかかれかれかれををを語かた語かたかたらつらつらっててて、、、秦しん秦しんしんののの都みやこ都みやこみやこののの案あん案あんあん内ない内ないない者しや者しやしゃににに具ぐ具ぐぐしししててて行ゆ行ゆゆくくくににに、、、あるあるある片かた片かたかた山やま山やまやま里ざと里ざとざとににに宿しゆく宿しゆくしゅくしししたりたりたりけるけるける夜よ夜よよ、、、そのそのその邊へん邊へんへん近ちか近ちかちかききき里さと里さとさとににに管くわん管くわんかん絃げん絃げんげんをををするするするををを聞き聞ききいいいててて、、、調てう調てうちょう子し子ししををを以もつ以もつもっててて本ほ本ほほ意い意いいののの事こと事ことことををを占うらな占うらなうらなふふうににに、、、「「「敵かたき敵かたきかたきののの方かた方かたかたははは水みづ水みづみずなりなりなり、、、わがわがわが方かた方かたかたははは火ひ火ひひなりなりなり、、、白はく白はくはく虹こう虹こうこう日ひ日ひひををを貫つらぬ貫つらぬつらぬいいいててて通とほ通とほとおらららずずず、、、わがわがわが本ほ本ほほ意い意いいををを遂と遂ととげげげんんん事こと事ことことありがたしありがたしありがたし。。。」」」とととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。
  6. 6さるさるさる程ほど程ほどほどににに天てん天てんてんもももあけあけあけぬぬぬ。。。されどもされどもされども歸かへ歸かへかえるるるべきべきべき道みち道みちみちにににあらあらあらねねねばばば、、、秦しん秦しんしんののの都みやこ都みやこみやこ咸かん咸かんかん陽やう陽やうよう宮きゆう宮きゆうきゅうににに至いた至いたいたりりりぬぬぬ。。。燕えん燕えんえんののの指さし指さしさし圖づ圖づず、、、竝ならび竝ならびならびににに樊はん樊はんはん於よ於よよ期き期ききががが首くび首くびくび持も持ももつつっててて參まゐ參まゐまいりりりたるたるたる由よし由よしよしををを奏そう奏そうそう聞もん聞もんもんすすす。。。臣しん臣しんしん下か下かかををを以もつ以もつもっててて受うけ受うけうけ取と取ととらららんんんとととしたまへしたまへしたまえばばば、、、「「「全まつた全まつたまったくくく人ひと人ひとひと傳づて傳づてづてにににはははまゐらせまゐらせまいらせじじじ、、、直ぢき直ぢきじきににに奉たてまつ奉たてまつたてまつらららんんん。。。」」」ととと奏そう奏そうそうするするする間あひだ間あひだあいだ、、、さらばさらばさらばとてとてとて節せち節せちせち會ゑ會ゑえののの儀ぎ儀ぎぎををを整とゝの整とゝのととのへへえててて、、、燕えん燕えんえんののの使つかひ使つかひつかいををを召め召めめささされれれけりけりけり。。。咸かん咸かんかん陽やう陽やうよう宮きゆう宮きゆうきゅうははは都みやこ都みやこみやこのののめぐりめぐりめぐり一いち一いちいち萬まん萬まんまん八はつ八はつはっ千せん千せんせん三さん三さんさん百びやく百びやくびゃく八はち八はちはち十じふ十じふじゅう里り里りりににに積つも積つもつもれれれりりり。。。内だい内だいだい裏り裏りりをををばばば地ち地ちちよりよりより三さん三さんさん里り里りり高たか高たかたかくくく築つ築つつきききあげあげあげててて、、、そのそのその上うへ上うへうえにににぞぞぞ立た立たたてててられられられたるたるたる。。。長ちやう長ちやうちょう生せい生せいせい殿でん殿でんでんありありあり、、、不ふ不ふふ老らう老らうろう門もん門もんもんありありあり、、、金こがね金こがねこがねををを以もつ以もつもっててて日ひ日ひひををを作つく作つくつくりりり、、、銀しろがね銀しろがねしろがねををを以もつ以もつもっててて月つき月つきつきををを作つく作つくつくれれれりりり。。。眞しん眞しんしん珠じゆ珠じゆじゅののの砂いさご砂いさごいさご、、、瑠る瑠るる璃り璃りりののの砂いさご砂いさごいさご、、、金こがね金こがねこがねののの砂いさご砂いさごいさごををを敷し敷ししききき滿み滿みみてててりりり。。。四し四しし方はう方はうほうにににははは鐵くろがね鐵くろがねくろがねののの築つい築ついつい地ぢ地ぢじををを高たか高たかたかさささ四し四しし十じふ十じふじゅう丈ぢやう丈ぢやうじょうににに築つ築つつきききあげあげあげててて、、、殿でん殿でんでんのののうへうへうえにににももも同おな同おなおなじうじうじゅう鐵くろがね鐵くろがねくろがねののの網あみ網あみあみをををぞぞぞ張は張ははつつったりたりたりけるけるける。。。これこれこれははは冥めい冥めいめい途ど途どどののの使つかひ使つかひつかいををを入い入いいれれれじじじとととなりなりなり。。。秋あき秋あきあきははは田た田たたののの面も面ももののの鴈かり鴈かりかり、、、春はる春はるはるははは越こし越こしこし路ぢ路ぢじへへへ返かへ返かへかえるるるにににももも、、、飛ひ飛ひひ行ぎやう行ぎやうぎょう自じ自じじ在ざい在ざいざいのののさはりさはりさわりありありありとてとてとて、、、築つい築ついつい地ぢ地ぢじにににははは、、、鴈がん鴈がんがん門もん門もんもんととと名な名ななづけづけづけててて、、、鐵くろがね鐵くろがねくろがねののの門もん門もんもんをををあけあけあけてててぞぞぞ通とほ通とほとおささされれれけるけるける。。。そのそのその中なか中なかなかににに阿あ阿ああ房はう房はうほう殿でん殿でんでんとてとてとて、、、始し始しし皇くわう皇くわうかうののの常つね常つねつねににに行ぎやう行ぎやうぎょう幸かう幸かうこうなつなつなっててて政せい政せいせい道だう道だうどう行おこな行おこなおこなははわせせせ給たま給たまたまふふう殿でん殿でんでんありありあり。。。東とう東とうとう西ざい西ざいざいへへへ九く九くく町ちやう町ちやうちょう、、、南なん南なんなん北ぼく北ぼくぼくへへへ五ご五ごご町ちやう町ちやうちょう、、、高たか高たかたかさささ三さん三さんさん十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろく丈ぢやう丈ぢやうじょうなりなりなり。。。大おほ大おほおお床ゆか床ゆかゆかののの下した下したしたにににははは五ご五ごご丈ぢやう丈ぢやうじょうののの旗はた旗はたはた矛ぼこ矛ぼこぼこををを立た立たたてててたれたれたれどもどもども、、、なほなほなお及およ及およおよばばばぬぬぬ程ほど程ほどほどなりなりなり。。。上うへ上うへうえをををばばば瑠る瑠るる璃り璃りりののの瓦かはら瓦かはらかわらををを以もつ以もつもっててて葺ふ葺ふふききき、、、下した下したしたにににははは金こん金こんこん銀ごん銀ごんごんをををみがけみがけみがけりりり。。。
  7. 7荊けい荊けいけい軻か軻かかははは燕えん燕えんえんののの指さし指さしさし圖づ圖づずををを持も持ももちちち、、、秦しん秦しんしん舞ぶ舞ぶぶ陽やう陽やうようははは樊はん樊はんはん於よ於よよ期き期ききががが首くび首くびくびををを持も持ももつつっててて、、、珠たま珠たまたまののの階きざはし階きざはしきざはしををを半なか半なかなかばばばかりかりかり昇のぼ昇のぼのぼりりりあがりあがりあがりけるけるけるががが、、、あまりあまりあまりににに内だい内だいだい裏り裏りりのののおびたゞしきおびたゞしきおびただしきををを見み見みみててて、、、秦しん秦しんしん舞ぶ舞ぶぶ陽やう陽やうようわな〳〵わな〳〵わなわなとととふるひふるひふるいけれけれければばば、、、臣しん臣しんしん下か下かかこれこれこれをををあやしんあやしんあやしんででで、、、「「「刑けい刑けいけい人じん人じんじんをををばばば君きみ君きみきみののの傍かたはら傍かたはらかたわらににに置お置おおかかかずずず、、、君くん君くんくん子し子ししははは刑けい刑けいけい人じん人じんじんににに近ちか近ちかちかづかづかづかずずず、、、近ちか近ちかちかづけづけづけばばばすなはちすなはちすなわち死し死ししををを輕かろ輕かろかろんんんずるずるずる道みち道みちみちなりなりなり。。。」」」ととといへいへいえりりり。。。荊けい荊けいけい軻か軻かかたちたちたちかへつかへつかえっててて「「「秦しん秦しんしん舞ぶ舞ぶぶ陽やう陽やうよう全まつた全まつたまったくくく謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんののの志こころざし志こころざしこころざしなしなしなし。。。たゞたゞただ田ゐ田ゐい舎なか舎なかなかののの賤いや賤いやいやしきしきしきにににのみのみのみ習なら習ならならつつっててて、、、斯か斯かかかるかるかる皇くわう皇くわうかう居きよ居きよきょににに慣な慣ななれれれざるざるざる故ゆゑ故ゆゑゆえににに、、、心こころ心こころこころ迷めい迷めいめい惑わく惑わくわくすすす。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、そのそのその時とき時ときとき、、、臣しん臣しんしん下か下かかみなみなみな靜しづ靜しづしずまりまりまりぬぬぬ。。。依よ依よよつつっててて王わう王わうおうににに近ちか近ちかちかづきづきづき奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、燕えん燕えんえんののの指さし指さしさし圖づ圖づず、、、竝ならび竝ならびならびににに樊はん樊はんはん於よ於よよ期き期ききががが首くび首くびくびををを見げん見げんげん參ざん參ざんざんににに入い入いいるゝるゝるる所ところ所ところところににに、、、指さし指さしさし圖づ圖づずののの入い入いいつつったるたるたる櫃ひつ櫃ひつひつののの底そこ底そこそこににに、、、氷こほり氷こほりこおりのののやうやうようなるなるなる劒つるぎ劒つるぎつるぎのののありありありけるけるけるををを始し始しし皇くわう皇くわうかう帝てい帝ていてい御ご御ごご覽らん覽らんらんじじじててて、、、やがてやがてやがて逃に逃ににげげげんんんとととししし給たま給たまたまへへえばばば、、、荊けい荊けいけい軻か軻かか御おん御おんおん袖そで袖そでそでをををむずむずむずとととひかへひかへひかえ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、劒つるぎ劒つるぎつるぎををを胸むね胸むねむねにににさしさしさし當あ當ああてててたりたりたり。。。今いま今いまいまはははかうかうこうとととぞぞぞ見み見みみえええたりたりたりけりけりけり。。。數すう數すうすう萬まん萬まんまんののの軍ぐん軍ぐんぐん旅りよ旅りよりょははは庭てい庭ていてい上じやう上じやうじょうににに袖そで袖そでそでををを列つら列つらつらぬぬぬととといへいへいえどもどもども、、、救すく救すくすくははわんんんとととするするするににに力ちから力ちからちからなしなしなし。。。たゞたゞただこのこのこの君きみ君きみきみ逆げき逆げきげき臣しん臣しんしんににに犯をか犯をかおかささされれれさせさせさせ給たま給たまたまははわんんん事こと事ことことをををのみのみのみ、、、歎なげ歎なげなげききき悲かな悲かなかなしみしみしみあへあへあえりりりけりけりけり。。。
  8. 8始し始しし皇くわう皇くわうかう帝てい帝ていてい、、、「「「我われ我われわれににに暫ざん暫ざんざん時じ時じじののの暇いとま暇いとまいとまををを得え得ええさせさせさせよよよ。。。后きさき后きさききさきののの琴こと琴ことことののの音ね音ねねををを今いま今いまいま一ひと一ひとひと度たび度たびたび聞き聞ききかかかんんん。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、荊けい荊けいけい軻か軻かかしばししばししばしははは犯をか犯をかおかしししももも奉たてまつ奉たてまつたてまつらららずずず。。。始し始しし皇くわう皇くわうかう帝てい帝ていていははは三さん三さんさん千ぜん千ぜんぜんののの后きさき后きさききさきををを持も持ももちちち給たま給たまたまへへえりりり。。。そのそのその中なか中なかなかににに花くわ花くわか陽やう陽やうよう夫ふ夫ふふ人じん人じんじんとてとてとて雙なら雙ならならびびびなきなきなき琴こと琴ことことののの上じやう上じやうじょう手ず手ずずおはしおはしおわしききき。。。およそおよそおよそこのこのこの后きさき后きさききさきののの琴こと琴ことことののの音ね音ねねををを聞き聞ききけけけばばば、、、猛たけ猛たけたけききき武もの武ものもの士のふ士のふのうののの怒いか怒いかいかれれれるるる心こころ心こころこころもももやはらぎやはらぎやわらぎ、、、飛と飛ととぶぶぶ鳥とり鳥とりとりももも地ち地ちちににに落お落おおちちち、、、草さう草さうそう木もく木もくもくもももゆるぐゆるぐゆるぐばかりばかりばかりなりなりなり。。。況いは況いはいわんんんややや今いま今いまいまをををかぎりかぎりかぎりののの叡えい叡えいえい聞ぶん聞ぶんぶんににに備そな備そなそなへへえんんんととと、、、泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく彈ひ彈ひひききき給たま給たまたまへへえばばば、、、さこそさこそさこそははは面おも面おもおも白しろ白しろしろかりかりかりけめけめけめ。。。荊けい荊けいけい軻か軻かか首かうべ首かうべこうべをををうなだれうなだれうなだれ、、、耳みゝ耳みゝみみをををそばだてそばだてそばだてててて、、、殆ほと殆ほとほとんどんどんど謀ぼう謀ぼうぼう臣しん臣しんしんののの心こころ心こころこころもももたゆみたゆみたゆみにににけりけりけり。。。そのそのその時とき時ときとき、、、后きさき后きさききさき始はじ始はじはじめめめててて更さら更さらさらににに一いつ一いついっ曲きよく曲きよくきょくををを奏そう奏そうそうすすす。。。「「「七しち七しちしち尺しやく尺しやくしゃくののの屏びやう屏びやうびょう風ぶ風ぶぶははは高たか高たかたかくくくともともとも、、、跳をど跳をどおどらららばばばなどなどなどかかか越こ越ここえええざらざらざらんんん。。。一いち一いちいち條でう條でうじょうののの羅ら羅らら縠こく縠こくこくははは強つよ強つよつよくくくともともとも、、、引ひ引ひひかかかばばばなどなどなどかかか絶た絶たたえええざらざらざらんんん。。。」」」とととぞぞぞ彈ひ彈ひひききき給たま給たまたまふふう。。。荊けい荊けいけい軻か軻かかはははこれこれこれををを聞き聞ききききき知し知ししらららずずず。。。始し始しし皇くわう皇くわうかう帝てい帝ていていははは聞き聞ききききき知し知ししりりりててて、、、御おん御おんおん袖そで袖そでそでををを引ひき引ひきひき切き切ききつつっててて、、、七しち七しちしち尺しやく尺しやくしゃくののの屏びやう屏びやうびょう風ぶ風ぶぶををを跳をど跳をどおどりりり越こ越ここえええ、、、銅あかゞね銅あかゞねあかがねののの柱はしら柱はしらはしらののの陰かげ陰かげかげへへへ逃に逃ににげげげ隱かく隱かくかくれれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。そのそのその時とき時ときとき荊けい荊けいけい軻か軻かか怒いか怒いかいかつつっててて、、、劒つるぎ劒つるぎつるぎををを投な投ななげげげかけかけかけ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。折をり折をりおりふしふしふし御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんににに番ばん番ばんばんののの醫い醫いい師し師ししののの候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるけるががが、、、劒つるぎ劒つるぎつるぎににに藥くすり藥くすりくすりののの袋ふくろ袋ふくろふくろををを投な投ななげげげあはせあはせあわせたりたりたり。。。劒つるぎ劒つるぎつるぎ藥くすり藥くすりくすりののの袋ふくろ袋ふくろふくろをををかけかけかけられられられながらながらながら、、、口くち口くちくち六ろく六ろくろく尺しやく尺しやくしゃくののの銅あかゞね銅あかゞねあかがねののの柱はしら柱はしらはしらををを半なかば半なかばなかばまでまでまでこそこそこそ切き切ききつつったりたりたりけれけれけれ。。。荊けい荊けいけい軻か軻かかまたまたまた劒つるぎ劒つるぎつるぎををを持も持ももたたたざれざれざればばば、、、つゞいつゞいつづいてててももも投な投ななげげげずずず。。。王わう王わうおう立たち立たちたち返かへ返かへかえつつっててて、、、御ぎよ御ぎよぎょ劒けん劒けんけんををを召め召めめししし寄よ寄よよせせせててて、、、荊けい荊けいけい軻か軻かかををを八や八ややつつつざきざきざきにににこそこそこそししし給たま給たまたまひひいけれけれけれ。。。秦しん秦しんしん舞ぶ舞ぶぶ陽やう陽やうようももも討う討ううたたたれれれぬぬぬ。。。やがてやがてやがて官くわん官くわんかん軍ぐん軍ぐんぐんををを遣つか遣つかつかはしはしわしててて燕えん燕えんえん丹たん丹たんたんをををももも亡ほろ亡ほろほろぼさぼさぼさるるる。。。蒼さう蒼さうそう天てん天てんてん許ゆる許ゆるゆるししし給たま給たまたまははわねねねばばば、、、白はく白はくはく虹こう虹こうこう日ひ日ひひををを貫つらぬ貫つらぬつらぬいいいててて通とほ通とほとおらららずずず、、、秦しん秦しんしんののの始し始しし皇くわう皇くわうかうははは遁のが遁のがのがれれれててて、、、燕えん燕えんえん丹たん丹たんたん遂つひ遂つひついににに亡ほろ亡ほろほろびびびにににけりけりけり。。。さればさればされば今いま今いまいまののの賴より賴よりより朝とも朝ともとももももさこそさこそさこそはははあらあらあらんんんずずずらめらめらめととと、、、色しき色しきしき代だい代だいだい申まう申まうもうすすす人ひと人ひとひと々びと々びとびともももありありありけるけるけるとととかやかやかや。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

また異国に先例を尋ねると、燕の太子丹は秦の始皇帝に捕らえられて、十二年も拘束されていた。あるとき燕丹は涙を流して、「私の故郷には老母がいる。暇をいただいて、もう一度母に会いたい」と嘆いた。始皇帝はあざ笑って、「お前に暇をやるのは、馬に角が生え、烏の頭が白くなるのを待ってからだ」とおっしゃった。燕丹は天を仰ぎ地に伏して、「願わくは馬に角を生やし、烏の頭を白くしてください。本国へ帰ってもう一度母に会いたいのです」と祈った。あの妙音菩薩は霊鷲山の浄土に詣でて不孝の者を戒め、孔子や顔回は中国に現れて忠孝の道を始められた。神仏は孝行の志を憐れまれるので、馬に角が生えて宮中に来り、烏の頭が白くなって庭前の木にとまった。始皇帝は烏の頭が白くなり馬に角が生えた異変に驚き、天子の言葉は取り消せないことを深く信じて、太子丹を許して本国へ帰された。

始皇はなお悔しく思われて、秦の国と燕の国の境に楚国という国がある。大きな河が流れている。その河に渡した橋を楚国の橋といった。始皇はあらかじめ官軍を遣わして、燕丹が渡るとき、川の中ほどの橋を踏んだら落ちるように細工して渡らせたので、どうして無事でいられようか、真ん中で落ちてしまった。けれども水には少しも溺れず、平地を行くように向こう岸に着いた。燕丹がこれはどうしたことかと振り返ると、数えきれないほどの亀が水の上に浮かんできて、甲羅を並べてその上を通したのであった。これも孝行の志を神仏が憐れまれたからである。

燕丹はなお恨みを抱いて始皇帝に従わない。始皇は官軍を遣わして燕丹を滅ぼそうとした。燕丹はひどく恐れおののいて、荊軻という勇士を味方にして大臣にした。荊軻はまた田光先生という勇士を誘ったが、先生が言うには、「君はこの身が若く盛んであったころのことをご存じで、このように頼まれるのか。麒麟は千里を飛ぶというが、老いれば駄馬にも劣る。この身は年老いて、とてもお役に立てまい。結局、よい勇士を誘って差し上げよう」と言うと、荊軻は「決してこのことを口外するな」と言った。先生はこれを聞いて、「このことが漏れたなら、私がまっ先に疑われよう。人に疑われることほど恥ずかしいことはない」といって、荊軻の門前の李の木に頭を打ちつけて砕き、死んでしまった。

また樊於期という勇士がいた。これは秦の国の者であったが、始皇のために親・叔父・兄弟を滅ぼされて、燕の国に逃げこもっていた。始皇は天下に宣旨を下して、燕の地図と樊於期の首を持って参った者には五百斤の金を与えると布告された。荊軻は樊於期のもとに行って、「聞けば、お前の首には五百斤の金が懸けられているそうだ。お前の首を私に貸せ。それを持って始皇帝に献じよう。喜んでご覧になるとき、剣を抜いて胸を刺すのはたやすいだろう」と言うと、樊於期は躍り上がり躍り上がり、大きく息をついて、「私の親・叔父・兄弟を始皇帝に滅ぼされて、昼も夜もこれを思うと骨の髄まで耐えがたい。まことに始皇帝を討てるのなら、わが首を与えることなど塵芥よりもたやすい」といって、自ら首を切って死んだ。

また秦舞陽という勇士がいた。これも秦の国の者であったが、十三歳のとき敵を討って燕の国に逃げこもっていた。彼が笑って向かうと赤子も抱かれ、また怒って向かうと大の男も気絶する。並ぶ者のない勇士である。荊軻は彼を誘って、秦の都の案内者として連れて行ったが、ある山里に泊まった夜、近くの里で管弦の音がするのを聞いて、その調子で本意の成否を占うと、「敵の方は水、わが方は火である。白い虹が日を貫いて通らない。わが本意を遂げることは難しい」と言った。

やがて夜も明けた。けれども引き返すべき道ではないので、秦の都の咸陽宮に至った。燕の地図と樊於期の首を持って参ったことを奏上した。臣下に受け取らせようとなさると、「決して人づてには差し上げません。直接献じましょう」と申したので、それならと節会の儀式を整えて、燕の使者を召された。咸陽宮は都の周囲が一万八千三百八十里に及ぶ。内裏は地面から三里の高さに築き上げて、その上に建てられていた。長生殿があり、不老門があり、金で日を作り、銀で月を作っていた。真珠の砂、瑠璃の砂、金の砂を敷き詰めていた。四方には鉄の築地を四十丈の高さに築き上げ、御殿の上にも同じく鉄の網を張っていた。これは冥途の使いを入れまいとするためである。秋に田の雁が来て、春に北へ帰るときにも、自由に飛べなくて差し支えがあるというので、築地には雁門と名づけた鉄の門を開けて通された。その中に阿房殿といって、始皇がいつもお出ましになって政治を行われる御殿がある。東西に九町、南北に五町、高さは三十六丈である。縁の下には五丈の旗矛を立てても、なお届かないほどである。屋根は瑠璃の瓦で葺き、下は金銀を磨いていた。

荊軻は燕の地図を持ち、秦舞陽は樊於期の首を持って、玉の階段を半ばほど昇ったが、秦舞陽はあまりに内裏の壮大さを見てわなわなと震えたので、臣下がこれを怪しんで、「刑人を君のそばに置かず、君子は刑人に近づかない。近づけば死を軽んじることになる」と言った。荊軻は振り返って、「秦舞陽にはまったく謀叛の心はない。ただ田舎の卑しい暮らしにばかり慣れて、このような皇居に慣れていないので、心が惑っているのだ」と言ったので、臣下はみな静まった。そこで王に近づき申して、燕の地図と樊於期の首をお目にかけたところ、地図を入れた櫃の底に氷のような剣があるのを始皇帝がご覧になって、すぐに逃げようとなさると、荊軻は御袖をむずとつかみ申して、剣を胸に突きつけた。もはやこれまでと見えた。数万の軍勢は庭に並んでいたが、救おうにも力がない。ただこの君が逆臣に殺されることばかりを嘆き悲しみ合った。

始皇帝は、「わしにしばらくの猶予をくれ。后の琴の音をもう一度聞きたい」とおっしゃったので、荊軻はしばらく手を下さなかった。始皇帝は三千人の后を持っておられた。その中に花陽夫人という並ぶ者のない琴の名手がおられた。およそこの后の琴の音を聞けば、猛き武士の怒りの心も和らぎ、飛ぶ鳥も地に落ち、草木も揺らぐほどである。まして今を最後と帝のお耳に入れようと泣く泣く弾かれたので、さぞ趣深かったであろう。荊軻は首を垂れ、耳をそばだてて、謀臣の心もほとんどゆるんでしまった。そのとき后は、さらに一曲を奏でた。「七尺の屏風は高くとも、跳べばどうして越えられないことがあろう。一筋の薄絹は強くとも、引けばどうして切れないことがあろう」と弾かれた。荊軻はこれを聞き取れない。始皇帝は聞き取って、御袖を引きちぎり、七尺の屏風を跳び越えて、銅の柱の陰へ逃げ隠れなさった。そのとき荊軻は怒って剣を投げつけ申した。ちょうど御前に番の医師が控えていたが、剣に薬の袋を投げ当てた。剣は薬の袋をかけられながら、周囲六尺の銅の柱を半ばまで切り込んだ。荊軻はもう剣を持っていないので、続けて投げることもできない。王は立ち返って御剣を取り寄せ、荊軻を八つ裂きになさった。秦舞陽も討たれた。やがて官軍を遣わして燕丹も滅ぼされた。天がお許しにならなかったので、白い虹は日を貫いて通らず、秦の始皇は逃れて、燕丹はついに滅んだ。だから今の頼朝もきっとそうなるだろうと、追従を申す人々もあったとか。

意訳

燕の太子丹と荊軻による秦の始皇帝暗殺未遂の故事を語る章段である。物語は、清盛を朝敵頼朝に狙われる始皇帝に、頼朝を燕丹になぞらえ、「今の賴朝もさこそはあらんずらめ」と、平家方の楽観を示して結ぶ。

しかし、燕丹の孝心に天が感じて馬に角が生え、亀が橋となったように、物語は燕丹の側にも天の加護を描いている。巨大な咸陽宮や阿房殿の描写は始皇帝の驕りを示し、平家の栄華とも重なり合う。追従する人々の言葉の裏に、平家の行く末への不安が読み取れる。

語釈・文法注

文法

「烏頭馬角の變」
烏の頭が白くなり、馬に角が生える異変。ありえないことのたとえ。
「白虹日を貫いて通らず」
白い虹が日を貫くのは、臣が君を害する兆しとされた。それが貫き通らないのは、謀が成就しないことを示す。
「羅縠」
薄く織った絹。
「色代」
お世辞、追従。

解説

燕の太子丹と荊軻の故事は『史記』刺客列伝などに見える。荊軻が易水のほとりで「風蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去ってまた還らず」と歌った話は名高い。『平家物語』は琴の合図など独自の脚色を加えている。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、479–483頁(コマ268–270)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日