平家物語 巻第五
月見の事
福原の新都に移った人々は、秋になると須磨・明石や淡路など名所の月を見に出かけた。徳大寺実定は旧都の月を恋しく思って京に上り、近衛河原の大宮(多子)の御所を訪ねた。荒れ果てた旧都を今様に歌うと、女房たちは涙を流した。翌朝、実定は蔵人を遣わして待宵の小侍従と歌を贈答させ、その蔵人は「ものかはの蔵人」と呼ばれるようになった。
- 1六六ろく月月がつ九九ここの日日かののの日日ひ新新しん都都とののの事事ことはじめはじめはじめ、、、八八はち月月がつ十十とお日日かののの日日ひ上上じょう棟棟とう、、、十十じゅう一一いち月月がつ十十じゅう三三さん日日にち遷遷せん幸幸こうととと定定さだめめめらるらるらる。。。舊舊ふるききき都都みやこははは荒荒あれれれゆけゆけゆけどどど、、、今今いまののの都都みやこははは繁繁はん昌昌じょうすすす。。。淺淺あさましかりましかりましかりつるつるつる夏夏なつももも暮暮くれれれててて、、、秋秋あきにににももも既既すでににになりなりなりにににけりけりけり。。。秋秋あきもももやう〳〵やう〳〵ようよう半半なかばににになりなりなりゆけゆけゆけばばば、、、福福ふく原原はらののの新新しん都都とにににまし〳〵まし〳〵ましましけるけるける人人ひと々々びと、、、名名めい所所しょののの月月つきををを見見みんんんとてとてとて、、、或或あるいははは源源げん氏氏じののの大大たい將將しょうののの昔昔むかしののの跡跡あとをををしのびしのびしのびつゝつゝつつ、、、須須す磨磨まよりよりより明明あか石石しののの浦浦うらづたひづたひづたい、、、淡淡あわ路路じののの迫迫せ門門とをををおしおしおし渡渡わたりりり、、、繪繪え島島じまががが磯磯いそののの月月つきををを見見みるるる。。。或或あるいははは白白しら浦浦うら、、、吹吹ふき上上あげ、、、和和わ歌歌かののの浦浦うら、、、住住すみ吉吉よし、、、難難なに波波わ、、、高高たか砂砂さご、、、尾尾を上上のへののの月月つきののの曙曙あけぼのををを眺眺ながめめめててて歸歸かえるるる人人ひともももありありあり。。。
- 2舊舊きゅう都都とににに殘殘のこるるる人人ひと々々びとははは、、、伏伏ふし見見み、、、廣廣ひろ澤澤さわののの月月つきををを見見みるるる。。。中中なかにににももも德德とく大大だい寺寺じののの左左さ大大だい將將しょう實實じつ定定ていののの卿卿きょうははは、、、舊舊ふるききき都都みやこののの月月つきををを戀戀こひひいつゝつゝつつ、、、八八はち月月がつ十十とお日日か餘餘あまりりりににに福福ふく原原はらよりよりよりぞぞぞ上上のぼりりり給給たまふふう。。。何何なに事事ごとももも皆皆みな變變かわりりりはてはてはてててて、、、稀稀まれににに殘殘のこるるる家家いえははは門門もん前前ぜん草草くさ深深ふかくくくしてしてして、、、庭庭てい上上じょう露露つゆしげししげししげし。。。蓬蓬よもぎががが杣杣そま、、、淺淺あさ茅茅じががが原原はら、、、鳥鳥とりのののふしどふしどふしどととと荒荒あれれれはてはてはてててて、、、蟲蟲むしののの聲聲こえ々々ごえ恨恨うらみみみつゝつゝつつ、、、黄黄こう菊菊ぎく、、、紫紫し蘭蘭らんののの野野のべべべとととぞぞぞなりなりなりにににけるけるける。。。今今いまふるふるふるさとさとさとののの名名な殘殘ごりとてとてとてははは、、、近近この衞衞え河河かわ原原らののの大大おお宮宮みやばかりばかりばかりぞぞぞまし〳〵まし〳〵ましましけるけるける。。。
- 3大大たい將將しょうそのそのその御御ご所所しょへへへ參參まいりりり、、、まづまづまず隨隨ずい身身じんををを以以もっててて總總そう門門もんををを叩叩たたかかかせせせらるれらるれらるればばば、、、内内うちよりよりより女女おんなののの聲聲こえにににててて、、、「「「誰誰たぞぞぞややや蓬蓬よもぎ生生うののの露露つゆ、、、うちうちうち拂拂はらふふう人人ひともももなきなきなき所所ところににに。。。」」」ととと咎咎とがむれむれむればばば、、、「「「これこれこれははは福福ふく原原はらよりよりより大大たい將將しょう殿殿どのののの御御おん上上のぼりりり候候そうろう。。。」」」ととと申申もうすすす。。。「「「さささ候候そうらははわばばば總總そう門門もんははは錠錠じょうのののさされさされさされててて候候そうろうぞぞぞ、、、東東ひがしののの小小こ門門もんよりよりより入入いらららせせせたまへたまへたまえ。。。」」」ととと申申もうしししけれけれければばば、、、大大たい將將しょうさらばさらばさらばとてとてとて、、、東東ひがしののの小小こ門門もんよりよりよりぞぞぞ參參まいららられれれけるけるける。。。大大おお宮宮みやははは御御おんつれ〴〵つれ〴〵つれづれににに、、、昔昔むかしをををやややおぼしめしおぼしめしおぼしめし出出いでででさせさせさせ給給たまひひいけんけんけん、、、南南なん面面めんののの御御み格格こう子子しあけあけあけさせさせさせ、、、御御おん琵琵び琶琶わあそばさあそばさあそばされれれけるけるける所所ところへへへ、、、大大たい將將しょうつとつとつと參參まいららられれれたれたれたればばば、、、しばらくしばらくしばらく御御おん琵琵び琶琶わをををさしさしさし置置おかかかせせせ給給たまひひいててて、、、「「「夢夢ゆめかかかやややうつゝうつゝうつつかかか、、、これこれこれへ〳〵へ〳〵へこれへ。。。」」」とととぞぞぞ仰仰おおせせせけるけるける。。。源源げん氏氏じののの宇宇う治治じののの巻巻まきにににははは、、、優優う婆婆ば塞塞そくののの宮宮みやののの御御おん女女むすめ、、、秋秋あきののの名名な殘殘ごりををを惜惜おしみしみしみつゝつゝつつ、、、琵琵び琶琶わををを調調しらべべべててて夜夜よもすがらもすがらもすがら、、、心心こころをををすましすましすまし給給たまひひいしししににに、、、有有あり明明あけののの月月つきののの出出いでででけるけるけるををを、、、なほなほなお堪堪たへへえずずずやややおぼしおぼしおぼしけんけんけん、、、撥撥ばちにににててて招招まねききき給給たまひひいけんけんけんももも、、、今今いまこそこそこそおぼしめしおぼしめしおぼしめし知知しららられれれけれけれけれ。。。
- 4待待まつ宵宵よいののの小小こ侍侍じ從從じゅうととと申申もうすすす女女にょう房房ぼうももも、、、このこのこの御御ご所所しょにににぞぞぞ候候さぶらははわれれれけるけるける。。。そも〳〵そも〳〵そもそもこのこのこの女女にょう房房ぼうををを待待まつ宵宵よいととと召召めささされれれけるけるけることことことははは、、、あるあるある時時とき御御ご前前ぜんよりよりより、、、「「「待待まつつつ宵宵よい、、、かへるかへるかえる朝朝あした、、、いづれいづれいずれかかか哀哀あわれれれはははまさまさまされれれるるる。。。」」」ととと仰仰おおせせせけれけれければばば、、、かのかのかの女女にょう房房ぼう、、、
- 5まつまつまつよひよひよいののの更更ふけけけゆくゆくゆく鐘鐘かねののの聲聲こえきけきけきけばばばかへるかへるかえるあしたあしたあしたののの鶏鶏とりはははものものものかはかはかは
- 6ととと申申もうしししたりたりたりけるけるける故故ゆえにににこそこそこそ、、、待待まつ宵宵よいとととははは召召めささされれれけれけれけれ。。。大大たい將將しょうこのこのこの女女にょう房房ぼうををを呼呼よびびび出出いでででててて、、、昔昔むかし今今いまののの物物もの語語がたりどもどもどもししし給給たまひひいててて後後のち、、、小小さ夜夜よもももやう〳〵やう〳〵ようよう更更ふけけけゆけゆけゆけばばば、、、舊舊ふるききき都都みやこののの荒荒あれれれゆくゆくゆくををを、、、今今いま樣樣ようにににこそこそこそうたはうたはうたわれれれけれけれけれ。。。
- 7ふるきふるきふるき都都みやこををを來來きててて見見みれれればばば淺淺あさ茅茅じががが原原はらとととぞぞぞ荒荒あれれれにににけるけるける
- 8月月つきののの光光ひかりははは限限くまなくなくなくててて秋秋あき風風かぜのみのみのみぞぞぞ身身みにににはははしむしむしむ
- 9ととと、、、押押おし返返かえし〳〵し〳〵しおしかえし、、、三三さん遍遍べん歌歌うたひひいすまさすまさすまされれれたりたりたりけれけれければばば、、、大大おお宮宮みやををを始始はじめめめ奉奉たてまつつつっててて御御ご所所しょ中中じゅうののの女女にょう房房ぼうたちたちたち、、、みなみなみな袖袖そでをををぞぞぞ濡濡ぬらさらさらされれれけるけるける。。。
- 10さるさるさる程程ほどににに夜夜よもももやう〳〵やう〳〵ようよう明明あけけけゆけゆけゆけばばば、、、大大たい將將しょういとまいとまいとま申申もうしししつゝつゝつつ、、、福福ふく原原はらへへへぞぞぞ歸歸かえららられれれけるけるける。。。供供ともににに候候そうろう藏藏くら人人うどををを召召めしししててて、、、「「「侍侍じ從從じゅうががが何何なにととと思思おもふふうやらやらやらんんん、、、あまりあまりあまりににに名名な殘殘ごり惜惜おしげしげしげににに見見みえええつるつるつるににに、、、汝汝なんじかへつかへつかえっててて、、、ともかくもともかくもともかくもいういういうててて來來こよよよ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、藏藏くら人人うど走走はしりりり歸歸かえりりり、、、畏畏かしこまつまつまっててて、、、「「「これこれこれははは大大たい將將しょう殿殿どのののの申申もうせせせととと候候そうろう。。。」」」とてとてとて、、、
- 11物物ものかはかはかはととと君君きみがががいひいひいいけむけむけん鶏鶏とりののの音音ねののの今今け朝朝さしもしもしもなどなどなどかかか悲悲かなしかるしかるしかるらむらむらん
- 12女女にょう房房ぼうとりとりとりあへあへあえずずず、、、
- 13待待またたたばばばこそこそこそ更更ふけけけゆくゆくゆく鐘鐘かねもももつらからつらからつらからめめめ歸歸かえるるるあしたあしたあしたののの鷄鷄とりののの音音ねぞぞぞうきうきうき
- 14藏藏くら人人うど走走はしりりりかへつかへつかえっててて、、、このこのこの由由よしををを申申もうしししたりたりたりけれけれければばば、、、「「「さてさてさてこそこそこそ汝汝なんじをををばばば遣遣つかはしはしわしたれたれたれ。。。」」」とてとてとて、、、大大たい將將しょう大大おおきききににに感感かんぜぜぜられられられけりけりけり。。。それそれそれよりよりよりしてしてしてこそこそこそ、、、ものものものかはかはかはののの藏藏くら人人うどとととははは召召めささされれれけれけれけれ。。。
現代語訳
六月九日に新都の造営を始め、八月十日に上棟、十一月十三日に遷幸と定められた。旧都は荒れていくが、今の都は栄える。嘆かわしかった夏も暮れて、もう秋になった。秋もしだいに半ばになると、福原の新都においでになる人々は名所の月を見ようと、あるいは源氏の大将(光源氏)の昔の跡を偲びつつ、須磨から明石の浦伝いに、淡路の瀬戸を押し渡って絵島が磯の月を見る。あるいは白浦・吹上・和歌の浦・住吉・難波・高砂・尾上の月の曙を眺めて帰る人もいた。
旧都に残る人々は、伏見や広沢の月を見る。中でも徳大寺左大将実定卿は、古い都の月を恋しく思って、八月十日過ぎに福原から京へ上られた。何もかもすっかり変わり果てて、まれに残っている家は門の前に草が深く茂り、庭には露がしげく置いている。蓬の茂る林、浅茅が原、鳥の寝ぐらと荒れ果てて、虫の声々は恨めしげに鳴き、黄菊や紫蘭の咲く野辺となってしまった。今、ふるさとの名残といえば、近衛河原の大宮(藤原多子)だけがおいでになった。
大将はその御所へ参って、まず随身に総門を叩かせると、内から女の声で、「どなたですか、蓬に置く露を払う人もいないこのような所に」と咎めるので、「こちらは福原から大将殿がお上りになりました」と申した。「それなら総門は錠がさしてありますので、東の小門からお入りください」と申したので、大将はそれならといって東の小門から参られた。大宮はつれづれのままに昔を思い出しておられたのであろうか、南面の御格子を上げさせて琵琶を弾いておられたところへ、大将がさっと参られたので、しばらく琵琶を置かれて、「夢か現か、こちらへ、こちらへ」とおっしゃった。源氏物語の宇治の巻には、優婆塞の宮の御娘が秋の名残を惜しんで琵琶を弾き、夜通し心を澄ましていたが、有明の月が出たのをなお堪えきれずに撥で招いたとあるが、それも今こそ思い知られたのであった。
待宵の小侍従という女房もこの御所にお仕えしていた。そもそもこの女房が待宵と呼ばれたのは、あるとき御前から「恋人を待つ宵と、別れて帰る朝と、どちらがあわれがまさるか」とお尋ねがあったので、この女房が、
恋人を待つ宵の、更けていく鐘の音を聞く切なさに比べれば、帰る朝の鶏の声など何ほどのことがありましょう。
と申したからこそ、待宵と呼ばれたのである。大将はこの女房を呼び出して、昔や今の話をなさった後、夜もしだいに更けていくと、古い都の荒れていくさまを今様にして歌われた。
古い都に来てみれば、浅茅が原と荒れてしまった。
月の光は隈なく照らして、秋風ばかりが身にしみる。
と、繰り返し繰り返し三度歌い澄まされたので、大宮をはじめとして御所中の女房たちは、みな袖を濡らされた。
やがて夜もしだいに明けていったので、大将は暇乞いをして福原へ帰られた。お供の蔵人を呼んで、「侍従がどう思っているだろうか、あまりに名残惜しそうに見えたので、お前は引き返して、何か言ってこい」とおっしゃったので、蔵人は走って戻り、かしこまって、「これは大将殿が申せとのことです」といって、
「ものかは(何ほどのこともない)」とあなたが言った鶏の声が、今朝はどうしてこんなに悲しく聞こえるのでしょう。
女房はすぐに、
待っているからこそ、更けていく鐘の音もつらいのです。お帰りになる朝の鶏の声は、やはりつらいものです。
蔵人が走って帰ってこのことを申し上げると、「それでこそお前を遣わしたのだ」といって、大将はたいそう感心なさった。それからこそ、この蔵人は「ものかはの蔵人」と呼ばれるようになった。
意訳
遷都の暗い話題の中に置かれた、王朝の雅を伝える章段である。福原の人々は須磨・明石など名所の月を楽しむが、徳大寺実定は荒れ果てた旧都の月を恋しく思って京に上る。浅茅が原と化した都に、近衛河原の大宮だけが昔のままに住まい、琵琶を弾いている。
実定が今様に歌う「ふるき都を來て見れば」の歌、待宵の小侍従の名高い「まつよひの」の歌、そして翌朝の贈答の歌が重なり合って、失われていく都の美しさとあわれが浮かび上がる。機転のきいた使いを務めた蔵人が「ものかはの蔵人」と呼ばれたという結びも、王朝風の風流を伝えている。
語釈・文法注
文法
- 「源氏の大將の昔の跡」
- 『源氏物語』で光源氏が須磨・明石に退去したことを指す。
- 「大宮」
- 藤原多子。近衛天皇・二条天皇の二代の后となったので「二代の后」と呼ばれた(巻第一)。実定の妹。
- 「優婆塞の宮の御女」
- 『源氏物語』橋姫巻で、宇治の八の宮の姫君が月を撥で招いた場面を指す。
- 「ものかは」
- 何ほどのこともない。問題にならない。
- 「今樣」
- 平安時代後期に流行した七五調四句の歌謡。
- 「鷄」「鶏」
- 底本は同じ章段の中で「鶏」と「鷄」の両方の字形を用いている。底本のまま翻刻した。
和歌
まつよひの更けゆく鐘の聲きけばかへるあしたの鶏はものかは
- 詠者
- 小侍従
- 状況
- 「待つ宵と帰る朝とではどちらがあわれか」という問いに答えて詠んだ歌。この歌によって「待宵の小侍従」と呼ばれた。
修辞
- 対比
- 恋人を待つ宵の鐘の音と、別れの朝の鶏の声とを対比し、待つ宵のつらさのほうがまさると答える。
物かはと君がいひけむ鶏の音の今朝しもなどか悲しかるらむ
- 詠者
- 藤原実定(蔵人が伝える)
- 状況
- 大宮の御所を去る朝、実定が蔵人に託して小侍従に贈った歌。
修辞
- 本歌取り
- 小侍従の「まつよひの」の歌の「ものかは」を踏まえて、別れの朝の鶏の声が今朝は悲しく聞こえると返す。
待たばこそ更けゆく鐘もつらからめ歸るあしたの鷄の音ぞうき
- 詠者
- 小侍従
- 状況
- 実定の歌に、即座に返した歌。
修辞
- 反転
- 自らの「まつよひの」の歌を翻して、待つからこそ鐘もつらいのであって、今は別れの朝の鶏の声こそつらい、と応じる。
解説
徳大寺実定(1139〜1192)は和歌・今様に優れた公卿で、のちに左大臣に至った。百人一首の「ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる」の作者(後徳大寺左大臣)である。小侍従は石清水八幡宮別当光清の娘で、二条天皇・高倉天皇に仕えた歌人。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、470–472頁(コマ264–265)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日