平家物語 巻第四
鵺の事
源頼政は摂津守頼光の五代の子孫で、恩賞に恵まれず、和歌によって昇殿と三位を得た。仁平のころ、近衛天皇が夜ごとに怯えたとき、頼政は宮中の警固を命じられ、東三条の森から来る黒雲の中の怪物を射落とした。その姿は頭が猿、胴が狸、尾が蛇、手足が虎で、鳴く声は鵺に似ていた。応保のころにも二条天皇のために闇夜の鵺を射落とし、和歌の才もたたえられた。
- 1そも〳〵そも〳〵そもそもこのこのこの源源げん三三ざん位位み入入にゅう道道どう賴賴より政政まさははは、、、攝攝つ津津のののの守守かみ賴賴らい光光こうににに五五ご代代だい、、、三三み河河かわののの守守かみ賴賴より綱綱つなががが孫孫まご、、、兵兵ひょう庫庫ごののの頭頭かみ仲仲なか政政まさががが子子こなりなりなりけりけりけり。。。保保ほう元元げんののの合合かっ戰戰せんののの時時ときももも、、、御御み方方かたにににててて先先さきをををかけかけかけたりたりたりしかしかしかどもどもども、、、させるさせるさせる賞賞しょうにににももも預預あずからららずずず、、、またまたまた平平へい治治じののの逆逆げき亂亂らんにににももも、、、既既すでににに親親しん類類るいををを棄棄すてててててて參參さんじじじたりたりたりしかしかしかどもどもども、、、恩恩おん賞賞しょうこれこれこれ疎疎おろそかかかなりなりなりききき。。。大大だい内内だい守守しゅ護護ごにににててて年年とし久久ひさしうしうしゅうありありありしかしかしかどもどもども、、、昇昇しょう殿殿でんをををばばば許許ゆるささされれれずずず。。。年年としたけたけたけ齡齡よわいかたぶいかたぶいかたぶいててて後後のち、、、述述じゅっ懷懷かいののの和和わ歌歌か一一いっ首首しゅ詠詠よみみみてててこそこそこそ、、、昇昇しょう殿殿でんをををばばばしししたりたりたりけれけれけれ。。。
- 2人人ひと知知しれれれぬぬぬ大大おお内内うち山山やまののの山山やま守守もりははは木木こがくれがくれがくれてててのみのみのみ月月つきををを見見みるるるかなかなかな
- 3これこれこれににに依依よつつっててて昇昇しょう殿殿でんををを許許ゆるささされれれ、、、正正じょう下下げののの四四し位位いにににててて暫暫しばらくくくありありありしししががが、、、なほなほなお三三さん位位みををを心心こころにににかけかけかけつゝつゝつつ、、、
- 4昇昇のぼるるるべきべきべきたよりたよりたよりなきなきなき身身みははは木木こののの下下もとにににしひしひしいををを拾拾ひろひひいててて世世よをををわたるわたるわたるかなかなかな
- 5さてさてさてこそこそこそ三三さん位位みはははしししたりたりたりけれけれけれ。。。やがてやがてやがて出出しゅっ家家けしてしてして源源げん三三ざん位位み入入にゅう道道どう賴賴より政政まさとてとてとて、、、今今こ年年としははは七七しち十十じゅう五五ごにににぞぞぞならならなられれれけるけるける。。。このこのこの人人ひと一一いち期期ごののの高高こう名名みょうとととおぼしきおぼしきおぼしき事事ことははは多多おおきききががが中中なかにににももも、、、ことことことにににははは仁仁にん平平ぺいのののころほひころほひころおい、、、近近この衞衞えののの院院いん御御ご在在ざい位位いののの御御おん時時とき、、、夜夜よな〳〵な〳〵なよなおびえおびえおびえさせさせさせ給給たまふふう事事ことありありありけりけりけり。。。有有う驗驗げんののの高高こう僧僧そう、、、貴貴き僧僧そうににに仰仰おおせせせててて、、、大大だい法法ほう祕祕ひ法法ほうををを修修しゅせせせられられられけれけれけれどもどもどもそのそのその驗驗しるしなしなしなし。。。御御ご惱惱のうははは丑丑うしののの刻刻こくばかりばかりばかりののの事事ことなるなるなるににに、、、東東ひがし三三さん條條じょうののの森森もりののの方方かたよりよりより黑黑くろ雲雲くも一一ひと叢叢むら立立たちちち來來きたつつっててて御御ご殿殿てんののの上上うえににに蔽蔽おおへへえばばば、、、必必かならずずずおびえおびえおびえさせさせさせ給給たまひひいけりけりけり。。。これこれこれににに依依よつつっててて公公く卿卿ぎょう僉僉せん議議ぎありありありけりけりけり。。。
- 6去去さんんんぬるぬるぬる寛寛かん治治じのののころほひころほひころおい、、、堀堀ほり河河かわののの院院いん御御ご在在ざい位位いののの御御おん時時とき、、、主主しゅ上上しょうしかしかしかののの如如ごとくくくおびえおびえおびえたまぎらたまぎらたまぎらせせせ給給たまひひいけりけりけり。。。そのそのその時時ときののの將將しょう軍軍ぐん義義よし家家いえ朝朝あ臣臣そん、、、南南なん殿殿でんののの大大おお床床ゆかににに候候さぶらははわれれれけるけるけるががが、、、御御ご惱惱のうののの刻刻こく限限げんににに及及およんんんででで鳴鳴めい弦弦げんするするする事事こと三三さん度度どののの後後のち、、、高高こう聲聲じょうににに前前さきののの陸陸む奧奧つののの國國くにののの守守かみ源源みなもとののの義義よし家家いえととと名名な乘乘のりりりたりたりたりけれけれければばば、、、聞聞きくくく人人ひと身身みののの毛毛けよだつよだつよだっててて、、、御御ご惱惱のう必必かならずずず怠怠おこたらららせせせ給給たまひひいけりけりけり。。。然然しかれれればばばすなはちすなはちすなわち先先せん例例れいにににまかせまかせまかせててて、、、武武ぶ士士しににに仰仰おおせせせててて警警けい固固ごあるあるあるべしべしべしとてとてとて、、、源源げん平平ぺい兩兩りょう家家けののの兵兵つわものののの中中なかををを選選えらままませせせられられられけるけるけるににに、、、このこのこの賴賴より政政まさをををぞぞぞ選選えらびびび出出いだささされれれたりたりたりけるけるける。。。そのそのその時時ときははは未未いまだだだ兵兵ひょう庫庫ごののの頭頭かみにににててて候候さぶらははわれれれけるけるけるががが、、、申申もうささされれれけるけるけるははは、、、「「「昔昔むかしよりよりより朝朝ちょう家家かににに武武ぶ士士しををを置置おかかかるゝるゝるる事事ことははは、、、逆逆ぎゃく叛叛ほんののの者者ものををを退退しりぞけけけ、、、違違い敕敕ちょくのののともがらともがらともがらををを亡亡ほろぼさぼさぼさんんんががが爲爲ためなりなりなり。。。目目めにににももも見見みえええぬぬぬ變變へん化化げのののものものもの仕仕つかまつれれれととと仰仰おおせせせ下下くださささるゝるゝるる事事こと、、、未未いまだだだ承承うけたまわりりり及及およばばばずずず。。。」」」ととと申申もうしししながらながらながら、、、敕敕ちょく宣宣せんなれなれなればばば、、、召召めしししににに應應おうじじじててて參參さん内内だいすすす。。。
- 7賴賴より政政まさ賴賴たのみみみきつきつきったるたるたる郎郎ろう等等どう、、、遠江遠江とおとうみののの國國くにののの住住じゅう人人にん猪猪いののの早早はや太太たににに、、、母母ほ衣衣ろののの風風かざ切切きりはいはいはいだりだりだりけるけるける矢矢や負負おははわせせせててて、、、たゞたゞただ一一ひと人人りぞぞぞ具具ぐしししたりたりたりけるけるける。。。わがわがわが身身みははは二二ふた重重へののの狩狩かり衣衣ぎぬににに、、、山山やま鳥鳥どりののの尾尾をををを以以もってててはいはいはいだりだりだりけるけるける鋒鋒とがり矢矢や二二ふた筋筋すじ、、、滋滋しげ籐籐どうののの弓弓ゆみににに取取とり添添そへへえててて、、、南南なん殿殿でんののの大大おお床床ゆかににに伺伺し候候こうすすす。。。賴賴より政政まさ矢矢や二二ふたつつつ手手た挾挾ばさみみみけるけるけることことことははは、、、雅雅が賴賴らいののの卿卿きょう、、、其其そののの時時ときははは未未いまだだだ左左さ少少しょう辨辨べんにににててておはしおはしおわしけるけるけるががが、、、變變へん化化げののの者者もの仕仕つかまつらららんんんずるずるずる仁仁じんははは賴賴より政政まさぞぞぞ候候そうろうらんらんらんととと、、、選選えらみみみ申申もうささされれれたるたるたる閒閒あいだ、、、一一いちののの矢矢やにににててて、、、變變へん化化げののの者者もの射射い損損そんずるずるずる程程ほどならならならばばば、、、二二にののの矢矢やにににははは雅雅が賴賴らいののの辨辨べんのののしやしやしや頸頸くびののの骨骨ほねををを射射いんんんとととなりなりなり。。。
- 8案案あんののの如如ごとくくく、、、日日ひ頃頃ごろ人人ひとののの申申もうすすすににに違違たがははわずずず、、、御御ご惱惱のうののの刻刻こく限限げんににに及及およんんんででで東東ひがし三三さん條條じょうののの森森もりののの方方かたよりよりより、、、黑黑くろ雲雲くも一一ひと叢叢むら立立たち來來きたつつっててて、、、御御ご殿殿てんののの上上うえにににたなびいたなびいたなびいたりたりたり。。。賴賴より政政まさきつきつきっととと見見み上上あげげげたれたれたればばば、、、雲雲くもののの中中なかにににあやしきあやしきあやしき者者ものののの姿姿すがたありありあり。。。射射い損損そんずるずるずるほどほどほどならならならばばば世世よにににあるあるあるべしべしべしともともとも覺覺おぼえええずずず。。。さりながらさりながらさりながら矢矢や取取とつつってててつがひつがひつがい、、、南南な無無む八八はち幡幡まん大大だい菩菩ぼ薩薩さつととと心心こころののの中中うちににに祈祈き念念ねんしてしてして、、、よつぴいよつぴいよっぴいててて、、、ひようひようひょうととと放放はなつつつ。。。手手て答答ごたへへえしてしてしてはたはたはたととと中中あたるるる。。。得得えたりたりたりやややをうをうおうととと矢矢や叫叫さけびびびをををこそこそこそしししてててんんんげれげれげれ。。。猪猪いののの早早はや太太たつとつとつと寄寄よりりり、、、落落おつるつるつる所所ところををを取取とつつっててて押押おさへへえ、、、柄柄つかももも拳拳こぶしももも透透とおれ〳〵れ〳〵れとおれととと、、、續續つづけけけざまざまざまににに九九ここの刀刀かたなぞぞぞ刺刺さしししたりたりたりけるけるける。。。そのそのその時時とき上上じょう下下げ、、、手手てんんん手手でににに火火ひをををとぼしとぼしとぼしててて、、、これこれこれををを御御ご覽覽らんじじじ見見み給給たまふふうににに、、、頭頭かしらははは猿猿さる、、、胴胴むくろははは狸狸たぬき、、、尾尾をははは蛇蛇へび、、、手手て足足あしははは虎虎とらののの如如ごとくくくにににしてしてして、、、鳴鳴なくくく聲聲こえ鵺鵺ぬえにににぞぞぞ似似にたりたりたりけるけるける。。。おそろしおそろしおそろしなどなどなどもももおろかおろかおろかなりなりなり。。。
- 9主主しゅ上上しょう御御ぎょ感感かんのののあまりあまりあまりににに獅獅し子子し王王おうととと申申もうすすす御御ぎょ劍劍けんををを下下くださささるるる。。。宇宇う治治じののの左左さ大大だい臣臣じん殿殿どのこれこれこれををを賜賜たまはりはりわりついついついででで、、、賴賴より政政まさにににたばたばたばんんんとてとてとて、、、御御ご前前ぜんののの階階きざはしををを半半なかばばばばかりばかりばかり下下おりりりさせさせさせ給給たまふふう折折おりしもしもしも、、、頃頃ころははは卯卯う月月づき十十とお日日かあまりあまりあまりののの事事ことなれなれなればばば、、、雲雲くも井井いににに郭公郭公ほととぎす二二ふた聲聲こえ三三み聲聲こえおとづれおとづれおとずれててて通通とおりりりけれけれければばば、、、左左さ大大だい臣臣じん殿殿どの、、、
- 10ほとゝぎすほとゝぎすほととぎす名名なをををももも雲雲くも居居いにににあぐるあぐるあぐるかなかなかな
- 11ととと仰仰おおせせせられられられかけかけかけたりたりたりけれけれければばば、、、賴賴より政政まさ右右みぎののの膝膝ひざをををつきつきつき、、、左左ひだりののの袖袖そでをををひろげひろげひろげててて、、、月月つきををを少少すこしししそばそばそば目目めにににかけかけかけつゝつゝつつ、、、
- 12弓弓ゆみ張張はり月月づきのののいるいるいるにににまかせまかせまかせててて
- 13ととと仕仕つかまつりりり、、、御御ぎょ劒劒けんををを賜賜たまはりはりわりててて罷罷まかりりり出出いづづず。。。このこのこの賴賴より政政まさののの卿卿きょうははは武武ぶ藝藝げいにににももも限限かぎらららずずず、、、歌歌か道道どうにににもももまたまたまたすぐれすぐれすぐれたりたりたりとととぞぞぞ、、、時時ときののの人人ひと々々びと感感かんじじじあはれあはれあわれけるけるける。。。さてさてさてかのかのかの變變へん化化げのののものものものをををばばば、、、うつほうつほうつお船船ぶねににに入入いれれれててて流流ながささされれれけるけるけるとととぞぞぞ聞聞きこえええししし。。。
- 14またまたまた應應おう保保ほうのののころほひころほひころおい、、、二二に條條じょうののの院院いん御御ご在在ざい位位いののの御御おん時時とき、、、鵺鵺ぬえととといふいふいう化化け鳥鳥ちょう禁禁きん中中ちゅうににに鳴鳴ないいいててて、、、しば〳〵しば〳〵しばしば宸宸しん襟襟きんををを惱惱なやましましまし奉奉たてまつるるる事事ことありありありけりけりけり。。。然然しかれれればばば先先せん例例れいにににまかせまかせまかせててて、、、賴賴より政政まさをををぞぞぞ召召めささされれれけるけるける。。。頃頃ころははは五五さ月月つき二二は十十つ日日かあまりあまりあまり、、、まだまだまだ宵宵よいののの事事ことなるなるなるににに、、、鵺鵺ぬえ唯唯ただ一一ひと聲聲こえおとづれおとづれおとずれててて、、、二二ふた聲聲こえともともとも鳴鳴なかかかざりざりざりけりけりけり。。。目目めざすざすざすともともとも知知しらららぬぬぬ闇闇やみ夜夜よででではははありありあり、、、姿姿すがた形形かたちももも見見みえええざりざりざりけれけれければばば、、、矢矢やつぼつぼつぼをををいづくいづくいずくともともとも定定さだめめめ難難がたししし。。。賴賴より政政まさががが謀謀はかりごとににに、、、まづまづまず大大おお鏑鏑かぶら取取とつつっててて番番つがひひい、、、鵺鵺ぬえののの聲聲こえしししたりたりたりけるけるける内内だい裏裏りののの上上うえへへへぞぞぞ射射い上上あげげげたるたるたる。。。鵺鵺ぬえ、、、鏑鏑かぶらののの音音おとににに驚驚おどろいいいててて、、、虛虛こ空空くうににに暫暫しばしししぞぞぞひらめいひらめいひらめいたるたるたる。。。次次つぎににに小小こ鏑鏑かぶら取取とつつっててて番番つがひひい、、、ひいふつひいふつひいふっととと射射い切切きつつっててて、、、鵺鵺ぬえととと竝竝ならべべべててて前前まえにににぞぞぞ落落おとしししたるたるたる。。。禁禁きん中中ちゅうさゞめきさゞめきさざめきわたつわたつわたっててて、、、賴賴より政政まさににに御御ぎょ衣衣いをををかづけかづけかずけさせさせさせおはしますおはしますおわします。。。今今こん度度どははは大大おお炊炊ひののの御御み門門かどののの右右う大大だい臣臣じん公公きん能能よし公公こうののの賜賜たまはりはりわりついついついででで、、、賴賴より政政まさにににかづけかづけかずけさせさせさせ給給たまふふうとてとてとて、、、「「「昔昔むかしののの養養よう由由ゆうははは雲雲くもののの外外そとののの鴈鴈かりををを射射いききき。。。今今いまののの賴賴より政政まさははは雨雨あめののの中中なかののの鵺鵺ぬえををを射射いたりたりたり。。。」」」とととぞぞぞ感感かんぜぜぜられられられけるけるける。。。
- 15五五さ月月つきやみやみやみ名名なをををあらはせあらはせあらわせるるるこよひこよひこよいかなかなかな
- 16ととと仰仰おおせせせられられられかけかけかけたりたりたりけれけれければばば、、、賴賴より政政まさ、、、
- 17たそがれたそがれたそがれ時時どきももも過過すぎぎぎぬぬぬととと思思おもふふうににに
- 18ととと仕仕つかまつりりり、、、御御ぎょ衣衣いををを肩肩かたにににかけかけかけてててまかりまかりまかり出出いづづず。。。そのそのその後後のち伊伊い豆豆ずののの國國くに賜賜たまはりはりわり、、、子子し息息そく仲仲なか綱綱つな受受じゅ領領りょうににになしなしなし、、、わがわがわが身身み三三さん位位みしてしてして、、、丹丹たん波波ばののの五五ご箇箇かののの莊莊しょう、、、若若わか狹狹さののの東東とう宮宮みや川川がわををを知知ち行行ぎょうしてしてして、、、さてさてさておはすおはすおわすべかりべかりべかりししし人人ひとののの、、、よしなきよしなきよしなき謀謀む叛叛ほんおこいおこいおこいててて、、、宮宮みやをををももも失失うしなひひい參參まいらせらせらせ、、、わがわがわが身身みももも子子し孫孫そんももも亡亡ほろびびびぬるぬるぬるこそこそこそうたてけれうたてけれうたてけれ。。。
現代語訳
そもそもこの源三位入道頼政は、摂津守頼光から五代目、三河守頼綱の孫、兵庫頭仲政の子である。保元の合戦のときも味方として先陣を駆けたが、たいした恩賞にも預からず、また平治の乱でも親類を捨てて参じたが、恩賞は乏しかった。大内守護として長年勤めたが、昇殿は許されなかった。年をとり老いてから、述懐の和歌を一首詠んでこそ昇殿したのである。
人に知られない大内山の山守(大内守護の私)は、木陰に隠れてばかりで月(帝)を見ていることよ。
これによって昇殿を許され、正四位下でしばらくいたが、なお三位を望みつつ、
昇るべき手立てもない身は、木の下で椎(四位)の実を拾って世を渡っていることよ。
それでこそ三位になったのである。やがて出家して源三位入道頼政といい、今年は七十五歳になっておられた。この人の一生の手柄と思われることは多い中でも、とりわけ仁平のころ、近衛院のご在位の御時、帝が夜な夜な怯えられることがあった。霊験のある高僧・貴僧に命じて大法・秘法を修させたが、その効き目はない。ご病気は丑の刻ごろのことであったが、東三条の森の方から黒雲が一むら立ち上ってきて御殿の上を覆うと、必ず怯えられた。そこで公卿たちが評議した。
去る寛治のころ、堀河院のご在位の御時、主上が同じように怯えて気を失われたことがあった。そのときの将軍義家朝臣が南殿の縁にお控えしていたが、ご病気の時刻になると弓の弦を三度鳴らした後、大声で「前陸奥守源義家」と名のったので、聞く人は身の毛がよだって、ご病気は必ず治まった。そこで先例にならって武士に命じて警固させるべきだとして、源平両家の兵の中から選ばせたところ、この頼政が選び出された。そのときはまだ兵庫頭であったが、申されるには、「昔から朝廷に武士を置かれるのは、謀叛の者を退け、勅命に背く者を滅ぼすためです。目にも見えない変化のものを退治せよと命じられることは、まだ聞いたことがありません」と申しながらも、勅命なので召しに応じて参内した。
頼政は頼みとする郎等、遠江国の住人猪早太に、母衣の風切羽で作った矢を負わせて、ただ一人を連れていた。自身は二重の狩衣に、山鳥の尾で作った鏃の鋭い矢を二筋、滋籐の弓に添えて持ち、南殿の縁に控えた。頼政が矢を二本手挟んだのは、雅頼卿がそのときまだ左少弁であったが、変化の者を退治するのは頼政がよいでしょうと推薦したので、一の矢で変化の者を射損じたら、二の矢では雅頼弁の首の骨を射ようというのであった。
案の定、日ごろ人の言っていたとおり、ご病気の時刻になると東三条の森の方から黒雲が一むら立ち上ってきて、御殿の上にたなびいた。頼政がきっと見上げると、雲の中に怪しい者の姿がある。射損じたら生きてはいられまいと思った。けれども矢を取ってつがえ、南無八幡大菩薩と心の中で祈念して、十分に引き絞ってひょうと放った。手応えがしてはたと当たった。「得たりや、おう」と矢叫びをあげた。猪早太がさっと駆け寄って、落ちるところを取り押さえ、柄も拳も通れ通れと、続けざまに九刀刺した。そのとき上下の者が手に手に火をともしてご覧になると、頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎のようで、鳴く声は鵺に似ていた。恐ろしいなどという言葉では言い尽くせない。
主上はたいへんお喜びになって、獅子王という御剣をお与えになった。宇治の左大臣殿(頼長)がこれを受け取って頼政に与えようと、御前の階段を半ばほど下りられたちょうどそのとき、ころは卯月十日過ぎのことなので、雲の上でほととぎすが二声三声鳴いて通ったので、左大臣殿が、
ほととぎすが雲の上で名を名のるように、そなたも宮中に名をあげたことよ。
と上の句を詠みかけられると、頼政は右の膝をつき、左の袖を広げて、月を少し横目に見ながら、
弓張月が沈む(射る)のに任せたまでのことです。
と下の句を付けて、御剣をいただいて退出した。この頼政卿は武芸だけでなく、歌の道にも優れていると、当時の人々は感心し合った。さて、あの変化のものは、うつほ舟(くり抜いた丸木舟)に入れて流したと聞こえた。
また応保のころ、二条院のご在位の御時、鵺という怪鳥が宮中で鳴いて、たびたび帝のお心を悩まし申すことがあった。そこで先例にならって頼政が召された。ころは五月二十日過ぎ、まだ宵のうちのことであったが、鵺がただ一声鳴いて、二声とは鳴かなかった。目ざす所もわからない闇夜で、姿形も見えなかったので、狙いをどこにも定めがたい。頼政は計略として、まず大きな鏑矢を取ってつがえ、鵺の声がした内裏の上へ射上げた。鵺は鏑の音に驚いて、空にしばらく羽ばたいていた。次に小さな鏑矢を取ってつがえ、ひいふっと射切って、鵺と矢を並べて前に落とした。宮中はざわめきわたって、頼政に御衣を与えられた。今度は大炊御門右大臣公能公がこれを受け取って頼政にかけようとして、「昔の養由は雲の外の雁を射た。今の頼政は雨の中の鵺を射た」と感心された。
五月闇の中で名をあらわした今宵であることよ。
と上の句を詠みかけられると、頼政は、
たそがれ時も過ぎたと思っておりましたのに。
と下の句を付けて、御衣を肩にかけて退出した。その後、伊豆国を賜り、子息の仲綱を国守にし、自身は三位となり、丹波の五箇荘、若狭の東宮河を知行して、そのまま安泰でいられたはずの人が、つまらない謀叛を起こして、宮をも死なせ申し、自身も子孫も滅んでしまったのは情けないことである。
意訳
宇治で自害した頼政の生涯を振り返る章段である。頼政は武功に比べて恩賞に恵まれず、和歌によって昇殿と三位をかちとった歌人でもあった。物語はその一生の手柄として、近衛天皇を悩ませた怪物(鵺)退治と、二条天皇の御代の闇夜の鵺射落としの二つを語る。
頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎という怪物の姿は、後世に「鵺」の名で知られるようになった。頼長や公能が上の句を詠みかけると、頼政は即座に下の句を付けて応じる。武勇と歌才を兼ね備えた頼政の姿が描かれる一方、結びでは「よしなき謀叛おこいて」と、その最期を惜しんでいる。
語釈・文法注
文法
- 「人知れぬ大内山の山守は」
- 「大内山」に宮中を、「山守」に大内守護の自分を、「月」に帝をたとえる。
- 「しひを拾ひて」
- 「椎」に「四位」を掛ける。四位にとどまっていることを嘆く。
- 「鳴弦」
- 弓の弦を鳴らして邪気を払う呪法。
- 「しや頸」
- 「素っ首」に同じ。首をののしっていう語。
- 「得たりやをう」
- 射当てたときなどにあげる掛け声。
- 「ほとゝぎす名をも雲居にあぐるかな」「弓張月のいるにまかせて」
- 頼長の上の句に頼政が下の句を付けた連歌。「いる」に「(月が)入る」と「射る」を掛ける。
- 「養由」
- 春秋時代の楚の弓の名人、養由基。
- 「五月やみ名をあらはせるこよひかな」「たそがれ時も過ぎぬと思ふに」
- 公能と頼政の連歌。「たそがれ」に「誰そ彼」を掛け、名を問う時刻も過ぎたのに、と謙遜して答える。
和歌
人知れぬ大内山の山守は木がくれてのみ月を見るかな
- 詠者
- 源頼政
- 状況
- 大内守護として長年勤めながら昇殿を許されないことを嘆いて詠んだ述懐の歌。この歌によって昇殿を許された。
修辞
- 比喩
- 大内山(宮中)の山守(守護の自分)が、木陰から月(帝)を仰ぎ見るばかりであると、殿上に昇れない身を嘆く。
昇るべきたよりなき身は木の下にしひを拾ひて世をわたるかな
- 詠者
- 源頼政
- 状況
- 正四位下にとどまり、三位を望んで詠んだ歌。これによって三位に叙された。
修辞
- 掛詞
- 「しひ」に木の実の「椎」と位階の「四位」を掛ける。
解説
源頼政(1104〜1180)は清和源氏の摂津源氏の流れで、歌人としても『頼政集』を残した。頼政の鵺退治は『平家物語』で名高い説話で、謡曲「鵺」の題材となった。治承二年(1178)、七十五歳で従三位に叙せられ、「源三位」と呼ばれた。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、458–462頁(コマ258–260)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日