古典ライブラリー

平家物語 巻第四

若宮御出家の事

以仁王らの首五百余が六波羅に運ばれ、宮の首はかつて召し使われた女房によって確かめられた。宮の七歳の若宮は八条女院のもとにいたが、清盛の命で頼盛が引き渡しを迫り、若宮は自ら出ることを申し出た。宗盛のとりなしで命は助けられ、出家して仁和寺に入った。人相見の誤りや過去の不遇な皇子の例が語られ、宮は「源以仁」として凡人に落とされた。

  1. 1平へい平へいへい家け家けけののの人ひと人ひとひと々びと々びとびと、、、宮みや宮みやみやならびにならびにならびに三さん三さんさん位み位みみ入にふ入にふにゅう道だう道だうどうののの一いち一いちいち類るゐ類るゐるい、、、渡わた渡わたわた邊なべ邊なべなべ黨たう黨たうとう、、、三み三みみ井ゐ井ゐい寺でら寺でらでらののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ、、、都つ都つつ合がふ合がふごう五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく餘よ餘よよ人にん人にんにんががが頸くび頸くびくび切き切ききつつっててて、、、太た太たた刀ち刀ちち、、、長なぎ長なぎなぎ刀なた刀なたなたののの先さき先さきさきににに貫つらぬ貫つらぬつらぬききき、、、高たか高たかたかくくくさしさしさしあげあげあげ、、、夕ゆふべ夕ゆふべゆうべににに及およ及およおよんんんででで六ろく六ろくろく波は波はは羅ら羅ららへへへ歸かへ歸かへかえりりり入い入いいりりり、、、兵つはもの兵つはものつわもの共ども共どもども勇いさ勇いさいさみみみのゝしるのゝしるののしる事こと事ことこと夥おびたゞ夥おびたゞおびただししし。。。中なか中なかなかにににももも三さん三さんさん位み位みみ入にふ入にふにゅう道だう道だうどうののの頸くび頸くびくびをををばばば、、、長ちやう長ちやうちょう七しち七しちしち唱となふ唱となふとなうががが宇う宇うう治ぢ治ぢじ川がは川がはがわののの深ふか深ふかふかききき所ところ所ところところににに沉しづ沉しづしずめめめてててけれけれければばば見み見みみえええざりざりざりけりけりけり。。。子こ子ここどもどもどもののの頸くび頸くびくびをををばばば、、、あそこあそこあそここゝこゝここよりよりより皆みな皆みなみな尋たづ尋たづたずねねね出いだ出いだいだささされれれたりたりたり。。。中なか中なかなかにににももも宮みや宮みやみやののの御おん御おんおん頸くび頸くびくびをををばばば、、、常つね常つねつねににに參まゐ參まゐまいりりり通かよ通かよかよふふう人ひと人ひとひともももなかりなかりなかりしかしかしかばばば、、、誰たれ誰たれたれ見み見みみ知し知ししりりり參まゐ參まゐまいらせらせらせたるたるたる人ひと人ひとひともももなしなしなし。。。典てん典てんてん藥やく藥やくやくののの頭かみ頭かみかみ定さだ定さださだ成なり成なりなりこそこそこそ、、、先せん先せんせん年ねん年ねんねん御ご御ごご療れう療れうりょう治ぢ治ぢじののの爲ため爲ためためににに召め召めめささされれれしかしかしかばばば、、、それそれそれぞぞぞ見み見みみ知し知ししりりり參まゐ參まゐまいらせらせらせたるたるたるにににこそこそこそとてとてとて召め召めめささされれれけれけれけれどもどもども、、、現げん現げんげん所しよ所しよしょ勞らう勞らうろうとてとてとて參まゐ參まゐまいらららずずず。。。又また又またまた六ろく六ろくろく波は波はは羅ら羅ららよりよりより、、、常つね常つねつねははは宮みや宮みやみやののの召め召めめささされれれ參まゐ參まゐまいらせらせらせけるけるける女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうとてとてとて、、、尋たづ尋たづたずねねね出いだ出いだいだささされれれたりたりたり。。。御おん御おんおん子こ子ここあまたあまたあまた產う產ううみみみ參まゐ參まゐまいらせらせらせなどなどなどしてしてして、、、さしもさしもさしも御おん御おんおん契ちぎ契ちぎちぎりりり淺あさ淺あさあさからからからざりざりざりしかしかしかばばば、、、なじかはなじかはなじかわ見み見みみ損そん損そんそんじじじ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるべきべきべき。。。唯たゞ唯たゞただ一ひと一ひとひと目め目めめ見み見みみ參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、袖そで袖そでそでををを顏かほ顏かほかおににに押おし押おしおし當あ當ああてててててて涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながしししけるけるけるにににぞぞぞ、、、やがてやがてやがて宮みや宮みやみやののの御おん御おんおん頸くび頸くびくびとととははは知し知ししつつってててけるけるける。。。
  2. 2このこのこの宮みや宮みやみやははは腹はら腹はらはら々ばら々ばらばらににに、、、御おん御おんおん子こ子ここののの宮みや宮みやみや達たち達たちたちあまたあまたあまたおはしましおはしましおわしましけりけりけり。。。八はち八はちはち條でう條でうじょうののの女によ女によにょ院ゐん院ゐんいんににに候さぶら候さぶらさぶらははわれれれけるけるける伊い伊いい豫よ豫よよののの守かみ守かみかみ盛もり盛もりもり教のり教のりのりががが女むすめ女むすめむすめ、、、三さん三さんさん位み位みみののの局つぼね局つぼねつぼねととと申まう申まうもうしししけるけるける女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうののの腹はら腹はらはらににに、、、七しち七しちしち歳さい歳さいさいののの若わか若わかわか宮みや宮みやみや、、、五ご五ごご歳さい歳さいさいののの姫ひめ姫ひめひめ宮みや宮みやみや、、、おはしましおはしましおわしましけりけりけり。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの弟おとうと弟おとうとおとうと池いけ池いけいけののの中ちゆう中ちゆうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん賴より賴よりより盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうををを以もつ以もつもっててて、、、八はち八はちはち條でう條でうじょうののの女によ女によにょ院ゐん院ゐんいんへへへ申まう申まうもうささされれれけるけるけるははは、、、「「「姫ひめ姫ひめひめ宮みや宮みやみやののの御おん御おんおん事こと事ことことははは申まう申まうもうすすすににに及およ及およおよばばばずずず。。。若わか若わかわか宮みや宮みやみやをををばばばとうとうとう出いだ出いだいだししし參まゐ參まゐまいらさらさらさせせせ給たま給たまたまへへえ。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、女によ女によにょ院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおん返へん返へんへん事じ事じじににに、、、「「「斯か斯かかかるかるかる聞きこ聞きこきこえええのののありありありししし曉あかつき曉あかつきあかつき、、、御おん御おんおん乳ち乳ちちののの人ひと人ひとひとなんどなんどなんどががが心こころ心こころこころをさなうをさなうおさのう具ぐ具ぐぐしししたてまつりたてまつりたてまつりててて、、、失う失ううせせせにににけるけるけるにににややや、、、全まつた全まつたまったくくくこのこのこの御ご御ごご所しよ所しよしょにににははは渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまははわずずず。。。」」」とととぞぞぞ仰おほ仰おほおおせせせけるけるける。。。
  3. 3賴より賴よりより盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょう歸かへ歸かへかえりりり參まゐ參まゐまいつつっててて、、、このこのこの由よし由よしよしかくかくかくととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、「「「なんでふなんでふなんじょうそのそのその御ご御ごご所しよ所しよしょならならならでででははは、、、いづくいづくいずくへへへかかかわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまふふうべかんべかんべかんなるなるなるぞぞぞ。。。そのそのその儀ぎ儀ぎぎならならならばばば、、、武ぶ武ぶぶ士し士ししどもどもども參まゐ參まゐまいつつってててさがしさがしさがし奉たてまつ奉たてまつたてまつれれれ。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。このこのこの中ちゆう中ちゆうちゅう納な納なな言ごん言ごんごんははは女によ女によにょ院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおん乳めの乳めのめの母と母とと、、、宰さい宰さいさい相しやう相しやうしょう殿どの殿どのどのととと申まう申まうもうすすす女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうににに相あひ相あひあい具ぐ具ぐぐしししててて、、、常つね常つねつねははは參まゐ參まゐまいりりり通かよ通かよかよははわれれれたれたれたればばば、、、日ひ日ひひ頃ごろ頃ごろごろはははなつかしうなつかしうなつかしゅうこそこそこそ思おぼし思おぼしおぼし召め召めめしししつるつるつるににに、、、このこのこの宮みや宮みやみやののの御おん御おんおん事こと事ことこと申まう申まうもうしししににに參まゐ參まゐまいららられれれたれたれたればばば、、、いつしかいつしかいつしかうとましううとましううとましゅうぞぞぞ思おぼ思おぼおぼしししめさめさめされれれけるけるける。。。若わか若わかわか宮みや宮みやみや、、、女によ女によにょ院ゐん院ゐんいんににに申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまひひいけるけるけるははは、、、「「「これこれこれ程ほど程ほどほどののの御おん御おんおん大だい大だいだい事じ事じじににに及およ及およおよびびび候さふらふ候さふらふそうろう上うへ上うへうえ、、、遂つひ遂つひついにににははは遁のが遁のがのがれれれ候さふらふ候さふらふそうろうまじまじまじ。。。はや〳〵はや〳〵はやはや出いだ出いだいださささせせせおはしませおはしませおわしませ。。。」」」ととと申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまひひいけれけれければばば、、、女によ女によにょ院ゐん院ゐんいん御おん御おんおん涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながさささせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、「「「人ひと人ひとひとののの七なな七ななななつつつ八や八ややつつつははは、、、未いま未いまいまだだだ何なに何なになに事ごと事ごとごとをををももも聞き聞きききききわかわかわかぬぬぬ程ほど程ほどほどぞぞぞかしかしかし。。。それそれそれににに御おん御おんおん身み身みみ故ゆゑ故ゆゑゆえ、、、斯か斯かかかるかるかる大だい大だいだい事じ事じじののの出い出いいででで來き來ききたるたるたるををを、、、かたはらいたくかたはらいたくかたわらいたく思おぼ思おぼおぼしししててて、、、かやうかやうかようににに仰おほ仰おほおおせせせらるゝらるゝらるることことことよよよ。。。よしなかりよしなかりよしなかりけるけるける人ひと人ひとひとををを、、、このこのこの六ろく六ろくろく七しち七しちしち年ねん年ねんねん手て手ててならしならしならしててて、、、今日けふ今日けふきょうははは斯か斯かかかるかるかる憂う憂ううききき目め目めめををを見み見みみるるるよよよ。。。」」」とてとてとて、、、御おん御おんおん涙なみだ涙なみだなみだせきせきせきあへあへあえさせさせさせ給たま給たまたまははわずずず。。。賴より賴よりより盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょう、、、若わか若わかわか宮みや宮みやみやののの御おん御おんおん事こと事ことことかさねかさねかさねててて申まう申まうもうしししににに參まゐ參まゐまいららられれれけれけれければばば、、、女によ女によにょ院ゐん院ゐんいん力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばせせせ給たま給たまたまははわずずず、、、遂つひ遂つひついににに出いだ出いだいだししし參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。
  4. 4御おん御おんおん母はゝ母はゝはわ三さん三さんさん位み位みみののの局つぼね局つぼねつぼね、、、今いま今いまいまををを限かぎ限かぎかぎりりりののの御おん御おんおん別わか別わかわかれれれなれなれなればばば、、、さこそさこそさこそははは御おん御おんおん名な名なな殘ごり殘ごりごり惜を惜をおしうしうしゅうももも思おぼ思おぼおぼしししめさめさめされれれけめけめけめ。。。さてさてさてしもしもしもあるあるあるべきべきべき事こと事ことことならならならねねねばばば、、、泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく御ぎよ御ぎよぎょ衣い衣いい著き著ききせせせ參まゐ參まゐまいらせらせらせ、、、御おん御おんおん髪ぐし髪ぐしぐしかきかきかき撫な撫ななでででててて、、、出いだ出いだいだししし參まゐ參まゐまいらせらせらせたまふたまふたまうもももたゞたゞただ夢ゆめ夢ゆめゆめとととのみのみのみぞぞぞ思おぼ思おぼおぼささされれれけるけるける。。。女によ女によにょ院ゐん院ゐんいんををを始はじ始はじはじめめめ參まゐ參まゐまいらせらせらせててて局つぼね局つぼねつぼねののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼう、、、女め女めめののの童わらは童わらはわらわににに至いた至いたいたるるるまでまでまで、、、涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながししし袖そで袖そでそでををを濡ぬら濡ぬらぬらさささぬぬぬはははなかりなかりなかりけりけりけり。。。賴より賴よりより盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょう、、、若わか若わかわか宮みや宮みやみやををを受うけ受うけうけ取と取ととりりりまゐらせまゐらせまいらせ、、、御おん御おんおん車くるま車くるまくるまににに乘の乘ののせせせ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて六ろく六ろくろく波は波はは羅ら羅ららへへへ渡わた渡わたわたししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。前さき前さきさきののの右う右うう大だい大だいだい將しやう將しやうしょう宗むね宗むねむね盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうこのこのこの宮みや宮みやみやををを見み見みみ參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、父ちゝ父ちゝちちののの禪ぜん禪ぜんぜん門もん門もんもんののの御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんにににおはしおはしおわしててて、、、「「「前ぜん前ぜんぜん世せ世せせののの事こと事ことことにににややや候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん、、、若わか若わかわか宮みや宮みやみやををを唯たゞ唯たゞただ一ひと一ひとひと目め目めめ見み見みみ參まゐ參まゐまいらせらせらせててて候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、餘あま餘あまあまりりりににに御おん御おんおん痛いた痛いたいたはしうはしうわしゅう思おも思おもおもひひい參まゐ參まゐまいらせらせらせててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。何なに何なになにかかか苦くる苦くるくるしうしうしゅう候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき、、、このこのこの宮みや宮みやみやののの御おん御おんおん命いのち命いのちいのちをををばばば、、、枉ま枉ままげげげててて宗むね宗むねむね盛もり盛もりもりにににたびたびたび候さふら候さふらそうらへへえかしかしかし。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどういかゞいかゞいかが思おも思おもおもははわれれれけんけんけん、、、「「「さらばさらばさらばとうとうとう御ご御ごご出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけをををせせせさせさせさせ奉たてまつ奉たてまつたてまつれれれ。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。宗むね宗むねむね盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょう八はち八はちはち條でう條でうじょうののの女によ女によにょ院ゐん院ゐんいんへへへ、、、このこのこの由よし由よしよし申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、女によ女によにょ院ゐん院ゐんいん、、、「「「何なに何なになにのののやうやうようもももあるあるあるべからべからべからずずず、、、たゞたゞただとう〳〵とう〳〵とうとう。。。」」」とてとてとて、、、御ご御ごご出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけせせせさせさせさせ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。釋しやく釋しやくしゃく氏し氏ししににに定さだ定さださだまらまらまらせせせ給たま給たまたまひひいしかしかしかばばば、、、法ほふ法ほふほっ師し師ししににになしなしなし參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、仁にん仁にんにん和な和なな寺じ寺じじののの御お御おお室むろ室むろむろののの御おん御おんおん弟で弟でで子し子ししににになしなしなし參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。後のち後のちのちにににははは東とう東とうとう寺じ寺じじののの一いち一いちいちののの長ちやう長ちやうちょう者じや者じやじゃ安やす安やすやす井ゐ井ゐいののの宮みや宮みやみやののの大だい大だいだい僧そう僧そうそう正じやう正じやうじょう道だう道だうどう尊そん尊そんそんととと申まう申まうもうししししししははは、、、このこのこの宮みや宮みやみやののの御おん御おんおん事こと事ことことなりなりなり。。。
  5. 5奈な奈なな良ら良ららにににもももまたまたまた御ご御ごご一いつ一いついっ所しよ所しよしょおはしおはしおわしけるけるけるををを、、、御おん御おんおん傅めのと傅めのとめのと讚さぬ讚さぬさぬ岐き岐ききののの守かみ守かみかみ重しげ重しげしげ秀ひで秀ひでひでががが御ご御ごご出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけせせせさせさせさせ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、具ぐ具ぐぐししし奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりててて北ほつ北ほつほっ國こく國こくこくへへへ落お落おおちちち下くだ下くだくだりりりたりたりたりしししををを、、、木き木きき曾そ曾そそ義よし義よしよし仲なか仲なかなかののの上しやう上しやうしょう洛らく洛らくらくののの時とき時ときとき、、、主しゆう主しゆうしゅうにににししし參まゐ參まゐまいらせらせらせんんんとてとてとて、、、還げん還げんげん俗ぞく俗ぞくぞくせせせさせさせさせ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、具ぐ具ぐぐ足そく足そくそくししし奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりててて都みやこ都みやこみやこへへへ上のぼ上のぼのぼりりりたりたりたりけれけれければばば、、、木き木きき曾そ曾そそががが宮みや宮みやみやともともとも申まう申まうもうししし、、、またまたまた還げん還げんげん俗ぞく俗ぞくぞくののの宮みや宮みやみやともともとも申まう申まうもうすすす。。。後のち後のちのちにににははは嵯さ嵯ささ峨が峨ががのののほとりほとりほとり、、、野の野のの依より依よりよりにににまし〳〵まし〳〵ましましけれけれければばば野の野のの依より依よりよりののの宮みや宮みやみやともともとも申まう申まうもうしししききき。。。
  6. 6昔むかし昔むかしむかし通とう通とうとう乘じよう乘じようじょうととといひいひいいししし相さう相さうそう人にん人にんにんありありあり。。。宇う宇うう治ぢ治ぢじ殿どの殿どのどの、、、二に二にに條でう條でうじょう殿どの殿どのどのをををばばば君きみ君きみきみ三さん三さんさん代だい代だいだいののの關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱく、、、共とも共ともともににに御おん御おんおん年とし年としとし八はち八はちはち十じふ十じふじゅうととと申まう申まうもうしししたりたりたりしししももも違たが違たがたがははわずずず。。。帥そつ帥そつそつののの内うち内うちうちののの大おと大おとおと臣ど臣どどををを流る流るる罪ざい罪ざいざいののの相さう相さうそうましますましますまします、、、ととと申まう申まうもうしししたりたりたりしししももも違たが違たがたがははわずずず。。。またまたまた聖しやう聖しやうしょう德とく德とくとく太たい太たいたい子し子ししののの、、、崇す崇すす峻しゆん峻しゆんしゅん天てん天てんてん皇わう皇わうのうををを横わう横わうおう死し死ししののの相さう相さうそうましますましますましますととと申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまひひいたりたりたりしししががが、、、馬むま馬むまうま子こ子ここののの大おと大おとおと臣ど臣どどににに殺ころ殺ころころささされれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。必かなら必かならかならずずず相さう相さうそう人にん人にんにんとととしもしもしもあらあらあらねねねどもどもども、、、上じやう上じやうじょう古こ古ここにににはははかくかくかくこそこそこそめでたかりめでたかりめでたかりしかしかしか。。。これこれこれははは一いつ一いついっ向かう向かうこう相さう相さうそう少せう少せうしょう納な納なな言ごん言ごんごんががが不ふ不ふふ覺かく覺かくかくにににはははあらあらあらずずずやややとととぞぞぞ、、、人ひと人ひとひと申まう申まうもうしししけるけるける。。。
  7. 7中なか中なかなか頃ごろ頃ごろごろ兼けん兼けんけん明めい明めいめい親しん親しんしん王わう王わうのう、、、具ぐ具ぐぐ平へい平へいへい親しん親しんしん王わう王わうのうととと申まう申まうもうししししししははは、、、前さき前さきさきののの中ちゆう中ちゆうちゅう書しよ書しよしょ王わう王わうおう、、、後のち後のちのちののの中ちゆう中ちゆうちゅう書しよ書しよしょ王わう王わうおうとてとてとて、、、共とも共ともともににに賢けん賢けんけん王わう王わうおう聖せい聖せいせい主しゆ主しゆしゅののの皇わう皇わうおう子じ子じじにににててて渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまひひいしかしかしかどもどもども、、、遂つひ遂つひついににに位くらゐ位くらゐくらいににに即つ即つつかかかせせせ給たま給たまたまははわずずず。。。されどされどされどいついついつかかかははは御ご御ごご謀む謀むむ叛ほん叛ほんほん起おこ起おこおこさささせせせ給たま給たまたまひひいたりたりたりききき。。。またまたまた後ご後ごご三さん三さんさん條でう條でうじょうののの院ゐん院ゐんいんののの第だい第だいだい三さん三さんさんののの皇わう皇わうおう子じ子じじ輔すけ輔すけすけ仁ひと仁ひとひとののの親しん親しんしん王わう王わうのうととと申まう申まうもうししししししははは、、、御ご御ごご才さい才さいさい學がく學がくがく優すぐ優すぐすぐれれれててて坐おはしま坐おはしまおわしましししけれけれければばば、、、白しら白しらしら河かは河かはかわののの院ゐん院ゐんいん未いま未いまいまだだだ春とう春とうとう宮ぐう宮ぐうぐうののの御おん御おんおん時とき時ときとき、、、御おん御おんおん位くらゐ位くらゐくらいののの後のち後のちのちはははこのこのこの宮みや宮みやみやををを位くらゐ位くらゐくらいににに即つ即つつけけけ參まゐ參まゐまいらさらさらさせせせ給たま給たまたまへへえととと、、、後ご後ごご三さん三さんさん條でう條でうじょうののの院ゐん院ゐんいん御ご御ごご遺ゆゐ遺ゆゐゆい詔ぜう詔ぜうじょうありありありしかしかしかどもどもども、、、白しら白しらしら河かは河かはかわののの院ゐん院ゐんいんいかゞいかゞいかがおぼしめさおぼしめさおぼしめされれれけんけんけん、、、遂つひ遂つひついににに位くらゐ位くらゐくらいにににははは即つ即つつけけけ參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまははわずずず。。。せめてせめてせめてののの御おん御おんおん事こと事ことことにににややや、、、輔すけ輔すけすけ仁ひと仁ひとひとののの親しん親しんしん王わう王わうのうののの御おん御おんおん子こ子ここののの宮みや宮みやみやににに源げん源げんげん氏じ氏じじののの姓しやう姓しやうしょうををを授さづ授さづさずけけけ參まゐ參まゐまいらさらさらさせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、無む無むむ位ゐ位ゐいよりよりより一いち一いちいち度ど度どどににに三さん三さんさん位み位みみににに敍じよ敍じよじょしししててて、、、やがてやがてやがて中ちゆう中ちゆうちゅう將じやう將じやうじょうににになしなしなし參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、三さん三さんさん位み位みみののの中ちゆう中ちゆうちゅう將じやう將じやうじょうとととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。一いつ一いついっ世せ世せせののの源げん源げんげん氏じ氏じじ、、、無む無むむ位ゐ位ゐいよりよりより三さん三さんさん位み位みみするするすることことことははは、、、嵯さ嵯ささ峨が峨ががののの皇くわう皇くわうかう帝てい帝ていていののの御おん御おんおん子こ子ここ陽やう陽やうよう成ぜい成ぜいぜい院ゐん院ゐんいんののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん定さだ定さださだ宗むね宗むねむねののの卿きやう卿きやうきょうののの外ほか外ほかほかははは、、、これこれこれ始はじ始はじはじめめめとととぞぞぞ承うけたまは承うけたまはうけたまわるるる。。。花はな花はなはな園ぞの園ぞのぞのののの左さ左ささ大だい大だいだい臣じん臣じんじん有あり有ありあり仁ひと仁ひとひと公こう公こうこうののの御おん御おんおん事こと事ことことなりなりなり。。。
  8. 8さればさればされば今こん今こんこん度ど度どどののの高たか高たかたか倉くら倉くらくらののの宮みや宮みやみやののの御ご御ごご謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんににに依よ依よよつつっててて、、、調てう調てうちょう伏ぶく伏ぶくぶくののの法ほふ法ほふほう承うけたまは承うけたまはうけたまわつつっててて行おこな行おこなおこなははわれれれけるけるける高かう高かうこう僧そう僧そうそうたちたちたちににに、、、勸けん勸けんけん賞じやう賞じやうじょうどもどもども行おこな行おこなおこなははわるるる。。。前さき前さきさきののの右う右うう大だい大だいだい將しやう將しやうしょう宗むね宗むねむね盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうののの子し子しし息そく息そくそく侍じ侍じじ從じゆう從じゆうじゅう淸きよ淸きよきよ宗むね宗むねむね、、、三さん三さんさん位み位みみににに敍じよ敍じよじょしししててて、、、三さん三さんさん位み位みみののの侍じ侍じじ從じゆう從じゆうじゅうとととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。今こ今ここ年とし年としとし十じふ十じふじゅう二に二にに歳さい歳さいさい、、、父ちゝ父ちゝちちののの卿きやう卿きやうきょうはははこのこのこの齡よはひ齡よはひよわいでででははは、、、わづかわづかわずか兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけまでまでまでこそこそこそ至いた至いたいたららられれれしかしかしか。。。忽たちま忽たちまたちまちちちににに上かん上かんかん達だち達だちだち部め部めめににに上のぼ上のぼのぼりりり給たま給たまたまふふう事こと事ことこと、、、一いち一いちいちののの人ひと人ひとひとののの公きん公きんきん達だち達だちだちののの外ほか外ほかほかははは、、、これこれこれ始はじ始はじはじめめめとととぞぞぞ承うけたまは承うけたまはうけたまわるるる。。。さるさるさる程ほど程ほどほどににに源みなもと源みなもとみなもとののの以もち以もちもち仁ひと仁ひとひと、、、竝ならび竝ならびならびににに三さん三さんさん位み位みみ入にふ入にふにゅう道だう道だうどう賴より賴よりより政まさ政まさまさ父ふ父ふふ子し子しし追つゐ追つゐつい討たう討たうとうののの賞しやう賞しやうしょうとととぞぞぞ、、、聞きき聞きききき書がき書がきがきにににはははありありありけるけるける。。。まさしいまさしいまさしい太だい太だいだい上じやう上じやうじょう法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうののの皇わう皇わうおう子じ子じじををを射い射いい奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるだにだにだにあるあるあるににに、、、あまつさへあまつさへあまつさえ凡ぼん凡ぼんぼん人にん人にんにんににになしなしなし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるぞぞぞ淺あさ淺あさあさましきましきましき。。。源みなもと源みなもとみなもとののの以もち以もちもち仁ひと仁ひとひととととはははこのこのこの高たか高たかたか倉くら倉くらくらののの宮みや宮みやみやののの御おん御おんおん事こと事ことことなりなりなり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

平家の人々は、宮をはじめ三位入道の一族・渡辺党・三井寺の大衆、合わせて五百余人の首を切って、太刀や長刀の先に貫いて高く差し上げ、夕方になって六波羅へ帰り、兵たちが勇んで騒ぎ立てることはおびただしかった。中でも三位入道の首は、長七唱が宇治川の深い所に沈めたので見つからなかった。子どもたちの首は、あちこちからみな探し出された。中でも宮の御首は、ふだんお側に参り通う人もいなかったので、見知り申している人がいない。典薬頭定成こそ、先年ご療治のために召されたので見知り申しているだろうと召されたが、病気だといって参らなかった。また六波羅から、宮がいつも召しておられた女房を探し出した。御子を何人も生み申すなどして、あれほど深いご縁であったので、どうして見誤り申そうか。ただ一目拝見して、袖を顔に押し当てて涙を流したので、それで宮の御首だとわかった。

この宮には、さまざまな母君のもとに御子の宮たちが大勢いらっしゃった。八条女院にお仕えしていた伊予守盛教の娘で、三位局と申した女房の腹に、七歳の若宮と五歳の姫宮がいらっしゃった。入道相国が弟の池の中納言頼盛卿を使いとして八条女院に申されるには、「姫宮のことは申すまでもありません。若宮を早くお出しください」と申されたので、女院のお返事には、「このようなうわさがあった明け方、乳母などが浅はかにもお連れ申して姿を消してしまったのでしょうか、まったくこの御所にはおいでになりません」とおっしゃった。

頼盛卿が帰参してこのことを申し上げると、清盛は「何を言う、その御所以外のどこにおいでになるというのか。それなら武士どもが参って探し申せ」とおっしゃった。この中納言は女院の乳母の宰相殿という女房を妻にしていて、いつも参り通っておられたので、女院も日ごろは親しくお思いになっていたが、この宮のことを申しに来られたので、たちまちうとましくお思いになった。若宮が女院に申し上げられるには、「これほどの大事に及んだうえは、ついには逃れられないでしょう。早く早く私をお出しください」と申されたので、女院は涙を流されて、「人の七つ八つといえば、まだ何事もわきまえない年ごろなのに、自分のためにこのような大事が起こったのを心苦しく思って、このようにおっしゃるとは。つまらない人を、この六、七年手もとで育てて、今日このようなつらい目を見ることよ」といって、涙を抑えきれずにおられた。頼盛卿が若宮のことを重ねて申しに参られたので、女院はどうしようもなく、ついに若宮をお出しになった。

母君の三位局は、これが最後のお別れなので、さぞ名残惜しくお思いになったことであろう。そうしてばかりもいられないので、泣く泣く御衣を着せ申し、御髪をかき撫でてお出しになるのも、ただ夢のようにお思いになった。女院をはじめ、局の女房や女の童に至るまで、涙を流して袖を濡らさない者はなかった。頼盛卿は若宮をお受け取り申して、御車にお乗せして六波羅へお連れした。前右大将宗盛卿はこの宮を拝見して、父の禅門の御前においでになって、「前世からの因縁でしょうか、若宮をただ一目拝見しましたら、あまりにおいたわしく思われます。何の差し支えがありましょう、この宮のお命を、どうか宗盛にお与えください」と申されたので、入道はどう思われたのか、「それなら早く出家させ申せ」とおっしゃった。宗盛卿が八条女院にこのことを申し上げると、女院は「何の異存もありません。ただ早く早く」といって出家させ申した。僧籍に入られたので、法師にして仁和寺の御室の御弟子とされた。後に東寺の一の長者、安井の宮の大僧正道尊と申したのは、この宮のことである。

奈良にもまたお一方おられたのを、守り役の讃岐守重秀が出家させ申して北国へお連れして下ったが、木曾義仲が上洛したとき、主君にしようとして還俗させ申し、お連れして都へ上ったので、木曾の宮とも、還俗の宮とも申した。後には嵯峨のあたりの野依においでになったので、野依の宮とも申した。

昔、通乗という人相見がいた。宇治殿(頼通)と二条殿(教通)を、三代の帝の関白となり、ともに八十歳まで生きると言ったのも違わなかった。帥の内大臣(伊周)を流罪の相があると言ったのも違わなかった。また聖徳太子が崇峻天皇を横死の相があると申されたが、天皇は馬子の大臣に殺されてしまわれた。必ずしも人相見を専門としない者でも、上古にはこのように見事であった。今度のことは、ひとえに相少納言(惟長)の不覚ではないかと人々は申した。

中ごろ、兼明親王・具平親王と申した方々は、前中書王・後中書王といって、ともに賢王聖主の皇子でいらっしゃったが、ついに位にはおつきにならなかった。けれども謀叛を起こされたことがあっただろうか。また後三条院の第三皇子輔仁親王と申した方は、学才が優れておいでになったので、白河院がまだ東宮であられたとき、即位の後はこの宮を位におつけせよと、後三条院のご遺言があったが、白河院はどうお思いになったのか、ついに位にはおつけにならなかった。せめてもの償いであろうか、輔仁親王の御子の宮に源氏の姓を授けて、無位から一度に三位に叙し、すぐに中将になさって、三位中将と申した。一世の源氏が無位から三位になったのは、嵯峨天皇の御子で陽成院の大納言定宗卿のほかは、これが初めてと聞く。花園左大臣有仁公のことである。

さて今度の高倉宮の謀叛によって、調伏の法を承って行った高僧たちに恩賞が与えられた。前右大将宗盛卿の子息の侍従清宗は三位に叙され、三位侍従と申した。今年十二歳で、父の卿はこの年ごろには、わずかに兵衛佐にまでしか至らなかった。たちまち上達部に昇られることは、摂関家の公達のほかには、これが初めてと聞く。こうして「源以仁ならびに三位入道頼政父子追討の賞」と、除目の聞書にはあった。まさしく太上法皇の皇子を射申しただけでもひどいのに、そのうえ臣下の身に落とし申したのは情けないことである。源以仁とは、この高倉宮のことである。

意訳

以仁王の死後の処置を描く章段である。宮の首は、かつて寵愛を受けた女房によって確かめられる。七歳の若宮は八条女院のもとにかくまわれていたが、自ら「はや〳〵出させおはしませ」と申し出る健気さに、女院も涙を抑えられない。宗盛のとりなしで若宮は命を助けられ、出家して仁和寺に入った。

後半では、人相見の誤りや、才能がありながら位につけなかった皇子たちの例が語られ、最後に以仁王が「源以仁」として臣下の身に落とされたことが記される。皇子を射殺しただけでなく、皇族の身分まで奪った平家の非道を、物語は「淺ましき」と強く批判している。

語釈・文法注

文法

「現所勞」
現在病気であること。
「釋氏に定まらせ給ひしかば」
僧籍に入ることが決まったので。
「御傅」
「めのと」。守り役、養育係。
「中書王」
中務卿の親王の唐名。兼明親王を前中書王、具平親王を後中書王という。
「聞書」
除目(官職の任命)の結果を書き記した文書。

解説

以仁王の若宮は出家して道尊と名のり、のちに東寺長者となった。奈良にいたもう一人の皇子は北陸に逃れ、木曾義仲に擁立されて「北陸宮」と呼ばれた。以仁王は討たれた後、「源以光」の名で臣籍に降されたと記録にあるが、物語は「源以仁」としている。

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出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、454–458頁(コマ256–258)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日