古典ライブラリー

平家物語 巻第四

宮の御最後の事

宇治川を渡った足利忠綱は名のりをあげて平等院に攻め入り、平家の大軍が続いた。頼政は膝を射られ、次男兼綱・嫡子仲綱らが討たれたのち、辞世の歌を詠んで平等院で自害した。南都へ逃れた以仁王は、光明山の鳥居の前で追いつかれ、流れ矢に当たって討たれた。南都の大衆は迎えに出ていたが、あと五十町のところで間に合わなかった。

  1. 1足あし足あしあし利かゞ利かゞかががががそのそのその日ひ日ひひののの裝しやう裝しやうしょう束ぞく束ぞくぞくにににははは、、、朽くち朽くちくち葉ば葉ばばののの綾あや綾あやあやののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれににに、、、赤あか赤あかあか革かは革かはかわ縅をどし縅をどしおどしののの鎧よろひ鎧よろひよろい著き著ききててて、、、高たか高たかたか角づの角づのづのうつうつうったるたるたる兜かぶと兜かぶとかぶとののの緒を緒をををををしめしめしめ、、、金こがね金こがねこがねづくりづくりづくりののの太た太たた刀ち刀ちちををを佩は佩ははききき、、、二に二にに十じふ十じふじゅう四し四ししさいさいさいたるたるたる切きり切きりきり斑ふ斑ふふののの矢や矢やや負お負おおひひい、、、滋しげ滋しげしげ籐どう籐どうどうののの弓ゆみ弓ゆみゆみ持も持ももつつっててて、、、連れん連れんれん錢せん錢せんせん葦あし葦あしあし毛げ毛げげなるなるなる馬むま馬むまうまににに、、、柏かし柏かしかし木はぎ木はぎはぎにににみゝづくみゝづくみみずく打う打ううつつったるたるたる金きん金きんきん覆ぷく覆ぷくぷく輪りん輪りんりんののの鞍くら鞍くらくら置お置おおいいいてててぞぞぞ乘の乘ののつつったりたりたりけるけるける。。。鐙あぶみ鐙あぶみあぶみふんばりふんばりふんばり立た立たたちちちあがりあがりあがり、、、大だい大だいだい音おん音おんおん聲じやう聲じやうじょうをををあげあげあげててて、、、「「「昔むかし昔むかしむかし朝てう朝てうちょう敵てき敵てきてき將まさ將まさまさ門かど門かどかどををを亡ほろ亡ほろほろぼしぼしぼしててて、、、勸けん勸けんけん賞じやう賞じやうじょう蒙かうぶ蒙かうぶこうぶつつっててて名な名ななををを後こう後こうこう代たい代たいたいににに揚あ揚ああげげげたりたりたりししし、、、俵たはら俵たはらたわら藤とう藤とうとう太た太たた秀ひで秀ひでひで鄕さと鄕さとさとににに十じふ十じふじゅう代だい代だいだいののの後こう後こうこう胤いん胤いんいん、、、下しも下しもしも野つけ野つけつけののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん足あし足あしあし利かゞ利かゞかがののの太た太たた郎らう郎らうろう俊とし俊としとし綱つな綱つなつなががが子こ子ここ又また又またまた太た太たた郎らう郎らうろう忠たゞ忠たゞただ綱つな綱つなつな、、、生しやう生しやうしょう年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう七しち七しちしち歳さい歳さいさいにににまかりまかりまかりなるなるなる。。。かやうかやうかようににに無む無むむ官くわん官くわんかん無む無むむ位ゐ位ゐいなるなるなる者もの者ものものののの宮みや宮みやみやににに向むか向むかむかひひい參まゐ參まゐまいらせらせらせててて弓ゆみ弓ゆみゆみををを引ひ引ひひききき、、、矢や矢ややををを放はな放はなはなつつつ事こと事ことことははは、、、天てん天てんてんののの恐おそ恐おそおそれれれ少すくな少すくなすくなからからからずずず候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、但たゞ但たゞただししし弓ゆみ弓ゆみゆみももも矢や矢ややももも、、、冥みやう冥みやうみょう加が加ががのののほどほどほどももも、、、平へい平へいへい家け家けけののの御おん御おんおん上うへ上うへうえにににこそこそこそ止とゞ止とゞとどまりまりまり候さふら候さふらそうらははわめめめ。。。三さん三さんさん位み位みみ入にふ入にふにゅう道だう道だうどう殿どの殿どのどのののの御み御みみ方かた方かたかたにににわれわれわれととと思おも思おもおもははわんんん人ひと人ひとひと々びと々びとびとははは、、、寄よ寄よよりりりあへあへあえややや、、、見げん見げんげん參ざん參ざんざんせせせんんん。。。」」」とてとてとて、、、平びやう平びやうびょう等どう等どうどう院ゐん院ゐんいんののの門もん門もんもんののの内うち内うちうちへへへ、、、攻せ攻せせめめめ入い入いいり〳〵り〳〵りせめいり戰たゝか戰たゝかたたかひひいけりけりけり。。。
  2. 2大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん左さ左ささ兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの督かみ督かみかみ知とも知ともとも盛もり盛もりもりこれこれこれををを見み見みみ給たま給たまたまひひいててて、、、「「「渡わた渡わたわたせせせややや渡わた渡わたわたせせせ。。。」」」ととと下げ下げげ知ぢ知ぢじししし給たま給たまたまへへえばばば、、、二に二にに萬まん萬まんまん八はつ八はつはっ千せん千せんせん餘よ餘よよ騎き騎ききみなみなみなうちうちうち入い入いいれれれててて渡わた渡わたわたすすす。。。さばかりさばかりさばかり早はや早はやはやききき宇う宇うう治ぢ治ぢじ川がは川がはがわももも、、、馬むま馬むまうまややや人ひと人ひとひとにににせかせかせかれれれててて、、、水みづ水みづみずははは上かみ上かみかみにににぞぞぞたゝへたゝへたたえたるたるたる。。。雜ざふ雜ざふぞう人にん人にんにんばらばらばらははは馬むま馬むまうまののの下した下したした手て手ててににに取と取ととりりりつき〳〵つき〳〵つきとりつき渡わた渡わたわたるるる程ほど程ほどほどににに、、、膝ひざ膝ひざひざよりよりより上うへ上うへうえをををぬらさぬらさぬらさぬぬぬ者もの者ものものももも多おほ多おほおおかりかりかりけりけりけり。。。おのづからおのづからおのずからはづるゝはづるゝはずるる水みづ水みづみずにににははは、、、何なに何なになにもももたまらたまらたまらずずず流なが流ながながれれれたりたりたり。。。
  3. 3こゝこゝここににに伊い伊いい賀が賀がが、、、伊い伊いい勢せ勢せせ兩りやう兩りやうりょう國ごく國ごくごくののの官くわん官くわんかん兵びやう兵びやうびょう等ら等らら、、、馬むま馬むまうま筏いかだ筏いかだいかだおしおしおし破やぶ破やぶやぶららられれれててて、、、六ろつ六ろつろっ百ぴやく百ぴやくぴゃく餘よ餘よよ騎き騎ききこそこそこそ流なが流ながながれれれたれたれたれ。。。萌もえ萌もえもえ黄ぎ黄ぎぎ、、、緋ひ緋ひひ縅をどし縅をどしおどし、、、赤あか赤あかあか縅をどし縅をどしおどし、、、いろ〳〵いろ〳〵いろいろののの鎧よろひ鎧よろひよろいののの、、、浮う浮ううきききぬぬぬ沉しづ沉しづしずみみみぬぬぬゆらゆらゆられれれけるけるけるははは、、、神かん神かんかん無な無なな備び備びび山やま山やまやまののの紅もみ紅もみもみ葉ぢ葉ぢじののの峯みね峯みねみねののの嵐あらし嵐あらしあらしにににさそはさそはさそわれれれててて、、、龍たつ龍たつたつ田た田たたののの川かは川かはかはののの秋あき秋あきあきのののくれくれくれ、、、井ゐ井ゐい關ぜき關ぜきぜきにににかゝりかゝりかかりててて、、、流なが流ながながれれれもももあへあへあえぬぬぬににに異こと異ことことならならならずずず。。。そのそのその中なか中なかなかににに緋ひ緋ひひ縅をどし縅をどしおどしののの鎧よろひ鎧よろひよろい著き著ききたるたるたる武む武むむ者しや者しやしゃ三さん三さんさん人にん人にんにん、、、網あ網ああ代じろ代じろじろににに流なが流ながながれれれかゝりかゝりかかりててて、、、浮う浮ううきききぬぬぬ沉しづ沉しづしずみみみぬぬぬゆらゆらゆられれれけるけるけるををを、、、伊い伊いい豆づ豆づずののの守かみ守かみかみ見み見みみ給たま給たまたまひひいててて、、、かくかくかくぞぞぞ詠えい詠えいえいじじじ給たま給たまたまひひいけるけるける。。。
  4. 4伊い伊いい勢せ勢せせ武む武むむ者しや者しやしゃはははみなみなみな緋ひ緋ひひ縅をどし縅をどしおどしののの鎧よろひ鎧よろひよろい著き著ききててて宇う宇うう治ぢ治ぢじののの網あ網ああ代じろ代じろじろにににかゝりかゝりかかりぬるぬるぬるかなかなかな
  5. 5これらこれらこれらはははみなみなみな伊い伊いい勢せ勢せせののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにんなりなりなり。。。黑くろ黑くろくろ田だ田だだののの後ご後ごご平へい平へいへい四し四しし郎らう郎らうろう、、、日ひ日ひひ野の野ののののの十じふ十じふじゅう郎らう郎らうろう、、、乙おと乙おとおと部べ部べべののの彌や彌やや七しち七しちしちととといふいふいう者もの者ものものなりなりなり。。。中なか中なかなかにににももも日ひ日ひひ野の野ののののの十じふ十じふじゅう郎らう郎らうろうははは古ふる古ふるふる兵つはもの兵つはものつわものにににてててありありありけれけれければばば、、、弓ゆみ弓ゆみゆみののの弭はず弭はずはず、、、岩いは岩いはいわののの閒はざま閒はざまはざまにににねぢねぢねじ立た立たたててててててかきかきかき上あが上あがあがりりり、、、二ふた二ふたふた人り人りりののの者もの者ものものどもどもどもををを引ひき引ひきひき上あ上ああげげげててて、、、助たす助たすたすけけけけるけるけるとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。
  6. 6大おほ大おほおお勢ぜい勢ぜいぜいみなみなみな渡わた渡わたわたつつっててて、、、平びやう平びやうびょう等どう等どうどう院ゐん院ゐんいんののの門もん門もんもんののの内うち内うちうちへへへ、、、攻せ攻せせめめめ入い入いいり〳〵り〳〵りせめいり戰たゝか戰たゝかたたかひひいけりけりけり。。。このこのこのまぎれまぎれまぎれににに宮みや宮みやみやをををばばば南なん南なんなん都と都ととへへへ先さき先さきさき立だ立だだたたたせせせ參まゐ參まゐまいらせらせらせ、、、三さん三さんさん位み位みみ入にふ入にふにゅう道だう道だうどうののの一いち一いちいち類るゐ類るゐるい、、、渡わた渡わたわた邊なべ邊なべなべ黨たう黨たうとう、、、三み三みみ井ゐ井ゐい寺でら寺でらでらののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ、、、殘のこ殘のこのこりりり止とゞ止とゞとどまつまつまっててて防ふせぎ防ふせぎふせぎ矢や矢やや射い射いいけりけりけり。。。源げん源げんげん三ざん三ざんざん位み位みみ入にふ入にふにゅう道だう道だうどうははは七しち七しちしち十じふ十じふじゅうにににあまつあまつあまっててて軍いくさ軍いくさいくさしてしてして、、、弓ゆん弓ゆんゆん手で手ででののの膝ひざ膝ひざひざ口ぐち口ぐちぐちををを射い射いいさせさせさせ、、、痛いた痛いたいた手で手ででなれなれなればばば、、、心こころ心こころこころ靜しづ靜しづしずかかかににに自じ自じじ害がい害がいがいせせせんんんとてとてとて、、、平びやう平びやうびょう等どう等どうどう院ゐん院ゐんいんののの門もん門もんもんののの内うち内うちうちへへへ引ひき引ひきひき退しりぞ退しりぞしりぞくくく所ところ所ところところににに、、、敵かたき敵かたきかたき襲おそ襲おそおそひひいかゝれかゝれかかればばば、、、次じ次じじ男なん男なんなん源げん源げんげん大たい大たいたい夫ふ夫ふふののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん兼かね兼かねかね綱つな綱つなつなははは、、、紺こん紺こんこん地ぢ地ぢじののの錦にしき錦にしきにしきののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれににに唐から唐からから綾あや綾あやあや縅をどし縅をどしおどしののの鎧よろひ鎧よろひよろい著き著ききててて、、、白しろ白しろしろ月つき月つきつき毛げ毛げげなるなるなる馬むま馬むまうまににに金きん金きんきん覆ぷく覆ぷくぷく輪りん輪りんりんののの鞍くら鞍くらくらおいおいおいててて乘の乘ののりりりたまひたまひたまいたりたりたりけるけるけるががが、、、父ちゝ父ちゝちちををを延のば延のばのばさささんんんががが爲ため爲ためためににに、、、返かへ返かへかえしししあはせ〳〵あはせ〳〵あわせかえしあわせ防ふせ防ふせふせぎぎぎ戰たゝか戰たゝかたたかふふう。。。
  7. 7上總かづさ上總かづさかずさののの太た太たた郎らう郎らうろう判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんががが射い射いいけるけるける矢や矢ややににに、、、源げん源げんげん大たい大たいたい夫ふ夫ふふののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん内うち内うちうち兜かぶと兜かぶとかぶとををを射い射いいさせさせさせてててひるむひるむひるむ所ところ所ところところににに、、、上總かづさ上總かづさかずさののの守かみ守かみかみががが童わらは童わらはわらわ次じ次じじ郎らう郎らうろう丸まる丸まるまるととといふいふいう大だい大だいだい力ぢから力ぢからじからののの剛かう剛かうこうののの者もの者ものもの、、、萌もよ萌もよもよ黄ぎ黄ぎぎ匂にほひ匂にほひにおいののの鎧よろひ鎧よろひよろい著き著きき、、、三さん三さんさん枚まい枚まいまい兜かぶと兜かぶとかぶとののの緒を緒をををををしめしめしめ、、、打うち打うちうち物もの物ものものののの鞘さや鞘さやさやをををはづいはづいはずいててて、、、源げん源げんげん大たい大たいたい夫ふ夫ふふののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんにににおしおしおし竝なら竝ならならべべべててて、、、むずむずむずととと組く組くくんんんでででどうどうどうととと落お落おおつつつ。。。源げん源げんげん大たい大たいたい夫ふ夫ふふののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんははは大だい大だいだい力ぢから力ぢからじからにににててておはしおはしおわしけれけれければばば、、、治ぢ治ぢじ郎らう郎らうろう丸まる丸まるまるををを取と取ととつつっててておさへおさへおさえててて首くび首くびくびをををかきかきかき、、、立たち立たちたち上あが上あがあがらららんんんとととするするする所ところ所ところところににに、、、平へい平へいへい家け家けけののの兵つはもの兵つはものつわものどもどもども十じふ十じふじゅう四し四しし五ご五ごご騎き騎きき落お落おおちちち重かさな重かさなかさなつつっててて、、、遂つひ遂つひついににに兼かね兼かねかね綱つな綱つなつなををを討う討ううつつってててけりけりけり。。。
  8. 8伊い伊いい豆づ豆づずののの守かみ守かみかみ仲なか仲なかなか綱つな綱つなつなもももさん〴〵さん〴〵さんざんににに戰たゝか戰たゝかたたかひひい、、、痛いた痛いたいた手で手でであまたあまたあまた負お負おおうううててて、、、平びやう平びやうびょう等どう等どうどう院ゐん院ゐんいんののの釣つり釣つりつり殿どの殿どのどのにににててて自じ自じじ害がい害がいがいしてしてしてけりけりけり。。。そのそのその頸くび頸くびくびをををばばば下しも下しもしも河かう河かうこう邊べ邊べべののの藤とう藤とうとう三ざぶ三ざぶざぶ郎らう郎らうろう淸きよ淸きよきよ親ちか親ちかちか取と取ととつつっててて、、、大おほ大おほおお床ゆか床ゆかゆかののの下した下したしたへへへぞぞぞ投な投ななげげげ入い入いいれれれたるたるたる。。。六ろく六ろくろく條でう條でうじょうののの藏くら藏くらくら人うど人うどうど仲なか仲なかなか家いへ家いへいえ、、、そのそのその子こ子ここ藏くら藏くらくら人うど人うどうど太た太たた郎らう郎らうろう仲なか仲なかなか光みつ光みつみつもももさん〴〵さん〴〵さんざんににに戰たゝか戰たゝかたたかひひい、、、一いつ一いついっ所しよ所しよしょにににててて討うち討うちうち死じに死じにじにしてしてしてけりけりけり。。。このこのこの仲なか仲なかなか家いへ家いへいえととと申まう申まうもうすすすははは、、、故こ故ここ帶たて帶たてたて刀はき刀はきはきののの先せん先せんせん生じやう生じやうじょう義よし義よしよし賢かた賢かたかたががが嫡ちやく嫡ちやくちゃく子し子ししなりなりなり。。。しかるしかるしかるををを父ちゝ父ちゝちち討う討ううたたたれれれててて後のち後のちのち、、、孤みなしご孤みなしごみなしごにににてててありありありしししををを、、、三さん三さんさん位み位みみ入にふ入にふにゅう道だう道だうどう養やう養やうよう子し子ししにににしてしてして、、、不ふ不ふふ便びん便びんびんにににししし給たま給たまたまひひいしかしかしかばばば、、、日ひ日ひひ頃ごろ頃ごろごろののの契けい契けいけい約やく約やくやくををを違たが違たがたがへへえじじじとととややや、、、一いつ一いついっ所しよ所しよしょででで死し死ししにににけるけるけるこそこそこそ無む無むむ慙ざん慙ざんざんなれなれなれ。。。
  9. 9三さん三さんさん位み位みみ入にふ入にふにゅう道だう道だうどう、、、渡わた渡わたわた邊なべ邊なべなべ長ちやう長ちやうちょう七しち七しちしち唱となふ唱となふとなうををを召め召めめしししててて、、、「「「わがわがわが頸くび頸くびくび打う打ううててて。。。」」」ととと宣のたま宣のたまのたまへへえばばば、、、主しゆう主しゆうしゅうののの生いき生いきいき頸くび頸くびくび打う打ううたたたんんんずるずるずる事こと事ことことののの悲かな悲かなかなしさしさしさににに、、、「「「仕つかまつ仕つかまつつかまつるるるともともとも存ぞん存ぞんぞんじじじ候さふら候さふらそうらははわずずず。。。御ご御ごご自じ自じじ害がい害がいがい候さふら候さふらそうらははわばばば、、、そのそのその後のち後のちのちこそこそこそ賜たま賜たまたまはりはりわり候さふら候さふらそうらははわめめめ。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、げにげにげにもももとととややや思おも思おもおもははわれれれけんけんけん、、、西にし西にしにしににに向むか向むかむかひひい手て手ててををを合あ合ああははわせせせ、、、高かう高かうこう聲じやう聲じやうじょうににに十じふ十じふじゅう念ねん念ねんねん唱とな唱となとなへへえ給たま給たまたまひひいててて、、、最さい最さいさい後ご後ごごのののことばことばことばあはれあはれあわれなるなるなる。。。
  10. 10埋うもれ埋うもれうもれ木ぎ木ぎぎののの花はな花はなはな咲さ咲ささくくくことことこともももなかりなかりなかりしししにににみのみのみのなるなるなるはてはてはてぞぞぞ悲かな悲かなかなしかりしかりしかりけるけるける
  11. 11これこれこれををを最さい最さいさい後ご後ごごのののことばことばことばにににててて、、、太た太たた刀ち刀ちちののの先さき先さきさきををを腹はら腹はらはらににに突つ突つつききき立た立たたててて、、、うつぶしうつぶしうつぶしざまざまざまににに貫つらぬ貫つらぬつらぬかつかつかってててぞぞぞ失う失ううせせせられられられけるけるける。。。そのそのその時とき時ときときににに歌うた歌うたうた詠よ詠よよむむむべうべうびょうはははなかりなかりなかりしかしかしかどもどもども、、、若わか若わかわこうううよりよりよりあながちあながちあながちにににすいすいすいたるたるたる道みち道みちみちなれなれなればばば、、、最さい最さいさい後ご後ごごののの時とき時ときときももも忘わす忘わすわすれれれ給たま給たまたまははわずずず。。。そのそのその頸くび頸くびくびをををばばば長ちやう長ちやうちょう七しち七しちしち唱となふ唱となふとなうががが取と取ととつつっててて、、、石いし石いしいしにににくゝりくゝりくくりあはせあはせあわせ、、、宇う宇うう治ぢ治ぢじ川がは川がはがわののの深ふか深ふかふかききき所ところ所ところところににに沉しづ沉しづしずめめめてててけりけりけり。。。
  12. 12平へい平へいへい家け家けけののの侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいどもどもども、、、いかにいかにいかにもももしてしてして競きほふ競きほふきおう瀧たき瀧たきたき口ぐち口ぐちぐちをををばばば生いけ生いけいけ捕どり捕どりどりにににせせせばやばやばやととと窺うかゞ窺うかゞうかがひひいけれけれけれどもどもども、、、競きほふ競きほふきおうもももさきさきさきににに心こころ心こころこころ得え得ええてててさん〴〵さん〴〵さんざんににに戰たゝか戰たゝかたたかひひい、、、痛いた痛いたいた手で手でであまたあまたあまた負お負おおひひい、、、腹はら腹はらはらかきかきかき切き切ききつつっててて死し死ししににににににけるけるける。。。圓ゑん圓ゑんえん滿まん滿まんまん院ゐん院ゐんいんののの大たい大たいたい輔ふ輔ふふ源げん源げんげん覺かく覺かくかくははは、、、今いま今いまいまははは宮みや宮みやみやももも遙はる遙はるはるかかかににに延の延ののびびびさせさせさせ給たま給たまたまひひいぬぬぬらんらんらんとととややや思おも思おもおもひひいけんけんけん、、、大おほ大おほおお太だ太だだ刀ち刀ちち、、、大おほ大おほおお長なぎ長なぎなぎ刀なた刀なたなた、、、左さ左さそ右う右ううににに持も持ももつつっててて敵かたき敵かたきかたきののの中なか中なかなかをををわつわつわっててて出い出いいででで、、、宇う宇うう治ぢ治ぢじ川がは川がはがわへへへ飛と飛ととんんんででで入い入いいりりり、、、物もの物ものもの具のぐ具のぐのぐ一ひと一ひとひとつつつももも捨す捨すすてててずずず、、、水みづ水みづみずののの底そこ底そこそこををを潛くゞ潛くゞくぐつつっててて、、、向むか向むかむかひひいののの岸きし岸きしきしにににぞぞぞ著つ著つつきききにににけるけるける。。。高たか高たかたかききき所ところ所ところところににに走はし走はしはしりりり上あが上あがあがりりり、、、大だい大だいだい音おん音おんおん聲じやう聲じやうじょうをををあげあげあげててて、、、「「「いかにいかにいかに平へい平へいへい家け家けけののの君きん君きんきん達だち達だちだち、、、これこれこれまでまでまでははは御おん御おんおん大だい大だいだい事じ事じじかかかようようよう。。。」」」ととといひいひいい捨す捨すすてててててて、、、三み三みみ井ゐ井ゐい寺でら寺でらでらへへへこそこそこそ歸かへ歸かへかえりりりけれけれけれ。。。
  13. 13飛ひ飛ひひ驒だ驒だだののの守かみ守かみかみ景かげ景かげかげ家いへ家いへいえははは古ふる古ふるふる兵つはもの兵つはものつわものにににてててありありありけれけれければばば、、、このこのこのまぎれまぎれまぎれににに宮みや宮みやみやははは定さだ定さださだめめめててて、、、南なん南なんなん都と都ととへへへややや落お落おおちちちさせさせさせ給たま給たまたまふふうらんらんらんとてとてとて、、、ひたひたひたかぶとかぶとかぶと四し四しし五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく騎き騎きき、、、鞭むち鞭むちむち鐙あぶみ鐙あぶみあぶみををを合あ合ああはせはせわせててて追お追おおつつっかけかけかけ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。案あん案あんあんののの如ごと如ごとごとくくく宮みや宮みやみやははは三さん三さんさん十じつ十じつじっ騎き騎きき許ばか許ばかばかりりりででで落お落おおちちちさせさせさせ給たま給たまたまふふう所ところ所ところところををを、、、光くわう光くわうこう明みやう明みやうみょう山せん山せんせんののの鳥とり鳥とりとり居ゐ居ゐいののの前まへ前まへまえにににててて追お追おおひひいつきつきつき奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、雨あめ雨あめあめののの降ふ降ふふるるる樣やう樣やうようににに射い射いい奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりけれけれければばば、、、いづれいづれいずれががが矢や矢ややとととははは知し知ししらららねねねどもどもども、、、矢や矢やや一ひと一ひとひとつつつ來きた來きたきたつつっててて、、、宮みや宮みやみやののの左ひだり左ひだりひだりののの御おん御おんおん側わき側わきわき腹ばら腹ばらばらににに立た立たたちちちけれけれければばば、、、御おん御おんおん馬むま馬むまうまよりよりより落お落おおちちちさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、御おん御おんおん頸くび頸くびくび取と取ととららられれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。御おん御おんおん伴とも伴ともとも申まう申まうもうしししたるたるたる鬼おに鬼おにおに佐さ佐ささ渡ど渡どど、、、荒あら荒あらあら土と土とと佐さ佐ささ、、、荒くわう荒くわうこう大たい大たいたい夫ふ夫ふふ、、、刑ぎやう刑ぎやうぎょう部ぶ部ぶぶ俊しゆん俊しゆんしゅん秀しう秀しうしゅうももも、、、命いのち命いのちいのちをををばばばいついついつののの爲ため爲ためためにににかかか惜を惜をおしむしむしむべきべきべきとてとてとて、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに戰たゝか戰たゝかたたかひひい、、、一いつ一いついっ所しよ所しよしょででで討うち討うちうち死じに死じにじにしてしてしてけりけりけり。。。
  14. 14そのそのその中なか中なかなかににに乳めの乳めのめの母と母とと子ご子ごごののの六ろく六ろくろく條でう條でうじょうののの亮すけ亮すけすけののの大たい大たいたい夫ふ夫ふふ宗むね宗むねむね信のぶ信のぶのぶははは、、、新にひ新にひにい野の野ののががが池いけ池いけいけへへへ飛と飛ととんんんででで入い入いいりりり、、、浮うき浮うきうき草くさ草くさくさ顏かほ顏かほかおににに取と取ととりりり蔽おほ蔽おほおおひひい慄ふる慄ふるふるへへえゐゐいたれたれたればばば、、、敵かたき敵かたきかたきははは前まへ前まへまえをををぞぞぞうちうちうち通とほ通とほとおりりりぬぬぬ。。。やゝやゝややあつあつあっててて敵かたき敵かたきかたき四し四しし五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく騎き騎きき、、、さゞめいさゞめいさざめいててて歸かへ歸かへかえりりりけるけるける中なか中なかなかににに、、、淨じやう淨じやうじょう衣え衣ええ著き著ききたるたるたる死し死しし人にん人にんにんののの頸くび頸くびくびもももなきなきなきををを、、、蔀しとみ蔀しとみしとみのののもともともとよりよりよりかきかきかき出いだ出いだいだいいいたるたるたるををを見み見みみれれればばば、、、宮みや宮みやみやにににてててぞぞぞおはしましおはしましおわしましけるけるける。。。「「「われわれわれ死し死ししなななばばば御おん御おんおん棺くわん棺くわんかんににに入い入いいれれれよよよ。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせられられられししし小さ小ささ枝えだ枝えだえだととと聞きこ聞きこきこえええししし御おん御おんおん笛ふえ笛ふえふえをををももも、、、未いま未いまいまだだだ御おん御おんおん腰こし腰こしこしにににぞぞぞささささささせせせまし〳〵まし〳〵ましましけるけるける。。。走はし走はしはしりりり出い出いいでででててて、、、取と取ととりりりつきつきつき奉たてまつ奉たてまつたてまつらららばやばやばやとととははは思おも思おもおもへへえどもどもども、、、恐おそ恐おそおそろしけれろしけれろしければばばそれそれそれもももかなはかなはかなわずずず。。。敵かたき敵かたきかたきみなみなみな通とほ通とほとおつつっててて後のち後のちのち、、、池いけ池いけいけよりよりより上あが上あがあがりりり、、、ぬれぬれぬれたるたるたる物もの物ものものどもどもどもしぼりしぼりしぼり著き著ききててて、、、泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく都みやこ都みやこみやこへへへ上のぼ上のぼのぼりりりたりたりたりけるけるけるををを、、、憎にく憎にくにくまままぬぬぬ者もの者ものものこそこそこそなかりなかりなかりけれけれけれ。。。
  15. 15さるさるさる程ほど程ほどほどににに南なん南なんなん都と都ととののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ七しち七しちしち千せん千せんせん餘よ餘よよ人にん人にんにん、、、兜かぶと兜かぶとかぶとののの緒を緒をををををしめしめしめ、、、宮みや宮みやみやののの御おん御おんおん迎むか迎むかむかへへえににに參まゐ參まゐまいりりりけるけるけるががが、、、先せん先せんせん陣ぢん陣ぢんじんははは木こ木ここ津つ津つつににに進すゝ進すゝすすみみみ、、、後ご後ごご陣ぢん陣ぢんじんははは未いま未いまいまだだだ興こう興こうこう福ぶく福ぶくぶく寺じ寺じじののの南なん南なんなん大だい大だいだい門もん門もんもんにににぞぞぞゆらへゆらへゆらえたるたるたる。。。宮みや宮みやみやははははやはやはや光くわう光くわうこう明みやう明みやうみょう山せん山せんせんののの鳥とり鳥とりとり居ゐ居ゐいののの前まへ前まへまえにににててて、、、討う討ううたたたれれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいぬぬぬととと聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばずずず、、、涙なみだ涙なみだなみだをををおさへおさへおさえててて止とゞ止とゞとどまりまりまりぬぬぬ。。。今いま今いまいま五ご五ごご十じつ十じつじっ町ちやう町ちやうちょうばかりばかりばかり待ま待ままちちちつけつけつけさせさせさせ給たま給たまたまははわででで、、、討う討ううたたたれれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいけるけるける、、、宮みや宮みやみやののの御ご御ごご運うん運うんうんのののほどほどほどこそこそこそうたてけれうたてけれうたてけれ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

足利のその日の装束は、朽葉色の綾の直垂に赤革縅の鎧を着て、高角を打った兜の緒を締め、黄金づくりの太刀を帯び、二十四本差した切斑の矢を負い、滋籐の弓を持って、連銭葦毛の馬に、柏木にみみずくの模様を打った金覆輪の鞍を置いて乗っていた。鐙を踏ん張って立ち上がり、大声をあげて、「昔、朝敵将門を滅ぼして恩賞を受け、名を後の世に揚げた俵藤太秀郷から十代の子孫、下野国の住人足利太郎俊綱の子、又太郎忠綱、生年十七歳になる。このように官位もない者が宮に向かい申して弓を引き矢を放つことは、天の恐れも少なくないが、弓矢の冥加も平家の御身の上にこそとどまるであろう。三位入道殿の味方で我こそはと思う人々は、寄って来い、見参しよう」といって、平等院の門の内へ攻め入り攻め入り戦った。

大将軍左兵衛督知盛はこれをご覧になって、「渡せ、渡せ」と命じられたので、二万八千余騎がみな乗り入れて渡った。あれほど流れの速い宇治川も、馬や人にせき止められて、水は上流にたまった。雑兵たちは馬の下流側に取りつき取りつき渡ったので、膝から上を濡らさない者も多かった。たまたま外れて流れる水には、何も耐えられずに流された。

ここに伊賀・伊勢両国の官兵たちは、馬筏を押し破られて六百余騎が流された。萌黄・緋縅・赤縅など、色とりどりの鎧が浮いたり沈んだりして揺られるさまは、神奈備山の紅葉が峰の嵐に誘われて、竜田川の秋の暮れに井堰にかかって流れきれずにいるのと変わらない。その中に緋縅の鎧を着た武者三人が網代に流れかかって、浮いたり沈んだりして揺られていたのを、伊豆守がご覧になって、このように詠まれた。

伊勢武者はみな緋縅の鎧を着て、宇治の網代にかかってしまったことよ。

これらはみな伊勢国の住人である。黒田後平四郎・日野十郎・乙部弥七という者である。中でも日野十郎は老練な武者であったので、弓の弭を岩の間にねじ立ててよじ登り、二人の者を引き上げて助けたと聞こえた。

大軍がみな渡って、平等院の門の内へ攻め入り攻め入り戦った。この混乱に紛れて宮を南都へ先に逃がし申し、三位入道の一族、渡辺党、三井寺の大衆は残りとどまって防ぎ矢を射た。源三位入道は七十を過ぎて戦って、左の膝口を射られ、深手だったので、心静かに自害しようと平等院の門の内へ引き下がるところに、敵が襲いかかったので、次男の源大夫判官兼綱は、紺地の錦の直垂に唐綾縅の鎧を着て、白月毛の馬に金覆輪の鞍を置いて乗っておられたが、父を逃がすために、引き返しては戦い引き返しては戦って防いだ。

上総太郎判官の射た矢に、源大夫判官は兜の内側を射られてひるんだところに、上総守の童で次郎丸という大力の剛の者が、萌黄匂の鎧を着て三枚兜の緒を締め、刀の鞘を払って、源大夫判官に馬を押し並べて、むずと組んでどうと落ちた。源大夫判官は大力でいらっしゃったので、次郎丸を取り押さえて首をかき、立ち上がろうとするところに、平家の兵ども十四、五騎が落ち重なって、ついに兼綱を討ち取った。

伊豆守仲綱もさんざんに戦い、深手を多く負って、平等院の釣殿で自害した。その首は下河辺藤三郎清親が取って、縁の下へ投げ入れた。六条蔵人仲家とその子の蔵人太郎仲光もさんざんに戦い、同じ所で討ち死にした。この仲家というのは、故帯刀先生義賢の嫡子である。父が討たれた後、孤児となっていたのを三位入道が養子にしてかわいがっておられたので、日ごろの約束を違えまいと思ったのであろうか、同じ所で死んだのは哀れである。

三位入道は渡辺長七唱を呼んで、「わしの首を打て」とおっしゃると、主人の生首を打つことの悲しさに、「とてもできるとは思えません。ご自害なさいましたら、その後でいただきましょう」と申したので、もっともだと思われたのであろうか、西に向かって手を合わせ、声高に十念を唱えて、最期の言葉は哀れであった。

埋もれ木のように、花の咲くこと(世に出て栄えること)もなかったのに、実がなる(身がなる)最期がこのようであるのは悲しいことだ。

これを最期の言葉として、太刀の先を腹に突き立て、うつ伏せに倒れて刺し貫かれてお亡くなりになった。そのときに歌を詠めるような状況ではなかったが、若いころから深く好んだ道なので、最期のときも忘れられなかったのである。その首は長七唱が取って石にくくりつけ、宇治川の深い所に沈めた。

平家の侍たちは、何とかして競の滝口を生け捕りにしようとうかがったが、競もそれを察してさんざんに戦い、深手を多く負って、腹を切って死んだ。円満院の大輔源覚は、今は宮もはるかに逃げのびなさったであろうと思ったのか、大太刀と大長刀を左右に持って敵の中を割って出て、宇治川へ飛び込み、武具一つも捨てずに水の底をくぐって、向こう岸に着いた。高い所に走り上って大声をあげ、「どうだ平家の公達、ここまでは大変だろう」と言い捨てて、三井寺へ帰って行った。

飛騨守景家は老練な武者であったので、この混乱に紛れて宮はきっと南都へお逃げになるだろうといって、鎧兜に身を固めた四、五百騎で、鞭と鐙を合わせて追いかけ申した。案の定、宮は三十騎ほどで逃げておられたところを、光明山の鳥居の前で追いつき申して、雨の降るように矢を射かけ申したので、誰の矢ともわからないが、矢が一本飛んで来て宮の左の脇腹に立ったので、御馬からお落ちになって、御首を取られてしまわれた。お供していた鬼佐渡・荒土佐・荒大夫・刑部俊秀も、命をいつのために惜しむべきかといって、さんざんに戦い、同じ所で討ち死にした。

その中で乳母子の六条亮大夫宗信は、新野が池へ飛び込み、浮草を顔にかぶって震えていたので、敵は前を通り過ぎて行った。しばらくして敵四、五百騎がざわめいて帰ってくる中に、浄衣を着た首のない死体を蔀に載せて担いで行くのを見ると、宮でいらっしゃった。「私が死んだら棺に入れよ」とおっしゃった小枝という御笛も、まだ御腰に差しておられた。走り出てすがりつき申したいとは思ったが、恐ろしくてそれもできない。敵がみな通り過ぎた後、池から上がって濡れた着物を絞って着て、泣く泣く都へ上ったのを、憎まない者はなかった。

さて南都の大衆七千余人は兜の緒を締めて宮のお迎えに参ったが、先陣は木津まで進み、後陣はまだ興福寺の南大門にとどまっていた。宮はもう光明山の鳥居の前で討たれてしまわれたと聞こえたので、大衆はどうしようもなく、涙をおさえてとどまった。あと五十町ばかり待ちきれずに討たれてしまわれた宮のご運のほどこそ情けないことである。

意訳

以仁王と源頼政の最期を描く章段である。足利忠綱が名のりをあげて攻め入り、平家の大軍が宇治川を渡ると、頼政の一族は宮を逃がすために防ぎ矢を射て次々と討たれていく。七十余歳の頼政は、膝を射られてなお心静かに西に向かい、「埋木の花咲くこともなかりしに」の辞世を詠んで自害した。歌人として名高い頼政の最期にふさわしい場面である。

一方、南都へ逃れた以仁王は、光明山の鳥居の前で流れ矢に当たって討たれた。「われ死なば御棺に入れよ」と言った名笛「小枝」は、首のない亡骸の腰にまだ差されていた。迎えの南都の大衆があと五十町の所まで来ていたことが、宮の悲運をいっそう際立たせている。

語釈・文法注

文法

「高角うつたる兜」
兜の正面に大きな鍬形(角)を打ちつけたもの。
「切斑の矢」
鷲の羽の白黒のまだらが段になった矢羽根の矢。
「俵藤太秀鄕」
藤原秀郷。平将門を討った武将。
「十念」
「南無阿弥陀仏」を十回唱えること。
「貫かつて」
「貫かれて」の転。刺し貫かれて。
「御大事かよう」
「御大事か、よう(ようよう)」で、大変だろう、ご苦労なことだ、とあざける言葉。
「さゞめいて」
ざわざわと騒ぎながら。

和歌

伊勢武者はみな緋縅の鎧著て宇治の網代にかゝりぬるかな

詠者
源仲綱
状況
宇治川で流された伊勢の武者三人が、緋縅の鎧のまま網代にかかっているのを見て詠んだ歌。

修辞

見立て
網代にかかる緋縅の武者を、宇治の網代にかかる氷魚(ひお)や紅葉に見立てて、平家方の武者をあざける。

埋木の花咲くこともなかりしにみのなるはてぞ悲しかりける

詠者
源頼政
状況
平等院で自害する前に詠んだ辞世の歌。

修辞

掛詞
「みのなる」に「実の生る」と「身の成る」を掛ける。
比喩
自らを土に埋もれた木にたとえ、世に出て栄えることもなかった生涯の果てが、このような最期であることを嘆く。

解説

治承四年(1180)五月二十六日、源頼政は宇治の平等院で自害し、以仁王は南山城の光明山の鳥居の前(現在の京都府木津川市)で討たれた。頼政の墓と伝えるものが平等院にあり、「扇の芝」は頼政が扇を敷いて自害した場所と伝えられる。以仁王の挙兵は短期間で鎮圧されたが、その令旨は諸国の源氏に伝えられ、同年八月の源頼朝の挙兵へとつながっていく。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、449–454頁(コマ253–255)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日