古典ライブラリー

平家物語 巻第四

源氏そろへの事

後白河法皇の第二皇子以仁王(高倉宮)は、才能に恵まれながら建春門院にうとまれ、三十歳まで親王にもなれずにいた。源三位入道頼政はひそかに宮を訪ね、平家打倒の令旨を下せば諸国の源氏が駆けつけると、源氏の名を国ごとに挙げて勧めた。宮は令旨を下し、源行家がそれを東国の源氏に伝え歩いた。熊野では、平家方の湛増が源氏方の新宮・那智勢と戦って敗れた。

  1. 1藏くら藏くらくら人うど人うどうどののの左さ左ささ衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの權ごん權ごんごんののの佐すけ佐すけすけ定さだ定さださだ長なが長ながなが、、、今こん今こんこん度ど度どどののの御ご御ごご即そく即そくそく位ゐ位ゐいににに違ゐ違ゐい亂らん亂らんらんなくなくなくめでたきめでたきめでたきやうやうようををを、、、厚かう厚かうこう紙し紙しし十じふ十じふじゅう枚まい枚まいまい許ばか許ばかばかりりりににに書か書かかいいいててて、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの北きた北きたきたののの方かた方かたかた八はち八はちはち條でう條でうじょう二に二にに位ゐ位ゐい殿どの殿どのどのへへへ參まゐ參まゐまいらせらせらせたりたりたりけれけれければばば、、、笑ゑ笑ゑえみみみををを含ふく含ふくふくんんんでででぞぞぞ喜よろこ喜よろこよろこばばばれれれけるけるける。。。かやうかやうかようにににはなやかはなやかはなやかににに、、、めでたきめでたきめでたき事こと事ことことどもどもどもありありありしかしかしかどもどもども、、、世せ世せせ間けん間けんけんははは猶なほ猶なほなおにが〳〵しうにが〳〵しうにがにがしゅうぞぞぞ見み見みみえええししし。。。
  2. 2そのそのその頃ころ頃ころころ一いち一いちいち院ゐん院ゐんいん第だい第だいだい二に二ににののの皇わう皇わうおう子じ子じじ、、、以もち以もちもち仁ひと仁ひとひとののの王わう王わうおうととと申まう申まうもうししししししははは、、、御おん御おんおん母はゝ母はゝはわ加か加かか賀が賀ががののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん季すゑ季すゑすえ成なり成なりなりののの卿きやう卿きやうきょうののの御おん御おんおん女むすめ女むすめむすめなりなりなり。。。三さん三さんさん條でう條でうじょう高たか高たかたか倉くら倉くらくらにににまし〳〵まし〳〵ましましけれけれければばば、、、高たか高たかたか倉くら倉くらくらののの宮みや宮みやみやとととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。いんじいんじいんじ永えい永えいえい萬まん萬まんまん元ぐわん元ぐわんがん年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう一いち一いちいち月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう五ご五ごご日にち日にちにちののの曉あかつき曉あかつきあかつき御おん御おんおん年とし年としとし十じふ十じふじゅう五ご五ごごにににててて、、、忍しの忍しのしのびびびつゝつゝつつ近この近このこの衞ゑ衞ゑえ河かは河かはかわ原ら原ららののの大おほ大おほおお宮みや宮みやみやののの御ご御ごご所しよ所しよしょにににててて、、、ひそかひそかひそかににに御ご御ごご元げん元げんげん服ぷく服ぷくぷくありありありけりけりけり。。。御ご御ごご手しゆ手しゆしゅ跡せき跡せきせき美うつく美うつくうつくしうしうしゅうあそばしあそばしあそばし、、、御ご御ごご才さい才さいさい覺かく覺かくかくもももすぐれすぐれすぐれてててまし〳〵まし〳〵ましましけれけれければばば、、、太たい太たいたい子し子ししにににももも立た立たたちちち、、、位くらゐ位くらゐくらいにににももも即つ即つつかかかせせせ給たま給たまたまふふうべかりべかりべかりしかしかしかどもどもども、、、故こ故ここ建けん建けんけん春しゆん春しゆんしゅん門もん門もんもん院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおん猜そね猜そねそねみみみににによつよつよっててて、、、おしおしおし籠こ籠ここめめめられられられさせさせさせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。花はな花はなはなののの下もと下もともとののの春はる春はるはるののの遊あそ遊あそあそびびびにににははは、、、紫し紫しし毫がう毫がうごうをををふるつふるつふるっててて、、、手て手ててづからづからずから御ご御ごご作さく作さくさくををを書か書かかききき、、、月つき月つきつきののの前まへ前まへまえののの秋あき秋あきあきののの宴えん宴えんえんにににははは、、、玉ぎよく玉ぎよくぎょく笛てき笛てきてきををを吹ふ吹ふふいいいててて、、、みづからみづからみずから雅が雅がが音いん音いんいんをををあやつりあやつりあやつり給たま給たまたまふふう。。。かくかくかくしてしてしてあかしあかしあかし暮くら暮くらくらさせさせさせ給たま給たまたまふふうほどほどほどににに、、、治ぢ治ぢじ承しよう承しようしょう四し四しし年ねん年ねんねんにににははは御おん御おんおん年とし年としとし三さん三さんさん十じふ十じふじゅうにににぞぞぞならならならせせせまし〳〵まし〳〵ましましけるけるける。。。
  3. 3そのそのその頃ころ頃ころころ近この近このこの衞ゑ衞ゑえ河かは河かはかわ原ら原ららににに候さぶら候さぶらさぶらははわれれれけるけるける源げん源げんげん三ざん三ざんざん位み位みみ入にふ入にふにゅう道だう道だうどう賴より賴よりより政まさ政まさまさ、、、あるあるある夜よ夜よよひそかひそかひそかにににこのこのこの宮みや宮みやみやののの所ところ所ところところににに參まゐ參まゐまいりりりててて、、、申まう申まうもうささされれれけるけるける事こと事ことことこそこそこそ恐おそ恐おそおそろしけれろしけれろしけれ。。。たとへたとへたとえばばば、、、「「「君きみ君きみきみははは天てん天てんてん照せう照せうしょう大だい大だいだい神じん神じんじん四し四しし十じふ十じふじゅう八はち八はちはち世せい世せいせいののの正しやう正しやうしょう統とう統とうとう、、、神じん神じんじん武む武むむ天てん天てんてん皇わう皇わうのうよりよりより七しち七しちしち十じふ十じふじゅう八はち八はちはち代だい代だいだいににに當あた當あたあたらららせせせ給たま給たまたまふふう。。。しかれしかれしかればばば太たい太たいたい子し子ししにににももも立た立たたちちち、、、位くらゐ位くらゐくらいにににももも即つ即つつかかかせせせ給たま給たまたまふふうべかりべかりべかりししし人ひと人ひとひとののの、、、三さん三さんさん十じふ十じふじゅうまでまでまで宮みや宮みやみやにににててて渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまふふう御おん御おんおん事こと事ことことをををばばば、、、御み御みみ心こころ心こころこころうしうしうしとととはははおぼしめさおぼしめさおぼしめされれれ候さふら候さふらそうらははわずずずややや。。。はや〳〵はや〳〵はやはや御ご御ごご謀む謀むむ叛ほん叛ほんほん起おこ起おこおこさささせせせ給たま給たまたまひひいててて平へい平へいへい家け家けけををを亡ほろ亡ほろほろぼしぼしぼし、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうのののいついついつとととなくなくなく鳥と鳥とと羽ば羽ばば殿どの殿どのどのにににおしおしおし籠こ籠ここめめめられられられててて渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまふふう御おん御おんおん憤いきどほ憤いきどほいきどおりりりをををもももやすめやすめやすめ參まゐ參まゐまいらせらせらせ、、、君きみ君きみきみももも位くらゐ位くらゐくらいににに即つ即つつかかかせせせ給たま給たまたまふふうべしべしべし。。。これこれこれひとへひとへひとえににに御ご御ごご孝かう孝かうこう行かう行かうこうののの御おん御おんおん至いた至いたいたりりりにににてててこそこそこそ候さふら候さふらそうらははわんんんずれずれずれ。。。もしもしもしおぼしめしおぼしめしおぼしめし立た立たたたたたせせせたまひたまひたまいててて、、、令りやう令りやうりょう旨じ旨じじををを下くだ下くだくだささされれれ給たま給たまたまふふうものものものならならならばばば、、、喜よろこ喜よろこよろこびびびをををなしなしなしててて馳は馳ははせせせ參まゐ參まゐまいらららんんんずるずるずる源げん源げんげん氏じ氏じじどもどもどもこそこそこそ、、、國くに國くにくに々ぐに々ぐにぐにににに多おほ多おほおおくくく候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」とてとてとて申まう申まうもうしししつゞくつゞくつづく。。。
  4. 4「「「まづまづまず京きやう京きやうきょう都と都ととにににははは出で出でで羽は羽はわののの前ぜん前ぜんぜん司じ司じじ光みつ光みつみつ信のぶ信のぶのぶののの子こ子ここどもどもども、、、伊い伊いい賀が賀ががののの守かみ守かみかみ光みつ光みつみつ基もと基もともと、、、出で出でで羽は羽はわののの判はん判はんはん官ぐわん官ぐわんがん光みつ光みつみつ長なが長ながなが、、、出で出でで羽は羽はわののの藏くら藏くらくら人うど人うどうど光みつ光みつみつ茂しげ茂しげしげ、、、出で出でで羽は羽はわののの冠くわん冠くわんかん者じや者じやじゃ光みつ光みつみつ義よし義よしよし、、、熊くま熊くまくま野の野ののにににははは故こ故ここ六ろく六ろくろく條でう條でうじょう判はん判はんはん官ぐわん官ぐわんがん爲ため爲ためため義よし義よしよしががが末ばつ末ばつばつ子し子しし十じふ十じふじゅう郎らう郎らうろう義よし義よしよし盛もり盛もりもりとてとてとて隱かく隱かくかくれれれててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。攝つ攝つつ津の津ののののの國くに國くにくににににははは多た多たた田だ田だだののの藏くら藏くらくら人うど人うどうど行ゆき行ゆきゆき綱つな綱つなつなこそこそこそ候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、これこれこれははは新しん新しんしん大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん成なり成なりなり親ちか親ちかちかののの卿きやう卿きやうきょうののの謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんののの時とき時ときとき、、、同どう同どうどう心しん心しんしんしししながらながらながら返かへ返かへかえりりり忠ちゆう忠ちゆうちゅうしししたるたるたる不ふ不ふふ當たう當たうとう人にん人にんにんにににててて候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、申まう申まうもうすすすににに及およ及およおよばばばずずず。。。さりながらさりながらさりながらそのそのその弟おとうと弟おとうとおとうと多た多たた田だ田だだののの次じ次じじ郎らう郎らうろう朝とも朝ともとも實ざね實ざねざね、、、手て手てて島しま島しましまののの冠くわん冠くわんかん者じや者じやじゃ隆たか隆たかたか賴より賴よりより、、、太おほ太おほおお田た田たたののの太た太たた郎らう郎らうろう賴より賴よりより基もと基もともと。。。河かう河かうこう内ち内ちちののの國くに國くにくににににははは石いし石いしいし川かは川かはかわののの郡こほり郡こほりこおりののの知ち知ちち行ぎやう行ぎやうぎょうしししけるけるける武む武むむ藏さし藏さしさしののの權ごん權ごんごんののの守かみ守かみかみ入にふ入にふにゅう道だう道だうどう義よし義よしよし基もと基もともと、、、子し子しし息そく息そくそく石いし石いしいし川かは川かはかわののの判はん判はんはん官ぐわん官ぐわんがん代だい代だいだい義よし義よしよし包かね包かねかね。。。大やま大やまやま和と和ととののの國くに國くにくににににははは宇う宇うう野の野ののののの七しち七しちしち郎らう郎らうろう親ちか親ちかちか治はる治はるはるががが子こ子ここどもどもども、、、太た太たた郎らう郎らうろう有あり有ありあり治はる治はるはる、、、次じ次じじ郎らう郎らうろう淸きよ淸きよきよ治はる治はるはる、、、三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう成なり成なりなり治はる治はるはる、、、四し四しし郎らう郎らうろう義よし義よしよし治はる治はるはる。。。近あふ近あふおう江み江みみののの國くに國くにくににににははは山やま山やまやま本もと本もともと、、、柏かし柏かしかし木はぎ木はぎはぎ、、、錦にし錦にしにし織ごり織ごりごり。。。
  5. 5美み美みみ濃の濃のの、、、尾を尾をお張はり張はりはりにににははは山やま山やまやま田だ田だだののの次じ次じじ郎らう郎らうろう重しげ重しげしげ弘ひろ弘ひろひろ、、、河かう河かうこう邊べ邊べべののの太た太たた郎らう郎らうろう重しげ重しげしげ直なほ直なほなお、、、泉いづみ泉いづみいずみののの太た太たた郎らう郎らうろう重しげ重しげしげ光みつ光みつみつ、、、浦うら浦うらうら野の野ののののの四し四しし郎らう郎らうろう重しげ重しげしげ遠とほ遠とほとお、、、安あ安ああ食じき食じきじきののの次じ次じじ郎らう郎らうろう重しげ重しげしげ賴より賴よりより、、、そのそのその子こ子ここののの太た太たた郎らう郎らうろう重しげ重しげしげ資すけ資すけすけ、、、木き木きき田だ田だだののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう重しげ重しげしげ長なが長ながなが、、、開かい開かいかい田でん田でんでんののの判はん判はんはん官ぐわん官ぐわんがん代だい代だいだい重しげ重しげしげ國くに國くにくに、、、矢や矢やや島しま島しましまののの先せん先せんせん生じやう生じやうじょう重しげ重しげしげ高たか高たかたか、、、そのそのその子こ子ここ太た太たた郎らう郎らうろう重しげ重しげしげ行ゆき行ゆきゆき。。。甲か甲かか斐ひ斐ひひののの國くに國くにくににににははは逸へん逸へんへん見み見みみののの冠くわん冠くわんかん者じや者じやじゃ義よし義よしよし淸きよ淸きよきよ、、、そのそのその子こ子ここののの太た太たた郎らう郎らうろう淸きよ淸きよきよ光みつ光みつみつ、、、武たけ武たけたけ田だ田だだののの太た太たた郎らう郎らうろう信のぶ信のぶのぶ義よし義よしよし、、、加か加かか々が々がが美み美みみののの次じ次じじ郎らう郎らうろう遠とほ遠とほとお光みつ光みつみつ、、、同おな同おなおなじきじきじき小こ小ここ次じ次じじ郎らう郎らうろう長なが長ながなが淸きよ淸きよきよ、、、一いち一いちいち條でう條でうじょうののの次じ次じじ郎らう郎らうろう忠たゞ忠たゞただ賴より賴よりより、、、板いた板いたいた垣がき垣がきがきののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう兼かね兼かねかね信のぶ信のぶのぶ、、、逸へん逸へんへん見み見みみののの兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえ有あり有ありあり義よし義よしよし、、、武たけ武たけたけ田だ田だだののの五ご五ごご郎らう郎らうろう信のぶ信のぶのぶ光みつ光みつみつ、、、安やす安やすやす田だ田だだののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう義よし義よしよし定さだ定さださだ。。。信しな信しなしな濃の濃ののののの國くに國くにくににににははは大おほ大おほおお内うち内うちうちののの太た太たた郎らう郎らうろう維これ維これこれ義よし義よしよし、、、岡をか岡をかおか田だ田だだののの冠くわん冠くわんかん者じや者じやじゃ親ちか親ちかちか義よし義よしよし、、、平ひら平ひらひら賀が賀ががののの冠くわん冠くわんかん者じや者じやじゃ盛もり盛もりもり義よし義よしよし、、、そのそのその子こ子ここののの四し四しし郎らう郎らうろう義よし義よしよし信のぶ信のぶのぶ、、、故こ故ここ帶たて帶たてたて刀はき刀はきはきののの先せん先せんせん生じやう生じやうじょう義よし義よしよし方かた方かたかたががが次じ次じじ男なん男なんなん、、、木き木きき曾そ曾そそののの冠くわん冠くわんかん者じや者じやじゃ義よし義よしよし仲なか仲なかなか。。。伊い伊いい豆づ豆づずののの國くに國くにくににににははは流る流るる人にん人にんにん前さき前さきさきののの右う右うう兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ賴より賴よりより朝とも朝ともとも。。。常ひた常ひたひた陸ち陸ちちののの國くに國くにくににににははは信し信しし太だ太だだののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう先せん先せんせん生じやう生じやうじょう義よし義よしよし憲のり憲のりのり、、、佐さ佐ささ竹たけ竹たけたけののの冠くわん冠くわんかん者じや者じやじゃ昌まさ昌まさまさ義よし義よしよし、、、そのそのその子こ子ここののの太た太たた郎らう郎らうろう忠たゞ忠たゞただ義よし義よしよし、、、三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう義よし義よしよし宗むね宗むねむね、、、四し四しし郎らう郎らうろう高たか高たかたか義よし義よしよし、、、五ご五ごご郎らう郎らうろう義よし義よしよし季すゑ季すゑすえ。。。陸む陸むむ奧つ奧つつののの國くに國くにくににににははは故こ故ここ左さ左ささ馬ま馬ままののの頭かみ頭かみかみ義よし義よしよし朝とも朝ともともががが末ばつ末ばつばつ子し子しし九く九くく郎らう郎らうろう冠くわん冠くわんかん者じや者じやじゃ義よし義よしよし經つね經つねつね、、、これこれこれみなみなみな六ろく六ろくろく孫そん孫そんそん王わう王わうおうののの御ご御ごご苗べう苗べうびょう裔えい裔えいえい、、、多た多たた田だ田だだののの新しん新しんしん發ぼ發ぼぼ意ち意ちち滿まん滿まんまん仲ぢゆう仲ぢゆうじゅうががが後こう後こうこう胤いん胤いんいんなりなりなり。。。
  6. 6朝てう朝てうちょう敵てき敵てきてきををを平たひ平たひたいらげらげらげ宿しゆく宿しゆくしゅく望まう望まうもうををを遂と遂ととぐるぐるぐる事こと事ことことははは、、、源げん源げんげん平ぺい平ぺいぺいいづれいづれいずれ勝しよう勝しようしょう劣れつ劣れつれつなかりなかりなかりしかしかしかどもどもども、、、今いま今いまいまははは雲うん雲うんうん泥でい泥でいでい交まじ交まじまじはりはりわりををを隔へだ隔へだへだてててててて、、、主しゆう主しゆうしゅう從じゆう從じゆうじゅうののの禮れい禮れいれいにににもももなほなほなお劣おと劣おとおとれれれりりり。。。國くに國くにくにははは國こく國こくこく司し司ししににに從したが從したがしたがひひい、、、莊しやう莊しやうしょうははは預あづかつ預あづかつあずかっ所しよ所しよしょににに召めし召めしめし使つか使つかつかははわれれれ、、、公く公くく事じ事じじ雜ざふ雜ざふぞう事じ事じじにににかりかりかり立た立たたてててられられられててて、、、安やす安やすやすききき心こころ心こころこころもももししし候さふら候さふらそうらははわずずず。。。つら〳〵つら〳〵つらつら當たう當たうとう世せい世せいせいののの體てい體ていていををを見み見みみ候さふらふ候さふらふそうろうににに、、、上うへ上うへうえにににははは從したが從したがしたがひひいたるたるたるやうやうようなれなれなれどもどもども、、、内ない内ないない々ない々ないないにににははは一いつ一いついっ向かう向かうこう平へい平へいへい家け家けけをををそねまそねまそねまぬぬぬ者もの者ものものややや候さふらふ候さふらふそうろう。。。君きみ君きみきみもしもしもし思おぼ思おぼおぼししし立た立たたたたたせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、令りやう令りやうりょう旨じ旨じじををを賜たま賜たまたまひひいつるつるつる程ほど程ほどほどならならならばばば、、、國くに國くにくに々ぐに々ぐにぐにののの源げん源げんげん氏じ氏じじどもどもども、、、夜よ夜よよををを日ひ日ひひににについついついででで馳は馳ははせせせ上のぼ上のぼのぼりりり、、、平へい平へいへい家け家けけををを亡ほろ亡ほろほろぼさぼさぼさんんん事こと事ことことははは、、、時じ時じじ日じつ日じつじつををを廻めぐ廻めぐめぐらすらすらすべからべからべからずずず。。。そのそのその儀ぎ儀ぎぎにににててて候さふら候さふらそうらははわばばば、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどうももも年とし年としとしこそこそこそ寄よ寄よよつつっててて候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、若わか若わかわかききき子こ子ここどもどもども數あま數あまあま多た多たた候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、引ひき引ひきひき具ぐ具ぐぐしししててて參まゐ參まゐまいりりり候さふらふ候さふらふそうろうべしべしべし。。。」」」とととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。
  7. 7宮みや宮みやみやはははこのこのこの事こと事ことこといかゞいかゞいかがあらあらあらんんんずずずらんらんらんととと、、、おぼしめしおぼしめしおぼしめしわづらはわづらはわずらわせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、しばししばししばしははは御ご御ごご承しよう承しようしょう引いん引いんいんもももなかりなかりなかりけるけるけるががが、、、こゝこゝここににに阿あ阿ああ古こ古ここ丸まろ丸まろまろ大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん宗むね宗むねむね通みち通みちみちののの卿きやう卿きやうきょうののの孫まご孫まごまご、、、備びん備びんびん後ご後ごごののの前ぜん前ぜんぜん司じ司じじ季すゑ季すゑすえ通みち通みちみちががが子こ子ここににに、、、少せう少せうしょう納な納なな言ごん言ごんごん惟これ惟これこれ長なが長ながながととと申まう申まうもうししししししははは、、、すぐれすぐれすぐれたるたるたる相さう相さうそう人にん人にんにんののの上じやう上じやうじょう手ず手ずずにににてててありありありけれけれければばば、、、時とき時ときときののの人ひと人ひとひと相さう相さうそう少せう少せうしょう納な納なな言ごん言ごんごんとととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。このこのこの人ひと人ひとひとこのこのこの宮みや宮みやみやををを見み見みみ參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、「「「位くらゐ位くらゐくらいににに即つ即つつかかかせせせ給たま給たまたまふふうべきべきべき御おん御おんおん相さう相さうそうましますましますまします。。。相あひ相あひあい構かま構かまかまへへえててて天てん天てんてん下か下かかののの事こと事ことこと、、、思おぼ思おぼおぼしししめしめしめし棄す棄すすつつつななな。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけるけるける。。。折をり折をりおりふしふしふしこのこのこの三さん三さんさん位み位みみ入にふ入にふにゅう道だう道だうどうももも、、、かやうかやうかようににに勸すゝ勸すゝすすめめめ申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、さてさてさてはははしかるしかるしかるべきべきべき天てん天てんてん照せう照せうしょう大だい大だいだい神じん神じんじんののの御おん御おんおん告つ告つつげげげやらやらやらんんんとてとてとて、、、ひし〳〵ひし〳〵ひしひしととと思おぼ思おぼおぼしししめしめしめし立た立たたたたたせせせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。
  8. 8まづまづまず新しん新しんしん宮ぐう宮ぐうぐうののの十じふ十じふじゅう郎らう郎らうろう義よし義よしよし盛もり盛もりもりををを召め召めめしししててて藏くら藏くらくら人うど人うどうどににになさなさなされれれ、、、行ゆき行ゆきゆき家いへ家いへいえととと改かい改かいかい名みやう名みやうみょうしてしてして、、、令りやう令りやうりょう旨じ旨じじののの御おん御おんおん使つかひ使つかひつかいににに東とう東とうとう國ごく國ごくごくへへへこそこそこそ下くだ下くだくだささされれれけれけれけれ。。。四し四しし月ぐわつ月ぐわつがつ二に二にに十じふ十じふじゅう八はち八はちはち日にち日にちにち都みやこ都みやこみやこををを立た立たたつつっててて、、、近あふ近あふおう江み江みみののの國くに國くにくによりよりより始はじ始はじはじめめめててて、、、美み美みみ濃の濃のの、、、尾を尾をお張はり張はりはりののの源げん源げんげん氏じ氏じじどもどもどもににに、、、次し次しし第だい第だいだいにににふれふれふれててて下くだ下くだくだるるる程ほど程ほどほどににに、、、五ご五ごご月ぐわつ月ぐわつがつ十とを十とをとお日か日かかにににははは伊い伊いい豆づ豆づずののの北ほう北ほうほう條でう條でうじょう蛭ひる蛭ひるひるががが小こ小ここ島じま島じまじまににに著つ著つついいいててて、、、流る流るる人にん人にんにん前さき前さきさきののの右う右うう兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどのににに令りやう令りやうりょう旨じ旨じじををを取と取ととりりり出いだ出いだいだいいいててて奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。信し信しし田だ田だだののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう先せん先せんせん生じやう生じやうじょう義よし義よしよし憲のり憲のりのりははは兄あに兄あにあになれなれなればばば賜たば賜たばたばんんんとてとてとて、、、信し信しし太だ太だだののの浮うき浮うきうき島しま島しましまへへへ下くだ下くだくだるるる。。。木き木きき曾そ曾そそののの冠くわん冠くわんかん者じや者じやじゃ義よし義よしよし仲なか仲なかなかははは甥をひ甥をひおいなれなれなればばば取と取ととらせらせらせんんんとてとてとて、、、山さん山さんさん道だう道だうどうへへへこそこそこそ赴おもむ赴おもむおもむきききけれけれけれ。。。
  9. 9こゝこゝここににに熊くま熊くまくま野の野ののののの別べつ別べつべつ當たう當たうとう湛たん湛たんたん增ぞう增ぞうぞうははは平へい平へいへい家け家けけ重ぢゆう重ぢゆうじゅう恩おん恩おんおんののの身み身みみなりなりなりしししががが、、、何なに何なになにとととしてしてしてかかか聞き聞ききききき出いだ出いだいだしししけんけんけん、、、「「「新しん新しんしん宮ぐう宮ぐうぐうののの十じふ十じふじゅう郎らう郎らうろう義よし義よしよし盛もり盛もりもりこそこそこそ、、、高たか高たかたか倉くら倉くらくらののの宮みや宮みやみやののの令りやう令りやうりょう旨じ旨じじ賜たま賜たまたまひひいててて、、、既すで既すですでににに謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんををを起おこ起おこおこすすすなれなれなれ。。。那な那なな智ち智ちち、、、新しん新しんしん宮ぐう宮ぐうぐうののの者もの者ものものどもどもどもははは、、、定さだ定さださだめめめててて源げん源げんげん氏じ氏じじののの方かた方かたかた人うど人うどうどをををぞぞぞせせせんんんずずずらんらんらん。。。湛たん湛たんたん增ぞう增ぞうぞうははは平へい平へいへい家け家けけののの御ご御ごご恩おん恩おんおんををを天あま天あまあま山やま山やまやまににに蒙かうぶ蒙かうぶこうぶりりりたれたれたればばば、、、いかでいかでいかでかかか背そむ背そむそむききき奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるべきべきべき。。。矢や矢やや一ひと一ひとひとつつつ射い射いいかけかけかけててて、、、そのそのその後のち後のちのち都みやこ都みやこみやこへへへ仔し仔しし細さい細さいさいををを申まう申まうもうさささんんん。。。」」」とてとてとて、、、ひたひたひたかぶとかぶとかぶと一いつ一いついっ千せん千せんせん餘よ餘よよ人にん人にんにん、、、新しん新しんしん宮ぐう宮ぐうぐうののの港みなと港みなとみなとへへへ發はつ發はつはっ向かう向かうこうすすす。。。
  10. 10新しん新しんしん宮ぐう宮ぐうぐうにににははは鳥と鳥とと居ゐ居ゐいののの法ほふ法ほふほう眼げん眼げんげん、、、高たか高たかたか坊ばう坊ばうぼうののの法ほふ法ほふほう眼げん眼げんげん、、、侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいにににははは宇う宇うう井ゐ井ゐい、、、鈴すゞ鈴すゞすず木き木きき、、、水みづ水みづみず屋や屋やや、、、龜かめ龜かめかめののの甲かふ甲かふこう、、、那な那なな智ち智ちちにににははは執しゆ執しゆしゅ行ぎやう行ぎやうぎょう法ほふ法ほふほう眼げん眼げんげん以い以いい下げ下げげ、、、都つ都つつ合がふ合がふごうそのそのその勢せい勢せいせい一いつ一いついっ千せん千せんせん五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく餘よ餘よよ人にん人にんにん、、、鬨とき鬨ときときつくりつくりつくり矢や矢やや合あはせ合あはせあわせしてしてして、、、源げん源げんげん氏じ氏じじののの方かた方かたかたにににははは兎と兎ととこそこそこそ射い射いいれれれ、、、平へい平へいへい家け家けけののの方かた方かたかたにににはははかくかくかくこそこそこそ射い射いいれれれととと、、、互たがひ互たがひたがいににに矢や矢ややさけびさけびさけびののの聲こゑ聲こゑこえののの退たい退たいたい轉てん轉てんてんもももなくなくなく、、、鏑かぶら鏑かぶらかぶら鳴な鳴ななりりりやむやむやむひまひまひまもももなくなくなく、、、三みつ三みつみつ日か日かかががが程ほど程ほどほどこそこそこそ戰たゝか戰たゝかたたかつつったれたれたれ。。。されどもされどもされどもおぼえおぼえおぼえののの法ほふ法ほふほう眼げん眼げんげん湛たん湛たんたん增ぞう增ぞうぞうははは、、、家いへ家いへいえののの子こ子ここ郎らう郎らうろう等どう等どうどう多おほ多おほおおくくく討う討ううたたたせせせ、、、わがわがわが身み身みみ手て手てて負お負おおひひい、、、からきからきからき命いのち命いのちいのち生い生いいきききつゝつゝつつ、、、泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく本ほん本ほんほん宮ぐう宮ぐうぐうへへへこそこそこそ還かへ還かへかえりりり上のぼ上のぼのぼりりりけれけれけれ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

蔵人左衛門権佐定長が、このたびの御即位が滞りなくめでたく行われた様子を厚紙十枚ほどに書いて、入道相国の北の方八条の二位殿へ差し上げたところ、笑みを含んで喜ばれた。このように華やかでめでたいことがあったけれども、世間はやはり苦々しく見えた。

そのころ、一院(後白河法皇)の第二皇子で以仁王と申した方は、母が加賀大納言季成卿の娘である。三条高倉においでになったので、高倉宮と申した。去る永万元年(1165)十一月十五日の明け方、御年十五で、人目を忍んで近衛河原の大宮の御所で、ひそかに元服なさった。筆跡も美しく、才知も優れておられたので、皇太子にも立ち、位にもおつきになるはずであったが、故建春門院のねたみによって押し込められておられた。花の下の春の遊びには筆をふるって自ら詩を書き、月の前の秋の宴には玉の笛を吹いて自ら雅楽を奏でられた。こうして日々を明かし暮らしておられるうちに、治承四年には御年三十になっておられた。

そのころ近衛河原に住んでおられた源三位入道頼政が、ある夜ひそかにこの宮の御所に参って申し上げたことこそ恐ろしい。それは、「君は天照大神から四十八世の正統で、神武天皇から七十八代目に当たられます。それゆえ皇太子にも立ち、位にもおつきになるはずの方が、三十まで親王の位にもつかず宮でおられることを、つらいとはお思いになりませんか。早く早く謀叛を起こされて平家を滅ぼし、法皇がいつまでも鳥羽殿に押し込められておられるお怒りもお鎮め申し、君も位におつきになるべきです。これこそ何よりのご孝行でございましょう。もし思い立たれて令旨をお下しになるなら、喜んで馳せ参じる源氏どもは国々に大勢おります」といって、申し続けた。

「まず京都には出羽前司光信の子どもで、伊賀守光基、出羽判官光長、出羽蔵人光茂、出羽冠者光義。熊野には故六条判官為義の末子の十郎義盛が隠れております。摂津国には多田蔵人行綱がおりますが、これは新大納言成親卿の謀叛のとき、同心しながら裏切った不届き者ですから、数に入れるまでもありません。ただしその弟の多田次郎朝実、手島冠者隆頼、太田太郎頼基。河内国には石川郡を知行していた武蔵権守入道義基、その子の石川判官代義包。大和国には宇野七郎親治の子どもの太郎有治・次郎清治・三郎成治・四郎義治。近江国には山本・柏木・錦織。

美濃・尾張には山田次郎重弘、河辺太郎重直、泉太郎重光、浦野四郎重遠、安食次郎重頼、その子の太郎重資、木田三郎重長、開田判官代重国、矢島先生重高、その子の太郎重行。甲斐国には逸見冠者義清、その子の太郎清光、武田太郎信義、加々美次郎遠光、同じく小次郎長清、一条次郎忠頼、板垣三郎兼信、逸見兵衛有義、武田五郎信光、安田三郎義定。信濃国には大内太郎維義、岡田冠者親義、平賀冠者盛義、その子の四郎義信、故帯刀先生義賢の次男の木曾冠者義仲。伊豆国には流人の前右兵衛佐頼朝。常陸国には信太三郎先生義憲、佐竹冠者昌義、その子の太郎忠義・三郎義宗・四郎高義・五郎義季。陸奥国には故左馬頭義朝の末子の九郎冠者義経。これらはみな六孫王(源経基)の子孫で、多田新発意満仲の後裔です。

朝敵を平らげて宿願を遂げることでは、源氏も平家もどちらも優劣はなかったのですが、今は雲と泥ほども隔たって、主従の礼にもなお劣っております。国では国司に従い、荘園では預所に召し使われ、公事や雑事に駆り立てられて、安らかな心もありません。よくよく今の世の様子を見ますと、表向きは従っているようでも、内心では平家をねたまない者がおりましょうか。君がもし思い立たれて令旨をくださるなら、国々の源氏どもは夜を日に継いで馳せ上り、平家を滅ぼすのに日数はかからないでしょう。そういうことでしたら、この入道も年は取っておりますが、若い子どもが大勢おりますので、引き連れて参ります」と申した。

宮はこのことがどうなるであろうかと思い悩まれて、しばらくはお聞き入れにならなかったが、ここに阿古丸大納言宗通卿の孫で備後前司季通の子に、少納言惟長という人がいて、すぐれた人相見の名人であったので、当時の人は相少納言と呼んでいた。この人がこの宮を拝見して、「位におつきになるはずの御相がおありです。決して天下のことをお見捨てなさいますな」と申された。ちょうどこの三位入道もこのように勧め申したので、さてはしかるべき天照大神のお告げであろうかと、きっぱりと思い立たれた。

まず新宮十郎義盛を召して蔵人に任じ、行家と改名させて、令旨の御使として東国へ下された。行家は四月二十八日に都を立って、近江国から始めて美濃・尾張の源氏たちに次々と伝えながら下るうちに、五月十日には伊豆の北条の蛭が小島に着いて、流人の前右兵衛佐殿に令旨を取り出して差し上げた。信太三郎先生義憲は兄なので与えようと、信太の浮島へ下った。木曾冠者義仲は甥なので取らせようと、東山道へ向かった。

ここに熊野の別当湛増は平家から重い恩を受けた身であったが、どうやって聞きつけたのか、「新宮十郎義盛が高倉宮の令旨をいただいて、もう謀叛を起こすそうだ。那智・新宮の者どもはきっと源氏の味方をするだろう。湛増は平家のご恩を天や山ほども受けているのだから、どうして背き申せようか。矢を一本射かけて、その後で都へ事情を申し上げよう」といって、鎧兜に身を固めた一千余人で新宮の港へ向かった。

新宮には鳥居法眼・高坊法眼、侍には宇井・鈴木・水屋・亀の甲、那智には執行法眼以下、合わせてその勢一千五百余人が、鬨の声をあげ矢合わせをして、源氏の方ではこう射るぞ、平家の方ではこう射るぞと、互いの矢叫びの声も絶え間なく、鏑矢の鳴りやむ間もなく、三日の間戦った。けれども名高い法眼湛増は、家の子・郎等を多く討たせ、自身も傷を負って、命からがら泣く泣く本宮へ逃げ帰った。

意訳

以仁王の挙兵の発端を描く章段である。後白河法皇の皇子でありながら、建春門院にうとまれて親王宣下も受けられなかった以仁王のもとへ、七十を超える源頼政が平家打倒を勧めに訪れる。頼政が国ごとに源氏の名を挙げていく長い名寄せは、源氏の勢力が全国に潜在していることを示すとともに、後に挙兵する頼朝・義仲・義経の名をここで初めてそろえて読者に示している。

以仁王は人相見の言葉にも後押しされて決意し、源行家が令旨を携えて東国へ下る。その動きは早くも熊野で平家方の湛増に察知され、新宮・那智との合戦となった。平家打倒の戦いの最初の火の手が、ここに上がったのである。

語釈・文法注

文法

「御猜み」
ねたみ。建春門院は自分の子(高倉天皇)を皇位につけるため、以仁王を遠ざけたとされる。
「返り忠」
味方を裏切って敵方に通じること。行綱が鹿ケ谷の謀議を清盛に密告したことをいう(巻第二)。
「先生」
帯刀先生。東宮を護衛する帯刀舎人の長。
「新發意」
新たに出家した者。源満仲は晩年に出家した。
「雲泥交はりを隔てて」
雲と泥ほども身分の差がついて、という意。
「天山に蒙りたれば」
天や山ほども高く大きな恩を受けているので。
「兎こそ射れ」
「兎」は「と」の当て字。「とこそ射れ、かくこそ射れ」で、ああ射るぞ、こう射るぞ、と互いに言い合うさま。

解説

以仁王(1151〜1180)は後白河法皇の第三皇子とされることが多いが、物語は「第二の皇子」とする。治承四年(1180)四月九日、以仁王は平家追討の令旨を発し、源行家(もと義盛)がこれを諸国の源氏に伝えた。これがのちの源平の争乱(治承・寿永の乱)の始まりとなる。源頼政(1104〜1180)は保元・平治の乱で平家方についた源氏の長老で、清盛の推挙で従三位に昇ったが、のちに以仁王とともに挙兵した。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、419–423頁(コマ238–240)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日