古典ライブラリー

平家物語 巻第四

還御の事

三月二十六日、上皇は厳島に着き、経会や舞楽を行って社々を巡り、神主らに位が与えられた。帰途は波風に悩まされながら、蟻の浦や敷名の泊で人々が歌を詠み、備前・播磨を経て福原に入った。四月八日に都に帰り、二十二日には新帝の即位が、大極殿の焼失のため紫宸殿で行われた。

  1. 1同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろく日にち日にちにち、、、上じやう上じやうじょう皇くわう皇くわうかう嚴いつく嚴いつくいつく島しま島しましまへへへ御ご御ごご參さん參さんさん著ちやく著ちやくちゃく。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの最さい最さいさい愛あい愛あいあいののの内ない内ないない侍し侍ししががが宿しゆく宿しゆくしゅく所しよ所しよしょ、、、皇くわう皇くわうかう居きよ居きよきょににになるなるなる。。。中なか中なかなか二ふつ二ふつふつ日か日かか御ご御ごご逗とう逗とうとう留りう留りうりゅうあつあつあっててて、、、經きやう經きやうきょう會ゑ會ゑえ、、、舞ぶ舞ぶぶ樂がく樂がくがく行おこな行おこなおこなははわるるる。。。結けち結けちけち願ぐわん願ぐわんがんののの導だう導だうどう師し師ししにににははは公こう公こうこう顯けん顯けんけん僧そう僧そうそう正じやう正じやうじょう、、、高かう高かうこう座ざ座ざざににに上のぼ上のぼのぼりりり、、、鐘かね鐘かねかねうちうちうち鳴な鳴なならしらしらし、、、表へう表へうひょう白びやく白びやくびゃくのののことばことばことばににに曰いは曰いはいわくくく、、、「「「九こゝの九こゝのここの重へ重へへののの都みやこ都みやこみやこををを出い出いいでででさせさせさせ給たま給たまたまひひい、、、八や八やや重へ重へへののの潮しほ潮しほしお路ぢ路ぢじををを分わ分わわきききもつもつもっててて、、、はる〴〵はる〴〵はるばるとととこれこれこれまでまでまで參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまひひいたるたるたる、、、御おん御おんおん志こころざし志こころざしこころざしのののかたじけなさかたじけなさかたじけなさよよよ。。。」」」ととと高たか高たかたからからからかににに申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、君きみ君きみきみももも臣しん臣しんしんもももみなみなみな感かん感かんかん涙るい涙るいるいをををぞぞぞ催もよほ催もよほもよおささされれれけるけるける。。。大おほ大おほおお宮みや宮みやみや、、、客まら客まらまら人うど人うどうどををを始はじ始はじはじめめめ參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、社やしろ社やしろやしろ々やしろ々やしろやしろ所ところ所ところところ々どころ々どころどころへへへぞぞぞ皆みな皆みなみな御ご御ごご幸かう幸かうこうなるなるなる。。。大おほ大おほおお宮みや宮みやみやよりよりより五ご五ごご町ちやう町ちやうちょうばかりばかりばかり山やま山やまやまををを廻めぐ廻めぐめぐらせらせらせ給たま給たまたまひひいててて、、、瀧たき瀧たきたきののの宮みや宮みやみやへへへ參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまふふう。。。公こう公こうこう顯けん顯けんけん僧そう僧そうそう正じやう正じやうじょう拜はい拜はいはい殿でん殿でんでんののの柱はしら柱はしらはしらににに書か書かかきききつけつけつけられられられけるけるけるとととかやかやかや。。。
  2. 2雲くも雲くもくも居ゐ居ゐいよりよりより落お落おおちちちくるくるくる瀧たき瀧たきたきののの白しら白しらしら絲いと絲いといとにににちぎりちぎりちぎりををを結むす結むすむすぶぶぶことことことぞぞぞ嬉うれ嬉うれうれしきしきしき
  3. 3神かん神かんかん主ぬし主ぬしぬし佐さ佐ささ伯えき伯えきえきののの景かげ景かげかげ廣ひろ廣ひろひろ加か加かか階かい階かいかい、、、從じゆ從じゆじゅ上じやう上じやうじょうののの五ご五ごご位ゐ位ゐい、、、國こく國こくこく司し司しし藤ふぢ藤ふぢふじ原はら原はらはらののの有あり有ありあり綱つな綱つなつな品しな品しなしなあげあげあげられられられててて從じゆ從じゆじゅ下げ下げげののの四し四しし品ほん品ほんほん、、、竝ならび竝ならびならびににに院ゐん院ゐんいんののの殿てん殿てんてん上じやう上じやうじょうををを許ゆる許ゆるゆるさささるるる。。。座ざ座ざざ主す主すす尊そん尊そんそん永えい永えいえい法ほふ法ほふほう眼げん眼げんげんににになさなさなさるるる。。。神しん神しんしん慮りよ慮りよりょももも動うご動うごうごききき、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの心こころ心こころこころもももやはらぎやはらぎやわらぎ給たま給たまたまひひいぬぬぬらんらんらんとととぞぞぞ見み見みみえええししし。。。
  4. 4同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう九く九くく日にち日にちにち、、、御おん御おんおん船ふね船ふねふねかざつかざつかざっててて還くわん還くわんかん御ぎよ御ぎよぎょなるなるなる。。。折をり折をりおりふしふしふし波なみ波なみなみ風かぜ風かぜかぜはげしかりはげしかりはげしかりけれけれければばば、、、御おん御おんおん船ふね船ふねふね漕こ漕ここぎぎぎもどさもどさもどさせせせ、、、そのそのその日ひ日ひひははは嚴いつく嚴いつくいつく島しま島しましまののの中うち中うちうち、、、蟻あり蟻ありありののの浦うら浦うらうらととといふいふいう所ところ所ところところににに止とゞ止とゞとどまらまらまらせせせ給たま給たまたまふふう。。。上じやう上じやうじょう皇くわう皇くわうかう、、、「「「大だい大だいだい明みやう明みやうみょう神じん神じんじんののの御おん御おんおん名な名なな殘ごり殘ごりごり惜を惜をおしみしみしみににに、、、歌うた歌うたうた仕つかまつ仕つかまつつかまつれれれ人ひと人ひとひと々びと々びとびと。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、隆たか隆たかたか房ふさ房ふさふさののの少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう、、、
  5. 5立た立たたちちち返かへ返かへかえるるる名な名なな殘ごり殘ごりごりもももありありありののの浦うら浦うらうらなれなれなればばば神かみ神かみかみもももめぐみめぐみめぐみをををかくるかくるかくる白しら白しらしら浪なみ浪なみなみ
  6. 6夜や夜やや半はん半はんはんばかりばかりばかり風かぜ風かぜかぜしづまつしづまつしずまっててて、、、海かい海かいかい上しやう上しやうしょうもももおだしかりおだしかりおだしかりけれけれければばば、、、御おん御おんおん船ふね船ふねふね漕こ漕ここぎぎぎ出いだ出いだいださせさせさせ、、、そのそのその日ひ日ひひははは備びん備びんびん後ご後ごごののの國くに國くにくに敷しき敷しきしき名な名ななののの泊とまり泊とまりとまりににに著つ著つつかかかせせせ給たま給たまたまふふう。。。こゝこゝここはははさんぬるさんぬるさんぬる應おう應おうおう保ほう保ほうほうのののころほひころほひころおい、、、一いち一いちいち院ゐん院ゐんいん御ご御ごご幸かう幸かうこうののの時とき時ときとき、、、國こく國こくこく司し司しし藤ふぢ藤ふぢふじ原はら原はらはらののの爲ため爲ためため成なり成なりなりががが造つく造つくつくりりりたりたりたりけるけるける御ご御ごご所しよ所しよしょのののありありありけるけるけるををを、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこく御おん御おんおん設まう設まうもうけけけにににしつらはしつらはしつらわれれれたりたりたりしかしかしかどもどもども、、、上じやう上じやうじょう皇くわう皇くわうかうそれそれそれへへへははは御ご御ごご幸かう幸かうこうもももならならならずずず、、、「「「今日けふ今日けふきょうははは卯う卯うう月づき月づきづき一ひと一ひとひと日ひ日ひひ、、、衣ころも衣ころもころも更がへ更がへがえととといふいふいう事こと事ことことのののあるあるあるぞぞぞかしかしかし。。。」」」とてとてとて、、、各おのおの各おのおのおのおの都みやこ都みやこみやこののの事こと事ことことををを宣のたま宣のたまのたまひひい出いだ出いだいだししし、、、ながめながめながめやりやりやり給たま給たまたまふふう程ほど程ほどほどににに、、、岸きし岸きしきしににに色いろ色いろいろ深ふか深ふかふかききき藤ふぢ藤ふぢふじののの松まつ松まつまつののの枝えだ枝えだえだににに咲さ咲ささきききかゝりかゝりかかりけるけるけるををを、、、上じやう上じやうじょう皇くわう皇くわうかう叡えい叡えいえい覽らん覽らんらんあつあつあっててて、、、「「「あのあのあの花はな花はなはな折を折をおりりりににに遣つか遣つかつかはせはせわせ。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、大おほ大おほおお宮みや宮みやみやののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん隆たか隆たかたか季すゑ季すゑすえののの卿きやう卿きやうきょう承うけたまは承うけたまはうけたまわりりりててて、、、左さ左ささ史し史しし生しやう生しやうしょう中なか中なかなか原はら原はらはらののの康やす康やすやす定さだ定さださだががが端はし端はしはし船ぶね船ぶねぶねににに乘の乘ののつつっててて、、、折をり折をりおりふしふしふし御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんををを漕こ漕ここぎぎぎ通とほ通とほとおりりりけるけるけるををを召め召めめしししててて、、、折を折をおりりりににに遣つか遣つかつかはすはすわす。。。藤ふぢ藤ふぢふじののの花はな花はなはなををを松まつ松まつまつののの枝えだ枝えだえだにににつけつけつけながらながらながら、、、折を折をおつつっててて參まゐ參まゐまいらせらせらせたりたりたりけれけれければばば、、、心こころ心こころこころばせばせばせありありありなどなどなど仰おほ仰おほおおせせせられられられててて、、、御ぎよ御ぎよぎょ感かん感かんかんありありありけりけりけり。。。「「「このこのこの花はな花はなはなにににててて歌うた歌うたうた仕つかまつ仕つかまつつかまつれれれ各おのおの各おのおのおのおの。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、隆たか隆たかたか季すゑ季すゑすえののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん、、、
  7. 7千ち千ちち歳とせ歳とせとせへへへむむん君きみ君きみきみがががよはひよはひよわいににに藤ふぢ藤ふぢふじ波なみ波なみなみののの松まつ松まつまつののの枝えだ枝えだえだにににもももかゝりかゝりかかりぬるぬるぬるかなかなかな
  8. 8二ふつ二ふつふつ日か日かかののの日ひ日ひひははは備び備びび前ぜん前ぜんぜんののの兒こ兒ここ島じま島じまじまののの泊とまり泊とまりとまりににに著つ著つつかかかせせせたまふたまふたまう。。。五いつ五いついつ日か日かかののの日ひ日ひひ天てん天てんてん晴は晴ははれれれててて、、、海かい海かいかい上しやう上しやうしょうももものどけかりのどけかりのどけかりけれけれければばば、、、御ご御ごご所しよ所しよしょののの御おん御おんおん船ふね船ふねふねををを始はじ始はじはじめめめ參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、人ひと人ひとひと々びと々びとびとののの船ふね船ふねふねどもどもどもみなみなみな漕こ漕ここぎぎぎ出いだ出いだいだすすす。。。雲くも雲くもくもののの波なみ波なみなみ、、、煙けぶり煙けぶりけぶりののの波なみ波なみなみをををわきわきわき凌しの凌しのしのがががせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、そのそのその日ひ日ひひははは播はり播はりはり磨ま磨ままののの國くに國くにくに山やま山やまやま田だ田だだののの浦うら浦うらうらににに著つ著つつかかかせせせ給たま給たまたまふふう。。。それそれそれよりよりより御み御みみ輿こし輿こしこしににに召め召めめしししててて、、、福ふく福ふくふく原はら原はらはらへへへ入い入いいらららせせせおはしますおはしますおわします。。。六むゆ六むゆむい日か日かかののの日ひ日ひひははは御ご御ごご逗とう逗とうとう留りう留りうりゅうあつあつあっててて、、、福ふく福ふくふく原はら原はらはらののの所ところ所ところところ々どころ々どころどころをををみなみなみな歴れき歴れきれき覽らん覽らんらんありありあり。。。池いけ池いけいけののの中ちゆう中ちゆうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん賴より賴よりより盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうののの山さん山さんさん莊さう莊さうそう荒あら荒あらあら田た田たたまでまでまで御ご御ごご覽らん覽らんらんぜぜぜらるらるらる。。。あくるあくるあくる七なぬ七なぬなぬ日か日かかののの日ひ日ひひ福ふく福ふくふく原はら原はらはらををを立た立たたたたたせせせ給たま給たまたまふふうとてとてとて、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどうののの家いへ家いへいえののの賞しやう賞しやうしょう行おこな行おこなおこなははわるるる。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの養やう養やうよう子し子しし丹たん丹たんたん波ば波ばばののの守かみ守かみかみ淸きよ淸きよきよ邦くに邦くにくに正じやう正じやうじょう下げ下げげののの四し四しし位ゐ位ゐい、、、同おな同おなおなじくじくじく入にふ入にふにゅう道だう道だうどうののの孫まご孫まごまご越ゑち越ゑちえち前ぜん前ぜんぜんののの少せう少せうしょう將しやう將しやうしょうははは四し四しし位ゐ位ゐいののの從じゆ從じゆじゅ上じやう上じやうじょうとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。そのそのその日ひ日ひひ寺てら寺てらてら井ゐ井ゐいににに著つ著つつかかかせせせ給たま給たまたまふふう。。。八やう八やうよう日か日かかののの日ひ日ひひ御おん御おんおん迎むか迎むかむかへへえののの公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう殿てん殿てんてん上じやう上じやうじょう人びと人びとびと、、、鳥と鳥とと羽ば羽ばばののの草くさ草くさくさ津つ津つつまでまでまでみなみなみな參まゐ參まゐまいららられれれけりけりけり。。。還くわん還くわんかん御ぎよ御ぎよぎょののの時とき時ときときははは鳥と鳥とと羽ば羽ばば殿どの殿どのどのへへへははは御ご御ごご幸かう幸かうこうもももならならならずずず、、、すぐすぐすぐににに入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの西にし西にしにし八はち八はちはち條でう條でうじょうののの邸てい邸ていていへへへぞぞぞ入い入いいらららせせせおはしますおはしますおわします。。。
  9. 9同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう二に二にに日にち日にちにち、、、新しん新しんしん帝てい帝ていていののの御ご御ごご即そく即そくそく位ゐ位ゐいありありあり。。。大だい大だいだい極ごく極ごくごく殿でん殿でんでんにににててて行おこな行おこなおこなははわるるるべかりべかりべかりしかしかしかどもどもども、、、一ひと一ひとひと年とせ年とせとせ炎えん炎えんえん上しやう上しやうしょうののの後のち後のちのちははは未いま未いまいまだだだ造つく造つくつくりりりももも出いだ出いだいだささされれれずずず。。。大だい大だいだい極ごく極ごくごく殿でん殿でんでんなからなからなからんんん上うへ上うへうえははは、、、太だい太だいだい政じやう政じやうじょう官くわん官くわんかんののの廳ちやう廳ちやうちょうにににててて行おこな行おこなおこなははわるるるべきべきべきかかかととと公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう僉せん僉せんせん議ぎ議ぎぎありありありしかしかしかばばば、、、九く九くく條でう條でうじょう殿どの殿どのどの申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまひひいけるけるけるにににははは、、、「「「太だい太だいだい政じやう政じやうじょう官くわん官くわんかんののの廳ちやう廳ちやうちょうははは、、、凡ぼん凡ぼんぼん人にん人にんにんののの家いへ家いへいえににに取と取ととらららばばば公く公くく文もん文もんもん所じよ所じよじょ體てい體ていていののの所ところ所ところところなりなりなり。。。大だい大だいだい極ごく極ごくごく殿でん殿でんでんなからなからなからんんん上うへ上うへうえははは、、、紫し紫しし宸しい宸しいしい殿でん殿でんでんにににてててこそこそこそ御ご御ごご即そく即そくそく位ゐ位ゐいはははあるあるあるべけれべけれべけれ。。。」」」ととと申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまへへえばばば、、、紫し紫しし宸しい宸しいしい殿でん殿でんでんにににてててぞぞぞ御ご御ごご即そく即そくそく位ゐ位ゐいはははありありありけるけるける。。。
  10. 10いんじいんじいんじ康かう康かうこう保ほう保ほうほう四し四しし年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう一いち一いちいち月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう一いち一いちいち日にち日にちにち、、、冷れい冷れいれい泉ぜい泉ぜいぜい院ゐん院ゐんいんののの御ご御ごご即そく即そくそく位ゐ位ゐい紫し紫しし宸しい宸しいしい殿でん殿でんでんにににてててありありありしししははは、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょう御ご御ごご邪じや邪じやじゃ氣け氣けけににによつよつよっててて、、、大だい大だいだい極ごく極ごくごく殿でん殿でんでんへへへののの御ご御ごご幸かう幸かうこうかなはかなはかなわざりざりざりししし御おん御おんおん故ゆゑ故ゆゑゆえなりなりなり。。。後ご後ごご三さん三さんさん條でう條でうじょうののの院ゐん院ゐんいんののの延えん延えんえん久きう久きうきゅうののの嘉か嘉かか例れい例れいれいにににまかせまかせまかせててて、、、太だい太だいだい政じやう政じやうじょう官くわん官くわんかんののの廳ちやう廳ちやうちょうにににててて行おこな行おこなおこなははわるるるべきべきべきものものものをををととと、、、人ひと人ひとひと々びと々びとびと申まう申まうもうししし合あ合ああははわれれれけれけれけれどもどもども、、、そのそのその時とき時ときときののの九く九くく條でう條でうじょう殿どの殿どのどのののの御おん御おんおんはからひはからひはからいののの上うへ上うへうえははは、、、とかくとかくとかくににに及およ及およおよばばばずずず。。。東とう東とうとう宮ぐう宮ぐうぐう踐せん踐せんせん祚そ祚そそありありありしかしかしかばばば、、、中ちゆう中ちゆうちゅう宮ぐう宮ぐうぐうははは弘こう弘こうこう徽き徽きき殿でん殿でんでんよりよりより仁にん仁にんにん壽じゆ壽じゆじゅ殿でん殿でんでんへへへ移うつ移うつうつつつっててて、、、やがてやがてやがて高たか高たかたか御み御みみ座くら座くらくらへへへ參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまふふう。。。平へい平へいへい家け家けけののの人ひと人ひとひと々びと々びとびとみなみなみな出しゆつ出しゆつしゅっ仕し仕ししせせせられられられけるけるける中なか中なかなかににに、、、小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどのののの公きん公きんきん達だち達だちだちたちたちたちははは、、、去こ去ここ年ぞ年ぞぞ大おと大おとおと臣ど臣どど薨こう薨こうこうぜぜぜられられられにににしかしかしかばばば、、、倚い倚いい廬ろ廬ろろにににててて籠ろう籠ろうろう居きよ居きよきょせせせられられられけりけりけり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

同じ月の二十六日、上皇は厳島にお着きになった。入道相国の寵愛する内侍の宿所が皇居となった。中二日ご逗留になって、経会や舞楽が行われた。結願の導師には公顕僧正が高座に上り、鐘を打ち鳴らして、表白の言葉に、「九重の都をお出になり、八重の潮路を分けて、はるばるとここまでお参りになったお志のありがたさよ」と高らかに申されたので、君も臣もみな感涙を催された。大宮・客人の宮をはじめとして、社々所々へみな御幸なさった。大宮から五町ほど山を回られて、滝の宮へ参られた。公顕僧正は拝殿の柱にこう書きつけられたとか。

雲の上から落ちてくる滝の白糸に、縁を結ぶことができたのは嬉しいことだ。

神主の佐伯景広は位が上がって従五位上、国司の藤原有綱は位が上がって従四位下となり、さらに院の殿上を許された。座主の尊永は法眼に任じられた。神のお心も動き、入道相国の心も和らいだであろうと見えた。

同じ月の二十九日、御船を飾って都へお帰りになった。ちょうど波風が激しかったので、御船を漕ぎ戻させ、その日は厳島の中の蟻の浦という所にお泊まりになった。上皇が「大明神との名残を惜しんで、歌を詠め、人々」とおっしゃったので、隆房少将が、

立ち帰るにも名残があるという「ありの浦」なので、神も恵みをかけるように白波が寄せかかってくる。

夜半ごろ風が静まって海上も穏やかになったので、御船を漕ぎ出させ、その日は備後国の敷名の泊にお着きになった。ここは去る応保のころ、一院(後白河院)が御幸されたときに、国司藤原為成が造った御所があったのを、入道相国がご休息所として整えておかれたが、上皇はそこへはお出ましにならず、「今日は卯月一日、衣替えということがあるのだったな」といって、人々はそれぞれ都のことを口にして、遠くを眺めておられると、岸に色の濃い藤が松の枝に咲きかかっているのを上皇がご覧になって、「あの花を折りに行かせよ」とおっしゃったので、大宮大納言隆季卿が承って、左史生中原康定が小舟に乗ってちょうど御前を漕ぎ通ったのを呼び寄せて、折りに行かせた。康定が藤の花を松の枝につけたまま折って差し上げたので、気がきいているなどとおっしゃって感心なさった。「この花で歌を詠め、各々」とおっしゃったので、隆季大納言が、

千年も続くであろう君のご寿命にあやかって、藤の花房が松の枝にもかかったことだ。

二日には備前の児島の泊にお着きになった。五日、空が晴れて海上ものどかになったので、上皇の御船をはじめとして、人々の船もみな漕ぎ出した。雲のような波、煙のような波を分けて進まれ、その日は播磨国の山田の浦にお着きになった。そこから御輿に乗って福原にお入りになった。六日はご逗留になって、福原のあちこちをみな見物された。池の中納言頼盛卿の山荘の荒田までご覧になった。明けて七日、福原をお立ちになるにあたって、入道の家の者への恩賞が行われた。入道相国の養子の丹波守清邦は正四位下、同じく入道の孫の越前少将(資盛)は従四位上となったと聞こえた。その日は寺井にお着きになった。八日、お迎えの公卿・殿上人がみな鳥羽の草津まで参られた。都へのお帰りの際は鳥羽殿へはお寄りにならず、すぐに入道相国の西八条の邸へお入りになった。

同じ月の二十二日、新帝の御即位があった。大極殿で行われるはずであったが、先年炎上してからまだ再建されていなかった。大極殿がないのなら太政官の庁で行うべきかと公卿たちが評議すると、九条殿(兼実)が申されるには、「太政官の庁は、普通の人の家にたとえれば公文所のような所である。大極殿がない以上は、紫宸殿でこそ御即位を行うべきである」と申されたので、紫宸殿で御即位が行われた。

去る康保四年(967)十一月十一日、冷泉院の御即位が紫宸殿で行われたのは、主上がご病気で大極殿へお出ましになれなかったためである。後三条院の延久の吉例にならって、太政官の庁で行うべきだったのにと、人々は言い合ったが、その時の九条殿のお計らいであったので、とやかく言うこともできなかった。東宮が践祚されたので、中宮(徳子)は弘徽殿から仁寿殿へ移られて、やがて高御座に上られた。平家の人々がみな出仕された中で、小松殿の公達は、去年大臣(重盛)が亡くなられたので、喪に服して籠居しておられた。

意訳

高倉上皇の厳島御幸の帰途を、和歌を交えて描く章段である。厳島では経会や舞楽が盛大に営まれ、神主や国司には位が与えられた。帰りの船旅では、蟻の浦で隆房が厳島への名残を詠み、敷名の泊では卯月一日の衣替えに都を思いつつ、松にかかる藤の花を見て隆季が上皇の長寿を祝う。

後半は安徳天皇の即位を記す。大極殿は安元三年(1177)の大火(巻第一「内裏炎上」)で焼けたままで、即位は紫宸殿で行われた。物語は先例をめぐる公卿たちの議論を記しつつ、華やかな即位の陰で、重盛の死を悼んで籠居する小松家の公達の姿を最後に置いている。

語釈・文法注

文法

「表白」
法会の初めに、その趣旨を仏前に申し述べる文。
「大宮、客人」
厳島神社の本社(大宮)と、摂社の客人社(まろうどのみや)。
「倚廬」
天皇や貴人が父母などの喪に服するときにこもる仮の建物。

和歌

雲居より落ちくる瀧の白絲にちぎりを結ぶことぞ嬉しき

詠者
公顕僧正
状況
厳島の滝の宮に参った折、拝殿の柱に書きつけたという歌。

修辞

縁語
「白絲」「結ぶ」は縁語。滝の白糸に、上皇と神との縁(ちぎり)を結ぶことを重ねる。
掛詞
「雲居」に空と宮中を掛け、上皇が都から御幸されたことを暗に示す。

立ち返る名殘もありの浦なれば神もめぐみをかくる白浪

詠者
藤原隆房
状況
厳島からの帰途、波風のために蟻の浦に泊まったとき、上皇の求めに応じて詠んだ歌。

修辞

掛詞
「ありの浦」に「(名残も)あり」と地名の「蟻の浦」を掛ける。
縁語
「返る」「浦」「白浪」「かくる」は縁語。神の恵みを白波がかかることにたとえる。

千歳へむ君がよはひに藤波の松の枝にもかゝりぬるかな

詠者
藤原隆季
状況
敷名の泊で、松の枝に咲きかかる藤の花を折らせた上皇の求めに応じて詠んだ歌。

修辞

見立て
長寿の象徴である松に藤(藤原氏)がかかることに、君の長寿にあやかって藤原氏も栄えることを重ねる。

解説

高倉上皇の厳島御幸については、随行した源通親の『高倉院厳島御幸記』に詳しい記録がある。治承四年(1180)四月二十二日、安徳天皇は紫宸殿で即位した。大極殿は安元三年(1177)の太郎焼亡で焼失して以来、再建されることはなかった。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、416–419頁(コマ237–238)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日