古典ライブラリー

平家物語 巻第三

法皇御遷幸の事

治承三年十一月二十日、軍兵が法住寺殿を囲み、宗盛は法皇を鳥羽殿へ移した。供の公卿は一人もなく、法皇は宗盛を兄重盛に劣ると嘆いた。鳥羽殿では信成がひとり湯を沸かして仕え、静憲法印が許されて参上すると、法皇は涙ながらに経を読んでおられた。高倉天皇も嘆いて、夜ごとに伊勢大神宮を拝した。

  1. 1同おな同おなおなじきじきじき二は二はは十つ十つつ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、法ほふ法ほふほう住ぢゆう住ぢゆうじゅう寺じ寺じじ殿どの殿どのどのをををばばば軍ぐん軍ぐんぐん兵びやう兵びやうびょう四し四しし面めん面めんめんをををうちうちうち圍かこ圍かこかこんんんででで、、、平へい平へいへい治ぢ治ぢじににに信のぶ信のぶのぶ賴より賴よりよりののの卿きやう卿きやうきょうががが三さん三さんさん條でう條でうじょう殿どの殿どのどのをををしししたりたりたりしししやうやうようににに、、、御ご御ごご所しよ所しよしょににに火ひ火ひひをををかけかけかけ、、、人ひと人ひとひとをををばばばみなみなみな燒や燒ややききき亡ほろ亡ほろほろぼすぼすぼすべきべきべき由よし由よしよし聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、局つぼね局つぼねつぼねののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼう、、、怪あや怪あやあやしししののの女め女めめののの童わらは童わらはわらわににに至いた至いたいたるるるまでまでまで、、、ものものものをををだにだにだにうちうちうちかづかかづかかずかずずずしてしてして、、、われわれわれさきさきさきにににとととぞぞぞ遁に遁ににげげげ出い出いいでででけるけるける。。。前さき前さきさきののの右う右うう大だい大だいだい將しやう將しやうしょう宗むね宗むねむね盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょう御おん御おんおん車くるま車くるまくるまををを寄よ寄よよせせせててて、、、「「「とう〳〵とう〳〵とうとう。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれけれははは、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう叡えい叡えいえい慮りよ慮りよりょををを驚おどろ驚おどろおどろかかかせせせおはしましおはしましおわしまし、、、「「「成なり成なりなり親ちか親ちかちか、、、俊しゆん俊しゆんしゅん寛くわん寛くわんかん等ら等ららがががやうやうようににに、、、遠とほ遠とほとおききき國くに國くにくに、、、遙はる遙はるはるかかかののの島しま島しましまへへへももも遷うつ遷うつうつしししやらやらやられれれんんんずるずるずるにににこそこそこそ、、、更さら更さらさらににに御おん御おんおん咎とが咎とがとがあるあるあるべしべしべしともともとも思おぼし思おぼしおぼし召め召めめさささずずず。。。主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうさてさてさてわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまへへえばばば、、、政せい政せいせい務む務むむののの口こう口こうこう入じゆ入じゆじゅするするするばかりばかりばかりなりなりなり。。。それそれそれもももさらさらさらずずずばばば、、、自じ自じじ今こん今こんこん以い以いい後ご後ごごさらさらさらでででもももあれあれあれかしかしかし。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、
  2. 2宗むね宗むねむね盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょう涙なみだ涙なみだなみだをををはら〳〵はら〳〵はらはらととと流なが流ながながいいいててて、、、「「「いかにいかにいかに只たゞ只たゞただ今いま今いまいま、、、さるさるさる御おん御おんおん事こと事ことこと候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき。。。しばらくしばらくしばらく世よ世よよをををしづめしづめしずめんんんほどほどほど、、、鳥と鳥とと羽ば羽ばばののの北きた北きたきた殿どの殿どのどのののの御ご御ごご幸かう幸かうこうをををなしなしなし參まゐ參まゐまいらせらせらせよよよととと、、、父ちゝ父ちゝちちののの禪ぜん禪ぜんぜん門もん門もんもん申まう申まうもうししし候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、「「「さらばさらばさらば汝なんぢ汝なんぢなんじ、、、やがてやがてやがて御おん御おんおん供とも供ともとも仕つかまつ仕つかまつつかまつれれれ。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれけれどもどもども、、、父ちゝ父ちゝちちののの禪ぜん禪ぜんぜん門もん門もんもんののの氣き氣きき色しよく色しよくしょくにににおそれおそれおそれをををなしなしなしててて、、、御おん御おんおん供とも供ともともにににははは參まゐ參まゐまいららられれれずずず。。。「「「これこれこれにににつけつけつけてててももも、、、兄あに兄あにあにののの内だい内だいだい府ふ府ふふにににはははことことことのののほかほかほかににに劣おと劣おとおとりりりたるたるたるものものものかなかなかな。。。一ひと一ひとひと年とせ年とせとせももも斯か斯かかかるかるかる御おん御おんおん目め目めめにににあふあふあうべかりべかりべかりしししををを、、、内だい内だいだい府ふ府ふふががが身み身みみにににかへかへかへててて制せい制せいせいししし止と止ととめめめてててこそこそこそ、、、今日けふ今日けふきょうまでまでまでももも御み御みみ心こころ心こころこころやすかりやすかりやすかりつれつれつれ。。。今いま今いまいまははは、、、諫いさ諫いさいさむるむるむるものものもののののなきなきなきとてとてとて、、、斯か斯かかくくくはははするするするやらやらやらんんん。。。行ゆ行ゆゆくくくすゑすゑすえとてとてとてももも、、、たのもしからたのもしからたのもしからずずず思おぼし思おぼしおぼし召め召めめすすす。。。」」」とてとてとて、、、御おん御おんおん涙なみだ涙なみだなみだせきせきせきあへあへあえさせさせさせ給たま給たまたまははわずずず。。。
  3. 3さてさてさて御おん御おんおん車くるま車くるまくるまににに召め召めめささされれれけりけりけり。。。公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう、、、殿てん殿てんてん上じやう上じやうじょう人びと人びとびと、、、一ひと一ひとひと人り人りりももも供ぐ供ぐぐ奉ぶ奉ぶぶせせせられられられずずず、、、北ほく北ほくほく面めん面めんめんののの下げ下げげ臈らふ臈らふろうととと、、、さてさてさてははは金こん金こんこん行ぎやう行ぎやうぎょうととといふいふいう御おん御おんおん力りき力りきりき者しや者しやしゃばかりばかりばかりぞぞぞ參まゐ參まゐまいりりりけるけるける。。。御おん御おんおん車くるま車くるまくるまののの尻しり尻しりしりにににははは尼あま尼あまあま前ぜ前ぜぜ一ひと一ひとひと人り人りり參まゐ參まゐまいららられれれけりけりけり。。。このこのこの尼あま尼あまあま前ぜ前ぜぜととと申まう申まうもうすすすははは、、、やがてやがてやがて法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうののの御おん御おんおん乳ち乳ちちののの人ひと人ひとひと、、、紀き紀きき伊い伊いいののの二に二にに位ゐ位ゐいののの御おん御おんおん事こと事ことことなりなりなり。。。七しち七しちしち條でう條でうじょうををを西にし西にしにしへへへ、、、朱しゆ朱しゆしゅ雀じやか雀じやかじゃかををを南みなみ南みなみみなみへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうなしなしなし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。「「「あはやあはやあわや法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうののの流なが流ながながささされれれさせさせさせおはしますおはしますおわしますぞぞぞややや。。。」」」とてとてとて、、、心こころ心こころこころなきなきなきあやしあやしあやしののの賤しづ賤しづしずののの男を男をを、、、しづしづしずののの女め女めめににに至いた至いたいたるるるまでまでまで、、、みなみなみな涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながししし、、、袖そで袖そでそでをををぬらさぬらさぬらさぬぬぬはははなかりなかりなかりけりけりけり。。。
  4. 4さんぬるさんぬるさんぬる七なぬ七なぬなぬ日か日かかののの夜よ夜よよののの大だい大だいだい地ぢ地ぢじ震しん震しんしんももも、、、斯か斯かかかるかるかるべかりべかりべかりけるけるける前ぜん前ぜんぜん表ぺう表ぺうぴょうにににててて、、、十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろく洛らく洛らくらく叉しや叉しやしゃののの底そこ底そこそこまでまでまでももも答こた答こたこたへへえ、、、堅けん堅けんけん牢らう牢らうろう地ぢ地ぢじ神じん神じんじんののの驚おどろ驚おどろおどろきききさわぎさわぎさわぎ給たま給たまたまふふうらんらんらんももも、、、ことわりことわりことわりかなかなかなとととぞぞぞ人ひと人ひとひと申まう申まうもうしししけるけるける。。。さてさてさて鳥と鳥とと羽ば羽ばば殿どの殿どのどのへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうなつなつなっててて後のち後のちのち、、、御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんににに人ひと人ひとひと一ひと一ひとひと人り人りりももも候さぶら候さぶらさぶらははわずずず。。。何なに何なになにとととしてしてしてかかかまぎれまぎれまぎれ入い入いいりりりたりたりたりけんけんけん、、、大だい大だいだい膳ぜん膳ぜんぜんののの大たい大たいたい夫ふ夫ふふ信のぶ信のぶのぶ成なり成なりなりがががたゞたゞただ一ひと一ひとひと人り人りり候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるけるををを、、、御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんへへへ召め召めめしししててて、、、「「「われわれわれははは近ちか近ちかちこううう失うしな失うしなうしなははわれれれんんんずるずるずるととと思おぼ思おぼおぼしししめずめずめずぞぞぞ。。。御おん御おんおん行ぎやう行ぎやうぎょう水ずゐ水ずゐずいををを召め召めめさささばやばやばやととと思おぼ思おぼおぼしししめすめすめすはははいかにいかにいかに。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、さらさらさらぬぬぬだにだにだに信のぶ信のぶのぶ成なり成なりなりははは、、、今け今けけ朝さ朝ささよりよりより肝きも肝きもきも膽たましひ膽たましひたましいももも身み身みみににに添そ添そそははわずずず、、、あきれあきれあきれたるたるたる樣さま樣さまさまにににててて候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるけるががが、、、このこのこの仰おほ仰おほおおせせせ承うけたまは承うけたまはうけたまわるるる事こと事ことことのののかたじけなさかたじけなさかたじけなさににに、、、狩かり狩かりかり衣ぎぬ衣ぎぬぎぬののの玉たま玉たまたま襷だすき襷だすきだすきあげあげあげ、、、釜かま釜かまかまににに水みづ水みづみずくみくみくみ入い入いいれれれ、、、小こ小ここ柴しば柴しばしば墻がき墻がきがきこぼちこぼちこぼち、、、大おほ大おほおお床ゆか床ゆかゆかののの束つか束つかつか柱ばしら柱ばしらばしら割わ割わわりりりなどなどなどしてしてして、、、かたかたかたののの如ごと如ごとごとくくくののの御おん御おんおん湯ゆ湯ゆゆししし出いだ出いだいだいいいててて奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。
  5. 5またまたまた靜じやう靜じやうじょう憲けん憲けんけん法ほふ法ほふほう印いん印いんいん、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの西にし西にしにし八はち八はちはち條でう條でうじょうののの邸てい邸ていていへへへ行ゆ行ゆゆききき向むか向むかむかつつっててて、、、「「「昨ゆふ昨ゆふゆう夜べ夜べべ法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうののの鳥と鳥とと羽ば羽ばば殿どの殿どのどのへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうなつなつなっててて候さふらふ候さふらふそうろうなるなるなるににに、、、御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんににに人ひと人ひとひと一ひと一ひとひと人り人りりももも候さふら候さふらそうらははわぬぬぬ由よし由よしよし承うけたまは承うけたまはうけたまわつつっててて、、、餘あま餘あまあまりりりにににあさましくあさましくあさましく覺おぼ覺おぼおぼえええ候さふらふ候さふらふそうろう。。。何なに何なになにかかか苦くる苦くるくるしうしうしゅう候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき。。。靜じやう靜じやうじょう憲けん憲けんけんばかりばかりばかり御おん御おんおん許ゆる許ゆるゆるされされされををを蒙かうぶ蒙かうぶこうぶつつっててて、、、參まゐ參まゐまいりりり候さふら候さふらそうらははわばやばやばや。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくいかゞいかゞいかが思おも思おもおもははわれれれけんけんけん、、、「「「御ご御ごご坊ばう坊ばうぼうははは一いつ一いついっ向かう向かうこうことことこと過あやま過あやまあやまつつつまじきまじきまじき人ひと人ひとひとなりなりなり、、、とう〳〵とう〳〵とうとう。。。」」」とてとてとて赦ゆる赦ゆるゆるささされれれけりけりけり。。。
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  8. 8法ほふ法ほふほう印いん印いんいん涙なみだ涙なみだなみだをををおさへおさへおさえててて申まう申まうもうささされれれけるけるけるははは、、、「「「何なに何なになに事ごと事ごとごとももも限かぎ限かぎかぎりりりあるあるある事こと事ことことでででこそこそこそ候さふら候さふらそうらへへえ。。。平へい平へいへい家け家けけ世よ世よよををを取と取ととつつっててて二に二にに十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ年ねん年ねんねん、、、されどもされどもされども惡あく惡あくあく行ぎやう行ぎやうぎょう法ほふ法ほふほうににに過す過すすぎぎぎててて、、、既すで既すですでににに亡ほろ亡ほろほろびびび候さふら候さふらそうらひひいなななんんんずずず。。。さればさればされば天てん天てんてん照せう照せうしょう大だい大だいだい神じん神じんじん、、、正しやう正しやうしょう八はち八はちはち幡まん幡まんまん宮ぐう宮ぐうぐうももも、、、君きみ君きみきみをををばばばいかでいかでいかで思おぼ思おぼおぼしししめしめしめし放はな放はなはなたたたせせせ給たま給たまたまふふうべきべきべき。。。中なか中なかなかにににももも君きみ君きみきみののの御おん御おんおん賴たの賴たのたのみみみおはしますおはしますおわします日ひ日ひひ吉よし吉よしよし山さん山さんさん王わう王わうおう七しち七しちしち社しや社しやしゃ、、、一いち一いちいち乘じよう乘じようじょう守しゆ守しゆしゅ護ご護ごごののの御おん御おんおん誓ちか誓ちかちかひひい未いま未いまいまだだだ改あらた改あらたあらたまらまらまらずずずばばば、、、かのかのかの法ほつ法ほつほっ華け華けけ八はち八はちはち軸ぢく軸ぢくじくににに立た立たたちちちかけつかけつかけってててこそこそこそ、、、君きみ君きみきみをををばばば守まも守まもまもりりり參まゐ參まゐまいらさらさらさせせせ給たま給たまたまふふうらめらめらめ。。。さればさればされば政せい政せいせい務む務むむははは君きみ君きみきみののの御み御みみ代よ代よよとととなりなりなり、、、兇きよう兇きようきょう徒と徒ととははは水みづ水みづみずののの泡あわ泡あわあわととと消き消ききえええ失う失ううせせせ候さふら候さふらそうらひひいなななんんんずずず。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうこのこのこの言こと言ことこと葉ば葉ばばににに、、、少すこ少すこすこししし慰なぐさ慰なぐさなぐさままませせせおはしますおはしますおわします。。。
  9. 9主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうははは關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱく流なが流ながながささされれれ給たま給たまたまひひい、、、臣しん臣しんしん下か下かかののの多おほ多おほおおくくく亡ほろ亡ほろほろびびび損そん損そんそんずるずるずる事こと事ことことをををのみのみのみこそこそこそ、、、御おん御おんおんなげきなげきなげきありありありつるつるつるににに、、、今いま今いまいままたまたまた法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうののの鳥と鳥とと羽ば羽ばば殿どの殿どのどのへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうなりなりなりぬるぬるぬる由よし由よしよし聞きこ聞きこきこしめししめししめしててて、、、つや〳〵つや〳〵つやつや供ぐ供ぐぐ御ご御ごごもももきこしめさきこしめさきこしめさずずず、、、御ご御ごご惱なう惱なうのうとてとてとて常つね常つねつねははは夜よる夜よるよるののの御お御おお殿とど殿とどとどにににのみのみのみ入い入いいらららせせせおはしますおはしますおわします。。。御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんににに候さぶら候さぶらさぶらははわせせせ給たま給たまたまふふう女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうたちたちたち、、、后きさき后きさききさきののの宮みや宮みやみやををを始はじ始はじはじめめめ參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、いかなるいかなるいかなるべしべしべしともともとも思おぼし思おぼしおぼし召め召めめさささずずず、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうののの鳥と鳥とと羽ば羽ばば殿どの殿どのどのへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうなつなつなっててて後のち後のちのち、、、内だい内だいだい裏り裏りりにににははは臨りん臨りんりん時じ時じじののの御おん御おんおん神かみ神かみかみ事わざ事わざわざとととしてしてして、、、淸せい淸せいせい涼りやう涼りやうりょう殿でん殿でんでんののの石いし石いしいし灰ばひ灰ばひばいののの壇だん壇だんだんにににしてしてして、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょう夜よ夜よよごとごとごとににに伊い伊いい勢せ勢せせ大だい大だいだい神じん神じんじん宮ぐう宮ぐうぐうをををぞぞぞ御ご御ごご拜はい拜はいはいありありありけるけるける。。。これこれこれははは一いつ一いついっ向かう向かうこう法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう御おん御おんおん祈いの祈いのいのりりりののの爲ため爲ためためとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。
  10. 10二に二にに條でう條でうじょうののの院ゐん院ゐんいんはははさばかりさばかりさばかりののの賢けん賢けんけん主しゆ主しゆしゅにににてててわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまひひいしかしかしかどもどもども、、、天てん天てんてん子し子ししににに父ふ父ふふ母も母ももなしなしなしとてとてとて、、、常つね常つねつねははは院ゐん院ゐんいんののの仰おほ仰おほおおせせせををを申まう申まうもうししし返かへ返かへかえさささせせせおはしましおはしましおわしましけれけれければばばにににややや、、、繼けい繼けいけい體たい體たいたいののの君きみ君きみきみにににてててもももましまさましまさましまさずずず、、、さればさればされば御おん御おんおん讓ゆづ讓ゆづゆずりりりををを受う受ううけけけさせさせさせ給たま給たまたまひひいたりたりたりししし六ろく六ろくろく條でう條でうじょうののの院ゐん院ゐんいんももも、、、安あん安あんあん元げん元げんげん二に二にに年ねん年ねんねん七しち七しちしち月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう四よつ四よつよっ日か日かか、、、御おん御おんおん年とし年としとし十じふ十じふじゅう三さん三さんさんにににててて遂つひ遂つひついにににかくれかくれかくれさせさせさせ給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。あさましかりあさましかりあさましかりししし事こと事ことことどもどもどもなりなりなり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

同じ月の二十日、軍兵が法住寺殿の四方を取り囲んで、平治の乱で信頼卿が三条殿にしたように、御所に火をかけ、人をみな焼き殺すだろうと聞こえたので、局の女房や身分の低い女の童に至るまで、衣をかぶることさえせずに、我先にと逃げ出した。前右大将宗盛卿が御車を寄せて、「早く早く」と申されたので、法皇は驚かれて、「成親や俊寛らのように、遠い国や遥かな島へも移そうというのであろう。少しも咎められることがあるとは思わない。主上がおいでになるので、政務に口出ししているだけである。それもいけないというなら、今後はそれもやめよう」とおっしゃると、

宗盛卿は涙をはらはらと流して、「どうして今、そのようなことがございましょう。しばらく世を鎮めるまでの間、鳥羽の北殿へ御幸をおさせ申せと、父の禅門が申しております」と申されたので、法皇が「それならそなたがすぐに供をせよ」とおっしゃったが、宗盛は父の禅門の機嫌を恐れて、お供には参られなかった。「これにつけても、兄の内府よりはことのほか劣っているものだな。先年もこのような目に遭うはずであったのを、内府がわが身にかえて制し止めたからこそ、今日まで安心していられたのだ。今は諫める者がいないといって、このようにするのであろうか。行く末も頼もしくないと思う」といって、涙を抑えきれずにおられた。

こうして御車にお乗りになった。公卿・殿上人は一人もお供せず、北面の下級の侍と、あとは金行という御力者だけが参った。御車の後ろには尼御前が一人乗られた。この尼御前というのは、法皇の御乳母の紀伊の二位のことである。七条を西へ、朱雀を南へとお連れ申した。「ああ、法皇が流されておいでになるぞ」といって、情けを知らない身分の低い男や女に至るまで、みな涙を流し、袖を濡らさない者はなかった。

去る七日の夜の大地震も、このようなことになる前兆で、十六洛叉の地の底まで響き、堅牢地神が驚き騒がれたのも、もっともなことだと人々は申した。さて鳥羽殿へ御幸なさってからは、御前に人一人もいない。どうやってまぎれ込んだのか、大膳大夫信成がただ一人お仕えしていたのを御前に召して、「私は近いうちに殺されるのだと思うぞ。行水をしたいと思うがどうか」とおっしゃると、それでなくても信成は今朝から生きた心地もせず、途方に暮れていたが、このお言葉を承ることのもったいなさに、狩衣の袖を玉襷でたくし上げ、釜に水を汲み入れ、小柴垣を壊し、縁の束柱を割るなどして、形ばかりのお湯を沸かして差し上げた。

また静憲法印は、入道相国の西八条の邸へ行って、「昨夜、法皇が鳥羽殿へ御幸なさったそうですが、御前に人一人もいないと聞いて、あまりに情けなく思います。何の差し支えがありましょう。静憲だけでもお許しをいただいて参りたい」と申されると、入道相国はどう思われたのか、「御坊は決して間違いを起こさない人だ。早く早く」といって許された。

法印はたいへん喜んで、急いで鳥羽殿へ参り、門前で車から降りて門の中へ入られると、ちょうど法皇はお経を繰り返し声高に読んでおられ、そのお声がことにもの寂しく聞こえた。法印がさっと参られると、読んでおられたお経の上に、涙がはらはらとこぼれかかっておられるのを拝見して、法印はあまりの悲しさに、裘代の袖に顔を押し当てて、泣く泣く御前へ参られた。

御前には尼御前だけがお仕えしていた。「ああ法印の御坊、君は昨日の朝、法住寺殿でお食事を召し上がってから後は、昨夜も今朝も召し上がりません。長い夜通しお休みにもなれず、お命ももう危うく見えます」と申されると、

法印は涙をおさえて申されるには、「何事にも限りがあるものです。平家が世を取って二十余年、けれども悪行は度を越して、もう滅びることでしょう。それゆえ天照大神も正八幡宮も、どうして君をお見捨てになりましょう。中でも君が頼みにしておられる日吉山王七社は、法華一乗を守るという誓いがまだ改まっていなければ、あの法華経八巻に乗り移ってでも、君をお守り申されるでしょう。そうなれば政務は君の御代となり、悪人どもは水の泡と消え失せるでしょう」と申されたので、法皇はこの言葉に少しお慰められた。

主上(高倉天皇)は、関白が流され、臣下が多く滅び損なわれることばかりをお嘆きであったのに、今また法皇が鳥羽殿へ御幸になったとお聞きになって、まったくお食事も召し上がらず、ご病気だといって、いつも夜の御殿にばかりこもっておられた。御前にお仕えする女房たちは、中宮をはじめとして、どうなることかと思いもよらず、法皇が鳥羽殿へ移られてからは、内裏では臨時の御神事として、清涼殿の石灰の壇で、主上が夜ごとに伊勢大神宮を拝まれた。これはひとえに法皇のための御祈りと聞こえた。

二条院はあれほどの賢主でいらっしゃったが、「天子に父母なし」といって、いつも院のお言葉にお逆らいになったからであろうか、皇統を継ぐ君にもなられず、その御譲りを受けられた六条院も、安元二年(1176)七月十四日、御年十三でついにお亡くなりになった。情けないことであった。

意訳

清盛のクーデターの頂点、後白河法皇の幽閉を描く章段である。法皇は流罪を覚悟し、迎えに来た宗盛に供を命じるが、宗盛は父を恐れて従わない。「兄の内府にはことのほかに劣りたるものかな」という法皇の嘆きは、重盛を失った平家の弱さを浮き彫りにしている。

鳥羽殿の法皇は、供の者もほとんどなく、大膳大夫信成が柴垣を壊して湯を沸かすほどの寂しさであった。静憲法印が駆けつけて慰める場面は、前章段の「法印問答」で清盛と渡り合った法印の、主君への深い忠誠を示している。一方、高倉天皇は父法皇の身を案じて夜ごとに伊勢を拝し、親を思わなかった二条院との対比で、その孝心がたたえられる。

語釈・文法注

文法

「申されたりけれは」
底本は「けれは」。濁点が落ちたもので「ければ」の意。底本の表記のまま翻刻した。
「思しめずぞ」
底本は「思しめずぞ」。「思しめすぞ」の誤植と考えられる。底本の表記のまま翻刻した。
「十六洛叉」
大地の下にあるという水輪・金輪などの厚さを示す数。洛叉は十万。
「堅牢地神」
大地を守る神。
「裘代」
僧が参内などのときに着る衣服。
「繼體の君」
皇統を受け継ぐ天子。二条院の子孫は皇位を継がなかったことをいう。

解説

治承三年(1179)十一月二十日、清盛は後白河法皇を法住寺殿から鳥羽殿に移して幽閉し、院政を停止した。これによって平家は朝廷の実権を握ったが、法皇の幽閉は諸国の反平家勢力を刺激し、翌年の以仁王の挙兵、さらに源頼朝・木曽義仲の挙兵へとつながっていく。

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出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、406–409頁(コマ231–233)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日