平家物語 巻第三
金わたしの事
重盛は、日本では子孫が続いて自分の後世を弔うことは難しいと考え、九州の正直な船頭妙典に黄金三千五百両を託して宋へ渡らせ、育王山の僧と宋の皇帝に寄進して後世を弔わせた。宋の皇帝は感じ入って育王山に田地五百町を寄せ、重盛の後世を祈ることは今も続いているという。重盛の死後、清盛は福原にこもった。
- 1大大おと臣臣どまたまたまたいかなるいかなるいかなる善善ぜん根根ごんをををもももしてしてして、、、後後ご世世せ弔弔とぶらははわれれればやばやばやととと思思おもははわれれれけるけるけるががが、、、わがわがわが朝朝ちょうにににははは、、、いかなるいかなるいかなる大大だい善善ぜん根根ごんをををししし置置おいいいたりたりたりともともとも、、、子子し孫孫そん相相あい續續ついいいででで、、、重重しげ盛盛もりががが後後ご世世せ弔弔とぶらははわんんんことことことありがたしありがたしありがたし。。。他他た國國こくにににいかなるいかなるいかなる善善ぜん根根ごんをををもももしてしてして、、、後後ご世世せ弔弔とぶらははわれれれんんんとてとてとて、、、安安あん元元げんののの春春はるののの頃頃ころ、、、鎭鎭ちん西西ぜいよりよりより妙妙みょう典典てんととといふいふいう船船せん頭頭どうををを召召めししし上上のぼせせせ、、、人人ひとををを遙遙はるかかかににに除除のけけけててて對對たい面面めんありありあり。。。金金こがね三三さん千千ぜん五五ご百百ひゃく兩兩りょう召召めししし寄寄よせせせててて、、、「「「汝汝なんじははは聞聞きこゆるゆるゆる大大だい正正しょう直直じきののの者者ものなれなれなればばば。。。」」」とてとてとて、、、「「「五五ご百百ひゃく兩兩りょうをををばばば汝汝なんじににに得得えさすさすさす。。。三三さん千千ぜん兩兩りょうをををばばば宋宋そう朝朝ちょうへへへわたしわたしわたし、、、一一いっ千千せん兩兩りょうをををばばば育育いく王王おう山山ざんののの僧僧そうににに引引ひききき、、、二二に千千せん兩兩りょうをををばばば御御み門門かどへへへ參參まいらせらせらせててて、、、田田でん代代だいををを育育いく王王おう山山ざんへへへ申申もうししし寄寄よせせせててて、、、重重しげ盛盛もりががが後後ご世世せ弔弔とぶらははわすすすべしべしべし。。。」」」とととぞぞぞ宣宣のたまひひいけるけるける。。。
- 2妙妙みょう典典てんこれこれこれををを賜賜たまはつはつわっててて、、、萬萬ばん里里りののの煙煙えん浪浪ろうををを凌凌しのぎぎぎつゝつゝつつ、、、大大だい宋宋そう國國こくへへへぞぞぞ渡渡わたりりりけるけるける。。。育育いく王王おう山山ざんののの方方ほう丈丈じょう佛佛ぶつ照照しょう禪禪ぜん師師じ德德とく光光かうににに逢逢あひひい奉奉たてまつつつっててて、、、このこのこの由由よし申申もうしししけれけれければばば、、、隨隨ずい喜喜き感感かん歎歎たんしてしてして、、、やがてやがてやがて千千せん兩兩りょうをををばばば育育いく王王おう山山ざんののの僧僧そうににに引引ひききき、、、二二に千千せん兩兩りょうをををばばば御御み門門かどへへへ參參まいらせらせらせててて、、、小小こ松松まつ殿殿どのののの申申もうささされれれつるつるつるやうやうようををを、、、つぶさつぶさつぶさににに奏奏そう聞聞もんせせせられられられけれけれければばば、、、御御み門門かど大大おおきききににに感感かんじじじ思思おぼし召召めしししててて、、、五五ご百百ひゃく町町ちょうののの田田でん代代だいををを育育いく王王おう山山ざんへへへぞぞぞ寄寄よせせせられられられけるけるける。。。さればさればされば日日に本本ほんののの大大だい臣臣じん、、、平平たいらののの朝朝あ臣臣そん重重しげ盛盛もり公公こうののの後後ご生生しょう善善ぜん所所しょととと祈祈いのるるる事事こと、、、今今いまにににありありありとととぞぞぞ承承うけたまわるるる。。。
- 3入入にゅう道道どう相相しょう國國こく、、、小小こ松松まつ殿殿どのにににはははおくれおくれおくれ給給たまひひいぬぬぬ、、、よろづよろづよろず心心こころ細細ぼそくくくややや思思おもははわれれれけんけんけん、、、福福ふく原原はらへへへ馳馳はせせせ下下くだりりり、、、閉閉へい門門もんしてしてしてこそこそこそおはしおはしおわしけれけれけれ。。。
現代語訳
大臣はまた、何か善根を積んで後世を弔ってもらいたいと思われたが、わが国では、どんな大善根を積み置いても、子孫が相次いで重盛の後世を弔うことは難しい。他国で何か善根を積んで後世を弔ってもらおうと、安元の春のころ、九州から妙典という船頭を呼び上らせ、人を遠ざけて対面された。黄金三千五百両を取り寄せて、「お前は名高い正直者だから」といって、「五百両をお前に与える。三千両を宋の国へ渡し、一千両を育王山の僧に施し、二千両を宋の皇帝へ献上して、田地を育王山へ寄進していただくよう申し上げ、重盛の後世を弔わせよ」とおっしゃった。
妙典はこれを賜って、万里の波をしのいで大宋国へ渡った。育王山の住持の仏照禅師徳光にお会いして、このことを申し上げると、禅師はありがたく感嘆して、すぐに千両を育王山の僧に施し、二千両を皇帝に献上して、小松殿が申されたことを詳しく奏上されたので、皇帝はたいへん感心なさって、五百町の田地を育王山へ寄進された。それで、日本の大臣平朝臣重盛公の後生善所を祈ることが今も続いていると聞く。
入道相国は小松殿に先立たれ、何かと心細く思われたのであろうか、福原へ下って門を閉ざしてこもっておられた。
意訳
重盛が、日本ではなく宋の寺に自分の後世を託したという話である。わが国では子孫が絶えて後世を弔う者もいなくなるだろう、という重盛の言葉には、平家の滅亡を予見する思いがこめられている。物語は、宋の育王山では今も重盛の後世が祈られていると結び、重盛の深謀と信仰とをたたえている。
語釈・文法注
文法
- 「育王山」
- 中国浙江省寧波にある阿育王寺。禅宗の名刹。
- 「田代」
- 田地。寺の経済を支える寄進地。
- 「後生善所」
- 来世に善い所(極楽)に生まれること。
解説
仏照禅師徳光(1121〜1203)は南宋の臨済宗の僧で、育王山阿育王寺の住持を務めた。重盛が育王山に黄金を送ったという話は『平家物語』のほか『古今著聞集』などにも見え、日宋貿易を進めた平家の対外交流を背景とした説話と考えられている。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、394–395頁(コマ226)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日