平家物語 巻第三
無紋の沙汰の事
重盛は四月七日の夜、春日大明神の鳥居のもとで、清盛の首が太刀の先に貫かれて掲げられる夢を見て、平家の運命の末を悟った。翌朝、重盛は嫡子維盛に酒を勧め、引出物として大臣の葬送に用いる無紋の太刀を与え、父より先に死ぬことをほのめかした。やがてその言葉どおりに重盛は世を去った。
- 1天天てん性性せいこのこのこの大大おと臣臣どははは不不ふ審審しん第第だい一一いちののの人人ひとにににててて、、、未未み來來らいののの事事ことをををもももかねかねかねててて悟悟さとりりり給給たまひひいけるけるけるにににややや、、、さんぬるさんぬるさんぬる四四し月月がつ七七なぬ日日かののの夜夜よののの夢夢ゆめににに見見み給給たまひひいたりたりたりけるけるける事事ことこそこそこそ不不ふ思思し議議ぎなれなれなれ。。。たとへたとへたとえばばばあるあるある濱濱はま路路じををを、、、はる〴〵はる〴〵はるばるととと歩歩あゆみみみゆきゆきゆき給給たまふふう程程ほどににに、、、傍傍かたわらににに大大おおきききなるなるなる鳥鳥とり居居いのののありありありけるけるけるををを、、、大大おと臣臣ど夢夢ゆめののの中中うちににに、、、「「「あれあれあれはははいかなるいかなるいかなる御御おん鳥鳥とり居居いやらやらやらんんん。。。」」」ととと問問とひひい給給たまへへえばばば、、、「「「春春かす日日が大大だい明明みょう神神じんののの御御おん鳥鳥とり居居いなりなりなり。。。」」」とととぞぞぞ申申もうしししけるけるける。。。人人ひと羣羣くん集集じゅしししたりたりたり。。。
- 2そのそのその中中なかよりよりより大大おおきききなるなるなる法法ほっ師師しののの頭頭こうべををを太太た刀刀ちのののさきさきさきににに貫貫つらぬききき、、、高高たかくくくさしさしさし上上あげげげたるたるたるををを、、、大大おと臣臣ど、、、「「「何何なに者者ものののの頭頭くびぞぞぞ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「平平へい家家け太太だい政政じょう入入にゅう道道どう殿殿どのののの惡惡あく行行ぎょう超超ちょう過過かししし給給たまへへえるるるににに依依よつつっててて、、、當當とう社社しや大大だい明明みょう神神じんののの召召めししし取取とらららせせせ給給たまひひいててて候候そうろう。。。」」」ととと申申もうすすすととと覺覺おぼえええててて夢夢ゆめ覺覺さめめめぬぬぬ。。。
- 3當當とう家家けははは保保ほう元元げん、、、平平へい治治じよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、度度ど々々どののの朝朝ちょう敵敵てきををを平平たいらげげげ、、、勸勸けん賞賞じょう身身みにににあまりあまりあまり、、、帝帝てい祖祖そ、、、太太だい政政じょう大大だい臣臣じんにににいたりいたりいたり、、、一一いち族族ぞくののの昇昇しょう進進しん六六ろく十十じゅう餘餘よ人人にん、、、二二に十十じゅう餘餘よ年年ねんのののこのこのこのかたかたかた、、、官官かん加加か階階かい天天てん下下かににに肩肩かたををを雙雙ならぶるぶるぶる人人ひとなかりなかりなかりつるつるつるににに、、、さてさてさてははは入入にゅう道道どうののの惡惡あく行行ぎょう超超ちょう過過かししし給給たまへへえるるるににに依依よつつっててて、、、當當とう家家けののの運運うん命命めいののの末末すえににになるなるなるにににこそこそこそとととおぼしめしおぼしめしおぼしめしててて、、、御御おん涙涙なみだををを流流ながさささせせせ給給たまふふう。。。
- 4折折おりふしふしふし妻妻つま戸戸どをををほと〳〵ほと〳〵ほとほとととと、、、うちうちうちたゝくたゝくたたくものものもの出出いででできききたりたりたり。。。大大おと臣臣ど、、、「「「何何なに者者ものぞぞぞ、、、あれあれあれ聞聞きけけけ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば瀨瀨せ尾尾のおののの太太た郎郎ろう兼兼かね康康やすががが、、、「「「今今こ夜夜よい餘餘あまりりりににに不不ふ思思し議議ぎののの事事ことををを見見み候候そうろうててて申申もうししし上上あげげげんんんがががためためためににに、、、夜夜よのののあくるあくるあくるががが遲遲おそくくく覺覺おぼえええててて、、、參參まいつつっててて候候そうろう。。。御御ご前前ぜんののの人人ひとをををはるかはるかはるかににに除除のけけけられられられ候候そうらへへえ。。。」」」とてとてとて、、、人人ひとををを除除のけけけててて對對たい面面めんありありありけりけりけり。。。大大おと臣臣ど御御ご覽覽らんぜぜぜられられられけるけるける夢夢ゆめににに少少すこしししももも違違たがははわずずず、、、つぶさつぶさつぶさににに語語かたりりり申申もうしししたりたりたりけれけれければばば、、、さてさてさてこそこそこそ兼兼かね康康やすははは神神かみにににももも通通つうじじじたるたるたるものものものかなかなかなとととぞぞぞ、、、大大おと臣臣どももも感感かんじじじ給給たまひひいけるけるける。。。
- 5そのそのその朝朝あした嫡嫡ちゃく子子し權權ごんののの亮亮すけ少少しょう將將しょう維維これ盛盛もり、、、院院いんへへへ參參まいらららんんんとてとてとて出出いででで立立たたたたれれれけるけるけるををを、、、大大おと臣臣ど呼呼よびびび奉奉たてまつつつっててて、、、「「「人人ひとののの親親おやのののかやうかやうかようののの事事こと申申もうすすすははは、、、をこがましけれをこがましけれおこがましけれどもどもども、、、御御ご邊邊へんははは人人ひとののの子子こにににはははすぐれすぐれすぐれててて見見みえええ給給たまへへえりりり。。。あれあれあれ少少しょう將將しょうににに酒酒さけすゝめすゝめすすめよよよ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、筑筑ちく後後ごののの守守かみ貞貞さだ能能よし御御おん酌酌しやくににに參參まいるるる。。。これこれこれをををばばば少少しょう將將しょうにににこそこそこそたぶたぶたぶべけれべけれべけれどもどもども、、、親親おやよりよりより先先さきにににはははよもよもよも賜賜たまはらはらわらじじじとてとてとて、、、大大おと臣臣ど三三さん度度ど酌酌くんんんででで、、、そのそのその後後のち少少しょう將將しょう殿殿どのにににぞぞぞさささささされれれけるけるける。。。
- 6少少しょう將將しょうまたまたまた三三さん度度ど受受うけけけ給給たまふふう時時とき、、、「「「あれあれあれ少少しょう將將しょうににに引引ひき出出で物物ものせせせよよよ。。。」」」ととと宣宣のたまへへえばばば、、、畏畏かしこまりまりまり承承うけたまわつつっててて赤赤あか地地じののの錦錦にしきののの袋袋ふくろににに入入いれれれたるたるたる御御おん太太た刀刀ち持持もつつっててて參參まいつつったりたりたり。。。少少しょう將將しょうこれこれこれははは當當とう家家けににに傳傳つたはるはるわる小小こ烏烏がらすととといふいふいう太太た刀刀ちやらやらやらんんんととと嬉嬉うれしげしげしげににに見見みたまへたまへたまえばばば、、、さささはははなくなくなくしてしてして大大だい臣臣じん葬葬そうののの時時とき用用もちゐるゐるいる無無む紋紋もんののの太太た刀刀ちなりなりなり。。。そのそのその時時とき少少しょう將將しょう、、、以以もってててののの外外ほかににに氣氣き色色しょく變變かわつつっててて見見みえええ給給たまへへえばばば、、、大大おと臣臣ど涙涙なみだをををはら〳〵はら〳〵はらはらととと流流ながいいいててて、、、
- 7「「「それそれそれははは貞貞さだ能能よしがががひがひがひがことことことにににはははあらあらあらずずず。。。大大だい臣臣じん葬葬そうののの時時とき佩佩はいいいててて供供ともするするする、、、無無む紋紋もんととといふいふいう太太た刀刀ちなりなりなり。。。日日ひ頃頃ごろははは入入にゅう道道どう殿殿どのいかにいかにいかにもももなりなりなり給給たまははわばばば、、、重重しげ盛盛もり佩佩はいいいててて供供ともせせせんんんとととこそこそこそ存存ぞんぜぜぜしかしかしか。。。今今いまははは重重しげ盛盛もり、、、入入にゅう道道どう殿殿どのににに先先さき立立だちちち奉奉たてまつらららんんんずれずれずればばば、、、御御ご邊邊へんにににたぶたぶたぶなりなりなり。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。少少しょう將將しょうとかうとかうとこうののの返返へん事事じにににももも及及およびびび給給たまははわずずず、、、涙涙なみだをををおさへおさへおさえててて宿宿しゅく所所しょににに歸歸かえりりり、、、そのそのその日日ひははは出出しゅっ仕仕しもももししし給給たまははわずずず、、、引引ひきききかづいかづいかずいてててぞぞぞ伏伏ふししし給給たまふふう。。。
- 8そのそのその後後のち、、、大大おと臣臣ど熊熊くま野野のへへへ參參まいりりり、、、下下げ向向こうしてしてして、、、いくばくいくばくいくばくののの日日ひ數數かずををを經經へずずずしてしてして、、、病病やまいづきづきづきててて失失うせせせ給給たまひひいけるけるけるにににこそこそこそ、、、げにげにげにもももととと思思おもひひい知知しららられれれけれけれけれ。。。
現代語訳
もともとこの大臣(重盛)は並外れて物事を見通す人で、未来のこともかねて悟っておられたのであろうか、去る四月七日の夜の夢にご覧になったことこそ不思議である。ある浜辺の道をはるばると歩いて行かれると、傍らに大きな鳥居があったので、大臣は夢の中で「あれはどういう御鳥居か」とお尋ねになると、「春日大明神の御鳥居です」と申した。人が大勢集まっている。
その中から大きな法師の首を太刀の先に貫いて高く差し上げているのを、大臣が「誰の首か」とおっしゃると、「平家の太政入道殿が、悪行が度を越しておられるので、当社の大明神が召し捕らせなさったのです」と申すと思ったところで夢から覚めた。
平家は保元・平治の乱以来、たびたび朝敵を平らげ、恩賞は身に余り、帝の祖父となり、太政大臣にまで至り、一族の昇進した者は六十余人、二十余年来、官位の昇進で天下に肩を並べる者はなかったのに、さては入道の悪行が度を越しておられるために、一門の運命も末になるのであろうとお思いになって、涙をお流しになった。
ちょうどそのとき、妻戸をとんとんと叩く者があった。大臣が「誰だ、あれを聞いてこい」とおっしゃると、瀬尾太郎兼康が「今夜あまりに不思議なことを見ましたので申し上げようと、夜の明けるのが遅く思われて参りました。御前の人をお遠ざけください」といって、人を遠ざけて対面した。大臣がご覧になった夢と少しも違わずに詳しく語り申したので、さては兼康は神にも通じている者だなと、大臣も感心なさった。
その朝、嫡子の権亮少将維盛が院へ参ろうとして出かけられるのを、大臣が呼び寄せて、「親がこのようなことを言うのはばかげているが、そなたは人の子として優れているように見える。それ、少将に酒を勧めよ」とおっしゃると、筑後守貞能がお酌に参った。これをまず少将に差し上げるべきところだが、親より先にはよもや受けまいといって、大臣が三度飲んで、その後少将殿に盃を差された。
少将がまた三度お受けになったとき、「それ、少将に引出物をせよ」とおっしゃると、貞能はかしこまって、赤地の錦の袋に入れた御太刀を持って参った。少将は、これは一門に伝わる小烏という太刀であろうかと嬉しそうにご覧になると、そうではなく、大臣の葬送のときに用いる無紋の太刀であった。そのとき少将がひどく顔色を変えられたので、大臣は涙をはらはらと流して、
「それは貞能の間違いではない。大臣の葬送のときに身につけて供をする無紋という太刀である。日ごろは入道殿に万一のことがあったら、重盛が身につけてお供しようと思っていた。今は重盛が入道殿に先立ち申すことになるので、そなたに与えるのだ」とおっしゃった。少将はあれこれと返事もおできにならず、涙をおさえて宿所に帰り、その日は出仕もなさらず、衣を引きかぶって伏してしまわれた。
その後、大臣が熊野へ参り、帰ってきていくらも日数がたたないうちに病気になってお亡くなりになったので、なるほどそういうことだったのかと思い知られた。
意訳
重盛の死を予感させる二つの出来事を語る章段である。春日大明神の鳥居のもとで清盛の首が掲げられる夢は、清盛の悪行に神が罰を下すことを示し、瀬尾兼康が同じ夢を見たことでその確かさが強められる。
翌朝、重盛は維盛に酒を勧め、家宝の小烏の太刀かと期待させて、大臣の葬送に用いる無紋の太刀を与える。自らの死を悟った父が、言葉少なにそれを子に伝える場面は、親子の情と覚悟を静かに描き出している。
語釈・文法注
文法
- 「不審第一の人」
- 底本は「不審」。物事を深く見通す、並外れた人の意か。
- 「帝祖」
- 天皇の祖父。清盛は高倉天皇の皇子(のちの安徳天皇)の外祖父になった。
- 「たぶ」
- 「賜ぶ」。お与えになる。ここでは、与える。
- 「小烏」
- 平家重代の名刀。小烏丸。
- 「無紋の太刀」
- 鞘などに飾りのない太刀。大臣の葬送のとき、供の者が身につけた。
解説
春日大明神は藤原氏の氏神で、興福寺と一体となって信仰された。のちに平重衡が南都を焼き討ちする(巻第五「奈良炎上」)ことを思うと、春日の神が清盛の首を取るというこの夢は、物語の後の展開と響き合っている。小烏丸は平家に伝わった名刀で、現在は皇室の御物となっている。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、392–393頁(コマ225)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日