古典ライブラリー

平家物語 巻第三

医師問答の事

治承三年夏、重盛は熊野に詣で、父清盛の悪心が改まらないなら自分の命を縮めて来世を救ってほしいと祈った。帰ると間もなく病に倒れたが、療治も祈祷もしない。清盛が宋の名医に診させるよう勧めても、異国の医師を都に入れるのは国の恥であり、定業ならば医療も益がないと断った。重盛は七月に出家し、八月一日に四十三歳で没した。

  1. 1同おな同おなおなじきじきじき夏なつ夏なつなつののの頃ころ頃ころころ、、、小こ小ここ松まつ松まつまつののの大おと大おとおと臣ど臣どどはははかやうかやうかようののの事こと事ことことどもどもどもににに、、、よろづよろづよろず心こころ心こころこころ細ぼそ細ぼそぼそくくくややや思おも思おもおもははわれれれけんけんけん、、、そのそのその頃ころ頃ころころ熊くま熊くまくま野の野のの參さん參さんさん詣けい詣けいけいののの事こと事ことことありありありけりけりけり。。。本ほん本ほんほん宮ぐう宮ぐうぐう證しよう證しようしょう誠じやう誠じやうじょう殿でん殿でんでんののの御おん御おんおん前まへ前まへまえにににててて靜しづ靜しづしずかかかににに法ほつ法ほつほっ施せ施せせ進まゐ進まゐまいらせらせらせててて、、、夜よ夜よよもすがらもすがらもすがら敬けい敬けいけい白びやく白びやくびゃくせせせられられられけるけるけるははは、、、
  2. 2「「「親しん親しんしん父ぶ父ぶぶ入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの體てい體ていていををを見み見みみるるるににに、、、惡あく惡あくあく逆ぎやく逆ぎやくぎゃく無ぶ無ぶぶ道だう道だうどうにににしてしてして、、、やゝやゝややもももすれすれすればばば君きみ君きみきみををを惱なや惱なやなやましましまし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。重しげ重しげしげ盛もり盛もりもり長ちやう長ちやうちょう子し子ししとととしてしてして、、、頻しき頻しきしきりりりににに諫いさ諫いさいさめめめををを致いた致いたいたすすすととといへいへいえどもどもども、、、身み身みみ不ふ不ふふ肖せう肖せうしょうののの間あひだ間あひだあいだ、、、かれかれかれ以もつ以もつもっててて服ふく服ふくふく膺よう膺ようようせせせずずず。。。そのそのその振ふる振ふるふる舞まひ舞まひまいををを見み見みみるるるににに、、、一いち一いちいち期ご期ごごののの榮えい榮えいえい花ぐわ花ぐわが猶なほ猶なほなお危あやふ危あやふあやうししし。。。枝し枝しし葉えふ葉えふよう連れん連れんれん續ぞく續ぞくぞくしてしてして、、、親しん親しんしんををを顯あら顯あらあらはしはしわし名な名ななををを揚あ揚ああげげげんんん事こと事ことこと難かた難かたかたししし。。。このこのこの時とき時ときときににに當あた當あたあたつつっててて、、、重しげ重しげしげ盛もり盛もりもり苟いやし苟いやしいやしゅうううももも思おも思おもおもへへえりりり。。。なまじひなまじひなまじいににに列れつ列れつれつしししててて世よ世よよににに浮ふ浮ふふ沉ちん沉ちんちんせせせんんんことことこと、、、敢あへ敢あへあえててて良りやう良りやうりょう臣しん臣しんしん孝かう孝かうこう子し子ししののの法ほふ法ほふほうにににあらあらあらずずず。。。如し如ししかかかじじじ名な名ななををを遁のが遁のがのがれれれ、、、身み身みみををを退しりぞ退しりぞしりぞいいいててて、、、今こん今こんこん生じやう生じやうじょうののの名みやう名みやうみょう望まう望まうもうををを投な投ななげげげ棄す棄すすてててててて、、、來らい來らいらい世せ世せせののの菩ぼ菩ぼぼ提だい提だいだいををを求もと求もともとめめめんんんににに。。。
  3. 3但たゞ但たゞただししし凡ぼん凡ぼんぼん夫ぶ夫ぶぶ薄はく薄はくはく智ち智ちち、、、是ぜ是ぜぜ非ひ非ひひににに惑まど惑まどまどへへえるるるががが故ゆゑ故ゆゑゆえににに、、、志こころざし志こころざしこころざしをををなほなほなお恣ほしいまゝ恣ほしいまゝほしいままにににせせせずずず。。。南な南なな無む無むむ權ごん權ごんごん現げん現げんげん、、、金こん金こんこん剛がう剛がうごう童どう童どうどう子じ子じじ、、、願ねが願ねがねがはくはくわくははは子し子しし孫そん孫そんそん繁はん繁はんはん榮えい榮えいえい絶た絶たたえええずずずしてしてして、、、仕つか仕つかつかへへえててて朝てう朝てうちょう廷てい廷ていていににに交まじ交まじまじはるはるわるべくべくべくばばば、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどうののの惡あく惡あくあく心しん心しんしんををを和やはら和やはらやわらげげげててて、、、天てん天てんてん下か下かかののの安あん安あんあん全せん全せんせんををを得え得ええしめしめしめたまへたまへたまえ。。。榮えい榮えいえい耀えう耀えうようまたまたまた一いち一いちいち期ご期ごごににに限かぎ限かぎかぎつつっててて、、、後こう後こうこう昆こん昆こんこん恥はぢ恥はぢはじににに及およ及およおよぶぶぶべくべくべくばばば、、、重しげ重しげしげ盛もり盛もりもりががが運うん運うんうん命めい命めいめいををを縮ちゞ縮ちゞちぢめめめててて、、、來らい來らいらい世せ世せせののの苦く苦くく輪りん輪りんりんををを助たす助たすたすけけけ給たま給たまたまへへえ。。。兩りやう兩りやうりょう箇か箇かかののの求ぐ求ぐぐ願ぐわん願ぐわんがん、、、ひとへひとへひとえににに冥みやう冥みやうみょう助じよ助じよじょををを仰あふ仰あふあうぐぐぐ。。。」」」ととと、、、肝かん肝かんかん膽たん膽たんたんををを碎くだ碎くだくだいいいててて祈き祈きき念ねん念ねんねんせせせられられられけれけれければばば、、、燈とう燈とうとう籠ろう籠ろうろうののの火ひ火ひひのののやうやうようなるなるなる物もの物ものものののの、、、大おと大おとおと臣ど臣どどののの御おん御おんおん身み身みみよりよりより出い出いいでででててて、、、はつはつはっととと消き消ききゆるゆるゆるががが如ごと如ごとごとくくくしてしてして失う失ううせせせにににけりけりけり。。。人ひと人ひとひとあまたあまたあまた見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりけれけれけれどもどもども、、、恐おそ恐おそおそれれれてててこれこれこれををを申まう申まうもうさささずずず。。。
  4. 4大おと大おとおと臣ど臣どど下げ下げげ向かう向かうこうののの時とき時ときとき、、、岩いは岩いはいわ田た田たた河がは河がはがわををを渡わた渡わたわたららられれれけるけるけるににに、、、嫡ちやく嫡ちやくちゃく子し子しし權ごん權ごんごんののの亮すけ亮すけすけ少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう維これ維これこれ盛もり盛もりもり以い以いい下げ下げげののの公きん公きんきん達だち達だちだち、、、淨じやう淨じやうじょう衣え衣ええののの下した下したしたににに薄うす薄うすうす色いろ色いろいろののの衣きぬ衣きぬきぬををを著き著ききててて、、、夏なつ夏なつなつののの事こと事ことことなれなれなればばば、、、何なに何なになにとととなうなうのう水みづ水みづみずににに戲たはぶ戲たはぶたわぶれれれ給たま給たまたまふふう程ほど程ほどほどににに、、、淨じやう淨じやうじょう衣え衣ええののの濡ぬ濡ぬぬれれれててて衣きぬ衣きぬきぬにににうつつうつつうつったるたるたるががが、、、ひとへひとへひとえににに色いろ色いろいろののの如ごと如ごとごとくくくににに見み見みみえええけるけるけるををを、、、筑ちく筑ちくちく後ご後ごごののの守かみ守かみかみ貞さだ貞さださだ能よし能よしよしこれこれこれををを見み見みみ咎とが咎とがとがめめめててて、、、「「「何なに何なになにとととやらやらやらんんんあのあのあの御おん御おんおん淨じやう淨じやうじょう衣え衣ええののの、、、世よ世よよにににいまはしげいまはしげいまわしげににに見み見みみえええさせさせさせまし〳〵まし〳〵ましまし候さふらふ候さふらふそうろう。。。急いそ急いそいそぎぎぎ召め召めめししし更か更かかへへえなるなるなるべうべうびょうもももややや候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、
  5. 5大おと大おとおと臣ど臣どど、、、「「「さてさてさてはははわがわがわが所しよ所しよしょ願ぐわん願ぐわんがん、、、既すで既すですでににに成じやう成じやうじょう就じゆ就じゆじゅしししにににけりけりけり。。。敢あへ敢あへあえてててそのそのその淨じやう淨じやうじょう衣え衣ええ改あらた改あらたあらたむむむべからべからべからずずず。。。」」」とてとてとて、、、岩いは岩いはいわ田た田たた河がは河がはがわよりよりより熊くま熊くまくま野の野ののへへへ、、、別べつ別べつべつしてしてして悅よろこ悅よろこよろこびびびののの奉ほう奉ほうほう幣へい幣へいへいをををぞぞぞ立た立たたてててられられられけるけるける。。。人ひと人ひとひとあやしみあやしみあやしみ思おも思おもおもへへえどもどもども、、、なほなほなおそのそのその心こころ心こころこころをををばばば得え得ええしめしめしめ給たま給たまたまははわずずず。。。しかるにしかるにしかるにこのこのこの公きん公きんきん達だち達だちだち、、、程ほど程ほどほどなくなくなくやがてやがてやがて、、、まことまことまことののの色いろ色いろいろををを著き著ききたまひたまひたまいけるけるけるこそこそこそ不ふ不ふふ思し思しし議ぎ議ぎぎなれなれなれ。。。
  6. 6そのそのその後のち後のちのち大おと大おとおと臣ど臣どど下げ下げげ向かう向かうこうののの時とき時ときとき、、、いくばくいくばくいくばくののの日ひ日ひひ數かず數かずかずををを經へ經へへずずずしてしてして、、、病や病ややみみみつきつきつき給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。權ごん權ごんごん現げん現げんげん既すで既すですでににに御ご御ごご納なふ納なふのう受じゆ受じゆじゅあるあるあるにににこそこそこそとてとてとて、、、療れう療れうりょう治ぢ治ぢじをををもももししし給たま給たまたまははわずずず。。。ましてましてまして祈き祈きき禱たう禱たうとうをををももも致いた致いたいたささされれれずずず。。。
  7. 7そのそのその頃ころ頃ころころ宋そう宋そうそう朝てう朝てうちょうよりよりよりすぐれすぐれすぐれたるたるたる名めい名めいめい醫い醫いい渡わた渡わたわたつつっててて、、、本ほん本ほんほん朝てう朝てうちょうにににやすらふやすらふやすらう事こと事ことことありありありけりけりけり。。。折をり折をりおりふしふしふし入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくははは福ふく福ふくふく原はら原はらはらののの別べつ別べつべつ業げふ業げふぎょうにににおはしおはしおわしけるけるけるががが、、、越ゑつ越ゑつえっ中ちゆう中ちゆうちゅうののの前ぜん前ぜんぜん司じ司じじ盛もり盛もりもり俊とし俊としとしををを使し使しし者じや者じやじゃにににててて、、、小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどのへへへ宣のたま宣のたまのたまひひい遣つか遣つかつかはさはさわされれれけるけるけるははは、、、「「「所しよ所しよしょ勞らう勞らうろういよ〳〵いよ〳〵いよいよ大だい大だいだい事じ事じじなるなるなる由よし由よしよし、、、そのそのその聞きこ聞きこきこえええありありあり。。。かねかねかねてててははは又また又またまた宋そう宋そうそう朝てう朝てうちょうよりよりよりすぐれすぐれすぐれたるたるたる名めい名めいめい醫い醫いい渡わた渡わたわたれれれりりり。。。折をり折をりおりふしふしふしこれこれこれををを悅よろこ悅よろこよろこびびびとととすすす。。。よつよつよってててかれかれかれををを召め召めめししし請しやう請しやうしょうじじじててて、、、醫い醫いい療れう療れうりょうををを加くは加くはくわへへえしめしめしめ給たま給たまたまへへえ。。。」」」とととのたまひのたまひのたまい遣つか遣つかつかはさはさわされれれたりたりたりけれけれければばば、、、大おと大おとおと臣ど臣どど扶たす扶たすたすけけけ起おこ起おこおこささされれれ、、、盛もり盛もりもり俊とし俊としとしををを御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんへへへ召め召めめしししててて對たい對たいたい面めん面めんめんありありあり。。。
  8. 8「「「まづまづまず醫い醫いい療れう療れうりょうののの事こと事ことこと、、、畏かしこ畏かしこかしこまつまつまっててて承うけたまは承うけたまはうけたまわりりり候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬととと申まう申まうもうすすすべしべしべし。。。但たゞ但たゞただししし汝なんぢ汝なんぢなんじもももよくよくよく承うけたまは承うけたまはうけたまわれれれ。。。延えん延えんえん喜ぎ喜ぎぎののの御み御みみ門かど門かどかどははは、、、さばかりさばかりさばかりののの賢けん賢けんけん王わう王わうおうにににててて渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまひひいしかしかしかどもどもども、、、異い異いい國こく國こくこくののの相さう相さうそう人にん人にんにんををを都みやこ都みやこみやこののの中うち中うちうちへへへ入い入いいれれれられられられたりたりたりししし事こと事ことことをををばばば、、、末まつ末まつまつ代だい代だいだいまでまでまでももも賢けん賢けんけん王わう王わうおうののの御おん御おんおん誤あやま誤あやまあやまりりり、、、本ほん本ほんほん朝てう朝てうちょうののの恥はぢ恥はぢはじとととこそこそこそ見み見みみえええたれたれたれ。。。況いは況いはいわんんんややや重しげ重しげしげ盛もり盛もりもり程ほど程ほどほどののの凡ぼん凡ぼんぼん人にん人にんにんががが、、、異い異いい國こく國こくこくののの醫い醫いい師し師ししををを王わう王わうおう城じやう城じやうじょうへへへ入い入いいれれれんんん事こと事ことこと、、、全まつた全まつたまったくくく國くに國くにくにののの恥はぢ恥はぢはじにににあらあらあらずずずややや。。。
  9. 9漢かん漢かんかんののの高かう高かうこう祖そ祖そそははは三さん三さんさん尺じやく尺じやくじゃくののの劒けん劒けんけんををを提ひつさ提ひつさひっさげげげててて天てん天てんてん下か下かかををを治をさ治をさおさめめめしししににに、、、淮わい淮わいわい南なん南なんなんののの黥げい黥げいげい布ふ布ふふををを討う討ううちちちししし時とき時ときとき、、、流ながれ流ながれながれ矢や矢ややににに當あた當あたあたつつっててて疵きず疵きずきずををを蒙かうぶ蒙かうぶこうぶるるる。。。后きさき后きさききさき呂りよ呂りよりょ太たい太たいたい后こう后こうこう良りやう良りやうりょう醫い醫いいををを迎むか迎むかむかへへえててて見み見みみせせせしむるしむるしむるににに、、、醫い醫いいののの曰いは曰いはいわくくく、、、このこのこの疵きず疵きずきず治ぢ治ぢじしししつつつべしべしべし。。。但たゞ但たゞただししし五ご五ごご十じつ十じつじっ斤きん斤きんきんののの金かね金かねかねををを與あた與あたあたへへえばばば治ぢ治ぢじせせせんんんととといふいふいう。。。高かう高かうこう祖そ祖そそのたまはくのたまはくのたまわく、、、われわれわれ守まも守まもまもりりり強つよ強つよつよかつかつかっしししほどほどほどははは、、、多おほ多おほおおくくくののの戰たゝか戰たゝかたたかひひいにににあうあうおうててて疵きず疵きずきずををを蒙かうぶ蒙かうぶこうぶりりりしかしかしかどもどもども、、、そのそのその痛いた痛いたいたみみみなしなしなし。。。運うん運うんうん既すで既すですでににに盡つ盡つつきききぬぬぬ。。。命めい命めいめいはははすなはちすなはちすなわち天てん天てんてんにににありありあり、、、扁へん扁へんへん鵲じやく鵲じやくじゃくととといふいふいうともともとも何なん何なんなんののの益えき益えきえきかかかあらあらあらんんん。。。しかれしかれしかればばば又また又またまた金かね金かねかねををを惜を惜をおしむしむしむににに似に似ににたりたりたりとてとてとて、、、五ご五ごご十じつ十じつじっ斤きん斤きんきんののの金かね金かねかねををを醫い醫いい師し師ししににに與あた與あたあたへへえながらながらながら、、、遂つひ遂つひついににに治ぢ治ぢじせせせざりざりざりききき。。。先せん先せんせん言げん言げんげん耳みゝ耳みゝみみにににありありあり、、、今いま今いまいま以もつ以もつもっててて甘かん甘かんかん心しん心しんしんすすす。。。
  10. 10重しげ重しげしげ盛もり盛もりもり苟いやし苟いやしいやしくくくももも九きう九きうきゅう卿けい卿けいけいににに列れつ列れつれつししし三さん三さんさん台たい台たいたいににに昇のぼ昇のぼのぼるるる。。。そのそのその運うん運うんうん命めい命めいめいををを量はか量はかはかるるるににに、、、以もつ以もつもっててて天てん天てんてん心しん心しんしんにににありありあり。。。何なん何なんなんぞぞぞ天てん天てんてん心しん心しんしんををを察さつ察さつさつせせせずずずしてしてして、、、愚おろ愚おろおろかかかににに醫い醫いい療れう療れうりょうををを痛いた痛いたいたはしうはしうわしゅうせせせんんんややや。。。所しよ所しよしょ勞らう勞らうろうもしもしもし定ぢやう定ぢやうじょう業ごふ業ごふごうたらたらたらばばば、、、醫い醫いい療れう療れうりょうををを加くは加くはくわふるふるうるともともとも益えき益えきえきなからなからなからんんんかかか。。。またまたまた非ひ非ひひ業ごふ業ごふごうたらたらたらばばば、、、療れう療れうりょう治ぢ治ぢじををを加くは加くはくわへへえずずずともともとも、、、助たす助たすたすかるかるかる事こと事ことことををを得う得ううべしべしべし。。。かのかのかの耆ぎ耆ぎぎ婆ば婆ばばががが醫い醫いい術じゆつ術じゆつじゅつ及およ及およおよばばばずずずしてしてして、、、大だい大だいだい覺がく覺がくがく世せ世せせ尊そん尊そんそん滅めつ滅めつめつ度ど度どどををを跋ばつ跋ばつばつ提だい提だいだい河が河ががのののほとりほとりほとりににに唱とな唱となとなふふう。。。これこれこれすなはちすなはちすなわち定ぢやう定ぢやうじょう業ごふ業ごふごうののの病やまひ病やまひやまい癒いや癒いやいやさささざるざるざる事こと事ことことををを示しめ示しめしめさささんんんががが爲ため爲ためためなりなりなり。。。治ぢ治ぢじするするするははは佛ぶつ佛ぶつぶつ體たい體たいたいなりなりなり。。。療れう療れうりょうするするするははは耆ぎ耆ぎぎ婆ば婆ばばなりなりなり。。。定ぢやう定ぢやうじょう業ごふ業ごふごうもしもしもし醫い醫いい療れう療れうりょうにににかゝはるかゝはるかかわるべうべうびょう候さふら候さふらそうらははわばばば、、、あにあにあに釋しやく釋しやくしゃく尊そん尊そんそん入にふ入にふにゅう滅めつ滅めつめつあらあらあらんんんややや。。。定ぢやう定ぢやうじょう業ごふ業ごふごうなほなほなお治ぢ治ぢじするするするににに堪た堪たたへへえざるざるざる旨むね旨むねむねあきらけしあきらけしあきらけし。。。しかれしかれしかればばば重しげ重しげしげ盛もり盛もりもりががが身み身みみ、、、佛ぶつ佛ぶつぶつ體たい體たいたいにににあらあらあらずずず、、、名めい名めいめい醫い醫いいまたまたまた耆ぎ耆ぎぎ婆ば婆ばばににに及およ及およおよぶぶぶべからべからべからずずず。。。たとひたとひたとい四し四しし部ぶ部ぶぶののの書しよ書しよしょををを鑑かんが鑑かんがかんがみみみててて、、、百ひやく百ひやくひゃく療れう療れうりょうににに長ちやう長ちやうちょうずずずととといふいふいうともともとも、、、いかでいかでいかでかかか有う有うう待だい待だいだいののの穢ゑ穢ゑえ身しん身しんしんををを救く救くく療れう療れうりょうせせせんんん。。。たとひたとひたとい又また又またまた五ご五ごご經きやう經きやうきょうののの說せつ說せつせつににに詳つまびら詳つまびらつまびらかかかにににしてしてして、、、衆しゆ衆しゆしゅ病びやう病びやうびょうををを癒いや癒いやいやすすすととといふいふいうともともとも、、、豈あに豈あにあに先せん先せんせん世ぜ世ぜぜののの業ごふ業ごふごう病びやう病びやうびょうををを治ぢ治ぢじせせせんんんややや。。。もしもしもしかのかのかの醫い醫いい術じゆつ術じゆつじゅつににに依よ依よよつつっててて存ぞん存ぞんぞん命めい命めいめいせせせばばば、、、本ほん本ほんほん朝てう朝てうちょうののの醫い醫いい道だう道だうどうなきなきなきににに似に似ににたりたりたり。。。醫い醫いい術じゆつ術じゆつじゅつ效かう效かうこう驗げん驗げんげんなくなくなくばばば、、、面めん面めんめん謁えつ謁えつえつそのそのその詮せん詮せんせんなしなしなし。。。なかんづくなかんづくなかんずく本ほん本ほんほん朝てう朝てうちょう鼎てい鼎ていてい臣しん臣しんしんののの外げ外げげ相さう相さうそうををを以もつ以もつもっててて、、、異い異いい朝てう朝てうちょう浮ふ浮ふふ遊いう遊いうゆうののの來らい來らいらい客かく客かくかくににに見まみ見まみまみえええんんん事こと事ことこと、、、かつうかつうかつうははは國くに國くにくにののの恥はぢ恥はぢはじ、、、かつうかつうかつうははは道みち道みちみちののの陵りよう陵りようりょう遲ち遲ちちなりなりなり。。。たとひたとひたとい重しげ重しげしげ盛もり盛もりもり命めい命めいめいははは亡ばう亡ばうぼうずずずととといふいふいうともともとも、、、いかでいかでいかでかかか國くに國くにくにののの恥はぢ恥はぢはじををを思おも思おもおもふふう心こころ心こころこころををを存ぞん存ぞんぞんせせせざらざらざらんんん。。。このこのこの由よし由よしよしををを申まう申まうもうせせせ。。。」」」とととこそこそこそ宣のたま宣のたまのたまひひいけれけれけれ。。。
  11. 11盛もり盛もりもり俊とし俊としとし泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく福ふく福ふくふく原はら原はらはらへへへ馳は馳ははせせせ下くだ下くだくだりりり、、、このこのこの由よし由よしよしををを申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこく、、、「「「國くに國くにくにののの恥はぢ恥はぢはじををを思おも思おもおもふふう大おと大おとおと臣ど臣どど、、、上じやう上じやうじょう古こ古ここににに未いま未いまいまだだだ聞き聞ききかかかずずず。。。ましてましてまして末まつ末まつまつ代だい代だいだいにににあるあるあるべしべしべしともともとも覺おぼ覺おぼおぼえええずずず。。。日に日にに本ほん本ほんほんににに相さう相さうそう應おう應おうおうせせせぬぬぬ大おと大おとおと臣ど臣どどなれなれなればばば、、、いかさまいかさまいかさまにににももも今こん今こんこん度ど度どど失う失ううせせせられられられなななんんんずずず。。。」」」とてとてとて、、、急いそ急いそいそぎぎぎ都みやこ都みやこみやこへへへ上のぼ上のぼのぼららられれれけりけりけり。。。
  12. 12七しち七しちしち月ぐわつ月ぐわつがつ二に二にに十じふ十じふじゅう八はち八はちはち日にち日にちにち、、、小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどの出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけししし給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。法ほふ法ほふほう名みやう名みやうみょうははは淨じやう淨じやうじょう蓮れん蓮れんれんとととこそこそこそつきつきつきたまへたまへたまえ。。。やがてやがてやがて八はち八はちはち月ぐわつ月ぐわつがつ一ひと一ひとひと日ひ日ひひののの日ひ日ひひ、、、臨りん臨りんりん終じゆう終じゆうじゅう正しやう正しやうしょう念ねん念ねんねんににに住ぢゆう住ぢゆうじゅうしししててて失う失ううせせせ給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。御おん御おんおん年とし年としとし四し四しし十じふ十じふじゅう三さん三さんさん。。。世よ世よよはははさかりさかりさかりとととこそこそこそ見み見みみえええつるつるつるににに、、、あはれあはれあわれなりなりなりししし事こと事ことことどもどもどもなりなりなり。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくのののさしもさしもさしも横よこ横よこよこ紙がみ紙がみがみををを破やぶ破やぶやぶららられれれしししにににももも、、、このこのこの人ひと人ひとひとのののおはしおはしおわしててて、、、やう〳〵やう〳〵ようようににに宥なだ宥なだなだめめめ宣のたま宣のたまのたまひひいつれつれつればばばこそこそこそ、、、世よ世よよははは今日けふ今日けふきょうまでまでまでもももおだしかりおだしかりおだしかりつれつれつれ。。。このこのこの後のち後のちのち天てん天てんてん下か下かかにににいかばかりいかばかりいかばかりののの事こと事ことことかかか出い出いいででで來こ來ここんんんずずずらんらんらんとてとてとて、、、上じやう上じやうじょう下げ下げげみなみなみな歎なげ歎なげなげきききあへあへあえりりり。。。またまたまた前さき前さきさきののの右う右うう大だい大だいだい將しやう將しやうしょう宗むね宗むねむね盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうののの方かた方かたかたざまざまざまののの人ひと人ひとひと々びと々びとびと、、、世よ世よよはははたゞたゞただ今いま今いまいま大たい大たいたい將しやう將しやうしょう殿どの殿どのどのへへへ參まゐ參まゐまいりりりなななんんんずずずとてとてとて、、、勇いさ勇いさいさみみみ悅よろこ悅よろこよろこびびび合あ合ああははわれれれけりけりけり。。。
  13. 13人ひと人ひとひとののの親おや親おやおやののの子こ子ここををを思おも思おもおもふふうならひならひならいはははおろかおろかおろかなるなるなるががが、、、先さき先さきさき立だ立だだつつつだにだにだにももも悲かな悲かなかなしきしきしきぞぞぞかしかしかし。。。況いは況いはいわんんんやややこれこれこれははは當たう當たうとう家け家けけののの棟とう棟とうとう梁りやう梁りやうりょう、、、當たう當たうとう世せい世せいせいののの賢けん賢けんけん人じん人じんじんにににてててましませましませましませばばば、、、恩おん恩おんおん愛あい愛あいあいののの別わか別わかわかれれれ、、、家いへ家いへいえののの衰すゐ衰すゐすい微び微びび、、、悲かな悲かなかなしんしんしんでででももも猶なほ猶なほなおあまりあまりあまりありありあり。。。さればさればされば世よ世よよにににははは良りやう良りやうりょう臣しん臣しんしんををを失うしな失うしなうしなへへえるるることことことををを歎なげ歎なげなげききき、、、家いへ家いへいえにににははは武ぶ武ぶぶ畧りやく畧りやくりやくのののすたれすたれすたれぬるぬるぬる事こと事ことことををを悲かな悲かなかなしむしむしむ。。。およそおよそおよそはははこのこのこの大おと大おとおと臣ど臣どど、、、文ぶん文ぶんぶん章しやう章しやうしょううるはしううるはしううるわしゅうしてしてして、、、心こころ心こころこころににに忠ちゆう忠ちゆうちゅうををを致いた致いたいたししし、、、才さい才さいさい藝げい藝げいげいすぐれすぐれすぐれててて、、、言こと言ことこと葉ば葉ばばににに德とく德とくとくををを兼か兼かかねねね給たま給たまたまへへえりりり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

同じ年の夏ごろ、小松の大臣(重盛)はこうしたことどもにつけて、何かと心細く思われたのであろうか、そのころ熊野に参詣することがあった。本宮の証誠殿の御前で静かに経を読み上げて、夜通し申し上げられたことには、

「父の入道相国の様子を見ると、悪逆無道で、ややもすれば君を悩まし申し上げる。重盛は長子としてしきりに諫めているが、わが身が至らないので、父はまったく聞き入れない。そのふるまいを見ると、一代の栄華さえなお危うい。子孫が続いて、親の名を顕し名を揚げることは難しい。この時にあたって、重盛はひそかに思う。なまじ高位に列して世に浮き沈みすることは、決して良臣孝子の道ではない。名を逃れ、身を退いて、この世の名誉を投げ捨てて、来世の菩提を求めるにこしたことはない。

しかし凡夫で知恵が浅く、是非に迷うために、志を思うままに遂げられない。南無権現、金剛童子、願わくは、子孫の繁栄が絶えず、朝廷に仕え続けられるのならば、入道の悪心を和らげて、天下の安泰を得させてください。栄華が父一代に限って、子孫が恥を受けるのであれば、重盛の命を縮めて、来世の苦しみの輪廻からお救いください。この二つの願いは、ひとえに神仏のお助けを仰ぎます」と、心を砕いて祈念されると、灯籠の火のようなものが大臣の御身から出て、ぱっと消えるようにしてなくなった。大勢の人が見申し上げたが、恐れてこれを口にしなかった。

大臣が帰る途中、岩田川を渡られたとき、嫡子の権亮少将維盛以下の公達が、浄衣の下に薄色の衣を着て、夏のことなので何となく水遊びをされているうちに、浄衣が濡れて下の衣の色が移ったのが、まるで喪服の色のように見えたのを、筑後守貞能が見とがめて、「何やらあの御浄衣は、まことに不吉に見えます。急いでお召し替えになるのがよろしいのではありませんか」と申したので、

大臣は、「さてはわが願いはもう成就したのだ。決してその浄衣を改めてはならない」といって、岩田川から熊野へ、特に喜びの奉幣を立てられた。人々は不審に思ったが、大臣はやはりその心を明かされなかった。ところがこの公達は、まもなく本当の喪服をお召しになることになったのは不思議なことであった。

その後、大臣は帰京してからいくらも日数がたたないうちに病気になられた。権現がすでに願いを受け入れてくださったのだといって、療治もなさらない。まして祈祷もなさらなかった。

そのころ宋の国から優れた名医が渡って来て、日本に滞在していた。ちょうど入道相国は福原の別荘におられたが、越中前司盛俊を使者として小松殿へおっしゃるには、「ご病気がいよいよ重いと聞いている。ちょうど宋から優れた名医が渡って来ている。折よいことと喜んでいる。そこでその者を招いて治療を受けなさい」とおっしゃったので、大臣は助け起こされて、盛俊を御前に召して対面された。

「まず治療のこと、謹んで承りましたと申し上げよ。ただしお前もよく聞け。延喜の帝(醍醐天皇)は、あれほどの賢王でいらっしゃったが、異国の人相見を都の中へ入れられたことは、後の世まで賢王のお誤り、日本の恥と思われている。まして重盛ほどの凡人が、異国の医師を都へ入れることは、まさしく国の恥ではないか。

漢の高祖は三尺の剣を提げて天下を治めたが、淮南の黥布を討ったとき、流れ矢に当たって傷を負った。后の呂太后が良医を迎えて診させると、医師は「この傷は治せます。ただし五十斤の金をくだされば治しましょう」と言った。高祖が言うには、「わしの運が強かった間は、多くの戦に出て傷を受けても痛みはなかった。運はもう尽きたのだ。命は天にある。扁鵲のような名医であっても何の益があろう」。それではまた金を惜しんでいるようだといって、五十斤の金を医師に与えながら、ついに治療させなかった。その先人の言葉は耳に残っており、今こそ深く納得する。

重盛はかりそめにも九卿に列し、大臣の位に昇った。その運命をはかると、天の心にある。どうして天の心を察せずに、愚かに医療を求めて騒ごうか。病がもし定業であるなら、医療を加えても益はないだろう。また定業でないなら、治療を加えなくても助かるはずである。あの耆婆の医術も及ばず、釈迦は跋提河のほとりで入滅された。これは定業の病は癒せないことを示すためである。治す者が仏であり、療治する者が耆婆であった。定業がもし医療で左右されるものなら、どうして釈尊が入滅されようか。定業はやはり治せないことは明らかである。それゆえ重盛の身は仏ではなく、名医もまた耆婆には及ばない。たとえ四部の医書に通じて多くの療法に長じていても、どうしてはかない汚れた身を救えようか。たとえまた五経の説に詳しくて多くの病を癒すとしても、どうして前世の業による病を治せようか。もしその医術によって命を長らえたら、日本には医道がないかのようである。医術の効き目がないなら、会っても意味がない。とりわけ日本の大臣の身で、異国から来た旅の客に会うことは、一つには国の恥、一つには道の衰えである。たとえ重盛の命は滅びても、どうして国の恥を思う心を持たないでいられようか。このことを申し上げよ」とおっしゃった。

盛俊は泣く泣く福原へ馳せ下ってこのことを申し上げると、入道相国は、「国の恥を思う大臣は、昔にもまだ聞いたことがない。まして末の世にあろうとも思われない。日本には過ぎた大臣であるから、どうあっても今度は亡くなられるだろう」といって、急いで都へ上られた。

七月二十八日、小松殿は出家なさった。法名は浄蓮とおつけになった。やがて八月一日、臨終正念のうちにお亡くなりになった。御年四十三。まさに働き盛りと見えたのに、哀れなことであった。入道相国があれほど無理を通されたときにも、この人がおられて、いろいろになだめておっしゃったからこそ、世は今日まで穏やかであったのだ。これから先、天下にどんなことが起こるだろうかと、上下の者はみな嘆き合った。また前右大将宗盛卿の方の人々は、世の中はこれから大将殿のものになるといって、勇み喜び合われた。

人の親が子を思う情けは並ひととおりではなく、たとえ愚かな子でも先立たれるのは悲しいものである。ましてこれは一門の棟梁、当代の賢人でいらっしゃったので、恩愛の別れといい、家の衰えといい、いくら悲しんでも足りない。それゆえ世間では良臣を失ったことを嘆き、一門では武の支えが失われたことを悲しんだ。そもそもこの大臣は、文章が立派で、心から忠節を尽くし、才芸に優れ、言葉には徳を兼ね備えておられた。

意訳

重盛の死を描く章段である。重盛は熊野権現に、父清盛の悪心が改まらないなら、自分の命を縮めてほしいと祈る。浄衣が濡れて喪服の色に見えたのを、願いが聞き届けられたしるしと喜ぶ姿には、悲壮な覚悟がにじむ。

後半の宋の名医をめぐる問答では、重盛は漢の高祖や釈迦の入滅の例を引き、定業の病は医術では治せないこと、また異国の医師に大臣が診てもらうのは国の恥であることを理路整然と説いて、治療を拒む。清盛でさえ「日本に相應せぬ大臣」と嘆くほどの人物であった。重盛の死によって清盛を抑える者はいなくなり、物語はここから平家の没落へと大きく傾いていく。

語釈・文法注

文法

「苟うも」
「いやしくも」の音便。ここでは、ひそかに、思い切って、の意。
「如かじ…求めんに」
…するにこしたことはあるまい、の意。
「後昆」
子孫、後世の人。
「相人」
人相見。延喜の帝が高麗の相人を都に入れたことは『大鏡』などに見える。
「定業」
前世の業によって定まっている報い、また寿命。「非業」はその反対。
「耆婆」
釈迦の時代のインドの名医。
「有待の穢身」
衣食などに頼らなければ保てない、けがれた人間の身。
「鼎臣」
国家を支える重臣、大臣。
「日本に相應せぬ大臣」
日本には過ぎた(もったいない)大臣、の意。

解説

平重盛(1138〜1179)は清盛の嫡男で、内大臣・左近衛大将に至った。治承三年(1179)七月に出家し、八月一日(一説に閏七月二十九日)に没した。『平家物語』は重盛を、父を諫める忠孝の人として理想化して描いており、その死は平家の運命の転機として位置づけられている。重盛の死後、清盛は同年十一月に後白河法皇を幽閉するクーデターを起こす(「法皇御遷幸の事」)。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、388–391頁(コマ222–224)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日