平家物語 巻第三
飆風の事
治承三年五月十二日の昼ごろ、京中につむじ風が激しく吹き、中御門京極から南西へ吹き抜けて、家々を倒し、門や柱を空へ巻き上げ、多くの人や牛馬が死んだ。神祇官と陰陽寮が占うと、百日のうちに重臣の慎み、天下の大事、仏法・王法の衰え、戦乱が続くと出た。
場面イラスト(準備中)
- 1さるさるさる程程ほどににに同同おなじきじきじき五五ご月月がつ十十じゅう二二に日日にちののの午午うまののの刻刻こく許許ばかりりり、、、京京きょう中中じゅうににに飆飆つじ風風かぜおびたゞしうおびたゞしうおびただしゅう吹吹ふいいいててて、、、人人じん屋屋おく多多おおくくく轉轉てん倒倒どうすすす。。。風風かぜははは中中なかののの御御み門門かど京京きょう極極ごくよりよりより起起おこつつっててて、、、坤坤ひつじさるののの方方かたへへへ吹吹ふいいいてててゆくゆくゆくににに、、、棟棟むね門門かど、、、平平ひら門門かど吹吹ふきききぬいぬいぬいててて、、、四四し五五ご町町ちょう十十じっ町町ちょうばかりばかりばかり吹吹ふきききもてもてもてゆきゆきゆき、、、桁桁けた、、、長長なげ押押し、、、柱柱はしらなどなどなどははは虛虛こ空空くうににに散散さん在在ざいししし、、、檜檜ひ皮皮はだ葺葺ぶき、、、板板いたののの類類たぐいははは、、、冬冬ふゆののの木木こののの葉葉はののの風風かぜににに亂亂みだるゝるゝるるががが如如ごとししし。。。
- 2夥夥おびただしうしうしゅう鳴鳴なりりりどよむどよむどよむ音音おとははは、、、かのかのかの地地じ獄獄ごくののの業業ごう風風ふうなりなりなりともともとも、、、これこれこれにににははは過過すぎぎぎじじじとととぞぞぞ見見みえええししし。。。たゞたゞただ舎舎しゃ屋屋おくののの破破は損損そんするするするのみのみのみならならならずずず、、、命命いのちををを失失うしなふふう者者ものももも多多おおししし。。。牛牛ぎゅう馬馬ばののの類類たぐい、、、數數かずををを知知しらららずずずうちうちうち殺殺ころさささるるる。。。
- 3これこれこれたゞたゞただごとごとごとにににあらあらあらずずず、、、御御み卜卜うらあるあるあるべしべしべしとてとてとて、、、神神じん祇祇ぎ官官かんにににしてしてして御御み卜卜うらありありあり。。。「「「今今いま百百ひゃく日日にちののの中中うちににに祿祿ろくををを重重おもんんんずるずるずる大大おと臣臣どののの愼愼つつしみみみ、、、別別べつしてしてして天天てん下下かののの大大だい事事じ、、、佛佛ぶつ法法ぽう、、、王王おう法法ぼう共共ともににに傾傾かたぶききき、、、竝竝ならびににに兵兵ひょう革革かく相相そう續續ぞくすすすべしべしべし。。。」」」とととぞぞぞ、、、神神じん祇祇ぎ官官かん、、、陰陰おん陽陽よう寮寮りょう共共ともににに占占うらなひひい奉奉たてまつるるる。。。
現代語訳
そうするうちに、同じ年の五月十二日の正午ごろ、京中につむじ風が激しく吹いて、人家が多く倒れた。風は中御門京極から起こって、南西の方へ吹いていくと、棟門や平門を吹き抜いて、四、五町から十町ほども吹き飛ばしていき、桁・長押・柱などは空に散らばり、檜皮葺の屋根や板のたぐいは、冬の木の葉が風に乱れるようである。
ものすごく鳴りとどろく音は、あの地獄の業風であっても、これ以上ではあるまいと思われた。ただ家屋が壊れただけでなく、命を落とす者も多い。牛馬のたぐいも、数知れず打ち殺された。これはただごとではない、占いをすべきだということで、神祇官で占いが行われた。
「今から百日のうちに、禄を重んじる大臣の慎み、とりわけ天下の大事があり、仏法・王法ともに傾き、さらに戦乱が相次ぐであろう」と、神祇官・陰陽寮ともに占い申し上げた。
意訳
短い章段であるが、治承三年(1179)の京の辻風は『方丈記』にも記された実際の災害である。物語はこれを、重盛の死、清盛のクーデター(治承三年の政変)、そして源平の争乱へと続く凶事の前兆として位置づけている。「祿を重んずる大臣の愼み」は、次の「医師問答」で語られる重盛の死を予告するものである。
語釈・文法注
文法
- 「業風」
- 地獄で罪人を吹きさいなむという激しい風。
- 「坤の方」
- 南西の方角。
- 「兵革相續すべし」
- 戦乱が相次いで起こるであろう、の意。
解説
鴨長明の『方丈記』は、この辻風を「治承四年卯月のころ」のこととし、「中御門京極のほどより、大きなる辻風起こりて、六条わたりまで吹けること侍りき」と記す。年月に違いはあるが、同じ災害を伝えたものと考えられている。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、387頁(コマ222)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日