古典ライブラリー

平家物語 巻第三

有王が島下りの事

俊寛が幼いころから召し使っていた童の有王は、主人を尋ねて単身鬼界が島へ渡る。やせ衰えた俊寛とようやく再会し、妻と幼い子の死を伝え、娘の手紙を渡した。俊寛は食を断ち、有王が来て二十三日目に三十七歳で没した。有王は遺骨を高野山に納めて出家し、娘も十二歳で尼になった。

  1. 1さるさるさる程ほど程ほどほどににに鬼き鬼きき界かい界かいかいががが島しま島しましまののの流る流るる人にん人にんにんどもどもども、、、二ふた二ふたふた人り人りりははは召め召めめししし還かへ還かへかえささされれれててて都みやこ都みやこみやこへへへ上のぼ上のぼのぼりりりぬぬぬ。。。今いま今いまいま一ひと一ひとひと人り人りり殘のこ殘のこのこささされれれててて、、、うかりうかりうかりししし島しま島しましまののの島しま島しましま守もり守もりもりとととなりなりなりにににけるけるけるこそこそこそうたてけれうたてけれうたてけれ。。。僧そう僧そうそう都づ都づずののの幼をさな幼をさなおさのうううよりよりより不ふ不ふふ便びん便びんびんにににしてしてして召め召めめししし使つか使つかつかははわれれれけるけるける童わらは童わらはわらわありありあり。。。名な名ななをををばばば有あり有ありあり王わう王わうおうとととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。
  2. 2鬼き鬼きき界かい界かいかいががが島しま島しましまののの流る流るる人にん人にんにんどもどもども、、、今日けふ今日けふきょう既すで既すですでににに都みやこ都みやこみやこへへへ入い入いいるるるととと聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、有あり有ありあり王わう王わうおう鳥と鳥とと羽ば羽ばばまでまでまで行ゆ行ゆゆききき向むか向むかむかつつっててて見み見みみけれけれけれどもどもども、、、わがわがわが主しゆう主しゆうしゅうははは見み見みみえええ給たま給たまたまははわずずず。。。「「「いかにいかにいかに。。。」」」ととと問と問ととへへへばばば、、、「「「それそれそれはははなほなほなお罪つみ罪つみつみ深ふか深ふかふかしししとてとてとて、、、一ひと一ひとひと人り人りり島しま島しましまににに殘のこ殘のこのこささされれれぬぬぬ。。。」」」ととと聞き聞ききいいいててて、、、心こころ心こころこころ憂う憂ううしししなどなどなどもももおろかおろかおろかなりなりなり。。。
  3. 3常つね常つねつねははは六ろく六ろくろく波は波はは羅ら羅らら邊へん邊へんへんにににたゝずみたゝずみたたずみててて聞き聞きききききけれけれけれどもどもども、、、いついついつ赦しや赦しやしや免めん免めんめんあるあるあるべしべしべしともともとも聞き聞ききききき出いだ出いだいださささざりざりざりけれけれければばば、、、僧そう僧そうそう都づ都づずののの御おん御おんおん女むすめ女むすめむすめののの忍しの忍しのしのうううでででおはしおはしおわしけるけるける所ところ所ところところへへへははは參まゐ參まゐまいりりりててて、、、「「「このこのこの瀨せ瀨せせにににももも洩も洩ももれれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、御おん御おんおん上のぼ上のぼのぼりりりももも候さふら候さふらそうらははわずずず。。。今いま今いまいまはははいかにいかにいかにもももしてしてしてかのかのかの島しま島しましまへへへ渡わた渡わたわたつつっててて、、、御おん御おんおん行ゆく行ゆくゆく方へ方へへをををももも尋たづ尋たづたずねねね參まゐ參まゐまいらせらせらせばやばやばやととと存ぞん存ぞんぞんじじじ候さふらふ候さふらふそうろう。。。御おん御おんおん文ふみ文ふみふみ賜たま賜たまたまはつはつわっててて參まゐ參まゐまいりりり候さふら候さふらそうらははわんんん。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、姫ひめ姫ひめひめ御ご御ごご前ぜん前ぜんぜん斜なのめ斜なのめなのめならならならずずずににに喜よろこ喜よろこよろこびびび、、、やがてやがてやがて書か書かかいいいてててぞぞぞたうでたうでとうでけるけるける。。。
  4. 4暇いとま暇いとまいとまををを乞こ乞ここふふうともともともよもよもよも許ゆる許ゆるゆるさささじじじとてとてとて、、、父ちゝ父ちゝちちにににももも母はゝ母はゝははにににももも知し知ししらせらせらせずずず、、、唐もろこし唐もろこしもろこし船ぶね船ぶねぶねののの纜ともづな纜ともづなともづなははは、、、四う四うう月づき月づきづき五さ五ささ月つき月つきつきににに解と解ととくくくなれなれなればばば、、、夏なつ夏なつなつ衣ごろも衣ごろもごろもたつたつたつををを遲おそ遲おそおそくくくややや思おも思おもおもひひいけんけんけん、、、三や三やや月よひ月よひよいののの末すゑ末すゑすえににに都みやこ都みやこみやこををを立た立たたつつっててて、、、多おほ多おほおおくくくののの波なみ波なみなみ路ぢ路ぢじををを凌しの凌しのしのぎぎぎつゝつゝつつ、、、薩さつ薩さつさつ摩ま摩まま潟がた潟がたがたへへへぞぞぞ下くだ下くだくだりりりけるけるける。。。薩さつ薩さつさつ摩ま摩ままよりよりよりかのかのかの島しま島しましまへへへ渡わた渡わたわたるるる船ふな船ふなふな津つ津つつにににててて、、、有あり有ありあり王わう王わうおうををを人ひと人ひとひとあやしめあやしめあやしめ、、、著き著ききたるたるたる物もの物ものものををを剝は剝ははぎぎぎ取と取ととりりりなどなどなどしししけれけれけれどもどもども、、、少すこ少すこすこしししももも後こう後こうこう悔くわい悔くわいかいせせせずずず。。。姫ひめ姫ひめひめ御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんののの御おん御おんおん文ふみ文ふみふみばかりばかりばかりぞぞぞ、、、人ひと人ひとひとににに見み見みみせせせじじじととと、、、髻もと髻もともと結ゆひ結ゆひゆいののの中なか中なかなかにににははは隱かく隱かくかくしししけるけるける。。。
  5. 5さてさてさて商あき商あきあき人んど人んどんど船ぶね船ぶねぶねににに乘の乘ののつつっててて件くだん件くだんくだんののの島しま島しましまへへへ渡わた渡わたわたつつっててて見み見みみるるるににに、、、都みやこ都みやこみやこにににてててかすかかすかかすかににに傳つた傳つたつたへへえ聞き聞きききききしししははは事こと事ことことののの數かず數かずかずならならならずずず、、、田た田たたもももなしなしなし、、、畑はたけ畑はたけはたけもももなしなしなし、、、里さと里さとさともももなしなしなし、、、村むら村むらむらもももなしなしなし。。。おのづからおのづからおのずから人ひと人ひとひとはははあれあれあれどもどもども、、、いふいふいうことばことばことばをををももも聞き聞ききききき知し知ししらららずずず。。。有あり有ありあり王わう王わうおう島しま島しましまののの者もの者ものものににに行ゆ行ゆゆききき向むか向むかむかつつっててて、、、「「「ものものもの申まう申まうもうさささううう。。。」」」ととといへいへいえばばば、、、「「「何なに何なになに事ごと事ごとごと。。。」」」ととと答こた答こたこたふふう。。。「「「これこれこれににに都みやこ都みやこみやこよりよりより流なが流ながながささされれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいたるたるたる、、、法ほつ法ほつほっ勝しよう勝しようしょう寺じ寺じじののの執しゆ執しゆしゅ行ぎやう行ぎやうぎょう俊しゆん俊しゆんしゅん寛くわん寛くわんかん僧そう僧そうそう都づ都づずととと申まう申まうもうすすす人ひと人ひとひとののの行ゆく行ゆくゆく末すゑ末すゑすえややや知し知ししりりりたるたるたる。。。」」」ととと問と問ととふふうににに、、、法ほつ法ほつほっ勝しよう勝しようしょう寺じ寺じじともともとも執しゆ執しゆしゅ行ぎやう行ぎやうぎょうともともとも知し知ししりりりたらたらたらばばばこそこそこそ返へん返へんへん事じ事じじはははせせせめめめ、、、唯たゞ唯たゞただ頭かしら頭かしらかしらををを振ふ振ふふつつっててて知し知ししらららぬぬぬととといふいふいう。。。
  6. 6そのそのその中なか中なかなかにににあるあるある者もの者ものものががが心こころ心こころこころ得え得ええててて、、、「「「いさとよいさとよいさとよ、、、左さ左ささ樣やう樣やうようののの人ひと人ひとひとははは三さん三さんさん人にん人にんにんこれこれこれにににありありありしししががが、、、二に二にに人にん人にんにんははは召め召めめししし還かへ還かへかえささされれれててて都みやこ都みやこみやこへへへ上のぼ上のぼのぼりりりぬぬぬ。。。今いま今いまいま一いち一いちいち人にん人にんにん殘のこ殘のこのこささされれれててて、、、あそこゝあそこゝあそここよよよととと迷まよ迷まよまよひひいありきありきありきしししががが、、、そのそのその後のち後のちのちはははゆくへゆくへゆくえももも知し知ししらららずずず。。。」」」とととぞぞぞいひいひいいけるけるける。。。
  7. 7山やま山やまやまののの方かた方かたかたののの覺おぼ覺おぼおぼ束つか束つかつかなさなさなさににに、、、遙はる遙はるはるかかかににに分わ分わわけけけ入い入いいりりり、、、峯みね峯みねみねににに攀よ攀よよぢぢじ谷たに谷たにたにににに下くだ下くだくだれれれどもどもども、、、白はく白はくはく雲うん雲うんうん跡あと跡あとあとををを埋うづ埋うづうずんんんででで、、、往ゆき往ゆきゆき來き來ききののの道みち道みちみちもももさだかさだかさだかならならならずずず。。。晴せい晴せいせい嵐らん嵐らんらん夢ゆめ夢ゆめゆめををを破やぶ破やぶやぶつつってててははは、、、そのそのその面おも面おもおも影かげ影かげかげももも見み見みみえええざりざりざりけりけりけり。。。山やま山やまやまにににてててははは遂つひ遂つひついににに尋たづ尋たづたずねねねもももあはあはあわずずず、、、海うみ海うみうみのののほとりほとりほとりににについついついててて尋たづ尋たづたずぬるぬるぬるににに、、、沙さ沙ささ頭とう頭とうとうににに印いん印いんいんををを刻きざ刻きざきざむむむ鷗かもめ鷗かもめかもめ、、、沖おき沖おきおきののの白しら白しらしら洲す洲すすにににすだくすだくすだく濱はま濱はまはま千ち千ちち鳥どり鳥どりどりののの外ほか外ほかほかははは、、、跡あと跡あとあと問と問ととふふう者もの者ものものもももなかりなかりなかりけりけりけり。。。
  8. 8あるあるある朝あした朝あしたあした磯いそ磯いそいそののの方かた方かたかたよりよりより、、、蜻かげ蜻かげかげ蛉ろふ蛉ろふろうなんどなんどなんどののの如ごと如ごとごとくくくににに痩や痩ややせせせ衰おとろ衰おとろおとろへへえたるたるたる者もの者ものもの、、、よろぼひよろぼひよろぼい出い出いいででで來き來ききたりたりたり。。。元もと元もともとははは法ほふ法ほふほっ師し師ししにににてててありありありけりけりけりととと覺おぼ覺おぼおぼえええててて、、、髪かみ髪かみかみはははそらそらそらざまざまざまににに生お生おおひひい上あが上あがあがりりり、、、よろづよろづよろずののの藻も藻もも屑くづ屑くづくず取と取ととりりりつけつけつけててて、、、荆おど荆おどおど棘ろ棘ろろををを戴いたゞ戴いたゞいただいいいたるたるたるががが如ごと如ごとごとししし。。。繼つ繼つつぎぎぎ目め目めめあらはれあらはれあらわれててて皮かは皮かはかはゆたひゆたひゆたい、、、身み身みみににに著き著ききたるたるたるものものものははは、、、絹きぬ絹きぬきぬ、、、布ぬの布ぬのぬののののわきわきわきももも見み見みみえええずずず。。。
  9. 9片かた片かたかた手て手ててにににははは荒海布あらめ荒海布あらめあらめををを持も持ももちちち、、、片かた片かたかた手て手ててにににははは魚うを魚うをうおをををもらうもらうもろうててて持も持ももちちち、、、歩あゆ歩あゆあゆむむむやうやうようにににはははしししけれけれけれどもどもども、、、はかはかはかももも行ゆ行ゆゆかかかずずず、、、よろ〳〵よろ〳〵よろよろとととしてしてしてぞぞぞ出い出いいででできききたるたるたる。。。都みやこ都みやこみやこにににててて多おほ多おほおおくくくののの乞こつ乞こつこっ丐がい丐がいがい人びと人びとびとははは見み見みみしかしかしかどもどもども、、、かゝるかゝるかかる者もの者ものものははは未いま未いまいまだだだ見み見みみずずず。。。「「「諸しよ諸しよしょ阿あ阿ああ修しゆ修しゆしゅ羅ら羅らら等とう等とうとう故こ故ここ在ざい在ざいざい大だい大だいだい海かい海かいかい邊へん邊へんへん」」」とてとてとて、、、修しゆ修しゆしゅ羅ら羅ららののの三さん三さんさん惡あく惡あくあく四し四しし趣しゆ趣しゆしゅははは深しん深しんしん山ざん山ざんざん、、、大だい大だいだい海かい海かいかいのののほとりほとりほとりにににありありありととと、、、佛ほとけ佛ほとけほとけののの說と說ととききき置お置おおききき給たま給たまたまひひいたれたれたればばば、、、知し知ししらららずずず、、、われわれわれ餓が餓がが鬼き鬼きき道だう道だうどうなどなどなどへへへ迷まよ迷まよまよひひい來き來ききたるたるたるかかかとととぞぞぞ覺おぼ覺おぼおぼえええたるたるたる。。。
  10. 10はやはやはやかれかれかれもももこれこれこれももも次し次しし第だい第だいだいににに歩あゆ歩あゆあゆみみみ近ちか近ちかちかづくづくづく。。。もしもしもしかやうかやうかようののの者もの者ものものにににてててももも、、、わがわがわが主しゆう主しゆうしゅうののの御おん御おんおんゆくへゆくへゆくえややや知し知ししつつったるたるたるととと、、、「「「ものものもの申まう申まうもうさささううう。。。」」」ととといへいへいえばばば、、、「「「何なに何なになに事ごと事ごとごと。。。」」」ととと答こた答こたこたふふう。。。「「「これこれこれににに都みやこ都みやこみやこよりよりより流なが流ながながささされれれ給たま給たまたまひひいたりたりたりししし、、、法ほつ法ほつほっ勝しよう勝しようしょう寺じ寺じじののの執しゆ執しゆしゅ行ぎやう行ぎやうぎょう俊しゆん俊しゆんしゅん寛くわん寛くわんかん僧そう僧そうそう都づ都づずととと申まう申まうもうすすす人ひと人ひとひとやややましますましますまします。。。」」」ととと問と問ととふふうににに、、、わらはわらはわらわこそこそこそ見み見みみ忘わす忘わすわすれれれたれたれたれどもどもども、、、僧そう僧そうそう都づ都づずはははいかでいかでいかでかかか忘わす忘わすわすれれれ給たま給たまたまふふうべきべきべきなれなれなればばば、、、
  11. 11「「「これこれこれこそこそこそそれそれそれよよよ。。。」」」とととのたまひのたまひのたまいもももあへあへあえずずず、、、手て手ててににに持も持ももてててるるる物もの物ものものををを投な投ななげげげ棄す棄すすてててててて、、、沙すなご沙すなごすなごののの上うへ上うへうえにににぞぞぞ倒たふ倒たふたおれれれ伏ふ伏ふふすすす。。。さてさてさてこそこそこそわがわがわが主しゆう主しゆうしゅうののの御おん御おんおんゆくへゆくへゆくえとととははは知し知ししりりりてててけれけれけれ。。。
  12. 12僧そう僧そうそう都づ都づずやがてやがてやがて消き消ききえええ入い入いいりりり給たま給たまたまふふうををを、、、有あり有ありあり王わう王わうおう膝ひざ膝ひざひざののの上うへ上うへうえにににかきかきかき乘の乘ののせせせ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、「「「多おほ多おほおおくくくののの波なみ波なみなみ路ぢ路ぢじををを凌しの凌しのしのぎぎぎつゝつゝつつ、、、はるばるはるばるはるばるとととこれこれこれまでまでまで尋たづ尋たづたずねねねまゐりまゐりまいりたるたるたるかひかひかいもももなくなくなく、、、いかにいかにいかにやがてやがてやがて憂う憂ううききき目め目めめをををばばば見み見みみせせせんんんとととはははせせせさせさせさせ給たま給たまたまひひい候さふらふ候さふらふそうろうぞぞぞ。。。」」」ととと、、、さめ〴〵さめ〴〵さめざめとととかきかきかきくどきくどきくどきけれけれければばば、、、僧そう僧そうそう都づ都づず少すこ少すこすこししし人ひと人ひとひとごゝちごゝちごこち出い出いいででで來き來きき、、、助たす助たすたすけけけ起おこ起おこおこささされれれ、、、
  13. 13「「「まことまことまことににに汝なんぢ汝なんぢなんじ、、、多おほ多おほおおくくくののの波なみ波なみなみ路ぢ路ぢじををを凌しの凌しのしのぎぎぎつゝつゝつつ、、、はる〴〵はる〴〵はるばるとととこれこれこれまでまでまで參まゐ參まゐまいりりりたるたるたるこそこそこそ神しん神しんしん妙べう妙べうびょうなれなれなれ。。。たゞたゞただあけあけあけてててももも暮く暮くくれれれてててももも、、、都みやこ都みやこみやこののの事こと事ことことをををのみのみのみ思おも思おもおもひひいゐゐいたれたれたればばば、、、こひしきこひしきこいしき者もの者ものものどもどもどもののの面おも面おもおも影かげ影かげかげををを、、、夢ゆめ夢ゆめゆめににに見み見みみるるる折をり折をりおりもももありありあり、、、またまたまたまぼろしまぼろしまぼろしににに立た立たたつつつ時とき時ときときもももありありあり。。。身み身みみもももいたういたういとう疲つか疲つかつかれれれ弱よわ弱よわよわつつっててて後のち後のちのちははは、、、夢ゆめ夢ゆめゆめもももうつゝうつゝうつつももも思おも思おもおもひひいわかわかわかずずず。。。今いま今いまいま汝なんぢ汝なんぢなんじががが來きた來きたきたれれれるるるをををももも、、、たゞたゞただ夢ゆめ夢ゆめゆめとととのみのみのみこそこそこそ覺おぼ覺おぼおぼゆれゆれゆれ。。。もしもしもしこのこのこの事こと事ことことののの夢ゆめ夢ゆめゆめなりなりなりせせせばばば、、、覺さ覺ささめめめてててののの後のち後のちのちはははいかがいかがいかがせせせんんん。。。」」」
  14. 14有あり有ありあり王わう王わうおう、、、「「「こはこはこわうつゝうつゝうつつにににててて候さふらふ候さふらふそうろうなりなりなり。。。さてさてさてもももこのこのこの御おん御おんおん有あり有ありあり樣さま樣さまさまにににててて、、、今いま今いまいままでまでまで御おん御おんおん命いのち命いのちいのちののの延の延ののびびびさせさせさせ給たま給たまたまひひいたるたるたるこそこそこそ、、、不ふ不ふふ思し思しし議ぎ議ぎぎにににははは覺おぼ覺おぼおぼえええ候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、
  15. 15「「「いさとよいさとよいさとよ、、、これこれこれははは去こ去ここ年ぞ年ぞぞ、、、少せう少せうしょう將しやう將しやうしょうややや判はん判はんはん官ぐわん官ぐわんがん入にふ入にふにゅう道だう道だうどうががが迎むか迎むかむかひひいののの時とき時ときとき、、、そのそのその瀨せ瀨せせににに身み身みみをををももも投な投ななぐぐぐべかりべかりべかりしししををを、、、よしなきよしなきよしなき少せう少せうしょう將しやう將しやうしょうののの、、、『『『いまいまいま一ひと一ひとひと度たび度たびたび、、、都みやこ都みやこみやこのののおとづれおとづれおとずれをををももも待ま待ままてててかしかしかし。。。』』』などなどなど慰なぐさ慰なぐさなぐさめめめ置お置おおきききしししををを、、、おろかおろかおろかにににもももしやしやしやととと賴たの賴たのたのみみみつゝつゝつつ、、、ながらへながらへながらへんんんとととはははせせせしかしかしかどもどもども、、、このこのこの島しま島しましまにににははは、、、人ひと人ひとひとののの食くひ食くひくい物もの物ものものももも絶た絶たたえええてててなきなきなき所ところ所ところところなれなれなればばば、、、身み身みみににに力ちから力ちからちからのののありありありししし程ほど程ほどほどははは、、、山やま山やまやまににに登のぼ登のぼのぼつつっててて硫い硫いい黄わう黄わうおうととといふいふいうものものものををを取と取ととりりり、、、九く九くく國こく國こくこくよりよりより通かよ通かよかよふふう商あき商あきあき人んど人んどんどにににあひあひあい、、、食くひ食くひくい物もの物ものものにににかへかへかへなどなどなどせせせしかしかしかどもどもども、、、日ひ日ひひにににそひそひそいててて弱よわ弱よわよわりりり行ゆ行ゆゆけけけばばば、、、今いま今いまいまはははさやうさやうさようのののわざわざわざもももせせせずずず。。。
  16. 16かやうかやうかようににに日ひ日ひひののののどかのどかのどかなるなるなる時とき時ときときははは、、、磯いそ磯いそいそににに出い出いいでででててて、、、網あみ網あみあみ人うど人うどうど釣つり釣つりつり人うど人うどうどににに手て手ててをををすりすりすり、、、膝ひざ膝ひざひざをををかゞめかゞめかがめててて魚うを魚うをうおをををもらひもらひもらい、、、汐しほ汐しほしお干ひ干ひひののの時とき時ときときははは貝かひ貝かひかいをををひろひひろひひろい、、、荒海布あらめ荒海布あらめあらめををを取と取ととりりり、、、磯いそ磯いそいそののの苔こけ苔こけこけににに露つゆ露つゆつゆののの命いのち命いのちいのちをををかけかけかけてててこそこそこそ、、、憂う憂ううきききながらながらながら今日けふ今日けふきょうまでまでまではははながらへながらへながらへたれたれたれ。。。さらさらさらでででははは憂う憂ううききき世よ世よよををを渡わた渡わたわたるるるよすがよすがよすがをををばばば、、、いかにいかにいかにしししつつつらんらんらんかかかととと思おも思おもおもふふうらんらんらん。。。」」」
  17. 17僧そう僧そうそう都づ都づず、、、「「「これこれこれにににててて何なに何なになに事ごと事ごとごとをををもももいはいはいわばやばやばやとととははは思おも思おもおもへへえどもどもども、、、いざいざいざわがわがわが家や家ややへへへ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、有あり有ありあり王わう王わうおう、、、あのあのあの御おん御おんおん有あり有ありあり樣さま樣さまさまにににてててももも、、、家いへ家いへいえををを持も持ももちちち給たま給たまたまへへえるるる不ふ不ふふ思し思しし議ぎ議ぎぎさささよよよととと思おも思おもおもひひい、、、僧そう僧そうそう都づ都づずををを肩かた肩かたかたににに引ひ引ひひきききかけかけかけ參まゐ參まゐまいらせらせらせ、、、教をし教をしをしへへへににに從したが從したがしたがつつっててて行ゆ行ゆゆくくく程ほど程ほどほどににに、、、松まつ松まつまつののの一ひと一ひとひとむらむらむらあるあるある中なか中なかなかににに、、、よりよりより竹たけ竹たけたけををを柱はしら柱はしらはしらとととししし、、、蘆あし蘆あしあしをををゆひゆひゆい桁けた桁けたけた梁はり梁はりはりににに渡わた渡わたわたししし、、、上うへ上うへうえにににももも下した下したしたにににももも、、、松まつ松まつまつののの葉は葉ははをををひしひしひしととと取と取ととりりりかけかけかけたれたれたればばば、、、雨あめ雨あめあめ風かぜ風かぜかぜたまるたまるたまるべうべうびょうももも見み見みみえええずずず。。。
  18. 18有あり有ありあり王わう王わうおう、、、「「「あなあなあな淺あさ淺あさあさましましまし。。。もともともとははは法ほつ法ほつほっ勝しよう勝しようしょう寺じ寺じじののの寺じ寺じじ務む務むむ職しき職しきしきにににててて、、、八はち八はちはち十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ個か個かか所しよ所しよしょののの莊しやう莊しやうしょう務む務むむををを司つかさど司つかさどつかさどりりり給たま給たまたまひひいしかしかしかばばば、、、棟むね棟むねむね門かど門かどかど、、、平ひら平ひらひら門かど門かどかどののの内うち内うちうちににに、、、四し四しし五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく人にん人にんにんののの所しよ所しよしょ從じゆう從じゆうじゅう、、、眷けん眷けんけん屬ぞく屬ぞくぞくににに圍ゐ圍ゐい繞ねう繞ねうにょうせせせられられられててておはせおはせおわせししし人ひと人ひとひとののの、、、まのあたりまのあたりまのあたり斯か斯かかかるかるかる憂う憂ううききき目め目めめにににあはせあはせあわせ給たま給たまたまふふう事こと事ことことののの不ふ不ふふ思し思しし議ぎ議ぎぎさささよよよ。。。業ごふ業ごふごうにににさま〴〵さま〴〵さまざまありありあり、、、順じゆん順じゆんじゅん現げん現げんげん、、、順じゆん順じゆんじゅん生しやう生しやうしょう、、、順じゆん順じゆんじゅん後ご後ごご業ごふ業ごふごうととといへいへいえりりり。。。僧そう僧そうそう都づ都づず一いち一いちいち期ご期ごごががが間あひだ間あひだあいだ、、、身み身みみににに用もち用もちもちゐるゐるいる所ところ所ところところ、、、皆みな皆みなみな大だい大だいだい伽が伽がが藍らん藍らんらんののの寺じ寺じじ物もつ物もつもつ、、、佛ぶつ佛ぶつぶつ物もつ物もつもつならならならずずずととといふいふいうことことことなしなしなし。。。さればさればさればかのかのかの信しん信しんしん施ぜ施ぜぜ無む無むむ慙ざん慙ざんざんののの罪つみ罪つみつみににによつよつよっててて、、、今こん今こんこん生じやう生じやうじょうにににてててはやはやはや感かん感かんかんぜぜぜられられられけりけりけり。。。」」」とととぞぞぞ見み見みみえええたりたりたりけるけるける。。。
  19. 19僧そう僧そうそう都づ都づず、、、こはこはこわうつゝうつゝうつつにににてててありありありけりけりけりととと思おも思おもおもひひい定さだ定さださだめめめててて、、、「「「去こ去ここ年ぞ年ぞぞ少せう少せうしょう將しやう將しやうしょうややや判はん判はんはん官ぐわん官ぐわんがん入にふ入にふにゅう道だう道だうどう迎むか迎むかむかひひいののの時とき時ときときももも、、、これらこれらこれらががが文ふみ文ふみふみととといふいふいう事こと事ことこともももなしなしなし。。。今いま今いまいままたまたまた汝なんぢ汝なんぢなんじがががたよりたよりたよりにににもももかくかくかくともともともいはいはいわざりざりざりけりけりけりななな。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、有あり有ありあり王わう王わうおう涙なみだ涙なみだなみだにににむせびむせびむせび、、、うつうつうつ伏ぶ伏ぶぶしししててて、、、しばししばししばしははは御おん御おんおん返へん返へんへん事じ事じじにににももも及およ及およおよばばばずずず。。。
  20. 20やゝやゝややあつあつあっててて、、、起お起おおききき上あが上あがあがりりり涙なみだ涙なみだなみだをををおさへおさへおさえててて申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「君きみ君きみきみののの西にし西にしにし八はち八はちはち條でう條でうじょうへへへ出い出いいでででさせさせさせ給たま給たまたまひひいししし後のち後のちのち、、、官くわん官くわんかん人にん人にんにん參まゐ參まゐまいつつっててて資し資しし財ざい財ざいざい雜ざふ雜ざふぞう具ぐ具ぐぐををを追つゐ追つゐつい捕ぶ捕ぶぶししし、、、御み御みみ内うち内うちうちののの者もの者ものものどもどもども搦から搦からからめめめ取と取ととりりり、、、御ご御ごご謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんののの次し次しし第だい第だいだいををを尋たづ尋たづたずねねね問と問ととひひい、、、みなみなみな失うしな失うしなうしなひひいはてはてはて候さふら候さふらそうらひひいききき。。。北きた北きたきたののの方かた方かたかたははは幼をさな幼をさなおさなききき人ひと人ひとひとををを隱かく隱かくかくしししかねかねかね參まゐ參まゐまいらさらさらさせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、鞍くら鞍くらくら馬ま馬ままののの奧おく奧おくおくににに忍しの忍しのしのうううででで御おん御おんおん渡わた渡わたわたりりり候さふら候さふらそうらひひいしししにににももも、、、このこのこの童わらは童わらはわらわばかりばかりばかりこそこそこそ、、、時とき時ときとき々どき々どきどき參まゐ參まゐまいりりりててて御おん御おんおん宮みや宮みやみや仕づか仕づかづかへへえつかまつりつかまつりつかまつり候さふらふ候さふらふそうろうなれなれなれ。。。
  21. 21いづれいづれいずれももも御おん御おんおんなげきなげきなげきのののおろかおろかおろかなるなるなる方かた方かたかたははは候さふら候さふらそうらははわねねねどもどもども、、、中なか中なかなかにににももも幼をさな幼をさなおさなききき人ひと人ひとひとははは、、、あまりあまりあまりににに戀こ戀ここひひいまゐらさまゐらさまいらさせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、まゐりまゐりまいり候さふらふ候さふらふそうろう度たび度たびたび毎ごと毎ごとごとにににははは、、、『『『いかにいかにいかに有あり有ありあり王わう王わうおうよよよ、、、われわれわれををを鬼き鬼きき界かい界かいかいががが島しま島しましまとととかやかやかやへへへ具ぐ具ぐぐしししててて參まゐ參まゐまいれれれ。。。』』』とととのたまひのたまひのたまいててて、、、むづからむづからむずからせせせ給たま給たまたまひひいしししががが、、、過す過すすぎぎぎ候さふら候さふらそうらひひいししし二きさ二きさきさ月らぎ月らぎらぎににに、、、瘡もがさ瘡もがさもがさととと申まう申まうもうすすす事こと事ことことににに失う失ううせせせさせさせさせおはしましおはしましおわしまし候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬ。。。北きた北きたきたののの方かた方かたかたはははそのそのその御おん御おんおんなげきなげきなげきととと申まう申まうもうししし、、、またまたまたこれこれこれののの御おん御おんおん事こと事ことことととと申まう申まうもうししし、、、一ひと一ひとひと方かた方かたかたならならならぬぬぬ御おん御おんおんものものもの思おも思おもおもひひいにににおぼしめしおぼしめしおぼしめし沈しづ沈しづしずままませせせ給たま給たまたまひひいててて、、、うちうちうち伏ふ伏ふふさささせせせ給たま給たまたまひひいしししががが、、、さんぬるさんぬるさんぬる三さん三さんさん月ぐわつ月ぐわつがつ二ふつ二ふつふつ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、遂つひ遂つひついにににはかなくはかなくはかなくならならならせせせ給たま給たまたまひひいててて候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬ。。。今いま今いまいまははは姫ひめ姫ひめひめ御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんばかりばかりばかりこそこそこそ、、、奈な奈なな良ら良ららののの姨をば姨をばおば御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんののの御おん御おんおんもともともとににに忍しの忍しのしのうううでででおはしおはしおわしけれけれけれ。。。それそれそれよりよりより御おん御おんおん文ふみ文ふみふみ賜たま賜たまたまはつはつわっててて參まゐ參まゐまいつつっててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」とてとてとて、、、取と取ととりりり出い出いいでででててて奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。
  22. 22僧そう僧そうそう都づ都づずこれこれこれをををあけあけあけててて見み見みみ給たま給たまたまへへえばばば、、、有あり有ありあり王わう王わうおうががが申まう申まうもうすすすにににたがはたがはたがわずずず書か書かかかかかれれれたりたりたり。。。奧おく奧おくおくにににははは、、、「「「などなどなどややや三さん三さんさん人にん人にんにん流なが流ながながささされれれてててましますましますまします人ひと人ひとひとののの、、、二ふた二ふたふた人り人りりははは召め召めめししし還かへ還かへかえささされれれ候さふらふ候さふらふそうろうににに、、、何なに何なになにとてとてとて一ひと一ひとひと人り人りり殘のこ殘のこのこささされれれててて、、、今いま今いまいままでまでまで御おん御おんおん上のぼ上のぼのぼりりりももも候さふら候さふらそうらははわぬぬぬぞぞぞ。。。哀あは哀あはあわれれれ高たか高たかたかきききももも賤いや賤いやいやしきしきしきももも、、、女をんな女をんなおんなののの身み身みみ程ほど程ほどほど、、、いふいふいうかひかひかいなきなきなき事こと事ことことははは候さふら候さふらそうらははわずずず。。。男をとこ男をとこおとこののの身み身みみにににてててももも候さふら候さふらそうらははわばばば、、、渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまふふう島しま島しましまへへへももも、、、などなどなどかかか尋たづ尋たづたずねねね參まゐ參まゐまいらららででで候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき。。。このこのこの童わらは童わらはわらわををを御おん御おんおん供とも供ともともにににててて、、、急いそ急いそいそぎぎぎ上のぼ上のぼのぼらららせせせ給たま給たまたまへへえ。。。」」」とととぞぞぞ書か書かかかかかれれれたるたるたる。。。
  23. 23「「「これこれこれ見み見みみよよよ有あり有ありあり王わう王わうおうよよよ、、、このこのこの子こ子ここががが文ふみ文ふみふみののの書か書かかきききやうやうようのののはかなさはかなさはかなさよよよ。。。おのれおのれおのれををを供とも供ともともにににててて急いそ急いそいそぎぎぎ上のぼ上のぼのぼれれれととと書か書かかきききたるたるたる事こと事ことことののの恨うら恨うらうらめしさめしさめしさよよよ。。。俊しゆん俊しゆんしゅん寛くわん寛くわんかんががが心こころ心こころこころににに任まか任まかまかせせせたるたるたる憂う憂ううききき身み身みみならならならばばば、、、いかでいかでいかでかかかこのこのこの島しま島しましまにににててて三み三みみ年とせ年とせとせののの春はる春はるはる秋あき秋あきあきをををばばば送おく送おくおくるるるべきべきべき。。。今こ今ここ年とし年としとしははは十じふ十じふじゅう二に二ににににになるなるなるととと覺おぼ覺おぼおぼゆるゆるゆるががが、、、これこれこれ程ほど程ほどほどにににはかなうはかなうはかのうてててははは、、、いかでいかでいかでかかか人ひと人ひとひとにににももも見み見みみえええ、、、宮みや宮みやみや仕づか仕づかづかへへえをををもももしてしてして、、、身み身みみをををもももたすくたすくたすくべきべきべき。。。」」」とてとてとて泣な泣ななかかかれれれけるけるけるにににぞぞぞ、、、人ひと人ひとひとののの親おや親おやおやののの心こころ心こころこころははは闇やみ闇やみやみにににあらあらあらねねねどもどもども、、、子こ子ここををを思おも思おもおもふふう道みち道みちみちににに迷まよ迷まよまよふふうとととははは、、、今いま今いまいまこそこそこそ思おも思おもおもひひい知し知ししららられれれけれけれけれ。。。
  24. 24「「「このこのこの島しま島しましまへへへ流なが流ながながささされれれててて後のち後のちのちははは、、、曆こよみ曆こよみこよみもももなけれなけれなければばば、、、月つき月つきつき日ひ日ひひののの立た立たたつつつをををももも知し知ししらららずずず。。。たゞたゞただおのづからおのづからおのずから花はな花はなはなののの散ち散ちちりりり、、、葉は葉ははののの落お落おおつるつるつるををを見み見みみてててははは、、、三み三みみ年とせ年とせとせののの春はる春はるはる秋あき秋あきあきをををわきまへわきまへわきまえ、、、蟬せみ蟬せみせみののの聲こゑ聲こゑこえ麥ばく麥ばくばく秋しう秋しうしゅうををを送おく送おくおくれれればばば夏なつ夏なつなつととと思おも思おもおもひひい、、、雪ゆき雪ゆきゆきののの積つも積つもつもるるるををを冬ふゆ冬ふゆふゆととと知し知ししるるる。。。白びやく白びやくびゃく月ぐわつ月ぐわつがつ、、、黑こく黑こくこく月ぐわつ月ぐわつがつののの代かは代かはかわりりりゆくゆくゆくををを見み見みみてててははは三み三みみ十そ十そそ日か日かかをををわきまへわきまへわきまえ、、、指ゆび指ゆびゆびををを折を折をおりりりててて數かぞ數かぞかぞふれふれうればばば、、、今こ今ここ年とし年としとしははは六むつ六むつむつつつつににになるなるなるととと覺おぼ覺おぼおぼゆるゆるゆる幼をさな幼をさなおさなききき者もの者ものものももも、、、はやはやはや先さき先さきさき立だ立だだちちちけるけるける。。。
  25. 25ござんなれござんなれござんなれ西にし西にしにし八はち八はちはち條でう條でうじょうへへへ出い出いいでででししし時とき時ときとき、、、このこのこの子こ子ここががが行ゆ行ゆゆかかかんんんととと慕した慕したしたひひいしししををを、、、やがてやがてやがて歸かへ歸かへかえらららんんんずずずるるるぞぞぞととと慰なぐさ慰なぐさなぐさめめめ置お置おおきききしししががが、、、たゞたゞただ今いま今いまいまのののやうやうようににに覺おぼ覺おぼおぼゆるゆるゆるぞぞぞややや。。。それそれそれををを限かぎ限かぎかぎりりりとととだにだにだにももも思おも思おもおもははわましましましかかかばばば、、、今いま今いまいま暫しばら暫しばらしばらくくくもももなどなどなどかかか見み見みみざらざらざらんんん。。。親おや親おやおやとととなりなりなり子こ子こことととなりなりなり、、、夫ふう夫ふうふう婦ふ婦ふふののの緣えん緣えんえんををを結むす結むすむすぶぶぶももも、、、みなみなみなこのこのこの世よ世よよ一ひと一ひとひとつつつににに限かぎ限かぎかぎらららぬぬぬ契ちぎ契ちぎちぎりりりぞぞぞかしかしかし。。。今いま今いまいまははは姫ひめ姫ひめひめががが事こと事ことことばかりばかりばかりこそこそこそ、、、心こころ心こころこころ苦ぐる苦ぐるぐるしけれしけれしけれどもどもども、、、それそれそれははは生いき生いきいき身み身みみなれなれなればばば、、、歎なげ歎なげなげきききながらながらながらももも過すご過すごすごさささんんんずずずらんらんらん。。。さささのみのみのみながらへながらへながらへててて、、、おのれおのれおのれににに憂う憂ううききき目め目めめををを見み見みみせせせんんんももも、、、わがわがわが身み身みみながらながらながらつれなかるつれなかるつれなかるべしべしべし。。。」」」とてとてとて、、、みづからみづからみずから食しよく食しよくしょく事じ事じじををを止とゞ止とゞとどめめめ、、、ひとへひとへひとえににに彌み彌みみ陀だ陀だだののの名みやう名みやうみょう號がう號がうごうをををとなへとなへとなえ、、、臨りん臨りんりん終じゆう終じゆうじゅう正しやう正しやうしょう念ねん念ねんねんをををぞぞぞ祈いの祈いのいのららられれれけるけるける。。。
  26. 26有あり有ありあり王わう王わうおうわたつわたつわたっててて二に二にに十じふ十じふじゅう三さん三さんさん日にち日にちにちととと申まう申まうもうすすすににに、、、僧そう僧そうそう都づ都づず庵いほり庵いほりいおりののの中うち中うちうちにににててて、、、遂つひ遂つひついににに終をは終をはおわりりり給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。年とし年としとし三さん三さんさん十じふ十じふじゅう七しち七しちしちとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。有あり有ありあり王わう王わうおうむなしきむなしきむなしき姿すがた姿すがたすがたににに取と取ととりりりつきつきつき奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、天てん天てんてんににに仰あふ仰あふあうぎぎぎ地ち地ちちににに俯ふ俯ふふししし、、、心こころ心こころこころのののゆくゆくゆくほどほどほど泣な泣ななきききあきあきあきててて、、、「「「やがてやがてやがて後ご後ごご世せ世せせののの御おん御おんおん供とも供ともとも仕つかまつ仕つかまつつかまつるるるべうべうびょう候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、このこのこの世よ世よよにににははは姫ひめ姫ひめひめ御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんばかりばかりばかりこそこそこそわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまひひい候さふら候さふらそうらへへえ。。。後ご後ごご世せ世せせ弔とぶら弔とぶらとぶらひひい參まゐ參まゐまいらすらすらすべきべきべき人ひと人ひとひとももも候さふら候さふらそうらははわずずず。。。暫しば暫しばしばしししながらへながらへながらへててて御ご御ごご菩ぼ菩ぼぼ提だい提だいだいををを弔とぶら弔とぶらとぶらひひい參まゐ參まゐまいらすらすらすべしべしべし。。。」」」とてとてとて、、、ふしどふしどふしどををを改あらた改あらたあらためめめずずず、、、庵いほり庵いほりいおりをををきりきりきりかけかけかけ、、、松まつ松まつまつののの枯か枯かかれれれ枝えだ枝えだえだ、、、蘆あし蘆あしあしののの枯か枯かかれれれ葉は葉ははをををひしひしひしととと取と取ととりりりかけかけかけててて、、、藻も藻もも鹽しほ鹽しほしおののの煙けぶり煙けぶりけぶりとととなしなしなし奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、茶だ茶だだ毗び毗びびことことこと終を終ををへへへぬれぬれぬればばば、、、白はく白はくはく骨こつ骨こつこつををを拾ひろ拾ひろひろひひい首くび首くびくびにににかけかけかけ、、、またまたまた商あき商あきあき人んど人んどんど船ぶね船ぶねぶねのののたよりたよりたよりにににててて、、、九く九くく國こく國こくこくののの地ち地ちちにににぞぞぞ著つ著つつきききにににけるけるける。。。
  27. 27それそれそれよりよりより僧そう僧そうそう都づ都づずののの御おん御おんおん女むすめ女むすめむすめののの忍しの忍しのしのうううでででおはしおはしおわしけるけるける御おん御おんおんもともともとににに參まゐ參まゐまいつつっててて、、、ありありありしししやうやうようををを、、、始はじ始はじはじめめめよりよりよりこまごまこまごまこまごまととと語かた語かたかたりりり申まう申まうもうすすす。。。「「「なか〳〵なか〳〵なかなか文ふみ文ふみふみををを御ご御ごご覽らん覽らんらんじじじてててこそこそこそ、、、いとゞいとゞいとど思おも思おもおもひひいはははまさらまさらまさらせせせ給たま給たまたまひひいててて候さふら候さふらそうらひひいしかしかしか。。。件くだん件くだんくだんののの島しま島しましまにににははは硯すゞり硯すゞりすずりももも紙かみ紙かみかみもももなけれなけれなければばば、、、御おん御おんおん返へん返へんへん事じ事じじにににももも及およ及およおよばばばずずず。。。思おぼ思おぼおぼしししめさめさめされれれつるつるつる御おん御おんおん事こと事ことこと共ども共どもどもははは、、、さながらさながらさながら空むな空むなむなしうしうしゅうてててやみやみやみ候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬ。。。今いま今いまいまははは生しやう生しやうしょう々じやう々じやうじょう世せ世せせ々ゞ々ゞぜををを送おく送おくおくりりり、、、他た他たた生しやう生しやうしょう曠くわう曠くわうこう劫ごふ劫ごふごうをををばばば隔へだ隔へだへだててて給たま給たまたまふふうともともとも、、、いかでいかでいかでかかか御おん御おんおん聲こゑ聲こゑこえをををももも聞き聞ききききき、、、御おん御おんおん姿すがた姿すがたすがたをををももも見み見みみ參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまふふうべきべきべき。。。唯たゞ唯たゞただいかにいかにいかにもももしてしてして御ご御ごご菩ぼ菩ぼぼ提だい提だいだいををを弔とぶら弔とぶらとぶらひひい參まゐ參まゐまいらさらさらさせせせ給たま給たまたまへへえ。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、
  28. 28姫ひめ姫ひめひめ御ご御ごご前ぜん前ぜんぜん聞き聞きききききもももあへあへあえ給たま給たまたまははわずずず、、、伏ふ伏ふふしししまろびまろびまろびててて泣な泣ななかかかれれれけるけるける。。。やがてやがてやがて十じふ十じふじゅう二に二ににののの年とし年としとし尼あま尼あまあまににになりなりなり、、、奈な奈なな良ら良ららののの法ほつ法ほつほっ華け華けけ寺じ寺じじににに行おこな行おこなおこなひひいすましすましすましててて、、、父ぶ父ぶぶ母も母ももののの後ご後ごご世せ世せせををを弔とぶら弔とぶらとぶらひひい給たま給たまたまふふうぞぞぞ哀あは哀あはあわれれれなるなるなる。。。有あり有ありあり王わう王わうおうははは俊しゆん俊しゆんしゅん寛くわん寛くわんかん僧そう僧そうそう都づ都づずののの遺ゆゐ遺ゆゐゆい骨こつ骨こつこつををを首くび首くびくびにににかけかけかけ、、、高かう高かうこう野や野ややへへへのぼりのぼりのぼり、、、奧おく奧おくおくののの院ゐん院ゐんいんににに納をさ納をさおさめめめつゝつゝつつ、、、蓮れん蓮れんれん華げ華げげ谷だに谷だにだににににててて法ほふ法ほふほっ師し師ししににになりなりなり、、、諸しよ諸しよしょ國こく國こくこく七しち七しちしち道だう道だうどう修しゆ修しゆしゅ業ぎやう業ぎやうぎょうしてしてして、、、主しゆう主しゆうしゅうののの後ご後ごご世せ世せせをををぞぞぞ弔とぶら弔とぶらとぶらひひいけるけるける。。。かやうかやうかようににに人ひと人ひとひと々びと々びとびとのののおもひおもひおもいなげきなげきなげきののの積つも積つもつもりりりぬるぬるぬる、、、平へい平へいへい家け家けけののの末すゑ末すゑすえこそこそこそおそろしけれおそろしけれおそろしけれ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

そうするうちに鬼界が島の流人のうち、二人は召し返されて都へ上った。もう一人が残されて、つらかった島の島守となってしまったのは情けないことであった。僧都が幼いころからかわいがって召し使っていた童がいた。名を有王といった。

鬼界が島の流人たちが今日いよいよ都へ入ると聞こえたので、有王は鳥羽まで出迎えに行って見たが、自分の主人はお見えにならない。「どうしたのか」と尋ねると、「その方はやはり罪が深いということで、一人島に残された」と聞いて、情けないなどという言葉では言い尽くせない。

いつも六波羅のあたりにたたずんで様子を聞いたが、いつ赦免されるとも聞き出せなかったので、僧都の御娘がひそかに住んでおられる所へ参って、「このたびの赦免にも漏れなさって、お帰りもありません。今はどうにかしてあの島へ渡って、ご様子をお尋ね申したいと思います。お手紙をいただいて参りましょう」と申したので、姫御前はたいへん喜んで、すぐに手紙を書いてお渡しになった。

暇乞いをしても許されまいと思って、父にも母にも知らせず、唐船の纜は四月・五月に解くというので、夏の出帆を待つのは遅いと思ったのであろうか、三月の末に都を出て、多くの波路をしのいで薩摩潟へ下った。薩摩からあの島へ渡る船着き場で、人々は有王を怪しんで、着ている物をはぎ取るなどしたが、少しも後悔しない。姫御前のお手紙だけは人に見せまいと、髻の結い目の中に隠していた。

そうして商人の船に乗ってその島へ渡って見ると、都でかすかに伝え聞いたのとはまるで比べものにならない。田もない、畑もない、里もない、村もない。たまたま人はいても、話す言葉も聞き取れない。有王は島の者のところへ行って、「ものを尋ねたい」と言うと、「何事か」と答える。「ここに都から流された法勝寺の執行俊寛僧都という人の行方を知っているか」と尋ねると、法勝寺とも執行とも知っていれば返事もしようが、ただ首を振って知らないという。

その中にいたある者が事情を心得て、「さあね、そのような人は三人ここにいたが、二人は召し返されて都へ上った。もう一人は残されて、あちこちとさまよい歩いていたが、その後は行方も知れない」と言った。

山の方が気がかりなので、はるかに分け入り、峰によじ登り谷に下ったが、白雲が跡を埋めて、行き来する道もはっきりしない。晴れた日の山風に夢を破られても、その面影も見えない。山ではついに尋ね当てられず、海辺に沿って尋ねると、砂浜に足跡を刻む鷗や、沖の白州に群がる浜千鳥のほかは、行方を尋ねる相手もいなかった。

ある朝、磯の方から、かげろうのようにやせ衰えた者がよろよろと出て来た。もとは法師であったと思われて、髪は上へ向かって伸び放題で、いろいろな藻屑が取りついて、いばらを頭に載せたようである。関節が浮き出て皮はたるみ、身に着けているものは、絹か布かの見分けもつかない。

片手には荒布を持ち、片手には魚をもらって持ち、歩こうとはしているが、はかどらず、よろよろとして出て来た。都で多くの乞食は見たけれども、このような者はまだ見たことがない。「諸阿修羅等は故に大海の辺に在り」といって、修羅の三悪四趣は深山や大海のほとりにあると仏が説き置かれたので、もしや自分は餓鬼道などへ迷い込んだのかと思われた。

そのうちに双方がしだいに歩み寄った。もしこのような者でも、自分の主人の行方を知っているかもしれないと、「ものを尋ねたい」と言うと、「何事か」と答える。「ここに都から流されておいでになった法勝寺の執行俊寛僧都という人はおられるか」と尋ねると、童の方は見忘れていたが、僧都はどうして忘れられようか、

「わしこそその人だ」とおっしゃるやいなや、手に持っていた物を投げ捨てて、砂の上に倒れ伏した。それで初めて、これが自分の主人の行方であったと知ったのである。

僧都はそのまま気を失われたので、有王は膝の上にお抱き上げ申して、「多くの波路をしのいで、はるばるここまで尋ねて参ったかいもなく、どうしてすぐにつらい目をお見せになるのですか」と、さめざめと泣きながら訴えると、僧都は少し正気を取り戻し、助け起こされて、

「まことにお前は、多くの波路をしのいで、はるばるここまで参ったのは殊勝なことだ。ただ明けても暮れても都のことばかり思っているので、恋しい者たちの面影を夢に見ることもあり、またまぼろしに立つこともある。体もひどく疲れ弱ってからは、夢も現実も区別がつかない。今お前が来たのも、ただ夢としか思えない。もしこのことが夢であったら、覚めた後はどうしよう」

有王は、「これは現実でございます。それにしても、このようなご様子で今まで命を長らえておいでになったのは、不思議に思われます」と申したので、

「さあ、それだが、去年、少将や判官入道の迎えのとき、その場で身を投げるべきであったのに、つまらぬことに少将が『もう一度、都からの便りを待ちなさい』などと慰めて行ったので、愚かにももしやと頼みにして、生き長らえようとはしたけれども、この島には人の食べ物もまったくない所なので、体に力のあった間は、山に登って硫黄というものを取り、九州から通う商人に会って食べ物に替えなどしたが、日に日に弱っていくので、今はそうした仕事もできない。

このように日ののどかなときは磯に出て、網を引く漁師や釣りをする漁師に手をすり、膝をかがめて魚をもらい、潮が引いたときは貝を拾い、荒布を取り、磯の苔に露のような命をかけてこそ、つらいながらも今日まで生き長らえてきたのだ。そうでもしなかったら、このつらい世を渡るよすがを、どうしていたのかと思うだろう」

僧都は、「ここで何もかも話したいとは思うが、さあ、わが家へ」とおっしゃると、有王は、あのようなご様子でも家を持っておられるとは不思議なことだと思って、僧都を肩にかけ申して、教えられるままに行くと、松がひとむら生えている中に、寄せ集めた竹を柱とし、蘆を結って桁や梁に渡し、上にも下にも松の葉をびっしりとかけてあるので、雨風が防げそうにも見えない。

有王は、「ああ情けない。もとは法勝寺の寺務職として八十余か所の荘園を管理しておられたので、棟門・平門の内に四、五百人の従者や一族に囲まれておられた人が、目の当たりにこのようなつらい目にお遭いになるとは不思議なことだ。業にはさまざまあり、順現業・順生業・順後業というそうだ。僧都が一生の間、身に用いたものは、みな大伽藍の寺の物、仏の物でないものはなかった。だからあの信者の布施を恥じることなく受けた罪によって、この世ですでに報いを受けられたのだ」と思われた。

僧都は、これは現実であったのだと思い定めて、「去年、少将や判官入道の迎えのときも、家の者たちからの手紙というものもなかった。今またお前の便りにも、何とも言ってこなかったのだな」とおっしゃると、有王は涙にむせび、うつ伏して、しばらくはお返事もできない。

しばらくして起き上がり、涙をおさえて申したことには、「殿が西八条へお出かけになった後、役人が参って家財道具を没収し、お屋敷の者たちを捕らえ、ご謀叛の次第を尋問して、みな殺してしまいました。北の方は幼い方をお隠しかねなさって、鞍馬の奥にひそかにお住まいになりましたが、この童だけが、時々参ってお仕えしておりました。

どなたもお嘆きの浅い方はございませんでしたが、中でも幼い方はあまりに恋しがられて、私が参るたびに、『有王よ、わたしを鬼界が島とかいう所へ連れて行け』とおっしゃってむずかっておられましたが、去る二月に疱瘡という病でお亡くなりになりました。北の方はそのお嘆きといい、またこちらのことといい、ひととおりでない物思いに沈まれて、病に伏しておられましたが、去る三月二日についにお亡くなりになりました。今は姫御前だけが、奈良の叔母御前のもとにひそかにおいでになります。そこからお手紙をいただいて参りました」といって、取り出して差し上げた。

僧都がこれを開けてご覧になると、有王が申したとおりに書かれていた。奥には、「どうして三人流されておいでになった人のうち、二人は召し返されましたのに、なぜ一人残されて、今までお帰りにならないのですか。ああ、身分の高い者も低い者も、女の身ほど甲斐のないものはありません。男の身でありましたら、お住まいの島へも、どうしてお尋ねして参らずにおりましょう。この童をお供にして、急いでお帰りください」と書かれていた。

「これを見よ有王、この子の手紙の書きぶりのたわいなさよ。お前を供にして急いで上れと書いてあるのが恨めしい。俊寛が思いのままになる身であったら、どうしてこの島で三年の春秋を送ろうか。今年は十二になると思うが、これほど頼りないようでは、どうして人に嫁ぎ、宮仕えもして、身を立てることができようか」といってお泣きになったのを見ると、人の親の心は闇ではないけれども、子を思う道には迷うというのは、まことにそのとおりだと思い知られた。

「この島へ流されてからは暦もないので、月日のたつのもわからない。ただ自然に花が散り、葉が落ちるのを見て三年の春秋を知り、蝉の声が麦の実る季節を送れば夏と思い、雪が積もるのを見て冬と知る。月の満ち欠けの移り変わりを見て三十日を知り、指を折って数えると、今年は六つになると思われた幼い子も、もう先立ってしまったのだな。

西八条へ出かけたとき、この子がついて行きたいと慕ったのを、すぐ帰ってくるよと慰めて置いてきたが、それがたった今のように思われる。それが最後と思いさえしていたら、もうしばらくでもどうして見ないでいただろう。親となり子となり、夫婦の縁を結ぶのも、みなこの世一つに限らない深い契りなのだ。今は姫のことだけが気がかりだが、あの子は生きている身だから、嘆きながらも過ごしていくだろう。このうえ生き長らえて、お前につらい思いをさせるのも、わが身ながら薄情なことであろう」といって、自ら食事を断ち、ひたすら阿弥陀仏の名号を唱えて、臨終正念をお祈りになった。

有王が島に渡って二十三日目に、僧都は庵の中でついにお亡くなりになった。年は三十七と聞こえた。有王はむなしい亡骸に取りすがり、天を仰ぎ地に伏して、心ゆくまで泣き尽くして、「すぐにも後世のお供をいたすべきですが、この世には姫御前だけがおいでになります。後世を弔い申す人もございません。しばらく生き長らえてご菩提を弔い申しましょう」といって、寝所をそのままにして庵を壊してかけ、松の枯れ枝や蘆の枯れ葉をびっしりとかけて、藻塩を焼く煙のように火葬申し上げ、荼毘を終えると、白骨を拾って首にかけ、また商人の船の便を得て九州の地に着いた。

それから僧都の御娘がひそかにおいでになるところへ参って、ありのままを初めから詳しくお話し申した。「かえってお手紙をご覧になって、いっそう思いがつのられたのでございます。あの島には硯も紙もないので、お返事もできませんでした。お思いになっていたことは、そのまま空しく終わってしまいました。今は生まれ変わり死に変わり、果てしない年月を隔てられても、どうして父君のお声を聞き、お姿を拝見することができましょう。ただどうにかしてご菩提をお弔いなさいませ」と申したので、

姫御前は聞き終わりもなさらず、伏し転んでお泣きになった。やがて十二歳の年に尼になり、奈良の法華寺で仏道修行に励んで、父母の後世を弔われたのは哀れである。有王は俊寛僧都の遺骨を首にかけて高野山へ登り、奥の院に納めて、蓮華谷で法師になり、諸国七道を修行して、主人の後世を弔った。このように人々の思いや嘆きが積もっていく平家の末こそ恐ろしいものである。

意訳

「足ずり」で島に残された俊寛の最期を描く章段である。少年有王は、親にも告げずに単身で南海の孤島へ渡り、やせ衰えて変わり果てた主人を見つける。互いに相手と気づかない再会の場面、有王の口から語られる妻と幼い子の死、そして娘の手紙を読んで「この子が文の書きやうのはかなさよ」と泣く俊寛の姿は、読む者の胸を打つ。

一方で物語は、有王の思いとして、俊寛が寺の財物を私したことの報いだという因果の見方も示している。俊寛は自ら食を断って死を選び、有王は遺骨を高野山に納めて出家する。章段は「かやうに人々のおもひなげきの積りぬる、平家の末こそおそろしけれ」と結ばれ、多くの人の恨みと嘆きが平家の滅亡を招くことを予告している。

語釈・文法注

文法

「夏衣たつを遲くや思ひけん」
「たつ」に「裁つ」と「(船が)発つ」を掛ける。唐船が出る四、五月を待つのを遅いと思ったのであろうか。
「諸阿修羅等故在大海邊」
『法華経』などに見える句。阿修羅たちは大海のほとりに住む、の意。
「順現、順生、順後業」
業の報いを受ける時期による三分類。この世で報いを受ける順現業、次の世で受ける順生業、さらにその後の世で受ける順後業。
「信施無慙」
信者からの布施を、恥じる心もなく受けること。
「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に迷ひぬるかな」
藤原兼輔の歌(『後撰集』)を踏まえた文。
「ござんなれ」
「ござんなれ」は「…でございますのだな」の意だが、ここは文意が通りにくい。底本のまま翻刻した。
「茶毗」
通行の字は「荼毘」。底本の表記のまま翻刻した。
「修業」
通行本文は「修行」。底本の表記のまま翻刻した。

解説

俊寛(1143〜1179)は村上源氏の出身で、法勝寺の執行を務めた。鹿ケ谷の謀議の場所を提供したとして鬼界が島に流され、赦されないまま治承三年(1179)にその地で没したと伝えられる。有王の話は『平家物語』の中でも名高く、謡曲「俊寛」、近松門左衛門の浄瑠璃「平家女護島」、また近代では倉田百三・菊池寛・芥川龍之介の作品の題材ともなった。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、380–387頁(コマ219–222)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日