古典ライブラリー

平家物語 巻第三

少将都がへりの事

治承三年正月、成経と康頼は鹿瀬の荘を発ち、備前の有木の別所で父成親の筆跡と墓を見つけて供養した。三月、成経は鳥羽の洲浜殿に立ち寄って荒れ果てた父の山荘を偲び、やがて都に帰って母や妻子と再会する。康頼は東山の双林寺に籠居して『宝物集』を書いたという。

  1. 1正しやう正しやうしょう月ぐわつ月ぐわつがつ下げ下げげ旬じゆん旬じゆんじゅんににに、、、丹たん丹たんたん波ば波ばばののの少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう成なり成なりなり經つね經つねつね、、、平へい平へいへい判はん判はんはん官ぐわん官ぐわんがん康やす康やすやす賴より賴よりより入にふ入にふにゅう道だう道だうどう、、、二ふた二ふたふた人り人りりののの人ひと人ひとひと々びと々びとびとははは肥ひ肥ひひ前ぜん前ぜんぜんののの國くに國くにくに鹿か鹿かか瀨せ瀨せせののの莊しやう莊しやうしょうををを立た立たたつつっててて、、、都みやこ都みやこみやこへへへとととははは急いそ急いそいそがががれれれけれけれけれどもどもども、、、餘よ餘よよ寒かん寒かんかんももも未いま未いまいまだだだ烈はげ烈はげはげしうしうしゅう、、、海かい海かいかい上しやう上しやうしょうもももいたくいたくいたく荒あ荒ああれれれけれけれければばば、、、浦うら浦うらうらづたひづたひづたい島しま島しましまづたひづたひづたいしてしてして、、、二に二にに月ぐわつ月ぐわつがつ十とを十とをとお日か日かか頃ごろ頃ごろごろにににぞぞぞ備び備びび前ぜん前ぜんぜんののの兒こ兒ここ島じま島じまじまにににははは著つ著つつききき給たま給たまたまふふう。。。
  2. 2それそれそれよりよりより父ちゝ父ちゝちち大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんののの御おん御おんおんわたりわたりわたりあるあるあるなるなるなる、、、有あり有ありあり木き木ききののの別べつ別べつべつ所しよ所しよしょとととかやかやかやににに尋たづ尋たづたずねねね入い入いいりりりててて見み見みみ給たま給たまたまへへえばばば、、、竹たけ竹たけたけののの柱はしら柱はしらはしら、、、古ふ古ふふりりりたるたるたる障しやう障しやうしょう子じ子じじなどなどなどににに書か書かかききき置お置おおききき給たま給たまたまひひいつるつるつる筆ふで筆ふでふでのののすさびすさびすさびををを見み見みみ給たま給たまたまひひいててて、、、「「「あはれあはれあわれ人ひと人ひとひとのののかたみかたみかたみにににははは、、、手しゆ手しゆしゅ跡せき跡せきせきににに過す過すすぎぎぎたるたるたるものものものぞぞぞなきなきなき。。。書か書かかききき置お置おおききき給たま給たまたまははわずずずばばば、、、いかでいかでいかでかかかこれこれこれををを見み見みみるるるべきべきべき。。。」」」とてとてとて、、、康やす康やすやす賴より賴よりより入にふ入にふにゅう道だう道だうどうととと二ふた二ふたふた人り人りり、、、讀よ讀よよみみみてててははは泣な泣ななききき、、、泣な泣ななきききてててははは讀よ讀よよむむむ。。。
  3. 3「「「安あん安あんあん元げん元げんげん三さん三さんさん年ねん年ねんねん七しち七しちしち月ぐわつ月ぐわつがつ二十日はつか二十日はつかはつか出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけ、、、同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろく日にち日にちにち信のぶ信のぶのぶ俊とし俊としとし下げ下げげ向かう向かうこう。。。」」」ともともとも書か書かかかかかれれれたりたりたり。。。さてさてさてこそこそこそ源げん源げんげん左さ左ささ衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの尉じよう尉じようじょう信のぶ信のぶのぶ俊とし俊としとしががが參まゐ參まゐまいりりりたるたるたるをををももも知し知ししららられれれけれけれけれ。。。傍そば傍そばそばなるなるなる壁かべ壁かべかべにににははは、、、「「「三さん三さんさん尊ぞん尊ぞんぞん來らい來らいらい迎がう迎がうごう便たよ便たよたよりりりありありあり、、、九く九くく品ほん品ほんほん往わう往わうおう生じやう生じやうじょう疑うたが疑うたがうたがひひいなしなしなし。。。」」」ともともとも書か書かかかかかれれれたりたりたり。。。このこのこのかたみかたみかたみををを見み見みみ給たま給たまたまひひいてててこそこそこそ、、、さすがさすがさすが欣ごん欣ごんごん求ぐ求ぐぐ淨じやう淨じやうじょう土ど土どどののの望のぞ望のぞのぞみみみもももおはしおはしおわしけりけりけりととと、、、限かぎ限かぎかぎりりりなきなきなき歎なげ歎なげなげきききののの中なか中なかなかにににももも、、、聊いさゝ聊いさゝいささかかかたのもしげたのもしげたのもしげにににははは宣のたま宣のたまのたまひひいけりけりけり。。。
  4. 4そのそのその墓はか墓はかはかををを尋たづ尋たづたずねねねててて見み見みみ給たま給たまたまへへえばばば、、、松まつ松まつまつののの一ひと一ひとひとむらむらむらあるあるある中なか中なかなかににに、、、かひ〴〵しうかひ〴〵しうかいがいしゅう壇だん壇だんだんををを築つ築つついいいたるたるたる事こと事ことこともももなくなくなく、、、土つち土つちつちののの少すこ少すこすこししし高たか高たかたかききき所ところ所ところところににに向むか向むかむかひひい、、、少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう袖そで袖そでそでかきかきかきあはせあはせあわせ、、、生い生いいきききたるたるたる人ひと人ひとひとにににものものものををを申まう申まうもうすすすやうやうようににに、、、泣な泣ななく〳〵く〳〵くなくかきかきかきくどいくどいくどいててて申まう申まうもうささされれれけるけるけるははは、、、
  5. 5「「「遠とほ遠とほとおききき御おん御おんおん守まもり守まもりまもりとととならならならせせせおはしましおはしましおわしましたるたるたる事こと事ことことをををばばば、、、島しま島しましまにににてててもももかすかかすかかすかににに傳つた傳つたつたへへえ承うけたまは承うけたまはうけたまわつつっててて候さふら候さふらそうらひひいしかしかしかどもどもども、、、心こころ心こころこころにににまかせまかせまかせぬぬぬ憂う憂ううききき身み身みみなれなれなればばば、、、急いそ急いそいそぎぎぎ參まゐ參まゐまいるるる事こと事ことことももも候さふら候さふらそうらははわずずず。。。成なり成なりなり經つね經つねつねかのかのかの島しま島しましまへへへ流なが流ながながささされれれててて後のち後のちのちのののたよりたよりたよりなさなさなさ、、、一いち一いちいち日にち日にちにち片へん片へんへん時じ時じじののの命いのち命いのちいのちもももありがたうありがたうありがとうこそこそこそ候さふら候さふらそうらひひいしかしかしかどもどもども、、、さすがさすがさすが露つゆ露つゆつゆののの命いのち命いのちいのちははは消き消ききえええやらやらやらででで、、、このこのこの二ふた二ふたふた年とせ年とせとせををを送おく送おくおくつつっててて、、、今いま今いまいま召め召めめししし還かへ還かへかえさささるゝるゝるるうれしさうれしさうれしさももも、、、さるさるさる事こと事ことことにににてててははは候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、父ちゝ父ちゝちち大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん殿どの殿どのどののののまさしうまさしうまさしゅう、、、このこのこの世よ世よよににに渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまははわんんんををを、、、見み見みみ參まゐ參まゐまいらせらせらせてててももも候さふら候さふらそうらははわばばばこそこそこそ、、、さすがさすがさすが命いのち命いのちいのちののの長なが長ながながきききかひかひかいももも候さふら候さふらそうらははわめめめ。。。これこれこれまでまでまでははは急いそ急いそいそがががれれれつれつれつれどもどもども、、、今日けふ今日けふきょうよりよりより後のち後のちのちははは急いそ急いそいそぐぐぐべしべしべしともともとも覺おぼ覺おぼおぼえええずずず。。。」」」とてとてとて、、、かきかきかきくどいくどいくどいてててぞぞぞ泣な泣ななかかかれれれけるけるける。。。
  6. 6まことまことまことににに、、、存ぞん存ぞんぞん生じやう生じやうじょうののの時とき時ときときならならならばばば大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん入にふ入にふにゅう道だう道だうどう殿どの殿どのどのこそこそこそ、、、いかにいかにいかにとととももものたまふのたまふのたまうべきべきべきににに、、、生しやう生しやうしょうををを隔へだ隔へだへだてててたるたるたるならひならひならいほどほどほど、、、うらめしかりうらめしかりうらめしかりけるけるける事こと事ことことはははなしなしなし。。。苔こけ苔こけこけののの下した下したしたにににははは誰たれ誰たれたれかかか答こた答こたこたふふうべきべきべき、、、たゞたゞただ嵐あらし嵐あらしあらしにににさわぐさわぐさわぐ松まつ松まつまつののの響ひゞき響ひゞきひびきばかりばかりばかりなりなりなり。。。
  7. 7そのそのその夜よ夜よよははは、、、康やす康やすやす賴より賴よりより入にふ入にふにゅう道だう道だうどうととと二ふた二ふたふた人り人りり、、、墓はか墓はかはかのののめぐりめぐりめぐりををを行ぎやう行ぎやうぎょう道だう道だうどうししし、、、明あ明ああけけけけれけれければばば新あた新あたあたらしうらしうらしゅう壇だん壇だんだん築つ築つつききき、、、釘くぎ釘くぎくぎ貫ぬき貫ぬきぬきせせせさせさせさせ、、、前まへ前まへまえににに假かり假かりかり屋や屋ややつくりつくりつくり、、、七なぬ七なぬなぬ日か日かか七なな七なななな夜よ夜よよががが間あひだ間あひだあいだ念ねん念ねんねん佛ぶつ佛ぶつぶつ申まう申まうもうししし、、、經きやう經きやうきょう書か書かかいいいててて、、、結けち結けちけち願ぐわん願ぐわんがんにににははは大おほ大おほおおきききなるなるなる卒そ卒そそ堵と堵とと婆ば婆ばばををを立た立たたててて、、、「「「過くわ過くわか去こ去ここ聖しやう聖しやうしょう靈りやう靈りやうりょう、、、出しゆつ出しゆつしゅつ離り離りり生しやう生しやうしょう死じ死じじ、、、證しよう證しようしょう大だい大だいだい菩ぼ菩ぼぼ提だい提だいだい。。。」」」ととと書か書かかいいいててて、、、年ねん年ねんねん號がう號がうごう月ぐわつ月ぐわつがつ日にち日にちにちののの下した下したしたにににははは、、、「「「孝かう孝かうこう子し子しし成なり成なりなり經つね經つねつね。。。」」」ととと書か書かかかかかれれれたれたれたればばば、、、賤しづ賤しづしず山やま山やまやまがつがつがつののの心こころ心こころこころなきなきなきももも、、、子こ子ここににに過す過すすぎぎぎたるたるたる寶たから寶たからたからなしなしなしとてとてとて、、、袖そで袖そでそでををを濡ぬ濡ぬぬらさらさらさぬぬぬはははなかりなかりなかりけりけりけり。。。
  8. 8年とし年としとし去さ去ささりりり年とし年としとし來きた來きたきたれれれどもどもども、、、忘わす忘わすわすれれれ難がた難がたがたきききははは撫ぶ撫ぶぶ育いく育いくいくののの昔むかし昔むかしむかしののの恩おん恩おんおん、、、夢ゆめ夢ゆめゆめののの如ごと如ごとごとくくくまぼろしまぼろしまぼろしののの如ごと如ごとごとししし。。。盡つ盡つつききき難がた難がたがたきききははは戀れん戀れんれん慕ぼ慕ぼぼののの今いま今いまいまののの涙なみだ涙なみだなみだなりなりなり。。。三さん三さんさん世ぜ世ぜぜ十じつ十じつじっ方ぱう方ぱうぽうののの佛ぶつ佛ぶつぶつ陀だ陀だだののの聖しやう聖しやうしょう衆じゆ衆じゆじゅももも憐あはれ憐あはれあわれみみみ給たま給たまたまひひい、、、亡ばう亡ばうぼう魂こん魂こんこん尊そん尊そんそん靈りやう靈りやうりょうもももいかにいかにいかにうれしうれしうれしとととおぼしおぼしおぼしけんけんけん。。。
  9. 9「「「今いま今いまいましばらくしばらくしばらく候さふら候さふらそうらひひいててて、、、念ねん念ねんねん佛ぶつ佛ぶつぶつののの香かう香かうこうをををもももつむつむつむべくべくべく候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、都みやこ都みやこみやこににに待ま待ままつつつ人ひと人ひとひとどもどもどもののの心こころ心こころこころもともともとなうなうのう候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん、、、またまたまたこそこそこそ參まゐ參まゐまいりりり候さふら候さふらそうらははわめめめ。。。」」」とてとてとて、、、亡ばう亡ばうぼう者じや者じやじゃににに暇いとま暇いとまいとま申まう申まうもうしししつゝつゝつつ、、、泣な泣ななく〳〵く〳〵くなくそこそこそこをををぞぞぞ立た立たたたたたれれれけるけるける。。。草くさ草くさくさののの陰かげ陰かげかげにににてててももも名な名なな殘ごり殘ごりごり惜を惜をおしうしうしゅうややや思おも思おもおもははわれれれけんけんけん。。。
  10. 10同おな同おなおなじきじきじき三さん三さんさん月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろく日にち日にちにち、、、少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう鳥と鳥とと羽ば羽ばばへへへあかうあかうあこうぞぞぞ著つ著つつききき給たま給たまたまふふう。。。故こ故ここ大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん殿どの殿どのどのののの山さん山さんさん莊さう莊さうそう、、、洲す洲すす濱はま濱はまはま殿どの殿どのどのとてとてとて鳥と鳥とと羽ば羽ばばにににありありあり。。。それそれそれににに立たち立たちたち寄よ寄よよりりり見み見みみ給たま給たまたまへへえばばば、、、住す住すすみみみ荒あ荒ああらしらしらしててて年とし年としとし經へ經へへにににけれけれければばば、、、築つい築ついつい地ぢ地ぢじはははあれあれあれどもどもどもおほひおほひおおいもももなくなくなく、、、門もん門もんもんはははあれあれあれどもどもども扉とびら扉とびらとびらもももなしなしなし。。。庭には庭にはにはににに立たち立たちたち入い入いいりりり見み見みみたまへたまへたまえばばば、、、人じん人じんじん跡せき跡せきせき絶た絶たたえええててて苔こけ苔こけこけ深ふか深ふかふかししし。。。池いけ池いけいけのののほとりほとりほとりををを見み見みみまはせまはせまわせばばば、、、秋あき秋あきあきののの山やま山やまやまののの春はる春はるはる風かぜ風かぜかぜににに、、、白しら白しらしら波なみ波なみなみしきりしきりしきりににに折を折をおりりりかけかけかけててて、、、紫し紫しし鴛ゑん鴛ゑんえん白はく白はくはく鷗おう鷗おうおう逍せう逍せうしょう遙えう遙えうようすすす。。。興きよう興きようきょうぜぜぜししし人ひと人ひとひとのののこひしさこひしさこいしさににに、、、唯たゞ唯たゞただ盡つ盡つつきききせせせぬぬぬものものものははは涙なみだ涙なみだなみだなりなりなり。。。
  11. 11家いへ家いへいえはははあれあれあれどもどもども、、、欄らん欄らんらん門もん門もんもん破やぶ破やぶやぶれれれててて、、、蔀しとみ蔀しとみしとみ、、、遣やり遣やりやり戸ど戸どどももも絶た絶たたえええてててなしなしなし。。。「「「こゝこゝここにににははは大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん殿どの殿どのどのののの、、、兎と兎ととこそこそこそおはせおはせおわせしかしかしか、、、このこのこの妻つま妻つまつま戸ど戸どどをををばばば、、、かうかうこうこそこそこそ出い出いいででで入い入いいりりり給たま給たまたまひひいしかしかしか、、、あのあのあの木き木ききをををばばば、、、みづからみづからみずからこそこそこそ植う植ううゑゑえ給たま給たまたまひひいしかしかしか。。。」」」なんどなんどなんどいういういうててて、、、ことことことのののはははにににつけつけつけてててももも、、、唯たゞ唯たゞただ父ちゝ父ちゝちちののの事こと事ことことをををのみのみのみ、、、戀こひ戀こひこいしげしげしげにににこそこそこそのたまひのたまひのたまいけれけれけれ。。。
  12. 12三や三やや月よひ月よひよい中なか中なかなかののの六むゆ六むゆむい日か日かかなれなれなればばば、、、花はな花はなはなははは未いま未いまいまだだだ名な名なな殘ごり殘ごりごりありありあり。。。楊やう楊やうよう梅ばい梅ばいばい桃たう桃たうとう李り李りりののの梢こずゑ梢こずゑこずえこそこそこそ、、、折をり折をりおり知し知ししりりり顏がほ顏がほがおにににいろ〳〵いろ〳〵いろいろなれなれなれ。。。昔むかし昔むかしむかしののの主ある主あるある人じ人じじはははなけれなけれなけれどもどもども、、、昔むかし昔むかしむかしををを忘わす忘わすわすれれれぬぬぬ花はな花はなはななれなれなれややや。。。少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう花はな花はなはなのののもともともとににに立た立たたちちち寄よ寄よよりりりててて、、、
  13. 13桃たう桃たうとう李り李りり不言ものいはず不言ものいはずものいわず春はる春はるはる幾いくばくか幾いくばくかいくばくか暮くれぬる暮くれぬるくれぬる煙えん煙えんえん霞か霞かか無跡あとなし無跡あとなしあとなし昔むかし昔むかしむかし誰たれか誰たれかたれか栖すんじ栖すんじすんじ
  14. 14ふるふるふるさとさとさとののの花はな花はなはなのののものものものいふいふいう世よ世よよなりなりなりせせせばばばいかにいかにいかに昔むかし昔むかしむかしのののことことことををを問と問ととはははましましまし
  15. 15このこのこの古ふる古ふるふるききき詩し詩しし歌いか歌いかいかををを口くち口くちくちずさみずさみずさみ給たま給たまたまへへえばばば、、、康やす康やすやす賴より賴よりより入にふ入にふにゅう道だう道だうどうももも折をり折をりおりふしふしふしあはれあはれあわれににに覺おぼ覺おぼおぼえええててて、、、墨すみ墨すみすみ染ぞめ染ぞめぞめののの袖そで袖そでそでをををぞぞぞぬらしぬらしぬらしけるけるける。。。暮く暮くくるゝるゝるる程ほど程ほどほどとととははは待ま待ままたたたれれれけれけれけれどもどもども、、、あまりあまりあまりににに名な名なな殘ごり殘ごりごり惜を惜をおしくしくしくててて、、、夜よ夜よよ更ふ更ふふくるくるくるまでまでまでこそこそこそおはしおはしおわしけれけれけれ。。。更ふ更ふふけけけゆくゆくゆくまゝまゝままにににははは、、、荒あ荒ああれれれたるたるたる宿やど宿やどやどのののならひならひならいとてとてとて、、、古ふる古ふるふるききき軒のき軒のきのきののの板いた板いたいた間ま間ままよりよりより、、、洩も洩ももるるる月つき月つきつきかげかげかげぞぞぞ限かぎ限かぎかぎりりりもももなきなきなき。。。雞けい雞けいけい籠ろう籠ろうろうののの山やま山やまやまあけあけあけなななんんんとととすれすれすれどもどもども、、、家いへ家いへいえ路ぢ路ぢじははは更さら更さらさらににに急いそ急いそいそがががれれれずずず。。。
  16. 16さてさてさてしもしもしもあるあるあるべきべきべき事こと事ことことならならならねねねばばば、、、迎むか迎むかむかひひいににに乘のり乘のりのり物もの物ものものどもどもども遣つか遣つかつかはしはしわしててて待ま待ままつつつらんらんらんももも心こころ心こころこころなしなしなしとてとてとて、、、少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう泣な泣ななくくく泣な泣ななくくく洲す洲すす濱はま濱はまはま殿どの殿どのどのををを出い出いいでででつゝつゝつつ、、、都みやこ都みやこみやこへへへ歸かへ歸かへかえりりり上のぼ上のぼのぼららられれれけるけるける。。。人ひと人ひとひと々びと々びとびとののの心こころ心こころこころののの中うち中うちうち、、、さこそさこそさこそははは嬉うれ嬉うれうれしうしうしゅうももも、、、又また又またまた哀あは哀あはあわれれれにににもももありありありけめけめけめ。。。
  17. 17康やす康やすやす賴より賴よりより入にふ入にふにゅう道だう道だうどうががが迎むか迎むかむかひひいにににももも、、、乘のり乘のりのり物もの物ものものはははありありありけれけれけれどもどもども、、、今いま今いまいま更さら更さらさら名な名なな殘ごり殘ごりごりののの惜を惜をおしきしきしきにににとてとてとてそれそれそれにににははは乘の乘ののらららずずず、、、少せう少せうしょう將しやう將しやうしょうののの車くるま車くるまくるまののの尻しり尻しりしりににに乘の乘ののつつっててて、、、七しち七しちしち條でう條でうじょう河かは河かはかわ原ら原ららまでまでまでははは行ゆ行ゆゆききき、、、それそれそれよりよりより行ゆ行ゆゆききき別わか別わかわかれれれけるけるけるががが、、、なほなほなお行ゆ行ゆゆきききもももやらやらやらざりざりざりけりけりけり。。。
  18. 18花はな花はなはなのののもともともとののの半はん半はんはん日じつ日じつじつののの客かく客かくかく、、、月つき月つきつきののの前まへ前まへまえののの一いち一いちいち夜や夜ややののの友とも友ともとも、、、旅たび旅たびたび人びと人びとびとががが一ひと一ひとひと村むら村むらむら雨さめ雨さめさめののの過す過すすぎぎぎゆくゆくゆくににに、、、一いち一いちいち樹じゆ樹じゆじゅのののかげかげかげににに立たち立たちたち寄よ寄よよりりりててて、、、別わか別わかわかるゝるゝるる名な名なな殘ごり殘ごりごりももも惜を惜をおしきしきしきぞぞぞかしかしかし。。。況いは況いはいわんんんやややこれこれこれははは憂う憂ううかりかりかりししし島しま島しましまののの住すま住すますま居ひ居ひひ、、、船ふね船ふねふねののの中うち中うちうち、、、浪なみ浪なみなみののの上うへ上うへうえ、、、一いち一いちいち業ごふ業ごふごう所しよ所しよしょ感かん感かんかんののの身み身みみなれなれなればばば、、、先せん先せんせん世ぜ世ぜぜののの芳はう芳はうほう緣えん緣えんえんももも淺あさ淺あさあさからからからずずずややや思おも思おもおもははわれれれけんけんけん。。。
  19. 19少せう少せうしょう將しやう將しやうしょうののの母はゝ母はゝはは上うへ上うへうえ、、、靈りやう靈りやうりょう山ぜん山ぜんぜんにににおはしおはしおわしけるけるけるががが、、、昨日きのふ昨日きのふきのうよりよりより宰さい宰さいさい相しやう相しやうしょうののの宿しゆく宿しゆくしゅく所しよ所しよしょにににおはしおはしおわしててて待ま待ままたたたれれれけりけりけり。。。少せう少せうしょう將しやう將しやうしょうののの立たち立たちたち入い入いいりりり給たま給たまたまふふう姿すがた姿すがたすがたををを、、、たゞたゞただ一ひと一ひとひと目め目めめ見み見みみたまひたまひたまいててて、、、「「「命いのち命いのちいのちあれあれあればばば。。。」」」とととばかりばかりばかりにににててて、、、引ひ引ひひきききかづいかづいかずいてててぞぞぞ伏ふ伏ふふししし給たま給たまたまふふう。。。
  20. 20北きた北きたきたののの方かた方かたかたはははさしもさしもさしも美うつく美うつくうつくしうしうしゅう、、、はなやかはなやかはなやかにににおはせおはせおわせしかしかしかどもどもども、、、盡つ盡つつきききせせせぬぬぬ物もの物ものもの思おも思おもおもひひいににに痩や痩ややせせせ黑くろ黑くろくろみみみててて、、、そのそのその人ひと人ひとひとともともとも見み見みみえええ給たま給たまたまははわずずず。。。六ろく六ろくろく條でう條でうじょうががが黑くろ黑くろくろかりかりかりししし髪かみ髪かみかみももも白しろ白しろしろくくくなりなりなりたりたりたり。。。少せう少せうしょう將しやう將しやうしょうののの流なが流ながながささされれれししし時とき時ときとき、、、三みつ三みつみっ歳つ歳つつででで別わか別わかわかれれれたまひたまひたまいししし幼をさな幼をさなおさなききき人ひと人ひとひとももも、、、今いま今いまいまはははおとなしうおとなしうおとなしゅうなつなつなっててて、、、髪かみ髪かみかみ結ゆ結ゆゆふふうほどほどほどなりなりなり。。。そのそのその傍そば傍そばそばににに三みつ三みつみつつつつばかんばかんばかんなるなるなる幼をさな幼をさなおさなききき人ひと人ひとひとのののおはしおはしおわしけるけるけるををを、、、少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう、、、「「「あれあれあれはははいかにいかにいかに。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、六ろく六ろくろく條でう條でうじょう、、、「「「これこれこれこそこそこそ。。。」」」とととばかりばかりばかり申まう申まうもうしししててて、、、涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながしししけるけるけるにににこそこそこそ、、、さてさてさてはははわがわがわが流なが流ながながささされれれししし時とき時ときとき、、、心こころ心こころこころ苦ぐる苦ぐるぐるしげしげしげなるなるなる有あり有ありあり樣さま樣さまさまどもどもどもををを見み見みみ置お置おおきききしししががが、、、ことことこと故ゆゑ故ゆゑゆえなうなうのう育そだ育そだそだちちちけるけるけるよよよととと思おも思おもおもひひい出い出いいでででてててももも悲かな悲かなかなしかりしかりしかりけりけりけり。。。少せう少せうしょう將しやう將しやうしょうはははもともともとののの如ごと如ごとごとくくく院ゐん院ゐんいんへへへ參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまひひいててて、、、宰さい宰さいさい相しやう相しやうしょうののの中ちゆう中ちゆうちゅう將じやう將じやうじょうまでまでまで上のぼ上のぼのぼりりりたまふたまふたまう。。。
  21. 21康やす康やすやす賴より賴よりより入にふ入にふにゅう道だう道だうどうははは東ひがし東ひがしひがし山やま山やまやま雙さう雙さうそう林りん林りんりん寺じ寺じじにににわがわがわが山さん山さんさん莊さう莊さうそうのののありありありけれけれければばば、、、それそれそれににに落お落おおちちちついついついててて、、、まづまづまずかうかうこうぞぞぞ思おも思おもおもひひいつゞけつゞけつづけけるけるける。。。
  22. 22ふるふるふるさとさとさとののの軒のき軒のきのきののの板いた板いたいた間ま間ままににに苔こけ苔こけこけむしむしむしててて思おも思おもおもひひいしししほどほどほどははは洩も洩ももらららぬぬぬ月つき月つきつきかなかなかな
  23. 23やがてやがてやがてそこそこそこににに籠ろう籠ろうろう居きよ居きよきょしてしてして、、、うかりうかりうかりししし昔むかし昔むかしむかしををを思おも思おもおもひひいやりやりやり、、、寶ほう寶ほうほう物ぶつ物ぶつぶつ集しふ集しふしゅうととといふいふいう物もの物ものもの語がたり語がたりがたりををを書か書かかきききけるけるけるとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。

引用の仕方

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現代語訳

正月下旬に、丹波少将成経と平判官康頼入道の二人は、肥前国の鹿瀬の荘を出発して、都へと急がれたが、余寒もまだ厳しく、海もひどく荒れたので、浦伝い島伝いに進んで、二月十日ごろに備前の児島にお着きになった。

そこから父大納言がおいでになったという有木の別所とかいう所を尋ねて入ってご覧になると、竹の柱や古びた障子などに書き置かれた筆の跡をご覧になって、「ああ、人の形見には筆跡にまさるものはない。書き置いてくださらなかったら、どうしてこれを見ることができただろう」といって、康頼入道と二人で、読んでは泣き、泣いては読む。

「安元三年七月二十日出家、同じく二十六日信俊下向」とも書かれていた。それでこそ源左衛門尉信俊が参ったことも知られたのである。かたわらの壁には「三尊来迎の便りあり、九品往生疑いなし」とも書かれていた。この形見をご覧になって、やはり極楽浄土を願う望みもお持ちであったのだと、限りない嘆きの中にも、少しは頼もしげにおっしゃった。

その墓を尋ねてご覧になると、松がひとむら生えている中に、しっかりと壇を築いたというわけでもなく、土の少し高くなった所に向かって、少将は袖をかき合わせ、生きている人にものを申すように、泣く泣く繰り返し申されたことには、

「遠い所で亡くなられ御守りとなられたことは、島でもかすかに伝え聞いておりましたが、思うにまかせぬつらい身でしたので、急いで参ることもできませんでした。成経があの島へ流されてからの心細さは、一日片時の命も危ういほどでしたが、さすがに露のような命は消えずに、この二年を送って、今召し返される嬉しさも、もっともなことではありますが、父大納言殿が確かにこの世においでになるのをお目にかけてこそ、命の長らえたかいもありましょう。ここまでは急いで参りましたが、今日から後は急ごうとも思いません」といって、繰り返し訴えてお泣きになった。

まことに、ご存命のときであれば、大納言入道殿こそ何とかおっしゃるはずであるが、生死を隔てた定めほど恨めしいことはない。苔の下では誰が答えよう、ただ嵐に騒ぐ松の響きばかりである。

その夜は康頼入道と二人で墓の周りを行道し、夜が明けると新しく壇を築き、釘貫(柵)をめぐらせ、前に仮屋を造って、七日七夜の間念仏を唱え、経を書いて、結願には大きな卒塔婆を立てて、「過去聖霊、出離生死、証大菩提」と書き、年号月日の下には「孝子成経」と書かれたので、身分の低い山人のような情けを知らぬ者も、子にまさる宝はないといって、袖を濡らさない者はなかった。

年が去り年が来ても、忘れがたいのは育ててくれた昔の恩で、それは夢のようにまぼろしのようである。尽きることがないのは慕い続ける今の涙である。三世十方の仏陀や聖衆も憐れまれ、亡き魂もどれほど嬉しくお思いになったことであろう。

「もうしばらくここにいて念仏の功徳を積むべきですが、都で待つ人々が気がかりに思っているでしょうから、またこそ参りましょう」といって、亡き人に別れを告げながら、泣く泣くそこを立たれた。草葉の陰でも名残惜しく思われたことであろう。

同じ三月十六日、少将はまだ明るいうちに鳥羽に着かれた。故大納言殿の山荘で、洲浜殿という邸が鳥羽にある。そこに立ち寄ってご覧になると、住み荒らして年月がたったので、築地はあっても覆いもなく、門はあっても扉もない。庭に入ってご覧になると、人の足跡も絶えて苔が深い。池のほとりを見回すと、秋の山という築山に吹く春風に、白波がしきりに折り重なって、紫の鴛鴦や白い鷗がのどかに泳いでいる。これを楽しんだ人が恋しくて、ただ尽きないものは涙である。

家はあるけれども、欄干のある門は破れ、蔀や遣戸もすっかりなくなっている。「ここに大納言殿はこうしておいでになった、この妻戸をこうして出入りなさった、あの木はご自分でお植えになった」などといって、言葉の端々にも、ただ父のことばかりを恋しげにおっしゃった。

三月の中の六日なので、花はまだ名残をとどめている。楊梅や桃李の梢は、季節を知っているかのように色とりどりである。昔の主人はいないけれども、昔を忘れない花なのであろうか。少将は花のもとに立ち寄って、

桃李もの言はず、春いくたびか暮れぬる。煙霞跡なし、昔誰か栖みし。

ふるさとの花がもしものを言う世であったなら、どんなにか昔のことを尋ねたであろうに。

この古い詩歌を口ずさまれると、康頼入道も折からしみじみと感じて、墨染の袖を濡らした。日が暮れるまでとは待たれたが、あまりに名残惜しくて、夜が更けるまでそこにおいでになった。夜が更けていくにつれて、荒れた家の常として、古い軒の板の隙間から漏れる月の光は限りもない。鶏籠の山が明けようとしても、家路はいっこうに急ぐ気にならない。

そうしてばかりもいられないので、迎えに乗り物などを遣わして待っているだろうに気の毒だといって、少将は泣く泣く洲浜殿を出て、都へ帰り上られた。人々の心の中は、さぞ嬉しくもあり、またあわれでもあったろう。

康頼入道の迎えにも乗り物があったけれども、今さら名残が惜しいといってそれには乗らず、少将の車の後ろに乗って七条河原までは行き、そこから別れて行ったが、それでもなお行きかねていた。

花のもとで半日を過ごした客、月の前で一夜を語り合った友、旅人が通り雨を一本の木の陰に避けて立ち寄り合ったのでさえ、別れる名残は惜しいものである。ましてこれは、つらかった島での住まい、船の中、波の上と、同じ業の報いを受けた身であるから、前世からの縁も浅くはないと思われたのであろう。

少将の母上は霊山においでになったが、昨日から宰相の宿所に来て待っておられた。少将が入って来られる姿をただ一目ご覧になって、「命があればこそ」とだけ言って、衣を引きかぶって伏してしまわれた。

北の方はあれほど美しく華やかでいらっしゃったが、尽きない物思いにやせ衰えて黒ずみ、その人とも見えなかった。乳母の六条の黒かった髪も白くなっていた。少将が流されたとき三歳で別れた幼い子も、今は大きくなって、髪を結うほどになっている。その傍らに三つばかりの幼い子がいたので、少将が「あれは誰か」とおっしゃると、六条が「この子こそ」とだけ申して涙を流したので、さては自分が流されたとき、身重で苦しそうだった様子を見置いてきたが、無事に育ったのだなと思い出すにつけても悲しかった。少将はもとのように院へ出仕なさって、宰相中将まで昇進なさった。

康頼入道は東山の双林寺に自分の山荘があったので、そこに落ち着いて、まずこのように詠み続けた。

ふるさとの家の軒の板の隙間に苔が生えて、思っていたほどには月の光も漏れてこない。

やがてそこに籠居して、つらかった昔を思いやり、『宝物集』という物語を書いたと聞こえた。

意訳

赦された成経が、帰京の途中で亡き父成親の跡をたどる章段である。父の配所の障子に残された筆跡、粗末な墓、荒れ果てた鳥羽の山荘と、成経は父の不在を一つ一つ確かめていく。「生を隔てたるならひほど、うらめしかりける事はなし」という言葉が、帰京の喜びの裏にある深い喪失感を伝えている。

鳥羽の洲浜殿の場面では、変わらずに咲く花と変わり果てた邸を対比し、「桃李もの言はず」の詩句と「ふるさとの花のものいふ世なりせば」の歌を重ねて、主人を失った邸の哀れを描く。結びでは都での再会が語られるが、成経の母は「命あれば」とだけ言って泣き伏し、言葉にならない喜びと悲しみが短い一句に込められている。

語釈・文法注

文法

「兎こそおはせしか」
「兎」は「と」の万葉仮名。「とこそおはせしか」で、このようにしておいでになった、の意。
「三尊來迎便りあり、九品往生疑ひなし」
阿弥陀三尊が迎えに来てくださるよすがはある、極楽の九品のいずれかに往生するのは疑いない、の意。
「過去聖靈、出離生死、證大菩提」
亡き人の霊よ、生死の迷いを離れて、大いなる悟りを得たまえ、の意。卒塔婆に記す回向の文句。
「一業所感」
同じ業(前世の行い)によって同じ報いを受けること。
「三つばかんなる」
「三つばかりなる」の撥音便。
「命あれば」
「命あればこそ、このような再会もできた」の意を、言いさして示す。

和歌

ふるさとの花のものいふ世なりせばいかに昔のことを問はまし

詠者
(古歌)
状況
成経が父成親の山荘であった洲浜殿の荒れた庭で、散り残る花を見て口ずさんだ古歌。「桃李不言春幾暮」の詩句とともに引かれる。

修辞

反実仮想
「…せば…まし」で、花がものを言う世であったなら昔のことを尋ねようものを、と実際にはかなわない願いを述べる。

ふるさとの軒の板間に苔むして思ひしほどは洩らぬ月かな

詠者
平康頼
状況
都に帰った康頼が、東山の双林寺の山荘に落ち着いて詠んだ歌。

修辞

対比
荒れた宿は月がよく漏れるという通念を踏まえ、島で思い描いていたほどには荒れておらず、苔が板間をふさいで月も漏れないと、帰郷の感慨を詠む。

解説

成親は治承元年(1177)に備前で殺された(巻第二「大納言の死去の事」)。成経が父の墓を訪ねたのは翌々年の治承三年の春である。洲浜殿は鳥羽の離宮の近くにあった成親の山荘。康頼が著したとされる『宝物集』は、仏教説話集で、鬼界が島での体験を踏まえて成立したといわれる。「桃李不言春幾暮」の詩は『和漢朗詠集』に見える菅原文時の句である。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、376–380頁(コマ217–219)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日