古典ライブラリー

平家物語 巻第三

赦文の事

治承二年、中宮徳子が懐妊したが、重い物の怪に苦しめられ、崇徳院や藤原頼長、成親・西光の怨霊、鬼界が島の流人の生霊などが現れた。怨霊を鎮めるため崇徳院に追号が贈られ、門脇の宰相教盛の願いを受けた重盛の取りなしで、非常の大赦が決まる。清盛は成経と康頼を赦したが、俊寛だけは許さなかった。赦文を携えた使者は九月二十日ごろ鬼界が島に着いた。

  1. 1治ぢ治ぢじ承しよう承しようしょう二に二にに年ねん年ねんねん正しやう正しやうしょう月ぐわつ月ぐわつがつ一ひと一ひとひと日ひ日ひひののの日ひ日ひひ、、、院ゐん院ゐんいんののの御ご御ごご所しよ所しよしょにににははは拜はい拜はいはい禮らい禮らいらい行おこな行おこなおこなははわれれれててて、、、四よつ四よつよっ日か日かかののの日ひ日ひひ朝てう朝てうちょうののの行ぎやう行ぎやうぎょう幸かう幸かうこうありありありけりけりけり。。。何なに何なになに事ごと事ごとごとももも例れい例れいれいにににかはりかはりかわりたるたるたる事こと事ことことはははなけれなけれなけれどもどもども、、、去こ去ここ年ぞ年ぞぞののの夏なつ夏なつなつ、、、新しん新しんしん大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん成なり成なりなり親ちか親ちかちかののの卿きやう卿きやうきょう以い以いい下げ下げげ、、、近きん近きんきん習じゆ習じゆじゅののの人ひと人ひとひと々びと々びとびと多おほ多おほおおくくく流なが流ながながししし失うしな失うしなうしなははわれれれしししことことこと、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう御おん御おんおん憤いきどほ憤いきどほいきどおりりり未いま未いまいまだだだ止や止ややまままざれざれざればばば、、、世よ世よよののの政まつりごと政まつりごとまつりごとをををももも萬よろづ萬よろづよろずものものものうくうくうくおぼしめしおぼしめしおぼしめしててて、、、御み御みみ心こころ心こころこころよからよからよからぬぬぬ事こと事ことことどもどもどもにににてててぞぞぞ候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるける。。。太だい太だいだい政じやう政じやうじょうののの入にふ入にふにゅう道だう道だうどうももも、、、多た多たた田だ田だだののの藏くら藏くらくら人うど人うどうど行ゆき行ゆきゆき綱つな綱つなつなががが告つ告つつげげげ知し知ししらせらせらせ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて後のち後のちのちははは、、、君きみ君きみきみをををももも御おん御おんおんうしろめたきうしろめたきうしろめたき事こと事ことことにににおもひおもひおもい奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、上うへ上うへうえにににははは事こと事ことことなきなきなきやうやうようなれなれなれどもどもども、、、下した下したしたにににははは用よう用ようよう心じん心じんじんしてしてして、、、苦にが苦にがにが笑わら笑わらわらひひいてててのみのみのみぞぞぞ候さぶら候さぶらさぶらははわれれれけるけるける。。。
  2. 2七なぬ七なぬなぬ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、彗すゐ彗すゐすい星せい星せいせい東とう東とうとう方ばう方ばうぼうににに出い出いいづづず、、、蚩し蚩しし尤いう尤いうゆうともともとも申まう申まうもうすすす。。。またまたまた赤せき赤せきせき氣き氣ききともともとも申まう申まうもうすすす。。。十じふ十じふじゅう八はち八はちはち日にち日にちにち、、、光ひかり光ひかりひかりをををますますます。。。
  3. 3入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの御おん御おんおん女むすめ女むすめむすめ建けん建けんけん禮れい禮れいれい門もん門もんもん院ゐん院ゐんいん、、、そのそのその時とき時ときときははは未いま未いまいまだだだ中ちゆう中ちゆうちゅう宮ぐう宮ぐうぐうととと聞きこ聞きこきこえええさせさせさせ給たま給たまたまひひいしししががが、、、御ご御ごご惱なう惱なうのうとてとてとて、、、雲くも雲くもくもののの上うへ上うへうえ、、、天あめ天あめあめががが下した下したしたののの歎なげ歎なげなげきききにににてててぞぞぞ候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるける。。。諸しよ諸しよしょ寺じ寺じじににに御み御みみ讀ど讀どど經きやう經きやうきょうはじまりはじまりはじまり、、、諸しよ諸しよしょ社しや社しやしやへへへ官くわん官くわんかん幣ぺい幣ぺいぺい使し使ししををを立た立たたてててらるらるらる。。。醫い醫いい家け家けけ藥くすり藥くすりくすりをををつくしつくしつくし、、、陰おん陰おんおん陽やう陽やうよう術じゆつ術じゆつじゅつをををきはめきはめきわめ、、、大だい大だいだい法ほふ法ほふほう祕ひ祕ひひ法ほふ法ほふほう、、、一ひと一ひとひとつつつとととしてしてして殘のこ殘のこのこるるる所ところ所ところところなうなうのう修しゆ修しゆしゅせせせられられられけりけりけり。。。されどもされどもされども御ご御ごご惱なう惱なうのうたゞたゞただにににもももわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまははわずずず、、、御ご御ごご懷くわい懷くわいかい妊にん妊にんにんとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうははは今こ今ここ年とし年としとし十じふ十じふじゅう八はち八はちはち、、、中ちゆう中ちゆうちゅう宮ぐう宮ぐうぐうははは二に二にに十じふ十じふじゅう二に二にににににならならならせせせ給たま給たまたまふふう。。。しかれどもしかれどもしかれども、、、未いま未いまいまだだだ皇わう皇わうおう子じ子じじももも、、、姫ひめ姫ひめひめ宮みや宮みやみやももも出い出いいででで來こ來ここさせさせさせ給たま給たまたまははわずずず。。。
  4. 4もしもしもし皇わう皇わうおう子じ子じじにににてててましまさましまさましまさばばば、、、いかにいかにいかにめでたからめでたからめでたからんんんととと、、、平へい平へいへい家け家けけののの人ひと人ひとひと々びと々びとびとたゞたゞただ今いま今いまいま皇わう皇わうおう子じ子じじ誕たん誕たんたん生じやう生じやうじょうあるあるあるやうやうようににに申まう申まうもうしししててて、、、勇いさ勇いさいさみみみ悅よろこ悅よろこよろこびびび合あ合ああははわれれれけりけりけり。。。他た他たた家け家けけののの人ひと人ひとひと々びと々びとびとももも、、、「「「平へい平へいへい家け家けけ繁はん繁はんはん昌じやう昌じやうじょうののの折をり折をりおりををを得え得ええたりたりたり、、、皇わう皇わうおう子じ子じじ御ご御ごご誕たん誕たんたん生じやう生じやうじょう疑うたが疑うたがうたがひひいなしなしなし。。。」」」とととぞぞぞ申まう申まうもうししし合あ合ああははわれれれけるけるける。。。御ご御ごご懷くわい懷くわいかい妊にん妊にんにん定さだ定さださだまらまらまらせせせたまひたまひたまいしかしかしかばばば、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこく、、、有う有うう驗げん驗げんげんののの高かう高かうこう僧そう僧そうそう貴き貴きき僧そう僧そうそうににに仰おほ仰おほおおせせせててて、、、大だい大だいだい法ほふ法ほふほう祕ひ祕ひひ法ほふ法ほふほうををを修しゆ修しゆしゅししし、、、星しやう星しやうしょう宿しゆく宿しゆくしゅく、、、佛ぶつ佛ぶつぶつ菩ぼ菩ぼぼ薩さつ薩さつさつににに告つ告つつげげげててて、、、皇わう皇わうおう子じ子じじ御ご御ごご誕たん誕たんたん生じやう生じやうじょうとととのみのみのみ祈き祈きき誓せい誓せいせいせせせらるらるらる。。。
  5. 5六ろく六ろくろく月ぐわつ月ぐわつがつ一ひと一ひとひと日ひ日ひひののの日ひ日ひひ中ちゆう中ちゆうちゅう宮ぐう宮ぐうぐう御ご御ごご著ちやく著ちやくちゃく帶たい帶たいたいありありありけりけりけり。。。仁にん仁にんにん和な和なな寺じ寺じじののの御お御おお室むろ室むろむろ守しゆ守しゆしゅ覺かく覺かくかく法ほふ法ほふほっ親しん親しんしん王わう王わうのう、、、急いそ急いそいそぎぎぎ御ご御ごご參さん參さんさん内だい内だいだいあつあつあっててて、、、孔く孔くく雀じやく雀じやくじゃく經きやう經きやうきょうののの法ほふ法ほふほうををを以もつ以もつもっててて御ご御ごご加か加かか持ぢ持ぢじありありあり。。。天てん天てんてん台だい台だいだいののの座ざ座ざざ主す主すす覺かく覺かくかく快くわい快くわいかい法ほふ法ほふほっ親しん親しんしん王わう王わうのう、、、寺てら寺てらてらののの長ちやう長ちやうちょう吏り吏りり圓ゑん圓ゑんえん慶けい慶けいけい法ほふ法ほふほっ親しん親しんしん王わう王わうのうももも同おな同おなおなじくじくじく參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまひひいててて、、、變へん變へんへん成じやう成じやうじょう男なん男なんなんののの法ほふ法ほふほうををを修しゆ修しゆしゅせせせられられられけりけりけり。。。
  6. 6斯か斯かかかりかりかりししし程ほど程ほどほどににに、、、中ちゆう中ちゆうちゅう宮ぐう宮ぐうぐうははは月つき月つきつきののの重かさ重かさかさなるなるなるににに從したが從したがしたがつつっててて、、、御おん御おんおん身み身みみををを苦くる苦くるくるしうしうしゅうせせせさせさせさせ給たま給たまたまふふう。。。一ひと一ひとひと度たび度たびたび笑ゑ笑ゑえめめめばばば百もゝ百もゝももののの媚こび媚こびこびありありありけんけんけん漢かん漢かんかんののの李り李りり夫ふ夫ふふ人じん人じんじん、、、照せう照せうしょう陽やう陽やうよう殿でん殿でんでんののの病やまひ病やまひやまいののの床とこ床とことこももも斯か斯かかくくくやややととと覺おぼ覺おぼおぼえええ、、、唐たう唐たうとうののの楊やう楊やうよう貴き貴きき妃ひ妃ひひ、、、梨り梨りり花くわ花くわか一いつ一いついっ枝し枝しし春はる春はるはるののの雨あめ雨あめあめををを帶お帶おおびびび、、、芙ふ芙ふふ蓉よう蓉ようようののの風かぜ風かぜかぜににに萎しを萎しをしおれれれつゝつゝつつ、、、女郎花をみなへし女郎花をみなへしおみなえしののの露つゆ露つゆつゆ重おも重おもおもげげげなるなるなるよりよりより、、、猶なほ猶なほなおいたはしきいたはしきいたわしき御おん御おんおんさまさまさまなりなりなり。。。
  7. 7斯か斯かかかるかるかる御おん御おんおん惱なや惱なやなやみみみののの折をり折をりおりふしふしふしにににあはせあはせあわせててて、、、こはきこはきこわき御おん御おんおんもののけもののけもののけどもどもども、、、あまたあまたあまた取と取ととりりり入い入いいりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。、、、明みやう明みやうみょう王わう王わうおうののの縛ばく縛ばくばくにににかけかけかけててて、、、靈りやう靈りやうりょう顯あら顯あらあらはれはれわれたりたりたり。。。殊こと殊ことことににに讚さぬ讚さぬさぬ岐き岐ききののの院ゐん院ゐんいんののの御ご御ごご靈りやう靈りやうりょう、、、宇う宇うう治ぢ治ぢじののの惡あく惡あくあく左さ左ささ府ふ府ふふののの御ご御ごご憶おく憶おくおく念ねん念ねんねん、、、新しん新しんしん大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん成なり成なりなり親ちか親ちかちかののの卿きやう卿きやうきょうののの死し死しし靈りやう靈りやうりょう、、、西さい西さいさい光くわう光くわうかう法ほふ法ほふほっ師し師ししががが惡あく惡あくあく靈りやう靈りやうりょう、、、鬼き鬼きき界かい界かいかいががが島しま島しましまののの流る流るる人にん人にんにん共ども共どもどもののの生いき生いきいき靈りやう靈りやうりょうなんぞなんぞなんぞととと申まう申まうもうしししけるけるける。。。
  8. 8これこれこれににに依よ依よよつつっててて生いき生いきいき靈りやう靈りやうりょうをををももも死し死しし靈りやう靈りやうりょうをををももも宥なだ宥なだなだめめめらるらるらるべしべしべしとてとてとて、、、まづまづまず讚さぬ讚さぬさぬ岐き岐ききののの院ゐん院ゐんいんののの御ご御ごご追つゐ追つゐつい號がう號がうごうあつあつあっててて崇す崇すす德とく德とくとく天てん天てんてん皇わう皇わうのうととと號がう號がうごうししし、、、宇う宇うう治ぢ治ぢじののの惡あく惡あくあく左さ左ささ府ふ府ふふ贈ぞう贈ぞうぞう官くわん官くわんかん贈ぞう贈ぞうぞう位ゐ位ゐい行おこな行おこなおこなははわれれれててて、、、太だい太だいだい政じやう政じやうじょう大だい大だいだい臣じん臣じんじん正しやう正しやうしょう一いち一いちいち位ゐ位ゐいををを贈おく贈おくおくらららるるる。。。敕ちよく敕ちよくちょく使し使ししははは少せう少せうしょう内ない内ないない記き記きき維これ維これこれ基もと基もともととととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。件くだん件くだんくだんののの墓む墓むむ所しよ所しよしょははは大やま大やまやま和と和ととののの國くに國くにくに添そふ添そふそう上のかみ上のかみのかみののの郡こほり郡こほりこおり河かは河かはかわ上かみ上かみかみののの村むら村むらむら、、、般はん般はんはん若にや若にやにゃ野の野ののののの五ご五ごご三さん三さんさん昧まい昧まいまいなりなりなり。。。保ほう保ほうほう元げん元げんげんののの秋あき秋あきあき、、、掘ほ掘ほほりりりおこしおこしおこしててて捨す捨すすてててられられられししし後のち後のちのちははは、、、死し死しし骸がい骸がいがい道みち道みちみちのののほとりほとりほとりののの土つち土つちつちとととなつなつなっててて、、、年ねん年ねんねん々ねん々ねんねんにににたゞたゞただ春はる春はるはるののの草くさ草くさくさのみのみのみしげれしげれしげれりりり。。。今いま今いまいま敕ちよく敕ちよくちょく使し使ししたづねたづねたずね來き來ききててて宣せん宣せんせん命みやう命みやうみょうををを讀よ讀よよみみみけれけれければばば、、、亡ばう亡ばうぼう魂こん魂こんこん尊そん尊そんそん靈りやう靈りやうりょういかにいかにいかに嬉うれ嬉うれうれしししとととおぼしおぼしおぼしけんけんけん。。。
  9. 9さればさればされば早さ早ささ良はら良はらはらののの廢はい廢はいはい太たい太たいたい子し子ししをををばばば崇す崇すす道だう道だうどう天てん天てんてん皇わう皇わうのうととと號がう號がうごうししし、、、井ゐ井ゐい上がみ上がみがみののの内ない内ないない親しん親しんしん王わう王わうのうをををばばば皇くわう皇くわうかう后ごう后ごうごうののの職しき職しきしき位ゐ位ゐいににに復ふく復ふくふくすすす。。。これこれこれみなみなみな怨をん怨をんおん靈りやう靈りやうりょうををを宥なだ宥なだなだめめめられられられししし策はかりごと策はかりごとはかりごととととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。怨をん怨をんおん靈りやう靈りやうりょうははは昔むかし昔むかしむかしもももかくかくかく怖おそ怖おそおそろしかりろしかりろしかりししし事こと事ことことどもどもどもなりなりなり。。。冷れい冷れいれい泉ぜい泉ぜいぜい院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおんものものもの狂ぐる狂ぐるぐるはしうはしうわしゅうまし〳〵まし〳〵ましまし、、、花くわ花くわか山ざん山ざんざんののの法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうののの十じふ十じふじゅう善ぜん善ぜんぜんののの帝てい帝ていてい位ゐ位ゐいをををすべらすべらすべらせせせ給たま給たまたまひひいしししははは、、、基もと基もともとののの民みん民みんみん部ぶ部ぶぶののの卿きやう卿きやうきょうががが靈りやう靈りやうりょうなりなりなり。。。またまたまた三さん三さんさん條でう條でうじょうののの院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおん目め目めめももも御ご御ごご覽らん覽らんらんぜぜぜられられられざりざりざりしししははは、、、寛くわん寛くわんかん算ざん算ざんざん供ぐ供ぐぐ奉ぶ奉ぶぶががが靈りやう靈りやうりょうとととかやかやかや。。。
  10. 10門かど門かどかど脇わき脇わきわきののの宰さい宰さいさい相しやう相しやうしょうかやうかやうかようののの事こと事ことことどもどもどもををを傳つた傳つたつたへへえ聞き聞ききききき給たま給たまたまひひいててて、、、小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどのににに申まう申まうもうささされれれけるけるけるははは、、、「「「今こん今こんこん度ど度どど中ちゆう中ちゆうちゅう宮ぐう宮ぐうぐう御ご御ごご產さん產さんさんののの御おん御おんおん祈いの祈いのいのりりり、、、さまざまさまざまさまざまににに候さふらふ候さふらふそうろうなりなりなり。。。何なに何なになにととと申まう申まうもうすすすともともとも、、、非ひ非ひひ常じやう常じやうじょうののの赦しや赦しやしやににに過す過すすぎぎぎたるたるたるほどほどほどののの事こと事ことこと、、、あるあるあるべしべしべしともともとも覺おぼ覺おぼおぼえええ候さふら候さふらそうらははわずずず。。。中なか中なかなかにににももも鬼き鬼きき界かい界かいかいががが島しま島しましまののの流る流るる人にん人にんにんどもどもどもををを、、、召め召めめししし還かへ還かへかえささされれれたらたらたらんんんほどほどほどののの功く功くく德どく德どくどく善ぜん善ぜんぜん根ごん根ごんごん、、、何なに何なになに事ごと事ごとごとかかか候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、
  11. 11父ちゝ父ちゝちちののの禪ぜん禪ぜんぜん門もん門もんもんののの御おん御おんおん前まへ前まへまえにににおはしおはしおわしててて、、、「「「あのあのあの丹たん丹たんたん波ば波ばばののの少せう少せうしょう將しやう將しやうしょうががが事こと事ことことををを、、、門かど門かどかど脇わき脇わきわきののの宰さい宰さいさい相しやう相しやうしょうあまりあまりあまりににに嘆なげ嘆なげなげききき申まう申まうもうすすすががが不ふ不ふふ便びん便びんびんににに候さふらふ候さふらふそうろう。。。ことさらことさらことさら中ちゆう中ちゆうちゅう宮ぐう宮ぐうぐう御ご御ごご惱なう惱なうのうののの御おん御おんおんことことこと、、、承うけたまは承うけたまはうけたまわりりり及およ及およおよぶぶぶ如ごと如ごとごとくくくんんんばばば、、、成なり成なりなり親ちか親ちかちかののの卿きやう卿きやうきょうががが死し死しし靈りやう靈りやうりょうなどなどなど聞きこ聞きこきこえええててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんががが死し死しし靈りやう靈りやうりょうををを宥なだ宥なだなだめめめんんんとととおぼしめさおぼしめさおぼしめさんんんにににつけつけつけてててははは、、、生い生いいきききててて候さふらふ候さふらふそうろう少せう少せうしょう將しやう將しやうしょうをををこそこそこそ召め召めめししし還かへ還かへかえささされれれ候さふら候さふらそうらははわめめめ。。。人ひと人ひとひとののの思おも思おもおもひひいをををやめやめやめさせさせさせ給たま給たまたまははわばばば、、、おぼしめすおぼしめすおぼしめす事こと事ことこともももかなひかなひかない、、、人ひと人ひとひとののの願ねが願ねがねがひひいををを叶かな叶かなかなへへえさせさせさせましまさましまさましまさばばば、、、御ご御ごご願ぐわん願ぐわんがんもももすなはちすなはちすなわち成じやう成じやうじょう就じゆ就じゆじゅしてしてして、、、御ご御ごご產さん產さんさん平へい平へいへい安あん安あんあん、、、皇わう皇わうおう子じ子じじ御ご御ごご誕たん誕たんたん生じやう生じやうじょうあつあつあっててて、、、家か家かか門もん門もんもんののの榮えい榮えいえい花ぐわ花ぐわが、、、いよいよいよいよいよいよ盛さか盛さかさかんんんににに候さふらふ候さふらふそうろうべしべしべし。。。」」」などなどなど申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、
  12. 12入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこく、、、日ひ日ひひ頃ごろ頃ごろごろよりよりよりことことことののの外ほか外ほかほかにににやはらいやはらいやわらいででで、、、「「「俊しゆん俊しゆんしゅん寛くわん寛くわんかんややや康やす康やすやす賴より賴よりより法ほふ法ほふほっ師し師ししががが事こと事ことことはははいかにいかにいかに。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「それそれそれももも同おな同おなおなじうじうじゅうははは召め召めめしししこそこそこそ還かへ還かへかえささされれれ候さふら候さふらそうらははわめめめ。。。もしもしもし一ひと一ひとひと人り人りりももも殘のこ殘のこのこささされれれたらたらたらんんんははは、、、なか〳〵なか〳〵なかなか罪ざい罪ざいざい業ごふ業ごふごうたるたるたるべうべうびょう候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこく、、、「「「康やす康やすやす賴より賴よりより法ほふ法ほふほっ師し師ししががが事こと事ことことはははさるさるさることことことなれなれなれどもどもども、、、俊しゆん俊しゆんしゅん寛くわん寛くわんかんははは隨ずゐ隨ずゐずい分ぶん分ぶんぶん入にふ入にふにゅう道だう道だうどうががが口こう口こうこうををを以もつ以もつもっててて、、、人ひと人ひとひととととなつなつなったるたるたるものものものぞぞぞかしかしかし。。。それそれそれににに所ところ所ところところしもしもしもこそこそこそ多おほ多おほおおけれけれけれ、、、東ひがし東ひがしひがし山やま山やまやま鹿しし鹿ししししののの谷たに谷たにたに、、、わがわがわが山さん山さんさん莊さう莊さうそうににに寄よ寄よよりりりあひあひあいててて、、、奇き奇きき怪くわい怪くわいかいのののふるまひふるまひふるまいどもどもどもありありありけんけんけんなれなれなればばば、、、俊しゆん俊しゆんしゅん寛くわん寛くわんかんががが事こと事ことことははは思おも思おもおもひひいももも寄よ寄よよらららずずず。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。
  13. 13大おと大おとおと臣ど臣どど歸かへ歸かへかえつつっててて、、、叔を叔をお父ぢ父ぢじののの宰さい宰さいさい相しやう相しやうしょうををを呼よ呼よよびびび奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、「「「少せう少せうしょう將しやう將しやうしょうははは既すで既すですでににに赦しや赦しやしや免めん免めんめんあるあるあるべきべきべきででで候さふらふ候さふらふそうろうぞぞぞ。。。御み御みみ心こころ心こころこころやすうやすうやすうおぼしめさおぼしめさおぼしめされれれ候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、宰さい宰さいさい相しやう相しやうしょう聞き聞きききききもももあへあへあえ給たま給たまたまははわずずず、、、泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく手て手ててををを合あ合ああははわせせせてててぞぞぞ悅よろこ悅よろこよろこばばばれれれけるけるける。。。「「「下くだ下くだくだりりり候さふら候さふらそうらひひいししし時とき時ときときももも、、、これこれこれ程ほど程ほどほどのののことことこと、、、などなどなどややや申まう申まうもうししし受う受ううけけけざらざらざらんんんととと思おも思おもおもひひいたりたりたりげげげにににててて、、、教のり教のりのり盛もり盛もりもりををを見み見みみ候さふらふ候さふらふそうろう度たび度たびたびごとごとごとににに、、、涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながししし候さふら候さふらそうらひひいしししががが不ふ不ふふ便びん便びんびんににに候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」とととぞぞぞ申まう申まうもうささされれれけるけるける。。。小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどの、、、「「「まことまことまことににに、、、さこそさこそさこそはははおぼしめさおぼしめさおぼしめされれれ候さふらふ候さふらふそうろうらめらめらめ。。。子こ子ここははは誰たれ誰たれたれとてとてとてもももかなしけれかなしけれかなしければばば、、、よく〳〵よく〳〵よくよく申まう申まうもうししし候さふら候さふらそうらははわんんん。。。」」」とてとてとて入い入いいりりり給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。
  14. 14さるさるさる程ほど程ほどほどににに鬼き鬼きき界かい界かいかいががが島しま島しましまののの流る流るる人にん人にんにんどもどもどもののの、、、召め召めめししし還かへ還かへかえさささるるるべきべきべき事こと事ことこと定さだ定さださだまりまりまりしかしかしかばばば、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの赦ゆるし赦ゆるしゆるし文ぶみ文ぶみぶみ書か書かかいいいてててぞぞぞたうでたうでとうでけるけるける。。。御おん御おんおん使つかひ使つかひつかい既すで既すですでににに都みやこ都みやこみやこををを立た立たたつつつ。。。宰さい宰さいさい相しやう相しやうしょうあまりあまりあまりのののうれしさうれしさうれしさににに、、、御おん御おんおん使つかひ使つかひつかいににに私わたくし私わたくしわたくしののの使つかひ使つかひつかいををを添そ添そそへへえててて下くだ下くだくだささされれれけるけるける。。。夜よ夜よよををを晝ひる晝ひるひるにににしてしてして急いそ急いそいそぎぎぎ下くだ下くだくだれれれとととありありありしかしかしかどもどもども、、、心こころ心こころこころににに任まか任まかまかせせせぬぬぬ海かい海かいかい路ろ路ろろなれなれなればばば、、、波なみ波なみなみ風かぜ風かぜかぜををを凌しの凌しのしのいいいででで行ゆ行ゆゆくくく程ほど程ほどほどににに、、、都みやこ都みやこみやこをををばばば七しち七しちしち月ぐわつ月ぐわつがつ下げ下げげ旬じゆん旬じゆんじゅんににに出い出いいでででたれたれたれどもどもども、、、九なが九ながなが月つき月つきつき二十日はつか二十日はつかはつか頃ごろ頃ごろごろにににぞぞぞ鬼き鬼きき界かい界かいかいががが島しま島しましまにににははは著つ著つつきききにににけるけるける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

治承二年(1178)正月一日、院の御所では拝礼が行われ、四日には朝覲の行幸があった。何事も例年と変わったことはなかったが、去年の夏、新大納言成親卿以下、近習の人々が多く流され殺されたことで、法皇のお怒りがまだ収まらないので、世の政治もすべて気が進まずお思いになって、ご機嫌のよくないことばかりであった。太政入道(清盛)も、多田蔵人行綱が密告申し上げてからは、法皇をも油断のならないお方とお思い申し、表向きは何事もないようにしていたが、内心では用心して、苦笑いばかりしておられた。

七日、彗星が東の方に現れた。蚩尤気とも申す。また赤気とも申す。十八日、その光が増した。

入道相国の御娘の建礼門院は、そのときはまだ中宮と申し上げていたが、ご病気だということで、宮中も天下も嘆きに沈んでいた。諸寺で御読経が始まり、諸社へ官幣使が立てられた。医師は薬の限りを尽くし、陰陽師は術を極め、大法・秘法は一つとして残らず修せられた。けれどもご病気はただのものではなく、ご懐妊とのことであった。主上(高倉天皇)は今年十八歳、中宮は二十二歳になられる。それなのに、まだ皇子も姫宮もお生まれになっていなかった。

もし皇子でいらっしゃったら、どんなにめでたいことだろうと、平家の人々はまるで今皇子が誕生したかのように言って、勇み喜び合われた。他家の人々も、「平家は繁栄の時を得た。皇子のご誕生は疑いない」と言い合われた。ご懐妊が確かになられたので、入道相国は霊験あらたかな高僧・貴僧に命じて大法・秘法を修させ、星宿や仏菩薩に申し上げて、ひたすら皇子のご誕生を祈願させた。

六月一日、中宮の御着帯の儀があった。仁和寺の御室守覚法親王が急いで参内されて、孔雀経の法で御加持をなさった。天台座主覚快法親王、園城寺の長吏円慶法親王も同じく参上なさって、変成男子の法を修せられた。

そうこうするうちに、中宮は月が重なるにつれて、お体を苦しくなさった。一たび笑えば百の媚があったという漢の李夫人の、昭陽殿での病の床もこのようであったかと思われ、唐の楊貴妃が、梨の花一枝が春の雨に濡れ、芙蓉が風にしおれ、女郎花が露に重たげであるよりも、なおいたわしいご様子である。

このようにお苦しみの折に合わせて、手ごわい物の怪たちが大勢取りついた。よりましに乗り移らせ、不動明王の縛にかけると、霊が正体を現した。とりわけ讃岐院(崇徳院)の御霊、宇治の悪左府(藤原頼長)の御怨念、新大納言成親卿の死霊、西光法師の悪霊、鬼界が島の流人たちの生霊などと申した。

これによって生霊も死霊も宥められるべきだということで、まず讃岐院に追号があって崇徳天皇と号し、宇治の悪左府には贈官・贈位が行われて、太政大臣正一位を贈られた。勅使は少内記維基と聞こえた。その墓所は大和国添上郡河上村、般若野の五三昧である。保元の乱の秋に掘り起こして捨てられてからは、遺骸は道のほとりの土となって、年々ただ春の草ばかりが茂っていた。今、勅使が訪ねて来て宣命を読んだので、亡き魂はどれほど嬉しくお思いになったことであろう。

それゆえ早良の廃太子を崇道天皇と号し、井上内親王を皇后の位に戻した。これはみな怨霊を宥められるための策と聞こえた。怨霊は昔もこのように恐ろしいものであった。冷泉院が物狂おしくいらっしゃり、花山法皇が十善の帝位をお退きになったのは、元方の民部卿の霊である。また三条院の御目がご覧になれなかったのは、寛算供奉の霊とかいう。

門脇の宰相(教盛)はこうしたことを伝え聞かれて、小松殿(重盛)に申されたことには、「このたびの中宮御産のご祈祷はさまざまに行われています。何と申しても、非常の大赦にまさることがあろうとは思われません。中でも鬼界が島の流人たちを召し返されるほどの功徳善根が、ほかに何がありましょう」と申されたので、

小松殿は父の禅門の御前においでになって、「あの丹波少将のことを、門脇の宰相があまりに嘆き申しているのが気の毒でございます。とりわけ中宮のご病気のこと、承るところでは、成親卿の死霊などと聞こえております。大納言の死霊を宥めようとお思いになるのでしたら、生きております少将をこそ召し返されるのがよいでしょう。人の思いを晴らしておやりになれば、お思いになることもかない、人の願いをかなえておやりになれば、ご願もすぐに成就して、御産は平安に、皇子がご誕生になって、ご一門の栄華はいよいよ盛んになりましょう」などと申されたので、

入道相国は、ふだんよりことのほか穏やかになって、「俊寛や康頼法師のことはどうか」とおっしゃると、「それも同じことなら召し返されるのがよいでしょう。もし一人でも残されたら、かえって罪業となりましょう」と申されたので、入道相国は、「康頼法師のことはもっともだが、俊寛はずいぶんこの入道が口添えをして一人前になった者ではないか。それなのに、場所もほかにいくらもあるのに、東山の鹿の谷の自分の山荘に寄り集まって、けしからぬふるまいをしたというのだから、俊寛のことは思いも寄らぬ」とおっしゃった。

大臣(重盛)は帰って、叔父の宰相をお呼びして、「少将はきっと赦免されるはずです。ご安心なさいませ」と申されたので、宰相は聞き終わりもなさらず、泣く泣く手を合わせてお喜びになった。「少将が下りましたときも、これほどのことをどうして願い出てくれないのかと思っている様子で、この教盛を見るたびに涙を流していたのが気の毒でした」と申された。小松殿は、「まことに、さぞそうお思いでしょう。子は誰にとってもいとしいものですから、よくよく申し上げましょう」といって奥へお入りになった。

そうこうするうちに、鬼界が島の流人たちを召し返すことが決まったので、入道相国は赦文を書いてお渡しになった。御使はすでに都を立った。宰相はあまりの嬉しさに、御使に自分の使いを添えて下された。夜を昼に継いで急いで下れということであったが、思うにまかせぬ海路なので、波風をしのいで行くうちに、都を七月下旬に出たけれども、九月二十日ごろにようやく鬼界が島に着いた。

意訳

巻第三は、鬼界が島の流人の赦免から始まる。中宮徳子の懐妊と難産の予感、そして次々に現れる怨霊が、大赦の口実となっていく。崇徳院・藤原頼長という保元の乱の敗者の霊がまず鎮められ、成親・西光ら鹿ケ谷事件の死者、さらには生きている流人の生霊までが中宮を苦しめるとされたことが、重盛の進言に説得力を与えた。

重盛の言葉は、「人の思ひをやめさせ給はば、おぼしめす事もかなひ」と、怨みを解くことが父の願い(皇子誕生)をかなえる道だと説く、理にかなったものである。清盛もこれを受け入れるが、俊寛だけは「入道が口入を以て人となつたるもの」でありながら、自分の山荘で謀議をした恩知らずとして許さない。この清盛の私怨が、次の「足ずり」の悲劇を生む。

語釈・文法注

朝覲
天皇が上皇や皇太后の御所に参って新年の挨拶をすること。ここでは高倉天皇が後白河法皇の御所に行幸した。
蚩尤氣
彗星の一種で、兵乱の前兆とされた。蚩尤は中国古代の伝説で、黄帝と戦った乱の神。
變成男子
女性を男子に変えるという仏の功徳。ここでは胎内の子が男子となるよう祈る修法。
神子
「よりまし」と読む。祈祷のとき、物の怪を一時乗り移らせて語らせる童子や女。
基方
通行本文は「元方」。藤原元方のことで、娘の生んだ皇子が東宮になれず、恨んで死に、冷泉天皇の物狂いなどはその霊のしわざとされた。底本の表記のまま翻刻した。
口入
口添え、取りなし。俊寛が法勝寺の執行になれたのは清盛の口添えによる、という意。

文法

「照陽殿」
通行本文は「昭陽殿」。漢の後宮の殿舎の名。底本の表記のまま翻刻した。
「御憶念」
通行本文も「御憶念」。執念、怨念の意。
「たうでける」
「賜うでける」。「賜びける」の音便形で、お与えになった、の意。
「べう」
「べく」のウ音便。

解説

中宮徳子(建礼門院)は清盛の娘で、高倉天皇の中宮。このとき懐妊したのが、のちの安徳天皇である。崇徳院は保元の乱(1156)に敗れて讃岐に流され、その地で没した。怨霊として恐れられ、治承元年(1177)に「崇徳院」の号が贈られた。藤原頼長も保元の乱で敗死し、正一位太政大臣を追贈された。早良親王(崇道天皇)・井上内親王は奈良時代末の政争で非業の死を遂げ、怨霊として祀られた代表例である。

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出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、359–362頁(コマ208–210)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日