平家物語 巻第二
卒堵婆ながしの事
熊野権現に通夜する成経と康頼は、千手観音の誓いをたたえる今様を龍神が歌う夢を見、梛(底本は「梅」)の葉に歌が虫食いで記される霊験を得る。康頼は故郷を恋うる二首の歌を刻んだ千本の卒塔婆を海に流し、そのうちの一本が厳島に流れ着く。縁ある僧がそれを都に届け、歌は法皇や清盛の目にも触れた。
- 1さるさるさる程程ほどににに二二ふた人人りののの人人ひと々々びとははは、、、常常つねははは三三さん所所じょ權權ごん現現げんののの御御おん前前まえににに參參まいりりり、、、通通つ夜夜やするするする折折おりもももありありありけりけりけり。。。あるあるある夜夜よ二二ふた人人り參參まいつつっててて、、、よもすがらよもすがらよもすがら今今いま樣樣よう歌歌うたひひい、、、舞舞まいなんどなんどなんど舞舞まびびびててて、、、曉曉あかつきがたがたがた苦苦くるしさしさしさににに、、、ちとちとちとまどろみまどろみまどろみたりたりたりつるつるつる夢夢ゆめににに、、、沖沖おきよりよりより白白しろいいい帆帆ほかけかけかけたるたるたる小小こ船船ぶねををを一一いっ艘艘そう、、、汀汀みぎわへへへ漕漕こぎぎぎ寄寄よせせせ、、、船船ふねののの中中なかよりよりより紅紅くれないののの袴袴はかま著著きたりたりたりけるけるける女女にょう房房ぼうたちたちたち二二に三三さん十十じゅう人人にん、、、渚渚なぎさにににあがりあがりあがり、、、鼓鼓つづみをををうちうちうち、、、聲聲こえをををとゝのへとゝのへととのえててて、、、
- 2よろづよろづよろずののの佛佛ほとけののの願願がんよりよりよりももも千千せん手手じゅのののちかひちかひちかいぞぞぞたのもしきたのもしきたのもしき
- 3枯枯かれれれたるたるたる草草そう木木もくもももたちまちたちまちたちまちににに花花はなさきさきさき實實みなるなるなるとととこそこそこそ聞聞きけけけ
- 4とととおしおしおしかへし〳〵かへし〳〵かえしおしかえし、、、三三さん遍遍べんうたひうたひうたいすましすましすましててて、、、かきかきかき消消けすすすやうやうようにににぞぞぞ失失うせせせにににけるけるける。。。康康やす賴賴より入入にゅう道道どう夢夢ゆめさめさめさめててて後後のち、、、奇奇き異異いののの思思おもひひいをををなしなしなしつゝつゝつつ、、、「「「いかさまいかさまいかさまにににもももこれこれこれははは龍龍りゅう神神じんののの化化け現現げんとととおぼえおぼえおぼえ候候そうろう。。。熊熊くま野野の三三さん所所じょ權權ごん現現げんののの中中うちににに、、、西西にしののの御御ご前前ぜんととと申申もうししし奉奉たてまつるるるははは、、、本本ほん地地じ千千せん手手じゅ觀觀かん音音おんにににててておはしますおはしますおわします。。。龍龍りゅう神神じんはははすなはちすなはちすなわち千千せん手手じゅののの二二に十十じゅう八八はち部部ぶ衆衆しゅのののそのそのその一一いちにににててておはしませおはしませおわしませばばば、、、以以もっててて御御ご納納のう受受じゅこそこそこそたのもしけれたのもしけれたのもしけれ。。。」」」
- 5あるあるある夜夜よまたまたまた二二ふた人人り來來きたつつっててて通通つ夜夜やしししたりたりたりけるけるける夢夢ゆめににに、、、沖沖おきよりよりよりももも吹吹ふきききくるくるくる風風かぜににに、、、木木こののの葉葉はををを二二ふたつつつ二二ふた人人りががが袂袂たもとににに吹吹ふきききかけかけかけたりたりたり。。。何何なにとととなうなうのうこれこれこれををを取取とりりりててて見見みけれけれければばば、、、御御み熊熊くま野野ののののののの葉葉はにににてててぞぞぞありありありけるけるける。。。かのかのかの二二ふたつつつののの梅梅なぎののの葉葉はににに、、、一一いっ首首しゅののの歌歌うたををを蟲蟲むしくひくひくいにににこそこそこそしししたりたりたりけれけれけれ。。。
- 6ちはやぶるちはやぶるちわやぶる神神かみにににいのりいのりいのりののの繁繁しげけれけれければばばなどなどなどかかか都都みやこへへへかへらかへらかえらざるざるざるべきべきべき
- 7康康やす賴賴より入入にゅう道道どうはははあまりあまりあまりににに故故こ鄕鄕きょうのののこひしきこひしきこいしきまゝまゝままににに、、、せめてせめてせめてののの謀謀はかりごとにににややや、、、千千せん本本ぼんののの卒卒そ堵堵と婆婆ばををを造造つくりりり、、、阿阿あ字字じののの梵梵ぼん字字じ、、、年年ねん號號ごう月月つき日日ひ、、、假假け名名みょう、、、實實じっ名名みょう、、、二二に首首しゅののの歌歌うたをををぞぞぞ書書かきききつけつけつけけるけるける。。。
- 8薩薩さつ摩摩ま潟潟がたおきおきおきののの小小こ島島じまにににわれわれわれありありありととと親親おやにににははは告告つげげげよよよ八八や重重へのののしほしほしおかぜかぜかぜ
- 9思思おもひひいやれやれやれしばししばししばしととと思思おもふふうたびたびたびだにだにだにもももなほなほなおふるふるふるさとさとさとははは戀戀こいしきしきしきものものものををを
- 10これこれこれををを浦浦うらにににもつもつもっててて出出いでででててて、、、「「「南南な無無む歸歸き命命みょう頂頂ちょう禮禮らい梵梵ぼん天天てん帝帝たい釋釋しゃく、、、四四し大大だい天天てん王王おう、、、堅堅けん牢牢ろう地地じ神神じん、、、王王おう城城じょうののの鎭鎭ちん守守じゅ諸諸しょ大大だい明明みょう神神じん、、、別別べっしししてててははは熊熊くま野野のののの權權ごん現現げん、、、安安あ藝藝きののの嚴嚴いつく島島しまののの大大だい明明みょう神神じん、、、せめてせめてせめてははは一一いっ本本ぽんなりなりなりともともとも、、、都都みやこへへへ傳傳つたへへえてててたべたべたべ。。。」」」とてとてとて、、、沖沖おきつつつ白白しら浪浪なみののの寄寄よせせせてててははは返返かえすすす度度たびごとごとごとににに、、、卒卒そ堵堵と婆婆ばををを海海うみへへへぞぞぞ浮浮うかべべべけるけるける。。。卒卒そ堵堵と婆婆ばははは作作つくりりり出出いだすすすににに從從したがひひいててて海海うみににに入入いれれれけれけれければばば、、、日日ひ數數かずつもれつもれつもればばば卒卒そ堵堵と婆婆ばののの數數かずもももつもりつもりつもりけりけりけり。。。
- 11そのそのそのものものもの思思おもふふう心心こころややや、、、たよりたよりたよりののの風風かぜととともももなりなりなりたりたりたりけんけんけん、、、まだまだまだ神神しん明明めい、、、佛佛ぶつ陀陀だもももややや送送おくらららせせせ給給たまひひいたりたりたりけんけんけん、、、千千せん本本ぼんののの卒卒そ堵堵と婆婆ばののの中中なかににに一一いっ本本ぽん、、、安安あ藝藝きののの國國くに嚴嚴いつく島島しまののの大大だい明明みょう神神じんののの御御お前前まえののの渚渚なぎさにににうちうちうち上上あげげげたりたりたり。。。
- 12こゝこゝここににに康康やす賴賴より入入にゅう道道どうがががゆかりゆかりゆかりありありありけるけるける僧僧そうののの、、、もしもしもししかるしかるしかるべきべきべきたよりたよりたよりもももあらあらあらばばば、、、かのかのかの島島しまへへへ渡渡わたつつってててそのそのそのゆくへゆくへゆくえをををももも尋尋たずねねねんんんとてとてとて、、、西西さい國國こく修修しゅ行行ぎょうににに出出いでででたりたりたりけるけるけるががが、、、まづまづまず嚴嚴いつく島島しまへへへぞぞぞ參參まいりりりけるけるける。。。こゝこゝここににに宮宮みや人人うどとととおぼしくおぼしくおぼしくててて、、、狩狩かり衣衣ぎぬ裝裝しょう束束ぞくなるなるなる俗俗ぞく一一いち人人にん出出いででで來來きたりりり、、、このこのこの僧僧そう何何なにとととなうなうのう物物もの語語がたりをををしししけるけるけるほどほどほどににに、、、「「「それそれそれ神神しん明明めいははは和和わ光光こう同同どう塵塵じんののの利利り生生しょう、、、さま〴〵さま〴〵さまざまなりなりなりとととははは申申もうせせせどもどもども、、、中中なかにににもももこのこのこの御御おん神神かみははは、、、いかなるいかなるいかなる因因いん緣緣えんををを以以もっててて、、、海海かい漫漫まんのののうろくづうろくづうろくずににに緣緣えんをををばばば結結むすばばばせせせ給給たまふふうらんらんらん。。。」」」ととと問問とひひい奉奉たてまつれれればばば、、、宮宮みや人人うど答答こたへへえててていはくいはくいわく、、、「「「それそれそれはははよなよなよな、、、娑娑しゃ竭竭かつ羅羅ら龍龍りゅう王王おうののの第第だい三三さんののの姫姫ひめ君君ぎみ、、、胎胎たい藏藏ぞう界界かいののの垂垂すい跡跡じゃくなりなりなり。。。」」」このこのこの島島しまへへへ御御ご影影よう向向こうありありありししし始始はじめめめよりよりより、、、濟濟さい度度ど利利り生生しょうののの今今いまににに至至いたるるるまでまでまで、、、甚甚じん深深しん奇奇き特特どくののの事事ことどもどもどもをををぞぞぞ語語かたりりりけるけるける。。。
- 13さればにやさればにやさればにや八八はっ社社しゃののの御御ご殿殿てん甍甍いらかををを竝竝ならべべべ、、、社社やしろはははわだつみわだつみわだつみのののほとりほとりほとりなれなれなればばば、、、潮潮しおののの滿滿み干干ちににに月月つきぞぞぞすむすむすむ。。。潮潮しお滿滿みちちち來來くれれればばば、、、大大おお鳥鳥とり居居い、、、あけあけあけののの玉玉たま垣垣がき、、、瑠瑠る璃璃りののの如如ごとししし。。。潮潮しお引引ひきききぬれぬれぬればばば、、、夏夏なつののの夜夜よなれなれなれどもどもども、、、御御お前前まえののの白白しら洲洲すににに霜霜しもぞぞぞおくおくおく。。。
- 14このこのこの僧僧そういよ〳〵いよ〳〵いよいよ尊尊とうとくくく思思おもひひい、、、しづかしづかしずかににに法法ほっ施施せ參參まいらせらせらせてててゐゐいたりたりたりけるけるけるががが、、、やうやうやうやうようよう日日ひ暮暮くれれれ月月つきさしさしさし出出いでででててて、、、潮潮しおののの滿滿みちちちくるくるくるににに、、、沖沖おきよりよりよりそこはかとなくそこはかとなくそこはかとなく、、、ゆられゆられゆられ寄寄よりりりけるけるける藻藻も屑屑くずどもどもどもののの中中なかににに、、、卒卒そ堵堵と婆婆ばののの形形かたちののの見見みえええけるけるけるををを、、、何何なにとととなうなうのうこれこれこれををを取取とつつっててて見見みけれけれければばば、、、「「「薩薩さつ摩摩ま潟潟がた沖沖おきののの小小こ島島じまにににわれわれわれありありあり。。。」」」ととと、、、書書かききき流流ながせせせるるることことことのののはははなりなりなり。。。文文も字字じをををばばばゑりゑりえり入入いれれれ、、、刻刻きざみみみつけつけつけたりたりたりけれけれければばば、、、浪浪なみにににももも洗洗あらははわれれれずずず、、、あざ〳〵あざ〳〵あざあざとととしてしてしてこそこそこそ見見みえええたりたりたりけれけれけれ。。。
- 15このこのこの僧僧そう不不ふ思思し議議ぎののの思思おもひひいをををなしなしなし、、、笈笈おいののの肩肩かたにににさしさしさしててて都都みやこへへへ返返かえりりりのぼりのぼりのぼり、、、康康やす賴賴より入入にゅう道道どうががが老老ろう母母ぼののの尼尼に公公こう、、、妻妻さい子子しどもどもどもののの、、、一一いち條條じょうののの北北きた、、、紫紫むらさき野野のととといふいふいう所所ところににに忍忍しのびびびつゝつゝつつ隱隱かくれれれゐゐいたりたりたりけるけるけるににに、、、これこれこれををを見見みせせせたりたりたりけれけれければばば、、、「「「さらばさらばさらばこのこのこの卒卒そ堵堵と婆婆ばががが、、、唐唐もろ土土こしののの方方かたへへへもももゆられゆられゆられ行行ゆかかかずずずしてしてして、、、何何なにしししにににこれこれこれまでまでまで傳傳つたへへえ來來きててて、、、今今いま更更さらものものものををを思思おもははわすすすらんらんらん。。。」」」とととぞぞぞ悲悲かなしみしみしみけるけるける。。。
- 16はるかはるかはるかののの叡叡えい聞聞ぶんににに及及およんんんででで、、、法法ほう皇皇おうこれこれこれををを叡叡えい覽覽らんあつあつあっててて、、、「「「あなあなあな無無む慙慙ざん、、、このこのこのものものものどもどもどもががが命命いのちののの未未いまだだだ生生いきききてててあるあるあるにににこそこそこそ。。。」」」とてとてとて、、、御御おん淚淚なみだををを流流ながさささせせせ給給たまふふうぞぞぞかたじけなきかたじけなきかたじけなき。。。これこれこれををを小小こ松松まつののの大大おと臣臣どのののもともともとへへへ遣遣つかはさはさわされれれたりたりたりけれけれければばば、、、父父ちちののの禪禪ぜん門門もんににに見見みせせせ奉奉たてまつるるる。。。
- 17柿柿かきののの本本もとののの人人ひと丸丸まるははは島島しまがくれがくれがくれゆくゆくゆく船船ふねををを思思おもひひい、、、山山やま邊邊べののの赤赤あか人人ひとははは葦葦あしべべべののの田田た鶴鶴ずををを詠詠ながめめめ給給たまふふう。。。住住すみ吉吉よしののの明明みょう神神じんはははかたかたかたそぎそぎそぎののの思思おもひひいをををなしなしなし、、、三三み輪輪わののの明明みょう神神じんははは杉杉すぎ立立たてててるるる門門かどをををさすさすさす。。。昔昔むかし素素そ盞盞さの嗚嗚おののの尊尊みこと、、、三三さん十十じゅう一一いち字字じのののやまとやまとやまとうたうたうたををを詠詠よみみみ始始はじめめめ給給たまひひいしししよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、もろ〳〵もろ〳〵もろもろののの神神しん明明めい佛佛ぶつ陀陀だももも、、、かのかのかの詠詠えい吟吟ぎんををを以以もっててて百百はく千千せん萬萬まん端端たんのののおもひおもひおもいををを述述のべべべたまふたまふたまう。。。
現代語訳
そうしているうちに、二人の人々はいつも三所権現の御前に参り、夜通しこもることもあった。ある夜二人が参って、一晩中今様を歌い、舞などを舞って、明け方に疲れて少しまどろんだときの夢に、沖から白い帆をかけた小船が一艘、波打ち際へ漕ぎ寄せ、船の中から紅の袴を着た女房たち二、三十人が渚に上がり、鼓を打ち、声をそろえて、
あらゆる仏の誓願よりも、千手観音の誓いこそが頼もしい。
枯れた草木でさえ、たちまちに花が咲き実がなると聞いている。
と、くり返しくり返し三度歌いきって、かき消すように消えてしまった。康頼入道は夢から覚めた後、不思議に思いながら、「きっとこれは龍神が姿を現したものと思われます。熊野三所権現の中で、西の御前と申し上げるのは、本地が千手観音でいらっしゃいます。龍神はその千手観音の二十八部衆の一つでいらっしゃるから、願いを聞き届けてくださるのは頼もしいことです」と言った。
ある夜また二人が来て夜通しこもったときの夢に、沖から吹いてくる風に乗って、木の葉が二枚、二人の袂に吹きかかった。何となくこれを取って見ると、熊野の梛の葉であった。その二枚の梛の葉に、一首の歌が虫食いの跡で記されていた。
神に祈る祈りがこれほど繁く重なっているのだから、どうして都へ帰れないことがあろうか。
康頼入道はあまりに故郷が恋しいので、せめてもの手立てであろうか、千本の卒塔婆を作り、阿字の梵字と、年号・月日、通称と実名、二首の歌を書きつけた。
薩摩潟の沖の小島に私が生きていると、親には告げてくれ、八重の潮路を渡る潮風よ。
思いやってくれ。しばらくのつもりの旅でさえ、やはり故郷は恋しいものなのに。(まして帰るあてのないこの身は)
これを浦に持って出て、「南無帰命頂礼、梵天帝釈、四大天王、堅牢地神、王城の鎮守の諸大明神、とりわけ熊野の権現、安芸の厳島の大明神よ、せめて一本だけでも都へ伝えてください」といって、沖の白波が寄せては返すたびに、卒塔婆を海に浮かべた。卒塔婆は作り出すそばから海に入れたので、日数が重なると卒塔婆の数も重なった。
その物思う心が便りの風となったのであろうか、また神仏がお送りになったのであろうか、千本の卒塔婆の中の一本が、安芸国厳島の大明神の御前の渚に打ち上げられた。
ここに康頼入道の縁のある僧が、もしよい機会があれば、あの島に渡ってその行方を尋ねようと思って、西国修行に出ていたが、まず厳島へ参った。そこに神官と思われる狩衣装束の俗人が一人出てきて、この僧が何となく話をしているうちに、「そもそも神は光をやわらげて塵に交わり、衆生に利益を与える方法はさまざまだと申しますが、なかでもこの御神は、どのような因縁で海の魚類と縁を結ばれたのでしょう」とお尋ね申すと、神官が答えて言うには、「それはだな、娑竭羅龍王の第三の姫君で、胎蔵界の大日如来の垂迹なのだ」と。この島へ神が現れた初めから、衆生を救う今に至るまでの、深く不思議なことどもを語った。
だからであろうか、八つの社殿が甍を並べ、社は海のほとりにあるので、潮の満ち干に月が澄んで映る。潮が満ちてくると、大鳥居や朱塗りの玉垣は瑠璃のようである。潮が引くと、夏の夜であっても、御前の白砂に霜が降りたように見える。
この僧はいよいよ尊く思い、静かに経を読んでいたが、しだいに日が暮れて月が出て、潮が満ちてくると、沖からどこからともなく揺られ寄ってきた藻屑の中に、卒塔婆の形が見えたので、何となくこれを取って見ると、「薩摩潟沖の小島にわれあり」と書き流した言葉であった。文字を彫り込み刻みつけてあったので、波にも洗われず、はっきりと見えた。
この僧は不思議に思って、笈の肩に差して都へ帰り上り、康頼入道の老母の尼公や妻子たちが、一条の北の紫野という所に忍んで隠れていたところに、これを見せたので、「それではこの卒塔婆が、唐土の方へも揺られて行かずに、どうしてここまで伝わってきて、今さら物思いをさせるのだろう」と悲しんだ。
このことがはるか法皇のお耳にまで届いて、法皇はこれをご覧になって、「ああ痛ましい、この者たちの命がまだ生きているのだな」といって、涙を流されたのはもったいないことである。これを小松の大臣のもとへお遣わしになったので、大臣は父の禅門にお見せ申し上げた。
柿本人麻呂は島隠れていく船を思い、山部赤人は葦辺の鶴を眺められた。住吉の明神は片削ぎの千木に思いをかけ、三輪の明神は杉の立つ門をさし示した。昔、素盞嗚尊が三十一文字の和歌を詠み始められてからこのかた、もろもろの神仏も、その詠歌によってさまざまな思いを述べておられるのである。
意訳
鬼界が島の成経と康頼の信仰に、熊野の神々が応える奇跡が語られる章段である。夢に現れた龍神の女房たちが千手観音の今様を歌い、また熊野の神木とされる梛の葉に、帰洛を予告する歌が虫食いで記される。こうした霊験に支えられて、康頼は故郷を思う歌を刻んだ千本の卒塔婆を海に流す。
その一本が、はるか厳島に流れ着き、縁ある僧の手で都の康頼の母のもとに届くという奇跡が、物語のクライマックスである。「薩摩潟おきの小島にわれありと親には告げよ八重のしほかぜ」の歌は、流人の悲しみを素直に表した歌として広く愛誦された。結びでは、人麻呂・赤人から神々に至るまで、和歌によって思いを述べてきたことが語られ、歌の力が人と神とを動かすことを示している。
語釈・文法注
- 梅
- 底本は「梅」と刷り、ふりがなを「なぎ」とする。熊野の神木の「梛」の誤植と考えられる。梛の葉は熊野詣での守りとされた。
文法
- 「舞なんど舞びて」
- 底本は「舞びて」と刷る。「舞ひて」の意。
- 「以て御納受こそたのもしけれ」
- 「以て」は、まことに、それゆえ、の意を強める語。
- 「假名、實名」
- 「假名(けみやう)」は通称、「實名(じつみやう)」は本名。
和歌
ちはやぶる神にいのりの繁ければなどか都へかへらざるべき
- 詠者
- (梛の葉に記された歌)
- 状況
- 通夜する成経と康頼の夢に、沖から吹く風が二枚の梛の葉を袂に運び、その葉に虫食いで記されていた歌。
修辞
- 枕詞
- 「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞。
- 反語
- 「などか…べき」で、どうして都へ帰れないことがあろうか、きっと帰れる、と熊野の神が帰洛を約束する。
薩摩潟おきの小島にわれありと親には告げよ八重のしほかぜ
- 詠者
- 平康頼
- 状況
- 康頼が千本の卒塔婆に刻んで海に流した二首のうちの一首。厳島に流れ着いた卒塔婆に記されていた。
修辞
- 呼びかけ
- 「八重のしほかぜ」に呼びかけ、遠い都の親に自分の消息を伝えてほしいと願う。
思ひやれしばしと思ふたびだにもなほふるさとは戀しきものを
- 詠者
- 平康頼
- 状況
- 康頼が卒塔婆に刻んだ二首のうちのもう一首。
修辞
- 掛詞
- 「たび」に「旅」と「度」を掛ける。しばらくの旅でさえ故郷は恋しいのだから、まして帰るあてのない身の思いを察してほしい、と訴える。
解説
康頼の卒塔婆流しの話は、『平家物語』の中でも特に有名な挿話の一つで、謡曲「俊寛」などにも取り入れられた。厳島神社は清盛が深く崇敬した神社であり、卒塔婆がそこに流れ着いたことは、平家の神である厳島明神の加護によって流人の思いが都に届いたことを意味し、のちの赦免への伏線となっている。
厳島の祭神とされる娑竭羅龍王の娘は、『法華経』提婆達多品で成仏する龍女として知られる。物語は、海の神である厳島明神が、海を漂う卒塔婆を拾い上げたという縁を、こうした由来によって説明している。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、353–356頁(コマ205–207)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日