平家物語 巻第二
烽火の事
重盛は、院を守れば父への不孝、父に従えば君への不忠になると、進退きわまった苦しみを訴え、自分の首をはねよと泣いて迫る。清盛は気勢をそがれ、重盛は自邸に侍を召集して一万余騎を集める。兵がみな小松殿に向かったため清盛は院への出兵を断念し、重盛は周の幽王の烽火の故事を語って兵を帰す。
- 1「「「これこれこれははは尤尤もっとももも君君きみののの御御おん理理ことわりにににててて候候そうらへへえばばば、、、叶叶かなははわざらざらざらんんんまでまでまでももも、、、院院いん中中じゅうををを守守しゅ護護ごしししまゐらせまゐらせまいらせ候候そうろうべしべしべし。。。そのそのその故故ゆえははは、、、重重しげ盛盛もりはじめはじめはじめ敍敍じょ爵爵しゃくよりよりより、、、今今いま大大おと臣臣どののの大大たい將將しょうににに至至いたるるるまでまでまで、、、しかしながらしかしながらしかしながら君君きみののの御御ご恩恩おんならならならずずずととといふいふいう事事ことなしなしなし。。。そのそのその恩恩おんののの重重おもききき事事ことををを思思おもへへえばばば、、、千千せん顆顆か萬萬ばん顆顆かののの玉玉たまにににももも越越こえええ、、、そのそのその恩恩おんののの深深ふかききき色色いろををを按按あんずるずるずるににに、、、一一いち入入じゅ再再さいののの紅紅くれないにににもももなほなほなお過過すぎぎぎたらたらたらんんん。。。
- 2しからしからしからばばば院院いん中中じゅうへへへまゐりまゐりまいり籠籠こもりりり候候そうろうべしべしべし。。。そのそのその儀儀ぎにににててて候候そうらははわばばば、、、重重しげ盛盛もりががが身身みににに代代かわりりり、、、命命いのちににに代代かわらららんんんととと契契ちぎりりりたるたるたる侍侍さぶらいどもどもども、、、少少しょう々々しょう候候そうろうらんらんらん。。。これらこれらこれらををを召召めし具具ぐしししててて、、、院院いんののの御御ご所所しょ法法ほう住住じゅう寺寺じ殿殿どのををを守守しゅ護護ごしししまゐらせまゐらせまいらせ候候そうらははわばばば、、、さすがさすがさすが以以もってててののの外外ほかののの御御おん大大だい事事じにににてててこそこそこそ候候そうらははわんんんずずずらめらめらめ。。。
- 3悲悲かなしきしきしきかなかなかな、、、君君きみののの御御おん爲爲ためににに奉奉ほう公公こうののの忠忠ちゅうををを致致いたさささんんんとととすれすれすればばば、、、迷迷めい盧盧ろ八八はちののの巓巓いただきよりよりよりもももなほなほなお高高たかききき父父ちちののの恩恩おん、、、忽忽たちまちちちににに忘忘わすれれれんんんとととすすす。。。痛痛いたましきましきましきかなかなかな、、、不不ふ孝孝きょうののの罪罪つみををを遁遁のがれれれんんんとととすれすれすればばば、、、君君きみののの御御おん爲爲ためにににははは既既すでににに不不ふ忠忠ちゅうののの逆逆ぎやく臣臣しんととともももなりなりなりぬぬぬべしべしべし。。。進進しん退退たいこれこれこれきはまれきはまれきわまれりりり。。。是是ぜ非非ひいかにいかにいかにももも辨辨わきまへへえ難難がたししし。。。申申もうししし受受うくるくるくる所所しょ詮詮せんははは、、、たゞたゞただ重重しげ盛盛もりががが首首くびををを召召めささされれれ候候そうらへへえ。。。そのそのその故故ゆえははは、、、院院いん參參さんののの御御おん供供ともをををももも仕仕つかまつるるるべからべからべからずずず、、、またまたまた院院いん中中じゅうをををももも守守しゅ護護ごししし參參まいらすらすらすべからべからべからずずず。。。
- 4さればさればさればかのかのかの蕭蕭しょう何何かははは、、、大大たい功功こうかたへかたへかたえににに越越こえええたるたるたるににによつよつよっててて、、、官官かん大大たい相相しょう國國こくににに至至いたりりり、、、劒劒けんををを帶帶たいししし履履くつをををはきはきはきながらながらながら、、、殿殿てん上上じょうへへへ上上のぼるるる事事ことををを許許ゆるささされれれしかしかしかどもどもども、、、叡叡えい慮慮りょににに背背そむくくく事事ことありありありしかしかしかばばば、、、高高こう祖祖そ、、、重重おもううういましめいましめいましめててて、、、深深ふこううう罪罪つみせせせられられられにににききき。。。かやうかやうかようののの先先せん蹤蹤しょうををを思思おもへへえばばば、、、富富ふう貴貴きととといひいひいい、、、榮榮えい華華がととといひいひいい、、、朝朝ちょう恩恩おんととと申申もうししし、、、重重じゅう職職しょくととといひいひいい、、、かた〴〵かた〴〵かたがた極極きわめめめさせさせさせ給給たまひひいぬれぬれぬればばば、、、御御ご運運うんののの盡盡つきききんんんことことこと難難かたかるかるかるべきべきべきにににあらあらあらずずず。。。富富ふう貴貴きののの家家いえにににははは祿祿ろく位位い重重ちょう疊疊じょうせせせりりり、、、復復ふたびびび實實みなるなるなる木木きははは、、、そのそのその根根ね必必かならずずずいたむいたむいたむととと見見みえええててて候候そうろう。。。
- 5心心こころ細細ぼそくくくこそこそこそ候候そうらへへえ。。。いついついつまでまでまでかかか命命いのち生生いきききててて、、、亂亂みだれれれんんん世世よをををももも見見み候候そうろうべきべきべき。。。たゞたゞただ末末まつ代代だいににに生生しょうををを受受うけけけててて、、、斯斯かかるかるかる憂憂うききき目目めにににあひあひあい候候そうろう重重しげ盛盛もりががが果果か報報ほうのののほどほどほどこそこそこそつたなうつたなうつたのう候候そうらへへえ。。。たゞたゞただ今今いまももも侍侍さぶらい一一ひと人人りににに仰仰おおせせせつけつけつけられられられ、、、御御おん坪坪つぼののの内内うちへへへ引引ひき出出いだささされれれててて、、、重重しげ盛盛もりががが頭頭こうべののの刎刎はねねねられられられんんんずるずるずる事事ことははは、、、いといといと易易やすいいいほどほどほどののの御御おんことことことでででこそこそこそ候候そうらははわんんんずずずらめらめらめ、、、これこれこれををを各各おのおの聞聞きききき給給たまへへえ。。。」」」とてとてとて直直なお衣衣しののの袖袖そでもももしぼるしぼるしぼるばかりばかりばかりにににかきかきかきくどきくどきくどき、、、さめ〴〵さめ〴〵さめざめととと泣泣なききき給給たまへへえばばば、、、そのそのその座座ざににになみなみなみゐゐい給給たまへへえるるる平平へい家家け一一いち門門もんののの人人ひと々々びと、、、みなみなみな袖袖そでをををぞぞぞ濡濡ぬらさらさらされれれけるけるける。。。
- 6入入にゅう道道どう、、、賴賴たのみみみきつきつきったるたるたる内内だい府府ふははは、、、かやうかやうかようにににのたまふのたまふのたまう、、、世世よにににももも力力ちからなげなげなげにににててて、、、「「「いや〳〵いや〳〵いやいやそれそれそれまでまでまでののの事事ことははは思思おもひひいももも寄寄よりりりさうずさうずそうず。。。惡惡あく黨黨とうどもどもどもののの申申もうすすす事事ことににに、、、君君きみのののつかつかつかせせせ給給たまひひいててて、、、いかなるいかなるいかなるひがことひがことひがことなどなどなどもももややや、、、出出いででで來來こんんんずずずらんらんらんととと思思おもふふうばかりばかりばかりでででこそこそこそ候候そうらへへえ。。。」」」大大おと臣臣ど、、、「「「たとひたとひたといいかなるいかなるいかなるひがことひがことひがこと出出いででで來來き候候そうらへへえばばばとてとてとて、、、君君きみをををばばば何何なにとととかかかししし參參まいらせらせらせたまふたまふたまうべきべきべき。。。」」」とてとてとて、、、
- 7ついついつい立立たつつっててて中中ちゅう門門もんににに出出いででで、、、侍侍さぶらいどもどもどもににに宣宣のたまひひいけるけるけるははは、、、「「「たゞたゞただ今今いまこれこれこれにににててて申申もうしししつるつるつる事事ことどもどもどもをををばばば、、、汝汝なんじ等等らはははよくよくよく承承うけたまわらららずずずややや、、、今今け朝朝さよりよりよりこれこれこれににに候候そうらひひいててて、、、かやうかやうかようののの事事ことどもどもどもををを、、、申申もうししししづめしづめしずめんんんとととははは存存ぞんじじじつれつれつれどもどもども、、、あまりあまりあまりにににひたひたひたさわぎさわぎさわぎににに見見みえええつるつるつる間間あいだ、、、まづまづまず歸歸かえりりりつるつるつるなりなりなり。。。院院いん參參さんののの御御おん供供ともにににおいおいおいてててははは、、、重重しげ盛盛もりががが頭頭こうべののの刎刎はねねねられられられたらたらたらんんんををを見見みててて仕仕つかまつれれれ。。。さればさればされば人人ひと參參まいれれれ。。。」」」とてとてとて小小こ松松まつ殿殿どのへへへぞぞぞ歸歸かえららられれれけるけるける。。。
- 8そのそのその後後のち大大おと臣臣ど、、、主主しゅ馬馬めののの判判ほう官官がん盛盛もり國國くにををを召召めしししててて、、、「「「重重しげ盛盛もりこそこそこそ今今け朝朝さよりよりより別別べっしししててて、、、天天てん下下かののの大大だい事事じををを聞聞きききき出出いだしししたんたんたんなれなれなれ。。。われわれわれをををわれわれわれととと思思おもははわんんんずるずるずる者者ものどもどもどもははは、、、物物もの具具ぐしししててて急急いそぎぎぎまゐれまゐれまいれととと催催もよおせせせ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、馳馳はせせせまはつまはつまわっててて披披ひ露露ろうすすす。。。おぼろげおぼろげおぼろげにににてててははは騒騒さわぎぎぎ給給たまははわぬぬぬ人人ひとののの、、、かやうかやうかようののの披披ひ露露ろうのののあるあるあるははは、、、まことまことまことににに別別べつののの仔仔し細細さいのののあるあるあるにににこそこそこそとてとてとて、、、われわれわれも〳〵も〳〵もわれもととと馳馳はせせせまゐるまゐるまいる。。。
- 9淀淀よど、、、羽羽は束束つか師師し、、、宇宇う治治じ、、、岡岡をかののの屋屋や、、、日日ひ野野の、、、勸勸かん修修じゅ寺寺じ、、、醍醍だい醐醐ご、、、小小お栗栗ぐる栖栖す、、、梅梅うめ津津ず、、、桂桂かつら、、、大大おお原原はら、、、志志し津津づ原原はら、、、芹芹せり生生ふののの里里さとにににあふれあふれあうれゐゐいたるたるたる兵兵つわものどもどもどもももも、、、或或あるいははは鎧鎧よろい著著きててて、、、未未いまだだだ兜兜かぶとををを著著きぬぬぬもももありありあり、、、或或あるいははは矢矢や負負おうううててて、、、未未いまだだだ弓弓ゆみををを持持もたたたぬぬぬもももありありあり。。。片片かた鐙鐙あぶみ蹈蹈ふむむむややや蹈蹈ふまままずずずにににててて、、、あわてあわてあわて騒騒さわいいいででで馳馳はせせせ參參まいるるる。。。
- 10小小こ松松まつ殿殿どのににに騒騒さわぐぐぐ事事ことありありありととと聞聞きこえええしかしかしかばばば、、、西西にし八八はち條條じょうににに數數す千千せん騎騎ぎありありありけるけるける兵兵つわものどもどもども、、、入入にゅう道道どうにににはははかうかうこうとととももも申申もうしししももも入入いれれれずずず、、、さやめきさやめきさやめきつれつれつれててて、、、みなみなみな小小こ松松まつ殿殿どのへへへぞぞぞ馳馳はせせせたりたりたりけるけるける。。。弓弓きゅう箭箭せんにににたづさはるたづさはるたずさわる程程ほどののの者者ものははは、、、一一ひと人人りももも殘殘のこらららずずず。。。
- 11筑筑ちく後後ごののの守守かみ貞貞さだ能能よしがががたゞたゞただ一一ひと人人り候候さぶらひひいけるけるけるををを、、、御御ご前前ぜんへへへ召召めしししててて、、、「「「内内だい府府ふははは何何なにととと思思おもひひいててて、、、これらこれらこれらをををばばばみなみなみな、、、かやうかやうかようににに呼呼よびびび取取とるるるやらやらやらんんん。。。今今け朝朝さこれこれこれにににててていひいひいいつるつるつるやうやうようににに、、、淨淨じょう海海かいがががもともともとへへへ討討うつ手手てなどなどなどももも向向むけけけんんんずずずらんらんらん。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、貞貞さだ能能よし涙涙なみだをををはら〳〵はら〳〵はらはらととと流流ながいいいててて、、、「「「人人ひとももも人人ひとにににこそこそこそよらよらよらせせせたまひたまひたまい候候そうらへへえ。。。いかでいかでいかでかかか只只ただ今今いまさるさるさる御御おん事事こと候候そうろうべきべきべき。。。今今け朝朝さこれこれこれにににててて申申もうさささせせせたまひたまひたまいつるつるつる御御おん事事ことどもどもどもをををばばば、、、はやはやはやみなみなみな御御ご後後こう悔悔かいぞぞぞ候候そうろうらんらんらん。。。」」」ととと申申もうしししけれけれければばば、、、入入にゅう道道どういや〳〵いや〳〵いやいや、、、内内だい府府ふににに中中なかたがうたがうたごうてててははは、、、あしかりあしかりあしかりなななんんんとととややや思思おもははわれれれけんけんけん、、、法法ほう皇皇おう迎迎むかへへえ參參まいらせらせらせんんんとととおもはおもはおもわれれれけるけるける心心こころもももやはらぎやはらぎやわらぎ、、、急急いそぎぎぎ腹腹はら巻巻まきぬぎぬぎぬぎ置置おききき、、、素素そ絹絹けんののの衣衣ころもににに袈袈け裟裟さうちうちうちかけかけかけててて、、、いといといと心心こころにににももも起起おこらららぬぬぬ念念ねん誦誦じゅしししてててこそこそこそおはしおはしおわしけれけれけれ。。。
- 12そのそのその後後のち小小こ松松まつ殿殿どのにににははは、、、盛盛もり國國くに承承うけたまわつつっててて、、、著著ちゃくつけつけつけたりたりたりけりけりけり。。。馳馳はせせせ參參さんじじじたるたるたる侍侍さぶらいどもどもども、、、一一いち萬萬まん餘餘よ騎騎きとととぞぞぞしるししるししるしけるけるける。。。著著ちゃく到到とう披披ひ見見けんののの後後のち、、、大大おと臣臣ど中中ちゅう門門もんににに出出いでででててて、、、侍侍さぶらいどもどもどもににに宣宣のたまひひいけるけるけるははは、、、「「「日日ひ頃頃ごろののの契契けい約約やくををを違違たがへへえずずずしてしてして、、、みなみなみなかやうかやうかようににに參參まいりりりたるたるたるこそこそこそ神神しん妙妙びょうなれなれなれ。。。異異い國國こくにににさるさるさる例例ためしありありあり。。。
- 13周周しゅうののの幽幽ゆう王王おう、、、褒褒ほう似似じととといへいへいえるるる最最さい愛愛あいののの后后きさきををを持持もちちち給給たまへへえりりり。。。天天てん下下か第第だい一一いちののの美美び人人じんなりなりなり。。。されどもされどもされども幽幽ゆう王王おうののの御御み心心こころにににかなはかなはかなわざりざりざりけるけるける事事ことにににははは、、、褒褒ほう似似じ笑笑えみみみををを含含ふくまままずずずとてとてとて、、、すべてすべてすべて笑笑わらふふうことことことししし給給たまははわずずず、、、異異い國國こくのののならひならひならいににに、、、天天てん下下かににに兵兵ひょう亂亂らんののの起起おこるるる時時ときははは、、、所所しょ々々しょににに火火ひををを擧擧あげげげ、、、大大たい鼓鼓こをををうつうつうっててて、、、兵兵つわものををを召召めすすす謀謀はかりごとありありあり。。。これこれこれををを烽烽ほう火火かととと名名なづくづくづく。。。
- 14あるあるある時時とき天天てん下下かににに兵兵ひょう革革かく起起おこつつっててて、、、所所しょ々々しょににに烽烽ほう火火かををを擧擧あげげげたりたりたりけれけれければばば、、、后后きさきこれこれこれををを御御ご覽覽らんじじじててて、、、『『『あなあなあなおびたゞしおびたゞしおびただし、、、火火ひもももあれあれあれ程程ほどまでまでまで多多おおかりかりかりけりけりけりななな。。。』』』とてとてとて、、、そのそのその時時とき始始はじめめめててて笑笑わらひひい給給たまへへえりりり。。。一一ひと度度たび笑笑えめめめばばば百百ももののの媚媚こびありありありけりけりけり。。。幽幽ゆう王王おうこれこれこれをををうれしきうれしきうれしき事事ことにににししし給給たまひひいててて、、、そのそのその事事こととととなくなくなく、、、常常つねははは烽烽ほう火火かををを擧擧あげげげ給給たまふふう、、、諸諸しょ侯侯こう來來きたるるるににに寇寇あたなしなしなし、、、寇寇あたなけれなけれなければばば則則すなわちちち歸歸かえりりり去去さりりりぬぬぬ。。。かやうかやうかようにににするするすることことこと度度たび々々たびににに及及およべべべばばば、、、兵兵つわものももも參參まいらららずずず。。。
- 15あるあるある時時とき鄰鄰りん國國ごくよりよりより兇兇きょう賊賊ぞく起起おこつつっててて、、、幽幽ゆう王王おうののの都都みやこををを攻攻せめめめけるけるけるににに、、、烽烽ほう火火かををを擧擧あぐれぐれぐれどもどもども、、、例例れいののの后后きさきののの火火ひににに慣慣なれれれててて兵兵つわものももも參參まいらららずずず。。。そのそのその時時とき都都みやこ傾傾かたぶいいいててて、、、幽幽ゆう王王おう遂遂ついににに亡亡ほろびびびにににけりけりけり。。。さてさてさてかのかのかの后后きさき、、、野野やとととなつなつなっててて走走はしりりり失失うせせせけるけるけるぞぞぞ恐恐おそろしきろしきろしき。。。かやうかやうかようののの事事ことのののあるあるある時時ときははは、、、自自じ今今こん以以い後後ごこれこれこれよりよりより召召めさささんんんにににははは、、、みなみなみなかくかくかくののの如如ごとくくく參參まいるるるべしべしべし。。。重重しげ盛盛もり今今け朝朝さ、、、別別べっしししててて天天てん下下かののの大大だい事事じををを聞聞きききき出出いでででててて召召めしししつるつるつるなりなりなり。。。されどもされどもされどもこのこのこの事事こと聞聞ききききなほしなほしなおしつゝつゝつつ、、、ひがことひがことひがことにににてててありありありけりけりけり。。。さらばさらばさらばとうとうとう歸歸かえれれれ。。。」」」とてとてとて、、、侍侍さぶらい共共どもみなみなみな歸歸かえささされれれけりけりけり。。。
- 16誠誠まことにににさせるさせるさせる事事ことをををももも聞聞きききき出出いだささされれれざりざりざりけれけれけれどもどもども、、、今今け朝朝さ父父ちちををを諫諫いさめめめ申申もうささされれれけるけるける言言こと葉葉ばににに從從したがつつっててて、、、わがわがわが身身みににに勢勢せいのののつくつくつくかかか、、、つかつかつかぬぬぬかかかののの程程ほどをををももも知知しりりり、、、またまたまた父父ふ子子し、、、軍軍いくさをををせせせんんんとととにににはははあらあらあらねねねどもどもども、、、かうかうこうしししててて入入にゅう道道どう相相しょう國國こくののの謀謀む叛叛ほんののの心心こころももも、、、やはらぎやはらぎやわらぎ給給たまふふうかかかとととののの謀謀はかりごととととぞぞぞ聞聞きこえええししし。。。
- 17君君きみ君君きみたらたらたらずずずととといへいへいえどもどもども、、、臣臣しん以以もっててて臣臣しんたらたらたらずずずんんんばばばあるあるあるべからべからべからずずず。。。父父ちち父父ちちたらたらたらずずずととといふいふいうともともとも、、、子子こ以以もっててて子子こたらたらたらずずずんんんばばばあるあるあるべからべからべからずずず。。。君君きみののの爲爲ためにににははは忠忠ちゅうあつあつあっててて、、、父父ちちののの爲爲ためにににははは孝孝こうあれあれあれととと、、、文文ぶん宣宣せんののののたまひのたまひのたまいけるけるけるにににたがはたがはたがわずずず。。。君君きみもももこのこのこの由由よし聞聞きこし召召めしししててて、、、「「「今今いまににに始始はじめめめぬぬぬ事事ことなれなれなれどもどもども、、、内内だい府府ふががが心心こころののの中中うちこそこそこそ恥恥はずかしけれかしけれかしけれ。。。仇仇あたをををばばば恩恩おんををを以以もっててて報報ほうぜぜぜられられられたりたりたり。。。」」」とととぞぞぞ仰仰おおせせせけるけるける。。。「「「果果か報報ほうこそこそこそめでたうめでたうめでとうててて、、、今今いま大大おと臣臣どののの大大たい將將しょうににに至至いたらららめめめ、、、容容よう儀儀ぎ帶帶たい佩佩はい人人ひとにににすぐれすぐれすぐれ、、、才才さい智智ち才才さい覺覺かくさへさへさへ世世よににに越越こえええたるたるたるべきべきべきやはやはやは。。。」」」とととぞぞぞ、、、時時ときののの人人ひと々々びと感感かんじじじあはあはあわれれれけるけるける。。。國國くにににに諫諫いさむるむるむる臣臣しんあれあれあればばば、、、そのそのその國國くに必必かならずずず安安やすくくく、、、家家いえににに諫諫いさむるむるむる子子こあれあれあればばば、、、そのそのその家家いえ必必かならずずず正正ただしししととといへいへいえりりり。。。上上じょう代代だいにににももも末末まつ代代だいにににもももありありあり難難がたかりかりかりししし大大おと臣臣どなりなりなり。。。
現代語訳
「これはまことに君のごもっともなところですから、かなわないまでも、院の御所をお守り申しましょう。その理由は、重盛が初めて叙爵されたときから今の大臣大将に至るまで、すべて君のご恩でないものはないからです。その恩の重さを思えば、千万の宝玉にも越え、その恩の深い色を考えれば、何度も染めた紅よりもなお深いでしょう。
それならば院の御所に参ってこもりましょう。そうなれば、重盛の身代わりとなり、命に代わろうと誓った侍どもが少々はおりましょう。これらを連れて院の御所の法住寺殿をお守り申したなら、さすがにもってのほかの大事になってしまうでしょう。
悲しいことよ、君のために奉公の忠を尽くそうとすれば、須弥山の頂よりもなお高い父の恩をたちまち忘れることになる。痛ましいことよ、不孝の罪を逃れようとすれば、君のためにはすでに不忠の逆臣ともなってしまう。進退きわまった。是非はどうしても判断しがたい。お願いするところは、ただ重盛の首をお取りください。そうすれば、院への御供もできず、また院の御所をお守りすることもできないでしょう。
あの蕭何は、大きな功績がほかの者に勝っていたので、官は相国に至り、剣を帯び履をはいたまま殿上に上ることを許されたけれども、帝のお心に背くことがあったので、高祖は厳しく戒めて深く罰せられた。このような先例を思えば、富貴といい、栄華といい、朝恩といい、重職といい、あれこれと極められたのですから、ご運が尽きることもないとは言えません。富貴の家には禄位が重なっている。二度実をつける木は、その根が必ず傷むと見えております。
心細いことでございます。いつまで命を長らえて、乱れる世を見なければならないのでしょう。ただ末世に生まれて、このようなつらい目にあう重盛の果報のつたなさよ。今すぐ侍一人にお命じになって、御庭に引き出されて重盛の首がはねられることは、ごくたやすいことでございましょう。これを皆々お聞きください」といって、直衣の袖も絞るほどに泣いて訴え、さめざめと泣かれたので、その座に居並んでおられた平家一門の人々も、みな袖を濡らされた。
入道は、頼みきっていた内府がこのようにおっしゃるので、まことに力なげに、「いやいや、そこまでのことは思いも寄らない。悪党どもの申すことに君がお乗りになって、どのような間違いが起こるだろうかと思うばかりなのだ」。大臣は「たとえどのような間違いが起ころうとも、君をどうにかし申し上げてよいものでしょうか」といって、
すっと立って中門に出て、侍どもにおっしゃるには、「今ここで申したことを、おまえたちはよく聞かなかったか。今朝からここに控えて、このようなことを申し鎮めようとは思っていたが、あまりにひどく騒がしく見えたので、まず帰ったのだ。院へのお供については、重盛の首がはねられたのを見てからにせよ。さあ、皆ついて参れ」といって、小松殿へお帰りになった。
その後大臣は主馬判官盛国を呼んで、「重盛は今朝からとりわけ天下の大事を聞き出したのだ。われを主と思う者どもは、武具を整えて急いで参れと触れ回れ」とおっしゃると、盛国は駆け回って触れ回った。めったなことでは騒がない人が、このような触れを出したのは、本当に特別な事情があるのだろうと、われもわれもと駆けつけた。
淀・羽束師・宇治・岡屋・日野・勧修寺・醍醐・小栗栖・梅津・桂・大原・志津原・芹生の里にあふれていた兵どもも、あるいは鎧を着てまだ兜をかぶらない者もあり、あるいは矢を負ってまだ弓を持たない者もある。片方の鐙に足をかけたかかけないかのうちに、あわて騒いで駆けつけた。
小松殿に騒ぎがあると聞こえたので、西八条に数千騎いた兵どもも、入道にはこうとも申し上げず、ざわざわと連れ立って、みな小松殿へ駆けつけた。弓矢にたずさわるほどの者は一人も残らない。
筑後守貞能がただ一人残っていたのを御前に呼んで、「内府は何と思って、これらをみなこのように呼び寄せるのだろう。今朝ここで言ったように、浄海のところへ討手でも向けるつもりだろうか」とおっしゃると、貞能は涙をはらはらと流して、「人にもよりけりでございます。どうして今そのようなことがございましょう。今朝ここで申されたことを、もうすっかり後悔しておられるでしょう」と申したので、入道は、いやいや内府と仲たがいしてはまずいと思われたのだろうか、法皇をお迎えしようと思われた心も和らいで、急いで腹巻を脱ぎ置き、素絹の衣に袈裟をかけて、まったく心にもない念誦をしておられた。
その後小松殿では、盛国が承って到着者の名簿をつけた。駆けつけた侍どもは一万余騎と記された。名簿をご覧になった後、大臣は中門に出て侍どもにおっしゃるには、「日ごろの約束を違えずに、みなこのように参ったのは殊勝である。外国にこのような例がある。
周の幽王は褒姒という最愛の后をお持ちになっていた。天下第一の美人である。けれども幽王のお心にかなわなかったことには、褒姒は笑みを浮かべないといって、まったく笑うことをなさらない。外国の習わしで、天下に兵乱が起こるときは、あちこちに火を挙げ、太鼓を打って兵を召し集めるしくみがある。これを烽火と名づける。
あるとき天下に兵乱が起こって、あちこちに烽火を挙げたところ、后はこれをご覧になって、「まあおびただしい、火もあれほどたくさんあるものなのね」といって、そのとき初めてお笑いになった。一度笑えば百の媚がある。幽王はこれを喜ばれて、何事もないのにいつも烽火を挙げられた。諸侯が来ても敵はいない。敵がいないのでそのまま帰ってしまう。このようなことがたびたびに及ぶと、兵も来なくなった。
あるとき隣国から凶賊が起こって幽王の都を攻めたので、烽火を挙げたけれども、いつもの后の火に慣れて兵も来ない。そのとき都は傾いて、幽王はついに滅んでしまった。そしてその后は狐となって走り去ったというのは恐ろしいことである。このようなことがあるときは、今後もこちらから召したなら、みなこのように参れ。重盛は今朝、特別に天下の大事を聞き出して召したのだ。けれどもこのことはよく聞き直してみると、間違いであった。それでは早く帰れ」といって、侍どもをみな帰された。
実際にはたいした事を聞き出されたわけではなかったが、今朝父を諫め申された言葉に従って、自分に勢いがつくかつかないかのほどをも知り、また父子で戦をしようというのではないけれども、こうして入道相国の謀反の心も和らがれるかという計略であったということである。
「君が君らしくなくても、臣は臣らしくなければならない。父が父らしくなくても、子は子らしくなければならない。君のためには忠、父のためには孝あれ」と孔子がおっしゃったのにたがわない。君(法皇)もこのことをお聞きになって、「今に始まったことではないが、内府の心のうちこそ恥ずかしくなるほど立派だ。仇を恩で報いられた」とおっしゃった。「果報がめでたくて今大臣の大将に至ったのだろうが、容姿や身だしなみが人にすぐれ、才知までも世に越えているとは」と、当時の人々は感心し合われた。「国に諫める臣があればその国は必ず安らかで、家に諫める子があればその家は必ず正しい」という。上代にも末代にもめったにない大臣である。
意訳
前章段の重盛の諫言の結びにあたる。重盛は、院を守れば父への不孝、父に従えば君への不忠と、「進退これきはまれり」と苦しみを吐露し、いっそ自分の首をはねてくれと泣いて訴える。この「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」の板ばさみは、後世、頼山陽の『日本外史』などで重盛の言葉として広く知られるようになった。
その後の重盛の行動は、言葉だけでなく実際の力を示すものであった。自邸に兵を召集すると、清盛のもとにいた兵まで残らず小松殿に駆けつけ、清盛は院への出兵を断念せざるをえなくなる。重盛は兵たちに周の幽王の烽火の故事を語って、たびたび偽りの召集をしても信を失わないようにと戒めて帰す。物語は、これを父の謀反の心を和らげるための計略と説明し、重盛を知恵と徳を備えた理想の臣として描いている。
語釈・文法注
- 一入再入
- 布を染料に一度浸すのを一入、二度浸すのを再入という。何度も染めて色が深いこと。
- 迷盧八萬
- 「迷盧」は須弥山の別名(蘇迷盧)。高さ八万由旬という須弥山の頂。きわめて高いことのたとえ。
- 著到
- 召集に応じて到着した者の名を記録すること。また、その名簿。
- 野干
- 狐の異名。褒姒は狐の化身であったという伝説による。
- 文宣王
- 孔子の諡号。唐の玄宗が贈った。
文法
- 「思ひも寄りさうず」
- 「思ひも寄り候はず」のつづまった形。思いも寄りません、の意。
- 「されば人參れ」
- さあ、皆ついて来い、の意。重盛が侍たちを促して小松殿へ引き上げる言葉。
- 「片鐙蹈むや蹈まずにて」
- 片方の鐙に足をかけたかかけないかのうちに、の意で、大急ぎで駆けつけるさま。
- 「人も人にこそよらせたまひ候へ」
- 人にもよりけりでございます、の意。重盛にかぎって父に刃向かうはずがない、と貞能が言う。
解説
「烽火」の故事は『史記』周本紀に見える話で、周の幽王が褒姒を笑わせるために偽りの烽火を挙げ続け、本当に敵が攻めてきたときに諸侯が集まらず、西周が滅んだとされる。重盛はこれを引いて、いざというときに兵が集まらなくなることを戒めた。
「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」という言葉は、『平家物語』の本文には直接は見えず、この章段の「悲しきかな、君の御爲に奉公の忠を致さんとすれば…」という部分を要約したものとして、江戸時代以降に重盛の名言として広まった。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、329–333頁(コマ193–195)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日