古典ライブラリー

平家物語 巻第二

教訓の事

謀議の黒幕を後白河法皇と見た清盛は、腹巻を着け、法皇を鳥羽殿に移そうと兵を集める。知らせを聞いた重盛は烏帽子直衣のまま駆けつけ、清盛はあわてて腹巻の上に衣を着る。重盛は涙ながらに、出家の身で甲冑をまとう非礼と、四恩の中でもっとも重い朝恩を説き、法皇に背くことの非を諫める。

  1. 1太だい太だいだい政じやう政じやうじょうののの入にふ入にふにゅう道だう道だうどうはははかやうかやうかようににに、、、人ひと人ひとひと々びと々びとびとあまたあまたあまた縛いまし縛いましいましめめめ置お置おおきききてててももも、、、なほなほなお心こころ心こころこころゆかゆかゆかずずずややや思おも思おもおもははわれれれけんけんけん、、、既すで既すですでににに赤あか赤あかあか地ぢ地ぢじののの錦にしき錦にしきにしきののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれににに、、、黑くろ黑くろくろ絲いと絲いといと緘をどし緘をどしおどしののの腹はら腹はらはら巻まき巻まきまきののの、、、白しろ白しろしろ金かな金かなかな物もの物ものものうつうつうつたるたるたる胸むな胸むなむな板いた板いたいたせめせめせめ、、、先せん先せんせん年ねん年ねんねん安あ安ああ藝き藝ききののの守かみ守かみかみたりたりたりししし時とき時ときとき、、、神じん神じんじん拜ぱい拜ぱいぱいのののついでついでついでににに靈れい靈れいれい夢む夢むむををを蒙かうぶ蒙かうぶこうぶつつっててて、、、嚴いつく嚴いつくいつく島しま島しましまののの大だい大だいだい明みやう明みやうみょう神じん神じんじんよりよりよりうつゝうつゝうつつににに賜たま賜たまたまはらはらわられれれたりたりたりけるけるける、、、銀しろがね銀しろがねしろがねののの蛭ひる蛭ひるひる巻まき巻まきまきしししたるたるたる小こ小ここ長なぎ長なぎなぎ刀なた刀なたなた、、、常つね常つねつねののの枕まくら枕まくらまくらををを放はな放はなはなたたたずずず立た立たたてててられられられしししををを脇わき脇わきわきにににはさみはさみはさみ、、、中ちゆう中ちゆうちゅう門もん門もんもんののの廊らう廊らうろうにににぞぞぞ出い出いいでででられられられたるたるたる。。。大おほ大おほおお方かた方かたかたそのそのその氣き氣きき色しよく色しよくしょく、、、ゆゝしうゆゝしうゆゆしゅうぞぞぞ見み見みみえええししし。。。
  2. 2「「「貞さだ貞さださだ能よし能よしよし」」」ととと召め召めめすすす。。。筑ちく筑ちくちく後ご後ごごののの守かみ守かみかみ貞さだ貞さださだ能よし能よしよしははは木もく木もくもく蘭らん蘭らんらん地ぢ地ぢじののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれににに、、、緋ひ緋ひひ緘をどし緘をどしおどしののの鎧よろひ鎧よろひよろい著き著ききててて、、、御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんににに畏かしこ畏かしこかしこまつまつまってててぞぞぞ候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるける。。。
  3. 3入にふ入にふにゅう道だう道だうどう宣のたま宣のたまのたまひひいけるけるけるははは、、、「「「いかにいかにいかに貞さだ貞さださだ能よし能よしよし、、、このこのこの事こと事ことこといかゞいかゞいかが思おも思おもおもふふうぞぞぞ。。。保ほう保ほうほう元げん元げんげんににに平へい平へいへい右う右うう馬ま馬ままののの助すけ助すけすけををを始はじ始はじはじめめめとととしてしてして一いち一いちいち門もん門もんもんなかばなかばなかば過す過すすぎぎぎててて、、、新しん新しんしん院ゐん院ゐんいんののの御み御みみ方かた方かたかたににに參まゐ參まゐまいりりりにににききき。。。一いち一いちいちののの宮みや宮みやみやののの御おん御おんおん事こと事ことことははは故こ故ここ刑ぎやう刑ぎやうぎょう部ぶ部ぶぶ卿きやう卿きやうきょうののの殿との殿とのとのののの養やう養やうよう君くん君くんくんにににてててましましましましましましかかかばばば、、、かた〴〵かた〴〵かたがた見み見みみはなちはなちはなち參まゐ參まゐまいらららせせせ難がた難がたがたかりかりかりしかしかしかどもどもども、、、故こ故ここ院ゐん院ゐんいんののの御ご御ごご遺ゆゐ遺ゆゐゆい誡かい誡かいかいにににまかせまかせまかせててて御み御みみ方かた方かたかたにににててて先さき先さきさきをををかけかけかけたりたりたりききき。。。これこれこれ一ひと一ひとひとつつつののの奉ほう奉ほうほう公こう公こうこう。。。
  4. 4次つぎ次つぎつぎににに平へい平へいへい治ぢ治ぢじ元ぐわん元ぐわんがん年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう二に二にに月ぐわつ月ぐわつがつ、、、信のぶ信のぶのぶ賴より賴よりより、、、義よし義よしよし朝とも朝ともともががが謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんののの時とき時ときとき、、、院ゐん院ゐんいん、、、内うち内うちうちををを取と取ととりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、大だい大だいだい内だい内だいだいににに立たて立たてたて籠こも籠こもこもりりり、、、天てん天てんてん下か下かか暗くら暗くらくら闇やみ闇やみやみとととなつなつなったりたりたりしししにににももも、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう隨ずゐ隨ずゐずい分ぶん分ぶんぶん身み身みみををを棄す棄すすてててててて、、、兇きよう兇きようきょう徒と徒ととををを追お追おおひひい落おと落おとおとししし、、、經つね經つねつね宗むね宗むねむね、、、維これ維これこれ方かた方かたかたををを召めし召めしめし縛いまし縛いましいましめめめしししににに至いた至いたいたるるるまでまでまで、、、君きみ君きみきみののの御おん御おんおん爲ため爲ためためににに既すで既すですでににに命いのち命いのちいのちををを失うしな失うしなうしなははわんんんとととするするする事こと事ことこと、、、度ど度どど度ど度どどににに及およ及およおよぶぶぶ。。。さればさればされば人ひと人ひとひと何なに何なになにととと申まう申まうもうすすすともともとも、、、いかでいかでいかで此こ此ここののの一いち一いちいち門もん門もんもんをををばばば七しち七しちしち代だい代だいだいまでまでまではははおぼしめしおぼしめしおぼしめし捨す捨すすてててさせさせさせ給たま給たまたまふふうべきべきべき。。。
  5. 5それそれそれににに成なり成なりなり親ちか親ちかちかととといふいふいう無む無むむ用よう用ようようのののいたづらいたづらいたずらものものもの、、、西さい西さいさい光くわう光くわうこうととと申まう申まうもうすすす下げ下げげ賤せん賤せんせんののの不ふ不ふふ當たう當たうとう人にん人にんにんががが申まう申まうもうすすす事こと事ことことににに、、、君きみ君きみきみのののつかつかつかせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、やゝやゝややもももすれすれすればばばこのこのこの一いち一いちいち門もん門もんもん亡ほろ亡ほろほろぼさぼさぼさるるるべきべきべき由よし由よしよしののの御ご御ごご結けつ結けつけっ構こう構こうこうこそこそこそ、、、然しか然しかしかるるるべからべからべからねねね。。。このこのこの後のち後のちのちももも讒ざん讒ざんざん奏そう奏そうそうするするする者もの者ものものあらあらあらばばば、、、當たう當たうとう家け家けけ追つゐ追つゐつい討たう討たうとうののの院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜんををを下くだ下くだくだささされれれつつつととと覺おぼ覺おぼおぼゆるゆるゆるぞぞぞ。。。朝てう朝てうちょう敵てき敵てきてきとととなつなつなっててて後のち後のちのちははは、、、いかにいかにいかに悔く悔くくゆゆゆともともとも益えき益えきえきあるあるあるまじまじまじ。。。
  6. 6しばらくしばらくしばらく世よ世よよをををしづめしづめしずめんんんほどほどほど、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうをををばばば鳥と鳥とと羽ば羽ばばののの北きた北きたきた殿どの殿どのどのへへへ移うつ移うつうつししし參まゐ參まゐまいらするらするらするかかか、、、しからしからしからずずずばばばこれこれこれへへへまれまれまれ、、、御ご御ごご幸かう幸かうこうをををなしなしなし參まゐ參まゐまいらららせせせんんんととと思おも思おもおもふふうはははいかにいかにいかに。。。そのそのその儀ぎ儀ぎぎならならならばばば、、、定さだ定さださだめめめててて北ほく北ほくほく面めん面めんめんののの者もの者ものものどもどもどもががが中なか中なかなかよりよりより、、、矢や矢ややをををももも一ひと一ひとひとつつつ射い射いいんんんずずずらんらんらん。。。そのそのその用よう用ようよう意い意いいせよせよせよととと、、、侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいどもどもどもににに觸ふ觸ふふるるるべしべしべし。。。大おほ大おほおお方かた方かたかたははは入にふ入にふにゅう道だう道だうどう、、、院ゐん院ゐんいん方がた方がたがたののの奉ほう奉ほうほう公こう公こうこう思おも思おもおもひひい切き切ききつつったりたりたり。。。馬むま馬むまうまににに鞍くら鞍くらくら置お置おおかかかせせせよよよ、、、きせながきせながきせなが取と取ととりりり出いだ出いだいだせせせ。。。」」」とととこそこそこそのたまひのたまひのたまいけれけれけれ。。。
  7. 7主しゆ主しゆしゅ馬め馬めめののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん盛もり盛もりもり國くに國くにくに、、、急いそ急いそいそぎぎぎ小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどのへへへ馳は馳ははせせせ參まゐ參まゐまいつつっててて、、、「「「世よ世よよははははやはやはやかうかうこう候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、大おと大おとおと臣ど臣どど聞き聞きききききもももあへあへあえ給たま給たまたまははわずずず、、、「「「あゝあゝああはやはやはや成なり成なりなり親ちか親ちかちかののの卿きやう卿きやうきょうののの頭かうべ頭かうべこうべののの刎は刎ははねねねられられられたんたんたんななな。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「そのそのその儀ぎ儀ぎぎにににてててははは候さふら候さふらそうらははわねねねどもどもども、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう殿どの殿どのどのののの御おん御おんおんきせながきせながきせながををを召め召めめささされれれ候さふらふ候さふらふそうろう上うへ上うへうえははは、、、侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいどもどもどもももも、、、みなみなみなうちうちうち立た立たたつつっててて、、、たゞたゞただ今いま今いまいま院ゐん院ゐんいんののの御ご御ごご所しよ所しよしょ、、、法ほふ法ほふほう住ぢゆう住ぢゆうじゅう寺じ寺じじ殿どの殿どのどのへへへ寄よ寄よよせせせんんんとととこそこそこそ出い出いいででで立た立たたちちち候さふら候さふらそうらひひいつれつれつれ。。。しばらくしばらくしばらく世よ世よよをををしづめしづめしずめんんんほどほどほど、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうをををばばば鳥と鳥とと羽ば羽ばばののの北きた北きたきた殿どの殿どのどのへへへ移うつ移うつうつししし參まゐ參まゐまいらするらするらするかかか、、、然しか然しかしからららずずずばばばこれこれこれへへへまれまれまれ、、、御ご御ごご幸かう幸かうこうをををなしなしなし參まゐ參まゐまいらららせせせうううとととははは候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、内ない内ないない々ない々ないないははは鎭ちん鎭ちんちん西ぜい西ぜいぜいののの方かた方かたかたへへへ流なが流ながながししし參まゐ參まゐまいらららせせせんんんとととこそこそこそ、、、議ぎ議ぎぎせせせられられられ候さふら候さふらそうらひひいつれつれつれ。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、
  8. 8大おと大おとおと臣ど臣どど何なに何なになにににによつよつよっててて、、、只たゞ只たゞただ今いま今いまいまさるさるさる事こと事ことことのののおはすおはすおわすべきべきべきとととははは思おも思おもおもははわれれれけれけれけれどもどもども、、、今け今けけ朝さ朝ささののの禪ぜん禪ぜんぜん門もん門もんもんののの氣き氣きき色しよく色しよくしょく、、、さるさるさる物もの物ものものぐるほしきぐるほしきぐるおしき事こと事ことこともももやややおはすおはすおわすらんらんらんとてとてとて、、、急いそ急いそいそぎぎぎ車くるま車くるまくるまををを飛と飛ととばばばせせせててて、、、西にし西にしにし八はち八はちはち條でう條でうじょう殿どの殿どのどのへへへぞぞぞおはしおはしおわしたるたるたる。。。門もん門もんもん前ぜん前ぜんぜんにににててて車くるま車くるまくるまよりよりより下お下おおりりり、、、門もん門もんもんののの中うち中うちうちへへへさしさしさし入い入いいりりりててて見み見みみ給たま給たまたまふふうににに、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう腹はら腹はらはら巻まき巻まきまきををを著き著きき給たま給たまたまふふう上うへ上うへうえ、、、一いち一いちいち門もん門もんもんののの卿けい卿けいけい相しやう相しやうしょう雲うん雲うんうん客かく客かくかく數す數すす十じふ十じふじゅう人にん人にんにん、、、各おのおの各おのおのおのおの色いろ色いろいろ々いろ々いろいろののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれににに、、、おもひ〳〵おもひ〳〵おもいおもいののの鎧よろひ鎧よろひよろい著き著ききててて、、、中ちゆう中ちゆうちゅう門もん門もんもんののの廊らう廊らうろうににに二に二にに行ぎやう行ぎやうぎょうににに著つか著つかつかせせせられられられたりたりたり。。。そのそのその外ほか外ほかほか諸しよ諸しよしょ國こく國こくこくののの受じゆ受じゆじゅ領りやう領りやうりょう、、、衞ゑ衞ゑえ府ふ府ふふ、、、諸しよ諸しよしょ司し司ししなどなどなどははは緣えん緣えんえんにににゐゐいこぼれこぼれこぼれ、、、庭には庭にはにはにににもももひしとひしとひしと竝な竝ななみみみゐゐいたりたりたり。。。旗はた旗はたはた竿ざを竿ざをざおなどなどなど引ひ引ひひきききそばめくそばめくそばめく、、、馬むま馬むまうまののの腹はら腹はらはら帶おび帶おびおびをををかためかためかため、、、兜かぶと兜かぶとかぶとののの緖を緖をををををしめしめしめ、、、たゞたゞただ今いま今いまいまみなみなみなうちうちうち立た立たたたたたんんんずるずるずる氣け氣けけ色しき色しきしきどもどもどもなるなるなるににに、、、小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどの烏え烏ええ帽ぼ帽ぼぼ子し子しし直なほ直なほなお衣し衣ししににに、、、大だい大だいだい紋もん紋もんもんののの指さし指さしさし貫ぬき貫ぬきぬきのののそばそばそば取と取ととつつっててて、、、さやめきさやめきさやめき入い入いいりりり給たま給たまたまへへえばばば、、、殊こと殊ことことののの外ほか外ほかほかにににぞぞぞ見み見みみえええられられられけるけるける。。。
  9. 9入にふ入にふにゅう道だう道だうどうふしふしふしめめめににになつなつなっててて、、、あはれあはれあわれ例れい例れいれいののの内だい内だいだい府ふ府ふふががが、、、世よ世よよをををへうするへうするひょうする樣やう樣やうようにににふるまふふるまふふるまうものものものかなかなかな。。。大おほ大おほおおきききににに諫いさ諫いさいさめめめばやばやばやととと思おも思おもおもははわれれれけれけれけれどもどもども、、、さすがさすがさすが子こ子ここながらながらながらももも、、、内うち内うちうちにににははは五ご五ごご戒かい戒かいかいををを保たも保たもたもつつっててて慈じ慈じじ悲ひ悲ひひををを先さき先さきさきとととししし、、、外そと外そとそとにににははは五ご五ごご常じやう常じやうじょうををを亂みだ亂みだみだらららずずず、、、禮れい禮れいれい儀ぎ儀ぎぎををを正たゞ正たゞただしうしうしゅうししし給たま給たまたまふふう人ひと人ひとひとなれなれなればばば、、、あのあのあの姿すがた姿すがたすがたににに腹はら腹はらはら巻まき巻まきまきををを著き著ききててて向むか向むかむかははわんんん事こと事ことこと、、、さすがさすがさすがおもはゆうおもはゆうおもわゆう、、、恥はづ恥はづはずかしうかしうかしゅうややや思おも思おもおもははわれれれけんけんけん、、、障しやう障しやうしょう子じ子じじををを少すこ少すこすこししし引ひき引ひきひき立た立たたててて、、、腹はら腹はらはら巻まき巻まきまきののの上うへ上うへうえににに素そ素そそ絹けん絹けんけんののの衣ころも衣ころもころもををを、、、あわてあわてあわて著ぎ著ぎぎににに著き著ききたまひたまひたまいたりたりたりけるけるけるががが、、、胸むな胸むなむな板いた板いたいたののの金かな金かなかな物もの物ものものののの、、、少すこ少すこすこしししはづれはづれはずれててて見み見みみえええけるけるけるををを隱かく隱かくかくさささうううととと、、、頻しき頻しきしきりりりににに衣ころも衣ころもころもののの胸むね胸むねむねををを引ひ引ひひきききちがへ〳〵ちがへ〳〵ちがえちがえぞぞぞしししたまひたまひたまいけるけるける。。。
  10. 10大おと大おとおと臣ど臣どどははは舍しや舍しやしゃ弟てい弟ていてい宗むね宗むねむね盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうののの座ざ座ざざ上しやう上しやうしょうにににつきつきつきたまふたまふたまう。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどう宣のたま宣のたまのたまひひい出いだ出いだいださささるゝるゝるる事こと事ことこともももなくなくなく、、、大おと大おとおと臣ど臣どどもももまたまたまた申まう申まうもうししし上あ上ああげげげらるゝらるゝらるる旨むね旨むねむねもももなしなしなし。。。やゝやゝややあつあつあっててて入にふ入にふにゅう道だう道だうどう宣のたま宣のたまのたまひひいけるけるけるははは、、、「「「あのあのあの成なり成なりなり親ちか親ちかちかののの卿きやう卿きやうきょうががが謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんははは、、、事こと事ことことののの數かず數かずかずにににももも候さふら候さふらそうらははわずずず。。。一いつ一いついっ向かう向かうこう法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうののの御ご御ごご結けつ結けつけっ構こう構こうこうにににててて候さふら候さふらそうらひひいけるけるけるぞぞぞややや。。。しばらくしばらくしばらく世よ世よよをををしづめしづめしずめんんんほどほどほど、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうをををばばば鳥と鳥とと羽ば羽ばばののの北きた北きたきた殿どの殿どのどのへへへ遷うつ遷うつうつししし參まゐ參まゐまいらするらするらするかかか、、、しからしからしからずずずばばばこれこれこれへへへまれまれまれ、、、御ご御ごご幸かう幸かうこうをををなしなしなし參まゐ參まゐまいらららせせせんんんとととおもふおもふおもうははは如い如いい何か何かかににに。。。」」」ととと宣のたま宣のたまのたまへへえばばば、、、大おと大おとおと臣ど臣どど聞き聞きききききもももあへあへあえ給たま給たまたまははわずずず、、、はら〳〵はら〳〵はらはらとととぞぞぞ泣な泣ななかかかれれれけるけるける。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどう、、、「「「さてさてさていかにいかにいかにやややいかにいかにいかに。。。」」」とととあきれあきれあきれ給たま給たまたまへへえばばば、、、
  11. 11やゝやゝややあつあつあっててて大おと大おとおと臣ど臣どど涙なみだ涙なみだなみだをををおさへおさへおさえててて、、、「「「このこのこの仰おほ仰おほおおせせせ承うけたまは承うけたまはうけたまわりりり候さふらふ候さふらふそうろうににに、、、御ご御ごご運うん運うんうんははははやはやはや末すゑ末すゑすえににになりなりなりぬぬぬととと覺おぼ覺おぼおぼえええ候さふらふ候さふらふそうろう。。。人ひと人ひとひとののの運うん運うんうん命めい命めいめいののの傾かたぶ傾かたぶかたぶかかかんんんとてとてとてははは、、、必かなら必かならかならずずず惡あく惡あくあく事じ事じじをををおもひおもひおもい立た立たたちちち候さふらふ候さふらふそうろうなりなりなり。。。またまたまた御おん御おんおん有あり有ありあり樣さま樣さまさまををを見み見みみ參まゐ參まゐまいらららせせせ候さふらふ候さふらふそうろうににに、、、さらにさらにさらにうつゝうつゝうつつとととももも覺おぼ覺おぼおぼえええずずず候さふらふ候さふらふそうろう。。。さすがさすがさすがわがわがわが朝てう朝てうちょうははは、、、邊へん邊へんへん地ち地ちち粟ぞく粟ぞくぞく散さん散さんさんののの境さかひ境さかひさかいとととははは申まう申まうもうしししながらながらながら、、、天てん天てんてん照せう照せうしょう大だい大だいだい神じん神じんじんののの御ご御ごご子し子しし孫そん孫そんそん國くに國くにくにののの主あるじ主あるじあるじとととしてしてして、、、天あめ天あめあめ兒の兒のの屋こや屋こやこや根ね根ねね命のみこと命のみことのみことののの御おん御おんおん末すゑ末すゑすえ、、、朝てう朝てうちょうののの政まつりごと政まつりごとまつりごとををを掌つかさど掌つかさどつかさどらららせせせ給たま給たまたまひひいしししよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、太だい太だいだい政じやう政じやうじょう大だい大だいだい臣じん臣じんじんののの官くわん官くわんかんににに至いた至いたいたるるる人ひと人ひとひとののの甲かつ甲かつかっ冑ちう冑ちうちゅうををを鎧よろ鎧よろよろふふう事こと事ことこと、、、禮れい禮れいれい儀ぎ儀ぎぎををを背そむ背そむそむくくくにににあらあらあらずずずややや。。。なかんづくなかんづくなかんずく御ご御ごご出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけののの御おん御おんおん身み身みみなりなりなり。。。
  12. 12それそれそれ三さん三さんさん世ぜ世ぜぜののの諸しよ諸しよしょ佛ぶつ佛ぶつぶつ、、、解げ解げげ脫だつ脫だつだっ幢どう幢どうどう相さう相さうそうののの法ほふ法ほふほう衣え衣ええをををぬぎぬぎぬぎ棄す棄すすてててててて、、、忽たちま忽たちまたちまちちちににに甲かつ甲かつかっ冑ちう冑ちうちゅうををを鎧よろ鎧よろよろひひい、、、弓きう弓きうきゅう箭せん箭せんせんををを帶たい帶たいたいしししましまさましまさましまさんんん事こと事ことこと、、、内うち内うちうちにににははは破は破はは戒かい戒かいかい無む無むむ慙ざん慙ざんざんののの罪つみ罪つみつみををを招まね招まねまねくくくのみのみのみならならならずずず、、、外そと外そとそとにににははは仁じん仁じんじん義ぎ義ぎぎ禮れい禮れいれい智ち智ちち信しん信しんしんののの法ほふ法ほふほうにににももも背そむ背そむそむききき候さふら候さふらそうらひひいなななんんんずずず。。。かた〴〵かた〴〵かたがた恐おそ恐おそおそれれれあるあるある申まう申まうもうししし事ごと事ごとごとにににててて候さふら候さふらそうらへへえ共ども共どもども、、、心こころ心こころこころののの底そこ底そこそこににに旨し旨しし趣しゆ趣しゆしゅををを殘のこ殘のこのこすすすべきべきべきにににももも候さふら候さふらそうらははわずずず。。。
  13. 13まづまづまず世よ世よよににに四し四しし候さふらふ候さふらふそうろう。。。天てん天てんてん地ち地ちちののの恩おん恩おんおん、、、國こく國こくこく王わう王わうおうののの恩おん恩おんおん、、、父ぶ父ぶぶ母も母ももののの恩おん恩おんおん、、、衆しゆ衆しゆしゅ生じやう生じやうじょうののの恩おん恩おんおんこれこれこれなりなりなり。。。そのそのその中なか中なかなかににに最もつと最もつともっとももも重おも重おもおもきききははは朝てう朝てうちょう恩おん恩おんおんなりなりなり。。。普ふ普ふふ天てん天てんてんののの下した下したした、、、王わう王わうおう地ぢ地ぢじにににあらあらあらずずずととといふいふいう事こと事ことことなしなしなし。。。さればさればさればかのかのかの穎えい穎えいえい川せん川せんせんののの水みづ水みづみずににに耳みみ耳みみみみををを洗あら洗あらあらひひい、、、首しゆ首しゆしゅ陽やう陽やうよう山ざん山ざんざんににに薇わらび薇わらびわらびををを折を折をおりりりししし賢けん賢けんけんももも、、、敕ちよく敕ちよくちょく命めい命めいめいののの背そむ背そむそむききき難がた難がたがたききき禮れい禮れいれい儀ぎ儀ぎぎをををばばば存ぞん存ぞんぞん知ぢ知ぢじすすすとととこそこそこそ承うけたまは承うけたまはうけたまわれれれ。。。
  14. 14いかにいかにいかに況いは況いはいわんんんややや先せん先せんせん祖ぞ祖ぞぞにににももも未いま未いまいまだだだ聞き聞ききかかかざつざつざっししし太だい太だいだい政じやう政じやうじょう大だい大だいだい臣じん臣じんじんををを極きは極きはきわめめめさせさせさせ給たま給たまたまふふう。。。いはゆるいはゆるいわゆる重しげ重しげしげ盛もり盛もりもりががが無む無むむ才さい才さいさい愚ぐ愚ぐぐ闇あん闇あんあんののの身み身みみををを以もつ以もつもっててて、、、蓮れん蓮れんれん府ぷ府ぷぷ槐くわい槐くわいかい門もん門もんもんののの位くらゐ位くらゐくらいににに至いた至いたいたるるる。。。しかのみならずしかのみならずしかのみならず國こく國こくこく郡ぐん郡ぐんぐん、、、半なか半なかなかばばばははは一いち一いちいち門もん門もんもんののの所しよ所しよしょ領りやう領りやうりょうとととなつなつなっててて、、、田でん田でんでん園ゑん園ゑんえん悉ことごと悉ことごとことごとくくく一いつ一いついっ家け家けけののの進しん進しんしん止じ止じじたりたりたり。。。これこれこれ希き希きき代たい代たいたいののの朝てう朝てうちょう恩おん恩おんおんにににあらあらあらずずずややや。。。今いま今いまいまこれらこれらこれらののの莫ばく莫ばくばく大たい大たいたいののの御ご御ごご恩おん恩おんおんををを思おぼし思おぼしおぼし召め召めめししし忘わす忘わすわすれれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、みだりがはしくみだりがはしくみだりがわしく法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうををを傾かたぶ傾かたぶかたぶけけけ參まゐ參まゐまいらららせせせ給たま給たまたまははわんんんことことこと、、、天てん天てんてん照せう照せうしょう大だい大だいだい神じん神じんじん、、、正しやう正しやうしょう八はち八はちはち幡まん幡まんまん宮ぐう宮ぐうぐうののの神しん神しんしん慮りよ慮りよりょにににももも背そむ背そむそむかかかせせせ給たま給たまたまひひい候さふら候さふらそうらひひいなななんんんずずず。。。それそれそれ日につ日につにっ本ぽん本ぽんぽんははは神しん神しんしん國こく國こくこくなりなりなり。。。神かみ神かみかみははは非ひ非ひひ禮れい禮れいれいををを受う受ううけけけ給たま給たまたまふふうべからべからべからずずず。。。
  15. 15しかれしかれしかればばば君きみ君きみきみのののおぼしめしおぼしめしおぼしめし立た立たたたたたせせせ給たま給たまたまふふう所ところ所ところところ、、、道だう道だうどう理り理りり半なか半なかなかばばばなきなきなきにににあらあらあらずずず。。。中なか中なかなかにににもももこのこのこの一いち一いちいち門もん門もんもんははは、、、代だい代だいだい々だい々だいだいののの朝てう朝てうちょう敵てき敵てきてきををを平たひ平たひたいらげらげらげててて、、、四し四しし海かい海かいかいののの逆げき逆げきげき浪らう浪らうろうををを靜しづ靜しづしずむるむるむる事こと事ことことははは、、、無ぶ無ぶぶ雙さう雙さうそうののの忠ちゆう忠ちゆうちゅうなれなれなれどもどもども、、、そのそのその賞しやう賞しやうしょうににに誇ほこ誇ほこほこるるる事こと事ことことははは、、、傍ばう傍ばうぼう若じやく若じやくじゃく無ぶ無ぶぶ人じん人じんじんともともとも申まう申まうもうしししつつつべしべしべし。。。聖しやう聖しやうしょう德とく德とくとく太たい太たいたい子し子しし十じふ十じふじゅう七しち七しちしち個か個かか條でう條でうじょうののの御おん御おんおん憲けん憲けんけん法ぱふ法ぱふぽうににに、、、『『『人ひと人ひとひとみなみなみな心こころ心こころこころありありあり、、、心こころ心こころこころおの〳〵おの〳〵おのおの執しふ執しふしゅうありありあり。。。かれかれかれををを是ぜ是ぜぜししし、、、われわれわれををを非ひ非ひひししし、、、われわれわれををを是ぜ是ぜぜししし、、、かれかれかれををを非ひ非ひひすすす。。。是ぜ是ぜぜ非ひ非ひひののの理ことわり理ことわりことわり、、、誰たれ誰たれたれかかかよくよくよく定さだ定さださだむむむべきべきべき。。。相あひ相あひあい共とも共ともともににに賢けん賢けんけん愚ぐ愚ぐぐなりなりなり、、、環たまき環たまきたまきののの如ごと如ごとごとくくくにににしてしてして端はし端はしはしなしなしなし。。。こゝこゝここををを以もつ以もつもっててて、、、たとひたとひたとい人ひと人ひとひと怒いか怒いかいかるるるととといふいふいうともともとも、、、卻かへ卻かへかえつつってててわがわがわが咎とが咎とがとがををを恐おそ恐おそおそれれれよよよ。。。』』』とととこそこそこそ見み見みみえええててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。
  16. 16然しか然しかしかれれれどもどもども當たう當たうとう家け家けけののの運うん運うんうん命めい命めいめい、、、未いま未いまいまだだだ盡つ盡つつきききざるざるざるににに依よ依よよつつっててて、、、御ご御ごご謀む謀むむ叛ほん叛ほんほん既すで既すですでにににあらはれあらはれあらわれさせさせさせ給たま給たまたまひひい候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬ。。。そのそのその上うへ上うへうえ仰おほ仰おほおおせせせあはせあはせあわせらるゝらるゝらるる成なり成なりなり親ちか親ちかちかののの卿きやう卿きやうきょうををを、、、召め召めめししし置お置おおかかかれれれぬるぬるぬる上うへ上うへうえははは、、、たとひたとひたとい君きみ君きみきみいかなるいかなるいかなる不ふ不ふふ思し思しし議ぎ議ぎぎををを思おぼし思おぼしおぼし召め召めめししし立た立たたたたたせせせ給たま給たまたまふふうともともとも、、、何なに何なになにののの恐おそ恐おそおそれれれかかか候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき。。。所しよ所しよしょ當たう當たうとうののの罪ざい罪ざいざい科くわ科くわか行おこな行おこなおこなははわれれれぬるぬるぬる上うへ上うへうえははは、、、退しりぞ退しりぞしりぞいいいててて事こと事ことことののの由よし由よしよしををを陳ちん陳ちんちんじじじ申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、君きみ君きみきみののの御おん御おんおん爲ため爲ためためにににははは、、、いよ〳〵いよ〳〵いよいよ奉ほう奉ほうほう公こう公こうこうののの忠ちゆう忠ちゆうちゅう勤きん勤きんきんをををつくしつくしつくし、、、民たみ民たみたみののの爲ため爲ためためにににははは、、、ます〳〵ます〳〵ますます撫ぶ撫ぶぶ育いく育いくいくののの愛あい愛あいあい憐れん憐れんれんををを致いた致いたいたさささせせせたまはたまはたまわばばば、、、神しん神しんしん明めい明めいめいののの加か加かか護ご護ごごににに預あづか預あづかあずかつつっててて、、、佛ぶつ佛ぶつぶつ陀だ陀だだののの冥みやう冥みやうみょう慮りよ慮りよりょににに背そむ背そむそむくくくべからべからべからずずず。。。神しん神しんしん明めい明めいめい、、、佛ぶつ佛ぶつぶつ陀だ陀だだ感かん感かんかん應おう應おうおうあらあらあらばばば、、、君きみ君きみきみもももおぼしめしおぼしめしおぼしめしなほすなほすなおすことことこと、、、などなどなどかかか候さふら候さふらそうらははわざるざるざるべきべきべき。。。君きみ君きみきみととと臣しん臣しんしんとととをををくらぶるくらぶるくらぶるににに、、、親しん親しんしん疎そ疎そそわくわくわく方かた方かたかたなしなしなし。。。道だう道だうどう理り理りりとととひがことひがことひがことををを竝なら竝ならならべべべんんんににに、、、いかでいかでいかでかかか道だう道だうどう理り理りりにににつかつかつかざるざるざるべきべきべき。。。」」」

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

太政入道はこのように多くの人々を縛り置いても、なお気が済まないと思われたのであろうか、もう赤地の錦の直垂に、黒糸縅の腹巻の白金物を打った胸板を締め、先年安芸守であったときに参詣したついでに霊夢を受けて、厳島の大明神から現実に賜った銀の蛭巻をした小長刀を、いつも枕元から離さずに立てておられたのを脇にはさんで、中門の廊にお出になった。その様子は、たいそう恐ろしげに見えた。

「貞能」とお呼びになる。筑後守貞能は木蘭地の直垂に緋縅の鎧を着て、御前にかしこまって控えていた。

入道がおっしゃるには、「どうだ貞能、このことをどう思う。保元の乱では、平右馬助(忠正)をはじめとして一門の半分以上が新院(崇徳院)の味方についた。一の宮(重仁親王)は故刑部卿殿(忠盛)が養育申し上げた方であったので、あれこれと見捨て申しがたかったけれども、故院(鳥羽院)のご遺言どおりに天皇方について先陣をつとめた。これが一つ目の奉公である。

次に平治元年(1159)十二月、信頼・義朝が謀反を起こしたとき、院と天皇を取り押さえ申して大内裏に立てこもり、天下が真っ暗になったときにも、入道は精一杯身を捨てて凶徒を追い落とし、経宗・惟方を捕らえるまで、君のためにすでに命を落としそうになったことはたびたびである。だから人が何と申そうとも、どうしてこの一門を七代まではお見捨てになるはずがあろうか。

それなのに成親という役に立たないろくでなし、西光という卑しい不届き者の申すことに君がお乗りになって、ともすればこの一門を滅ぼそうというお企てこそけしからん。これからも讒言する者があれば、平家追討の院宣を下されるにちがいないと思う。朝敵となってからでは、どれほど悔やんでも益はあるまい。

しばらく世の中を鎮める間、法皇を鳥羽の北殿へお移し申すか、そうでなければこちらへでも御幸をお願いしようと思うがどうだ。そうなれば、きっと北面の者どもの中から矢の一本も射てくるだろう。その用意をせよと侍どもに触れ回れ。入道はもう院への奉公はきっぱり思い切った。馬に鞍を置かせよ。鎧を取り出せ」とおっしゃった。

主馬判官盛国は急いで小松殿へ駆けつけて、「世の中はもうこのようになっております」と申したので、大臣は聞き終わりもしないうちに、「ああ、もう成親卿の首がはねられたのか」とおっしゃると、「そうではございませんが、入道殿が鎧をお召しになったので、侍どももみな出立して、今にも院の御所の法住寺殿へ押し寄せようと支度しておりました。しばらく世を鎮める間、法皇を鳥羽の北殿へお移し申すか、そうでなければこちらへでも御幸をお願いしようとはおっしゃっていますが、内々には九州の方へお流し申そうと評議しておられました」と申したので、

大臣は、どうして今そのようなことがあるはずがあろうと思われたけれども、今朝の禅門の様子では、そのような狂気じみたこともなさるかもしれないと思って、急いで車を飛ばして西八条殿へおいでになった。門前で車から降りて門の中へ入ってご覧になると、入道は腹巻をお着けになっているうえ、一門の公卿・殿上人数十人が、めいめい色とりどりの直垂に思い思いの鎧を着て、中門の廊に二列に着座しておられた。そのほか諸国の受領・衛府・諸司などは縁からあふれ、庭にもぎっしりと並んでいた。旗竿などを手元に引き寄せ、馬の腹帯を締め、兜の緒を締めて、今にもみな出立しようという様子であるのに、小松殿が烏帽子直衣に、大紋の指貫の裾をつまんで、衣ずれの音をさせて入ってこられたので、ことのほか場違いに見えた。

入道は伏し目になって、「ああ、いつもの内府が世の中を軽んじるようにふるまうことよ。うんと叱ってやりたい」と思われたけれども、さすが子ではあっても、内には五戒を守って慈悲を第一とし、外には五常を乱さず礼儀を正しくなさる人なので、あの姿に腹巻を着て向かい合うことは、さすがに気恥ずかしく思われたのだろうか、障子を少し閉めて、腹巻の上に素絹の衣をあわてて着られたが、胸板の金物が少しはみ出して見えるのを隠そうと、しきりに衣の胸元を引き合わせ引き合わせなさった。

大臣は弟の宗盛卿の上座に着かれた。入道は何もおっしゃらず、大臣も申し上げることもない。しばらくして入道がおっしゃるには、「あの成親卿の謀反は問題にもならない。もっぱら法皇のお企てであったのだ。しばらく世を鎮める間、法皇を鳥羽の北殿へお移し申すか、そうでなければこちらへでも御幸をお願いしようと思うがどうだ」とおっしゃると、大臣は聞き終わりもしないうちに、はらはらと泣かれた。入道が「さて、どうした、どうした」とあきれておられると、

しばらくして大臣は涙をおさえて、「このお言葉を承りますと、ご運はもう末になったと思われます。人の運命が傾こうとするときには、必ず悪事を思い立つものです。またご様子を拝見しますと、まったく正気とも思われません。わが国は辺境の粟粒のような小国とは申しながら、天照大神の御子孫が国の主として、天児屋根命の子孫(藤原氏)が朝廷の政治をつかさどってこられてからこのかた、太政大臣の位に至った人が甲冑を着ることは、礼儀に背くことではありませんか。とりわけご出家の御身です。

そもそも三世の諸仏の、解脱のしるしである法衣を脱ぎ捨てて、たちまち甲冑を着、弓矢を帯びられることは、内には戒律を破る恥知らずの罪を招くだけでなく、外には仁義礼智信の道にも背いてしまうでしょう。あれこれと恐れ多い申し上げようではございますが、心の底に思うことを残しておくべきではございません。

まず世の中には四恩があります。天地の恩、国王の恩、父母の恩、衆生の恩がこれです。その中でもっとも重いのは朝廷の恩です。天のおおう下で、王の土地でないところはありません。だから、あの穎川の水で耳を洗い、首陽山で薇を摘んだ賢人たちでさえ、勅命には背きがたいという礼儀はわきまえていたと承っております。

まして父上は、先祖にもまだ聞いたことのない太政大臣を極められました。いわゆる重盛のような才能もなく愚かな身でさえ、大臣の位にまで至りました。そればかりか、国や郡の半分は一門の所領となって、田園はことごとく一家の支配下にあります。これは世にも稀な朝廷の恩ではありませんか。今これらの莫大なご恩をお忘れになって、みだりに法皇を倒し申されることは、天照大神や正八幡宮のお心にもお背きになることでしょう。そもそも日本は神の国です。神は非礼を受け入れられることはありません。

ですから君がお思い立ちになったことにも、道理がまったくないわけではありません。なかでもこの一門は、代々の朝敵を平らげて四海の逆巻く波を静めたことは比類のない忠義ですが、その恩賞に誇ることは傍若無人とも申すべきでしょう。聖徳太子の十七条の憲法に、「人にはみな心があり、心にはそれぞれ執着がある。彼を是としてわれを非とし、われを是として彼を非とする。是非の道理を、だれがよく定められようか。互いに賢くもあり愚かでもあって、環のように端がない。だから、たとえ人が怒っても、かえって自分の過ちを恐れよ」と書かれております。

けれども平家の運命がまだ尽きていないので、ご謀反はすでに露見なさいました。そのうえ相談相手の成親卿を召し置かれた以上は、たとえ君がどのような無茶をお思い立ちになっても、何の恐れがありましょう。しかるべき罪科が行われた以上は、退いて事の次第を弁明申し上げなさり、君のためにはいよいよ奉公の忠勤を尽くし、民のためにはますます慈しみ育てる愛情をお注ぎになれば、神のご加護を受け、仏のお心にも背くことはないでしょう。神仏が感応なされば、君もお考えを改められることがどうしてないでしょうか。君と臣とを比べれば、親しい疎いの区別はありません。道理とひがごとを並べたなら、どうして道理につかないことがありましょう」

意訳

鹿ケ谷事件の黒幕が後白河法皇であると確信した清盛は、法皇を鳥羽殿に幽閉するか、九州に流すことまで考え、自ら腹巻を着けて兵を集める。厳島明神から授かったという小長刀を脇にはさむ姿は、怒りに燃える清盛の恐ろしさを示している。

そこへ重盛が、武装した一門の中に烏帽子直衣という平服で入ってくる。清盛が息子の姿を見て、あわてて腹巻の上に衣を着込み、はみ出した胸板を隠そうと何度も衣を引き合わせる場面は、威圧的な清盛が、道理に生きる息子の前では気後れしてしまう姿をユーモラスに描いており、『平家物語』の名場面として知られる。

重盛の諫言は、出家の身で甲冑を着ることは仏法にも儒教にも背くという指摘から始まり、四恩の中で最も重い朝恩を説き、平家の栄華がすべて朝廷の恩によることを思い起こさせる。さらに聖徳太子の十七条憲法を引いて、是非は人によって異なるのだから、まず自らの過ちを恐れよと説く。理を尽くした言葉の積み重ねによって、父を説得しようとする重盛の姿が描かれている。

語釈・文法注

四恩
仏教でいう、人が受ける四つの恩。経典によって異なるが、ここでは天地・国王・父母・衆生の恩を挙げる。
穎川の水に耳を洗ひ、首陽山に薇を折りし賢人
帝位を譲ろうと言われて、汚れた話を聞いたと穎川で耳を洗った許由と、周の武王の不義を責めて首陽山にこもり、薇を食べて餓死した伯夷・叔斉。いずれも俗世の権力を拒んだ賢人の代表。

文法

「これへまれ」
「にもあれ」のつづまった形で、こちらへでも、の意。
「世をへうする」
「へうす」は、軽んじる、ないがしろにする、の意。
「さやめき入り給へば」
「さやめく」は、衣ずれの音をさせる、の意。
「蓮府槐門」
「蓮府」「槐門」はどちらも大臣の唐名。
「普天の下、王地にあらずといふ事なし」
『詩経』の「普天の下、王土に非ざるは莫し」による。

解説

この章段と次の「烽火の事」は、「小松教訓」の後半にあたり、覚一本などでは「教訓状」と題されて、重盛の諫言の章段として広く知られている。重盛の言葉は、儒教の礼と仏教の戒、神国思想を織り交ぜたもので、中世の人々の考える理想の臣下の姿を示している。

史実の重盛は、鹿ケ谷事件の処理において清盛の強硬策を抑えたとされるが、物語に描かれるほどの劇的な諫言があったかどうかは確かでない。物語は、重盛を「忠ならんと欲すれば孝ならず」という板ばさみに苦しむ人物として描き、その死(巻第三)が平家の転落の始まりになるという構想のもとで、重盛の存在を大きく扱っている。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、324–329頁(コマ191–193)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日