平家物語 巻第二
少将請ひ受けの事
成親の子丹波少将成経は、後白河法皇に涙の別れを告げ、舅の門脇宰相教盛とともに西八条へ向かう。教盛は清盛に成経の身柄を預かりたいと願うが許されず、出家を口にしてようやく聞き入れられる。成経は自分の命よりも父の身を案じ、教盛は子を持つことのつらさをかみしめる。
- 1丹丹たん波波ばののの少少しょう將將しょう成成なり經經つねははは、、、そのそのその夜夜よしもしもしも、、、院院いんののの御御ご所所しょ法法ほう住住じゅう寺寺じ殿殿どのににに上上うえ臥臥ぶししししててて、、、未未いまだだだ出出いでででられられられざりざりざりけるけるけるににに、、、大大だい納納な言言ごんののの侍侍さぶらいどもどもども、、、急急いそぎぎぎ院院いんののの御御ご所所しょににに馳馳はせせせ參參まいりりり、、、少少しょう將將しょう殿殿どのををを呼呼よびびび出出いだししし奉奉たてまつりりり、、、このこのこの由由よしかくかくかくととと申申もうしししけれけれければばば、、、少少しょう將將しょう、、、「「「これこれこれ程程ほどののの事事こと、、、などなどなどややや宰宰さい相相しょうのののもともともとよりよりより、、、今今いままでまでまで告告つげげげ知知しらららせせせざるざるざるらんらんらん。。。」」」ととと宣宣のたまひひいもももはてはてはてぬぬぬににに、、、宰宰さい相相しょう殿殿どのよりよりよりとてとてとて御御おん使使つかいありありあり、、、
- 2このこのこの宰宰さい相相しょうととと申申もうすすすははは入入にゅう道道どう相相しょう國國こくののの御御おん弟弟おとうと、、、宿宿しゅく所所しょははは六六ろく波波は羅羅らののの總總そう門門もんののの脇脇わきにににおはしおはしおわしけれけれければばば、、、門門かど脇脇わきののの宰宰さい相相しょうとととぞぞぞ申申もうしししけるけるける。。。丹丹たん波波ばののの少少しょう將將しょうにににははは舅舅しゅうとなりなりなり。。。「「「何何なに事事ごとにににててて候候そうろうやらやらやらんんん、、、今今け朝朝さ西西にし八八はち條條じょうののの邸邸ていよりよりより、、、きつときつときっと具具ぐししし奉奉たてまつれれれととと候候そうろう。。。」」」ととと、、、のたまひのたまひのたまい遣遣つかはさはさわされれれたりたりたりけれけれければばば、、、
- 3少少しょう將將しょうこのこのこの事事こと心心こころ得得えててて、、、近近きん習習じゅののの女女にょう房房ぼうたちたちたちををを呼呼よびびび出出いだししし參參まいらららせせせててて、、、「「「ゆうべゆうべゆうべ何何なにとととなうなうのう物物ものさわがしうさわがしうさわがしゅう候候そうらひひいしししををを、、、例例れいののの山山やま法法ほう師師しののの下下くだるるるかかかなんどなんどなんど、、、よそよそよそににに思思おもひひいててて候候そうらへへえばばば、、、はやはやはや成成なり經經つねががが身身みののの上上うえにににまかりまかりまかりなつなつなっててて候候そうらひひいけるけるけるぞぞぞややや。。。夕夕ゆうさりさりさり大大だい納納な言言ごん斬斬きらららるるるべうべうびょう候候そうろうなれなれなればばば、、、成成なり經經つねとてとてとてももも同同どう罪罪ざいにににてててぞぞぞ候候そうらははわんんんずずずらんらんらん。。。今今いま一一ひと度度たび御御ご前前ぜんへへへ參參さんじじじててて、、、君君きみををを見見みまゐらせまゐらせまいらせたくたくたく候候そうらへへえどもどもども、、、斯斯かかるかるかる身身みにににまかりまかりまかりなりなりなりててて候候そうらへへえばばば、、、憚憚はばかりりり存存ぞんじじじ候候そうろう。。。」」」ととと申申もうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、
- 4女女にょう房房ぼうたちたちたち急急いそぎぎぎ御御ご前前ぜんへへへ參參まいつつっててて、、、このこのこの由由よし奏奏そう聞聞もんせせせられられられたりたりたりけれけれければばば、、、法法ほう皇皇おう今今け朝朝さののの禪禪ぜん門門もんののの使使つかいににに、、、はやはやはや御御おん心心こころ得得えあつあつあっててて、、、「「「これらこれらこれらががが内内ない々々ない謀謀はかりりりししし事事ことののの洩洩もれれれ聞聞きこえええけるけるけるにににこそこそこそ。。。さるさるさるにににてててももも今今いま一一ひと度度たびこれこれこれへへへ。。。」」」ととと御御ご氣氣き色色しょくありありありけれけれければばば、、、少少しょう將將しょう御御ご前前ぜんへへへ參參まいららられれれたりたりたり。。。法法ほう皇皇おう御御おん涙涙なみだををを流流ながさささせせせ給給たまひひいててて、、、仰仰おおせせせ下下くださささるゝるゝるる旨旨むねもももなくなくなく、、、少少しょう將將しょうもももまたまたまた涙涙なみだにににむせびむせびむせびててて、、、申申もうししし上上あげげげらるゝらるゝらるる事事こともももなしなしなし。。。やゝやゝややあつあつあっててて少少しょう將將しょう御御ご前前ぜんをををまかりまかりまかり出出いでででられられられけるけるけるににに、、、法法ほう皇皇おう後後うしろををを遙遙はるかかかににに御御ご覽覽らんじじじ送送おくつつっててて、、、「「「たゞたゞただ末末まつ代代だいこそこそこそ心心こころ憂憂うけれけれけれ。。。これこれこれががが限限かぎりりりにににててて、、、またまたまたももも御御ご覽覽らんぜぜぜぬぬぬ事事こともももやややあらあらあらんんんずずずらんらんらん。。。」」」とてとてとて、、、御御おん涙涙なみだせきせきせきあへあへあえさせさせさせ給給たまははわずずず。。。少少しょう將將しょう御御ご前前ぜんをををまかりまかりまかり出出いでででられられられけるけるけるににに、、、院院いん中中じゅうののの人人ひと々々びと、、、局局つぼねののの女女にょう房房ぼうたちたちたちににに至至いたるるるまでまでまで、、、名名な殘殘ごりををを惜惜おしみしみしみ、、、袂袂たもとににに縋縋すがりりり、、、涙涙なみだををを流流ながししし、、、袖袖そでををを濡濡ぬらさらさらさぬぬぬはははなかりなかりなかりけりけりけり。。。
- 5舅舅しゅうとののの宰宰さい相相しょうのののもともともとへへへ出出いでででられられられたれたれたればばば、、、北北きたののの方方かたははは、、、近近ちこううう產產さんすすすべきべきべき人人ひとにににててておはしおはしおわしけるけるけるががが、、、今今け朝朝さよりよりよりこのこのこの歎歎なげきききををを打打うち添添そへへえててて、、、既既すでににに命命いのちももも消消きえええ入入いるるる心心ここちちちぞぞぞせせせられられられけるけるける。。。少少しょう將將しょう御御ご所所しょをををまかりまかりまかり出出いでででられられられけるけるけるよりよりより、、、流流ながるゝるゝるる涙涙なみだつきつきつきせせせぬぬぬににに、、、今今いま北北きたののの方方かたののの有有あり樣樣さまををを見見み給給たまひひいててて、、、いとゞいとゞいとどせんせんせん方方かたなげなげなげにににぞぞぞ見見みえええられられられけるけるける。。。
- 6少少しょう將將しょうののの乳乳めの母母とににに六六ろく條條じょうととといふいふいう女女おんなありありあり。。。「「「われわれわれ御御おん乳乳ちににに參參まいりりりはじめはじめはじめ候候そうらひひいててて、、、君君きみををを乳乳ちののの中中なかよりよりより抱抱いだききき上上あげげげ奉奉たてまつりりり、、、おほしおほしおおしたてたてたて參參まいらららせせせしししよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、月月つき日日ひののの重重かさなるなるなるににに從從したがひひいててて、、、わがわがわが身身みののの年年としののの行行ゆくくくをををばばば歎歎なげかかかずずずしてしてして、、、ひとへひとへひとえににに君君きみののの大大おと人人なしうしうしゅうならせならせならせ給給たまふふう事事ことをををのみのみのみ喜喜よろこびびび、、、あからさまあからさまあからさまとととははは思思おもへへえどもどもども、、、今今こ年年としははは二二に十十じゅう一一いち年年ねん、、、片片かた時時ときもももはなれはなれはなれ參參まいらららせせせ候候そうらははわずずず。。。院院いん、、、内内うちへへへまゐらまゐらまいらせせせ給給たまひひいててて、、、遲遲おそううう出出いでででさせさせさせ給給たまふふうだにだにだに、、、心心こころ苦苦ぐるしうしうしゅうおもひおもひおもい參參まいらららせせせ候候そうらひひいつるつるつるににに、、、遂遂ついにににいかなるいかなるいかなる憂憂うききき目目めにににかかか合合あははわせせせ給給たまふふうべきべきべきやらやらやらんんん。。。」」」とてとてとて泣泣なくくく。。。
- 7少少しょう將將しょう、、、「「「いたういたういとうななな歎歎なげきききそそそ。。。さてさてさて宰宰さい相相しょうおはすれおはすれおわすればばば、、、さりともさりともさりとも命命いのちばかりばかりばかりをををばばば、、、請請こひひい受受うけけけ給給たまははわんんんずるずるずるものものものををを。。。」」」ととと、、、やう〳〵やう〳〵ようようににに慰慰なぐさめめめのたまへのたまへのたまえどもどもども、、、六六ろく條條じょう人人ひと目目めももも恥恥はぢぢじずずず、、、泣泣なきききもだえもだえもだえけりけりけり。。。
- 8さるさるさる程程ほどににに西西にし八八はち條條じょう殿殿どのよりよりより使使つかいしきなみしきなみしきなみにににありありありしかしかしかばばば、、、宰宰さい相相しょう、、、「「「今今いまはははたゞたゞただ出出いででで向向むかつつってててこそこそこそ、、、ともかうともかうともこうもももならならならめめめ。。。」」」とてとてとて出出いでででられられられけれけれければばば、、、少少しょう將將しょうももも宰宰さい相相しょうののの車車くるまののの尻尻しりににに乘乘のつつってててぞぞぞ出出いでででられられられけるけるける。。。保保ほう元元げん平平へい治治じよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、平平へい家家けののの人人ひと々々びとははは樂樂たのしみしみしみ、、、榮榮さかえええのみのみのみありありありててて、、、憂憂うれへへえ、、、歎歎なげきききはははなかりなかりなかりしししににに、、、このこのこの宰宰さい相相しょうばかりばかりばかりこそこそこそ、、、よしなきよしなきよしなき壻壻むこ故故ゆえににに、、、斯斯かかるかるかる歎歎なげきききをををばばばせせせられられられけれけれけれ。。。
- 9西西にし八八はち條條じょう近近ちこうううなりなりなりててて、、、まづまづまず案案あん内内ないををを申申もうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、少少しょう將將しょうをををばばば門門もんののの内内うちへへへははは入入いれれれらるらるらるべからべからべからずずずとととのたまふのたまふのたまう間間あいだ、、、そのそのその邊邊へんなるなるなる侍侍さぶらいのののもともともとににに下下おろしししおきおきおき、、、宰宰さい相相しょうばかりばかりばかりぞぞぞ、、、門門もんののの内内うちへへへははは參參まいららられれれけるけるける。。。いつしかいつしかいつしか少少しょう將將しょうをををばばば、、、武武ぶ士士しどもどもども四四し方方ほうをををうちうちうち圍圍かこんんんででで、、、きびしうきびしうきびしゅう守守しゅ護護ごししし奉奉たてまつるるる。。。少少しょう將將しょうさしもさしもさしもたのもしうたのもしうたのもしゅう思思おもははわれれれつるつるつる宰宰さい相相しょう殿殿どのにににははは離離はなれれれ給給たまひひいぬぬぬ。。。少少しょう將將しょうののの心心こころののの中中うち、、、さこそさこそさこそははは便便たよりりりなかりなかりなかりけめけめけめ。。。
- 10宰宰さい相相しょう中中ちゅう門門もんにににゐゐい給給たまひひいたれたれたれどもどもども、、、入入にゅう道道どう出出いでででもももあはあはあわれれれずずず。。。やゝやゝややあつあつあっててて宰宰さい相相しょう、、、源源げん大大たい夫夫ふののの判判ほう官官がん季季すえ貞貞さだををを以以もっててて申申もうささされれれけるけるけるははは、、、「「「教教のり盛盛もりこそこそこそよしなきよしなきよしなき者者ものににに親親したしうしうしゅうなつなつなっててて、、、かへす〴〵かへす〴〵かえすがえす悔悔くやしみしみしみ候候そうらへへえどもどもども、、、甲甲か斐斐ひももも候候そうらははわずずず。。。相相あい具具ぐせせせさせさせさせててて候候そうろう者者ものののの、、、このこのこの程程ほど、、、なやむなやむなやむことことことののの候候そうろうなるなるなるががが、、、今今け朝朝さよりよりよりこのこのこの歎歎なげきききをををうちうちうち添添そへへえててて、、、すでにすでにすでに命命いのちももも絶絶たえええ候候そうらひひいなななんんんずずず。。。教教のり盛盛もりかうかうこうててて候候そうらへへえばばば、、、なじかはなじかはなじかわ僻僻ひが事事ごとせせせさせさせさせ候候そうろうべきべきべき。。。少少しょう將將しょうをををばばば、、、しばらくしばらくしばらく教教のり盛盛もりににに預預あずけけけさせさせさせおはしませおはしませおわしませ。。。」」」ととと申申もうささされれれけれけれければばば、、、季季すえ貞貞さだ參參まいつつってててこのこのこの由由よしををを申申もうすすす。。。
- 11入入にゅう道道どう、、、「「「あはれあはれあわれ例例れいののの宰宰さい相相しょうがががものものものににに心心こころ得得えぬぬぬよよよ。。。」」」とてとてとて、、、とみとみとみににに返返へん事事じもももししし給給たまははわずずず。。。やゝやゝややあつあつあっててて入入にゅう道道どう宣宣のたまひひいけるけるけるははは、、、「「「新新しん大大だい納納な言言ごん成成なり親親ちかののの卿卿きょう以以い下下げ近近きん習習じゅののの人人ひと々々びと、、、このこのこの一一いち門門もん亡亡ほろぼしぼしぼしててて、、、天天てん下下か亂亂みだらららんんんとととするするする企企くわだてててありありあり。。。既既すでにににこのこのこの少少しょう將將しょうはははかのかのかの大大だい納納な言言ごんががが嫡嫡ちゃく子子しなりなりなり、、、疎疎うとうううもももあれあれあれ、、、親親したしうしうしゅうもももあれあれあれ、、、えええこそこそこそ申申もうししし許許ゆるすすすまじけれまじけれまじけれ。。。もしもしもしこのこのこの謀謀む叛叛ほん遂遂とげげげなななましかましかましかばばば、、、御御ご邊邊へんとてとてとてもももおだしうおだしうおだしゅうてててやはやはやはおはすおはすおわすべきべきべきととといふいふいうべしべしべし。。。」」」ととと宣宣のたまへへえばばば、、、季季すえ貞貞さだ歸歸かえりりりまゐりまゐりまいりててて、、、宰宰さい相相しょう殿殿どのにににこのこのこの由由よしををを申申もうすすす。。。
- 12宰宰さい相相しょう世世よにににももも本本ほ意意いなげなげなげにににててて、、、重重かさねねねててて申申もうささされれれけるけるけるははは、、、「「「保保ほう元元げん、、、平平へい治治じよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、度度ど々々どののの合合かっ戰戰せんにににももも、、、御御おん命命いのちににに代代かわりりり參參まいらららせせせむむんとととこそこそこそ存存ぞんじじじ候候そうらひひいしかしかしか。。。このこのこの後後のちももも荒荒あらききき風風かぜをををばばば、、、まづまづまず防防ふせぎぎぎまゐらせまゐらせまいらせ候候そうろうべしべしべし。。。たとひたとひたとい教教のり盛盛もりこそこそこそ年年とし老老おいいいててて候候そうろうともともとも、、、若若わかききき子子こどもどもども數數あま多多た候候そうらへへえばばば、、、一一いっ方方ぽうののの御御おん固固かためめめにににももも、、、などなどなどかかかならならならでででははは候候そうろうべきべきべき。。。それそれそれににに暫暫しばらくくく少少しょう將將しょうををを預預あずからららうううととと申申もうすすすににに、、、御御おん許許ゆるささされれれなきなきなきははは、、、一一いっ向向こう教教のり盛盛もりををを二二ふた心心ごころあるあるあるものものものととと思思おぼし召召めささされれれ候候そうろうにににこそこそこそ。。。
- 13それそれそれ程程ほどまでまでまでうしろめたううしろめたううしろめとう思思おもははわれれれまゐらせまゐらせまいらせてててははは、、、世世よにににあつあつあってててももも何何なににににかかかはははししし候候そうろうべきべきべきなれなれなればばば、、、身身みののの暇暇いとまををを賜賜たまはつはつわっててて、、、出出しゅっ家家け入入にゅう道道どうつかまつりつかまつりつかまつり、、、高高こう野野や、、、粉粉こ川川かわにもにもにも籠籠こもりりりゐゐいててて、、、ひとひとひとすぢすぢすじににに後後ご世世せ菩菩ぼ提提だいををを營營いとなみみみ候候そうらははわんんん。。。よしなきよしなきよしなきうきうきうき世世よののの交交まじはりはりわりなりなりなり。。。世世よにににあれあれあればばばこそこそこそ望望のぞみみみもももあれあれあれ、、、望望のぞみみみのののかなはかなはかなわねねねばばばこそこそこそ恨恨うらみみみもももあれあれあれ。。。如如しかかかじじじ憂憂うききき世世よをををいとひいとひいとい、、、まことまことまことののの道道みちににに入入いりりりなななんんんにににははは。。。」」」とととぞぞぞ宣宣のたまひひいけるけるける。。。
- 14季季すえ貞貞さだ參參まいりりりててて、、、「「「宰宰さい相相しょう殿殿どのははははやはやはや思思おぼし召召めししし切切きつつっててて候候そうろうぞぞぞ。。。ともかくともかくともかくよきよきよきやうやうようににに御御おんはからひはからひはからい候候そうらへへえ。。。」」」ととと申申もうしししけれけれければばば、、、入入にゅう道道どう、、、「「「いや〳〵いや〳〵いやいや出出しゅっ家家け入入にゅう道道どうまでまでまでははは、、、あまりあまりあまりににに怪怪けしからしからしからずずず。。。そのそのその儀儀ぎならならならばばば、、、少少しょう將將しょうをををばばばしばらくしばらくしばらく教教のり盛盛もりににに預預あずくるくるくるととといふいふいうべしべしべし。。。」」」とととぞぞぞ宣宣のたまひひいけるけるける。。。季季すえ貞貞さだ歸歸かえりりり參參まいつつっててて、、、宰宰さい相相しょうにににこのこのこの由由よしををを申申もうすすす。。。宰宰さい相相しょう、、、「「「あはれあはれあわれ人人ひとののの子子こをををばばば持持もつつつまじかりまじかりまじかりけるけるけるものものものかなかなかな、、、わがわがわが子子こののの緣緣えんにににむすぼほれむすぼほれむすぼおれざらざらざらんんんにににははは、、、これこれこれ程程ほどまでまでまで心心こころをををばばば碎碎くだかかかじじじものものものををを。。。」」」とてとてとて出出いでででられられられけりけりけり。。。
- 15少少しょう將將しょう待待まちちち受受うけけけ奉奉たてまつつつっててて、、、「「「さてさてさていかゞいかゞいかが候候そうらひひいつるつるつるやらやらやらんんん。。。」」」ととと申申もうささされれれけれけれければばば、、、「「「入入にゅう道道どうあまりあまりあまりににに怒怒いかつつっててて、、、教教のり盛盛もりにににははは遂遂ついににに對對たい面面めんもももししし給給たまははわずずず、、、いかにいかにいかにもももかなふかなふかなうまじきまじきまじき由由よしををを、、、しきりしきりしきりにににのたまふのたまふのたまう間間あいだ、、、出出しゅっ家家け入入にゅう道道どうまでまでまで申申もうしししたれたれたればばばにににやややらんらんらん、、、そのそのその儀儀ぎならならならばばば、、、御御ご邊邊へんをををばばばしばらくしばらくしばらく教教のり盛盛もりににに預預あずくるくるくるとととのたまひのたまひのたまいつれつれつれどもどもども、、、それそれそれももも始始し終終じゅうはははよかるよかるよかるべしべしべしとととももも覺覺おぼえええずずず。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、
- 16少少しょう將將しょう、、、「「「さてさてさてははは成成なり經經つねははは御御ご恩恩おんををを以以もっててて、、、しばししばししばしののの命命いのちののの延延のびびび候候そうらははわんんんずるずるずるにににこそこそこそ。。。それそれそれにににつきつきつき候候そうろうてててははは、、、父父ちちででで候候そうろう大大だい納納な言言ごんががが事事ことをををばばば、、、何何なにとととかかか聞聞きこし召召めささされれれててて候候そうろうやらやらやらんんん。。。」」」宰宰さい相相しょう、、、「「「いさいさいさとととよよよ、、、御御ご邊邊へんののの事事ことをををこそこそこそやう〳〵やう〳〵ようようににに申申もうしししたれたれたれ、、、それそれそれまでまでまでのののことことことははは、、、思思おもひひいもももよらよらよらざりざりざりつるつるつる。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、そのそのその時時とき少少しょう將將しょう涙涙なみだをををはら〳〵はら〳〵はらはらととと流流ながいいいててて、、、「「「命命いのちののの惜惜おしうしうしゅう候候そうろうももも、、、父父ちちををを今今いま一一ひと度度たび見見みばやばやばやととと思思おもふふう爲爲ためなりなりなり。。。夕夕ゆうさりさりさり大大だい納納な言言ごん斬斬きららられれれ候候そうらははわんんんにににおいおいおいてててははは、、、成成なり經經つね命命いのち生生いきききてててももも何何なににににかかかはははししし候候そうろうべきべきべきなれなれなればばば、、、たゞたゞただ一一ひと所所ところででで、、、いかにいかにいかにもももなるなるなるやうやうようににに申申もうしししてててたばたばたばせせせ給給たまふふうべうべうびょうもももややや候候そうろうらんらんらん。。。」」」ととと申申もうささされれれけれけれければばば、、、
- 17宰宰さい相相しょう世世よにににももも苦苦くるしげしげしげにににててて、、、「「「いさいさいさとととよよよ、、、御御ご邊邊へんののの事事ことをををこそこそこそやう〳〵やう〳〵ようようににに申申もうしししたれたれたれ、、、それそれそれまでまでまでののの事事ことははは思思おもひひいももも寄寄よらららざりざりざりつれつれつれどもどもども、、、今今け朝朝さ内内うちののの大大おと臣臣どののの事事ことをををこそこそこそやう〳〵やう〳〵ようようににに申申もうさささせせせ給給たまひひいつれつれつればばば、、、それそれそれもももしばししばししばしはははよきよきよきやうやうようにににこそこそこそ聞聞きけけけ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、少少しょう將將しょう泣泣なく〳〵く〳〵くなく、、、手手てををを合合あははわせせせてててぞぞぞ喜喜よろこばばばれれれけるけるける。。。子子こならならならざらざらざらんんん者者ものががが、、、誰誰たれかかかたゞたゞただ今今いま、、、わがわがわが身身みののの上上うえをををさしさしさしおいおいおいててて、、、これこれこれ程程ほどまでまでまでははは喜喜よろこぶぶぶべきべきべき。。。まことまことまことののの契契ちぎりりりははは親親おや子子こののの中中なかにににぞぞぞありありありけるけるける。。。子子こをををばばば人人ひとののの持持もつつつべかりべかりべかりけるけるけるものものものかなかなかなととと、、、軈軈やがててて思思おもひひいぞぞぞ返返かえささされれれけるけるける。。。さてさてさて今今け朝朝さののの如如ごとくくく、、、同同どう車車しゃしししててて歸歸かえららられれれけれけれければばば、、、宿宿しゅく所所しょにににははは女女にょう房房ぼう、、、侍侍さぶらいさしさしさしつどひつどひつどいててて、、、死死しにににたるたるたる人人ひとののの生生いきききかへりかへりかえりたるたるたる心心ここちちちしししててて、、、みなみなみな喜喜よろこびびび泣泣なきききをををぞぞぞせせせられられられけるけるける。。。
現代語訳
丹波少将成経は、ちょうどその夜、院の御所の法住寺殿に宿直して、まだ退出していなかったところ、大納言の侍どもが急いで院の御所に駆けつけ、少将殿を呼び出し申して、このことを申し上げると、少将は「これほどのことを、どうして宰相のところから今まで知らせてこないのだろう」とおっしゃり終わらないうちに、宰相殿からといって使いが来た。
この宰相と申すのは入道相国の弟で、宿所は六波羅の総門の脇にあったので、門脇の宰相と申した。丹波少将には舅である。「何事でございましょうか、今朝西八条の邸から、すぐに連れて参れとのことです」と言い送られたので、
少将はこのことを悟って、親しい女房たちを呼び出し申して、「ゆうべ何となく騒がしかったのを、いつもの山法師が下ってくるのかなどと、よそごとに思っておりましたが、もう成経の身の上のことになっていたのですね。夕方には大納言が斬られるそうですから、成経も同罪でしょう。もう一度御前に参って君にお会いしたいのですが、このような身になりましたので、はばかられます」と申されたので、
女房たちが急いで御前に参ってこのことを奏上すると、法皇は今朝の禅門の使いで、すでに事情を察しておられて、「これらが内々にたくらんでいたことが漏れたのだな。それにしても、もう一度ここへ」とのご意向であったので、少将は御前に参った。法皇は涙を流されて、おっしゃることもなく、少将もまた涙にむせんで申し上げることもない。しばらくして少将が御前を退出すると、法皇は後ろ姿をはるかに見送られて、「ただ末世こそ情けない。これが最後で、二度と会えないこともあるのだろうか」といって、涙をおさえきれずにおられた。少将が御前を退出すると、院の御所の人々から、局の女房たちに至るまで、名残を惜しみ、袂にすがり、涙を流し、袖を濡らさない者はいなかった。
舅の宰相のところへ出かけられると、北の方は出産が近い人でいらっしゃったが、今朝からこの嘆きが加わって、もう命も消え入りそうな心地でおられた。少将は御所を退出されてから、流れる涙が止まらないのに、今、北の方の様子をご覧になって、いっそうどうしようもない様子に見えた。
少将の乳母に六条という女がいた。「私がお乳を差し上げ始めて、君を乳房の中から抱き上げ、お育て申し上げてからこのかた、月日が重なるにつれて、わが身が年をとるのは嘆かずに、ひたすら君がご成人なさることばかりを喜び、ほんのわずかと思っておりましたが、今年で二十一年、片時もお離れしたことはございません。院や内裏にお参りになって、遅くお出になるだけでも心苦しく思っておりましたのに、とうとうどんなつらい目にお遭いになるのでしょうか」といって泣く。
少将は「そんなに嘆くな。宰相がいらっしゃるのだから、いくら何でも命だけはもらい受けてくださるだろう」と、いろいろに慰めておっしゃるけれども、六条は人目も恥じずに泣きもだえた。
そのうちに西八条殿から使いが次々にやって来たので、宰相は「今はただ出かけて行って、どうなるかはその上でのことだ」といって出かけられたので、少将も宰相の車の後ろに乗って出かけられた。保元・平治からこのかた、平家の人々は楽しみと栄えばかりで、憂えや嘆きはなかったのに、この宰相だけは、つまらない婿のために、このような嘆きをされたのである。
西八条の近くまで来て、まず取り次ぎを頼まれると、少将を門の中に入れてはならないとおっしゃるので、そのあたりの侍のもとに少将を降ろしておき、宰相だけが門の中へ入られた。いつのまにか少将を武士どもが四方から取り囲んで、厳しく見張り申した。少将はあれほど頼もしく思っておられた宰相殿とも離れてしまわれた。少将の心のうちは、さぞ心細かったことであろう。
宰相は中門に控えておられたが、入道は出ても来られない。しばらくして宰相は、源大夫判官季貞を通じて申されるには、「教盛はつまらない者と縁を結んで、かえすがえすも悔やんでおりますが、どうしようもございません。妻にしております者が、このごろ具合の悪いことがございますが、今朝からこの嘆きが加わって、もう命も絶えてしまいそうです。教盛がこうしておりますから、どうして間違いを起こさせましょうか。少将をしばらく教盛にお預けください」と申されたので、季貞が参ってこのことを申し上げた。
入道は「ああ、いつもの宰相のわからず屋め」といって、すぐには返事もなさらない。しばらくして入道がおっしゃるには、「新大納言成親卿以下の近臣たちが、この一門を滅ぼして天下を乱そうとする企てがある。この少将はその大納言の嫡子だ。疎遠であれ親しくであれ、とうてい許すわけにはいかない。もしこの謀反が成功していたら、あなたとて無事でいられただろうか、と言え」とおっしゃるので、季貞は帰ってきて、宰相殿にこのことを申した。
宰相はまことに不本意な様子で、重ねて申されるには、「保元・平治からこのかた、たびたびの合戦にも、兄上のお命に代わり申そうと存じておりました。これからも荒い風は、まず私が防ぎ申し上げましょう。たとえ教盛が年老いていても、若い子どもが大勢おりますから、一方の守りにも、どうしてならないことがありましょう。それなのに、しばらく少将を預かりたいと申すのをお許しにならないのは、まったく教盛を二心ある者とお思いなのでしょう。
それほどまで疑われては、世にあっても何になりましょう。お暇をいただいて出家入道し、高野や粉川にでもこもって、ひたすら後世菩提を営みましょう。つまらないこの世の交わりです。世にあればこそ望みもあり、望みがかなわないからこそ恨みもある。いっそこのつらい世を捨てて、まことの仏道に入るにこしたことはない」とおっしゃった。
季貞が参って「宰相殿はもう思い切っておられます。とにかくよいようにおはからいください」と申すと、入道は「いやいや、出家入道までとは、あまりにとんでもない。それならば、少将はしばらく教盛に預けると言え」とおっしゃった。季貞は帰って宰相にこのことを申した。宰相は「ああ、人の子など持つものではない。わが子の縁に結ばれていなければ、これほどまで心を砕かなくてもよかったのに」といって出て来られた。
少将が待ち受け申して「さて、いかがでございましたか」と申されると、宰相は「入道はひどく怒って、教盛にはとうとう会いもなさらず、どうしても許さないとしきりにおっしゃるので、出家入道までと申したからであろうか、それならあなたをしばらく教盛に預けるとおっしゃったが、それも最後までよいとは思われない」とおっしゃるので、
少将は「それでは成経はご恩によって、しばらく命が延びるのですね。それにつけましても、父の大納言のことは、どうお聞きになりましたか」。宰相は「さあ、あなたのことはいろいろと申し上げたが、それ以上のことは思いも寄らなかった」とおっしゃると、そのとき少将は涙をはらはらと流して、「命が惜しいのも、父にもう一度会いたいと思うからです。夕方大納言が斬られるのなら、成経が生きていても何になりましょう。ただ同じ所で、どうにでもなるようにお願いしてくださいませんか」と申されたので、
宰相はまことに苦しげに、「さあ、あなたのことはいろいろと申し上げたが、それ以上のことは思いも寄らなかったけれども、今朝、内大臣(重盛)が大納言のことをいろいろとお願い申されたので、それもしばらくは大丈夫だと聞いている」とおっしゃると、少将は泣く泣く手を合わせて喜ばれた。子でない者が、だれが今わが身の上をさしおいて、これほどまで喜ぶだろうか。まことの絆は親子の間にあるものだ。やはり子は持つべきものだったと、宰相はすぐに思い返された。そして今朝のように同じ車でお帰りになると、宿所には女房や侍が集まって、死んだ人が生き返ったような心地がして、みな喜び泣きをされた。
意訳
鹿ケ谷事件で捕らえられた成親の子、成経の助命をめぐる章段である。成経は後白河法皇に最後の別れを告げに参り、法皇は言葉もなく涙を流して見送る。法皇自身が謀議の当事者でありながら、成経を救う力を持たないという立場の苦しさが、「たゞ末代こそ心憂けれ」の一言ににじんでいる。
中心となるのは、成経の舅である門脇宰相教盛の奮闘である。清盛の弟でありながら、娘婿のために兄に頭を下げ、許されないと見るや出家してしまうと言い出して、ようやく成経を預かる許しを得る。「あはれ人の子をば持つまじかりけるものかな」と嘆いた教盛が、成経が自分の命よりも父の身を案じて喜ぶ姿を見て、「子をば人の持つべかりけるものかな」と思い返す結びは、親子の情の深さを語る印象的な場面である。
語釈・文法注
文法
- 「上臥して」
- 宮中に泊まって宿直すること。
- 「いたうな歎きそ」
- 「な…そ」は禁止を表し、そんなにひどく嘆くな、の意。
- 「使しきなみにありしかば」
- 使いが次々と絶え間なく来たので、の意。
- 「もしこの謀叛遂げなましかば、御邊とてもおだしうてやはおはすべき」
- 「ましかば」は反実仮想。もし謀反が成功していたら、あなたも無事でいられたであろうか(いや、いられなかった)、の意。
- 「如かじ憂き世をいとひ、まことの道に入りなんには」
- 「…には如かじ」の倒置。つらい世を捨てて仏道に入ることにこしたことはない、の意。
解説
平教盛(1128〜1185)は清盛の異母弟で、六波羅の総門の脇に邸があったので「門脇宰相」と呼ばれた。娘が藤原成経に嫁いでいたため、鹿ケ谷事件では成経の身柄を預かることになった。成経はその後、俊寛・康頼とともに鬼界が島へ流されるが、教盛は肥前の所領から島へ食料を送り続けたと物語は伝える(巻第二・巻第三)。
物語はこの章段で、清盛・重盛・教盛という平家の三人の人物を、それぞれの立場から描き分けている。怒りにまかせる清盛、道理を説く重盛、情に訴える教盛の対比が、鹿ケ谷事件の処理を通して浮かび上がる。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、319–324頁(コマ188–191)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日