古典ライブラリー

平家物語 巻第二

小松教訓の事

西八条に押し込められた成親を、清盛は西光の白状を突きつけてののしり、庭に引き落とさせて責める。遅れて来た重盛は成親を慰め、父には死罪の先例の恐ろしさと積善の教えを説いて、成親の処刑を思いとどまらせる。一方、成親の北の方は幼い子どもたちを連れて北山の雲林院に逃れ、主を失った邸は一夜にして荒れ果てた。

  1. 1新しん新しんしん大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんははは一ひと一ひとひと間ま間ままなるなるなる所ところ所ところところにににおしおしおしこめこめこめられられられててて、、、汗あせ汗あせあせ水みづ水みづみずににになりなりなりつゝつゝつつ、、、あはれあはれあわれこれこれこれははは、、、日ひ日ひひ頃ごろ頃ごろごろのののあらましあらましあらまし事ごと事ごとごとののの、、、もれもれもれ聞きこ聞きこきこえええけるけるけるにににこそこそこそ、、、誰たれ誰たれたれ洩も洩ももらしらしらしぬぬぬらんらんらん、、、定さだ定さださだめめめててて北ほく北ほくほく面めん面めんめんののの輩ともがら輩ともがらともがらののの中なか中なかなかにににぞぞぞあるあるあるらんらんらんなんどなんどなんど、、、思おも思おもおもははわじじじ事こと事ことことなうなうのう、、、案あん案あんあんじじじ續つゞ續つゞつづけけけててておはしおはしおわしけるけるける所ところ所ところところににに、、、後うしろ後うしろうしろよりよりより足あし足あしあし音おと音おとおとののの高たか高たかたからからからかにににしししけれけれければばば、、、すはすはすわたゞたゞただ今いま今いまいま、、、わがわがわが命いのち命いのちいのち失うしな失うしなうしなははわんんんとてとてとて、、、武もの武ものもの士のふ士のふのうどもどもどもののの参まゐ参まゐまいるるるにににこそこそこそととと思おも思おもおもははわれれれけれけれければばば、、、
  2. 2さささはははなくなくなくしてしてして入にふ入にふにゅう道だう道だうどう、、、板いた板いたいた敷じき敷じきじきたからかたからかたからかににに蹈ふ蹈ふふみみみ鳴な鳴なならしらしらし、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんのののおはしおはしおわしけるけるける後うしろ後うしろうしろののの障しやう障しやうしょう子じ子じじををを、、、さつとさつとさっと引ひき引ひきひき開あ開ああけけけててて出い出いいでででられられられたりたりたり。。。素そ素そそ絹けん絹けんけんののの衣ころも衣ころもころもののの短みじか短みじかみじからからからかなるなるなるににに、、、白しろ白しろしろききき大おほ大おほおお口くち口くちくち蹈ふ蹈ふふみみみくゝみくゝみくくみ、、、聖ひじり聖ひじりひじり柄づか柄づかずかののの刀かたな刀かたなかたなおしおしおしくつろげくつろげくつろげててて差さ差ささすすす儘まゝ儘まゝままににに、、、以もつ以もつもってててののの外ほか外ほかほかににに怒いか怒いかいかれれれるるる氣け氣けけ色しき色しきしきにににててて、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんをををしばししばししばし睨にら睨にらにらまへまへまえててて、、、
  3. 3「「「抑そもそも抑そもそもそもそも御ご御ごご邊へん邊へんへんははは、、、平へい平へいへい治ぢ治ぢじにににももも既すで既すですでににに誅ちう誅ちうちゅうせせせらるらるらるべかりべかりべかりしししををを、、、内だい内だいだい府ふ府ふふががが身み身みみにににかへかへかへててて申まう申まうもうししし受う受ううけけけ、、、首くび首くびくびををを繼つ繼つつぎぎぎ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりしししはははいかにいかにいかに。。。然しか然しかしかるるるにににそのそのその恩おん恩おんおんををを忘わす忘わすわすれれれててて、、、何なに何なになにののの遺ゐ遺ゐい恨こん恨こんこんあつあつあってててかかか、、、當たう當たうとう家け家けけ傾かたぶ傾かたぶかたぶけけけうううとととはははししし給たま給たまたまふふうなるなるなるぞぞぞ。。。恩おん恩おんおんををを知し知ししるるるををを以もつ以もつもっててて人ひと人ひとひとととといふいふいうぞぞぞ。。。恩おん恩おんおんををを知し知ししらららざるざるざるをををばばば畜ちく畜ちくちく生しやう生しやうしょうとととこそこそこそいへいへいえ。。。されどもされどもされども當たう當たうとう家け家けけののの運うん運うんうん命めい命めいめい未いま未いまいまだだだ盡つ盡つつきききざるざるざるににに依よ依よよつつっててて、、、これこれこれまでまでまでははは迎むか迎むかむかへへえたんたんたんなりなりなり。。。日ひ日ひひ頃ごろ頃ごろごろのののあらましあらましあらましののの次し次しし第だい第だいだい、、、ぢきぢきじきににに承うけたまは承うけたまはうけたまわらららんんん。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、
  4. 4大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん、、、「「「全まつた全まつたまったくくくさるさるさることことこと候さふら候さふらそうらははわずずず。。。いかさまいかさまいかさまにににももも人ひと人ひとひとののの讒ざん讒ざんざん言げん言げんげんにににてててぞぞぞ候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん。。。よく〳〵よく〳〵よくよく御おん御おんおん尋たづ尋たづたずねねね候さふらふ候さふらふそうろうべしべしべし。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどういはいはいわせせせもももはてはてはてずずず、、、「「「人ひと人ひとひとやややあるあるある、、、人ひと人ひとひとやややあるあるある。。。」」」ととと召め召めめささされれれけれけれければばば、、、貞さだ貞さださだ能よし能よしよしつとつとつとまゐりまゐりまいりたりたりたり。。。「「「西さい西さいさい光くわう光くわうこうががが白はく白はくはく狀じやう狀じやうじょう取と取ととつつっててて参まゐ参まゐまいれれれ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、持も持ももつつっててて参まゐ参まゐまいりりりたりたりたり。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどう之これ之これこれををを取と取ととりりりててて、、、おしおしおし返かへ返かへかえしししおしおしおし返かへ返かへかえししし、、、二に二にに三さん三さんさん返べん返べんべん高たか高たかたからからからかににに讀よ讀よよみみみ聞き聞ききかかかせせせ、、、「「「あなあなあなにくにくにくややや、、、このこのこの上うへ上うへうえをををばばば何なに何なになにとととかかか陳ちん陳ちんちんずずずべかべかべかなるなるなるぞぞぞ。。。」」」とてとてとて、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんののの顏かほ顏かほかおにににさつとさつとさっと投な投ななげげげかけかけかけ、、、障しやう障しやうしょう子じ子じじをををちやうちやうちょうととと引ひき引ひきひき立た立たたてててててて出い出いいでででられられられけるけるけるががが、、、なほなほなお腹はら腹はらはらをををすゑすゑすえかねかねかねててて、、、「「「經つね經つねつね遠とほ遠とほとお、、、兼かね兼かねかね康やす康やすやす。。。」」」ととと召め召めめすすす。。。難なん難なんなん波ば波ばばののの次じ次じじ郎らう郎らうろう、、、妹せの妹せのせの尾を尾をおののの太た太たた郎らう郎らうろう參まゐ參まゐまいりりりたりたりたり。。。「「「あのあのあの男をのこ男をのこおのこ取と取ととつつっててて、、、庭には庭にはにはへへへ引ひき引ひきひき落おと落おとおとせせせ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえどもどもども、、、これらこれらこれらさうなうさうなうそうのうもももししし奉たてまつ奉たてまつたてまつらららずずず、、、「「「小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどのののの御ご御ごご氣き氣きき色しよく色しよくしょく、、、いかゞいかゞいかが候さふら候さふらそうらははわんんんずるずるずるやらやらやらんんん。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう、、、「「「よし〳〵よし〳〵よしよしおのれらおのれらおのれらははは、、、内だい内だいだい府ふ府ふふががが命いのち命いのちいのちををを重おも重おもおもんんんじじじててて、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどうががが仰おほ仰おほおおせせせをををばばば輕かろ輕かろかろうううしししけるけるける、、、ござんなれござんなれござんなれ、、、このこのこの上うへ上うへうえははは力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばずずず。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、これらこれらこれら惡あ惡ああしかりしかりしかりなななんんんとととややや思おも思おもおもひひいけんけんけん、、、立た立たたちちちあがりあがりあがり、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんののの左さ左ささ右いう右いうゆうののの手て手ててををを取と取ととつつっててて、、、庭には庭にはにはへへへ引ひき引ひきひき落おと落おとおとししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。
  5. 5そのそのその時とき時ときとき入にふ入にふにゅう道だう道だうどう、、、心ここ心ここここちちちよげよげよげにににててて、、、「「「取と取ととつつっててて伏ふ伏ふふせせせててて、、、をめかをめかおめかせせせよよよ。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。二ふた二ふたふた人り人りりののの者もの者ものもの共ども共どもども、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんののの左さ左ささ右いう右いうゆうののの耳みみ耳みみみみににに口くち口くちくちをををあてあてあてててて、、、「「「いかさまいかさまいかさまにににももも御おん御おんおん聲こゑ聲こゑこえののの出い出いいづづずべうべうびょう候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」とととさゝやいさゝやいささやいててて引ひき引ひきひき伏ふ伏ふふせせせ奉たてまつ奉たてまつたてまつれれればばば、、、二ふた二ふたふた聲こゑ聲こゑこえ三み三みみ聲こゑ聲こゑこえをををめかめかめかれれれけるけるける。。。そのそのその體てい體ていてい、、、冥めい冥めいめい途ど途どどにににててて娑しや娑しやしゃ婆ば婆ばば世せ世せせ界かい界かいかいののの罪ざい罪ざいざい人にん人にんにんををを、、、或あるい或あるいあるいははは業ごふ業ごふごうののの秤はかり秤はかりはかりにににかけかけかけ、、、或あるい或あるいあるいははは淨じやう淨じやうじょう玻は玻はは璃り璃りりののの鏡かゞみ鏡かゞみかがみににに引ひき引ひきひき向む向むむけけけててて、、、罪つみ罪つみつみののの輕きやう輕きやうきょう重ぢゆう重ぢゆうじゅうにににまかせまかせまかせつゝつゝつつ、、、阿あ阿ああ房ばう房ばうぼう羅ら羅らら刹せつ刹せつせつががが呵か呵かか責しやく責しやくしゃくすすすらんらんらんももも、、、これこれこれにににははは過す過すすぎぎぎじじじとととぞぞぞ見み見みみえええししし。。。
  6. 6蕭せう蕭せうしょう樊はん樊はんはんとらはれとらはれとらわれててて、、、韓かん韓かんかん彭はう彭はうほうにらぎにらぎにらぎすさすさすされれれたりたりたり。。。鼂てう鼂てうちょう錯そ錯そそ戮りく戮りくりくををを受う受ううけけけ、、、周しう周しうしゅう魏ぎ魏ぎぎ罪つみ罪つみつみせせせらるらるらる。。。たとへばたとへばたとえば蕭せう蕭せうしょう何か何かか、、、樊はん樊はんはん噲くわい噲くわいかい、、、韓かん韓かんかん信しん信しんしん、、、彭はう彭はうほう越ゑつ越ゑつえつ、、、これらこれらこれらはははみなみなみな、、、高かう高かうこう祖そ祖そそののの忠ちゆう忠ちゆうちゅう臣しん臣しんしんたりたりたりしかしかしかどもどもども、、、小せう小せうしょう人じん人じんじんののの讒ざん讒ざんざんににに依よ依よよつつっててて、、、禍くわ禍くわか敗はい敗はいはいののの恥はぢ恥はぢはじををを受う受ううくくくともともとも、、、かやうかやうかようののの事こと事ことことをををややや申まう申まうもうすすすべきべきべき。。。新しん新しんしん大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんはははわがわがわが身み身みみののの、、、斯か斯かかくくくなるなるなるにににつけつけつけてててももも、、、子し子しし息そく息そくそく丹たん丹たんたん波ば波ばばののの少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう成なり成なりなり經つね經つねつね以い以いい下げ下げげ、、、幼をさな幼をさなおさなききき者もの者ものもの共ども共どもどもののの、、、いかなるいかなるいかなる憂う憂ううききき目め目めめにににあふあふあうらんらんらんととと思おも思おもおもひひいやるやるやるにににもももおぼつかなしおぼつかなしおぼつかなし。。。さばかりさばかりさばかり暑あつ暑あつあつききき六ろく六ろくろく月ぐわつ月ぐわつがつににに、、、裝しやう裝しやうしょう束ぞく束ぞくぞくをををだにだにだにもももくつろげくつろげくつろげられられられずずず、、、暑あつ暑あつあつさささももも堪た堪たたへへえ難がた難がたがたけれけれければばば、、、胸むね胸むねむねもももせきせきせきあぐるあぐるあぐる心ここ心ここここちちちしししててて、、、汗あせ汗あせあせももも涙なみだ涙なみだなみだももも、、、あらそひあらそひあらそいてててぞぞぞ流なが流ながながれれれけるけるける。。。さりともさりともさりとも小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどのははは思おぼし思おぼしおぼし召め召めめししし放はな放はなはなたたたじじじものものものをををととと思おも思おもおもははわれれれけれけれけれどもどもども、、、誰たれ誰たれたれしもしもしも申まう申まうもうすすすべしべしべしとととももも覺おぼ覺おぼおぼえええ給たま給たまたまははわずずず。。。
  7. 7小こ小ここ松まつ松まつまつののの大おと大おとおと臣ど臣どどははは、、、例れい例れいれいののの善ぜん善ぜんぜん惡あく惡あくあくににに騒さわ騒さわさわぎぎぎ給たま給たまたまははわぬぬぬ人ひと人ひとひとにににててておはしおはしおわしけれけれければばば、、、遙はる遙はるはるかかかににに日ひ日ひひたけたけたけててて後のち後のちのち、、、嫡ちやく嫡ちやくちゃく子し子しし權ごん權ごんごんののの佐すけ佐すけすけ少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう維これ維これこれ盛もり盛もりもりををを、、、車くるま車くるまくるまのののしりしりしりににに乘の乘ののせせせつゝつゝつつ、、、衞ゑ衞ゑえ府ふ府ふふ四し四しし五ご五ごご人にん人にんにん、、、隨ずゐ隨ずゐずい身じん身じんじん二に二にに三さん三さんさん人にん人にんにん召め召めめししし具ぐ具ぐぐしししててて、、、軍ぐん軍ぐんぐん兵びやう兵びやうびょうどもどもどもをををばばば一ひと一ひとひと人り人りりももも具ぐ具ぐぐせせせられられられずずず、、、まことまことまことににに大おほ大おほおおやうやうようげげげにににててておはしおはしおわしたれたれたればばば、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどうををを始はじ始はじはじめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、一いち一いちいち門もん門もんもんののの人ひと人ひとひと人びと人びとびと、、、みなみなみな思おも思おもおもははわずずずげげげにににぞぞぞ見み見みみ給たま給たまたまひひいけるけるける。。。
  8. 8大おと大おとおと臣ど臣どど中ちゆう中ちゆうちゅう門もん門もんもんののの口くち口くちくちにににててて、、、御おん御おんおん車くるま車くるまくるまよりよりよりおりおりおり給たま給たまたまふふう所ところ所ところところへへへ、、、貞さだ貞さださだ能よし能よしよしつとつとつと参まゐ参まゐまいつつっててて、、、「「「などなどなどこれこれこれほどほどほどののの御おん御おんおん大だい大だいだい事じ事じじににに、、、軍ぐん軍ぐんぐん兵びやう兵びやうびょうをををばばば一ひと一ひとひと人り人りりももも召め召めめししし具ぐ具ぐぐせせせられられられ候さふら候さふらそうらははわぬぬぬやらやらやらんんん。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、大おと大おとおと臣ど臣どど、、、「「「大だい大だいだい事じ事じじとととははは天てん天てんてん下か下かかののの事こと事ことことをををこそこそこそいへいへいえ。。。かやうかやうかようののの私わたくし私わたくしわたくし事ごと事ごとごとををを、、、大だい大だいだい事じ事じじととといふいふいうやうやうようやややあるあるある。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、兵ひやう兵ひやうひょう仗ぢやう仗ぢやうじょうををを帶たい帶たいたいしししたりたりたりけるけるける兵つはもの兵つはものつわものどもどもども、、、みなみなみなそゞろいそゞろいそぞろいてててぞぞぞ見み見みみえええたりたりたりけるけるける。。。
  9. 9そのそのその後のち後のちのち大おと大おとおと臣ど臣どど、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんをををばばばいづくいづくいずくににに置お置おおききき奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりたるたるたるやらやらやらんんんととと、、、こゝこゝここかしこかしこかしこををを引ひ引ひひきききあけ〳〵あけ〳〵あけあけ見み見みみたまふたまふたまうににに、、、あるあるある障しやう障しやうしょう子じ子じじののの上うへ上うへうえににに、、、蜘く蜘くく蛛も蛛もも手で手ででゆうゆうゆうたるたるたる所ところ所ところところありありあり。。。こゝこゝここやらやらやらんんんとてとてとて開あ開ああけけけられられられたれたれたればばば、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんおはしおはしおわしけりけりけり。。。涙なみだ涙なみだなみだにににむせびむせびむせび、、、うつうつうつ伏ぶ伏ぶぶしししててて、、、目め目めめももも見み見みみあげあげあげ給たま給たまたまははわずずず。。。いかにいかにいかにやややととと宣のたま宣のたまのたまへへえばばば、、、そのそのその時とき時ときとき見み見みみつけつけつけ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、うれしうれしうれしげげげににに思おも思おもおもははわれれれたるたるたる氣け氣けけ色しき色しきしき、、、地ぢ地ぢじ獄ごく獄ごくごくにににててて罪ざい罪ざいざい人にん人にんにんどもどもどもががが、、、地ぢ地ぢじ藏ざう藏ざうぞう菩ぼ菩ぼぼ薩さつ薩さつさつををを見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるらんらんらんももも、、、かくかくかくやややととと覺おぼ覺おぼおぼえええてててあはれあはれあわれなりなりなり。。。
  10. 10「「「何なに何なになに事ごと事ごとごとにににててて候さふらふ候さふらふそうろうやらやらやらんんん、、、今け今けけ朝さ朝ささよりよりより斯か斯かかかるかるかる憂う憂ううききき目め目めめにににあひあひあい候さふらふ候さふらふそうろう。。。さてさてさてわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまへへえばばば、、、さりともさりともさりともとととこそこそこそ、、、深ふか深ふかふこううう賴たの賴たのたのみみみ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。平へい平へいへい治ぢ治ぢじにににももも既すで既すですでににに誅ちう誅ちうちゅうせせせらるらるらるべかりべかりべかりしししををを、、、御ご御ごご恩おん恩おんおんををを以もつ以もつもっててて首くび首くびくびをををつがつがつがれれれ參まゐ參まゐまいらららせせせ、、、あまつさへあまつさへあまつさえ正じやう正じやうじょう二に二にに位ゐ位ゐいののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんまでまでまで經へ經へへ上あが上あがあがつつっててて、、、年とし年としとし既すで既すですでににに四し四しし十じふ十じふじゅうにににあまりあまりあまり候さふらふ候さふらふそうろう。。。御ご御ごご恩おん恩おんおんこそこそこそ生しやう生しやうしょう々じやう々じやうじょう世せ世せせ々せ々せせにににももも報ほう報ほうほうじじじつくしつくしつくしがたうがたうがとう候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、このこのこの度たび度たびたびもももまたまたまた、、、かひかひかいなきなきなき命いのち命いのちいのちををを助たす助たすたすけけけさせさせさせおはしませおはしませおわしませ。。。沙さ沙ささ汰た汰たたにににももも候さふら候さふらそうらははわばばば、、、出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけ入にふ入にふにゅう道だう道だうどう仕つかまつ仕つかまつつかまつりりり、、、いかならいかならいかならんんん片かた片かたかた山やま山やまやま里ざと里ざとざとにににももも籠こも籠こもこもりりりゐゐいててて、、、一ひと一ひとひとすぢすぢすじににに後ご後ごご世せ世せせ菩ぼ菩ぼぼ提だい提だいだいののの勤つと勤つとつとめめめをををいとなみいとなみいとなみ候さふら候さふらそうらははわんんん。。。」」」とととぞぞぞ申まう申まうもうささされれれけるけるける。。。
  11. 11大おと大おとおと臣ど臣どど、、、「「「さささ候さふら候さふらそうらへへえばばばとてとてとて、、、御おん御おんおん命いのち命いのちいのち失うしな失うしなうしなひひい奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるまでまでまでののの事こと事ことことははは、、、よもよもよも候さふら候さふらそうらははわじじじ。。。たとひたとひたといさささ候さふらふ候さふらふそうろうともともとも、、、重しげ重しげしげ盛もり盛もりもりかうかうこうててて候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、御おん御おんおん命いのち命いのちいのちにににははは代かは代かはかわりりりまゐらせまゐらせまいらせ候さふらふ候さふらふそうろうべしべしべし。。。御み御みみ心こころ心こころこころやすうやすうやすうおぼしめさおぼしめさおぼしめされれれ候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」とてとてとて、、、父ちち父ちちちちののの禪ぜん禪ぜんぜん門もん門もんもんののの御おん御おんおん前まへ前まへまえにににおはしおはしおわしててて、、、
  12. 12「「「あのあのあの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん失うしな失うしなうしなははわれれれんんん事こと事ことことははは、、、よく〳〵よく〳〵よくよく御ご御ごご思し思しし惟ゆゐ惟ゆゐゆい候さふらふ候さふらふそうろうべしべしべし。。。そのそのその故ゆゑ故ゆゑゆえははは先せん先せんせん祖ぞ祖ぞぞ修しゆ修しゆしゅ理り理りりののの大たい大たいたい夫ふ夫ふふ顯あき顯あきあき季すゑ季すゑすえ、、、白しら白しらしら河かは河かはかわののの院ゐん院ゐんいんににに召め召めめしししつかはつかはつかわれれれ參まゐ參まゐまいらららせせせしししよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、家いへ家いへいえにににそのそのその例れい例れいれいなきなきなき正じやう正じやうじょう二に二にに位ゐ位ゐいののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんににに經へ經へへ上あが上あがあがつつっててて、、、あまつさへあまつさへあまつさえ當たう當たうとう時じ時じじ、、、君きみ君きみきみ無ぶ無ぶぶ雙さう雙さうそうののの御おん御おんおんいとほしみいとほしみいとおしみ、、、頭かうべ頭かうべこうべををを刎は刎ははねねねられられられんんん事こと事ことことしかるしかるしかるべうべうびょうももも候さふら候さふらそうらははわずずず。。。唯ただ唯ただただ都みやこ都みやこみやこののの外ほか外ほかほかへへへ出いだ出いだいだささされれれたらたらたらんんんににに、、、事こと事ことこと足た足たたりりり候さふら候さふらそうらひひいなななんんんずずず。。。
  13. 13北きた北きたきた野の野ののののの天てん天てんてん神じん神じんじんははは時し時しし平へい平へいへいののの大おと大おとおと臣ど臣どどののの讒ざん讒ざんざん奏そう奏そうそうにににててて、、、うきうきうき名な名ななををを西さい西さいさい海かい海かいかいののの浪なみ浪なみなみににに流なが流ながながししし、、、西にし西にしにしののの宮みや宮みやみやののの大おと大おとおと臣ど臣どどははは、、、多た多たた田だ田だだののの滿まん滿まんまん仲ぢゆう仲ぢゆうじゅうののの讒ざん讒ざんざん言げん言げんげんににに依よ依よよつつっててて、、、恨うら恨うらうらみみみををを山せん山せんせん陽やう陽やうようののの雲くも雲くもくもににに寄よ寄よよすすす。。。各おのおの各おのおのおのおの無む無むむ實じつ實じつじつなりなりなりしかしかしかどもどもども、、、流る流るる罪ざい罪ざいざいせせせられられられ給たま給たまたまひひいにににききき。。。これこれこれみなみなみな延えん延えんえん喜ぎ喜ぎぎののの聖せい聖せいせい代だい代だいだい、、、安あん安あんあん和な和ななののの御み御みみ門かど門かどかどののの御おん御おんおんひがごとひがごとひがごととととぞぞぞ申まう申まうもうししし傳つた傳つたつたへへえたるたるたる。。。上じやう上じやうじょう古こ古ここなほなほなおかくかくかくののの如ごと如ごとごとししし。。。況いは況いはいわんんんややや末まつ末まつまつ代だい代だいだいにににおいおいおいてててをををややや。。。賢けん賢けんけん王わう王わうおうなほなほなお御おん御おんおん誤あやま誤あやまあやまりりりありありあり、、、況いは況いはいわんんんややや凡ぼん凡ぼんぼん人にん人にんにんににに於おい於おいおいてててをををややや。。。既すで既すですでににに召め召めめししし置お置おおかかかれれれぬるぬるぬる上うへ上うへうえははは、、、急いそ急いそいそぎぎぎ失うしな失うしなうしなははわれれれずずずともともとも何なに何なになにののの恐おそ恐おそおそれれれかかか候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき。。。刑けい刑けいけいののの疑うたが疑うたがうたがははわしきしきしきをををばばば輕かろ輕かろかろんんんぜよぜよぜよ、、、功こう功こうこうののの疑うたが疑うたがうたがははわしきしきしきをををばばば重おも重おもおもんんんぜよぜよぜよとととこそこそこそ見み見みみえええててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。
  14. 14ことことこと新あた新あたあたらしきらしきらしき申まう申まうもうしししごとごとごとにににててて候さふら候さふらそうらへへえどもどもども、、、重しげ重しげしげ盛もり盛もりもりかのかのかの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんががが妹いもうと妹いもうといもうとににに相あひ相あひあい具ぐ具ぐぐしししててて候さふらふ候さふらふそうろう、、、維これ維これこれ盛もり盛もりもりまたまたまた壻むこ壻むこむこなりなりなり、、、かやうかやうかようににに親した親したしたしうしうしゅうまかりまかりまかりなりなりなりててて候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、申まう申まうもうすすすとととややや思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれ候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん。。。一いつ一いついっ向かう向かうこうそのそのその儀ぎ儀ぎぎでででははは候さふら候さふらそうらははわずずず。。。たゞたゞただ君きみ君きみきみののの爲ため爲ためため、、、國くに國くにくにののの爲ため爲ためため、、、世よ世よよののの爲ため爲ためため、、、家いへ家いへいえののの爲ため爲ためためののの事こと事ことことををを思おも思おもおもつつっててて申まう申まうもうししし候さふらふ候さふらふそうろう。。。
  15. 15一ひと一ひとひと年とせ年とせとせ故こ故ここ小せう小せうしょう納な納なな言ごん言ごんごん入にふ入にふにゅう道だう道だうどう信しん信しんしん西ぜい西ぜいぜいががが執しつ執しつしっ權けん權けんけんののの時とき時ときときににに相あひ相あひあい當あた當あたあたつつっててて、、、わがわがわが朝てう朝てうちょうにににははは嵯さ嵯ささ峨が峨ががののの皇くわう皇くわうこう帝てい帝ていていののの御おん御おんおん時とき時ときとき、、、右う右うう兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの督かみ督かみかみ藤ふぢ藤ふぢふじ原はら原はらはらののの仲なか仲なかなか成なり成なりなりををを誅ちう誅ちうちゅうせせせられられられてててよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、保ほう保ほうほう元げん元げんげんまでまでまで君きみ君きみきみ二に二にに十じふ十じふじゅう五ご五ごご代だい代だいだいののの間あひだ間あひだあいだ行おこな行おこなおこなははわれれれざりざりざりししし死し死しし罪ざい罪ざいざいををを、、、始はじ始はじはじめめめててて取とり取とりとり行おこな行おこなおこなひひい、、、宇う宇うう治ぢ治ぢじののの惡あく惡あくあく左さ左ささ府ふ府ふふののの死し死しし骸がい骸がいがいををを掘ほ掘ほほりりり起おこ起おこおこいいいててて、、、實じつ實じつじっ檢けん檢けんけんせせせられられられたりたりたりししし事こと事ことことなんどなんどなんどまでまでまでははは、、、あまりあまりあまりなるなるなる御おん御おんおん政まつりごと政まつりごとまつりごととととこそこそこそ存ぞん存ぞんぞんじじじ候さふら候さふらそうらへへえ。。。さればさればされば古いにしへ古いにしへいにしえののの人ひと人ひとひとももも、、、死し死しし罪ざい罪ざいざいををを行おこな行おこなおこなへへえばばば、、、海かい海かいかい内だい内だいだいににに謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんののの輩ともがら輩ともがらともがら絶た絶たたえええずずずとととこそこそこそ申まう申まうもうししし傳つた傳つたつたへへえててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。
  16. 16このこのこのことばことばことばにににつきつきつきててて、、、中なか中なかなか二に二にに年ねん年ねんねんあつあつあっててて、、、平へい平へいへい治ぢ治ぢじにににまたまたまた世よ世よよ亂みだ亂みだみだれれれててて、、、信しん信しんしん西ぜい西ぜいぜいががが埋うづ埋うづうずまままれれれたりたりたりしししををを掘ほ掘ほほりりり起おこ起おこおこしししててて、、、頭かうべ頭かうべこうべををを刎は刎ははねねねててて大おほ大おほおお路ぢ路ぢじををを渡わた渡わたわたささされれれたまひたまひたまいききき。。。保ほう保ほうほう元げん元げんげんににに申まう申まうもうししし行おこな行おこなおこなひひいししし事こと事ことことののの、、、いくいくいく程ほど程ほどほどもももなくなくなくててて、、、はやはやはや身み身みみののの上うへ上うへうえににに報むく報むくむくははわれれれにににきききととと思おも思おもおもへへえばばば、、、おそろしうおそろしうおそろしゅうこそこそこそ候さふら候さふらそうらへへえ。。。これこれこれはははさせるさせるさせる朝てう朝てうちょう敵てき敵てきてきにににてててももも候さふら候さふらそうらははわずずず、、、かた〴〵かた〴〵かたがたおそれおそれおそれあるあるあるべしべしべし。。。御ご御ごご榮えい榮えいえい華ぐわ華ぐわが殘のこ殘のこのこるるる所ところ所ところところなけれなけれなければばば、、、おぼしめさおぼしめさおぼしめさるるるるるる事こと事ことことはははあるあるあるまじけれまじけれまじけれどもどもども、、、子し子しし々し々しし孫そん孫そんそん々そん々そんそんまでまでまで、、、繁はん繁はんはん昌じやう昌じやうじょうこそこそこそあらあらあらまほしうまほしうまほしゅうははは候さふら候さふらそうらへへえ。。。さればさればされば父ふ父ふふ祖そ祖そそののの善ぜん善ぜんぜん惡あく惡あくあくははは、、、必かなら必かならかならずずず子し子しし孫そん孫そんそんににに及およ及およおよぶぶぶとととこそこそこそ見み見みみえええててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。積せき積せきせき善ぜん善ぜんぜんののの家いへ家いへいえにににははは餘よ餘よよ慶けい慶けいけいありありあり、、、積せき積せきせき惡あく惡あくあくののの門かど門かどかどにににははは餘よ餘よよ殃あう殃あうおう止とゞ止とゞとどまるまるまるとととこそこそこそ見み見みみえええててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。いかさまいかさまいかさまにににももも今こ今ここ夜よひ夜よひよい頭かうべ頭かうべこうべををを刎は刎ははねねねられられられんんん事こと事ことことははは、、、しかるしかるしかるべうべうびょうももも候さふら候さふらそうらははわずずず。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどうげにげにげにもももやややととと思おも思おもおもははわれれれけんけんけん、、、死し死しし罪ざい罪ざいざいをををばばば思おも思おもおもひひい止とゞ止とゞとどまりまりまり給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。
  17. 17そのそのその後のち後のちのち大おと大おとおと臣ど臣どど中ちゆう中ちゆうちゅう門もん門もんもんににに出い出いいでででててて、、、侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいどもどもどもににに宣のたま宣のたまのたまひひいけるけるけるははは、、、「「「仰おほ仰おほおおせせせなれなれなればばばとてとてとてあのあのあの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん失うしな失うしなうしなははわんんん事こと事ことこと、、、さうなうさうなうそうのうあるあるあるべからべからべからずずず。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどう腹はら腹はらはらののの立た立たたつつつまゝまゝままににに、、、ものものものさわがしきさわがしきさわがしき事こと事ことことししし給たま給たまたまひひいててて、、、後のち後のちのちにににははは必かなら必かならかならずずず悔くや悔くやくやみみみたまふたまふたまうべしべしべし。。。ひがごとひがごとひがごとしししてててわれわれわれ怨うら怨うらうらむむむななな。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、兵ひやう兵ひやうひょう仗ぢやう仗ぢやうじょうををを帶たい帶たいたいしししたりたりたりけるけるける兵つはもの兵つはものつわものどもどもども、、、みなみなみな舌した舌したしたをををふるつふるつふるっててて恐おそ恐おそおそれれれをのゝくをのゝくおののく。。。「「「さてさてさてももも今け今けけ朝さ朝ささ經つね經つねつね遠とほ遠とほとお、、、兼かね兼かねかね康やす康やすやすがががあのあのあの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんににになさけなさけなさけなうなうのう當あた當あたあたりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつつつったるたるたるこそこそこそ、、、かへす〴〵かへす〴〵かえすがえすももも奇き奇きき怪くわい怪くわいかいなれなれなれ。。。などなどなど重しげ重しげしげ盛もり盛もりもりがががかへりかへりかえり聞き聞ききかかかんんんずるずるずるところところところをををばばば憚はゞか憚はゞかはばからららざりざりざりけるけるけるぞぞぞ。。。片かた片かたかた田ゐ田ゐい舎なか舎なかなかののの侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいはははみなみなみな斯か斯かかかるかるかるぞぞぞとととよよよ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、難なん難なんなん波ば波ばばももも妹せの妹せのせの尾を尾をおももも、、、共とも共ともともににに恐おそ恐おそおそれれれ入い入いいつつったりたりたりけりけりけり。。。大おと大おとおと臣ど臣どどはははかやうかやうかようにににのたまひのたまひのたまいててて、、、小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどのへへへぞぞぞ歸かへ歸かへかえららられれれけるけるける。。。
  18. 18さるさるさる程ほど程ほどほどににに大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんののの侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいどもどもども、、、急いそ急いそいそぎぎぎ中なか中なかなかののの御み御みみ門かど門かどかど、、、烏からす烏からすからす丸まる丸まるまるののの宿しゆく宿しゆくしゅく所しよ所しよしょににに歸かへ歸かへかえりりり参まゐ参まゐまいつつっててて、、、このこのこの由よし由よしよしかくかくかくととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、北きた北きたきたののの方かた方かたかた以い以いい下げ下げげののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうたちたちたち、、、聲こゑ聲こゑこえ々ごゑ々ごゑごえにににをめきをめきおめき叫さけ叫さけさけびびび給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。「「「少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう殿どの殿どのどのををを始はじ始はじはじめめめ參まゐ參まゐまいらららせせせててて、、、幼をさな幼をさなおさなききき人ひと人ひとひと々びと々びとびともももみなみなみな捕とら捕とらとらははわれれれさせさせさせ給たま給たまたまふふうべきべきべき由よし由よしよし承うけたまは承うけたまはうけたまわりりりててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。急いそ急いそいそぎぎぎいづいづいず方かた方かたかたへへへももも忍しの忍しのしのばばばせせせ給たま給たまたまふふうべうべうびょうもももややや候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、北きた北きたきたののの方かた方かたかた、、、「「「今いま今いまいまはははこれこれこれ程ほど程ほどほどににになりなりなりててて、、、殘のこ殘のこのこりりり止とゞ止とゞとどまるまるまる身み身みみとてとてとてももも、、、安あん安あんあん穩をん穩をんおんにににててて何なに何なになににににかかかはははせせせんんんなれなれなればばば、、、たゞたゞただ同おな同おなおなじじじ一ひと一ひとひと夜よ夜よよののの露つゆ露つゆつゆとととももも消き消ききえええんんんことことことこそこそこそ本ほ本ほほ意い意いいなれなれなれ。。。さてさてさてももも今け今けけ朝さ朝ささををを限かぎ限かぎかぎりりりととと知し知ししらららざりざりざりつるつるつる事こと事ことことののの悲かな悲かなかなしさしさしさよよよ。。。」」」とてとてとて、、、引ひ引ひひきききかづいかづいかずいてててぞぞぞ伏ふ伏ふふししし給たま給たまたまふふう。。。
  19. 19既すで既すですでににに武ぶ武ぶぶ士し士ししどもどもどもののの近ちか近ちかちかづくづくづく由よし由よしよし聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、かくかくかくててて恥はぢ恥はぢはじがましうがましうがましゅう、、、うたてきうたてきうたてき目め目めめををを見み見みみんんんもももさすがさすがさすがなれなれなればばばとてとてとて、、、十とを十とをとおににになりなりなりたまふたまふたまう女によ女によにょ子し子しし、、、八はつ八はつはっ歳さい歳さいさいののの男なん男なんなん子し子しし、、、一ひと一ひとひとつつつ車くるま車くるまくるまににに取と取ととりりり乘の乘ののせせせててて、、、いづちいづちいずちををを指さ指ささすすすともともともなくなくなく遣や遣ややりりり出いだ出いだいだすすす。。。さてさてさてしもしもしもあるあるあるべきべきべき事こと事ことことならならならねねねばばば、、、大おほ大おほおお宮みや宮みやみやをををのぼりのぼりのぼりににに、、、北きた北きたきた山やま山やまやまののの邊へん邊へんへん雲うん雲うんうん林りん林りんりん院ゐん院ゐんいんへへへぞぞぞおはしおはしおわしけるけるける。。。そのそのその邊へん邊へんへんなるなるなる僧そう僧そうそう坊ばう坊ばうぼうににに下おろ下おろおろししし置お置おおききき奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、送おく送おくおくりりりののの者もの者ものものどもどもどもははは、、、身み身みみ々み々みみののの棄す棄すすてててがたさがたさがたさににに、、、みなみなみな暇いとま暇いとまいとま申まう申まうもうしししててて歸かへ歸かへかえりりりにににけりけりけり。。。今いま今いまいまはははいとけなきいとけなきいとけなき人ひと人ひとひと々びと々びとびとばかりばかりばかり殘のこ殘のこのこりりりゐゐいててて、、、またまたまたことことこと問と問ととふふう人ひと人ひとひともももなくなくなくしてしてしておはしおはしおわしけるけるける、、、北きた北きたきたののの方かた方かたかたののの心こころ心こころこころののの中うち中うちうち、、、推お推おおししし量はか量はかはかららられれれてててあはれあはれあわれなりなりなり。。。
  20. 20暮く暮くくれれれゆくゆくゆく影かげ影かげかげををを見み見みみ給たま給たまたまふふうにににつけつけつけてててももも、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんののの露つゆ露つゆつゆののの命いのち命いのちいのち、、、このこのこの夕ゆふべ夕ゆふべゆうべををを限かぎ限かぎかぎりりりなりなりなりととと思おも思おもおもひひいやるやるやるにににももも消き消ききえええぬぬぬべしべしべし。。。宿しゆく宿しゆくしゅく所しよ所しよしょにににははは女によう女にようにょう房ばう房ばうぼう、、、侍さぶらひ侍さぶらひさぶらい、、、多おほ多おほおおかりかりかりけれけれけれどもどもども、、、ものものものをををだにだにだに取と取ととりりりしたゝめしたゝめしたためずずず、、、門かど門かどかどをををだにだにだにおしおしおしももも立た立たたてててずずず。。。廏うまや廏うまやうまやにににははは馬むま馬むまうまどもどもども多おほ多おほおおくくく竝な竝ななみみみ立た立たたちちちたれたれたれどもどもども、、、草くさ草くさくさ飼か飼かかふふう者もの者ものもの一ひと一ひとひと人り人りりもももなしなしなし。。。夜よ夜よよあくれあくれあくればばば馬むま馬むまうま車くるま車くるまくるま門かど門かどかどににに立たち立たちたち竝な竝ななみみみ、、、賓ひん賓ひんひん客かく客かくかく座ざ座ざざににに列つら列つらつらなつなつなっててて、、、遊あそ遊あそあそびびび戲たはぶ戲たはぶたわぶれれれ舞ま舞ままひひい躍をど躍をどおどりりり、、、世よ世よよををを世よ世よよととともももししし給たま給たまたまははわずずず。。。近ちか近ちかちかきききあたりあたりあたりののの者もの者ものものどもどもどもははは、、、ものものものをををだにだにだに高たか高たかたかくくくいはいはいわずずず、、、おぢおぢおじ恐おそ恐おそおそれれれててて昨日きのふ昨日きのふきのうまでまでまでもももありありありしししににに、、、夜よ夜よよののの間ま間ままにににかはるかはるかわるありさまありさまありさま、、、盛しやう盛しやうしょう者じや者じやじゃ必ひつ必ひつひっ衰すゐ衰すゐすいののの理ことわり理ことわりことわりははは目め目めめののの前まへ前まへまえにににこそこそこそあらはれあらはれあらわれたりたりたり。。。「「「樂たの樂たのたのしみしみしみつきつきつきててて悲かな悲かなかなしみしみしみ來きた來きたきたるるる。。。」」」ととと書か書かかかかかれれれたるたるたる、、、江がう江がうごう相しやう相しやうしょう公こう公こうこうののの筆ふで筆ふでふでのののあとあとあと、、、今いま今いまいまこそこそこそ思おも思おもおもひひい知し知ししららられれれけれけれけれ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

新大納言は一間に押し込められて、汗まみれになりながら、「ああこれは、日ごろの計画が漏れたのだな。だれが漏らしたのだろう。きっと北面の者どもの中にいるのだろう」などと、思わないことはないほどあれこれと考え続けておられたところ、後ろから足音が高く聞こえたので、「さては今、私の命を奪おうとして武士どもが来たのだな」と思われたが、

そうではなくて入道が、板敷を高らかに踏み鳴らし、大納言のおられる後ろの障子をさっと引き開けて出てこられた。素絹の衣の丈の短いのに、白い大口袴を踏みくくみ、聖柄の刀を抜きやすくゆるめて差したまま、もってのほかに怒った様子で、大納言をしばらくにらみつけて、

「そもそもあなたは、平治の乱でもすでに斬られるはずであったのを、内府(重盛)が身に代えてお願いして首をつないでさしあげたのはどうだ。それなのにその恩を忘れて、何の恨みがあって平家を倒そうとなさるのか。恩を知るのが人というものだ。恩を知らない者を畜生というのだ。けれども平家の運命がまだ尽きていないので、こうしてお迎えしたのだ。日ごろの計画の次第を、じかにお聞きしよう」とおっしゃると、

大納言は「まったくそのようなことはございません。きっと人の讒言でございましょう。よくよくお調べください」と申されたので、入道は言わせも果てず、「だれかおらぬか、だれかおらぬか」とお呼びになると、貞能がさっと参った。「西光の白状を持って参れ」とおっしゃると、持って参った。入道はこれを取って、くり返しくり返し二、三度高らかに読み聞かせ、「ああ憎い、この上は何と弁解するつもりだ」といって、大納言の顔にさっと投げつけ、障子をぴしゃりと閉めて出て行かれたが、なお腹が収まらず、「経遠、兼康」とお呼びになる。難波次郎と妹尾太郎が参った。「あの男を捕らえて庭へ引き落とせ」とおっしゃったが、二人はすぐにはそうせず、「小松殿のお考えはいかがでございましょうか」と申したので、入道は「よしよし、おまえらは内府の命令を重んじて、入道の命令は軽んじるというわけか。それならしかたがない」とおっしゃるので、二人はこれはまずいと思ったのだろうか、立ち上がって、大納言の左右の手を取って庭へ引き落とし申した。

そのとき入道は気持ちよさそうに、「取り押さえてわめかせよ」とおっしゃった。二人の者は大納言の左右の耳に口を当てて、「どうでもお声をお出しください」とささやいて引き伏せ申すと、大納言は二声三声わめかれた。そのさまは、冥途で娑婆世界の罪人を、あるいは業の秤にかけ、あるいは浄玻璃の鏡に向かわせて、罪の軽重に従って阿防羅刹が責めさいなむのも、これ以上ではあるまいと思われた。

蕭何・樊噲は捕らえられ、韓信・彭越は塩漬けにされた。鼂錯は殺され、周勃・魏其侯は罪に問われた。たとえば蕭何・樊噲・韓信・彭越は、みな漢の高祖の忠臣であったけれども、小人の讒言によって災いと失脚の恥を受けたというのも、このようなことをいうのであろうか。新大納言は、わが身がこのようになったにつけても、子息の丹波少将成経以下、幼い子どもたちが、どのようなつらい目にあうだろうかと思いやるにも気がかりである。あれほど暑い六月に装束さえゆるめられず、暑さも耐えがたいので、胸もせき上げる心地がして、汗も涙も争うように流れた。「それでも小松殿は見捨てはなさるまい」と思われたけれども、だれに頼んで申し伝えてもらえるとも思われない。

小松の大臣は、いつものように善悪どちらにも騒がない人でいらっしゃったので、ずっと日が高くなってから、嫡子の権佐少将維盛を車の後ろに乗せて、衛府の者四、五人、随身二、三人を連れて、兵は一人も連れず、まことにおおらかな様子でおいでになったので、入道をはじめとして一門の人々は、みな意外そうにご覧になった。

大臣が中門の口で御車からお降りになるところへ、貞能がさっと参って、「どうしてこれほどの大事に、兵を一人もお連れにならないのですか」と申したので、大臣は「大事というのは天下の事をいうのだ。このような私事を大事という言い方があるか」とおっしゃると、武器を持っていた兵どもは、みな気まずそうに見えた。

その後大臣は、大納言をどこに置き申しているのだろうと、あちらこちらの戸を開けては開けてご覧になると、ある障子の上に蜘蛛手に木を打ちつけた所がある。ここだろうと開けられると、大納言がおられた。涙にむせび、うつ伏して、目も上げられない。「いかがですか」とおっしゃると、そのとき大臣を見つけ申して、うれしそうに思われた様子は、地獄で罪人どもが地蔵菩薩を見申すのも、このようであろうかと思われて、あわれである。

「何事でございましょうか、今朝からこのようなつらい目にあっております。それでもあなた様がいらっしゃるので、いくら何でもと深く頼み申しておりました。平治にもすでに斬られるはずであったのを、ご恩によって首をつないでいただき、そのうえ正二位の大納言にまで昇って、年もすでに四十を越えました。ご恩は生々世々にも報いつくしがたいのですが、このたびもまた、かいのない命をお助けください。そうしていただけるなら、出家入道して、どんな片田舎の山里にでもこもって、ひたすら後世菩提の勤めをいたしましょう」と申された。

大臣は「そうかといって、お命を奪い申すまでのことは、まさかございますまい。たとえそうなっても、重盛がこうしておりますから、お命には代わって差し上げましょう。ご安心ください」といって、父の禅門の御前においでになって、

「あの大納言を殺されることは、よくよくお考えください。その理由は、先祖の修理大夫顕季が白河院に召し使われてからこのかた、家に例のない正二位の大納言にまで昇り、そのうえ現在、君の比べるもののないご寵愛を受けている者です。首をはねられることはよろしくありません。ただ都の外へ追放なさるだけで十分でしょう。

北野天神(菅原道真)は時平の大臣の讒言で浮き名を西海の波に流し、西宮の大臣(源高明)は多田満仲の讒言によって恨みを山陽道の雲に寄せました。それぞれ無実であったけれども、流罪になられたのです。これはみな延喜の聖代、安和の帝のお誤りと申し伝えております。昔でさえこのようです。まして末の世においてはなおさらです。賢王でさえお誤りがある。まして凡人においてはなおさらです。すでに召し置かれた以上は、急いで殺さなくても何の心配がありましょう。「刑の疑わしいものは軽くせよ、功の疑わしいものは重くせよ」とも書物に見えております。

今さら申し上げることですが、重盛はあの大納言の妹を妻としており、維盛もまた婿です。このように親しい間柄ですから、そのために申し上げているとお思いでしょうか。決してそうではございません。ただ君のため、国のため、世のため、家のためのことを思って申し上げるのです。

先年、故少納言入道信西が権力を握っていたとき、わが国では嵯峨天皇の御時に右兵衛督藤原仲成を処刑されてからこのかた、保元まで二十五代のあいだ行われなかった死罪を初めて行い、宇治の悪左府(頼長)の遺骸を掘り起こして検分させたことなどは、あまりにひどいご政道と存じます。だから昔の人も、「死罪を行えば国内に謀反の者が絶えない」と申し伝えております。

この言葉どおりに、中二年たって平治の乱でまた世が乱れ、信西が埋められていたのを掘り起こして、首をはねて大路を引き回されました。保元に信西が執り行ったことが、いくらもたたないうちに、早くもわが身に報いたのだと思うと恐ろしいことです。この大納言はさほどの朝敵でもございません。あれこれと恐れるべきことです。ご栄華は残るところがないので、お思いになることはないでしょうが、子々孫々まで繁栄してほしいものです。父祖の善悪は必ず子孫に及ぶといいます。「善を積む家には余慶があり、悪を積む家には余殃がとどまる」とも書物に見えております。どうしても今夜首をはねられることはよろしくありません」と申されたので、入道もなるほどと思われたのであろうか、死罪は思いとどまられた。

その後大臣は中門に出て、侍どもにおっしゃるには、「仰せだからといって、あの大納言を殺すことは軽々しくしてはならぬ。入道は腹立ちのままに乱暴なことをなさって、後で必ず後悔なさるだろう。間違ったことをして私を恨むな」とおっしゃると、武器を持っていた兵どもはみな舌を震わせて恐れおののいた。「それにしても今朝、経遠・兼康があの大納言に情けなく当たり申したことは、かえすがえすもけしからん。どうして重盛が後で聞くであろうことをはばからなかったのか。片田舎の侍はみなこうなのだ」とおっしゃると、難波も妹尾も、ともに恐れ入った。大臣はこのようにおっしゃって、小松殿へお帰りになった。

そうしているうちに、大納言の侍どもは急いで中御門烏丸の宿所に帰って、このことを申し上げたので、北の方以下の女房たちは、声々にわめき叫ばれた。侍が「少将殿をはじめ、幼い方々もみな捕らえられなさるということを承っております。急いでどこへでもお忍びになったほうがよいのではございませんか」と申したので、北の方は「今はこれほどになって、残りとどまる身だとしても、無事でいたとて何になろう。ただ同じ一夜の露と消えることこそ本望です。それにしても今朝を最後とは知らなかったことの悲しさよ」といって、衣を引きかぶって伏してしまわれた。

もう武士どもが近づくと聞こえたので、このまま恥をさらし、つらい目を見るのもさすがに忍びないということで、十歳になる娘と八歳の息子を一つの車に乗せて、どこへ向かうともなく出発した。そうしてばかりもいられないので、大宮大路を北へ上って、北山のあたりの雲林院へおいでになった。そのあたりの僧坊に降ろし申して、送りの者どもは、それぞれわが身を捨てがたくて、みな暇を告げて帰ってしまった。今は幼い子どもたちばかりが残って、訪ねてくる人もなくておられた北の方の心のうちは、推し量られてあわれである。

暮れていく日の光をご覧になるにつけても、大納言の露のような命は、この夕方が最後だろうと思いやるにつけても、北の方は消え入りそうである。宿所には女房や侍が大勢いたけれども、物を片づけることもせず、門さえも閉めない。廏には馬がたくさん並んでいたけれども、草をやる者は一人もいない。夜が明けると馬や車が門に立ち並び、客人が座に連なって、遊び戯れ舞い踊って、世の中を何とも思わずにおられた。近所の者どもは物さえ大声で言わず、恐れおののいていたのが昨日までのことであったのに、一夜のうちに変わる有様は、盛者必衰の道理が目の前に現れたのである。「楽しみ尽きて悲しみ来る」と書かれた江相公(大江朝綱)の筆の跡が、今こそ思い知られたのであった。

意訳

『平家物語』の中でも、清盛と重盛の対照がもっとも鮮やかに描かれる章段の一つである。清盛は、成親の恩知らずを責めて西光の白状を顔に投げつけ、命令をためらう侍たちを叱りつけて成親を庭に引き落とさせる。その怒りのすさまじさは、地獄の羅刹が罪人を責めるさまにたとえられている。

一方の重盛は、軍兵を一人も連れずに悠然と現れ、「大事とは天下の事をこそいへ」と言って侍たちの騒ぎを鎮める。成親には命を保証し、父には菅原道真や源高明の例、保元・平治の死罪の報いを挙げ、「積善の家には余慶あり」という教えを説いて処刑を思いとどまらせる。重盛の言葉は、儒教的な道理と仏教的な因果の思想に支えられており、物語は彼を平家の良心として描いている。

後半は一転して、成親の北の方と幼い子どもたちの逃避行を描く。昨日まで客がにぎわい、近所の者も声をひそめていた邸が、一夜にして門も閉ざされず、馬に草をやる者もいなくなる。「盛者必衰の理は目の前にこそあらはれたり」という言葉は、冒頭の祇園精舎の一節を思い起こさせ、栄華のはかなさを改めて印象づけている。

語釈・文法注

文法

「思はじ事なう」
思わないことはないほど、あれこれと思いめぐらして、の意。
「ござんなれ」
「にこそあるなれ」のつづまった形で、…というわけだな、の意。相手の態度を見定めて言う言葉。
「蕭樊とらはれて、韓彭にらぎすされたり」
漢の高祖の功臣の蕭何・樊噲・韓信・彭越が、讒言によって捕らえられたり殺されたりした故事。「にらぎす」は塩漬けにすること。
「刑の疑はしきをば輕んぜよ、功の疑はしきをば重んぜよ」
『書経』に見える言葉で、罪が疑わしいときは軽い刑に、功績が疑わしいときは重い賞にせよ、の意。
「積善の家には餘慶あり、積惡の門には餘殃止まる」
『易経』に見える言葉。善行を積んだ家には子孫に福が及び、悪行を積んだ家には子孫に災いが残る、の意。

解説

「小松教訓」は、成親の処刑を思いとどまらせる重盛の諫言として知られる。重盛が挙げる藤原仲成の処刑(810年)から保元の乱まで死罪が行われなかったという話は、平安時代に死刑が事実上停止されていたことを踏まえたものである。保元の乱で信西が死罪を復活させ、その信西が平治の乱で殺されたことを、重盛は因果応報として語っている。

成親の妹は重盛の妻(経子)、成親の娘は維盛の妻であり、重盛は成親と二重の姻戚関係にあった。重盛が成親の助命を「一向その儀では候はず」と断るのは、私情から出た願いではないことを強調するためである。成親は結局、死罪を免れて備前に流されたが、のちにそこで殺される(「新大納言の死去の事」)。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、313–319頁(コマ185–188)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日