平家物語 巻第二
西光が切られの事
西光の讒言で法皇は延暦寺攻めを計画し、鹿ケ谷の謀議は滞る。勝ち目がないと見た多田行綱は清盛に謀反を密告し、清盛は一門と兵を集めて、成親をはじめ謀議の人々を捕らえる。捕らえられた西光は清盛の出自をあざけって屈せず、口を裂かれて斬られ、子の師高・師経も殺された。
- 1さるさるさる程程ほどににに山山さん門門もんののの大大だい衆衆しゅ、、、先先せん座座ざ主主す取取とり止止とめめめ奉奉たてまつつつったるたるたることことこと、、、法法ほう皇皇おうきこしめしきこしめしきこしめしててて、、、いとゞいとゞいとどやすからやすからやすからずずずおぼしめしおぼしめしおぼしめしけるけるける所所ところににに、、、西西さい光光こう法法ほっ師師し申申もうしししけるけるけるははは、、、「「「昔昔むかしよりよりより山山さん門門もんののの大大だい衆衆しゅははは、、、發發はっ向向こうのののみだりがはしきみだりがはしきみだりがわしき訴訴うつたへへえ仕仕つかまつるるることことこと、、、今今いまににに始始はじめめめずずずとととははは申申もうしししながらながらながら、、、今今こん度度どははは以以もってててののの外外ほかににに過過か分分ぶんににに候候そうろう。。。よく〳〵よく〳〵よくよく御御おん計計はからひらひらい候候そうろうべしべしべし。。。これらこれらこれらををを御御おん誡誡いましめめめ候候そうらははわずずずばばば、、、このこのこの後後のちははは世世よががが世世よでででももも候候そうろうまじまじまじ。。。」」」とととぞぞぞ申申もうしししけるけるける。。。
- 2たゞたゞただ今今いまわがわがわが身身みののの亡亡ほろびびび失失うせせせんんんずるずるずる事事ことをををももも顧顧かえりみみみずずず、、、山山さん王王おう大大だい師師しののの神神しん慮慮りょにににももも憚憚はばからららずずず、、、かやうかやうかようににに申申もうしししててて、、、宸宸しん襟襟きんををを惱惱なやましましまし奉奉たてまつるるる。。。讒讒ざん臣臣しんははは國國くにををを亂亂みだるるるととといへいへいえりりり。。。まことまことまことなるなるなるかなかなかな叢叢そう蘭蘭らん茂茂しげらららんんんとととすれすれすれどもどもども、、、秋秋あきののの風風かぜこれこれこれをををやぶりやぶりやぶり、、、王王おう者者じゃ明明あきらかかかならならならんんんとととすれすれすれどもどもども、、、讒讒ざん臣臣しんこれこれこれをををくらうくらうくろうすすすともともとも、、、かやうかやうかようののの事事ことをををややや申申もうすすすべきべきべき。。。
- 3新新しん大大だい納納な言言ごん成成なり親親ちかののの卿卿きょう以以い下下げ、、、近近きん習習じゅののの人人ひと々々びとににに仰仰おおせせせててて、、、法法ほう皇皇おう山山やま攻攻せめめめらるらるらるべしべしべしととと聞聞きこえええしかしかしかばばば、、、山山さん門門もんののの大大だい衆衆しゅ、、、さささのみのみのみ王王おう地地じにににはらまはらまはらまれれれててて、、、詔詔しょう命命めいををを對對たい捍捍かんせせせんんんももも畏畏おそれれれなりなりなりとてとてとて、、、内内ない々々ない院院いん宣宣ぜんににに從從したがひひい奉奉たてまつるるる衆衆しゅ徒徒ともももありありありなどなどなど聞聞きこえええしかしかしかばばば、、、
- 4先先せん座座ざ主主すははは東東とう塔塔とうののの南南みなみ谷谷だに、、、妙妙みょう光光こう坊坊ぼうにににおはしおはしおわしけるけるけるががが、、、大大だい衆衆しゅ二二ふた心心ごころありありありととと聞聞きききき給給たまひひいててて、、、またまたまたいかなるいかなるいかなる憂憂うききき目目めにににかかかあふあふあうべきべきべきやらやらやらんんんととと、、、心心こころ細細ぼそげげげにににぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。されどもされどもされども流流る罪罪ざいののの沙沙さ汰汰たはははなかりなかりなかりけりけりけり。。。
- 5さるさるさる程程ほどににに新新しん大大だい納納な言言ごんははは、、、山山さん門門もんののの騒騒そう動動どうににによつよつよっててて、、、私私わたくしののの宿宿しゅく意意いをををばばば暫暫しばらくくくおさへおさへおさえられられられけりけりけり。。。そもそもそも内内ない議議ぎ支支し度度たくはははさま〴〵さま〴〵さまざまなりなりなりしかしかしかどもどもども、、、擬擬ぎ勢勢せい許許ばかりりりででで、、、このこのこの謀謀む叛叛ほん叶叶かなふふうべしべしべしとととももも見見みえええざりざりざりけれけれければばば、、、さしもさしもさしも賴賴たのまままれれれたりたりたりつるつるつる、、、多多た田田だののの藏藏くら人人うど行行ゆき綱綱つな、、、このこのこの事事こと無無む益益やくなりなりなりととと思思おもふふう心心こころやややつきつきつきにににけんけんけん、、、
- 6弓弓ゆ袋袋ぶくろののの料料りょうにににとてとてとて送送おくららられれれたりたりたりけるけるける布布ぬのどもどもどもをををばばば、、、直直ひた垂垂たれ、、、かたびらかたびらかたびらににに裁裁たちちち縫縫ぬははわせせせ、、、家家いえののの子子こ、、、郎郎ろう黨黨どうどもどもどもににに著著きせせせつゝつゝつつ、、、目目めうちうちうちしばたゝいしばたゝいしばたたいてててゐゐいたりたりたりけるけるけるががが、、、つら〳〵つら〳〵つらつら平平へい家家けののの繁繁はん昌昌じょうするするする有有あり樣樣さまををを見見みるるるににに、、、當當とう時時じたやすうたやすうたやすう傾傾かたぶけけけがたしがたしがたし。。。もしもしもしこのこのこの事事こと洩洩もれれれぬるぬるぬる程程ほどならならならばばば、、、行行ゆき綱綱つなまづまづまず失失うしなははわれれれなななんんんずずず。。。他他た人人にんののの口口くちよりよりより洩洩もれれれぬぬぬさきさきさきににに、、、かへりかへりかえり忠忠ちゅうしししててて命命いのち生生いかかかうううととと思思おもふふう心心こころぞぞぞつきつきつきにににけるけるける。。。
- 7同同おなじきじきじき二二に十十じゅう九九く日日にちののの小小さ夜夜よふけふけふけがたがたがたににに、、、入入にゅう道道どう相相しょう國國こくののの西西にし八八はち條條じょうののの邸邸ていににに参参まいつつっててて、、、「「「行行ゆき綱綱つなこそこそこそ申申もうすすすべきべきべき事事ことありありありててて、、、これこれこれまでまでまで参参まいつつっててて候候そうらへへえ。。。」」」ととと、、、案案あん内内ないをををいひいひいい入入いれれれたりたりたりけれけれければばば、、、入入にゅう道道どう、、、「「「常常つねにににももも参参まいらららぬぬぬ者者ものののの参参さんじじじたるたるたるははは何何なに事事ごとぞぞぞ、、、あれあれあれ聞聞きけけけ。。。」」」とてとてとて、、、主主しゅ馬馬めののの判判ほう官官がん盛盛もり國國くにををを出出いだささされれれたりたりたり。。。
- 8「「「全全まったくくく人人ひと傳傳づてにににははは申申もうすすすまじきまじきまじき事事ことなりなりなり。。。」」」ととといふいふいう間間あいだ、、、入入にゅう道道どう、、、さらばさらばさらばとてとてとて、、、みづからみづからみずから中中ちゅう門門もんののの廊廊ろうにににぞぞぞ出出いでででられられられたるたるたる。。。「「「夜夜よははは遙遙はるかかかににに更更ふけけけぬぬぬらんらんらんににに、、、いかにいかにいかにたゞたゞただ今今いま、、、何何なに事事ごとぞぞぞ。。。」」」ととと宣宣のたまへへえばばば、、、「「「晝晝ひるははは人人ひと目目めのののしげうしげうしぎょう候候そうろう間間あいだ、、、夜夜よににに紛紛まぎれれれててて参参まいつつっててて候候そうろう。。。このこのこのほどほどほど院院いん中中じゅうののの人人ひと々々びとののの兵兵ひょう具具ぐををを整整ととのへへえ、、、軍軍ぐん兵兵びょうををを催催もよおささされれれししし事事ことをををばばば、、、何何なにととと聞聞きこしめさしめさしめされれれててて候候そうろうやらやらやらんんん。。。」」」
- 9入入にゅう道道どう、、、「「「いさいさいさとととよよよ、、、それそれそれははは法法ほう皇皇おうののの山山やま攻攻せめめめらるらるらるべきべきべき御御ご結結けっ構構こうとととこそこそこそ聞聞きけけけ。。。」」」ととと、、、いといといと事事こともももなげなげなげにににぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。行行ゆき綱綱つな近近ちこううう寄寄よりりり、、、小小こ聲聲ごえににになつなつなっててて、、、「「「そのそのその儀儀ぎでででははは候候そうらははわずずず、、、一一いっ向向こう當當とう家家けののの御御おん上上うえとととこそこそこそ承承うけたまわりりり候候そうらへへえ。。。」」」入入にゅう道道どう、、、「「「さてさてさてそれそれそれをををばばば、、、法法ほう皇皇おうもももしろしめさしろしめさしろしめされれれたるたるたるかかか。。。」」」「「「仔仔し細細さいにににややや及及およびびび候候そうろう。。。執執しっ事事じののの別別べっ當當とう成成なり親親ちかののの卿卿きょうののの軍軍ぐん兵兵びょう催催もよおささされれれ候候そうらひひいしししにににももも、、、院院いん宣宣ぜんとてとてとてこそこそこそ召召めささされれれしかしかしか。。。康康やす賴賴よりがががととと申申もうしししててて、、、俊俊しゅん寛寛かんがががかくかくかく申申もうしししててて、、、西西さい光光こうがががとととふるまうふるまうふるもうててて。。。」」」などなどなど、、、ありのまゝありのまゝありのままにににはははさしさしさし過過すぎぎぎててていひいひいい散散ちらしらしらし、、、わがわがわが身身みははは暇暇いとま申申もうすすすとてとてとて出出いでででけれけれければばば、、、
- 10そのそのその時時とき入入にゅう道道どう、、、大大おお聲聲ごえををを以以もっててて侍侍さぶらいどもどもども呼呼よびびびのゝしりのゝしりののしり給給たまふふう事事こと夥夥おびただししし。。。行行ゆき綱綱つななまじひなまじひなまじいなるなるなる事事こと申申もうししし出出いでででててて、、、證證しょう人人にんにににややや引引ひかかかれれれんんんずずずらんらんらんととと、、、恐恐おそろしさろしさろしさににに人人ひとももも追追おははわぬぬぬににに、、、取取とり袴袴ばかまししし、、、大大おお野野のににに火火ひををを放放はなちちちたるたるたる心心ここちちちしししててて、、、急急いそぎぎぎ門門もん外外がいへへへぞぞぞ逃逃にげげげ出出いでででけるけるける。。。
- 11そのそのその後後のち入入にゅう道道どう、、、筑筑ちく後後ごののの守守かみ貞貞さだ能能よしををを召召めしししててて、、、「「「當當とう家家け傾傾かたぶけけけうううとととするするする謀謀む叛叛ほんののの輩輩ともがらこそこそこそ、、、京京きょう中中じゅうににに充充みちちち滿滿みちちちたんたんたんなれなれなれ。。。急急いそぎぎぎ一一いち門門もんののの人人ひと々々びとにににももも觸觸ふれれれ申申もうせせせ、、、侍侍さぶらいどもどもども催催もよおせせせ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、馳馳はせせせまはつまはつまわっててて披披ひ露露ろうすすす。。。右右う大大だい將將しょう宗宗むね盛盛もり、、、三三さん位位み中中ちゅう將將じょう知知とも盛盛もり、、、頭頭とうののの中中ちゅう將將じょう重重しげ衡衡ひら、、、左左さ馬馬まののの頭頭かみ行行ゆき盛盛もり以以い下下げののの一一いち門門もんののの人人ひと々々びと、、、甲甲かっ冑冑ちゅう弓弓きゅう箭箭せんををを帶帶たいしししてててさしさしさしつどふつどふつどう。。。そのそのその外外ほか侍侍さぶらいどもどもども、、、雲雲うん霞霞かののの如如ごとくくくににに馳馳はせせせ集集あつまつつっててて、、、そのそのその夜夜よののの中中うちににに入入にゅう道道どう相相しょう國國こくののの西西にし八八はち條條じょうののの邸邸ていにににははは、、、兵兵つわもの六六ろく七七しち千千せん騎騎ぎもももあらあらあらんんんとととぞぞぞ見見みえええししし。。。
- 12あくれあくれあくればばば六六ろく月月がつ一一ひと日日ひののの日日ひなりなりなり。。。未未いまだだだ暗暗くらかりかりかりけるけるけるににに、、、入入にゅう道道どう相相しょう國國こく安安あ倍倍べののの資資すけ成成なりををを召召めしししててて、、、「「「院院いんののの御御ご所所しょへへへ参参まいりりり、、、大大だい膳膳ぜんののの大大たい夫夫ふ信信のぶ成成なりををを呼呼よびびび出出いでででててて、、、きつときつときっと申申もうさささんんんずるずるずる事事ことはははよなよなよな、、、新新しん大大だい納納な言言ごん成成なり親親ちかののの卿卿きょう以以い下下げ、、、近近きん習習じゅののの人人ひと々々びと、、、このこのこの一一いち門門もんををを亡亡ほろぼしぼしぼしててて、、、天天てん下下かみだらみだらみだらんんんとととするするする謀謀む叛叛ほんののの企企くわだてててありありあり。。。一一いち々々いちににに搦搦からめめめ取取とつつっててて、、、尋尋たずねねね沙沙さ汰汰た仕仕つかまつりりり候候そうろうべしべしべし。。。それそれそれをををばばば君君きみもももしろしめさしろしめさしろしめさるるるまじうまじうまじゅう候候そうろうととと申申もうすすすべしべしべし。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。
- 13資資すけ成成なり急急いそぎぎぎ院院いんののの御御ご所所しょへへへ馳馳はせせせ参参まいりりり、、、信信のぶ成成なりををを招招まねいいいててて、、、このこのこの事事こと申申もうすすすににに、、、色色いろををを失失うしなふふう。。。やがてやがてやがて御御おん前前まえへへへ参参まいつつっててて、、、このこのこの由由よしかくかくかくととと奏奏そう聞聞もん申申もうしししけれけれければばば、、、法法ほう皇皇おう、、、「「「あゝあゝああはやはやはや、、、これらこれらこれらががが内内ない々々ない謀謀はかりりりししし事事ことののの、、、洩洩もれれれ聞聞きこえええけるけるけるにににこそこそこそ。。。さるさるさるにににてててもももこここははは何何なに事事ごとぞぞぞ。。。」」」とととばかりばかりばかり仰仰おおせせせられられられててて、、、分分ぶん明明みょうののの御御おん返返へん事事じもももなかりなかりなかりけりけりけり。。。
- 14資資すけ成成なり急急いそぎぎぎ走走はしりりり歸歸かえつつっててて、、、このこのこの由由よしかくかくかくととと申申もうしししけれけれければばば、、、入入にゅう道道どう、、、「「「さればさればさればこそこそこそ行行ゆき綱綱つなはははまことまことまことををを申申もうしししたれたれたれ。。。行行ゆき綱綱つなこのこのこの事事こと告告つげげげ知知しらららせせせずずずばばば、、、淨淨じょう海海かい安安あん穩穩おんにににてててやはやはやはあるあるあるべきべきべき。。。」」」とてとてとて、、、筑筑ちく後後ごののの守守かみ貞貞さだ能能よし、、、飛飛ひ驒驒だののの守守かみ景景かげ家家いえををを召召めしししててて、、、當當とう家家け傾傾かたぶけけけうううとととするするする謀謀む叛叛ほんののの輩輩ともがら、、、一一いち々々いちににに搦搦からめめめ捕捕とるるるべきべきべきよしよしよし下下げ知知じせせせらるらるらる。。。依依よつつっててて二二に百百ひゃく餘餘よ騎騎き、、、三三さん百百びゃく餘餘よ騎騎き、、、あそこゝあそこゝあそここににに押押おし寄寄よせ〳〵せ〳〵せよせ、、、搦搦からめめめ捕捕とるるる。。。
- 15入入にゅう道道どう相相しょう國國こくまづまづまず雜雜ぞう色色しきををを以以もっててて、、、中中なかののの御御み門門かど烏烏からす丸丸まるののの新新しん大大だい納納な言言ごんののの宿宿しゅく所所しょへへへ、、、「「「きつときつときっと立立たち寄寄よりりり給給たまへへえ、、、申申もうしししあはすあはすあわすべきべきべき事事ことののの候候そうろう。。。」」」ととと、、、のたまひのたまひのたまい遣遣つかはさはさわされれれけれけれければばば、、、大大だい納納な言言ごんわがわがわが身身みののの上上うえとととはははつゆつゆつゆ知知しらららずずず、、、あはれあはれあわれこれこれこれははは、、、法法ほう皇皇おうののの山山やま攻攻せめめめらるらるらるべきべきべき御御ご結結けっ構構こうのののあるあるあるををを、、、申申もうししし宥宥なだめめめられられられんんんずるずるずるにににこそこそこそ。。。御御おん憤憤いきどおりりり深深ふかげげげなりなりなり、、、如如い何何かにににももも叶叶かなふふうまじきまじきまじきものものものをををとてとてとて、、、ないきよげないきよげないきよげなるなるなる布布ほう衣衣い、、、たをやかたをやかたおやかににに著著きなしなしなし、、、あざやかあざやかあざやかなるなるなる車車くるまににに乘乘のりりり、、、侍侍さぶらい三三さん四四し人人にん召召めし具具ぐしししててて、、、雜雜ぞう色色しき、、、牛牛うし飼飼かいににに至至いたるるるまでまでまで、、、常常つねよりよりよりもももなほなほなお引引ひきききつくろはつくろはつくろわれれれたりたりたり。。。そもそもそも最最さい後後ごとととははは、、、後後のちにににこそこそこそ思思おもひひい知知しららられれれけれけれけれ。。。
- 16西西にし八八はち條條じょう近近ちこうううなりなりなりててて見見み給給たまへへえばばば、、、四四し五五ご町町ちょうににに軍軍ぐん兵兵びょうどもどもども充充みちちち滿滿みちちちたりたりたり。。。あなあなあなおびたゞしおびたゞしおびただし、、、こここははは何何なに事事ごとなるなるなるらんらんらんととと、、、胸胸むねうちうちうち騒騒さわがががれれれけれけれけれどもどもども、、、門門もん前前ぜんにににててて車車くるまよりよりより下下おりりり、、、門門もんののの内内うちへへへさしさしさし入入いつつっててて見見み給給たまへへえばばば、、、内内うちにににももも兵兵つわものどもどもども、、、隙隙ひまはざまはざまはざまもももなうなうのうぞぞぞ竝竝なみみみゐゐいたるたるたる。。。
- 17中中ちゅう門門もんののの口口くちにににははは恐恐おそろしげろしげろしげなるなるなる者者ものどもどもども、、、數數あま多多た待待まちちち受受うけけけ奉奉たてまつりりり、、、大大だい納納な言言ごんををを取取とつつってててひつぱりひつぱりひっぱり、、、「「「いましむいましむいましむべうべうびょう候候そうろうやらやらやらんんん。。。」」」ととと申申もうしししけれけれければばば、、、入入にゅう道道どう簾簾れん中中ちゅうよりよりより見見み出出いだしししたまひたまひたまいててて、、、「「「あるあるあるべうべうびょうもももなしなしなし。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、侍侍さぶらいどもどもども十十じゅう四四し五五ご人人にん、、、前前ぜん後後ご左左さ右右ゆうににに立立たち圍圍かこみみみ、、、大大だい納納な言言ごんののの手手てををを取取とつつっててて、、、緣緣えんののの上上うえへへへ引引ひき上上あげげげ奉奉たてまつりりり、、、一一ひと間間まなるなるなる所所ところににに押押おし籠籠こめめめ奉奉たてまつつつってててけりけりけり。。。大大だい納納な言言ごんははは夢夢ゆめののの心心ここちちちしししててて、、、つや〳〵つや〳〵つやつやものものものももも覺覺おぼえええ給給たまははわずずず。。。供供ともにににありありありつるつるつる侍侍さぶらいどもどもども、、、大大おお勢勢ぜいにににおしおしおし隔隔へだてててられられられててて、、、ちり〴〵ちり〴〵ちりじりににになりなりなりぬぬぬ。。。雜雜ぞう色色しき、、、牛牛うし飼飼かい色色いろををを失失うしなひひい、、、牛牛うし、、、車車くるまををを捨捨すてててててて、、、みなみなみな逃逃にげげげ去去さりりりぬぬぬ。。。
- 18さるさるさる程程ほどににに、、、近近おう江江みののの中中ちゅう將將じょう入入にゅう道道どう蓮蓮れん淨淨じょう、、、法法ほっ勝勝しょう寺寺じののの執執しゅ行行ぎょう俊俊しゅん寛寛かん僧僧そう都都ず、、、山山やま城城しろののの守守かみ基基もと兼兼かね、、、式式しき部部ぶののの大大たい輔輔ふ正正まさ綱綱つな、、、平平へい判判ほう官官がん康康やす賴賴より、、、宗宗そう判判ほう官官がん信信のぶ房房ふさ、、、新新しん平平へい判判ほう官官がん資資すけ行行ゆきももも捕捕とらははわれれれてててこそこそこそ出出いででで來來きたれたれたれ。。。
- 19西西さい光光こう法法ほっ師師しこのこのこの由由よしををを聞聞ききききててて、、、わがわがわが身身みののの上上うえとととややや思思おもひひいけんけんけん、、、鞭鞭むちををを打打うつつっててて、、、急急いそぎぎぎ院院いんののの御御ご所所しょへへへ参参まいるるる。。。六六ろく波波は羅羅らののの兵兵つわものどもどもども、、、道道みちにににててて行行ゆきききあひあひあい、、、「「「西西にし八八はち條條じょう殿殿どのよりよりより召召めさささるゝるゝるるぞぞぞ、、、きつときつときっと参参まいれれれ。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、「「「これこれこれははは奏奏そうすすすべきべきべき事事ことあつあつあっててて、、、院院いんののの御御ご所所しょへへへ参参まいるるる。。。やがてやがてやがてこそこそこそ歸歸かえりりり参参まいらららめめめ。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、「「「につくいにつくいにっくい入入にゅう道道どうめめめががが、、、何何なに事事ごとをををかかか奏奏そうすすすべかべかべかんんんなるなるなるぞぞぞ。。。」」」とてとてとて、、、しやしやしや馬馬うまよりよりより取取とつつっててて引引ひき落落おとししし、、、中中ちゅうににに縛縛しばつつっててて、、、西西にし八八はち條條じょう殿殿どのへへへさげさげさげてててまゐるまゐるまいる。。。
- 20日日ひののの始始はじめめめよりよりより根根こん元元げん與與よ力力りきののの者者ものなりなりなりけれけれければばば、、、殊殊ことににに強強つよううういましめいましめいましめててて、、、御御おん坪坪つぼののの内内うちにににぞぞぞ引引ひきききすゑすゑすえたるたるたる。。。入入にゅう道道どう相相しょう國國こく大大おお床床ゆかににに立立たちちちててて、、、しばししばししばしにらまへにらまへにらまえ、、、「「「あなあなあなにくにくにくややや、、、當當とう家家け傾傾かたぶけけけうううとととするするする、、、謀謀む叛叛ほんのののやつやつやつがががなれなれなれるるる姿姿すがたよよよ。。。しやつしやつしやつこゝこゝここへへへ引引ひき寄寄よせせせよよよ。。。」」」とてとてとて、、、緣緣えんののの際際きわへへへ引引ひき寄寄よせせせさせさせさせ、、、物物もの履履はきききながらながらながら、、、しやつらしやつらしやつらをををむず〳〵むず〳〵むずむずとととぞぞぞ蹈蹈ふまままれれれけるけるける。。。
- 21「「「もとよりもとよりもとよりおのれおのれおのれらららがががやうやうようなるなるなる下下げ臈臈ろうのののはてはてはてををを、、、君君きみののの召召めし使使つかははわせせせ給給たまひひいててて、、、なさるなさるなさるまじきまじきまじき官官かん職職しょくをををなしなしなしたびたびたび、、、父父ふ子子し共共ともににに過過か分分ぶんのののふるまひふるまひふるまいをををするするするととと見見みしししにににあはせあはせあわせててて、、、過過あやまたたたぬぬぬ天天てん台台だい座座ざ主主す流流る罪罪ざいににに申申もうししし行行おこなひひい、、、あまつさへあまつさへあまつさえ當當とう家家け傾傾かたぶけけけうううとととするするする謀謀む叛叛ほんののの輩輩ともがらににに與與くみしししてててけるけるけるなりなりなり。。。ありのまゝありのまゝありのままににに申申もうせせせ。。。」」」とととこそこそこそのたまひのたまひのたまいけれけれけれ。。。
- 22西西さい光光こうもとよりもとよりもとより勝勝すぐれれれたるたるたる大大たい剛剛ごうののの者者ものなりなりなりけれけれければばば、、、ちとちとちとももも色色いろももも變變へんぜぜぜずずず、、、わろびれわろびれわろびれたるたるたる氣氣け色色しきもももなくなくなく、、、居居いなほりなほりなおり、、、あざあざあざ笑笑わらつつっててて申申もうしししけるけるけるははは、、、「「「院院いん中中じゅうににに近近ちこううう召召めし使使つかははわるゝるゝるる身身みなれなれなればばば、、、執執しっ事事じののの別別べっ當當とう成成なり親親ちかののの卿卿きょうののの軍軍ぐん兵兵びょう催催もよおささされれれ候候そうろう事事ことにににももも、、、與與くみせせせずずずとととははは申申もうすすすべきべきべきやうやうようなしなしなし。。。それそれそれははは與與くみしししたりたりたり。。。たゞしたゞしただし耳耳みみにににあたるあたるあたる事事ことをををももものたまふのたまふのたまうものものものかなかなかな。。。他他た人人にんののの前前まえははは知知しらららずずず、、、西西さい光光こうががが聞聞きかかかんんんずるずるずる所所ところにににてててははは、、、さやうさやうさようののの事事ことをををばばば、、、えええこそこそこそのたまふのたまふのたまうまじけれまじけれまじけれ。。。
- 23抑抑そもそも御御ご邊邊へんははは、、、故故こ刑刑ぎょう部部ぶ卿卿きょう忠忠ただ盛盛もりののの嫡嫡ちゃく子子しにににててておはせおはせおわせしししががが、、、十十じゅう四四し五五ごまでまでまでははは出出しゅっ仕仕しもももししし給給たまははわずずず、、、故故こ中中なかののの御御み門門かどののの藤藤とう中中ちゅう納納な言言ごん家家か成成ぜいののの卿卿きょうののの邊邊へんににに立立たち入入いりりりたまひたまひたまいしししをををばばば、、、京京きょう童童わらんべははは例例れいののの高高たか平平へいとととこそこそこそいひいひいいしかしかしか。。。しかるしかるしかるををを保保ほう延延えんののの頃頃ころ、、、海海かい賊賊ぞくののの張張ちょう本本ほん三三さん十十じゅう餘餘よ人人にん搦搦からめめめ進進しんぜぜぜられられられたりたりたりししし勸勸けん賞賞じょうににに、、、四四し品品ほんしししててて、、、四四し位位いののの兵兵ひょう衞衞えののの佐佐すけととと申申もうししししししをををだにだにだに、、、人人ひとみなみなみな過過か分分ぶんとととこそこそこそ申申もうししし合合あははわれれれしかしかしか。。。殿殿てん上上じょうののの交交まじはりはりわりをををだにだにだに嫌嫌きらははわれれれししし人人ひとののの子子し孫孫そんにににててて、、、今今いま太太だい政政じょう大大だい臣臣じんまでまでまでなりなりなり上上あがつつったるたるたるややや過過か分分ぶんなるなるなるらんらんらん。。。もとよりもとよりもとより侍侍さぶらいほどほどほどののの者者ものののの、、、受受じゅ領領りょう、、、檢檢けん非非び違違い使使しににに至至いたるるることことこと、、、先先せん例例れい、、、法法ほう例例れいなきなきなきにににしもしもしもあらあらあらずずず、、、なじかはなじかはなじかわ過過か分分ぶんなるなるなるべきべきべき。。。」」」ととと、、、憚憚はばかるるる所所ところもももなうなうのういひいひいい散散ちらしらしらしたりたりたりけれけれければばば、、、
- 24入入にゅう道道どう相相しょう國國こくあまりあまりあまりににに腹腹はらをををすゑすゑすえかねかねかねててて、、、しばししばししばしはははものものものをををももも宣宣のたまははわずずず。。。やゝやゝややあつあつあっててて入入にゅう道道どうのたまひのたまひのたまいけるけるけるははは、、、「「「しやつしやつしやつががが首首くびさうなうさうなうそうのう斬斬きるるるななな、、、よく〳〵よく〳〵よくよく糺糺きゅう問問もんしししててて、、、ことことことののの仔仔し細細さいををを尋尋たずねねね問問とひひい、、、其其そののの後後のち河河かわ原原らへへへ引引ひき出出いだいいいててて、、、頭頭こうべををを刎刎はねねねよよよ。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。松松まつ浦浦らののの太太た郎郎ろう重重しげ俊俊とし承承うけたまわつつっててて、、、手手て足足あしをををはさみはさみはさみ、、、さま〴〵さま〴〵さまざまにににしてしてして痛痛いためめめ問問とふふう。。。西西さい光光こうもとよりもとよりもとより爭爭あらそははわざりざりざりけるけるける上上うえ、、、拷拷ごう問問もんはははきびしかりきびしかりきびしかりけりけりけり、、、白白はく狀狀じょう四四し五五ご枚枚まいにににしるさしるさしるされれれててて、、、そのそのその後後のち口口くちををを裂裂さけけけとてとてとて、、、口口くちををを裂裂さかかかれれれ、、、五五ご條條じょう西西にしののの朱朱しゅ雀雀じゃかにににしてしてして、、、遂遂ついににに斬斬きららられれれにににけりけりけり。。。
- 25嫡嫡ちゃく子子し加加か賀賀がののの守守かみ師師もろ高高たかははは闕闕けっ官官かんせせせられられられててて、、、尾尾お張張はりののの井井い戸戸ど田田だへへへ流流ながささされれれたりたりたりしししををを、、、同同おなじきじきじき國國くにののの住住じゅう人人にん小小お胡胡ぐ麻麻まののの郡郡ぐん司司じ維維これ季季すえににに仰仰おおせせせててて、、、討討うたたたせせせらるらるらる。。。次次じ男男なん近近こん藤藤どう判判ほう官官がん師師もろ經經つねをををばばば、、、獄獄ごくよりよりより引引ひき出出いだいいいててて誅誅ちゅうせせせらるらるらる。。。そのそのその弟弟おとうと左左さ衞衞え門門もんののの尉尉じょう師師もろ平平ひら、、、郎郎ろう黨黨どう三三さん人人にんをををももも、、、同同おなじうじうじゅう頭頭こうべををを刎刎はねねねられられられけりけりけり。。。これらこれらこれらはははみなみなみな、、、いひがひいひがひいいがいなきなきなき者者ものののの秀秀ひいでででててて、、、いろふいろふいろうまじきまじきまじき事事ことをををのみのみのみいろひいろひいろい、、、過過あやまたたたぬぬぬ天天てん台台だい座座ざ主主す、、、流流る罪罪ざいににに申申もうししし行行おこなひひい、、、果果か報報ほうやややつきつきつきにににけんけんけん、、、山山さん王王おう大大だい師師しののの神神しん罰罰ばつ、、、冥冥みょう罰罰ばつをををたちどころたちどころたちどころににに蒙蒙こうぶつつっててて、、、斯斯かかるかるかる憂憂うききき目目めにににあへあへあえりりりけりけりけり。。。
現代語訳
そうしているうちに、延暦寺の衆徒が前座主を奪い返し申したことを法皇がお聞きになって、ますます穏やかでなくお思いになっていたところに、西光法師が申すには、「昔から延暦寺の衆徒は、押しかけて乱暴な訴えをすることは今に始まったことではないとはいいながら、今度はもってのほかに分を越えております。よくよくご処置ください。これらをお咎めにならなければ、今後は世の中が世の中として立ち行きますまい」と申した。
たった今わが身が滅びることも顧みず、山王大師の神慮も恐れず、このように申して法皇のお心を悩まし申し上げた。「讒臣は国を乱す」という。本当に、「蘭の群れが茂ろうとしても秋風がこれを破り、王者が明らかであろうとしても讒臣がこれを暗くする」とは、このようなことを言うのであろう。
新大納言成親卿以下の近臣たちに命じて、法皇が比叡山をお攻めになるらしいと聞こえたので、延暦寺の衆徒の中にも、王の土地に生まれて勅命に逆らうのも恐れ多いということで、内々に院宣に従い申す衆徒もいるなどと聞こえたので、
前座主は東塔の南谷の妙光坊においでになったが、衆徒に二心があるとお聞きになって、またどのようなつらい目にあうのだろうかと、心細そうにおっしゃった。けれども流罪の処置はなかった。
そうしているうちに新大納言は、延暦寺の騒動のために、平家への個人的な恨みはしばらく抑えておられた。そもそも内々の相談や準備はいろいろしていたけれども、見せかけの勢いばかりで、この謀反が成功しそうにも見えなかったので、あれほど頼りにされていた多田蔵人行綱は、この事は無益だと思う心がついたのであろうか、
弓袋の材料にといって送られた布を、直垂やかたびらに裁ち縫わせて、家の子や郎等に着せながら、目をしばたたいて考えていたが、よくよく平家の繁栄する有様を見ると、今はたやすく倒せそうにない。もしこの事が漏れたなら、行綱がまっ先に殺されるだろう。他人の口から漏れないうちに寝返って、命を助かろうと思う心がついてしまった。
同じ月の二十九日の夜更けに、入道相国の西八条の邸に参って、「行綱が申し上げたいことがあって、ここまで参りました」と取り次ぎを頼んだので、入道は「いつもは来ない者が来たのは何事だ。行って聞いてこい」といって、主馬判官盛国を出された。
行綱が「決して人づてには申し上げられないことです」と言うので、入道は「それなら」といって、自ら中門の廊にお出になった。「夜もずいぶん更けたであろうに、どうして今ごろ、何事だ」とおっしゃると、「昼は人目が多うございますので、夜に紛れて参りました。このごろ院の近臣の人々が武具を整え、兵を集めておられることを、どのようにお聞きになっておられますか」。
入道は「さてね。それは法皇が比叡山をお攻めになるご計画と聞いている」と、いかにも事もなげにおっしゃった。行綱は近く寄って小声になり、「そうではございません。もっぱら平家の御身の上のことと承っております」。入道「それで、それを法皇もご存じなのか」。「言うまでもございません。執事の別当成親卿が兵を集められたときも、院宣といって召されたのです。康頼がこう申して、俊寛がこう申して、西光がこうふるまって」などと、ありのままよりも大げさに言い散らして、自分はおいとまするといって出たので、
そのとき入道は大声で侍どもを呼び立てられることがおびただしかった。行綱はなまじっかなことを申し出て、証人として引き出されるのではないかと恐ろしさに、人も追ってこないのに袴の裾を取って、広野に火を放ったような気持ちで、急いで門外へ逃げ出した。
その後入道は筑後守貞能を呼んで、「平家を倒そうとする謀反の者どもが、京中に満ちているそうだ。急いで一門の人々にも知らせ、侍どもを集めよ」とおっしゃると、貞能は駆け回って触れ回った。右大将宗盛、三位中将知盛、頭中将重衡、左馬頭行盛以下の一門の人々が、甲冑を着け弓矢を持って集まった。そのほかの侍どもも雲霞のように駆け集まって、その夜のうちに入道相国の西八条の邸には、兵が六、七千騎もいるかと見えた。
夜が明けると六月一日であった。まだ暗いうちに、入道相国は安倍資成を呼んで、「院の御所へ参り、大膳大夫信成を呼び出して、きっぱりと申し上げることはだな、『新大納言成親卿以下の近臣たちが、この一門を滅ぼして天下を乱そうとする謀反の企てがある。一人一人捕らえて取り調べいたします。それについては君もご関知なさいませぬように』と申せ」とおっしゃった。
資成は急いで院の御所に駆けつけ、信成を招いてこのことを申すと、信成は顔色を失った。すぐに御前に参ってこのことを奏上すると、法皇は「ああ、もう、これらが内々にたくらんでいたことが漏れたのだな。それにしてもこれはどうしたことだ」とだけおっしゃって、はっきりしたお返事もなかった。
資成が急いで走り帰ってこのことを申すと、入道は「やはり行綱は本当のことを申したのだ。行綱がこのことを知らせなかったら、浄海は無事でいられただろうか」といって、筑後守貞能・飛騨守景家を呼んで、平家を倒そうとする謀反の者どもを一人一人捕らえるよう命じられた。そこで二百余騎、三百余騎が、あちらこちらに押し寄せては捕らえた。
入道相国はまず雑色を使いとして、中御門烏丸の新大納言の宿所へ、「すぐにお立ち寄りください。ご相談したいことがございます」と言い送られたので、大納言は自分の身の上のこととは少しも知らず、「ああこれは、法皇が比叡山をお攻めになるご計画があるのを、おなだめ申そうというのだろう。お怒りは深いようだ。どうしても無理だろうに」と思って、柔らかに着ならした布衣をしなやかに着こなし、鮮やかな車に乗り、侍を三、四人連れて、雑色・牛飼に至るまで、いつもよりいっそう身なりを整えておられた。それが最後の姿とは、後になって思い知られたのであった。
西八条の近くまで来てご覧になると、四、五町にわたって兵が満ちあふれている。ああおびただしい、これは何事だろうと胸騒ぎがされたけれども、門前で車から降りて門の中へ入ってご覧になると、中にも兵どもがすき間もないほど並んでいた。
中門の入口には恐ろしげな者どもが大勢待ち受け申していて、大納言を捕らえて引っ張り、「縛りましょうか」と申したので、入道が簾の中からご覧になって「それには及ばない」とおっしゃると、侍ども十四、五人が前後左右を取り囲み、大納言の手を取って縁の上へ引き上げ申し、一間の部屋に押し込め申してしまった。大納言は夢のような気持ちで、まったく何もわからなくなっておられた。お供の侍どもは大勢に押し隔てられて、散り散りになってしまった。雑色や牛飼は顔色を失い、牛も車も捨てて、みな逃げ去った。
そうしているうちに、近江中将入道蓮浄、法勝寺の執行俊寛僧都、山城守基兼、式部大輔正綱、平判官康頼、宗判官信房、新平判官資行も捕らえられて連れて来られた。
西光法師はこのことを聞いて、わが身の上のことと思ったのであろう、馬に鞭を打って急いで院の御所へ参ろうとした。六波羅の兵どもが道で行き合って、「西八条殿からお召しだぞ。すぐに参れ」と言ったので、「これは奏上すべきことがあって院の御所へ参るところだ。すぐに帰って参ろう」と言うと、「憎らしい入道め、何を奏上しようというのか」といって、馬から引きずり下ろし、宙づりに縛って西八条殿へ下げて参った。
事の初めからの張本人であったので、特に厳しく縛って、御庭の内に引き据えた。入道相国は大床に立って、しばらくにらみつけ、「ああ憎い、平家を倒そうとする謀反人の成れの果ての姿よ。そやつをここへ引き寄せよ」といって、縁の際へ引き寄せさせ、履物をはいたまま、その顔をむずむずと踏みつけられた。
「もともとおまえらのような下賤の者の果てを、君がお召し使いになって、つけてはならない官職につけてやり、父子ともに分に過ぎたふるまいをすると見ていたら、案の定、罪もない天台座主を流罪にさせ、そのうえ平家を倒そうとする謀反の者どもに加わったのだ。ありのままに申せ」とおっしゃった。
西光はもともと並外れた豪胆な者であったので、少しも顔色を変えず、悪びれた様子もなく、座り直してあざ笑って申すには、「院の近くに召し使われる身ですから、執事の別当成親卿が兵を集められたことにも、加わらなかったとは申せません。それは加わりました。ただし、耳に障ることをおっしゃるものですな。他人の前ではどうか知らないが、この西光の聞くところでは、そのようなことはおっしゃれますまい。
そもそもあなたは、故刑部卿忠盛の嫡子でいらっしゃったが、十四、五までは出仕もなさらず、故中御門藤中納言家成卿のあたりに出入りしておられたのを、京の若者たちは例の『高平太』と呼んでいたではありませんか。それを保延のころ、海賊の首領三十余人を捕らえて差し出された褒美に四位に叙せられて、四位の兵衛佐と申したのでさえ、人はみな分に過ぎたことだと言い合っていた。殿上の交わりさえ嫌われた人の子孫で、今太政大臣にまで成り上がったことこそ分に過ぎたことでしょう。もともと侍程度の者が受領や検非違使になることは、先例も法例もないわけではない。どうして分に過ぎたことがあろうか」と、遠慮もなく言い散らしたので、
入道相国はあまりの怒りに腹が据えかねて、しばらくは何もおっしゃらない。しばらくして入道がおっしゃるには、「そやつの首を簡単に斬るな。よくよく問いただして事の次第を尋ね、その後河原へ引き出して首をはねよ」とおっしゃった。松浦太郎重俊が承って、手足を挟み、さまざまにして拷問した。西光はもともと言い争うこともなかったうえに、拷問は厳しかったので、白状は四、五枚に記されて、その後「口を裂け」といって口を裂かれ、五条西の朱雀でついに斬られてしまった。
嫡子の加賀守師高は解官されて尾張の井戸田へ流されていたのを、同じ国の住人の小胡麻郡司維季に命じて討たせられた。次男の近藤判官師経は、獄から引き出して殺された。その弟の左衛門尉師平と郎等三人も、同じく首をはねられた。これらはみな、取るに足らない者が出世して、口出しすべきでないことにばかり口出しし、罪もない天台座主を流罪にさせて、果報も尽きたのであろう、山王大師の神罰・冥罰をたちどころに受けて、このようなつらい目にあったのである。
意訳
鹿ケ谷の陰謀が露見する章段である。延暦寺攻めをめぐる騒ぎで謀議が滞るなか、一方の大将として頼みにされていた多田行綱は、平家の勢いを見て勝ち目がないと考え、自分が先に殺されることを恐れて清盛に密告する。もらった布を直垂に仕立てて郎等に着せながら「目うちしばたたいて」考えこむ姿や、密告の後に「大野に火を放ちたる心地して」逃げ出す姿は、裏切りに踏み切った小心な人物を生き生きと描いている。
清盛はただちに一門と兵を集め、院に通告したうえで、成親を西八条に呼び寄せて捕らえる。何も知らずにいつもより身なりを整えて出かけた成親の姿は、「そも最後とは、後にこそ思ひ知られけれ」と哀れを誘う。一方、捕らえられた西光は、清盛に顔を踏みつけられても屈せず、若いころの清盛が「高平太」とあざけられていたことまで持ち出して、平家の出世こそ過分だと言い返す。物語は、その剛胆さを描きつつ、天台座主を陥れた報いとして、西光父子がそろって殺されたことを山王の神罰と結んでいる。
語釈・文法注
- 高平太
- 若いころの清盛のあだ名。高い足駄をはいていたからとも、背が高かったからともいう。
文法
- 「叢蘭茂らんとすれども、秋の風これをやぶり」
- 『貞観政要』などに見える句で、讒臣が賢王の明を曇らせることのたとえ。
- 「かへり忠して命生かう」
- 「かへり忠」は、味方を裏切って敵に忠義を尽くすこと。寝返り。「生かう」は「生かむ」のウ音便。
- 「いさとよ」
- 「いさ」は、さあ(どうだか)、と答えをはぐらかす語。
- 「しや馬より取つて引落し」
- 「しや」は、ののしって言う接頭語。
- 「しやつらをむず〳〵とぞ蹈まれける」
- 「しやつら」は「しや面」で、顔をののしっていう。「むずむず」は、力をこめて踏みつけるさま。
解説
鹿ケ谷事件は、治承元年(1177)六月一日に発覚した。多田行綱の密告によって清盛は西光を捕らえて拷問し、白状を得たうえで斬った。成親は備前に流され、俊寛・康頼・成経は鬼界が島に流された。後白河法皇の関与は明らかであったが、清盛は法皇の処罰には踏み切らなかった。
西光(藤原師光)は、もとは信西に仕えた阿波の在庁官人の出身で、信西の死後に出家し、後白河院の側近として権勢をふるった。清盛に向かって「高平太」と言い放つ場面は、出自の低い者どうしが互いの成り上がりをなじり合う場面としても読まれている。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、306–313頁(コマ182–185)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日