平家物語 巻第二
一行阿闍梨の事
衆徒は明雲を東塔の妙光坊に迎え入れる。思いがけない災難は権化の人も免れないものだとして、唐の一行阿闍梨が楊貴妃との無実の噂によって果羅国へ流され、暗穴道をさまよったとき、天が九曜の姿を現して守り、それを写したのが九曜曼荼羅であるという故事が語られる。
- 1大大だい衆衆しゅ先先せん座座ざ主主すをををばばば東東とう塔塔とうののの南南みなみ谷谷だに、、、妙妙みょう光光こう坊坊ぼうににに入入いれれれ奉奉たてまつるるる。。。時時ときののの横横おう災災さいをををばばば、、、權權ごん化化けののの人人ひとももも免免まぬかれれれ給給たまははわざりざりざりけるけるけるにににややや。。。
- 2むかしむかしむかし唐唐もろ土土こしののの一一いち行行ぎょう阿阿あ闍闍じゃははは、、、玄玄げん宗宗そう皇皇こう帝帝ていののの御御ご持持じ僧僧そうにににててておはしおはしおわしけるけるけるががが、、、玄玄げん宗宗そうののの后后きさき楊楊よう貴貴き妃妃ひににに名名なををを立立たちちち給給たまへへえりりり。。。昔昔むかしももも今今いまももも、、、大大たい國國こくももも小小しょう國國こくももも、、、人人ひとののの口口くちのののさがなささがなささがなさははは、、、跡跡あと方方かたもももなきなきなき事事ことなりなりなりしかしかしかどもどもども、、、そのそのその疑疑うたがひひいににに依依よつつっててて、、、果果か羅羅ら國國こくへへへ流流ながささされれれさせさせさせ給給たまふふう。。。
- 3件件くだんののの國國くにへへへははは三三みつつつののの道道みちありありあり、、、輪輪りん地地ち道道どうとてとてとて御御ご幸幸こう道道みち、、、幽幽ゆう地地ち道道どうとてとてとて雜雜ぞう人人にんののの通通かよふふう道道みち、、、暗暗あん穴穴けつ道道どうとてとてとて重重じゅう科科かののの者者ものををを遣遣つかはすはすわす道道みちなりなりなり。。。さればさればさればかのかのかの一一いち行行ぎょう阿阿あ闍闍じゃ梨梨りははは大大だい犯犯ぼんののの人人ひとなれなれなればばばとてとてとて、、、暗暗あん穴穴けつ道道どうへへへぞぞぞ遣遣つかはさはさわされれれけるけるける。。。七七なの日日か七七な夜夜よががが間間あいだ、、、月月じつ日日げつののの光光ひかりももも見見みずずずしてしてして行行ゆくくく所所ところなりなりなり。。。
- 4冥冥みょう々々みょうとととしてしてして人人ひともももなくなくなく、、、江江こう浦浦ほににに前前ぜん途途ど迷迷まよひひい、、、森森しん々々しんとととしてしてして山山やま深深ふかししし、、、たゞたゞただ澗澗かん谷谷こくににに鳥鳥とりののの一一ひと聲聲こえばかりばかりばかりにににててて、、、苔苔こけのののぬれぬれぬれ衣衣ぎぬほしほしほしあへあへあえずずず、、、無無む實實じつののの罪罪つみににに依依よつつっててて、、、遠遠おん流流るののの重重じゅう科科かををを蒙蒙こうぶりりり給給たまふふうことことことををを、、、天天てん道道どう憐憐あわれみみみ給給たまひひいててて、、、九九く曜曜ようののの象象かたちををを現現げんじじじつゝつゝつつ、、、一一いち行行ぎょう阿阿あ闍闍じゃ梨梨りををを守守まもりりり給給たまふふう。。。
- 5時時ときににに一一いち行行ぎょう右右みぎののの指指ゆびをををくひくひくい切切きりりり、、、左左ひだりののの袂袂たもとににに九九く曜曜ようののの象象かたちをををうつさうつさうつされれれけりけりけり。。。和和わ漢漢かん兩兩りょう朝朝ちょうににに眞眞しん言言ごんののの本本ほん尊尊ぞんたるたるたる、、、九九く曜曜ようののの曼曼まん陀陀だ羅羅らこれこれこれなりなりなり。。。
現代語訳
衆徒は前座主を東塔の南谷の妙光坊にお入れ申した。思いがけない災難は、仏の化身のような人でも免れることはおできにならないのであろうか。
昔、中国の一行阿闍梨は玄宗皇帝の護持僧でいらっしゃったが、玄宗の后の楊貴妃と浮き名を立てられた。昔も今も、大国も小国も、人の口の悪さは根も葉もないことであったけれども、その疑いによって果羅国へ流されなさった。
その国へは三つの道がある。輪地道といって天子の行幸の道、幽地道といって身分の低い人の通う道、暗穴道といって重罪の者を送る道である。それであの一行阿闍梨は大罪人だということで、暗穴道へ送られた。七日七夜のあいだ、月日の光も見ずに行く所である。
暗くて人もなく、入り江で行く手に迷い、木々が茂って山は深く、ただ谷間に鳥の一声が聞こえるばかりで、苔のような粗末なぬれた衣を干すこともできない。無実の罪で遠流の重い罰を受けられたことを、天の神が憐れまれて、九曜の星の姿を現して一行阿闍梨をお守りになった。
そのとき一行は右の指を食い切って、左の袂に九曜の姿を写された。日本と中国の両国で真言の本尊となっている九曜曼荼羅がこれである。
意訳
奪い返された明雲が東塔の妙光坊に入ったことを述べたうえで、無実の罪で流された高僧の例として、唐の一行阿闍梨の故事を語る短い章段である。楊貴妃との噂という根も葉もない疑いで、光もない暗穴道を流された一行を天が憐れみ、九曜の姿を現して守ったという話は、明雲の配流もまた無実の罪であることを暗に示している。
一行が自らの指を食い切って、その血で袂に九曜の姿を写したという結びは、受難の中から信仰の対象が生まれたという由来譚になっている。明雲の受難を語る直前の章段と、次の西光の処刑の章段との間に置かれ、物語に一息つかせる挿話である。
語釈・文法注
- 一行阿闍梨
- 唐の僧一行(683〜727)。密教と天文暦学に通じ、大衍暦を作った。楊貴妃との噂で流されたという話は史実ではなく、日本で伝えられた説話である。
文法
- 「時の横災をば、權化の人も免れ給はざりけるにや」
- 「にや」の後に「あらむ」などが省略された形。仏の化身でも免れないのであろうか、の意。
- 「名を立ち給へり」
- 浮き名を立てられた、の意。
解説
一行阿闍梨の果羅国配流の話は、『平家物語』のほかに『宝物集』などにも見える説話で、九曜曼荼羅の由来として伝えられていた。九曜は、日・月・火・水・木・金・土の七曜に羅睺・計都を加えた九つの星で、その曼荼羅は息災などを祈る星供の本尊とされた。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、306頁(コマ182)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日