古典ライブラリー

平家物語 巻第一

内裏炎上の事

神輿は祇園社に移されるが、神輿を射たことに怒った衆徒は再び下洛の構えを見せ、天皇は法住寺殿に避難する。平時忠は一紙の文で衆徒の怒りを鎮め、師高は流罪、神輿を射た重盛の侍たちは投獄される。その直後、樋口富小路から出た火が京中と大内裏を焼き尽くし、人々は山王の神罰と噂した。

  1. 1夕ゆふべ夕ゆふべゆうべににに及およ及およおよんんんででで藏くら藏くらくら人うど人うどうどののの左さ左ささ少せう少せうしょう辨べん辨べんべん兼かね兼かねかね光みつ光みつみつににに仰おほ仰おほおおせせせててて、、、院ゐん院ゐんいんののの殿てん殿てんてん上じやう上じやうじょうにににててて、、、俄にはか俄にはかにはかににに公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう僉せん僉せんせん議ぎ議ぎぎありありありけりけりけり。。。去さ去ささんんんぬるぬるぬる保ほう保ほうほう安あん安あんあん四し四しし年ねん年ねんねん四し四しし月ぐわつ月ぐわつがつににに神しん神しんしん輿よ輿よよ入じゆ入じゆじゅ洛らく洛らくらくののの時とき時ときときははは、、、座ざ座ざざ主す主すすににに仰おほ仰おほおおせせせててて、、、赤せき赤せきせき山さん山さんさんののの社やしろ社やしろやしろへへへ入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。またまたまた保ほう保ほうほう延えん延えんえん四し四しし年ねん年ねんねん七しち七しちしち月ぐわつ月ぐわつがつににに神しん神しんしん輿よ輿よよ入じゆ入じゆじゅ洛らく洛らくらくののの時とき時ときときははは、、、祇ぎ祇ぎぎ園をん園をんおんののの別べつ別べつべっ當たう當たうとうににに仰おほ仰おほおおせせせててて、、、祇ぎ祇ぎぎ園をん園をんおんののの社やしろ社やしろやしろへへへ入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららるるる。。。
  2. 2今こん今こんこん度ど度どどももも保ほう保ほうほう延えん延えんえんののの例れい例れいれいたるたるたるべしべしべしとてとてとて、、、祇ぎ祇ぎぎ園をん園をんおんののの別べつ別べつべっ當たう當たうとう權ごん權ごんごんののの大だい大だいだい僧そう僧そうそう都づ都づず澄ちよう澄ちようちょう憲けん憲けんけんににに仰おほ仰おほおおせせせ、、、秉へい秉へいへい燭しよく燭しよくしょくににに及およ及およおよんんんででで祇ぎ祇ぎぎ園をん園をんおんののの社やしろ社やしろやしろへへへ入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららるるる。。。神しん神しんしん輿よ輿よよににに立た立たたつつつ所ところ所ところところののの矢や矢ややをををばばば、、、神じん神じんじん人にん人にんにんしてしてしてこれこれこれををを拔ぬ拔ぬぬかかかせせせらるらるらる。。。
  3. 3昔むかし昔むかしむかしよりよりより山さん山さんさん門もん門もんもんののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ、、、神しん神しんしん輿よ輿よよををを陣ぢん陣ぢんじん頭とう頭とうとうへへへ振ふ振ふふりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつるるることことことははは、、、去さ去ささんんんぬるぬるぬる永えい永えいえい久きう久きうきゅうよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、治ぢ治ぢじ承しよう承しようしょうまでまでまでははは六ろく六ろくろく個か個かか度ど度どどなりなりなり。。。されどもされどもされども毎まい毎まいまい度ど度どどににに武ぶ武ぶぶ士し士ししににに仰おほ仰おほおおせせせててて拒ふせ拒ふせふせがががせせせらるゝらるゝらるるににに、、、神しん神しんしん輿よ輿よよ射い射いい奉たてまつ奉たてまつたてまつるるることことことははは、、、これこれこれはじめはじめはじめとととぞぞぞ承うけたまは承うけたまはうけたまわるるる。。。靈れい靈れいれい神じん神じんじん怒いか怒いかいかりりりをををなせなせなせばばば、、、災さい災さいさい害がい害がいがい巷ちまた巷ちまたちまたににに滿み滿みみつつつととといへいへいえりりり、、、恐おそ恐おそおそろし〳〵ろし〳〵ろしおそろしとととぞぞぞ、、、各おのおの各おのおのおのおのににに宣のたま宣のたまのたまひひい合あ合ああははわれれれけるけるける。。。
  4. 4同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう四よ四よよ日か日かかののの夜や夜やや半はん半はんはんばかりばかりばかり、、、山さん山さんさん門もん門もんもんののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ、、、またまたまた夥おびたゞ夥おびたゞおびただしうしうしゅう下げ下げげ洛らく洛らくらくすすすととと聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうははは夜よ夜よよ中なか中なかなかににに腰えう腰えうようににに召め召めめしししててて、、、院ゐん院ゐんいんののの御ご御ごご所しよ所しよしょ法ほふ法ほふほう住ぢゆう住ぢゆうじゅう寺じ寺じじ殿どの殿どのどのへへへ行ぎやう行ぎやうぎょう幸かう幸かうこうなるなるなる。。。中ちゆう中ちゆうちゅう宮ぐう宮ぐうぐう、、、宮みや宮みやみや々みや々みやみやははは、、、御おん御おんおん車くるま車くるまくるまににに奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりててて、、、他た他たた所しよ所しよしょへへへ行ぎやう行ぎやうぎょう啓けい啓けいけいありありありけりけりけり。。。
  5. 5關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱく殿どの殿どのどのををを始はじ始はじはじめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、太だい太だいだい政じやう政じやうじょう大だい大だいだい臣じん臣じんじん以い以いい下げ下げげののの卿けい卿けいけい相しやう相しやうしょう雲うん雲うんうん客かく客かくかくわれわれわれも〳〵も〳〵もわれもととと供ぐ供ぐぐ奉ぶ奉ぶぶせせせらるらるらる。。。小こ小ここ松まつ松まつまつののの大おと大おとおと臣ど臣どどははは直なほ直なほなお衣し衣ししににに矢や矢やや負お負おおうううててて供ぐ供ぐぐ奉ぶ奉ぶぶせせせらるらるらる。。。嫡ちやく嫡ちやくちゃく子し子しし權ごん權ごんごんののの佐すけ佐すけすけ少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう維これ維これこれ盛もり盛もりもりははは束そく束そくそく帶たい帶たいたいににに平ひら平ひらひら箙やなぐひ箙やなぐひやなぐい負お負おおうううてててぞぞぞ参まゐ参まゐまいららられれれけるけるける。。。およそおよそおよそ禁きん禁きんきん中ちゆう中ちゆうちゅうののの上じやう上じやうじょう下げ下げげ、、、京きやう京きやうきょう中ぢゆう中ぢゆうじゅうののの貴き貴きき賤せん賤せんせん、、、騒さわ騒さわさわぎぎぎのゝしるのゝしるののしることことこと夥おびたゞ夥おびたゞおびただししし。。。
  6. 6されどもされどもされども山さん山さんさん門もん門もんもんにににははは、、、神しん神しんしん輿よ輿よよににに矢や矢やや立た立たたちちち、、、神じん神じんじん人にん人にんにん、、、宮みや宮みやみや仕じ仕じじ、、、射い射いい殺ころ殺ころころささされれれ、、、衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒とと多おほ多おほおおくくく傷きず傷きずきずををを被かうぶ被かうぶこうぶりりりたりたりたりしかしかしかばばば、、、大おほ大おほおお宮みや宮みやみや、、、二に二にに宮のみや宮のみやのみや以い以いい下げ下げげ、、、講かう講かうこう堂だう堂だうどう、、、中ちゆう中ちゆうちゅう堂だう堂だうどう、、、すべてすべてすべて諸しよ諸しよしょ堂だう堂だうどう、、、一いち一いちいち宇う宇ううももも殘のこ殘のこのこさささずずず、、、みなみなみな燒や燒ややききき拂はら拂はらはらつつっててて、、、山さん山さんさん野や野ややにににまじはるまじはるまじわるべきべきべき由よし由よしよし、、、三さん三さんさん千ぜん千ぜんぜん一いち一いちいち同どう同どうどうににに僉せん僉せんせん議ぎ議ぎぎすすす。。。
  7. 7これこれこれににに依よ依よよつつっててて大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅののの申まう申まうもうすすす所ところ所ところところ、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう御おん御おんおんはからひはからひはからいあるあるあるべしべしべしととと聞きこ聞きこきこえええししし程ほど程ほどほどににに、、、山さん山さんさん門もん門もんもんののの上じやう上じやうじょう綱かう綱かうこう等ら等らら、、、仔し仔しし細さい細さいさいををを衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒ととににに觸ふ觸ふふれれれんんんとてとてとて、、、登とう登とうとう山ざん山ざんざんしししたりたりたりけるけるけるををを、、、大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ西にし西にしにし坂さか坂さかさか本もと本もともとにににおりおりおり下くだ下くだくだりりりててて、、、皆みな皆みなみな追お追おおつつっかへすかへすかえす。。。
  8. 8平へい平へいへい大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん時とき時ときとき忠ただ忠ただただののの卿きやう卿きやうきょう、、、そのそのその時とき時ときときははは未いま未いまいまだだだ左さ左ささ衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみにににててておはしおはしおわしけるけるけるががが、、、上しやう上しやうしょうににに立た立たたつつつ。。。大だい大だいだい講かう講かうこう堂だう堂だうどうののの庭には庭にはにはににに三さん三さんさん塔たふ塔たふとう會くわい會くわいかい合がふ合がふごうしししててて、、、「「「上しやう上しやうしょう卿けい卿けいけいををを取と取ととつつってててひつぱりひつぱりひっぱり、、、しやしやしや冠かうぶり冠かうぶりこうぶりををを打うち打うちうち落おと落おとおとししし、、、そのそのその身み身みみををを搦から搦からからめめめててて湖みづうみ湖みづうみみずうみににに沈しづ沈しづしずめめめよよよ。。。」」」などなどなどぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。
  9. 9既すで既すですでにににかうかうこうととと見み見みみえええししし時とき時ときとき、、、時とき時ときとき忠ただ忠ただただののの卿きやう卿きやうきょう、、、大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅののの中なか中なかなかへへへ使し使しし者しや者しやしゃををを立た立たたてててててて、、、「「「暫しばら暫しばらしばらくくく鎭しづ鎭しづしずまらまらまられれれ候さふら候さふらそうらへへえ。。。衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒ととののの御おん御おんおん中なか中なかなかへへへ申まう申まうもうすすすべきべきべき事こと事ことことののの候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」とてとてとて、、、懷ふところ懷ふところふところよりよりより小こ小ここ硯すゞり硯すゞりすずり、、、疊たゝう疊たゝうたとう紙がみ紙がみがみとりとりとり出いだ出いだいだししし、、、一ひと一ひとひと筆ふで筆ふでふで書か書かかいいいててて大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅののの中なか中なかなかへへへ送おく送おくおくらららるるる。。。これこれこれををを開ひら開ひらひらいいいててて見み見みみるるるににに、、、「「「衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒ととののの濫らん濫らんらん惡あく惡あくあくをををいたすいたすいたすははは、、、ののの所しよ所しよしょ行ぎやう行ぎやうぎょうなりなりなり、、、明みやう明みやうみょう王わう王わうおうののの制せい制せいせい止し止ししををを加くは加くはくわふるふるうるははは、、、善ぜん善ぜんぜん逝せい逝せいせいののの加か加かか護ご護ごごなりなりなり。。。」」」とととこそこそこそ書か書かかかかかれれれたれたれたれ。。。
  10. 10これこれこれををを見み見みみててて、、、大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅひつぱるひつぱるひっぱるにににももも及およ及およおよばばばずずず、、、みなみなみな尤もつと尤もつともっとも〳〵も〳〵ももっともととと同どう同どうどうじじじててて、、、谷たに谷たにたに々だに々だにだにににに下お下おおりりり、、、坊ばう坊ばうぼう々ばう々ばうぼうへへへぞぞぞ入い入いいりりりにににけるけるける。。。一いつ一いついっ紙し紙しし一いつ一いついっ句く句くくををを以もつ以もつもっててて三さん三さんさん塔たふ塔たふとう三さん三さんさん千ぜん千ぜんぜんののの憤いきどほ憤いきどほいきどおりりりをををやすめやすめやすめ、、、公こう公こうこう私し私ししののの恥はぢ恥はぢはじをををももも遁のが遁のがのがれれれ給たま給たまたまひひいけんけんけん、、、時とき時ときとき忠ただ忠ただただののの卿きやう卿きやうきょうこそこそこそゆゝしけれゆゝしけれゆゆしけれ。。。山さん山さんさん門もん門もんもんののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅははは、、、發はつ發はつはっ向かう向かうこうのののみだりがはしきみだりがはしきみだりがわしき許ばか許ばかばかりりりかかかととと思おも思おもおもひひいぬれぬれぬればばば、、、理ことわり理ことわりことわりをををももも存ぞん存ぞんぞんじじじけりけりけりとととぞぞぞ、、、人ひと人ひとひと々びと々びとびと感かん感かんかんじじじ合あ合ああははわれれれけるけるける。。。
  11. 11同おな同おなおなじきじきじき二は二はは十つ十つつ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、花くわ花くわか山ざん山ざんざんののの院ゐん院ゐんいんののの權ごん權ごんごん中ちゆう中ちゆうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん忠ただ忠ただただ親ちか親ちかちかののの卿きやう卿きやうきょうををを上しやう上しやうしょう卿けい卿けいけいにににててて、、、國こく國こくこく司し司しし加か加かか賀が賀ががののの守かみ守かみかみ師もろ師もろもろ高たか高たかたかををを闕けつ闕けつけっ官くわん官くわんかんせせせられられられててて、、、尾を尾をお張はり張はりはりののの井ゐ井ゐい戸ど戸どど田だ田だだへへへ流なが流ながながさささるるる。。。弟おとうと弟おとうとおとうと近こん近こんこん藤どう藤どうどう判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん師もろ師もろもろ經つね經つねつねをををばばば禁きん禁きんきん獄ごく獄ごくごくせせせらるらるらる。。。又また又またまた去さ去ささんんんぬるぬるぬる十じふ十じふじゅう三さん三さんさん日にち日にちにち、、、神しん神しんしん輿よ輿よよ射い射いい奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりししし武ぶ武ぶぶ士し士しし六ろく六ろくろく人にん人にんにん、、、獄ごく獄ごくごく定ぢやう定ぢやうじょうせせせらるらるらる。。。これらこれらこれらはははみなみなみな小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどのののの侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいなりなりなり。。。
  12. 12同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう八はち八はちはち日にち日にちにちののの夜よ夜よよののの戌いぬ戌いぬいぬののの刻こく刻こくこくばかりばかりばかり、、、樋ひ樋ひひ口ぐち口ぐちぐち富とみ富とみとみののの小こう小こうこう路ぢ路ぢじよりよりより火ひ火ひひ出い出いいででで來きた來きたきたつつっててて、、、京きやう京きやうきょう中ぢゆう中ぢゆうじゅう多おほ多おほおおくくく燒や燒ややけけけにににけりけりけり。。。折をり折をりおりふしふしふし巽たつみ巽たつみたつみののの風かぜ風かぜかぜはげしくはげしくはげしく吹ふ吹ふふきききけれけれければばば、、、大おほ大おほおおきききなるなるなる車くるま車くるまくるま輪わ輪わわののの如ごと如ごとごとくくくなるなるなる炎ほのほ炎ほのほほのおががが、、、三さん三さんさん町ちやう町ちやうちょう五ご五ごご町ちやう町ちやうちょうををを隔へだ隔へだへだてててててて、、、乾いぬゐ乾いぬゐいぬいののの方かた方かたかたへへへすぢかひすぢかひすじかいににに飛と飛ととびびび越こ越ここえ〳〵え〳〵えこえ燒や燒ややけけけゆけゆけゆけばばば、、、恐おそ恐おそおそろしろしろしなどなどなどもももおろかおろかおろかなりなりなり。。。
  13. 13或あるい或あるいあるいははは具ぐ具ぐぐ平へい平へいへい親しん親しんしん王わう王わうのうののの千ち千ちち種ぐさ種ぐさぐさ殿どの殿どのどの、、、或あるい或あるいあるいははは北きた北きたきた野の野ののののの天てん天てんてん神じん神じんじんののの紅こう紅こうこう梅ばい梅ばいばい殿どの殿どのどの、、、橘きつ橘きつきつ逸いつ逸いついつ勢せい勢せいせいののの蠅はへ蠅はへはえ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどの、、、鬼おに鬼おにおに殿どの殿どのどの、、、高たか高たかたか松まつ松まつまつ殿どの殿どのどの、、、鴨かも鴨かもかも居ゐ居ゐい殿どの殿どのどの、、、東とう東とうとう三さん三さんさん條でう條でうじょう、、、冬ふゆ冬ふゆふゆ嗣つぎ嗣つぎつぎののの大おと大おとおと臣ど臣どどののの閑かん閑かんかん院ゐん院ゐんいん殿どの殿どのどの、、、昭せう昭せうしょう宣せん宣せんせん公こう公こうこうののの堀ほり堀ほりほり川かは川かはかわ殿どの殿どのどの、、、これこれこれををを始はじ始はじはじめめめててて、、、昔むかし昔むかしむかし今いま今いまいまののの名めい名めいめい所しよ所しよしょ三さん三さんさん十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ個か個かか所しよ所しよしょ、、、公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょうののの家いへ家いへいえだにだにだにももも、、、十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろく個か個かか所しよ所しよしょまでまでまで燒や燒ややけけけにににけりけりけり。。。そのそのその外ほか外ほかほか殿てん殿てんてん上じやう上じやうじょう人びと人びとびと、、、諸しよ諸しよしょ大だい大だいだい夫ぶ夫ぶぶののの家いへ家いへいえ々いへ々いへいえはははしるすしるすしるすににに及およ及およおよばばばずずず。。。
  14. 14はてはてはてははは大だい大だいだい内だい内だいだいににに吹ふ吹ふふきききつけつけつけててて、、、朱しゆ朱しゆしゅ雀じやく雀じやくじゃく門もん門もんもんよりよりより始はじ始はじはじめめめててて應おう應おうおう天てん天てんてん門もん門もんもん、、、會くわい會くわいかい昌しやう昌しやうしょう門もん門もんもん、、、大だい大だいだい極ごく極ごくごく殿でん殿でんでん、、、豐ぶ豐ぶぶ樂らく樂らくらく院ゐん院ゐんいん、、、諸しよ諸しよしょ司し司しし八はつ八はつはっ省しやう省しやうしょう、、、朝あい朝あいあい、、、一ひと一ひとひと時とき時ときときがががうちうちうちににに、、、みなみなみな灰くわい灰くわいかい燼じん燼じんじんののの地ち地ちちとととぞぞぞなりなりなりにににけるけるける。。。家いへ家いへいえ々いへ々いへいえののの日につ日につにっ記き記きき、、、代だい代だいだい々だい々だいだいののの文もん文もんもん書じよ書じよじょ、、、七しつ七しつしっ珍ちん珍ちんちん萬まん萬まんまん寶ぽう寶ぽうぽう、、、さながらさながらさながら塵ちり塵ちりちり灰はひ灰はひはいとととなりなりなりぬぬぬ。。。そのそのその間あひだ間あひだあいだのののつひえつひえついえいかばかりいかばかりいかばかりぞぞぞ。。。人ひと人ひとひとののの燒や燒ややけけけ死し死ししぬるぬるぬることことこと數すう數すうすう百ひやく百ひやくひゃく人にん人にんにん、、、牛ぎう牛ぎうぎゅう馬ば馬ばばののの類たぐひ類たぐひたぐい、、、數かず數かずかずををを知し知ししらららずずず。。。
  15. 15これこれこれたゞたゞただごとごとごとにににあらあらあらずずず。。。山さん山さんさん王わう王わうおうののの御おん御おんおん咎とが咎とがとがめめめとてとてとて、、、叡えい叡えいえい山ざん山ざんざんよりよりより大おほ大おほおおきききなるなるなる猿さる猿さるさるどもどもどもががが二に二にに三さん三さんさん千ぜん千ぜんぜんおりおりおり下くだ下くだくだりりり、、、手て手ててんんん手で手ででににに松たい松たいたい火まつ火まつまつをををともいともいともいててて京きやう京きやうきょう中ぢゆう中ぢゆうじゅうををを燒や燒ややくくくとととぞぞぞ、、、人ひと人ひとひとののの夢ゆめ夢ゆめゆめにににははは見み見みみえええたりたりたりけるけるける。。。
  16. 16大だい大だいだい極ごく極ごくごく殿でん殿でんでんははは淸せい淸せいせい和わ和わわ天てん天てんてん皇わう皇わうのうののの御ぎよ御ぎよぎょ宇う宇うう貞ぢやう貞ぢやうじょう觀ぐわん觀ぐわんがん十じふ十じふじゅう八はち八はちはち年ねん年ねんねんににに、、、始はじ始はじはじめめめててて燒や燒ややけけけたりたりたりけれけれければばば、、、同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう九く九くく年ねん年ねんねん正しやう正しやうしょう月ぐわつ月ぐわつがつ三みつ三みつみつ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、陽やう陽やうよう成ぜい成ぜいぜい院ゐん院ゐんいんののの御ご御ごご即そく即そくそく位ゐ位ゐいははは豐ぶ豐ぶぶ樂らく樂らくらく院ゐん院ゐんいんにににてててぞぞぞありありありけるけるける。。。元ぐわん元ぐわんがん慶ぎやう慶ぎやうぎょう元ぐわん元ぐわんがん年ねん年ねんねん四し四しし月ぐわつ月ぐわつがつ九ここの九ここのここの日か日かかののの日ひ日ひひ、、、事こと事ことこと始はじ始はじはじめめめあつあつあっててて、、、同おな同おなおなじきじきじき二に二にに年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう月ぐわつ月ぐわつがつ八やう八やうよう日か日かかののの日ひ日ひひぞぞぞ造つく造つくつくりりり出いだ出いだいだささされれれたりたりたりけるけるける。。。
  17. 17後ご後ごご冷れい冷れいれい泉ぜい泉ぜいぜい院ゐん院ゐんいんののの御ぎよ御ぎよぎょ宇う宇うう天てん天てんてん喜ぎ喜ぎぎ五ご五ごご年ねん年ねんねん二に二にに月ぐわつ月ぐわつがつ二に二にに十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろく日にち日にちにち、、、またまたまた燒や燒ややけけけにににけりけりけり。。。治ぢ治ぢじ曆りやく曆りやくりやく四し四しし年ねん年ねんねん八はち八はちはち月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう四よ四よよ日か日かかににに事こと事ことこと始はじ始はじはじめめめありありありしかしかしかどもどもども、、、いまだいまだいまだ造つく造つくつくりりりももも出いだ出いだいだささされれれずずずしてしてして、、、後ご後ごご冷れい冷れいれい泉ぜい泉ぜいぜい院ゐん院ゐんいん崩ほう崩ほうほう御ぎよ御ぎよぎょなりなりなりぬぬぬ。。。御ご御ごご三さん三さんさん條でう條でうじょうののの院ゐん院ゐんいんののの御ぎよ御ぎよぎょ宇う宇うう、、、延えん延えんえん久きう久きうきゅう四し四しし年ねん年ねんねん四し四しし月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう五ご五ごご日にち日にちにちににに造つく造つくつくりりり出いだ出いだいだささされれれててて、、、文ぶん文ぶんぶん人じん人じんじん詩し詩ししををを上たてまつ上たてまつたてまつりりり、、、伶れい伶れいれい人じん人じんじん樂がく樂がくがくををを奏そう奏そうそうしししててて遷せん遷せんせん幸かう幸かうこうなしなしなし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。今いま今いまいまははは世よ世よよ末すゑ末すゑすえににになつなつなっててて、、、國くに國くにくにののの力ちから力ちからちからもももみなみなみな衰おとろ衰おとろおとろへへえたれたれたればばば、、、そのそのその後のち後のちのちははは遂つひ遂つひついににに造つく造つくつくららられれれずずず。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

夕方になって、蔵人の左少弁兼光に命じて、院の殿上で急に公卿の会議があった。去る保安四年(1123)四月に神輿が入洛したときは、天台座主に命じて赤山の社へお入れした。また保延四年(1138)七月に神輿が入洛したときは、祇園の別当に命じて祇園社へお入れになった。

今度も保延の例にならうべきだということで、祇園の別当の権大僧都澄憲に命じて、灯をともすころに祇園社へお入れになった。神輿に立った矢は、神人に命じて抜かせられた。

昔から延暦寺の衆徒が神輿を陣頭に担ぎ込んだことは、去る永久年間からこのかた治承までに六度ある。けれども毎回武士に命じて防がせたものの、神輿に矢を射かけ申したのは、これが初めてだと聞く。「霊神が怒れば災害が巷に満ちるという。恐ろしい、恐ろしい」と、人々はめいめい語り合われた。

同じ月の十四日の夜半ごろ、延暦寺の衆徒がまたおびただしく京へ下ってくると聞こえたので、天皇は夜中に腰輿にお乗りになって、院の御所の法住寺殿へ行幸なさった。中宮や宮々は御車に乗られて、ほかの所へお移りになった。

関白殿をはじめとして、太政大臣以下の公卿・殿上人が、われもわれもとお供なさった。小松の大臣は直衣に矢を負ってお供なさった。嫡子の権佐少将維盛は、束帯に平箙を負って参られた。宮中の上下の人々も、京中の貴賤も、騒ぎたてることはおびただしかった。

けれども延暦寺では、神輿に矢が立ち、神人や宮仕が射殺され、衆徒の多くが傷を負ったので、大宮・二宮以下、講堂・中堂など、すべての堂を一つ残らず焼き払って、山野に身を隠そうと、三千の衆徒が一同に評議した。

そこで衆徒の申すところについては、法皇がおはからいになるだろうと聞こえていたので、延暦寺の高僧たちが、その事情を衆徒に知らせようとして登山したところ、衆徒は西坂本まで下りてきて、みな追い返した。

平大納言時忠卿は、そのときはまだ左衛門督でいらっしゃったが、上卿として遣わされた。大講堂の庭に三塔の衆徒が集まって、「上卿を捕らえて引っ張り、冠をたたき落とし、その身を縛って湖に沈めてしまえ」などと言った。

もはやこれまでと見えたとき、時忠卿は衆徒の中へ使者を立てて、「しばらくお静まりください。衆徒の方々に申し上げたいことがございます」と言って、懐から小硯と畳紙を取り出し、一筆書いて衆徒の中へ送られた。これを開いて見ると、「衆徒が乱暴をはたらくのは、魔縁のしわざである。明王(天皇)がそれを制止なさるのは、仏の加護である」と書かれていた。

これを見て、衆徒は時忠を引っ張るまでもなく、みな「もっともだ、もっともだ」と同意して、谷々に下り、それぞれの坊に入ってしまった。一枚の紙の一句で、三塔三千の衆徒の怒りを静め、公私の恥をも逃れられたのであろう、時忠卿こそたいしたものである。延暦寺の衆徒は、押しかけて乱暴をはたらくばかりかと思っていたが、道理もわきまえていたのだと、人々は感心し合われた。

同じ月の二十日、花山院の権中納言忠親卿を上卿として、国司加賀守師高を解官して、尾張の井戸田へ流された。弟の近藤判官師経は投獄された。また去る十三日に神輿を射申した武士六人も、獄に入れられた。これらはみな小松殿の侍である。

同じ月の二十八日の夜、戌の刻(午後八時ごろ)に、樋口富小路から火が出て、京中が多く焼けた。ちょうど東南の風が激しく吹いていたので、大きな車輪のような炎が、三町五町を隔てて、西北の方へ斜めに飛び越え飛び越え燃え広がっていくので、恐ろしいなどという言葉では言い尽くせない。

あるいは具平親王の千種殿、あるいは北野天神(菅原道真)の紅梅殿、橘逸勢の蠅松殿、鬼殿、高松殿、鴨居殿、東三条殿、冬嗣の大臣の閑院殿、昭宣公(藤原基経)の堀川殿をはじめとして、昔から今までの名所三十余か所、公卿の家だけでも十六か所まで焼けてしまった。そのほか殿上人や諸大夫の家々は、記すまでもない。

しまいには大内裏に吹きつけて、朱雀門をはじめ、応天門・会昌門・大極殿・豊楽院・諸司八省・朝所が、一時のうちにみな灰の地となってしまった。家々の日記、代々の文書、あらゆる財宝が、そっくり塵や灰になった。その損失はどれほどであろうか。焼け死んだ人は数百人、牛馬のたぐいは数も知れない。

これはただごとではない。山王のお咎めとして、比叡山から大きな猿が二、三千匹下りてきて、手に手に松明をともして京中を焼いたのだと、人の夢に見えたという。

大極殿は、清和天皇の御代の貞観十八年(876)に初めて焼けたので、翌十九年正月三日、陽成院の御即位は豊楽院で行われた。元慶元年(877)四月九日に再建工事が始まって、同二年十月八日に造り上げられた。

後冷泉院の御代、天喜五年(1057)二月二十六日にまた焼けた。治暦四年(1068)八月十四日に工事が始まったけれども、まだ造り上がらないうちに後冷泉院が崩御された。後三条院の御代、延久四年(1072)四月十五日に造り上げられて、文人が詩を献上し、楽人が楽を奏して天皇をお移し申し上げた。今は末の世になって、国の力もみな衰えたので、その後はついに再建されなかった。

意訳

巻第一の結びとなる章段である。神輿に矢を射かけた事件の後始末として、神輿を祇園社に移し、師高を流罪にするまでが語られる。延暦寺の衆徒は、山中の堂をすべて焼いて山を捨てるとまで息巻くが、交渉に赴いた平時忠が、「衆徒の乱暴は魔縁のしわざ、天皇の制止は仏の加護」という一句を書き送って、たちまち衆徒を納得させる。「この一門にあらざらん者は」の放言で知られた時忠の、機知と胆力が描かれている。

後半は、安元三年四月二十八日の大火である。「太郎焼亡」とも呼ばれるこの火事は、樋口富小路から出火して、東南の風にあおられ、貴族の名邸や大内裏の大極殿までを焼き尽くした。この火事は、『方丈記』に「安元の大火」として描かれているものと同じである。

物語は、この大火を山王の神罰として語る。比叡山から下りた猿たちが松明をともして都を焼いたという夢は、神輿を射たことへの報いを、人々がどのように受けとめたかを示している。そして最後に、大極殿がこれまで焼けるたびに再建されてきたことを述べたうえで、「その後は遂に造られず」と結ぶ。国の力の衰えを告げるこの一文は、王朝の世の終わりと、平家の時代の行く末とを暗示して、巻第一を閉じている。

語釈・文法注

腰輿
輿を担ぐ者が腰のあたりで支えて運ぶ輿。急な外出のときなどに用いた。
上卿
朝廷の儀式や政務を取りしきる公卿。ここでは延暦寺との交渉に遣わされた責任者。
魔厭
底本の表記。ふりがなは「まえん」で、仏道の妨げをする悪魔の意の「魔縁」の誤植と考えられる(「妓王が事」にも同じ表記がある)。
朝所
太政官の庁舎の一つで、公卿が会食などをした所。「あいたんどころ」と読む。

文法

「靈神怒りをなせば、災害巷に滿つ」
神が怒れば災いが世に満ちる、という古い言葉。
「既にかうと見えし時」
もうこれまで(時忠が捕らえられる)と見えたときに、の意。
「明王の制止を加ふるは、善逝の加護なり」
「明王」は賢明な君主、すなわち天皇。「善逝」は仏の十号の一つで、仏のこと。衆徒を悪魔にそそのかされた者として、天皇の制止を仏の加護と言いかえ、衆徒の面目を保ちながら矛を収めさせた。
「恐ろしなどもおろかなり」
恐ろしいなどという言葉では言い尽くせない、の意。
「御三條の院」
後三条天皇のこと。底本は「御三條」と刷っている。

解説

安元三年(1177)四月二十八日の大火は、樋口富小路から出火し、京の東南から西北へ燃え広がって、大内裏の大極殿・朱雀門・応天門などを焼いた。『方丈記』の作者鴨長明もこの火事を目撃し、「都のうち、三分が一に及べりとぞ」(流布本は「三分が二」)と記している。大極殿はこの後ついに再建されず、以後の即位式は紫宸殿や太政官庁で行われるようになった。

神輿に矢を射た武士が重盛の侍であったことは、平家にとって重大な汚点であった。物語は、平家が山王の神罰を招いたことをここで明らかにし、のちの平家の没落を神仏の報いとして描く伏線としている。巻第二では、この事件の責任を問われた天台座主明雲の配流と、鹿ケ谷の陰謀の露見へと物語が進んでいく。

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出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、295–298頁(コマ176–178)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日