古典ライブラリー

平家物語 巻第一

御輿振の事

安元三年四月、延暦寺の衆徒は日吉三社の神輿を内裏の陣頭へ振り上げる。手薄な北の門を守る源頼政は、神輿を拝したうえで使者の渡辺唱を送り、重盛の守る東の門から入るよう説く。衆徒は頼政の歌の名誉を思って引き返すが、待賢門で平家の武士たちが神輿に矢を射かけ、衆徒は神輿を捨てて山へ帰る。

  1. 1さるさるさる程ほど程ほどほどににに山さん山さんさん門もん門もんもんにににははは、、、國こく國こくこく司し司しし加か加かか賀が賀ががののの守かみ守かみかみ師もろ師もろもろ高たか高たかたかををを流る流るる罪ざい罪ざいざいににに處しよ處しよしょせせせられられられ、、、目もく目もくもく代だい代だいだい近こん近こんこん藤どう藤どうどう判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん師もろ師もろもろ經つね經つねつねををを禁きん禁きんきん獄ごく獄ごくごくせせせらるらるらるべきべきべき由よし由よしよし、、、奏そう奏そうそう聞もん聞もんもん度ど度どど々ど々どどににに及およ及およおよぶぶぶととといへいへいえどもどもども、、、御ご御ごご裁さい裁さいさい許きよ許きよきょなかりなかりなかりけれけれければばば、、、日ひ日ひひ吉よし吉よしよしののの祭さい祭さいさい禮れい禮れいれいをををうちうちうち止と止ととめめめててて、、、安あん安あんあん元げん元げんげん三さん三さんさん年ねん年ねんねん四し四しし月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう三さん三さんさん日にち日にちにちののの辰たつ辰たつたつののの一いつ一いついっ點てん點てんてんににに、、、十じふ十じふじゅう禪ぜん禪ぜんぜん師じ師じじ權ごん權ごんごん現げん現げんげん、、、まらうどまらうどまろうど、、、八はち八はちはち王わう王わうおう子じ子じじ、、、三さん三さんさん社じや社じやじゃののの神しん神しんしん輿よ輿よよををを飾かざ飾かざかざりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、陣ぢん陣ぢんじん頭とう頭とうとうへへへ振ふ振ふふりりり上あ上ああげげげ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。
  2. 2下さがり下さがりさがり松まつ松まつまつ、、、切きれ切きれきれ堤づゝみ堤づゝみづつみ、、、賀か賀かか茂も茂ももののの川かは川かはかわ原ら原らら、、、糺たゞす糺たゞすただす、、、梅うめ梅うめうめ忠たゞ忠たゞただ、、、柳やなぎ柳やなぎやなぎ原はら原はらはら、、、東とう東とうとう北ぼく北ぼくぼく院ゐん院ゐんいんののの邊へん邊へんへんににに、、、神じん神じんじん人にん人にんにん、、、宮みや宮みやみや仕じ仕じじ、、、白しら白しらしら大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ、、、專せん專せんせん當だう當だうどう充み充みみちちち滿み滿みみちちちててて、、、いくらいくらいくらととといふいふいう數かず數かずかずををを知し知ししらららずずず。。。神しん神しんしん輿よ輿よよははは一いち一いちいち條でう條でうじょうををを西にし西にしにしへへへ入い入いいらららせせせ給たま給たまたまふふうににに、、、御ご御ごご神じん神じんじん寶ぽう寶ぽうぽう天てん天てんてんににに輝かゝや輝かゝやかかやいいいててて、、、日じつ日じつじつ月げつ月げつげつ地ち地ちちににに落お落おおちちち給たま給たまたまふふうかかかととと驚おどろ驚おどろおどろかかかるるる。。。これこれこれににに依よ依よよつつっててて源げん源げんげん平ぺい平ぺいぺい兩りやう兩りやうりょう家け家けけののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんににに仰おほ仰おほおおせせせててて、、、四し四しし方はう方はうほうののの陣ぢん陣ぢんじん頭とう頭とうとうををを固かた固かたかためめめててて、、、大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ防ふせ防ふせふせぐぐぐべきべきべきよしよしよし仰おほ仰おほおおせせせ下くだ下くだくださささるるる。。。
  3. 3平へい平へいへい家け家けけにににははは小こ小ここ松まつ松まつまつののの内ない内ないない大だい大だいだい臣じん臣じんじんののの左さ左ささ大だい大だいだい將しやう將しやうしょう重しげ重しげしげ盛もり盛もりもり公こう公こうこう、、、そのそのその勢せい勢せいせい三さん三さんさん千ぜん千ぜんぜん餘よ餘よよ騎き騎ききにににててて、、、大おほ大おほおお宮みや宮みやみや表おもて表おもておもてののの陽やう陽やうよう明めい明めいめい、、、待たい待たいたい賢けん賢けんけん、、、郁いう郁いうゆう芳はう芳はうほう、、、三み三みみつつつののの門もん門もんもんををを固かた固かたかためめめ給たま給たまたまふふう。。。弟おとうと弟おとうとおとうと宗むね宗むねむね盛もり盛もりもり、、、知とも知ともとも盛もり盛もりもり、、、重しげ重しげしげ衡ひら衡ひらひら、、、伯を伯をお父ぢ父ぢじ賴より賴よりより盛もり盛もりもり、、、教のり教のりのり盛もり盛もりもり、、、經つね經つねつね盛もり盛もりもりなどなどなどははは、、、西にし西にしにし南みなみ南みなみみなみののの門もん門もんもんををを固かた固かたかためめめ給たま給たまたまふふう。。。源げん源げんげん氏じ氏じじにににははは大だい大だいだい内だい内だいだい守しゆ守しゆしゅ護ご護ごごののの源げん源げんげん三ざん三ざんざん位み位みみ賴より賴よりより政まさ政まさまさ、、、郎らう郎らうろう黨どう黨どうどうにににははは渡わた渡わたわた邊なべ邊なべなべののの省はぶく省はぶくはぶく、、、授さづく授さづくさずくををを先さき先さきさきとととしてしてして、、、そのそのその勢せい勢せいせいわづかわづかわずかににに三さん三さんさん百びやく百びやくびゃく餘よ餘よよ騎き騎きき、、、北きた北きたきたののの門もん門もんもん、、、縫ぬひ縫ぬひぬい殿どの殿どのどのののの陣ぢん陣ぢんじんををを固かた固かたかためめめ給たま給たまたまふふう。。。所ところ所ところところははは廣ひろ廣ひろひろししし勢せい勢せいせいははは少すく少すくすくなしなしなし、、、まばらまばらまばらにににこそこそこそ見み見みみえええたりたりたりけれけれけれ。。。
  4. 4大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ無ぶ無ぶぶ勢ぜい勢ぜいぜいたるたるたるににによつよつよっててて、、、北きた北きたきたののの門もん門もんもん、、、縫ぬひ縫ぬひぬい殿どの殿どのどのののの陣ぢん陣ぢんじんよりよりより神しん神しんしん輿よ輿よよををを入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららんんんとととするするするににに、、、賴より賴よりより政まさ政まさまさののの卿きやう卿きやうきょうさるさるさる人ひと人ひとひとにににててて、、、いそぎいそぎいそぎ馬むま馬むまうまよりよりより飛と飛ととんんんででで下お下おおりりり、、、兜かぶと兜かぶとかぶとをををぬぎぬぎぬぎ、、、手てう手てうちょう水づ水づずうがひうがひうがいしししててて、、、神しん神しんしん輿よ輿よよををを拜はい拜はいはいししし奉たてまつ奉たてまつたてまつらららるるる。。。兵つはもの兵つはものつわものどもどもどもももも皆みな皆みなみなかくかくかくののの如ごと如ごとごとししし。。。
  5. 5賴より賴よりより政まさ政まさまさののの卿きやう卿きやうきょうよりよりより、、、大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅののの中なか中なかなかへへへ使し使しし者しや者しやしゃををを立た立たたてててててて、、、いひいひいい送おく送おくおくらららるゝるゝるる旨むね旨むねむねありありあり。。。そのそのその使つかひ使つかひつかいははは渡わた渡わたわた邊なべ邊なべなべののの長ちやう長ちやうちょう七しち七しちしち唱となふ唱となふとなうとぞとぞとぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。唱となふ唱となふとなうそのそのその日ひ日ひひののの裝さう裝さうそう束ぞく束ぞくぞくにににははは、、、きちんきちんきちんののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれににに、、、小こ小ここ櫻ざくら櫻ざくらざくらををを黃き黃ききにににかへしかへしかへしたるたるたる鎧よろひ鎧よろひよろい著き著ききててて、、、赤しやく赤しやくしゃく銅どう銅どうどうづくりづくりづくりののの太た太たた刀ち刀ちちをををはきはきはき、、、二に二にに十じふ十じふじゅう四し四ししさいさいさいたるたるたる白しら白しらしら羽は羽ははののの矢や矢やや負お負おおひひい、、、重しげ重しげしげ籐どう籐どうどうののの弓ゆみ弓ゆみゆみ脇わき脇わきわきににに挾はさ挾はさはさみみみ、、、兜かぶと兜かぶとかぶとをををばばばぬいぬいぬいででで高たか高たかたか紐ひも紐ひもひもにににかけかけかけ、、、神しん神しんしん輿よ輿よよののの御おん御おんおん前まへ前まへまえににに畏かしこ畏かしこかしこまつまつまっててて、、、
  6. 6「「「しばらくしばらくしばらく、、、しづまらしづまらしずまられれれ候さふら候さふらそうらへへえ。。。源げん源げんげん三ざん三ざんざん位み位みみ殿どの殿どのどのよりよりより、、、衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒ととののの御おん御おんおん内うち内うちうちへへへ申まう申まうもうせせせととと候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」とてとてとて、、、「「「今こん今こんこん度ど度どど山さん山さんさん門もん門もんもんののの御ご御ごご訴そ訴そそ訟しよう訟しようしょう、、、理り理りり運うん運うんうんののの條でう條でうじょう勿もち勿もちもち論ろん論ろんろんににに候さふらふ候さふらふそうろう。。。御ご御ごご裁さい裁さいさい斷だん斷だんだん遲ち遲ちち々ち々ちちこそこそこそははは、、、よそよそよそにににてててももも遺ゐ遺ゐい恨こん恨こんこんににに覺おぼ覺おぼおぼえええ候さふら候さふらそうらへへえ。。。神しん神しんしん輿よ輿よよ入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららんんん事こと事ことこと仔し仔しし細さい細さいさいににに及およ及およおよばばばずずず。。。但ただ但ただただししし賴より賴よりより政まさ政まさまさ無ぶ無ぶぶ勢ぜい勢ぜいぜいににに候さふらふ候さふらふそうろう。。。
  7. 7あけあけあけててて入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる陣ぢん陣ぢんじんよりよりより入い入いいらららせせせ給たま給たまたまひひいなななばばば、、、『『『山さん山さんさん門もん門もんもんののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅははは、、、目め目めめがががほしほしほしけりけりけり。。。』』』などなどなど京きやう京きやうきょう童わらんべ童わらんべわらんべののの申まう申まうもうさささんんんことことこと、、、後ご後ごご日じつ日じつじつののの難なん難なんなんにににややや候さふら候さふらそうらははわんんんずずずらんらんらん。。。あけあけあけててて入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつれれればばば、、、宣せん宣せんせん旨じ旨じじををを背そむ背そむそむくくくににに似に似ににたりたりたり。。。またまたまた拒ふせ拒ふせふせぎぎぎ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららんんんとととすれすれすればばば、、、年とし年としとし頃ごろ頃ごろごろ醫い醫いい王わう王わうおう、、、山さん山さんさん王わう王わうおうににに頭かうべ頭かうべこうべををを傾かたぶ傾かたぶかたぶけけけててて候さふらふ候さふらふそうろう身み身みみががが、、、今日けふ今日けふきょうよりよりより後のち後のちのち、、、長なが長ながながくくく弓ゆみ弓ゆみゆみ矢や矢ややののの道みち道みちみちにににわかれわかれわかれ候さふら候さふらそうらひひいなななんんんずずず。。。かれかれかれととといひいひいい、、、これこれこれととといひいひいい、、、かた〴〵かた〴〵かたがた難なん難なんなん治ぢ治ぢじのののやうやうようににに覺おぼ覺おぼおぼえええ候さふらふ候さふらふそうろう。。。東ひがし東ひがしひがしののの陣ぢん陣ぢんじん頭とう頭とうとうをををばばば小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどのののの大おほ大おほおお勢ぜい勢ぜいぜいにににててて固かた固かたかためめめられられられててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。そのそのその陣ぢん陣ぢんじんよりよりより入い入いいらららせせせ給たま給たまたまふふうべうべうびょうもももややや候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん。。。」」」ととと、、、いひいひいい送おく送おくおくりりりたりたりたりけれけれければばば、、、唱となふ唱となふとなうがががかくかくかくいふいふいうににに拒ふせ拒ふせふせがががれれれててて、、、神じん神じんじん人にん人にんにん、、、宮みや宮みやみや仕じ仕じじ、、、しばらくしばらくしばらくゆらへゆらへゆらえたりたりたり。。。
  8. 8若わか若わかわか大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ、、、惡あく惡あくあく僧そう僧そうそうどもどもども、、、「「「なんでふなんでふなんじょうそのそのその儀ぎ儀ぎぎあるあるあるべきべきべき。。。たゞたゞただこのこのこの陣ぢん陣ぢんじんよりよりより神しん神しんしん輿よ輿よよををを入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつれれれややや。。。」」」ととといふいふいうやからやからやから多おほ多おほおおかりかりかりけれけれけれどもどもども、、、こゝこゝここににに老らう老らうろう僧そう僧そうそうののの中なか中なかなかににに、、、三さん三さんさん塔たふ塔たふとう一いち一いちいちののの僉せん僉せんせん議ぎ議ぎぎ者しや者しやしゃととと聞きこ聞きこきこえええししし攝つ攝つつ津の津ののののの律りつ律りつりつ者しや者しやしゃ豪がう豪がうごう運うん運うんうん、、、進すゝ進すゝすすみみみ出い出いいでででててて申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、
  9. 9「「「このこのこの儀ぎ儀ぎぎ、、、最もつと最もつともっともももさささいはいはいわれれれたりたりたり。。。われらわれらわれら神しん神しんしん輿よ輿よよををを先さき先さきさき立だ立だだててて進まゐ進まゐまいらららせせせててて、、、訴そ訴そそ訟しよう訟しようしょうををを致いた致いたいたさささばばば、、、大おほ大おほおお勢ぜい勢ぜいぜいののの中なか中なかなかををを打うち打うちうち破やぶ破やぶやぶつつってててこそこそこそ、、、後こう後こうこう代だい代だいだいののの聞きこ聞きこきこえええもももあらあらあらんんんずれずれずれ。。。なかんづくなかんづくなかんずくこのこのこの賴より賴よりより政まさ政まさまさののの卿きやう卿きやうきょうははは、、、六ろく六ろくろく孫そん孫そんそんよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、源げん源げんげん氏じ氏じじ嫡ちやく嫡ちやくちゃく々ちやく々ちやくちゃくののの正しやう正しやうしょう統とう統とうとう、、、弓ゆみ弓ゆみゆみ矢や矢ややををを取と取ととつつってててももも、、、未いま未いまいまだだだそのそのその不ふ不ふふ覺かく覺かくかくををを聞き聞ききかかかずずず。。。およそおよそおよそははは武ぶ武ぶぶ藝げい藝げいげいにににもももかぎらかぎらかぎらずずず、、、歌か歌かか道だう道だうどうにににもももまたまたまたすぐれすぐれすぐれたるたるたる男をのこ男をのこおのこなりなりなり。。。
  10. 10一ひと一ひとひと年とせ年とせとせ近この近このこの衞ゑ衞ゑえののの院ゐん院ゐんいん御ご御ごご在ざい在ざいざい位ゐ位ゐいののの御おん御おんおん時とき時ときとき、、、當たう當たうとう座ざ座ざざののの御ご御ごご會くわい會くわいかいのののありありありしししににに、、、『『『深しん深しんしん山ざん山ざんざんののの花はな花はなはな。。。』』』ととといふいふいう題だい題だいだいををを出いだ出いだいだささされれれたりたりたりけるけるけるににに、、、人ひと人ひとひと々びと々びとびとみなみなみな詠よ詠よよみみみわづらはわづらはわずらわれれれたりたりたりしししををを、、、このこのこの賴より賴よりより政まさ政まさまさののの卿きやう卿きやうきょう、、、
  11. 11深み深みみ山やま山やまやま木ぎ木ぎぎのののそのそのその梢こずゑ梢こずゑこずえとととももも見み見みみえええざりざりざりしししさくらさくらさくらははは花はな花はなはなにににあらはれあらはれあらわれにににけりけりけり
  12. 12ととといふいふいう名めい名めいめい歌か歌かか仕つかまつ仕つかまつつかまつつつっててて御ぎよ御ぎよぎょ感かん感かんかんにににあづかるあづかるあずかるほどほどほどのののやさやさやさ男をとこ男をとこおとこににに、、、いかゞいかゞいかが時とき時ときときににに臨のぞ臨のぞのぞんんんででで、、、なさけなさけなさけなうなうのう、、、恥ち恥ちち辱じよく辱じよくじょくをををばばば與あた與あたあたふふうべきべきべき。。。たゞたゞただ神しん神しんしん輿よ輿よよ舁か舁かかきききかへしかへしかへし奉たてまつ奉たてまつたてまつれれれややや。。。」」」ととと、、、僉せん僉せんせん議ぎ議ぎぎしししたりたりたりけれけれければばば、、、數す數すす千せん千せんせんののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ、、、先せん先せんせん陣ぢん陣ぢんじんよりよりより後ご後ごご陣ぢん陣ぢんじんまでまでまで、、、尤もつと尤もつともっとも〳〵も〳〵ももっともとととぞぞぞ同どう同どうどうじじじけるけるける。。。
  13. 13さてさてさて神しん神しんしん輿よ輿よよ舁か舁かかきききかへしかへしかへし奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、東ひがし東ひがしひがしののの陣ぢん陣ぢんじん頭とう頭とうとう、、、待たい待たいたい賢けん賢けんけん門もん門もんもんよりよりより入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららんんんとととしししけるけるけるににに、、、狼らう狼らうろう藉ぜき藉ぜきぜき忽たちま忽たちまたちまちちちににに出い出いいででで來き來ききててて、、、武ぶ武ぶぶ士し士ししどもどもどもさん〴〵さん〴〵さんざんににに射い射いい奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。十じふ十じふじゅう禪ぜん禪ぜんぜん師じ師じじののの神しん神しんしん輿よ輿よよにににももも矢や矢ややどもどもども數あま數あまあま多た多たた射い射いい立た立たたてててけりけりけり。。。神じん神じんじん人にん人にんにん、、、宮みや宮みやみや仕じ仕じじ射い射いい殺ころ殺ころころささされれれ、、、衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒とと多おほ多おほおおくくく傷きず傷きずきずををを被かうぶ被かうぶこうぶつつっててて、、、をめきをめきおめき叫さけ叫さけさけぶぶぶ聲こゑ聲こゑこえははは梵ぼん梵ぼんぼん天てん天てんてんまでまでまでももも聞きこ聞きこきこえええ、、、堅けん堅けんけん牢らう牢らうろう地ぢ地ぢじ神じん神じんじんももも驚おどろ驚おどろおどろききき給たま給たまたまふふうらんらんらんとととぞぞぞ覺おぼ覺おぼおぼえええけるけるける。。。大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ神しん神しんしん輿よ輿よよをををばばば、、、陣ぢん陣ぢんじん頭とう頭とうとうにににふりふりふり棄す棄すすててて奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく本ほん本ほんほん山ざん山ざんざんへへへぞぞぞ歸かへ歸かへかえりりりけるけるける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

そうしているうちに延暦寺では、国司の加賀守師高を流罪にし、目代の近藤判官師経を投獄なさるべきことを、たびたび奏上したけれども、御裁許がなかったので、日吉の祭礼を取りやめて、安元三年(1177)四月十三日の辰の一点(午前七時ごろ)に、十禅師権現・客人・八王子の三社の神輿を飾り立てて、内裏の陣頭へ担ぎ込んだ。

下松・切堤・賀茂の河原・糺・梅忠・柳原・東北院のあたりに、神人・宮仕・白大衆・専当が満ちあふれて、どれほどとも数がわからない。神輿が一条大路を西へお入りになると、御神宝が天に輝いて、日月が地に落ちてこられたのかと驚かれた。そこで源平両家の大将軍に命じて、四方の陣頭を固めて衆徒を防ぐよう仰せ下された。

平家では小松の内大臣で左大将の重盛公が、三千余騎の軍勢で、大宮大路に面した陽明門・待賢門・郁芳門の三つの門を固められた。弟の宗盛・知盛・重衡、叔父の頼盛・教盛・経盛らは、西と南の門を固められた。源氏では大内守護の源三位頼政が、郎等の渡辺省・授を先頭に、わずか三百余騎で北の門、縫殿の陣を固められた。場所は広く軍勢は少なく、まばらに見えた。

衆徒は、手勢が少ないので、北の門の縫殿の陣から神輿をお入れしようとしたところ、頼政卿はさすがの人で、急いで馬から飛び下り、兜を脱ぎ、手水とうがいをして、神輿を拝み申し上げた。兵たちもみな同じようにした。

頼政卿から衆徒の中へ使者を立てて、言い送ることがあった。その使者は渡辺の長七唱ということであった。唱はその日の装束として、きちんの直垂に、小桜を黄に染め返した縅の鎧を着て、赤銅づくりの太刀を帯び、二十四本差した白羽の矢を負い、重籐の弓を脇にはさみ、兜を脱いで高紐にかけ、神輿の御前にかしこまって、

「しばらくお静まりください。源三位殿から衆徒の方々へ申し上げよとのことです」と言って、「このたびの延暦寺のお訴えは、道理にかなっていることは言うまでもありません。御裁断が遅れていることは、よそながらも残念に思っております。神輿をお入れすることは差し支えありません。ただし頼政は手勢が少のうございます。

開けてお入れする陣からお入りになったなら、『延暦寺の衆徒は弱みにつけこんだ』などと都の若者たちが言うのは、後々の非難のもとになりましょう。開けてお入れすれば、宣旨に背くようなものです。また防ぎ申そうとすれば、長年、医王(薬師如来)と山王に頭を傾けて信仰してきた身が、今日から後、長く武士の道を捨てることになりましょう。あれといいこれといい、どちらも難しいことに思われます。東の陣頭は小松殿の大軍で固められております。その陣からお入りになってはいかがでしょう」と言い送ったので、唱がこのように言うのに押しとどめられて、神人・宮仕はしばらくためらっていた。

若い衆徒や悪僧たちは「どうしてそんなことがあろう。ただこの陣から神輿をお入れせよ」と言う者が多かったけれども、ここに老僧の中で、三塔一の評議の名人と聞こえた摂津の律者豪運が進み出て申すには、

「その申し分はもっともだ。われらが神輿を先に立てて訴えをするからには、大軍の中を打ち破ってこそ、後の世の評判にもなるだろう。とりわけこの頼政卿は、六孫王からこのかた源氏の嫡流の正統で、武芸においても、まだその失敗を聞かない。そもそも武芸だけでなく、和歌の道にもすぐれた男である。

先年、近衛院がご在位のとき、即興の歌会があって、『深山の花』という題を出されたところ、人々がみな詠みあぐねていたのを、この頼政卿が、

深山の木々の中で、その梢とも見分けられなかった桜は、花が咲いたことで、それと知られたことだ。

という名歌を詠んで、帝のお褒めにあずかったほどの風雅な男に、どうしてこの場に臨んで、情けなく恥をかかせてよいものか。ただ神輿を担ぎ返し申せ」と評議したので、数千の衆徒は、先陣から後陣まで「もっともだ、もっともだ」と同意した。

そこで神輿を担いで引き返し、東の陣頭の待賢門からお入れしようとしたところ、たちまち乱暴が起こって、武士たちがさんざんに矢を射かけ申した。十禅師の神輿にも矢が何本も射立てられた。神人・宮仕は射殺され、衆徒の多くは傷を負って、わめき叫ぶ声は梵天にまでも聞こえ、堅牢地神もさぞ驚かれるだろうと思われた。衆徒は神輿を陣頭に投げ捨て申して、泣く泣く本山へ帰っていった。

意訳

鵜川の事件から始まった延暦寺の訴えは、ついに神輿入洛という強硬手段に至る。日吉三社の神輿が、神人・宮仕・衆徒に担がれて都に押し寄せるさまは、「日月地に落ち給ふか」と言われるほど壮麗で恐ろしいものとして描かれている。朝廷は源平の武士に門を固めさせ、平家は重盛を中心に大軍で南と東と西を守り、源頼政はわずかな手勢で北の門を守った。

この章段の中心は、頼政の機転である。頼政は手薄な北の門に神輿が向かってくると、まず馬から降りて神輿を拝み、使者の渡辺唱を送って、「自分の陣を通れば衆徒が弱みにつけこんだと言われる、通さなければ山王への信仰を捨てることになる、どうか重盛の守る東の門から入ってほしい」と説く。宣旨と信仰の板ばさみを率直に語って、衆徒の名誉心に訴えたのである。

衆徒の側でも、老僧豪運が「頼政は武芸だけでなく歌道にもすぐれた風雅の人だ」と言って、頼政の「深山木の」の歌を持ち出し、引き返すことに決まる。武士と僧兵の対立の場面に、和歌の名声が人を動かすという王朝的な価値観が生きている。しかし東の門では、平家の武士が神輿に矢を射かけるという前代未聞の事態が起こり、この罪がのちに平家にはね返ってくる。

語釈・文法注

目だり
相手の弱みにつけこむこと。「目だりがほ」は、弱い所をねらう顔つき。
六孫王
源経基(?〜961)。清和天皇の孫で、清和源氏の祖。

文法

「さる人にて」
さすがの人物で、心得のある人で、の意。
「小櫻を黃にかへしたる鎧」
小桜の文様を染めた革を、黄色に染め返した縅の鎧。
「入らせ給ふべうもや候らん」
「べう」は「べく」のウ音便。お入りになるのがよいのではありませんか、と丁寧に勧める言い方。
「さくらは花にあらはれにけり」
「花に」の「に」は原因・理由を表す。花が咲いたことによって、それと知られた、の意。
「尤も〳〵」
くの字点は「尤も尤も」のくり返し。もっともだ、もっともだ、の意。

和歌

深山木のその梢とも見えざりしさくらは花にあらはれにけり

詠者
源頼政
状況
近衛天皇の御代の即興の歌会で、「深山の花」という題が出され、人々が詠みあぐねていたときに頼政が詠んだ歌。『詞花和歌集』に入る。豪運がこの歌を挙げて、頼政に恥をかかせてはならないと説いた。

修辞

趣向
ふだんは深山の木々にまぎれて見分けがつかなかった桜が、花が咲いたことで、桜であることがはっきりわかった、と詠む。長く埋もれていた自分が、ようやく世に知られたという寓意を読む解釈もある。

解説

安元三年(1177)四月の延暦寺の強訴は史実で、神輿に矢が射立てられたことは大事件となった。物語は、平家の武士が神輿を射たことを強調し、のちの平家の滅亡を山王の神罰とする見方の伏線としている。次の章段では、神輿を射た武士たちが重盛の侍であったことが明かされる。

源頼政(1104〜1180)は、摂津源氏の武将で、歌人としても知られた。保元・平治の乱では平家方につき、清盛の推挙で従三位に昇ったので「源三位」と呼ばれる。のちに治承四年(1180)、以仁王を奉じて平家打倒の兵を挙げ、宇治で敗死する(巻第四)。この章段で語られる、武勇と風雅を兼ね備えた人物像は、その最期の場面へとつながっていく。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、293–295頁(コマ175–176)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日