古典ライブラリー

平家物語 巻第一

願立の事

白河院さえ「意のままにならぬもの」に数えた山法師の強訴の先例として、嘉保二年の事件が語られる。神輿を防いだ関白藤原師通は、延暦寺の呪詛を受けて重い病にかかる。母の北の政所はひそかに三つの願を立てて日吉社に祈り、山王の託宣によって三年の延命を得るが、師通は三年後に三十八歳で亡くなった。

  1. 1「「「賀か賀かか茂も茂もも川がは川がはがはののの水みづ水みづみず、、、雙すご雙すごすご六ろく六ろくろくののの骰さい骰さいさい、、、山やま山やまやま法ほふ法ほふほう師し師しし、、、これこれこれぞぞぞわがわがわが御み御みみ心こころ心こころこころにににかなはかなはかなわぬぬぬものものもの。。。」」」ととと、、、白しら白しらしら河かは河かはかわののの院ゐん院ゐんいんももも仰おほ仰おほおおせせせなりなりなりけるけるけるとととかやかやかや。。。
  2. 2鳥と鳥とと羽ば羽ばばののの院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおん時とき時ときときももも、、、越ゑち越ゑちえち前ぜん前ぜんぜんののの平へい平へいへい泉せん泉せんせん寺じ寺じじををを山さん山さんさん門もん門もんもんへへへ寄よ寄よよせせせられられられけるけるける事こと事ことことははは、、、當たう當たうとう山ざん山ざんざんををを御ご御ごご歸き歸きき依え依ええあさからあさからあさからざるざるざるににに依よ依よよつつってててなりなりなり。。。非ひ非ひひををを以もつ以もつもっててて理り理りりとととすすすととと、、、宣せん宣せんせん下げ下げげせせせられられられてててこそこそこそ、、、院ゐん院ゐんいん宣ぜん宣ぜんぜんをををばばば下くだ下くだくだささされれれけれけれけれ。。。さればさればされば江がう江がうごう帥そつ帥そつそつ匡きやう匡きやうきょう房ばう房ばうぼうののの卿きやう卿きやうきょうののの申まう申まうもうささされれれしししははは、、、「「「山さん山さんさん門もん門もんもんののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ、、、日ひ日ひひ吉よし吉よしよしののの神しん神しんしん輿よ輿よよををを陣ぢん陣ぢんじん頭とう頭とうとうへへへ振ふ振ふふりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、訴そ訴そそ訟しよう訟しようしょうををを致いた致いたいたさささばばば、、、君きみ君きみきみはははいかゞいかゞいかが御おん御おんおんはからひはからひはからい候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう、、、「「「げにげにげにももも山さん山さんさん門もん門もんもんののの訴そ訴そそ訟しよう訟しようしょうはははもだしもだしもだしがたしがたしがたし。。。」」」とととぞぞぞ仰おほ仰おほおおせせせけるけるける。。。
  3. 3去い去いいんんんじじじ嘉か嘉かか保ほう保ほうほう二に二にに年ねん年ねんねん三さん三さんさん月ぐわつ月ぐわつがつ二ふつ二ふつふつ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、美み美みみ濃の濃ののののの守かみ守かみかみ源みなもと源みなもとみなもとののの義よし義よしよし綱つな綱つなつなののの朝あ朝ああ臣そん臣そんそん、、、當たう當たうとう國ごく國ごくごく新しん新しんしん立りふ立りふりゅうののの莊しやう莊しやうしょうをををたふすたふすたおす間あひだ間あひだあいだ、、、山やま山やまやまののの久く久くく住ぢゆう住ぢゆうじゅう者しや者しやしゃ圓ゑん圓ゑんえん應おう應おうおうををを殺せつ殺せつせっ害がい害がいがいすすす。。。
  4. 4これこれこれににによつよつよっててて日ひ日ひひ吉よし吉よしよしののの社しや社しやしゃ司し司しし、、、延えん延えんえん曆りやく曆りやくりやく寺じ寺じじののの寺じ寺じじ官くわん官くわんかん、、、都つ都つつ合がふ合がふごう三さん三さんさん十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ人にん人にんにん、、、申まうし申まうしもうし文ぶみ文ぶみぶみををを捧さゝ捧さゝささげげげててて陣ぢん陣ぢんじん頭とう頭とうとうへへへ参さん参さんさんじじじたるたるたるををを、、、後ご後ごご二に二にに條でう條でうじょうののの關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱく、、、大や大やや和まと和まとまと源げん源げんげん氏じ氏じじ中なか中なかなか務つかさ務つかさつかさののの權ごん權ごんごんののの少せう少せうしょう輔ふ輔ふふ賴より賴よりより春はる春はるはるににに仰おほ仰おほおおせせせててて、、、これこれこれををを拒ふせ拒ふせふせがががせせせらるゝらるゝらるるににに、、、賴より賴よりより春はる春はるはるががが郎らう郎らうろう黨どう黨どうどう、、、矢や矢ややををを放はな放はなはなつつつ。。。矢や矢やや庭には庭にはにはににに射い射いい殺ころ殺ころころさささるゝるゝるる者もの者ものもの八はち八はちはち人にん人にんにん、、、傷きず傷きずきずををを被かうむ被かうむこうむぶるぶるぶる者もの者ものもの十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ人にん人にんにん、、、社しや社しやしゃ司し司しし、、、諸しよ諸しよしょ司し司しし、、、四し四しし方はう方はうほうへへへ皆みな皆みなみな逃に逃ににげげげ去さ去ささりりりぬぬぬ。。。
  5. 5これこれこれににによつよつよっててて山さん山さんさん門もん門もんもんののの上じやう上じやうじょう綱かう綱かうこう等ら等らら、、、仔し仔しし細さい細さいさいををを奏そう奏そうそう聞もん聞もんもんののの爲ため爲ためためににに、、、夥おびたゞ夥おびたゞおびただしうしうしゅう下げ下げげ洛らく洛らくらくすすすととと聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、武ぶ武ぶぶ士し士しし、、、檢けん檢けんけん非び非びび違ゐ違ゐい使し使しし、、、西にし西にしにし坂さか坂さかさか本もと本もともとににに行ゆ行ゆゆききき向むか向むかむかつつっててて、、、みなみなみな追お追おおつつっかへすかへすかえす。。。
  6. 6さるさるさる程ほど程ほどほどににに山さん山さんさん門もん門もんもんにににははは、、、御ご御ごご裁さい裁さいさい斷だん斷だんだん遲ち遲ちち々ち々ちちののの間あひだ間あひだあいだ、、、日ひ日ひひ吉よし吉よしよしののの神しん神しんしん輿よ輿よよををを根こん根こんこん本ぽん本ぽんぽん中ちゆう中ちゆうちゅう堂だう堂だうどうへへへふりふりふり上あ上ああげげげ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、そのそのその御おん御おんおん前まへ前まへまえにににててて眞しん眞しんしん讀どく讀どくどくののの大だい大だいだい般はん般はんはん若にや若にやにゃををを七なぬ七なぬなぬ日か日かか讀よ讀よよみみみててて、、、後ご後ごご二に二にに條でう條でうじょうののの關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱく殿どの殿どのどのををを呪じゆ呪じゆじゅ詛そ詛そそししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。
  7. 7結けち結けちけち願ぐわん願ぐわんがんののの導だう導だうどう師し師ししにににははは、、、仲ちゆう仲ちゆうちゅう胤いん胤いんいん法ほふ法ほふほう印いん印いんいん、、、そのそのその時とき時ときときははは未いま未いまいまだだだ仲ちゆう仲ちゆうちゅう胤いん胤いんいん供ぐ供ぐぐ奉ぶ奉ぶぶととと申まう申まうもうししししししががが、、、高かう高かうこう座ざ座ざざににに上のぼ上のぼのぼりりり、、、鐘かね鐘かねかね打うち打うちうち鳴な鳴なならしらしらし、、、表へう表へうひょう白びやく白びやくびやくののの詞ことば詞ことばことばににに曰いは曰いはいわくくく、、、「「「われらわれらわれらががが菜な菜なな種たね種たねたねののの二ふた二ふたふた葉ば葉ばばよりよりよりおほしおほしおおし立た立たたててて給たま給たまたまひひいししし神かみ神かみかみたちたちたち、、、後ご後ごご二に二にに條でう條でうじょうののの關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱく殿どの殿どのどのににに、、、鏑かぶら鏑かぶらかぶら矢や矢やや一ひと一ひとひとつつつ放はな放はなはなちちちあてあてあてたまへたまへたまえ、、、大だい大だいだい八はち八はちはち王わう王わうおう子じ子じじ權ごん權ごんごん現げん現げんげん。。。」」」ととと高たか高たかたからからからかにににこそこそこそ祈き祈きき誓せい誓せいせいしししたりたりたりけれけれけれ。。。
  8. 8そのそのその夜よ夜よよやがてやがてやがて不ふ不ふふ思し思しし議ぎ議ぎぎののの事こと事ことことありありありけりけりけり。。。八はち八はちはち王わう王わうおう子じ子じじののの御ご御ごご殿でん殿でんでんよりよりより鏑かぶら鏑かぶらかぶら矢や矢ややののの聲こゑ聲こゑこえ出い出いいでででててて、、、王わう王わうおう城じやう城じやうじょうをををさしさしさしててて鳴な鳴ななりりりててて行ゆ行ゆゆくくくとととぞぞぞ、、、人ひと人ひとひとののの夢ゆめ夢ゆめゆめにににははは見み見みみえええたりたりたりけるけるける。。。そのそのそのあしたあしたあした關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱく殿どの殿どのどのののの御ご御ごご所しよ所しよしょののの御み御みみ格かう格かうこう子し子ししををを上あ上ああげげげけるけるけるににに、、、只たゞ只たゞただ今いま今いまいま山やま山やまやまよりよりより取と取ととりりりててて來きた來きたきたりりりたるたるたるやうやうようににに、、、露つゆ露つゆつゆにににぬれぬれぬれたるたるたる樒しきみ樒しきみしきみ一ひと一ひとひと枝えだ枝えだえだ立た立たたちちちたりたりたりけるけるけるこそこそこそ不ふ不ふふ思し思しし議ぎ議ぎぎなれなれなれ。。。
  9. 9やがてやがてやがてそのそのその夜よ夜よよよりよりより、、、後ご後ごご二に二にに條でう條でうじょうののの關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱく殿どの殿どのどの、、、山さん山さんさん王わう王わうおうののの御おん御おんおん咎とが咎とがとがめめめとてとてとて、、、重おも重おもおもききき御おん御おんおん病やまひ病やまひやまいををを受う受ううけけけさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、うちうちうち伏ふ伏ふふさささせせせ給たま給たまたまひひいしかしかしかばばば、、、母はゝ母はゝはは上うへ上うへうえ大おほ大おほおお殿との殿とのとのののの北きた北きたきたののの政まん政まんまん所どころ所どころどころ、、、大おほ大おほおおきききににに御おん御おんおんなげきなげきなげきあつあつあっててて、、、御おん御おんおん樣さま樣さまさまをををやつしやつしやつし、、、賤いや賤いやいやしきしきしき下げ下げげ臈らふ臈らふろうのののまねまねまねをををしししててて、、、日ひ日ひひ吉よし吉よしよしののの社やしろ社やしろやしろへへへ参まゐ参まゐまいらららせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、七なぬ七なぬなぬ日か日かか七なゝ七なゝなな夜よ夜よよががが間あひだ間あひだあいだ祈いの祈いのいのりりり申まう申まうもうさささせせせおはしますおはしますおわします。。。
  10. 10まづまづまずあらはれあらはれあらわれてててののの御ご御ごご立りふ立りふりゅう願ぐわん願ぐわんがんにににははは、、、芝しば芝しばしば田でん田でんでん樂がく樂がくがく百ひやく百ひやくひゃく番ばん番ばんばん、、、百ひやく百ひやくひゃく番ばん番ばんばんののの一ひと一ひとひとつつつ物もの物ものもの、、、競くらべ競くらべくらべ馬むま馬むまうま、、、流や流やや鏑ぶさ鏑ぶさぶさ馬め馬めめ、、、相す相すす撲まふ撲まふもう、、、各おのおの各おのおのおのおの百ひやく百ひやくひゃく番ばん番ばんばん、、、百ひやく百ひやくひゃく座ざ座ざざののの仁にん仁にんにん王わう王わうおう講かう講かうこう、、、百ひやく百ひやくひゃく座ざ座ざざののの藥やく藥やくやく師し師しし講かう講かうこう、、、一いつ一いついっ著ちやく著ちやくちゃく手しゆ手しゆしゅののの藥やく藥やくやく師し師しし百ひやく百ひやくひゃく體たい體たいたい、、、等とう等とうとう身しん身しんしんののの藥やく藥やくやく師し師しし一いつ一いついっ體たい體たいたい、、、竝ならび竝ならびならびににに釋しや釋しやしゃ迦か迦かか、、、阿あ阿ああ彌み彌みみ陀だ陀だだののの像ざう像ざうぞう、、、各おのおの各おのおのおのおの造ざう造ざうぞう立りふ立りふりゅう供く供くく養やう養やうようせせせられられられけりけりけり。。。
  11. 11またまたまた御ご御ごご心しん心しんしん中ちゆう中ちゆうちゅうににに三み三みみつつつののの御ご御ごご立りふ立りふりゅう願ぐわん願ぐわんがんありありあり。。。御み御みみ心こころ心こころこころののの中うち中うちうちののの御おん御おんおん事こと事ことことなれなれなればばば、、、人ひと人ひとひとこれこれこれをををばばば、、、いかでいかでいかで知し知ししりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるべきべきべきににに、、、それそれそれににに何なに何なになによりよりよりもももまたまたまた不ふ不ふふ思し思しし議ぎ議ぎぎなりなりなりけるけるける事こと事ことことにににははは、、、七なゝ七なゝなな夜よ夜よよににに滿まん滿まんまんずるずるずる夜よ夜よよ、、、八はち八はちはち王わう王わうおう子じ子じじののの御おん御おんおん社やしろ社やしろやしろにににいくらいくらいくらもももありありありけるけるける参まゐり参まゐりまいり人うど人うどうどどもどもどもののの中なか中なかなかににに、、、陸み陸みみ奥ち奥ちちののの國くに國くにくによりよりより、、、はる〴〵はる〴〵はるばるととと上のぼ上のぼのぼつつったりたりたりけるけるける童わらは童わらはわらわ巫みこ巫みこみこ、、、夜よ夜よよ半は半ははばかりばかりばかりににに俄にはか俄にはかにはかににに絶た絶たたえええ入い入いいりりりけりけりけり。。。
  12. 12はるかはるかはるかににに舁か舁かかききき出いだ出いだいだしししててて祈いの祈いのいのりりりけれけれければばば、、、やがてやがてやがて立た立たたつつっててて舞ま舞ままひひいかなづかなづかなず。。。人ひと人ひとひと奇き奇きき特どく特どくどくののの思おも思おもおもひひいをををなしなしなしててて、、、これこれこれををを見み見みみるるる。。。半はん半はんはん時じ時じじ許ばか許ばかばかりりり舞ま舞ままひひいててて後のち後のちのち、、、山さん山さんさん王わう王わうおう下お下おおりりりさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、やう〳〵やう〳〵ようようののの御ご御ごご託たく託たくたく宣せん宣せんせんこそこそこそ恐おそ恐おそおそろしけれろしけれろしけれ。。。
  13. 13「「「衆しゆ衆しゆしゅ生じやう生じやうじょう等ら等ららたしかたしかたしかににに承うけたまは承うけたまはうけたまわれれれ。。。大おほ大おほおお殿との殿とのとのののの北きた北きたきたののの政まん政まんまん所どころ所どころどころ、、、今日けふ今日けふきょう七なぬ七なぬなぬ日か日かか、、、わがわがわが御おん御おんおん前まへ前まへまえににに籠こも籠こもこもらららせせせ給たま給たまたまひひいたりたりたり。。。御ご御ごご立りふ立りふりゅう願ぐわん願ぐわんがん三み三みみつつつありありあり。。。まづまづまず一ひと一ひとひとつつつにににははは、、、今こん今こんこん度ど度どど殿てん殿てんてん下が下ががののの壽じゆ壽じゆじゅ命みやう命みやうみょうををを助たす助たすたすけけけさせさせさせおはしませおはしませおわしませ。。。さささももも候さふら候さふらそうらははわばばば、、、大おほ大おほおお宮みや宮みやみやののの下した下したした殿どの殿どのどのににに候さふらふ候さふらふそうろう、、、もろ〳〵もろ〳〵もろもろののの片かた片かたかた輪は輪はは人うど人うどうどにににまはりまはりまわりててて、、、一いつ一いついっ千せん千せんせん日にち日にちにちががが間あひだ間あひだあいだ、、、朝あさ朝あさあさ夕ゆふ夕ゆふゆう宮みや宮みやみや仕づか仕づかづかへへえ申まう申まうもうさささんんんとととなりなりなり。。。大おほ大おほおお殿との殿とのとのののの北きた北きたきたののの政まん政まんまん所どころ所どころどころにににててて、、、世よ世よよををを世よ世よよとととももも思おぼ思おぼおぼしししめさめさめさででで、、、過す過すすぐさぐさぐさせせせ給たま給たまたまふふう御み御みみ心こころ心こころこころにににももも、、、子こ子ここををを思おも思おもおもふふう道みち道みちみちににに迷まよ迷まよまよひひいぬれぬれぬればばば、、、いぶせきいぶせきいぶせき事こと事ことことももも忘わす忘わすわすららられれれててて、、、淺あさ淺あさあさましげましげましげなるなるなる片かた片かたかた輪は輪はは人うど人うどうどににに交まじ交まじまじはつはつわっててて、、、一いつ一いついっ千せん千せんせん日にち日にちにちががが間あひだ間あひだあいだ、、、朝あさ朝あさあさ夕ゆふ夕ゆふゆう宮みや宮みやみや仕づか仕づかづかへへえ申まう申まうもうさささんんんととと仰おほ仰おほおおせせせらるゝらるゝらるるこそこそこそ、、、まことまことまことにににあはれあはれあわれににに思おぼ思おぼおぼしししめせめせめせ。。。
  14. 14二ふた二ふたふたつつつにににははは大おほ大おほおお宮みや宮みやみやののの端はし端はしはし殿どの殿どのどのよりよりより、、、八はち八はちはち王わう王わうおう子じ子じじののの御おん御おんおん社やしろ社やしろやしろまでまでまで、、、囘くわい囘くわいかい廊らう廊らうろうつくつつくつつくってててまゐらせまゐらせまいらせんんんとととなりなりなり。。。三さん三さんさん千ぜん千ぜんぜん人にん人にんにんののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ、、、降ふ降ふふるるるにににももも照て照ててるるるにににももも、、、社しや社しやしゃ参さん参さんさんののの時とき時ときとき、、、いたはしういたはしういたわしゅう覺おぼ覺おぼおぼゆるゆるゆるににに、、、囘くわい囘くわいかい廊らう廊らうろうつくらつくらつくられれれたらたらたらんんんははは、、、いかにいかにいかにめでたからめでたからめでたからんんん。。。三み三みみつつつにににははは八はち八はちはち王わう王わうおう子じ子じじののの御おん御おんおん社やしろ社やしろやしろにににててて、、、法ほつ法ほつほっ華け華けけ問もん問もんもん答だふ答だふどう講かう講かうこう、、、毎まい毎まいまい日にち日にちにち退たい退たいたい轉てん轉てんてんなくなくなく行おこな行おこなおこなははわすすすべしべしべしとととなりなりなり。。。このこのこの御ご御ごご立りふ立りふりゅう願ぐわん願ぐわんがんどもどもどもははは、、、いづれいづれいずれもももおろかおろかおろかならならならねねねどもどもども、、、せめてせめてせめてははは上かみ上かみかみ二ふた二ふたふたつつつははは、、、さささなくなくなくともともともありありありなななんんん。。。法ほつ法ほつほっ華け華けけ問もん問もんもん答だふ答だふどう講かう講かうこうこそこそこそ、、、一いち一いちいち定ぢやう定ぢやうじょうあらあらあらまほしうまほしうまほしゅうはははおぼしめせおぼしめせおぼしめせ。。。
  15. 15但ただ但ただただししし今こん今こんこん度ど度どどののの訴そ訴そそ訟しよう訟しようしょうははは、、、むげむげむげににに易やす易やすやすかりかりかりぬぬぬべきべきべき事こと事ことことにににてててありありありつるつるつるををを、、、御ご御ごご裁さい裁さいさい許きよ許きよきょなくなくなくしてしてして、、、神じん神じんじん人にん人にんにん、、、宮みや宮みやみや司じ司じじ射い射いい殺ころ殺ころころささされれれ、、、衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒とと多おほ多おほおおくくく傷きず傷きずきずををを被かうぶ被かうぶこうぶつつっててて、、、泣な泣ななく〳〵く〳〵くなく参まゐ参まゐまいりりりててて訴うつた訴うつたうつたへへえ申まう申まうもうすすすががが、、、餘あま餘あまあまりりりににに心こころ心こころこころうけれうけれうければばば、、、いかならいかならいかならんんん世よ世よよににに忘わす忘わすわするるるべしべしべしととともももおぼしめさおぼしめさおぼしめさずずず。。。そのそのその上うへ上うへうえかれらかれらかれらにににあたるあたるあたる所ところ所ところところののの矢や矢ややははは、、、すなはちすなはちすなわち和わ和わわ光くわう光くわうこう垂すゐ垂すゐすいののの御おん御おんおん膚はだへ膚はだへはだえににに立た立たたちちちたるたるたるなりなりなり。。。まことまことまことそらそらそらごとごとごとはははこれこれこれををを見み見みみよよよ。。。」」」とてとてとて、、、肩かた肩かたかたぬぎぬぎぬぎたるたるたるををを見み見みみれれればばば、、、左ひだり左ひだりひだりののの脇わき脇わきわきののの下した下したした、、、大おほ大おほおおきききなるなるなるかはらけかはらけかわらけののの口くち口くちくちほどほどほど、、、うげうげうげのいのいのいてててぞぞぞありありありけるけるける。。。「「「これこれこれがががあまりあまりあまりににに心こころ心こころこころうけれうけれうければばば、、、いかにいかにいかに申まう申まうもうすすすともともとも、、、始し始しし終じゆう終じゆうじゅうのののことことことははは叶かな叶かなかなふふうまじまじまじ。。。法ほつ法ほつほっ華け華けけ問もん問もんもん答だふ答だふどう講かう講かうこう一いち一いちいち定ぢやう定ぢやうじょうあるあるあるべくべくべくははは、、、三み三みみ年とせ年とせとせががが命いのち命いのちいのちををを延の延ののべべべててて奉たてまつ奉たてまつたてまつらららんんん。。。それそれそれををを不ふ不ふふ足そく足そくそくにににおぼしめさおぼしめさおぼしめさばばば力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばずずず。。。」」」とてとてとて、、、山さん山さんさん王わう王わうおうあがらあがらあがらせせせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。
  16. 16母はゝ母はゝはは上うへ上うへうえこのこのこの御ご御ごご立りふ立りふりゅう願ぐわん願ぐわんがんののの御おん御おんおんことことこと、、、人ひと人ひとひとにににももも語かた語かたかたらららせせせ給たま給たまたまははわねねねばばば、、、誰たれ誰たれたれ洩も洩ももらしらしらしぬぬぬらんらんらんととと、、、少すこ少すこすこしししももも疑うたが疑うたがうたがふふうかたかたかたもももましまさましまさましまさずずず。。。御み御みみ心こころ心こころこころののの中うち中うちうちののの事こと事ことことどもどもどもををを、、、ありのまゝありのまゝありのままににに御ご御ごご託たく託たくたく宣せん宣せんせんありありありけれけれければばば、、、いよ〳〵いよ〳〵いよいよ心しん心しんしん肝かん肝かんかんにににそうそうそうててて、、、殊こと殊ことことににに尊たふと尊たふととうとくくく思おぼし思おぼしおぼし召め召めめししし、、、「「「たとひたとひたとい一いち一いちいち日にち日にちにち片へん片へんへん時じ時じじととと候さふらふ候さふらふそうろうともともとも、、、ありがたうありがたうありがとうこそこそこそ候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべきににに、、、ましてましてまして三み三みみ年とせ年とせとせががが命いのち命いのちいのちををを延の延ののべべべててて賜たま賜たまたまはらはらわらんんんととと仰おほ仰おほおおせせせらるゝらるゝらるるこそこそこそ、、、まことまことまことにににありがたうありがたうありがとうははは候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」とてとてとて、、、御おん御おんおん涙なみだ涙なみだなみだをををおさへおさへおさえててて御ご御ごご下げ下げげ向かう向かうこうありありありけりけりけり。。。そのそのその後のち後のちのち紀き紀きき伊い伊いいののの國くに國くにくにににに殿てん殿てんてん下が下ががののの領りやう領りやうりょう、、、田た田たた中なか中なかなかののの莊しやう莊しやうしょうととといふいふいう所ところ所ところところををを、、、永えい永えいえい代たい代たいたい八はち八はちはち王わう王わうおう子じ子じじへへへ寄き寄きき進しん進しんしんせせせらるらるらる。。。さればさればされば今いま今いまいまののの世よ世よよににに至いた至いたいたるるるまでまでまで、、、八はち八はちはち王わう王わうおう子じ子じじののの御おん御おんおん社やしろ社やしろやしろにににててて、、、法ほつ法ほつほっ華け華けけ問もん問もんもん答だふ答だふどう講かう講かうこう、、、毎まい毎まいまい日にち日にちにち退たい退たいたい轉てん轉てんてんなしなしなしとととぞぞぞ承うけたまは承うけたまはうけたまわるるる。。。
  17. 17斯か斯かかかりかりかりししし程ほど程ほどほどににに後ご後ごご二に二にに條でう條でうじょうののの關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱく殿どの殿どのどの、、、御おん御おんおん病やまひ病やまひやまいかるまかるまかるませせせ給たま給たまたまひひいててて、、、もともともとののの如ごと如ごとごとくくくにににならならならせせせ給たま給たまたまふふう。。。上じやう上じやうじょう下げ下げげ喜よろこ喜よろこよろこびびび合あ合ああははわれれれししし程ほど程ほどほどににに、、、三み三みみ年とせ年とせとせののの過す過すすぐるぐるぐるははは夢ゆめ夢ゆめゆめなれなれなれややや、、、永えい永えいえい長ちやう長ちやうちょう二に二にに年ねん年ねんねんににになりなりなりにににけりけりけり。。。六ろく六ろくろく月ぐわつ月ぐわつがつ二に二にに十じふ十じふじゅう一いち一いちいち日にち日にちにち、、、またまたまた後ご後ごご二に二にに條でう條でうじょうののの關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱく殿どの殿どのどの、、、御おん御おんおん髪ぐし髪ぐしぐしののの際きは際きはきわににに惡あ惡ああしきしきしき御おん御おんおん瘡かさ瘡かさかさ出い出いいでででさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、うちうちうち臥ふ臥ふふさささせせせ給たま給たまたまひひいしししががが、、、同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう七しち七しちしち日にち日にちにち御おん御おんおん年とし年としとし三さん三さんさん十じふ十じふじゅう八はち八はちはちにににててて、、、遂つひ遂つひついにににかくれかくれかくれさせさせさせ給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。
  18. 18御み御みみ心こころ心こころこころのののたけさたけさたけさ、、、理り理りりのののつよさつよさつよさ、、、さしもさしもさしもゆゝしうゆゝしうゆゆしゅうおはせおはせおわせしかしかしかどもどもども、、、まめやかまめやかまめやかににに事こと事ことことののの急きふ急きふきゅうにににもももなりなりなりぬれぬれぬればばば、、、御おん御おんおん命いのち命いのちいのちををを惜を惜をおしましましませせせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。まことまことまことににに惜を惜をおしかるしかるしかるべしべしべし、、、四し四しし十じふ十じふじゅうにににだにだにだに滿み滿みみたたたせせせ給たま給たまたまははわででで、、、大おほ大おほおお殿との殿とのとのににに先さき先さきさき立だ立だだたたたせせせ給たま給たまたまふふうこそこそこそ悲かな悲かなかなしけれしけれしけれ。。。必かなら必かならかならずずず父ちち父ちちちちををを先さき先さきさき立だ立だだつつつべしべしべしととといふいふいうことことことはははなけれなけれなけれどもどもども、、、生しやう生しやうしょう死じ死じじのののおきておきておきてににに從したが從したがしたがふふうならひならひならい、、、萬まん萬まんまん德どく德どくどく圓ゑん圓ゑんえん滿まん滿まんまんののの世せ世せせ尊そん尊そんそん、、、十じふ十じふじゅう地ぢ地ぢじ苦く苦くく行ぎやう行ぎやうぎょうののの大だい大だいだい士じ士じじたちたちたちももも、、、力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばせせせ給たま給たまたまははわぬぬぬ次し次しし第だい第だいだいなりなりなり。。。慈じ慈じじ悲ひ悲ひひ具ぐ具ぐぐ足そく足そくそくののの山さん山さんさん王わう王わうおう、、、利り利りり物もつ物もつもつののの方はう方はうほう便べん便べんべんにににてててましましましませませませばばば、、、御おん御おんおん咎とが咎とがとがめめめなかるなかるなかるべしべしべしとととももも覺おぼ覺おぼおぼえええずずず。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

「賀茂川の水、双六の賽の目、比叡山の法師、これこそ私の意のままにならないものだ」と、白河院もおっしゃったということである。

鳥羽院の御代にも、越前の平泉寺を延暦寺に寄進なさったのは、この山(延暦寺)を深く信仰しておられたからである。「理にはずれたことでも理とする」と宣下なさってこそ、院宣をお下しになったのである。そこで江帥匡房卿(大江匡房)が申されたのは、「延暦寺の衆徒が日吉の神輿を内裏の陣頭に担ぎ込んで訴えを起こしたなら、君はどうご処置なさいますか」と申されたところ、法皇は「まことに延暦寺の訴えは放っておけない」とおっしゃった。

去る嘉保二年(1095)三月二日、美濃守源義綱朝臣が、国内に新しく立てられた荘園を廃止させたので、延暦寺の久住者の円応を殺してしまった。

そこで日吉の社司や延暦寺の寺官ら、合わせて三十余人が訴状を捧げて陣頭へ参ったのを、後二条関白殿(藤原師通)が、大和源氏の中務権少輔頼春に命じて防がせたところ、頼春の郎等が矢を放った。その場で射殺された者八人、傷を負った者十余人で、社司や諸司は四方へみな逃げ去った。

そこで延暦寺の高僧たちが、事情を奏上するために大勢京へ下ってくると聞こえたので、武士や検非違使が西坂本に向かって、みな追い返した。

そのうちに延暦寺では、ご裁断が遅々として進まないので、日吉の神輿を根本中堂に担ぎ上げ申し、その御前で大般若経を七日間真読して、後二条関白殿を呪詛し申し上げた。

結願の導師には仲胤法印が、そのときはまだ仲胤供奉と申したが、高座に上って鐘を打ち鳴らし、表白の言葉に言うには、「私たちが菜種の二葉のころから育ててくださった神々よ、後二条関白殿に鏑矢を一つ射当ててくださいませ、大八王子権現よ」と、声高らかに祈誓した。

その夜すぐに不思議なことがあった。八王子の御殿から鏑矢の音が出て、都をさして鳴って行くのが、人の夢に見えた。その翌朝、関白殿の御所の格子を上げると、たった今山から取ってきたように、露にぬれた樒が一枝立っていたのは不思議なことであった。

やがてその夜から、後二条関白殿は山王のお咎めということで重い病にかかられ、床に伏されたので、母上の大殿の北の政所はたいへんお嘆きになって、お姿をやつし、卑しい下臈のまねをして日吉の社へお参りになり、七日七夜のあいだ祈り申し上げなさった。

まず表立っての御願には、芝田楽百番、百番の一つ物、競馬、流鏑馬、相撲をそれぞれ百番、百座の仁王講、百座の薬師講、一搩手半の薬師像百体、等身の薬師像一体、ならびに釈迦・阿弥陀の像を、それぞれ造立供養なさった。

またお心の中に三つの御願があった。お心の中のことなので、人はどうしてそれを知り申し上げられようか。ところが何よりも不思議だったのは、七夜目が満ちる夜、八王子の御社に大勢いた参詣人の中に、陸奥国からはるばる上ってきた童の巫女が、夜半ごろ急に気を失った。

遠くへ担ぎ出して祈ると、すぐに立ち上がって舞い始めた。人々は不思議に思って見ていた。半時ほど舞った後、山王が乗り移られて、さまざまなお告げをなさったのは恐ろしいことであった。

「衆生ども、たしかに聞け。大殿の北の政所が今日で七日、わが前にこもっておられる。御願が三つある。まず一つには、このたび殿下(師通)の寿命をお助けくださいませ。そうしてくださるなら、大宮の下殿に控えている多くの障害のある人々の中にまじって、一千日のあいだ朝夕お仕え申し上げよう、というのである。大殿の北の政所として、世の中を何とも思わずに過ごしておられたお心にも、子を思う道に迷ってしまったので、むさくるしいことも忘れて、みじめな人々にまじって一千日のあいだ朝夕お仕えしようとおっしゃるのは、まことにあわれに思われる。

二つには、大宮の端殿から八王子の御社まで、回廊を造って献上しよう、というのである。三千人の衆徒が雨の日も晴れの日も社に参るのを気の毒に思っていたので、回廊が造られたら、どれほどめでたいことだろう。三つには、八王子の御社で法華問答講を毎日欠かさず行わせよう、というのである。この御願はどれもおろそかではないけれども、せめて上の二つはなくてもよい。法華問答講こそ、ぜひあってほしいと思う。

ただし今度の訴えは、ごくたやすく片づくはずのことであったのに、ご裁許がなくて、神人や宮司は射殺され、衆徒の多くが傷を負って、泣く泣く参って訴えるのが、あまりにつらいので、いつの世にも忘れられようとは思わない。そのうえ、彼らに当たった矢は、すなわち和光垂迹の神の肌に立ったのである。本当か嘘かは、これを見よ」といって、肩を脱いだのを見ると、左の脇の下に、大きな土器の口ほどの傷が、えぐれて開いていた。「これがあまりにつらいので、どのように申されても、最後までのことはかなうまい。法華問答講を必ず行うなら、三年の命を延ばしてさしあげよう。それを不足とお思いなら力及ばない」といって、山王はお上がりになった。

母上は、この御願のことを人にも語っておられなかったので、だれが漏らしたのだろうかと、少しも疑う余地がない。お心の中のことを、ありのままにお告げになったので、いよいよ心に深くしみて、ことに尊くお思いになり、「たとえ一日片時でもありがたいことでございますのに、まして三年の命を延ばしてくださるとおっしゃるのは、まことにありがたいことでございます」といって、涙をおさえてお帰りになった。その後、紀伊国にある殿下の所領の田中荘という所を、永代八王子に寄進なさった。それで今の世に至るまで、八王子の御社では、法華問答講が毎日絶えることなく行われていると聞く。

こうしているうちに、後二条関白殿のご病気は軽くなられて、もとのようにおなりになった。上下の人々が喜び合っているうちに、三年が過ぎるのは夢のようで、永長二年(1097)になった。六月二十一日、また後二条関白殿は、髪の生え際に悪いできものができて床に伏されたが、同じ月の二十七日、御年三十八でついにお亡くなりになった。

お心の強さ、理を押し通す強さは、あれほどすばらしい方であったけれども、本当に事が急になってしまうと、命を惜しまれたのであった。まことに惜しいことである。四十歳にさえならずに、父の大殿に先立たれたのは悲しいことであった。必ずしも父を先に送るべきだということはないけれども、生死のおきてに従うのが世のならいで、万徳円満の釈迦も、十地の苦行を積んだ菩薩たちも、どうすることもおできにならないことである。慈悲を備えた山王は、衆生を救う方便でいらっしゃるのだから、お咎めがなかったとも思われない。

意訳

「願立」は、鵜川の事件を受けて延暦寺が強訴に出ようとする前に、かつての山門の強訴の例として、嘉保二年(1095)の事件を語る章段である。白河院の「賀茂川の水、双六の賽、山法師」という言葉は、権力の頂点にあった院でさえ思うままにできないものの代表として、延暦寺の僧兵を挙げたもので、山門の勢力の強大さを端的に示している。

中心となるのは、強訴を武力で防いで神人や僧を射殺させた関白藤原師通が、延暦寺の呪詛によって病に倒れる話である。鏑矢の音が都へ飛んでいく夢、露にぬれた樒が御所の格子に立っていた怪異は、神罰が下ったことを告げる。母の北の政所は、身分を隠して日吉社にこもり、心の中だけで三つの願を立てるが、それを陸奥から来た童巫に乗り移った山王が言い当てる。子を思う母の必死の祈りと、山王の神威とが、強い印象を残す場面である。

山王は、神人たちに当たった矢は自分の膚に立ったのだと言って、脇の下の傷を見せ、三年だけの延命を約束する。そして約束どおり、師通は三年後に亡くなる。物語は、神仏の力を前にしては関白の権力も及ばないことを語り、山門の訴えを軽んじてはならないという教訓を示している。これが、次の「御輿振」で、朝廷が神輿の入洛にどう対処するかという話の背景となっている。

語釈・文法注

後二條の關白殿
藤原師通(1062〜1099)。関白藤原師実の子。剛直な性格で知られ、嘉保二年の延暦寺の強訴を武力で退けた。
一著手半
底本の表記。一般には「一搩手半」と書く。仏像の大きさの単位で、親指と中指を張った長さ(一搩手)の一倍半、約一尺二寸。
和光垂跡
仏・菩薩が衆生を救うために、その光をやわらげて、神の姿となってこの世に現れること。ここでは日吉の山王権現をいう。

文法

「雙六の骰」
双六の賽の目。思うままにならないもののたとえ。
「非を以て理とす」
理にかなわないことでも、山門の言い分なら理として通す、の意。
「鏑矢一つ放ちあてたまへ」
神に向かって、関白を罰してくださいと祈る言葉。「たまへ」は尊敬の補助動詞の命令形。
「うげのいてぞありける」
「うげのく」は、傷がえぐれて口を開く、の意。
「三年が命を延べて奉らん」
底本は延命の年数を「三年」とする。後の「三年の過ぐるは夢なれや」と照応している。
「御咎めなかるべしとも覺えず」
二重否定で、お咎めがなかったとは思われない、すなわち山王のお咎めであったのだろう、の意。

解説

嘉保二年(1095)の延暦寺の強訴は史実で、美濃守源義綱が延暦寺の荘園を廃して僧を殺したことに始まり、関白藤原師通が武士に命じて強訴の衆徒を退けた。師通は承徳三年(1099)に三十八歳で急死し、延暦寺の呪詛によるものと噂された。本文は師通の死を永長二年(1097)とするが、史実とは二年ずれている。

日吉大社は比叡山の地主神を祀る神社で、延暦寺と一体の関係にあった。その神輿を担いで朝廷に強訴することを「神輿振り」といい、神威を恐れる朝廷はしばしばその要求に屈した。この章段は、そうした山門の強訴の恐ろしさを、師通の死という先例によって示し、続く安元三年の神輿入洛の物語へとつなげている。

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出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、288–293頁(コマ173–175)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日