古典ライブラリー

平家物語 巻第一

鵜川合戦の事

謀議に加わった俊寛や院の北面の武士たちの驕りが語られる。西光の子で加賀守となった師高と、その弟で目代の師経は、白山の末寺鵜川の寺僧と争って寺を焼き払う。怒った白山の衆徒は神輿を比叡山に振り上げ、延暦寺の衆徒が師高の流罪を訴えるが、朝廷は裁許をためらう。

  1. 1抑そもそも抑そもそもそもそもこのこのこの法ほつ法ほつほっ勝しよう勝しようしょう寺じ寺じじののの執しゆ執しゆしゅ行ぎやう行ぎやうぎょう俊しゆん俊しゆんしゅん寛くわん寛くわんかん僧そう僧そうそう都づ都づずととと申まう申まうもうすすすははは、、、京きやう京きやうきょう極ごく極ごくごくののの源げん源げんげん大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん雅が雅がが俊しゆん俊しゆんしゅんののの卿きやう卿きやうきょうののの孫まご孫まごまご、、、木き木きき寺でら寺でらでらののの法ほふ法ほふほう印いん印いんいん寛くわん寛くわんかん雅が雅ががにににははは子こ子ここなりなりなりけりけりけり。。。祖そ祖そそ父ふ父ふふ大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんはははさしてさしてさして弓ゆみ弓ゆみゆみ矢や矢やや取と取ととるるる家いへ家いへいえにににはははあらあらあらねねねどもどもども、、、あまりあまりあまりににに腹はら腹はらはらあしきあしきあしき人ひと人ひとひとにににててて、、、三さん三さんさん條でう條でうじょうののの坊ばう坊ばうぼう門もん門もんもん、、、京きやう京きやうきょう極ごく極ごくごくののの宿しゆく宿しゆくしゅく所しよ所しよしょののの前まへ前まへまえをををばばば人ひと人ひとひとをををもももやすくやすくやすく通とほ通とほとおささされれれずずず。。。常つね常つねつねははは中ちゆう中ちゆうちゅう門もん門もんもんにににたゝずみたゝずみたたずみ、、、齒は齒ははをををくひくひくいしばりしばりしばり、、、怒いか怒いかいかつつってててこそこそこそおはしおはしおわしけれけれけれ。。。
  2. 2かゝるかゝるかかる恐おそ恐おそおそろしきろしきろしき人ひと人ひとひとののの孫まご孫まごまごなれなれなればばばにににややや、、、このこのこの俊しゆん俊しゆんしゅん寛くわん寛くわんかんももも僧そう僧そうそうなれなれなれどもどもども、、、心こころ心こころこころたけくたけくたけく、、、おごれおごれおごれるるる人ひと人ひとひとにににててて、、、よしなきよしなきよしなき謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんにににももも與くみ與くみくみしししてててけるけるけるにににこそこそこそ。。。
  3. 3新しん新しんしん大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん成なり成なりなり親ちか親ちかちかののの卿きやう卿きやうきょう、、、多た多たた田だ田だだののの藏くら藏くらくら人うど人うどうど行ゆき行ゆきゆき綱つな綱つなつなををを召め召めめしししててて、、、「「「今こん今こんこん度ど度どど御ご御ごご邊へん邊へんへんをををばばば、、、一いつ一いついっ方ぱう方ぱうぽうののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょうににに賴たの賴たのたのむむむなりなりなり。。。このこのこの事こと事ことことしししおほせおほせおおせつるつるつるものものものならならならばばば、、、國くに國くにくにをををももも莊しやう莊しやうしょうをををももも所しよ所しよしょ望まう望まうもうににによるよるよるべしべしべし。。。まづまづまず弓ゆ弓ゆゆ袋ぶくろ袋ぶくろぶくろののの料れう料れうりょうににに。。。」」」とてとてとて白しろ白しろしろ布ぬの布ぬのぬの五ご五ごご十じつ十じつじっ端たん端たんたん送おく送おくおくららられれれたりたりたり。。。
  4. 4安あん安あんあん元げん元げんげん三さん三さんさん年ねん年ねんねん三さん三さんさん月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう五ご五ごご日にち日にちにちののの日ひ日ひひ、、、妙めう妙めうみょう音おん音おんおん院ゐん院ゐんいん殿どの殿どのどの太だい太だいだい政じやう政じやうじょう大だい大だいだい臣じん臣じんじんににに轉てん轉てんてんじじじ給たま給たまたまへへえるるるかはりかはりかわりににに、、、小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどの、、、源げん源げんげん大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん定さだ定さださだ房ふさ房ふさふさののの卿きやう卿きやうきょうををを越こ越ここえええててて、、、内ない内ないない大だい大だいだい臣じん臣じんじんににになりなりなり給たま給たまたまふふう。。。やがてやがてやがて大だい大だいだい饗きやう饗きやうきょう行おこな行おこなおこなははわるるる。。。大だい大だいだい臣じん臣じんじんののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょうめでたかりめでたかりめでたかりききき。。。
  5. 5尊そん尊そんそんにににははは大おほ大おほおお炊ひ炊ひひののの御み御みみ門かど門かどかどののの右う右うう大だい大だいだい臣じん臣じんじん經つね經つねつね宗むね宗むねむね公こう公こうこうとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。一いち一いちいちののの上かみ上かみかみこそこそこそ先せん先せんせん途ど途どどなれなれなれどもどもども、、、父ちち父ちちちち宇う宇うう治ぢ治ぢじののの惡あく惡あくあく左さ左ささ府ふ府ふふののの御ご御ごご例れい例れいれい、、、そのそのその恐おそ恐おそおそれれれありありあり。。。
  6. 6北ほく北ほくほく面めん面めんめんははは上じやう上じやうじょう古こ古ここにににはははなかりなかりなかりけりけりけり。。。白しら白しらしら河かは河かはかわののの院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおん時とき時ときとき始はじ始はじはじめめめ置お置おおかかかれれれてててよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、衞ゑ衞ゑえ府ふ府ふふどもどもども數あま數あまあま多た多たた候さぶら候さぶらさぶらひひいけりけりけり。。。爲ため爲ためため俊とし俊としとし、、、盛もり盛もりもり重しげ重しげしげ、、、童わらは童わらはわらわよりよりより今いま今いまいま犬いぬ犬いぬいぬ丸まる丸まるまる、、、千せん千せんせん手じゆ手じゆじゅ丸まる丸まるまるとてとてとて、、、これらこれらこれらはははさうさうそうなきなきなき切きり切きりきり者もの者ものものにににてててぞぞぞありありありけるけるける。。。
  7. 7鳥と鳥とと羽ば羽ばばののの院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおん時とき時ときときももも、、、季すゑ季すゑすえ賴より賴よりより、、、季すゑ季すゑすえ教のり教のりのり父ふ父ふふ子し子ししともともともににに、、、朝てう朝てうちょう家か家かかににに召めし召めしめし使つか使つかつかははわれれれてててありありありしししががが、、、常つね常つねつねははは傳てん傳てんてん奏そう奏そうそうするするする折をり折をりおりもももありありありなななんんんととと聞きこ聞きこきこえええしかしかしかどもどもども、、、これらこれらこれらはははみなみなみな身み身みみののの程ほど程ほどほどをををふるまうふるまうふるもうてててこそこそこそありありありしかしかしか。。。
  8. 8このこのこの時とき時ときときののの北ほく北ほくほく面めん面めんめんのののともがらともがらともがらははは以もつ以もつもってててののの外ほか外ほかほかににに過くわ過くわか分ぶん分ぶんぶんにににててて、、、公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう、、、殿てん殿てんてん上じやう上じやうじょう人びと人びとびとをををももも事こと事ことことととともももせせせずずず、、、下げ下げげ北ほく北ほくほく面めん面めんめんよりよりより上しやう上しやうしょう北ほく北ほくほく面めん面めんめんににに上あが上あがあがりりり、、、上しやう上しやうしょう北ほく北ほくほく面めん面めんめんよりよりより殿てん殿てんてん上じやう上じやうじょうののの交まじ交まじまじはりはりわりををを許ゆる許ゆるゆるさささるゝるゝるる者もの者ものものももも多おほ多おほおおかりかりかりけりけりけり。。。かくかくかくのみのみのみ行おこな行おこなおこなははわるゝるゝるる間あひだ間あひだあいだ、、、おごれおごれおごれるるる心こころ心こころこころどもどもどもつきつきつきててて、、、よしなきよしなきよしなき謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんにににももも與くみ與くみくみしししてててけるけるけるにににこそこそこそ。。。
  9. 9中なか中なかなかにににももも故こ故ここ少せう少せうしょう納な納なな言ごん言ごんごん入にふ入にふにゅう道だう道だうどう信しん信しんしん西ぜい西ぜいぜいのののもともともとににに召めし召めしめし使つか使つかつかははわれれれけるけるける、、、師もろ師もろもろ光みつ光みつみつ、、、成なり成なりなり景かげ景かげかげととといふいふいう者もの者ものものありありあり。。。師もろ師もろもろ光みつ光みつみつははは阿あ阿ああ波は波ははののの國くに國くにくにののの在ざい在ざいざい、、、成なり成なりなり景かげ景かげかげははは京きやう京きやうきょうののの者もの者ものもの、、、宿しゆく宿しゆくしゅく根こん根こんこんいやしきいやしきいやしき下げ下げげ臈らふ臈らふろうなりなりなり、、、健こん健こんこん兒でい兒でいでい童わらは童わらはわらわ、、、もしはもしはもしは恪かく恪かくかく勤ご勤ごご者しや者しやしゃなどなどなどにににてててもももやややありありありけんけんけん、、、さか〴〵しかりさか〴〵しかりさかさかしかりしししににによつよつよっててて、、、常つね常つねつねははは院ゐん院ゐんいんへへへももも召めし召めしめし使つか使つかつかははわれれれけるけるけるががが、、、
  10. 10師もろ師もろもろ光みつ光みつみつははは左さ左ささ衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの尉じよう尉じようじょう、、、成なり成なりなり景かげ景かげかげははは右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの尉じよう尉じようじょうとてとてとて、、、二ふた二ふたふた人り人りり一いち一いちいち度ど度どどににに靫ゆき靫ゆきゆき負へ負へえののの尉じよう尉じようじょうににになりなりなりぬぬぬ。。。一ひと一ひとひと年とせ年とせとせ信しん信しんしん西ぜい西ぜいぜい、、、事こと事ことことににに遭あ遭ああひひいしししときときとき、、、二ふた二ふたふた人り人りりともともともににに出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけしししててて、、、左さ左ささ衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもん入にふ入にふにゅう道だう道だうどう西さい西さいさい光くわう光くわうこう、、、右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもん入にふ入にふにゅう道だう道だうどう西さい西さいさい景けい景けいけいとてとてとて、、、これらこれらこれらははは出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけののの後のち後のちのちももも、、、院ゐん院ゐんいんののの御み御みみ倉くら倉くらくら預あづかり預あづかりあずかりにににてててぞぞぞ候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるける。。。
  11. 11かのかのかの西さい西さいさい光くわう光くわうこうががが子こ子ここににに師もろ師もろもろ高たか高たかたかととといふいふいう者もの者ものものありありあり。。。これこれこれもももさうさうそうなきなきなき切きり切きりきり者もの者ものものにににててて、、、檢けん檢けんけん非び非びび違ゐ違ゐい使し使しし、、、五ご五ごご位ゐ位ゐいののの尉じよう尉じようじょうまでまでまで經へ經へへ上あが上あがあがりりりててて、、、あまつさへあまつさへあまつさえ安あん安あんあん元げん元げんげん元ぐわん元ぐわんがん年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう二に二にに月ぐわつ月ぐわつがつ二に二にに十じふ十じふじゅう九く九くく日にち日にちにち追つゐ追つゐつい儺な儺ななののの除ぢ除ぢじ目もく目もくもくににに、、、加か加かか賀が賀ががののの守かみ守かみかみにににぞぞぞなさなさなされれれけるけるける。。。
  12. 12國こく國こくこく務む務むむををを行おこな行おこなおこなふふう間あひだ間あひだあいだ、、、非ひ非ひひ法ほふ法ほふほう非ひ非ひひ禮れい禮れいれいををを張ちやう張ちやうちょう行ぎやう行ぎやうぎょうししし、、、神じん神じんじん社じや社じやじゃ佛ぶつ佛ぶつぶつ寺じ寺じじ、、、權けん權けんけん門もん門もんもん勢せい勢せいせい家か家かかののの莊しやう莊しやうしょう領りやう領りやうりょうををを沒もつ沒もつもっ倒たう倒たうとうしししててて、、、さん〴〵さん〴〵さんざんののの事こと事ことことどもどもどもにににてててぞぞぞありありありけるけるける。。。たとひたとひたとい召せう召せうしょうががが跡あと跡あとあとををを隔へだ隔へだへだつつつととといふいふいうともともとも、、、穩をん穩をんおん便びん便びんびんののの政まつりごと政まつりごとまつりごとををを行おこな行おこなおこなふふうべかりべかりべかりしししににに、、、かくかくかく心こころ心こころこころのののまゝまゝままにににふるまふふるまふふるまう間あひだ間あひだあいだ、、、同おな同おなおなじきじきじき二に二にに年ねん年ねんねんののの夏なつ夏なつなつののの頃ころ頃ころころ、、、國こく國こくこく司し司しし師もろ師もろもろ高たか高たかたかののの弟おとうと弟おとうとおとうと、、、近こん近こんこん藤どう藤どうどう判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん師もろ師もろもろ經つね經つねつねををを加か加かか賀が賀ががののの目もく目もくもくににに補ふ補ふふせせせらるらるらる。。。
  13. 13目もく目もくもく代だい代だいだい下げ下げげ著ちやく著ちやくちゃくのののはじめはじめはじめ、、、國こ國ここ府ふ府ふふののの邊へん邊へんへんににに鵜う鵜うう川がは川がはがわととといふいふいう山やま山やまやま寺でら寺でらでらありありあり。。。折をり折をりおりふしふしふし寺じ寺じじ僧そう僧そうそうどもどもどもががが湯ゆ湯ゆゆををを沸わか沸わかわかいいいててて浴あ浴ああびびびけるけるけるををを、、、亂らん亂らんらん入にふ入にふにゅうしししててて追お追おおひひい上あ上ああげげげ、、、わがわがわが身み身みみあびあびあび、、、雜ざふ雜ざふぞう人にん人にんにんばらばらばらおろしおろしおろし、、、馬むま馬むまうま洗あら洗あらあらははわせせせなどなどなどしししけりけりけり。。。
  14. 14寺じ寺じじ僧そう僧そうそう怒いか怒いかいかりりりをををなしなしなしててて、、、「「「昔むかし昔むかしむかしよりよりよりこのこのこの所ところ所ところところははは、、、國くに國くにくに方がた方がたがたののの者もの者ものものののの入にふ入にふにゅう部ぶ部ぶぶするするする事こと事ことことなしなしなし。。。先せん先せんせん例れい例れいれいににに任まか任まかまかせせせててて、、、速すみや速すみやすみやかかかににに入にふ入にふにゅう部ぶ部ぶぶののの押あふ押あふおう妨ばう妨ばうぼう止とゞ止とゞとどめめめよよよややや。。。」」」とととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。
  15. 15目もく目もくもく代だい代だいだい大おほ大おほおおきききににに怒いか怒いかいかつつっててて、、、「「「さき〴〵さき〴〵さきざきののの目もく目もくもく代だい代だいだいははは、、、皆みな皆みなみな不ふ不ふふ覺かく覺かくかくでででこそこそこそいやしまいやしまいやしまれれれたれたれたれ、、、當たう當たうとう目もく目もくもく代だい代だいだいにににおいおいおいてててははは、、、すべてすべてすべてそのそのその儀ぎ儀ぎぎあるあるあるまじまじまじ。。。たゞたゞただ法ほふ法ほふほうにににまかせまかせまかせよよよ。。。」」」ととといふいふいう程ほど程ほどほどこそこそこそありありありけれけれけれ、、、寺じ寺じじ僧そう僧そうそうどもどもどもははは國くに國くにくに方がた方がたがたののの者もの者ものものををを追お追おおひひい出いだ出いだいださささんんんとととすすす。。。國くに國くにくに方がた方がたがたののの者もの者ものものどもどもどもははは、、、ついでついでついでををを以もつ以もつもっててて亂らん亂らんらん入にふ入にふにゅうせせせんんんととと、、、打う打ううちちち合あ合ああひひい、、、張は張ははりりりあひあひあいしししけるけるけるほどほどほどににに、、、目もく目もくもく代だい代だいだい師もろ師もろもろ經つね經つねつねががが祕ひ祕ひひ藏ざう藏ざうぞうしししけるけるける、、、馬むま馬むまうまののの足あし足あしあしをををぞぞぞ打うち打うちうち折を折をおりりりけるけるける。。。そのそのその後のち後のちのちははは互たがひ互たがひたがいににに弓きう弓きうきゅう箭せん箭せんせん兵ひやう兵ひやうひょう仗ぢやう仗ぢやうじょうををを帶たい帶たいたいしししててて、、、射い射いいあひあひあい、、、切き切ききりりりあひあひあい、、、數す數すす刻こく刻こくこく戰たゝか戰たゝかたたかふふう。。。夜よ夜よよににに入い入いいりりりけれけれければばば、、、目もく目もくもく代だい代だいだいかなはかなはかなわじじじとととややや思おも思おもおもひひいけんけんけん引ひき引ひきひき退しりぞ退しりぞしりぞくくく。。。そのそのその後のち後のちのち當たう當たうとう國ごく國ごくごくののの在ざい在ざいざい廳ちやう廳ちやうちょう等ら等らら一いつ一いついっ千せん千せんせん餘よ餘よよ人にん人にんにん催もよほ催もよほもよおししし集あつ集あつあつめめめててて、、、鵜う鵜うう川がは川がはがわにににおしおしおし寄よ寄よよせせせ、、、坊ばう坊ばうぼう舎しや舎しやしゃ一いち一いちいち宇う宇ううももも殘のこ殘のこのこさささずずず燒や燒ややききき拂はら拂はらはらふふう。。。
  16. 16鵜う鵜うう川がは川がはがわととといふいふいうははは白はく白はくはく山さん山さんさんののの末まつ末まつまつ寺じ寺じじなりなりなり。。。このこのこの事こと事ことこと訴うつた訴うつたうつたへへえんんんとてとてとて、、、進すゝ進すゝすすむむむ老らう老らうろう僧そう僧そうそうたれ〴〵たれ〴〵たれだれぞぞぞ。。。智ち智ちち釋しやく釋しやくしやく、、、覺かく覺かくかく明みやう明みやうみょう、、、寶はう寶はうほう臺だい臺だいだい坊ばう坊ばうぼう、、、正しやう正しやうしょう智ち智ちち、、、學がく學がくがく音おん音おんおん、、、土と土とと佐さ佐ささののの阿あ阿ああ闍じや闍じやじゃ梨り梨りりぞぞぞ進すゝ進すゝすすみみみけるけるける。。。白はく白はくはく山さん山さんさん三さん三さんさん社じや社じやじゃ八はち八はちはち院ゐん院ゐんいんののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ、、、悉ことごと悉ことごとことごとくくく起おこ起おこおこりりりあひあひあい、、、都つ都つつ合がふ合がふごうそのそのその勢せい勢せいせい二に二にに千せん千せんせん餘よ餘よよ人にん人にんにん、、、同おな同おなおなじきじきじき七しち七しちしち月ぐわつ月ぐわつがつ九ここの九ここのここの日か日かかののの日ひ日ひひののの暮くれ暮くれくれ方がた方がたがたににに、、、目もく目もくもく代だい代だいだい師もろ師もろもろ經つね經つねつねががが館たち館たちたち近ちか近ちかちこうううこそこそこそ押おし押おしおし寄よ寄よよせせせたれたれたれ。。。
  17. 17今日けふ今日けふきょうははは日ひ日ひひ暮く暮くくれれれぬぬぬ。。。明みやう明みやうみょう日にち日にちにちののの軍いくさ軍いくさいくさととと定さだ定さださだめめめててて、、、そのそのその日ひ日ひひははは寄よせ寄よせよせ手て手ててこらへこらへこらえたりたりたり。。。露つゆ露つゆつゆ吹ふ吹ふふきききむすぶむすぶむすぶ秋あき秋あきあき風かぜ風かぜかぜははは、、、射い射いい向むけ向むけむけののの袖そで袖そでそでをををひるがへしひるがへしひるがえし、、、雲くも雲くもくも居ゐ居ゐいををを照て照ててらすらすらす稻いな稻いないな妻づま妻づまづまははは、、、兜かぶと兜かぶとかぶとののの星ほし星ほしほしををを輝かゝや輝かゝやかかやかすかすかす。。。目もく目もくもく代だい代だいだいかなはかなはかなわじじじとととややや思おも思おもおもひひいけんけんけん、、、夜よ夜よよ逃にげ逃にげにげにににしてしてして京きやう京きやうきょうへへへ上のぼ上のぼのぼるるる。。。明あ明ああくるくるくる卯う卯ううののの刻こく刻こくこくにににおしおしおし寄よ寄よよせせせててて、、、関とき関ときときをををどつとどつとどっとぞぞぞつくりつくりつくりけるけるける。。。城じやう城じやうじょうののの中うち中うちうちにににははは音おと音おとおともももせせせずずず。。。人ひと人ひとひとををを入い入いいれれれててて見み見みみせせせけれけれければばば、、、「「「みなみなみな落お落おおちちちててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととと申まう申まうもうすすす。。。大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばででで引ひき引ひきひき退しりぞ退しりぞしりぞくくく。。。
  18. 18さらばさらばさらば山さん山さんさん門もん門もんもんへへへ訴うつた訴うつたうつたへへえんんんとてとてとて、、、白はく白はくはく山さん山さんさん中ちゆう中ちゆうちゅう宮ぐう宮ぐうぐうののの神しん神しんしん輿よ輿よよかざりかざりかざり奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、比ひ比ひひ叡えい叡えいえい山ざん山ざんざんへへへ振ふ振ふふりりり上あ上ああげげげ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。同おな同おなおなじきじきじき八はち八はちはち月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう二に二にに日にち日にちにちののの午うま午うまうまののの刻こく刻こくこくばかりばかりばかり、、、白はく白はくはく山さん山さんさん中ちゆう中ちゆうちゅう宮ぐう宮ぐうぐうののの神しん神しんしん輿よ輿よよ、、、既すで既すですでににに比ひ比ひひ叡えい叡えいえい山ざん山ざんざん東ひがし東ひがしひがし坂さか坂さかさか本もと本もともとににに著つ著つつかかかせせせ給たま給たまたまふふうととと申まう申まうもうすすす程ほど程ほどほどこそこそこそありありありけれけれけれ、、、北ほく北ほくほく國こく國こくこくののの方かた方かたかたよりよりより、、、雷いかづち雷いかづちいかずちおびたゞしくおびたゞしくおびただしく鳴な鳴ななつつっててて、、、都みやこ都みやこみやこをををさしさしさしててて鳴な鳴ななりりり上のぼ上のぼのぼりりり、、、白はく白はくはく雪せつ雪せつせつ降くだ降くだくだつつっててて地ち地ちちををを埋うづ埋うづうずみみみ、、、山さん山さんさん上じやう上じやうじょう洛らく洛らくらく中ちゆう中ちゆうちゅうおしなべておしなべておしなべて、、、常とき常ときとき磐は磐ははののの山やま山やまやまののの梢こずゑ梢こずゑこずえまでまでまで、、、みなみなみな白しろ白しろしろ妙たへ妙たへたえにににぞぞぞなりなりなりにににけるけるける。。。
  19. 19大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ神しん神しんしん輿よ輿よよをををばばば、、、まらうどまらうどまろうどのののへへへ入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。まらうどまらうどまろうどととと申まう申まうもうすすすははは、、、白はく白はくはく山さん山さんさん妙めう妙めうみょう利り利りり權ごん權ごんごん現げん現げんげんにににててておはしますおはしますおわします。。。申まう申まうもうせせせばばば父ふ父ふふ子し子ししののの御おん御おんおん中なか中なかなかなりなりなり。。。まづまづまず沙さ沙ささ汰た汰たたののの成じやう成じやうじょう否ふ否ふふははは知し知ししらららずずず、、、生しやう生しやうしょう前ぜん前ぜんぜんののの御おん御おんおんよろこびよろこびよろこび、、、たゞたゞただこのこのこの事こと事ことことにににありありあり。。。浦うら浦うらうら島しま島しましまががが子こ子ここののの七しち七しちしち世せ世せせののの孫まご孫まごまごにににあへあへあえりりりしししにににももも過す過すすぎぎぎ、、、胎たい胎たいたい内ない内ないないののの者もの者ものものののの靈りやう靈りやうりょう山ぜん山ぜんぜんののの父ちち父ちちちちををを見み見みみしししにににももも越こ越ここえええたりたりたり。。。
  20. 20三さん三さんさん千ぜん千ぜんぜんののの衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒とと、、、踵くびす踵くびすくびすをををつぎつぎつぎ、、、七しち七しちしち社しや社しやしゃののの神じん神じんじん人にん人にんにん、、、袖そで袖そでそでををを連つら連つらつらねねねててて、、、時じ時じじ々じ々じじ刻こく刻こくこく々こく々こくこくののの法ほつ法ほつほっ施せ施せせ祈き祈きき念ねん念ねんねん、、、言ごん言ごんごん語ご語ごご道だう道だうどう斷だん斷だんだんののの事こと事ことことどもどもどもにににてててぞぞぞ候さふら候さふらそうらひひいけるけるける。。。
  21. 21さるさるさる程ほど程ほどほどににに山さん山さんさん門もん門もんもんののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ、、、國こく國こくこく司し司しし加か加かか賀が賀ががののの守かみ守かみかみ師もろ師もろもろ高たか高たかたかををを流る流るる罪ざい罪ざいざいににに處しよ處しよしょせせせられられられ、、、目もく目もくもく代だい代だいだい近こん近こんこん藤どう藤どうどう判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん師もろ師もろもろ經つね經つねつねををを禁きん禁きんきん獄ごく獄ごくごくせせせらるらるらるべきべきべきよしよしよし、、、奏そう奏そうそう聞もん聞もんもん度ど度どど々ど々どどににに及およ及およおよぶぶぶととといへいへいえどもどもども、、、御ご御ごご裁さい裁さいさい許きよ許きよきょもももなかりなかりなかりけれけれければばば、、、
  22. 22しかるしかるしかるべきべきべき公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう、、、殿てん殿てんてん上じやう上じやうじょう人びと人びとびとははは、、、「「「あはれあはれあわれとくとくとくしてしてして御ご御ごご裁さい裁さいさい斷だん斷だんだんあるあるあるべきべきべきものものものををを、、、昔むかし昔むかしむかしよりよりより山さん山さんさん門もん門もんもんののの訴そ訴そそ訟しよう訟しようしょうははは他た他たたににに異こと異ことことなりなりなり。。。大おほ大おほおお藏くら藏くらくら卿きやう卿きやうきょう爲ため爲ためため房ふさ房ふさふさ、、、太だ太だだ宰ざい宰ざいざいののの權ごん權ごんごん帥そつ帥そつそつ季すゑ季すゑすえ仲なか仲なかなかののの卿きやう卿きやうきょうははは、、、さしもさしもさしも朝てう朝てうちょう家か家かかににに重ぢゆう重ぢゆうじゅう臣しん臣しんしんたりたりたりしかしかしかどもどもども、、、山さん山さんさん門もん門もんもんののの訴そ訴そそ訟しよう訟しようしょうににによつよつよっててて流る流るる罪ざい罪ざいざいせせせられられられ給たま給たまたまひひいにににききき。。。況いは況いはいわんんんややや師もろ師もろもろ高たか高たかたかなどなどなどははは事こと事ことことののの數かず數かずかずにににてててやはやはやはあるあるあるべきべきべき、、、仔し仔しし細さい細さいさいにににややや及およ及およおよぶぶぶべきべきべき。。。」」」ととと申まう申まうもうししし合あ合ああははわれれれけれけれけれどもどもども、、、大たい大たいたい臣しん臣しんしんははは祿ろく祿ろくろくををを重おも重おもおもんんんじじじててて諫いさ諫いさいさめめめずずず、、、小せう小せうしょう臣しん臣しんしんははは罪つみ罪つみつみににに恐おそ恐おそおそれれれててて申まう申まうもうさささずずずととといふいふいう事こと事ことことなれなれなればばば、、、各おのおの各おのおのおのおの口くち口くちくちををを閉と閉ととぢぢじ給たま給たまたまへへえりりり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

そもそもこの法勝寺の執行俊寛僧都と申すのは、京極の源大納言雅俊卿の孫で、木寺の法印寛雅の子であった。祖父の大納言は、とくに武芸を業とする家の人ではなかったけれども、ひどく怒りっぽい人で、三条坊門・京極の自邸の前を、人を気安く通らせなかった。いつも中門に立って、歯をくいしばって怒っておられた。

このような恐ろしい人の孫だからだろうか、この俊寛も僧であるけれども、気性が激しく、思い上がった人で、つまらない謀反にも加わったのであろう。

新大納言成親卿は、多田蔵人行綱を呼んで、「このたびはあなたを一方の大将として頼みにする。この事を成し遂げたなら、国でも荘園でも望みどおりにしよう。まずは弓袋の材料に」といって、白布五十反を贈られた。

安元三年(1177)三月十五日、妙音院殿(藤原師長)が太政大臣に転任なさった代わりに、小松殿(重盛)が源大納言定房卿を越えて内大臣におなりになった。やがて大饗が行われた。大臣で大将を兼ねるのはめでたいことであった。

尊者には大炊御門右大臣経宗公がお迎えされたということである。本来は一の上(左大臣)こそ、その役にふさわしいのだが、父の宇治の悪左府(頼長)の例があって、はばかられたのである。

北面の武士は、昔はなかった。白河院のときに初めて置かれてからこのかた、衛府の者たちが大勢仕えていた。為俊・盛重は、子どものときから今犬丸・千手丸と呼ばれ、比べるもののない院のお気に入りであった。

鳥羽院のときにも、季頼・季教の父子がともに朝廷に召し使われていて、ときには院への取り次ぎをすることもあるだろうといわれていたけれども、これらはみな身の程をわきまえてふるまっていた。

ところが、このときの北面の者たちは、もってのほかに分に過ぎて、公卿や殿上人をも何とも思わず、下北面から上北面に上り、上北面から殿上の交わりを許される者も多かった。このようなことばかりが行われたので、思い上がった心がついて、つまらない謀反にも加わったのであろう。

なかでも故少納言入道信西のもとに召し使われていた、師光・成景という者がいた。師光は阿波国の在庁官人、成景は京の者で、生まれの卑しい下臈である。健児童か、あるいは恪勤者などであったのだろうか、気がきいていたので、いつも院にも召し使われていたが、

師光は左衛門尉、成景は右衛門尉となって、二人一度に衛門尉になった。先年、信西が事件に遭ったとき、二人ともに出家して、左衛門入道西光、右衛門入道西景と名のり、二人は出家の後も、院の御倉預として仕えていた。

その西光の子に師高という者がいた。これも比べるもののない院のお気に入りで、検非違使、五位の尉にまで上って、そのうえ安元元年(1175)十二月二十九日の追儺の除目で、加賀守に任じられた。

国務を行うあいだ、法にはずれた無礼を押し通し、神社仏寺や権門勢家の荘園を没収して、ひどいことばかりであった。たとえ周の召公の善政の跡からは遠いとしても、穏やかな政治を行うべきであったのに、このように思うままにふるまっていたところ、同じ安元二年の夏ごろ、国司師高の弟の近藤判官師経が加賀の目代に任じられた。

目代が赴任したはじめ、国府のあたりに鵜川という山寺があった。ちょうど寺の僧たちが湯を沸かして浴びていたところに、乱入して追い出し、自分が浴び、下人たちも降りて浴び、馬を洗わせなどした。

寺の僧たちは怒って、「昔からこの寺には、国司方の者が入ったことはない。先例どおりに、すぐに立ち入りの乱暴をやめよ」と申した。

目代はたいへん怒って、「これまでの目代は、みな腑甲斐ないから侮られたのだ。この目代に限っては、決してそんなことはさせぬ。ただ法のとおりに処置せよ」と言うや否や、寺の僧たちは国司方の者を追い出そうとする。国司方の者たちは、この機会に乱入しようと、打ち合い押し合いしているうちに、目代師経が秘蔵していた馬の足を打ち折ってしまった。その後は互いに弓矢や武器を持って、射合い切り合い、数時間戦った。夜になったので、目代はかなわないと思ったのだろうか、引き退いた。その後、加賀国の在庁官人ら一千余人を集めて鵜川に押し寄せ、坊舎を一つ残らず焼き払った。

鵜川というのは白山の末寺である。このことを訴えようと進み出る老僧はだれだれか。智釈・覚明・宝台坊・正智・学音・土佐阿闍梨が進み出た。白山の三社八院の衆徒がことごとく立ち上がり、総勢二千余人で、同じ年の七月九日の夕方に、目代師経の館の近くまで押し寄せた。

今日は日が暮れた。明日の合戦と決めて、その日は寄せ手もこらえていた。露を吹き結ぶ秋風は鎧の射向の袖をひるがえし、空を照らす稲妻は兜の星を輝かせる。目代はかなわないと思ったのだろうか、夜逃げして京へ上った。翌朝の卯の刻(午前六時ごろ)に押し寄せて、鬨の声をどっとあげた。館の中からは物音もしない。人を入れて見させると、「みな逃げてしまいました」と言う。衆徒は仕方なく引き上げた。

それならば延暦寺に訴えようと、白山中宮の神輿を飾り立てて、比叡山へ担ぎ上げた。同じ年の八月十二日の正午ごろ、白山中宮の神輿がもう比叡山の東坂本にお着きになったと聞こえるや否や、北国の方から雷がおびただしく鳴って、都をさして鳴りながら上ってきて、白雪が降って地を埋め、山の上も都の中も一様に、常緑の山の梢まで、みな真っ白になってしまった。

衆徒は神輿を客人の宮へお入れ申し上げた。客人の宮と申すのは白山妙理権現でいらっしゃる。言ってみれば(日吉の神と)父子の間柄である。訴えの成否はともかく、生前のお喜びはただこのことにある。浦島の子が七世の孫に会ったのにもまさり、胎内にいた子が霊鷲山で父の釈迦に会ったのにも越えている。

三千の衆徒はきびすを接して集まり、七社の神人は袖を連ねて、時々刻々の読経祈念は、言葉にもならないほどであった。

そのうちに延暦寺の衆徒が、国司加賀守師高を流罪にし、目代近藤判官師経を投獄なさるべきことを、たびたび奏上したけれども、御裁許もなかったので、

しかるべき公卿や殿上人は、「ああ、早く御裁断があるべきなのに。昔から延暦寺の訴えはほかとは違う。大蔵卿為房や太宰権帥季仲卿は、あれほど朝廷の重臣であったのに、延暦寺の訴えによって流罪になられた。まして師高などは、ものの数にも入るものか。とやかく言うまでもないことだ」と語り合われたけれども、「大臣は俸禄を重んじて諫めず、小臣は罪を恐れて申し上げない」ということなので、それぞれ口を閉ざしておられた。

意訳

章段の前半は、鹿ケ谷の謀議に加わった人々の素性を語る。俊寛は怒りっぽい祖父の血を引く気性の激しい僧であり、院の北面の武士たちは、白河・鳥羽院の時代とは違って分をわきまえず、殿上人の仲間入りまでする者が出ていた。とくに西光は、もとは信西に仕えた身分の低い者で、出家後も院の近臣として重んじられ、その子師高は加賀守にまで取り立てられた。物語は、こうした成り上がりの驕りが、謀反の背景にあったと見ている。

後半は、師高とその弟の目代師経が起こした鵜川の事件である。師経は寺の湯を奪って馬まで洗わせ、抗議した寺僧と争って、ついには寺を焼き払う。小さな寺での横暴が、白山の衆徒、さらには延暦寺を巻き込む大事件に広がっていくさまが、具体的に描かれる。白山の神輿が比叡山に着いたとき、雷が鳴り雪が降るという異変は、神々の怒りを示している。

延暦寺の訴えに対して、朝廷はなかなか裁許を下さない。師高が後白河院の寵臣西光の子であったからである。公卿たちは、昔から延暦寺の訴えには逆らえないと知りながら、「大臣は禄を重んじて諫めず、小臣は罪に恐れて申さず」という言葉のとおり、誰も口を開かない。この沈黙が、次の章段の神輿入洛という事態を招くことになる。

語釈・文法注

尊者
大臣の大饗で、主賓として招かれる人。ふつうは一の上(左大臣)などが務めた。
在廳
在庁官人。国衙(国の役所)で実務をとった地元の役人。
召公
周の召公奭。善政を行い、人々が召公の休んだ甘棠の木を大切にしたという故事で知られる。
目代
国司の代わりに任国に赴いて政務をとった代官。
まらうどの宮
日吉大社の境内にある客人宮(白山宮)。白山の神を客として祀ることからこう呼ぶ。

文法

「よしなき謀叛にも與してけるにこそ」
「にこそ」の後に「あらめ」などが省略された形。加わったのであろう、の意。
「靫負の尉」
衛門府の尉(三等官)。衛門府を靫負司ともいった。
「さき〴〵の目代は、皆不覺でこそいやしまれたれ」
係助詞「こそ」を受けて、結びが已然形「たれ」になり、下に逆接で続く。前の目代は腑甲斐ないから侮られたが、の意。
「といふ程こそありけれ」
言うか言わないかのうちに、の意の慣用句。
「大臣は祿を重んじて諫めず、小臣は罪に恐れて申さず」
中国の古典に見える言葉で、権力の前に臣下が口を閉ざすさまをいう。

解説

安元三年(1177)三月の重盛の内大臣任官は、鹿ケ谷事件の直前のことである。重盛は大将を兼ねた内大臣となり、平家の栄華はさらに高まった。物語はその祝宴の場面に、北面の武士や西光一族の驕りの話を続け、平家の栄華と、それを憎む院の近臣たちの動きとを並べて描いている。

鵜川の事件は、安元二年(1176)に加賀国で起こったもので、国司の代官と寺社勢力との争いが中央の政治問題に発展した典型的な例である。白山の衆徒は延暦寺の末寺としてその支援を求め、延暦寺は師高の配流を求めて強訴に及んだ。この強訴が、安元三年四月の神輿入洛となり、さらに天台座主明雲の配流へと事件は広がっていく。

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出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、284–288頁(コマ171–173)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日