古典ライブラリー

平家物語 巻第一

清水炎上の事

額打論の報復に延暦寺の衆徒が京に下り、上皇が衆徒に平家追討を命じたとの噂も流れて都は騒然となる。衆徒は興福寺の末寺の清水寺を焼き払って引き上げるが、清盛は院への疑いを深め、重盛がこれを諫める。やがて建春門院の生んだ皇子(高倉天皇)が即位し、時忠の権勢は「平関白」と呼ばれるほどになる。

  1. 1山さん山さんさん門もん門もんもんののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ、、、狼らう狼らうろう藉ぜき藉ぜきぜきををを致いた致いたいたさささばばば手て手てて向むか向むかむかひひいすすすべきべきべき所ところ所ところところににに、、、心こころ心こころこころ深ぶか深ぶかぶこううう狙ねら狙ねらねらふふう方かた方かたかたもももやややありありありけんけんけん、、、一ひと一ひとひと言こと言ことことももも出いだ出いだいださささずずず。。。御み御みみ門かど門かどかどかくれかくれかくれさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて後のち後のちのちははは、、、心こころ心こころこころなきなきなき草くさ草くさくさ木き木ききまでまでまでももも、、、みなみなみな憂うれ憂うれうれへへえたるたるたる色いろ色いろいろにににこそこそこそあるあるあるべきべきべきににに、、、このこのこの爭さう爭さうそう鬪とう鬪とうとうのののあさましさあさましさあさましさににに、、、高たか高たかたかきききももも賤いや賤いやいやしきしきしきももも、、、肝きも肝きもきも魂だましひ魂だましひだましいををを失うしな失うしなうしなつつっててて、、、四よ四よよ方はう方はうほうへへへみなみなみな退たい退たいたい散さん散さんさんすすす。。。
  2. 2同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう九く九くく日にち日にちにちののの午うま午うまうまののの刻こく刻こくこく許ばか許ばかばかりりり、、、山さん山さんさん門もん門もんもんののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅおびたゞしうおびたゞしうおびただしゅう下げ下げげ洛らく洛らくらくすすすととと聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、武ぶ武ぶぶ士し士しし、、、檢けん檢けんけん非び非びび違ゐ違ゐい使し使しし、、、西にし西にしにし坂さか坂さかさか本もと本もともとににに行ゆ行ゆゆききき向むか向むかむかつつっててて防ふせ防ふせふせぎぎぎけれけれけれどもどもども、、、ことことことととともももせせせずずず、、、押おし押おしおし破やぶ破やぶやぶつつっててて亂らん亂らんらん入にふ入にふにゅうすすす。。。
  3. 3またまたまた何なに何なになに者もの者ものものののの申まう申まうもうししし出いだ出いだいだしししたりたりたりけるけるけるやらやらやらんんん、、、一いち一いちいち院ゐん院ゐんいん、、、山さん山さんさん門もん門もんもんののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅににに仰おほ仰おほおおせせせててて、、、平へい平へいへい家け家けけ追つゐ追つゐつい討たう討たうとうせせせらるらるらるべしべしべしととと聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、軍ぐん軍ぐんぐん兵びやう兵びやうびょう、、、内だい内だいだい裏り裏りりににに参さん参さんさんじじじててて、、、四し四しし方はう方はうほうののの陣ぢん陣ぢんじん頭とう頭とうとうををを固かた固かたかためめめててて警けい警けいけい護ご護ごごすすす。。。平へい平へいへい氏じ氏じじののの一いち一いちいち類るゐ類るゐるい、、、みなみなみな六ろく六ろくろく波は波はは羅ら羅ららへへへ馳は馳ははせせせ集あつ集あつあつまるまるまる。。。一いち一いちいち院ゐん院ゐんいんももも急いそ急いそいそぎぎぎ六ろく六ろくろく波は波はは羅ら羅ららへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうなるなるなる。。。
  4. 4淸きよ淸きよきよ盛もり盛もりもり公こう公こうこう、、、そのそのその時とき時ときときははは未いま未いまいまだだだ大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんののの右う右うう大だい大だいだい將しやう將しやうしょうにににててておはしおはしおわしけるけるけるががが、、、大おほ大おほおおきききににに恐おそ恐おそおそれれれ騒さわ騒さわさわがががれれれけりけりけり。。。小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどの、、、「「「何なに何なになにににによつよつよっててて、、、たゞたゞただ今いま今いまいまさるさるさる御おん御おんおん事こと事ことこと候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき。。。」」」とととしづめしづめしずめ申まう申まうもうささされれれけれけれけれどもどもども、、、騒さわ騒さわさわぎぎぎのゝしるのゝしるののしることことこと夥おびたゞ夥おびたゞおびただししし。。。
  5. 5されどもされどもされども山さん山さんさん門もん門もんもんののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ、、、六ろく六ろくろく波は波はは羅ら羅ららへへへははは寄よ寄よよせせせずずずしてしてして、、、そゞろそゞろそぞろなるなるなる淸きよ淸きよきよ水みづ水みづみず寺でら寺でらでらにににおしおしおし寄よ寄よよせせせててて、、、佛ぶつ佛ぶつぶつ閣かく閣かくかく僧そう僧そうそう房ばう房ばうぼう、、、一いち一いちいち宇う宇ううももも殘のこ殘のこのこさささずずず燒や燒ややききき拂はら拂はらはらふふう。。。これこれこれははは去い去いいんんんぬるぬるぬる御ご御ごご葬さう葬さうそう送そう送そうそうののの夜よ夜よよののの、、、會くわい會くわいかい稽けい稽けいけいのののをををきよめきよめきよめんんんがががためためためとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。淸きよ淸きよきよ水みづ水みづみず寺でら寺でらでらははは興こう興こうこう福ぶく福ぶくぶく寺じ寺じじののの末まつ末まつまつ寺じ寺じじたるたるたるににによつよつよってててなりなりなり。。。
  6. 6淸きよ淸きよきよ水みづ水みづみず寺でら寺でらでら燒や燒ややけけけたりたりたりけるけるけるあしたあしたあした、、、「「「觀くわん觀くわんかん音おん音おんおん火くわ火くわか坑きやう坑きやうきょう變へん變へんへん成じやう成じやうじょうはははいかにいかにいかに。。。」」」ととと、、、札ふだ札ふだふだににに書か書かかきききててて、、、大だい大だいだい門もん門もんもんののの前まへ前まへまえにににぞぞぞ立た立たたてててたりたりたりけるけるける。。。次つぎ次つぎつぎののの日ひ日ひひまたまたまた、、、「「「歷りやく歷りやくりやく劫ごふ劫ごふごう不ふ不ふふ思し思しし議ぎ議ぎぎ力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばずずず。。。」」」ととと、、、かへしかへしかへしののの札ふだ札ふだふだをををぞぞぞ打う打ううちちちたりたりたりけるけるける。。。
  7. 7衆しゆ衆しゆしゅ徒と徒とと歸かへ歸かへかえりりり上のぼ上のぼのぼりりりけれけれければばば、、、一いち一いちいち院ゐん院ゐんいんもももいそぎいそぎいそぎ六ろく六ろくろく波は波はは羅ら羅ららよりよりより還くわん還くわんかん御ぎよ御ぎよぎょなるなるなる。。。重しげ重しげしげ盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうばかりばかりばかりぞぞぞ、、、御おん御おんおん送おく送おくおくりりりにににははは参まゐ参まゐまいららられれれけるけるける。。。父ちち父ちちちちののの卿きやう卿きやうきょうははは参まゐ参まゐまいららられれれずずず。。。なほなほなお用よう用ようよう心じん心じんじんののの爲ため爲ためためかかかとととぞぞぞ見み見みみえええししし。。。
  8. 8重しげ重しげしげ盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょう、、、御おん御おんおん送おく送おくおくりりりよりよりより歸かへ歸かへかえららられれれたりたりたりけれけれければばば、、、父ちち父ちちちちののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんのののたまひたまひたまいけるけるけるははは、、、「「「さてさてさてももも一いち一いちいち院ゐん院ゐんいんののの御ご御ごご幸かう幸かうこうこそこそこそ、、、大おほ大おほおおきききにににおそれおそれおそれ覺おぼ覺おぼおぼゆれゆれゆれ。。。かねてかねてかねてもももおぼしめしおぼしめしおぼしめしよりよりより、、、仰おほ仰おほおおせせせらるゝらるゝらるる旨むね旨むねむねのののあれあれあればばばこそこそこそ、、、かうかうこうははは聞きこ聞きこきこゆゆゆらめらめらめ。。。それそれそれにににももも猶なほ猶なほなおうちうちうちとけとけとけ給たま給たまたまふふうまじまじまじ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、
  9. 9重しげ重しげしげ盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょう申まう申まうもうささされれれけるけるけるははは、、、「「「このこのこの事こと事ことことゆめ〳〵ゆめ〳〵ゆめゆめ、、、御み御みみけしきけしきけしきにににももも、、、御おん御おんおん言こと言ことこと葉ば葉ばばにににももも出いだ出いだいださささせせせ給たま給たまたまふふうべからべからべからずずず。。。人ひと人ひとひとににに心こころ心こころこころつけつけつけ顏がほ顏がほがおににに、、、なかなかなかなかなかなかあしきあしきあしき御おん御おんおん事こと事ことことなりなりなり。。。これこれこれにににつけつけつけてててももも、、、よく〳〵よく〳〵よくよく叡えい叡えいえい慮りよ慮りよりょににに背そむ背そむそむかかかせせせ給たま給たまたまははわででで、、、人ひと人ひとひとのののためためためににに御おん御おんおんなさけなさけなさけををを施ほどこ施ほどこほどこさささせせせましましましまさまさまさばばば、、、神しん神しんしん明みやう明みやうみょう三さん三さんさん寶ぼう寶ぼうぼう加か加かか護ご護ごごあるあるあるべしべしべし、、、さらさらさらんんんににに取と取ととつつってててははは、、、御おん御おんおん身み身みみのののおそれおそれおそれ候さふらふ候さふらふそうろうまじまじまじ。。。」」」とてとてとて立た立たたたたたれれれけれけれければばば、、、「「「重しげ重しげしげ盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうはははゆゝしうゆゝしうゆゆしゅう、、、おほやうおほやうおおようなるなるなるものものものかなかなかな。。。」」」とととぞぞぞ、、、父ちち父ちちちちののの卿きやう卿きやうきょうももも宣のたま宣のたまのたまひひいけるけるける。。。
  10. 10一いち一いちいち院ゐん院ゐんいん還くわん還くわんかん御ぎよ御ぎよぎょののの後のち後のちのち、、、御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんにににうとからうとからうとからぬぬぬ近きん近きんきん習じゆ習じゆじゅ者しや者しやしゃたちたちたち、、、あまたあまたあまた候さぶら候さぶらさぶらははわれれれけるけるけるににに、、、「「「さてさてさてももも不ふ不ふふ思し思しし議ぎ議ぎぎののの事こと事ことことををを申まう申まうもうししし出いだ出いだいだしししたるたるたるものものものかなかなかな。。。つゆつゆつゆももも思おぼし思おぼしおぼし召め召めめしししよらよらよらぬぬぬものものものををを。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、院ゐん院ゐんいん中ぢゆう中ぢゆうじゅうののの切きり切きりきりににに西さい西さいさい光くわう光くわうこう法ほふ法ほふほっ師し師ししととといふいふいうものものものありありあり。。。
  11. 11折をり折をりおりふしふしふし御ご御ごご前ぜん前ぜんぜん近ちか近ちかちこううう候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるけるががが、、、進すゝ進すゝすすみみみ出い出いいでででててて、、、「「「天てん天てんてんににに口くち口くちくちなしなしなし、、、人ひと人ひとひとををを以もつ以もつもっててていはいはいわせよせよせよととと申まう申まうもうすすす。。。平へい平へいへい家け家けけ以もつ以もつもってててののの外ほか外ほかほかににに過くわ過くわか分ぶん分ぶんぶんににに候さふらふ候さふらふそうろう間あひだ間あひだあいだ、、、天てん天てんてんののの御おん御おんおん計はか計はかはからひらひらいにににややや。。。」」」とととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。人ひと人ひとひと々びと々びとびと、、、「「「このこのこの事こと事ことことよしなしよしなしよしなし。。。壁かべ壁かべかべににに耳みみ耳みみみみありありあり恐おそ恐おそおそろし〳〵ろし〳〵ろしおそろし。。。」」」とととぞぞぞ、、、各おのおの各おのおのおのおのさゝやきさゝやきささやき合あ合ああははわれれれけるけるける。。。
  12. 12さるさるさる程ほど程ほどほどにににそのそのその年とし年としとしははは諒りやう諒りやうりょうなりなりなりけれけれければばば、、、御ご御ごご禊けい禊けいけい、、、大だい大だいだい嘗じやう嘗じやうじょう會ゑ會ゑえももも行おこな行おこなおこなははわれれれずずず。。。
  13. 13建けん建けんけん春しゆん春しゆんしゅん門もん門もんもん、、、そのそのその時とき時ときときははは未いま未いまいまだだだ東ひがし東ひがしひがしののの御おん御おんおん方かた方かたかたととと申まう申まうもうしししけるけるけるそのそのその御おん御おんおん腹はら腹はらはらににに一いち一いちいち院ゐん院ゐんいんののの宮みや宮みやみやののの、、、五ご五ごご歳さい歳さいさいにににならならならせせせ給たま給たまたまふふうがががまし〳〵まし〳〵ましましけるけるけるををを、、、太たい太たいたい子し子ししににに立た立たたてててまゐらせまゐらせまいらせ給たま給たまたまふふうべしべしべしととと聞きこ聞きこきこえええしししほどほどほどににに、、、同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう二に二にに月ぐわつ月ぐわつがつ二に二にに十じふ十じふじゅう四し四しし日にち日にちにち、、、俄にはか俄にはかにはかににに親しん親しんしん王わう王わうのうののの宣せん宣せんせん旨じ旨じじ蒙かうむ蒙かうむこうむらららせせせたまふたまふたまう。。。あくれあくれあくればばば改かい改かいかい元げん元げんげんありありありててて、、、仁にん仁にんにん安あん安あんあんととと號がう號がうごうすすす。。。
  14. 14同おな同おなおなじきじきじき年とし年としとしののの十じふ十じふじゅう月ぐわつ月ぐわつがつ八やう八やうよう日か日かかののの日ひ日ひひ、、、去こ去ここ年ぞ年ぞぞ親しん親しんしん王わう王わうのうののの宣せん宣せんせん旨じ旨じじ蒙かうむ蒙かうむこうむらららせせせ給たま給たまたまひひいししし皇わう皇わうおう子じ子じじ、、、東とう東とうとう三さん三さんさん條でう條でうじょうにににててて東とう東とうとう宮ぐう宮ぐうぐうににに立た立たたたたたせせせ給たま給たまたまふふう。。。東とう東とうとう宮ぐう宮ぐうぐうははは御おん御おんおん伯を伯をお父ぢ父ぢじ六ろく六ろくろく歳さい歳さいさい、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうははは御おん御おんおん甥をひ甥をひおい三さん三さんさん歳さい歳さいさい、、、いづれいづれいずれももも昭せう昭せうしょうににに相あひ相あひあいかなはかなはかなわずずず。。。但ただ但ただただししし寛くわん寛くわんかん和な和なな二に二にに年ねん年ねんねんににに一いち一いちいち條でう條でうじょうののの院ゐん院ゐんいん、、、七しち七しちしち歳さい歳さいさいにににててて御ご御ごご即そく即そくそく位ゐ位ゐいありありあり。。。三さん三さんさん條でう條でうじょうののの院ゐん院ゐんいん、、、十じふ十じふじゅう一いち一いちいち歳さい歳さいさいにににててて東とう東とうとう宮ぐう宮ぐうぐうににに立た立たたたたたせせせ給たま給たまたまふふう。。。先せん先せんせん例れい例れいれいなきなきなきにににしもしもしもあらあらあらずずず。。。
  15. 15主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうははは二に二にに歳さい歳さいさいにににててて御おん御おんおん讓ゆづ讓ゆづゆずりりりををを承う承ううけけけさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、わづかわづかわずか五ご五ごご歳さい歳さいさいととと申まう申まうもうしししししし二に二にに月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう九く九くく日にち日にちにちににに、、、御み御みみ位くらゐ位くらゐくらいをををすべりすべりすべりててて、、、新しん新しんしん院ゐん院ゐんいんとととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。未いま未いまいまだだだ御ご御ごご元げん元げんげん服ぶく服ぶくぶくもももなくなくなくしてしてして、、、太だい太だいだい上じやう上じやうじょう天てん天てんてん皇わう皇わうのうののの尊そん尊そんそん號がう號がうごうありありあり。。。漢かん漢かんかん家か家かか、、、本ほん本ほんほん朝てう朝てうちょう、、、これこれこれややや始はじ始はじはじめめめならならならんんん。。。
  16. 16仁にん仁にんにん安あん安あんあん三さん三さんさん年ねん年ねんねん三さん三さんさん月ぐわつ月ぐわつがつ二に二にに十じふ十じふじゅう日にち日にちにちののの日ひ日ひひ、、、新しん新しんしん帝てい帝ていてい、、、大だい大だいだい極ごく極ごくごく殿でん殿でんでんにににしてしてして御ご御ごご即そく即そくそく位ゐ位ゐいありありあり。。。このこのこの君きみ君きみきみののの位くらゐ位くらゐくらいににに即つ即つつかかかせせせ給たま給たまたまひひいぬるぬるぬるははは、、、いよ〳〵いよ〳〵いよいよ平へい平へいへい家け家けけののの榮えい榮えいえい華ぐわ華ぐわがとととぞぞぞ見み見みみえええししし。。。
  17. 17國こく國こくこく母も母もも建けん建けんけん春しゆん春しゆんしゅん門もん門もんもん院ゐん院ゐんいんととと申まう申まうもうすすすははは、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの北きた北きたきたののの方かた方かたかた、、、八はち八はちはち條でう條でうじょうののの二に二にに位ゐ位ゐい殿どの殿どのどのののの御おん御おんおん妹いもうと妹いもうといもうとなりなりなり。。。またまたまた平へい平へいへい大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん時とき時ときとき忠ただ忠ただただののの卿きやう卿きやうきょうととと申まう申まうもうすすすももも、、、このこのこの女によう女にようにょう院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおん兄せうと兄せうとしょうとなるなるなる上うへ上うへうえ、、、内うち内うちうちののの御ご御ごご外ぐわい外ぐわいがい戚せき戚せきせきなりなりなり。。。内ない内ないない外げ外げげにににつけつけつけててて執しつ執しつしっ權けん權けんけんののの臣しん臣しんしんとととぞぞぞ見み見みみえええししし。。。
  18. 18そのそのその頃ころ頃ころころののの敍じよ敍じよじょ位ゐ位ゐい、、、除ぢ除ぢじ目もく目もくもくととと申まう申まうもうすすすももも、、、ひとへひとへひとえにににこのこのこの時とき時ときとき忠ただ忠ただただののの卿きやう卿きやうきょうのののまゝまゝままなりなりなりけりけりけり。。。楊やう楊やうよう貴き貴きき妃ひ妃ひひがががさいはひさいはひさいわいしししときときとき、、、楊やう楊やうよう國こく國こくこく忠ちう忠ちうちゅうががが榮さか榮さかさかえええしししががが如ごと如ごとごとししし。。。世よ世よよのののおぼえおぼえおぼえ、、、時とき時ときときののの綺き綺きき羅ら羅ららめでたかりめでたかりめでたかりききき。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこく天てん天てんてん下か下かかののの大だい大だいだい小せう小せうしょう事じ事じじををを宣のたま宣のたまのたまひひいあはせあはせあわせられられられけれけれければばば、、、時とき時ときときののの人ひと人ひとひと、、、平へい平へいへい關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱくとととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

延暦寺の衆徒は、あれほどの乱暴をされたのだから手向かいしてよいところなのに、深く心にたくらむところがあったのだろうか、一言も発しなかった。天皇がお亡くなりになった後は、心のない草木までもみな悲しみの色を見せるべきなのに、この争いのあさましさに、身分の高い者も低い者も肝をつぶして、四方へみな逃げ散った。

同じ月の二十九日の正午ごろ、延暦寺の衆徒がおびただしく京へ下ってくると聞こえたので、武士や検非違使が西坂本に向かって防いだが、衆徒はものともせず、押し破って乱入した。

また、だれが言い出したのだろうか、一院(後白河上皇)が延暦寺の衆徒に命じて平家を追討させるらしいと聞こえたので、軍兵が内裏に参上して、四方の門を固めて警護した。平家の一族はみな六波羅へ駆け集まる。一院も急いで六波羅へお出ましになった。

清盛公は、そのときはまだ大納言で右大将でいらっしゃったが、たいへん恐れて騒がれた。小松殿(重盛)が「どうして今そのようなことがありましょう」と鎮め申し上げなさったけれども、騒ぎたてることはおびただしかった。

けれども延暦寺の衆徒は、六波羅へは押し寄せずに、思いもよらない清水寺に押し寄せて、仏閣も僧房も一つ残らず焼き払った。これは先日の葬送の夜の恥をすすごうとしたのだということであった。清水寺は興福寺の末寺だからである。

清水寺が焼けた翌朝、「観音の火坑変成池の誓いはどうしたのか」と札に書いて大門の前に立てた者がいた。次の日にはまた、「歴劫不思議の観音の力も及ばなかった」と、返しの札を打ちつけた者がいた。

衆徒が山へ帰ったので、一院も急いで六波羅から御所へお帰りになった。重盛卿だけがお送りに参られた。父の清盛卿は参られなかった。やはり用心のためかと思われた。

重盛卿がお送りから帰られると、父の大納言がおっしゃるには、「それにしても一院のお出ましこそ、たいへん恐ろしく思われる。前々からお考えになって、おっしゃることがあったからこそ、あのような噂も立ったのだろう。それでもやはり気を許してはなりませんぞ」とおっしゃるので、

重盛卿が申されるには、「このことは決して、お顔色にもお言葉にもお出しになってはなりません。人に気づかせるような顔つきをなさっては、かえってよくないことです。これにつけても、よくよく院のお心に背かれずに、人のために情けをおかけになれば、神仏のご加護があるでしょう。そうなれば、御身に恐れることはございますまい」といって立たれたので、「重盛卿はたいしたもので、おおらかな者だなあ」と、父の卿もおっしゃった。

一院がお帰りになった後、御前に親しい近臣たちが大勢控えておられたところに、「それにしても不思議なことを言い出したものだ。まったく思いもよらないことなのに」とおっしゃると、院の御所の切れ者に西光法師という者がいた。

ちょうど御前近くに控えていたが、進み出て、「天に口なし、人をもって言わせよ、と申します。平家があまりにも分に過ぎておりますので、天のおはからいでしょうか」と申した。人々は「このことはよくない。壁に耳あり。恐ろしい、恐ろしい」と、めいめいささやき合われた。

そのうちに、その年は天皇の喪の年であったので、御禊も大嘗会も行われなかった。

建春門院が、そのころはまだ東の御方と申し上げていたが、そのお腹に生まれた一院の皇子で五歳になられる方がいらっしゃったのを、皇太子にお立て申し上げるらしいと聞こえていたところ、同じ年の十二月二十四日、にわかに親王の宣旨をお受けになった。年が明けると改元があって、仁安と号した。

同じ年の十月八日に、去年親王の宣旨をお受けになった皇子が、東三条殿で皇太子にお立ちになった。皇太子は叔父で六歳、天皇は甥で三歳で、どちらも世代の順にかなわない。ただし寛和二年に一条院が七歳で即位し、三条院が十一歳で皇太子にお立ちになった例がある。先例がないわけではない。

天皇(六条天皇)は二歳で御譲りをお受けになり、わずか五歳と申し上げた二月十九日に位を退いて、新院と申し上げた。まだ御元服もなさらないうちに、太上天皇の尊号を受けられた。中国にもわが国にも、これが初めてであろう。

仁安三年(1168)三月二十日、新帝(高倉天皇)が大極殿で即位なさった。この君が位におつきになったのは、いよいよ平家の栄華と思われた。

国母の建春門院と申し上げるのは、入道相国の北の方、八条の二位殿の御妹である。また平大納言時忠卿と申す人も、この女院の御兄であるうえに、天皇の外戚である。内外ともに、権勢を握る臣と見えた。

そのころの叙位・除目と申すのも、ひとえにこの時忠卿の思いどおりであった。楊貴妃が寵愛を受けたとき、楊国忠が栄えたのと同じである。世の評判も、当時の華やかさもすばらしかった。入道相国が天下の大小の事をこの人に相談なさったので、当時の人は「平関白」と申した。

意訳

額打論で恥をかかされた延暦寺の衆徒は、その場では黙っていたが、数日後に大挙して京に下る。そこに「院が衆徒に平家追討を命じた」という噂が重なり、平家一門は六波羅に集まって身構える。しかし衆徒の矛先は平家ではなく、興福寺の末寺である清水寺に向けられ、寺は焼き払われた。焼け跡に立てられた二つの札は、観音の霊験をあざける落書と、それに答えた落書で、当時の人々の皮肉な目を伝えている。

この騒ぎの中で、清盛は後白河院への疑いを深める。それに対して重盛は、疑いを顔に出せばかえって事を荒立てる、院の心に背かず人に情けをかければ神仏の加護がある、と父を諫める。のちに何度も描かれる、短気な父と思慮深い息子という対比が、ここで初めてはっきりと示される。一方、院の側では西光が「天に口なし、人を以ていはせよ」と、平家の過分を天の怒りとほのめかし、のちの鹿ケ谷の陰謀の伏線となっている。

後半は、清盛の妻時子の妹である建春門院(平滋子)の生んだ皇子が、わずか五歳の六条天皇に代わって即位し、高倉天皇となるまでを語る。天皇の母方の一族となった平家は、時忠が「平関白」と呼ばれるほどの権勢をふるう。楊貴妃の一族の楊国忠にたとえるのは、その栄華がやがて破滅を招くことへの、作者の暗示でもある。

語釈・文法注

會稽の恥
中国春秋時代、越王勾践が会稽山で呉王夫差に敗れて受けた恥を、のちに呉を滅ぼしてすすいだ故事から、以前に受けた恥や屈辱をいう。
觀音火坑變成池
『法華経』普門品の、観音の力を念じれば火の坑も池に変わる、という句。焼けた清水寺の本尊である観音の霊験をあざけった落書。
切者
主君に重用されて、権勢のある者。
諒闇
天皇が父母などの喪に服する期間。ここでは二条院の死去による。
建春門院
平滋子(1142〜1176)。時忠の妹で、清盛の妻時子の妹。後白河院の寵愛を受けて高倉天皇を産んだ。
昭穆
宗廟で祖先の位牌を並べる順序。父子の世代の順序をいう。叔父が東宮で甥が天皇という、世代が逆になっていることをいう。

文法

「心深う狙ふ方もやありけん」
「心深う」は「心深く」のウ音便。深くたくらむところがあったのだろうか、の意。
「歷劫不思議力及ばず」
「歴劫不思議」も『法華経』普門品の観音の功徳をたたえる句で、前の札に答えて、観音の力も及ばなかったのだ、と返したもの。
「天に口なし、人を以ていはせよ」
天は自分では語らず、人の口を借りて意思を表す、という諺。
「東宮は御伯父六歳、主上は御甥三歳」
高倉天皇(東宮)は後白河院の皇子で、六条天皇(主上)は後白河院の孫にあたる。年齢は当時の数え方。

解説

延暦寺衆徒による清水寺焼き討ちは、永万元年(1165)八月のことで、史実としても記録に残っている。このとき後白河院が衆徒に平家追討を命じたという噂が流れたのも事実で、院と平家の間にすでに緊張が生まれていたことを示している。

六条天皇は、仁安三年(1168)にわずか五歳(数え年)で譲位させられ、史上もっとも若い太上天皇となった。代わって即位した高倉天皇(1161〜1181)は、後白河院と建春門院の皇子で、やがて清盛の娘徳子(建礼門院)を中宮に迎える。こうして平家は、天皇の母方と妻方の両方の外戚となった。

平時忠を「平関白」と呼んだという話は、平家の権勢を誇張して伝えるものだが、時忠が高倉天皇の外戚として人事に大きな影響力を持っていたことは確かである。前の「禿童の事」の「この一門にあらざらん者は皆人非人たるべし」という言葉も、この時忠のものとして語られている。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、274–276頁(コマ166–167)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日