古典ライブラリー

平家物語 巻第一

二代の后の事

平家のほかに並ぶ者のない世となったが、院と内裏の対立は深まっていた。二条天皇は、故近衛天皇の后であった藤原多子の美しさを聞いて入内を求め、前例のない「二代の后」に反対する公卿や上皇の諫めも退ける。多子は嘆きながらも入内し、かつての御所で昔を思って歌を詠む。

  1. 1昔むかし昔むかしむかしよりよりより今いま今いまいまににに至いた至いたいたるるるまでまでまで、、、源げん源げんげん平ぺい平ぺいぺい兩りやう兩りやうりょう氏し氏しし朝てう朝てうちょう家か家かかににに召めし召めしめし使つか使つかつかははわれれれててて、、、王わう王わうおう化くわ化くわかににに從したが從したがしたがははわずずず、、、おのづからおのづからおのずから朝てう朝てうちょう權けん權けんけんををを輕かろ輕かろかろんんんずるずるずる者もの者ものものにににははは、、、互たがひ互たがひたがいににに戒いまし戒いましいましめめめををを加くは加くはくわへへえしかしかしかばばば、、、世よ世よよののの亂みだ亂みだみだれれれはははなかりなかりなかりしししににに、、、保ほう保ほうほう元げん元げんげんににに爲ため爲ためため義よし義よしよし斬き斬ききららられれれ、、、平へい平へいへい治ぢ治ぢじににに義よし義よしよし朝とも朝ともとも誅ちう誅ちうちゅうせせせられられられててて後のち後のちのちははは、、、末すゑ末すゑすえ々ずゑ々ずゑずえののの源げん源げんげん氏じ氏じじどもどもども或あるい或あるいあるいははは流なが流ながながささされれれ、、、或あるい或あるいあるいははは失うしな失うしなうしなははわれれれててて、、、今いま今いまいまははは平へい平へいへい家け家けけののの一いち一いちいち類るゐ類るゐるいのみのみのみ繁はん繁はんはん昌じやう昌じやうじょうしししててて、、、頭かしら頭かしらかしらをををさしさしさし出いだ出いだいだすすす者もの者ものものなしなしなし。。。いかならいかならいかならんんん末すゑ末すゑすえののの代よ代よよまでまでまでももも、、、何なに何なになに事ごと事ごとごとかかかあらあらあらんんんとととぞぞぞ見み見みみえええししし。。。
  2. 2されどもされどもされども鳥と鳥とと羽ば羽ばばののの院ゐん院ゐんいん御ご御ごご晏あん晏あんあんののの後のち後のちのちははは、、、兵ひやう兵ひやうひょう革かく革かくかくうちうちうちつゞいつゞいつづいててて、、、死し死しし罪ざい罪ざいざい、、、流る流るる刑けい刑けいけい、、、闕けつ闕けつけっ官くわん官くわんかん、、、停ちやう停ちやうちょう任にん任にんにん、、、常つね常つねつねににに行おこな行おこなおこなははわれれれててて、、、海かい海かいかい内だい内だいだいももも靜しづ靜しづしずかかかならならならずずず、、、世せ世せせ間けん間けんけんももも未いま未いまいまだだだ落らく落らくらく居きよ居きよきょせせせずずず。。。
  3. 3なかんづくなかんづくなかんずく永えい永えいえい曆りやく曆りやくりやく、、、應おう應おうおう保ほう保ほうほうののの頃ころ頃ころころよりよりよりしてしてして、、、院ゐん院ゐんいんののの近きん近きんきん習じゆ習じゆじゅ者しや者しやしゃをををばばば、、、内うち内うちうちよりよりより御おん御おんおん戒いまし戒いましいましめめめありありあり、、、内うち内うちうちののの近きん近きんきん習じゆ習じゆじゅ者しや者しやしゃをををばばば、、、院ゐん院ゐんいんよりよりより戒いまし戒いましいましめめめらるゝらるゝらるる間あひだ間あひだあいだ、、、上じやう上じやうじょう下げ下げげ恐おそ恐おそおそれれれをのゝいをのゝいおののいててて、、、安やす安やすやすいいい心こころ心こころこころもももせせせずずず。。。唯ただ唯ただただ深しん深しんしん淵えん淵えんえんににに臨のぞ臨のぞのぞんんんででで、、、薄はく薄はくはく氷ひよう氷ひようひょうををを蹈ふ蹈ふふむむむににに同おな同おなおなじじじ。。。
  4. 4主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょう、、、上しやう上しやうしょう皇くわう皇くわうこう、、、父ふ父ふふ子し子ししののの御おん御おんおん間なか間なかなかににに、、、何なに何なになに事ごと事ごとごとののの御おん御おんおん隔へだ隔へだへだてててかかかあるあるあるなれなれなれどもどもども、、、思おも思おもおもひひいののの外ほか外ほかほかのののことことことどもどもども多おほ多おほおおかりかりかりけりけりけり。。。これこれこれももも世よ世よよ澆げう澆げうぎょうににに及およ及およおよんんんででで、、、人ひと人ひとひと梟けう梟けうきょう惡あく惡あくあくををを先さき先さきさきとととするするする故ゆゑ故ゆゑゆえなりなりなり。。。
  5. 5主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょう、、、院ゐん院ゐんいんののの仰おほ仰おほおおせせせをををばばば、、、常つね常つねつねははは申まう申まうもうししし返かへ返かへかえさささせせせおはしましおはしましおわしましけるけるける中なか中なかなかににに、、、人ひと人ひとひと耳じ耳じじ目ぼく目ぼくぼくををを驚おどろ驚おどろおどろかしかしかし、、、世よ世よよ以もつ以もつもっててて大おほ大おほおおきききににに傾かたぶ傾かたぶかたぶけけけ申まう申まうもうすすす事こと事ことことありありありけりけりけり。。。
  6. 6故こ故ここ近この近このこの衞ゑ衞ゑえののの院ゐん院ゐんいんののの后きさき后きさききさき、、、太たい太たいたい皇くわう皇くわうこう太たい太たいたい后こう后こうこう宮ぐう宮ぐうぐうととと申まう申まうもうししししししははは、、、大おほ大おほおお炊ひ炊ひひののの御み御みみ門かど門かどかどののの右う右うう大だい大だいだい臣じん臣じんじん公きん公きんきん能よし能よしよし公こう公こうこうののの御女おんむすめ御女おんむすめおんむすめなりなりなり。。。先せん先せんせん帝てい帝ていていにににおくれおくれおくれ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまひひいててて後のち後のちのちははは、、、九こゝの九こゝのここの重へ重へえののの外ほか外ほかほか、、、近この近このこの衞ゑ衞ゑえ河が河がが原はら原はらはらののの御ご御ごご所しよ所しよしょにににぞぞぞ移うつ移うつうつりりり住す住すすままませせせ給たま給たまたまひひいけるけるける。。。
  7. 7前さき前さきさきののの后きさい后きさいきさいののの宮みや宮みやみやにににててて、、、かすかかすかかすかなるなるなる御おん御おんおん有あり有ありあり樣さま樣さまさまにににててて渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまひひいしししががが、、、永えい永えいえい曆りやく曆りやくりやくのののころほひころほひころおいははは、、、御おん御おんおん年とし年としとし二に二にに十じふ十じふじゅう二に二にに三さん三さんさんにににもももやややならならならせせせまし〳〵まし〳〵ましましけんけんけん、、、御おん御おんおんさかりさかりさかりももも少すこ少すこすこししし過す過すすぎぎぎさせさせさせおはしますおはしますおわしますほどほどほどなりなりなり。。。
  8. 8されどもされどもされども天てん天てんてん下か下かか第だい第だいだい一いち一いちいちののの美び美びび人じん人じんじんののの聞きこ聞きこきこえええまし〳〵まし〳〵ましましけれけれければばば、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょう色いろ色いろいろにににのみのみのみ染そ染そそめめめるるる御み御みみ心こころ心こころこころにににててて、、、ひそかひそかひそかににに高かう高かうこう力りき力りきりきににに詔せう詔せうしょうしししててて、、、外ぐわい外ぐわいがい宮きゆう宮きゆうきゅうににに引ひき引ひきひき求もと求もともとめめめしむるしむるしむるににに及およ及およおよびびびててて、、、このこのこの大おほ大おほおお宮みや宮みやみやののの御ご御ごご所しよ所しよしょへへへ、、、ひそかひそかひそかににに御ご御ごご艷えん艷えんえん書しよ書しよしょありありあり。。。大おほ大おほおお宮みや宮みやみやあへあへあえててて聞きこ聞きこきこしししめしめしめしももも入い入いいれれれずずず。。。
  9. 9さればさればさればひたすらひたすらひたすら、、、早はや早はやはやほほほにににあらはれあらはれあらわれててて、、、后きさき后きさききさき、、、御ご御ごご入じゆ入じゆじゅ内だい内だいだいあるあるあるべきべきべきよしよしよし、、、右う右うう大だい大だいだい臣じん臣じんじん家け家けけににに宣せん宣せんせん旨じ旨じじををを下くだ下くだくださささるるる。。。このこのこのことことこと天てん天てんてん下か下かかにににおいおいおいててて、、、異こと異ことことなるなるなる詔せう詔せうしょう旨じ旨じじなれなれなればばば、、、公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう僉せん僉せんせん有あ有あありりりててて、、、各おのおの各おのおのおのおの意い意いい見けん見けんけんをををいふいふいう。。。
  10. 10「「「まづまづまず異い異いい朝てう朝てうちょうののの先せん先せんせん蹤じよう蹤じようしょうをををとぶらふとぶらふとぶらうににに、、、震しん震しんしん旦たん旦たんたんののの則そく則そくそく天てん天てんてん皇くわう皇くわうこう后ごう后ごうごうははは唐たう唐たうとうののの太たい太たいたい宗そう宗そうそうののの后きさき后きさききさき、、、高かう高かうこう宗そう宗そうそう皇くわう皇くわうこう帝てい帝ていていののの繼けい繼けいけい母ぼ母ぼぼなりなりなり。。。太たい太たいたい宗そう宗そうそう崩ほう崩ほうほう御ぎよ御ぎよぎょののの後のち後のちのち、、、高かう高かうこう宗そう宗そうそうののの后きさき后きさききさきににに立た立たたちちち給たま給たまたまふふう事こと事ことことありありあり。。。それそれそれははは異い異いい朝てう朝てうちょうののの先せん先せんせん規き規ききたるたるたる上うへ上うへうえ、、、別べつ別べつべっ段だん段だんだんののの事こと事ことことなりなりなり。。。しかれどもしかれどもしかれどもわがわがわが朝てう朝てうちょうにににははは、、、神じん神じんじん武む武むむ天てん天てんてん皇わう皇わうのうよりよりよりこのこのこの方かた方かたかた、、、人にん人にんにん皇わう皇わうおう七しち七しちしち十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ代だい代だいだいににに至いた至いたいたるるるまでまでまで、、、未いま未いまいまだだだ二に二にに代だい代だいだいののの后きさき后きさききさきににに立た立たたたたたせせせ給たま給たまたまふふう例れい例れいれいををを聞き聞ききかかかずずず。。。」」」ととと、、、諸しよ諸しよしょ卿きやう卿きやうきょう一いち一いちいち同どう同どうどうににに訴うつた訴うつたうつたへへえ申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、
  11. 11上しやう上しやうしょう皇くわう皇くわうこうもももしかるしかるしかるべからべからべからざるざるざる由よし由よしよし、、、こしらへこしらへこしらえ申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまへへえどもどもども、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょう仰おほ仰おほおおせせせなりなりなりけるけるけるははは、、、「「「天てん天てんてん子し子ししににに父ふ父ふふ母ぼ母ぼぼなしなしなし。。。われわれわれ十じふ十じふじゅう善ぜん善ぜんぜんののの戒かい戒かいかいににによつよつよっててて、、、今いま今いまいま萬ばん萬ばんばん乘じよう乘じようじょうののの寶ほう寶ほうほう位ゐ位ゐいををを保たも保たもたもつつつ。。。これこれこれ程ほど程ほどほどののの事こと事ことこと、、、などなどなどかかか叡えい叡えいえい慮りよ慮りよりょにににまかせまかせまかせざるざるざるべきべきべき。。。」」」とてとてとて、、、やがてやがてやがて御ご御ごご入じゆ入じゆじゅ内だい内だいだいののの日ひ日ひひ、、、宣せん宣せんせん下げ下げげせせせられられられけるけるける上うへ上うへうえははは、、、上しやう上しやうしょう皇くわう皇くわうこうももも力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばせせせ給たま給たまたまははわずずず。。。
  12. 12大おほ大おほおお宮みや宮みやみやかくかくかくととときこしめさきこしめさきこしめされれれけるけるけるよりよりより、、、御おん御おんおん涙なみだ涙なみだなみだににに沉しづ沉しづしずままませせせおはしますおはしますおわします。。。先せん先せんせん帝てい帝ていていにににおくれおくれおくれ参まゐ参まゐまいらららせせせにににししし久きう久きうきゅう壽じゆ壽じゆじゅののの秋あき秋あきあきのののはじめはじめはじめ、、、同おな同おなおなじじじ野の野のの原はら原はらはらののの露つゆ露つゆつゆとととももも消き消ききえええ、、、家いへ家いへいえをををももも出い出いいででで、、、世よ世よよをををももも遁のが遁のがのがれれれたりたりたりせせせばばば、、、今いま今いまいま斯か斯かかかるかるかる憂う憂ううききき耳みみ耳みみみみをををばばば聞き聞ききかかかざらざらざらましましましとととぞぞぞ、、、御おん御おんおん歎なげ歎なげなげきききありありありけるけるける。。。父ちち父ちちちちののの大おと大おとおと臣ど臣どどこしらへこしらへこしらえ申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまひひいけるけるけるははは、、、「「「世よ世よよににに從したが從したがしたがははわざるざるざるををを以もつ以もつもっててて、、、狂きやう狂きやうきょう人じん人じんじんとととすすすととと見み見みみえええたりたりたり。。。既すで既すですでににに詔せう詔せうしょう命めい命めいめいををを下くだ下くだくださささるるる、、、仔し仔しし細さい細さいさいををを申まう申まうもうすすすににに所ところ所ところところなしなしなし。。。たゞたゞただ速すみや速すみやすみやかかかににに参まゐ参まゐまいらららせせせ給たま給たまたまふふうべきべきべきなりなりなり。。。もしもしもし皇わう皇わうおう子じ子じじ御ご御ごご誕たん誕たんたん生じやう生じやうじょうあつあつあっててて、、、君きみ君きみきみももも國こく國こくこく母も母ももととといはいはいわれれれ、、、愚ぐ愚ぐぐ老らう老らうろうももも外ぐわい外ぐわいがい祖そ祖そそととと仰あふ仰あふあおがががるるるべきべきべき瑞ずゐ瑞ずゐずい相さう相さうそうにににてててもももややや候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん。。。これこれこれひとへひとへひとえににに愚ぐ愚ぐぐ老らう老らうろうををを扶たす扶たすたすけけけさせさせさせましますましますまします、、、御ご御ごご孝かう孝かうこう行かう行かうこうののの御おん御おんおん至いた至いたいたりりりなるなるなるべしべしべし。。。」」」ととと、、、やう〳〵やう〳〵ようようにににこしらへこしらへこしらえ申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまへへえどもどもども、、、御おん御おんおん返へん返へんへん事じ事じじもももなかりなかりなかりけりけりけり。。。大おほ大おほおお宮みや宮みやみやそのそのその頃ころ頃ころころ、、、何なに何なになにとととなきなきなき御おん御おんおん手て手てて習なら習ならならひひいのののついでついでついでににに、、、
  13. 13うきうきうきふしふしふしににに沈しづ沈しづしずみみみもももやらやらやらででで河かは河かはかわ竹たけ竹たけたけののの世よ世よよにににためしためしためしなきなきなき名な名ななをををややや流なが流ながながさささむむん
  14. 14世よ世よよにににはははいかにいかにいかにしてしてして洩も洩ももれれれけるけるけるやらやらやらんんん、、、あはれあはれあわれにににやさしきやさしきやさしき例ためし例ためしためしにににぞぞぞ、、、人ひと人ひとひと々びと々びとびと申まう申まうもうししし合あ合ああははわれれれけるけるける。。。既すで既すですでににに御ご御ごご入じゆ入じゆじゅ内だい内だいだいののの日ひ日ひひにににもももなりなりなりしかしかしかばばば、、、父ちち父ちちちちののの大おと大おとおと臣ど臣どど、、、供ぐ供ぐぐ奉ぶ奉ぶぶののの上かん上かんかん達だち達だちだち部め部めめ、、、出しゆつ出しゆつしゅっののの儀ぎ儀ぎぎ式しき式しきしきなどなどなど、、、心こころ心こころこころことことことににに出いだ出いだいだししし立た立たたてててまゐらさまゐらさまいらさせせせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。大おほ大おほおお宮みや宮みやみやものものものうきうきうき御おん御おんおん出いで出いでいで立たち立たちたちなれなれなればばば、、、とみとみとみにににももも奉たてまつ奉たてまつたてまつらららずずず、、、遙はる遙はるはるかかかににに夜よ夜よよ更ふ更ふふけけけ、、、さささ夜よ夜よよもももなかばなかばなかばににになりなりなりててて後のち後のちのち、、、御み御みみ車くるま車くるまくるまにににたすけたすけたすけ乘の乘ののせせせられられられさせさせさせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。
  15. 15御ご御ごご入じゆ入じゆじゅ内だい内だいだいののの後のち後のちのちははは、、、麗れい麗れいれい景けい景けいけい殿でん殿でんでんにににぞぞぞまし〳〵まし〳〵ましましけるけるける。。。さればさればさればひたすらひたすらひたすら、、、朝あさ朝あさあさ政まつりごと政まつりごとまつりごとををを勸すゝ勸すゝすすめめめ申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまふふう御おん御おんおんさまさまさまなりなりなり。。。
  16. 16かのかのかの紫し紫しし宸しん宸しんしん殿でん殿でんでんののの皇くわう皇くわうこう居きよ居きよきょにににははは、、、賢けん賢けんけん聖じやう聖じやうじょうののの障しやう障しやうしょうををを立た立たたてててられられられたりたりたり。。。伊い伊いい尹ゐん尹ゐんいん、、、鄭てい鄭ていてい五ご五ごご倫りん倫りんりん、、、虞ぐ虞ぐぐ世せい世せいせい南なん南なんなん、、、太たい太たいたい公こう公こうこう望ばう望ばうぼう、、、角ろく角ろくろく里り里りり先せん先せんせん生せい生せいせい、、、李り李りり勣せき勣せきせき、、、司し司しし馬ば馬ばば、、、手て手てて長なが長ながなが、、、足あし足あしあし長なが長ながなが、、、馬うま馬うまうま形がた形がたがたののの障しやう障しやうしょう子じ子じじ、、、鬼おに鬼おにおにののの間ま間まま、、、李り李りり將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんががが姿すがた姿すがたすがたををを、、、さながらさながらさながら寫うつ寫うつうつせせせるるる障しやう障しやうしょう子じ子じじもももありありあり。。。尾を尾をお張はり張はりはりののの守かみ守かみかみ小を小をを野の野ののののの道たう道たうとう風ふう風ふうふうががが七しち七しちしち囘くわい囘くわいかい賢けん賢けんけん聖じやう聖じやうじょうののの障しやう障しやうしょう子じ子じじととと書か書かかけけけるるるももも、、、理ことわり理ことわりことわりとととぞぞぞ見み見みみえええししし。。。
  17. 17かのかのかの淸せい淸せいせい涼りやう涼りやうりょう殿でん殿でんでんののの畫ぐわ畫ぐわが圖と圖ととののの御おん御おんおん障しやう障しやうしょう子じ子じじにににははは、、、むかしむかしむかし金かな金かなかなががが書か書かかきききたりたりたりししし、、、遠とほ遠とほとお山やま山やまやまののの有あり有ありあり明あけ明あけあけののの月つき月つきつきもももありありありとととかやかやかや。。。故こ故ここ院ゐん院ゐんいんののの未いま未いまいまだだだ幼えう幼えうよう主しゆ主しゆしゅにににてててましましましませませませしししそのそのそのかみかみかみ、、、何なに何なになにとととなきなきなき御おん御おんおん手て手ててまさぐりまさぐりまさぐりのののついでついでついでににに、、、かきかきかきくもらかくもらかくもらかさせさせさせ給たま給たまたまひひいたりたりたりしししががが、、、ありありありしししながらながらながらににに、、、少すこ少すこすこしししもももたがはたがはたがわせせせ給たま給たまたまははわぬぬぬををを御ご御ごご覽らん覽らんらんじじじててて、、、先せん先せんせん帝てい帝ていていののの昔むかし昔むかしむかしもももややや、、、御おん御おんおん戀こひ戀こひこいしうしうしゅう思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれけんけんけん、、、
  18. 18思おも思おもおもひひいきききややや憂う憂ううききき身み身みみながらながらながらにににめぐりめぐりめぐり來き來ききててて同おな同おなおなじじじ雲くも雲くもくも居ゐ居ゐいののの月つき月つきつきををを見み見みみむむむとととははは
  19. 19そのそのその間あひだ間あひだあいだののの御おん御おんおんなからひなからひなからい、、、いひいひいい知し知ししらららずずず、、、あはれあはれあわれにににやさしきやさしきやさしき御おん御おんおん事こと事ことことなりなりなり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

昔から今に至るまで、源平の両氏は朝廷に召し使われて、天皇の徳化に従わず、ともすれば朝廷の権威を軽んじる者には、互いに戒めを加えてきたので、世の乱れはなかったのに、保元の乱で為義が斬られ、平治の乱で義朝が誅されてからは、末流の源氏どもも、あるいは流され、あるいは殺されて、今は平家の一族だけが栄えて、頭をもたげる者はいない。どれほど後の世までも、何事が起ころうかと思われた。

けれども鳥羽院がお亡くなりになってからは、戦乱が続いて、死罪・流罪・解官・停任が絶えず行われ、国内も穏やかでなく、世の中もまだ落ち着かない。

とりわけ永暦・応保のころからは、院の近臣を内裏(天皇)のほうからお咎めになり、内裏の近臣を院のほうからお咎めになるので、身分の上下を問わず人々は恐れおののいて、安らかな心もない。ちょうど深い淵に臨み、薄い氷を踏むようであった。

天皇と上皇は父子の御間柄であるから、何の隔てがあろうはずもないのに、思いのほかのことが多かった。これも世が末世に及んで、人が悪逆を第一とするからである。

天皇は、院の仰せをいつも拒み申しておられたが、その中でも、人々の耳目を驚かせ、世間がこぞって非難申し上げたことがあった。

故近衛院の后で、太皇太后宮と申し上げた方は、大炊御門右大臣公能公の御娘である。先帝に先立たれなさってからは、宮中を出て、近衛河原の御所に移り住んでおられた。

先の后の宮として、ひっそりとお暮らしであったが、永暦のころには、御年二十二、三にもおなりであっただろうか、女盛りも少し過ぎておられるころであった。

それでも天下第一の美人という評判がおありだったので、天皇は色好みのお心から、ひそかに高力士に命じて宮外の美女を探させた(唐の玄宗の故事のような)ことに及んで、この大宮の御所へひそかに恋文をお送りになった。大宮はまったくお聞き入れにならない。

そこで天皇は、とうとう表立って、后として入内するようにと、右大臣家に宣旨をお下しになった。これは天下にとって異例の勅命であったので、公卿たちの会議があって、それぞれ意見を述べた。

「まず外国の先例を調べると、中国の則天皇后は唐の太宗の后で、高宗皇帝の継母である。太宗の崩御の後、高宗の后にお立ちになったことがある。しかしそれは外国の先例であるうえに、特別な事情によることである。わが国では、神武天皇からこのかた、人皇七十余代に至るまで、二代の天皇の后にお立ちになった例はまだ聞いたことがない」と、諸卿が一同に訴え申し上げたので、

上皇もそれはよくないことだと、なだめ申し上げなさったが、天皇がおっしゃるには、「天子に父母はない。私は前世で十善を守った功徳によって、今、天子の位を保っている。これくらいのことを、どうして思いどおりにできないことがあろう」といって、やがて入内の日を宣下なさったので、上皇もどうすることもおできにならない。

大宮はこれをお聞きになってから、涙に沈んでおられた。「先帝に先立たれ申し上げた久寿の秋の初めに、同じ野辺の露と消え、出家して世を逃れていたなら、今このようなつらい話を聞かずにすんだのに」と、お嘆きになった。父の大臣がなだめ申し上げなさるには、「世に従わない者を狂人とすると書物にも見えている。すでに勅命が下ったのだから、とやかく申し上げるすべはない。ただ早く参内なさるべきだ。もし皇子がお生まれになれば、あなたも国母と呼ばれ、私も外祖父と仰がれる、めでたいしるしかもしれません。これはひとえに年老いた私を助けてくださる、孝行の極みでありましょう」と、いろいろになだめ申し上げなさったけれども、お返事もなかった。大宮はそのころ、何ということもない手習いのついでに、

つらいことに身を沈めて死んでしまうこともできず、川竹が流れるように、世に例のない(二代の后という)浮き名を流すのだろうか。

どのようにして世間に漏れたのだろうか、しみじみと心を打つ優雅な例として、人々は語り合われた。いよいよ入内の日になったので、父の大臣は、お供の公卿や出車の儀式などを、心をこめて整えて送り出し申し上げなさった。大宮は気の進まないお出かけなので、すぐにはお乗りにならず、はるかに夜が更けて、真夜中になってから、お車に助け乗せられなさった。

入内の後は、麗景殿においでになった。そしてひたすら、天皇に朝の政務を勧め申し上げなさるご様子であった。

あの紫宸殿の御座所には、賢聖の障子が立てられていた。伊尹・鄭五倫・虞世南・太公望・角里先生・李勣・司馬など、また手長・足長、馬形の障子、鬼の間、李将軍の姿をそのまま写した障子もある。尾張守小野道風が「七回賢聖の障子」と書いたのも、もっともだと思われた。

あの清涼殿の絵の障子には、昔、巨勢金岡が描いた、遠い山にかかる有明の月の絵もあったとか。故近衛院がまだ幼い天皇でいらっしゃったころ、何ということもないお手遊びのついでに、その月を墨でくもらせなさったのが、昔のままに少しも変わっていないのをご覧になって、先帝の昔のことも恋しく思われたのだろうか、

思ってもみなかったことよ。つらい身のまま生きながらえて、再びこの宮中に戻ってきて、昔と同じ雲居の月を見ることになろうとは。

その間の(新しい帝との)ご関係は、言いようもなく、しみじみと心を打つ、優雅なことであった。

意訳

前半は、保元・平治の乱を経て平家だけが栄える世になったものの、後白河上皇と二条天皇の父子が、互いの近臣を咎め合うほどに対立していたことを語る。「深淵に臨んで、薄氷を蹈むに同じ」という『詩経』の句で、人々が緊張の中で暮らしていたことが示される。この対立が、のちに清盛と後白河院の争いへと形を変えていく。

中心となるのは、二条天皇が、亡き近衛天皇の后であった藤原多子を后に迎えた事件である。「天子に父母なし」と言い放ち、前例のない「二代の后」を強行する天皇の姿は、物語の中で、驕りや非道の一つとして描かれている。一方、意に反して再び宮中に入る多子は、「うきふしに沈みもやらで」と、死ぬこともできずに浮き名を流す自分を嘆く。

結びの「思ひきや」の歌は、かつて近衛天皇が幼いころにいたずらで墨を塗った有明の月の絵が、そのまま残っているのを見て詠んだものである。同じ宮中の同じ月を、亡き夫の後に別の帝の后として見ることになった運命への感慨が、静かに表されている。平家の興隆を語る巻第一の中で、この章段は、宮廷の女性の哀しみを描く挿話となっている。

語釈・文法注

晏駕
天子の死去をいう語。崩御。鳥羽法皇は保元元年(1156)七月に亡くなり、その直後に保元の乱が起こった。
澆季
人情が薄く、道徳の衰えた末の世。末世。
高力士
唐の玄宗に仕えた宦官。玄宗の命で天下の美女を探し、楊貴妃を見いだしたと『長恨歌』などに伝える。
僉議
大勢で評議すること。
十善の戒功
前世で十善戒(殺生・偸盗などをしない十の戒め)を守った功徳。その報いで天子に生まれるとされた。
出車
儀式のとき、女房たちが乗って行列に加わる牛車。
賢聖の障子
紫宸殿の母屋と北廂の間に立てた障子。中国の賢臣三十二人の像を描いた。
金岡
巨勢金岡。平安前期の宮廷画家。大和絵の祖とされる。

文法

「頭をさし出す者なし」
あえて平家に対抗して頭をもたげる者はいない、の意。
「安い心もせず」
「安き心」のイ音便。安らかな気持ちもしない、の意。
「何事の御隔てかあるなれども」
「か…なれ」は、何の隔てがあろうか(ないはずだ)という反語を含む。父子だから隔てなどないはずなのに、の意。
「早ほにあらはれて」
「ほに出づ」(穂に出る)と同じく、隠していたことが表に出る、の意。表立って、の意。
「聞かざらましとぞ」
「…せば…まし」の反実仮想。出家していたなら、こんなつらい話は聞かなかっただろうに、の意。
「憂き身ながらにめぐり來て」
「めぐり」は、月がめぐる意と、再び宮中に戻ってくる意を重ねる。

和歌

うきふしに沈みもやらで河竹の世にためしなき名をや流さむ

詠者
太皇太后藤原多子
状況
二条天皇から入内を命じられ、父にも説得された多子が、手習いのついでに書いた歌。

修辞

掛詞
「ふし」に「憂き節(つらいこと)」と竹の「節」を、「流さむ」に「名を流す」と竹が「流れる」を掛ける。
縁語
「ふし」「沈み」「河竹」「流さ」が縁語。「河竹の」は「世(節と節の間の意の節)」を導く。

思ひきや憂き身ながらにめぐり來て同じ雲居の月を見むとは

詠者
太皇太后藤原多子
状況
再び入内した多子が、清涼殿の障子の有明の月の絵に、亡き近衛天皇が幼いころに墨を塗った跡がそのまま残っているのを見て詠んだ歌。

修辞

倒置
「思ひきや」(思っただろうか、いや思わなかった)を初句に置き、驚きを強める。
掛詞
「めぐり」に月がめぐる意と、自分が宮中に戻ってくる意を、「雲居」に空と宮中を重ねる。

解説

藤原多子(1140〜1201)は、徳大寺公能の娘で、藤原頼長の養女として近衛天皇の皇后となった。近衛天皇が久寿二年(1155)に亡くなった後、永暦元年(1160)に二条天皇の后として再び入内した。一人の女性が二人の天皇の后となったことから「二代の后」と呼ばれる。

後白河上皇と二条天皇の対立は史実で、上皇の院政に対して、天皇は親政を志し、両者の近臣が争った。二条天皇が多子の入内を強行したのも、上皇に対抗して、近衛天皇の后という権威ある存在を自分の側に迎えようとしたためとも考えられている。

多子の兄が、のちに大将の座をめぐって物語に登場する徳大寺実定である。「賢聖の障子」は、実際に紫宸殿に立てられていた障子で、小野道風が銘を書いたと伝えられる。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、269–272頁(コマ163–165)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日