源氏物語 第54帖 夢浮橋(2)
僧都の語り
僧都は、薫が確かにお聞きになっているのだろう、これほど心得なさってうかがい尋ねなさるのに、隠しおおせることでもない、かえって言い争って隠すのもつまらないだろうなどと、しばらく考えて、「どういうことだったのかと、この数か月内々に不思議に思っておりました人のことでしょうか。あちらにおります尼どもが、初瀬に願がありまして詣でて帰る道に、宇治の院という所に泊まっておりましたところ、母の尼が旅の疲れで急に病が起こって、ひどく患っていると知らせに人が参りましたので、迎えに参りましたところ、まず不思議なことがと尼どもがささやいて、親が死にかかっているのをさしおいて、その人を世話して嘆いておりました。この人も亡くなったような様子ながら、さすがに息は通っていらっしゃったので、昔物語に、霊殿に安置したという人の例を思い出して、そのようなことかと珍しがりまして、弟子たちの中で効験のある者どもを呼び寄せて、代わる代わる加持させなどしておりました。私は惜しむべき齢ではありませんが、母が旅の空で病が重いのを助けて、念仏も心乱れずさせようと、仏を念じ申し上げておりましたので、その人の有様は詳しくも拝見しませんでした。事の次第を推し量りますに、天狗や木霊などのようなものが欺いて連れて来たのだろうかと承りました。助けて京に連れ申し上げてからも三か月ほどは亡き人のようでいらっしゃいましたが、私の妹で故衛門督の北の方でございました者が尼になっておりますのが、一人持っておりました娘を失ってから、月日は多く隔たりましたが、悲しみに堪えず嘆いておりましたところ、同じ年頃と見える人が、このように容貌がたいそう端正できよらかなのを見つけ申し上げて、観音が授けてくださったと喜んで、この人を死なせ申し上げまいと惑い焦って、泣く泣くたいそう熱心なことを申しましたので、後に、あの坂本に私自ら下りまして護身などをいたしましたところ、ようやく生き返って人心地がつきなさいましたが、やはりこの取り憑いていたものが身から離れない心地がする。
- 1たしかたしかたしかににに聞聞きききき給給たまへへえるるるにににこそこそこそあああめれめれめれ、、、かばかりかばかりかばかり心心こころ得得え給給たまひひいてててうかゞひうかゞひうかがい尋尋たずねねね給給たまははわむむんににに、、、かくれかくれかくれあるあるあるべきべきべきことことことにににもももあらあらあらずずず、、、なかなかなかなかなかなかあらがひあらがひあらがいかくさかくさかくさむむんにににあいなかるあいなかるあいなかるべしべしべしなどなどなどとばかりとばかりとばかり思思おもひひいえええててて、、、「「「いかいかいかなりなりなりけるけるけることことことにににかかか侍侍はべりりりけむけむけんとととこのこのこの月月つき比比ごろうちうちうちうちうちうちににに怪怪あやしみしみしみ思思おもひひい給給たまふるふるうる人人ひとののの御御おんことことことにににやややとてとてとて、、、かしこかしこかしこににに侍侍はべるるる尼尼あまどもどもどもののの初初はつ瀨瀨せににに願願がん侍侍はべりりりててて詣詣もうでででゝゝてかへりかへりかえりけるけるける路路みちににに、、、宇宇う治治じののの院院いんととといふいふいう所所ところにににとゞまりとゞまりとどまりててて侍侍はべりりりけるけるけるににに、、、はゝはゝははのののあまあまあまのののらうけらうけろうけ俄俄にわかにににおこりおこりおこりててて、、、いたくいたくいたくなむなむなんわづらふわづらふわずらうととと告告つげげげににに人人ひとのののまうでまうでもうで來來きたりたりたりしかしかしかばばば、、、まかりまかりまかりむかひむかひむかいたりたりたりしししににに、、、まづまづまず怪怪あやしきしきしき事事ことなむなむなんとととさゝめきさゝめきささめきててて、、、親親おやのののしにしにしにかへるかへるかえるをををばばばさしさしさしおきおきおきてててもてもてもてあつかひあつかひあつかい歎歎なげきききてててなむなむなん侍侍はべりりりししし。。。このこのこの人人ひともももなくなくなくなりなりなり給給たまへへえるるるさまさまさまながらながらながらさすがさすがさすがににに息息いきははは通通かよひひいててておはしおはしおわしけれけれければばば、、、昔昔むかし物物もの語語がたりにににたまたまたま殿殿どのににに置置おきききたりたりたりけむけむけん人人ひとのののたとひたとひたといををを思思おもひひい出出いでででゝゝて、、、さやうさやうさようなるなるなる事事ことにににやややとととめづらしがりめづらしがりめずらしがり侍侍はべりりりててて、、、弟弟で子子しばらばらばらののの中中なかににに驗驗げんあるあるあるものものものどもどもどもををを呼呼よびびび寄寄よせせせつゝつゝつつかはりかはりかわりがはりがはりがわりににに加加か持持じせせせさせさせさせなどなどなどなむなむなんししし侍侍はべりりりけるけるける。。。
- 2なにがしなにがしなにがしはははをしむをしむおしむべきべきべき齡齡よわいならならならねねねどどど、、、母母ははののの旅旅たびのののそらそらそらにてにてにて病病やまいおもきおもきおもきををを助助たすけけけててて、、、念念ねん佛佛ぶつももも心心こころみだれみだれみだれずずずせせせさせさせさせむむんととと、、、佛佛ほとけををを念念ねんじじじ奉奉たてまつりりり思思おもひひい給給たまへへえしししほどほどほどににに、、、そのそのその人人ひとのののありさまありさまありさま委委くわしくしくしくももも見見み給給たまへへえずずずなむなむなん侍侍はべりりりししし。。。ことことことののの心心こころ推推おししし量量はかりりり思思おもひひい給給たまふるふるうるににに天天てん狗狗ぐこだまこだまこだまなどなどなどやうやうようのののものものものゝゝの欺欺あざむきききゐゐいてててたてまつりたてまつりたてまつりけるけるけるにににやややとととなむなむなんうけうけうけ給給たまはりはりわりししし。。。助助たすけけけててて京京きょうにににゐゐいててて奉奉たてまつりりりててて後後のちももも三三み月月つきばかりばかりばかりはははなきなきなき人人ひとにてにてにてなむなむなんものものものししし給給たまひひいけるけるけるををを、、、なにがしなにがしなにがしががが妹妹いもうと故故こ衞衞え門門もんの督督かみののの北北きたののの方方かたにてにてにて侍侍はべりりりしししががが尼尼あまににになりなりなりててて侍侍はべるるるなむなむなん、、、一一ひと人人りもちもちもちててて侍侍はべりりりししし女女おんな子子ごををを失失うしなひひいててて後後のち、、、月月つき日日ひははは多多おおくくくへだてへだてへだて侍侍はべりりりしかしかしかどどど、、、かなしひかなしひかなしびににに堪堪たへへえずずず歎歎なげききき思思おもひひい給給たまへへえ侍侍はべるるるににに、、、おなじおなじおなじ年年としのののほどほどほどゝゝとなむなむなん見見みゆるゆるゆる人人ひとののの、、、かくかくかくかたちかたちかたちいといといとうるはしくうるはしくうるわしくきよらきよらきよらなるなるなるををを見見み出出いででで奉奉たてまつりりりててて、、、觀觀かん音音のんののの賜賜たまへへえるるるととと喜喜よろこびびび思思おもひひいてててこのこのこの人人ひといたづらいたづらいたずらににになしなしなし奉奉たてまつらららじじじとととまどひまどひまどいいられいられいられててて、、、なくなくなくなくなくなくいみじきいみじきいみじき事事ことどもどもどもををを申申もうささされれれしかしかしかばばば、、、後後のちなむなむなんかのかのかのさかさかさかもともともとにににみづからみづからみずからおりおりおり侍侍はべりりりててて護護ご身身しんなどなどなど仕仕つこうううまつりまつりまつりしししにににやうやうやうやうようよういきいきいき出出いでででゝゝて人人ひととととなりなりなり給給たまへへえりりりけれけれけれどどど、、、猶猶なおこのこのこのらうじらうじろうじたりたりたりけるけるけるものものものゝゝの身身みににに離離はなれれれぬぬぬ心地心地ここちなむなむなんするするする。。。
現代語訳
確かにお聞きになっているのだろう、これほど心得なさってうかがい尋ねなさるのに、隠しおおせることでもない、かえって言い争って隠すのもつまらないだろうなどと、しばらく考えて、「どういうことだったのかと、この数か月内々に不思議に思っておりました人のことでしょうか。あちらにおります尼どもが、初瀬に願がありまして詣でて帰る道に、宇治の院という所に泊まっておりましたところ、母の尼が旅の疲れで急に病が起こって、ひどく患っていると知らせに人が参りましたので、迎えに参りましたところ、まず不思議なことがとささやいて、親が死にかかっているのをさしおいて、世話して嘆いておりました。この人も亡くなったような様子ながら、さすがに息は通っていらっしゃったので、昔物語に、霊殿に安置したという人の例を思い出して、そのようなことかと珍しがりまして、弟子たちの中で効験のある者どもを呼び寄せて、代わる代わる加持させなどしておりました。
私は惜しむべき齢ではありませんが、母が旅の空で病が重いのを助けて、念仏も心乱れずさせようと、仏を念じ申し上げておりましたので、その人の有様は詳しくも拝見しませんでした。事の次第を推し量りますに、天狗や木霊などのようなものが欺いて連れて来たのだろうかと承りました。助けて京に連れ申し上げてからも三か月ほどは亡き人のようでいらっしゃいましたが、私の妹で故衛門督の北の方でございました者が尼になっておりますのが、一人持っておりました娘を失ってから、月日は多く隔たりましたが、悲しみに堪えず嘆いておりましたところ、同じ年頃と見える人が、このように容貌がたいそう端正できよらかなのを見つけ申し上げて、観音が授けてくださったと喜んで、この人を死なせ申し上げまいと惑い焦って、泣く泣くたいそう熱心なことを申しましたので、後に、あの坂本に私自ら下りまして護身などをいたしましたところ、ようやく生き返って人心地がつきなさいましたが、やはりこの取り憑いていたものが身から離れない心地がする。
意訳
僧都は隠しきれないと悟り、経緯を語る。母の尼が初瀬詣での帰りに宇治の院で病に倒れ、駆けつけると、尼たちは死にかけた母をさしおいて、見つけた女の世話をしていた。女は息はあったが死んだような様子で、弟子たちに加持させた。天狗や木霊にたぶらかされて連れて来られたのだろうと思った。妹尼は亡き娘の代わりに観音が授けてくれたと喜び、僧都に頼んで加持させ、女はようやく生き返ったが、なお物の怪が離れない心地がすると言った。
語釈・文法注
文法
- 「らうけ」(はゝのあまのらうけ俄におこりて)
- 労気。疲れから起こる病。
- 「たま殿」(昔物語にたま殿に置きたりけむ人のたとひ)
- 霊殿。葬る前に遺体を安置しておく所。
- 「さかもと」(後なむかのさかもとにみづからおり侍りて)
- 坂本。比叡山の麓。ここでは小野のこと。
解説
僧都の語りは、手習の巻の出来事を薫の側から振り返る形になっている。読者が既に知る経緯が、薫にとっては初めて聞く驚きの事実として語られる。
僧都は、母の看病に気を取られて浮舟をよく見ていなかったと弁明する。軽率に出家させた責任を感じる僧都の、言い訳めいた語り口がうかがえる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1236–1237頁(コマ329)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日