源氏物語 第50帖 東屋(34)
弁の尼への依頼
薫は話のついでに、「あの人はこの間、宮(中の君のもと)にと聞いたが、さすがに気恥ずかしく思われて、訪れることもしない。やはりあなたからすっかり伝えてください」とおっしゃると、尼君は「先日あの母君の手紙がございました。物忌の方違えといって、あちこちにさまよっていらっしゃるようです。この頃も粗末な小家に隠れていらっしゃるようなのも、たいそう気の毒で、もう少し近ければ、そちらに移して安心できるのに、荒々しい山道に、たやすくも思い立てなくてと、ございました」と申し上げる。薫は「人々がこのように恐ろしがって住んでいる道を、私こそ変わらず分けて来るのだが、どれほどの宿縁かと思うと哀れで」と言って、いつものように涙ぐみなさった。「それならその気楽な所に便りをなさい。ご自身で出かけなさらないか」とおっしゃると、尼君は「仰せ言をお伝えしますことは易いことです。今さら京を見ますことは億劫で、宮(中の君)のもとにさえ参りませんのに」と申し上げる。薫は「どうして、とにかく人が聞き伝えるならともかく。愛宕の聖でさえ、時によっては出ないことがあったろうか。深い誓いを破って人の願いを満たしなさることこそ尊いでしょう」とおっしゃると、尼君は「人を済度することもございませんのに、聞き苦しいことでも出てまいりましたら」と苦しげに思っているが、薫は「やはりちょうどよい折のようだから」と、いつになく強いて、「明後日ごろ車を差し上げましょう。その旅の宿所を尋ねておいてください。決して愚かしい過ちはしないつもりですから」と、ほほえんでおっしゃるので、尼君は厄介で、どうお考えなのだろうと思うが、軽率で浮ついたところのないお心ざまなので、自然とご自身のためにも人聞きなどはお慎みになるだろうと思って、「それなら承りました。お近い所ですから、お手紙などをお見せくださいませ。わざわざ出しゃばって、取り持ち役のように思われますのも、今さら伊賀専女のようで気が引けまして」と申し上げる。
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現代語訳
話のついでに、「あの人はこの間、宮のもとにと聞いたが、さすがに気恥ずかしく思われて、訪れることもしない。やはりあなたからすっかり伝えてください」とおっしゃると、「先日あの母君の手紙がございました。物忌の方違えといって、あちこちにさまよっていらっしゃるようです。この頃も粗末な小家に隠れていらっしゃるようなのも、たいそう気の毒で、もう少し近い所でしたら、そちらに移して安心できるのに、荒々しい山道に、たやすくも思い立てなくてと、ございました」と申し上げる。「人々がこのように恐ろしがって住んでいる道を、私こそ変わらず分けて来るのだが、どれほどの宿縁かと思うと哀れで」と言って、いつものように涙ぐみなさった。「それならその気楽な所に便りをなさい。ご自身でそこに出かけなさらないか」とおっしゃると、「仰せ言をお伝えしますことは易いことです。今さら京を見ますことは億劫で、宮のもとにさえ参りませんのに」と申し上げる。
「どうして、とにかく人が聞き伝えるならともかく。愛宕の聖でさえ、時によっては出ないことがあったろうか。深い誓いを破って、人の願いを満たしなさることこそ尊いでしょう」とおっしゃると、「人を済度することもございませんのに、聞き苦しいことでも出てまいりましたら」と、苦しげに思っているが、「やはりちょうどよい折のようだから」と、いつになく強いて、「明後日ごろ車を差し上げましょう。その旅の宿所を尋ねておいてください。決して愚かしい過ちはしないつもりですから」と、ほほえんでおっしゃるので、厄介で、どうお考えなのだろうと思うけれど、軽率で浮ついたところのないお心ざまなので、自然とご自身のためにも人聞きなどはお慎みになるだろうと思って、「それなら承りました。お近い所ですから、お手紙などをお見せくださいませ。わざわざ出しゃばって、取り持ち役のように思われますのも、今さら伊賀専女のようで、気が引けまして」と申し上げる。
意訳
薫は弁の尼に浮舟のことを尋ね、浮舟が三条の小家に隠れていると聞く。薫は弁の尼に、自ら京に出て浮舟のもとを訪ねるよう頼む。尼は出家の身で京に出るのを渋るが、薫は愛宕の聖も時には山を出たと説き、明後日に車を差し向けると強引に決める。尼は薫の慎み深い人柄を信じて引き受ける。
語釈・文法注
文法
- 「あたごのひじり」(あたごのひじりだに時に從ひては出でずやはありける)
- 愛宕山の聖。山に籠もって修行する高僧の代表。
- 「人わたす」(人わたすことも侍らぬに)
- 人を済度する、衆生を救う。
- 「いがたうめ」(今更にいがたうめにや)
- 伊賀専女。狐の異名で、転じて男女の仲を取り持つ者。
解説
薫は、いつもの慎重さを捨てて、尼を強引に京に出そうとする。「例ならずしひて」という語り手の言葉は、薫の浮舟への関心の強さを示している。
弁の尼は「伊賀専女」と自嘲しつつ、薫と浮舟の仲立ちを引き受ける。宇治の物語の語り部であった弁の尼が、ここで新たな物語の扉を開く役を担う。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1100–1101頁(コマ261)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日