源氏物語 第50帖 東屋(5)
仲人と常陸介
この仲人は、自分の妹がこの家の西の御方(浮舟)に仕えている縁で、このようなお手紙なども取り次ぎ始めたが、守には詳しく顔も知られていない者だった。いきなり守のいる前に行って、「申し上げたいことがありまして」と取り次がせる。守は、このあたりに時々出入りすると聞いているが、前には呼び出したことのない者が何を言いに来たのかと、何となく荒々しい様子だが、「左近少将殿のお使いで参りました」と言わせたので会った。話しにくそうな顔で近くに寄って、「何か月も、こちらの御方にお便りを差し上げていらっしゃるのを、お許しがあって、この月のうちにとお約束申し上げていらっしゃることがございますが、日取りを決めて早くとお思いのところに、ある人が申しましたことには、本当に北の方の御腹の方ではあるが、守殿の御娘ではいらっしゃらない、公達が通われるのに、世間の評判は、へつらっているように、受領の婿になられるというだろう。このような公達は、ただ自分の主君のように大切にお世話して、手に捧げ持つように扱い後見申し上げることを頼みにして、そうした振る舞いをなさる人々もいるようだが、さすがにそのお願いは無理なようで、ろくに受け入れられず、見劣りして通われるのは不都合だろうということを、しきりに非難申し上げる人々が大勢いるそうなので、ただ今お思い悩んでいらっしゃいます。初めから、ただ立派に人の後見と頼み申し上げられるご威勢を選んで申し始めたのです。全くほかの人の子がいらっしゃるということを知らなかったので、もとのお志のままに、まだ幼い娘も大勢いらっしゃるそうなので、お許しくださればたいそううれしく存じます。ご意向を見て参れと仰せられましたので」と言うと、守は「全くそのようなお便りがございますことを詳しく承っておりません。
- 1このこのこの人人ひとははは妹妹いもうとのののこのこのこの西西にしののの御御おん方方かたにににあるあるあるたよりたよりたよりににに、、、かゝるかゝるかかる御御おん文文ふみなどなどなどももも取取とりりり傳傳つたへへえ始始はじめめめけれけれけれどどど、、、かみかみかみにににははは委委くわしくしくしくももも見見みえええ知知しららられれれぬぬぬものものものなりなりなりけりけりけり。。。たゞたゞただいきいきいきにににかみかみかみののの居居いたりたりたりけるけるける前前まえににに行行ゆきききててて、、、「「「とりとりとり申申もうすすすべきべきべきことことことありありありてててなむなむなん」」」ととといはいはいわすすす。。。かみかみかみこのこのこのわたりわたりわたりににに時々時々ときどき出出で入入いりばばばすすすととと聞聞きけけけどどど、、、前前まえにににははは呼呼よびびび出出いでででぬぬぬ人人ひとののの何何なに事事こといひいひいいにににかかかあらあらあらむむんとととなまなまなま荒荒あら々々あらしきしきしき氣色氣色けしきなれなれなれどどど「「「左左さ近近こん少少しょう將將しょう殿殿どのののの御御おんせうそこせうそこしょうそこにてにてにてなむなむなん侍侍さぶらふふう」」」ととといはいはいわせせせたれたれたればばばあひあひあいたりたりたり。。。語語かたらひらひらい難難がたげげげなるなるなる顔顔かおしししててて近近ちこううう居居い寄寄よりりりててて、、、「「「月月つき頃頃ごろうちうちうちののの御御おん方方かたにににせうそこせうそこしょうそこ聞聞きこえええさせさせさせ給給たまふふうををを御御おんゆるしゆるしゆるしありありありててて、、、このこのこの月月つきののの程程ほどにににととと契契ちぎりりり聞聞きこえええさせさせさせ給給たまふふうことことこと侍侍はべるるるををを、、、日日ひをををはからひはからひはからい、、、いつしかいつしかいつしかとととおもほすおもほすおもおす程程ほどにににあるあるある人人ひとののの申申もうしししけるけるけるやうやうよう、、、誠誠まことににに北北きたののの方方かたののの御御おん腹腹はらにににものものものししし給給たまへへえどどど、、、かんかんかんののの殿殿とのののの御御おん娘娘むすめにににはははおはせおはせおわせずずず、、、きんだちきんだちきんだちのののおはしおはしおわし通通かよははわむむんににに、、、世世よののの聞聞きこえええなむなむなん諂諂へつらひひいたるたるたるやうやうようならならならむむん、、、ずりやうずりやうずりょうののの御御おん婿婿むこににになりなりなり給給たまふふう。。。
- 2かやうかやうかようののの君君きん達達だちははは唯唯ただ私私わたくしののの君君きみののの如如ごとくくく思思おもひひいかしづきかしづきかしずき奉奉たてまつりりりててて、、、手手てににに捧捧ささげげげたるたるたるごとごとごと思思おもひひいあつかひあつかひあつかい後後うしろ見見み奉奉たてまつるるるにににかゝりかゝりかかりてててなむなむなん、、、さるさるさるふるまひふるまひふるまいししし給給たまふふう人々人々ひとびとものものものししし給給たまふふうめるめるめるををを、、、さすがさすがさすがにににそのそのその御御おん願願ねがひひいはははあながちあながちあながちなるなるなるやうやうようにてにてにて、、、をさをさをさをさおさおさうけうけうけられられられたまはたまはたまわででで、、、けけけおとりおとりおとりててておはしおはしおわし通通かよははわむむんことことことびんなかりびんなかりびんなかりぬぬぬべきべきべきよしよしよしをををなむなむなん、、、せちせちせちににに譏譏そしりりり申申もうすすす人々人々ひとびとあまたあまたあまた侍侍はべるるるなれなれなればばば、、、只只ただ今今いまおぼしおぼしおぼし煩煩わずらひひいてててなむなむなん。。。初初はじめめめよりよりより唯唯ただきらきらしうきらきらしうきらきらしゅう人人ひとののの後後うしろ見見みととと賴賴たのみみみ聞聞きこえええむむんににに堪堪たへへえ給給たまふふうべきべきべき御御おん覺覺おぼえええをををえらびえらびえらび申申もうしししててて聞聞きこえええはじめはじめはじめ申申もうしししゝゝしなりなりなり。。。更更さらにににことことこと人人びと物物ものししし給給たまははわむむんととといふいふいうことことこと知知しらららざりざりざりけれけれければばば、、、もともともとののの御御おん志志こころざしのののまゝまゝままににに、、、まだまだまだ幼幼おさなきききもももあまたあまたあまたおはすおはすおわすなるなるなるをををゆるいゆるいゆるい給給たまははわゞゞばいといといと嬉嬉うれしくしくしくなむなむなん。。。御御おん氣色氣色けしき見見みてててまうでまうでもうでこここととと仰仰おおせせせられられられつれつれつればばば」」」ととといふいふいうににに守守かみ「「「更更さらにににかゝるかゝるかかる御御おんせうそこせうそこしょうそこ侍侍はべるるるよしよしよし委委くわしくくくうけたまはらうけたまはらうけたまわらずずず。。。
現代語訳
この人は、妹がこの西の御方に仕えている縁で、このようなお手紙なども取り次ぎ始めたのだが、守には詳しく顔も知られていない者だった。いきなり守のいた前に行って、「申し上げたいことがありまして」と言わせる。守は、このあたりに時々出入りすると聞いているが、前には呼び出したこともない人が、何事を言いに来たのだろうかと、何となく荒々しい様子だが、「左近少将殿のお使いで参りました」と言わせたので会った。話しにくそうな顔をして、近くに寄って座って、「何か月も、内の御方にお便りを差し上げていらっしゃるのを、お許しがあって、この月のうちにとお約束申し上げていらっしゃることがございますが、日取りを決めて、早くとお思いになっているところに、ある人が申しましたことには、本当に北の方の御腹の方ではいらっしゃるが、守殿の御娘ではいらっしゃらない、公達がお通いになるのに、世間の評判は、へつらっているように、受領の御婿になられるというだろう。
このような公達は、ただ自分の主君のように大切にお世話申し上げて、手に捧げ持つように扱い後見申し上げることを頼みにして、そうした振る舞いをなさる人々もいらっしゃるようだが、さすがにそのお願いは無理なようで、ろくに受け入れられなさらず、見劣りしてお通いになることは不都合に違いないということを、しきりに非難申し上げる人々が大勢いるそうなので、ただ今お思い悩んでいらっしゃいます。初めから、ただ立派に人の後見とお頼み申し上げるのにお耐えになれるご威勢を選び申して、申し始めたのでございます。全くほかの人の子がいらっしゃるということを知らなかったので、もとのお志のままに、まだ幼い娘も大勢いらっしゃるそうなので、お許しくださるならば、たいそううれしく存じます。ご意向を見て参れと仰せられましたので」と言うと、守は「全くこのようなお便りがございますことを、詳しくは承っておりません。
意訳
仲人は、妹が浮舟に仕えている縁で文を取り次いでいたが、常陸介とは面識がなかった。仲人はいきなり常陸介を訪ね、少将の使いと名乗る。仲人は、浮舟が常陸介の実の娘でないと知った少将が、世間の非難を恐れて悩んでいると伝え、少将はもともと常陸介の後見を頼みにしていたのだから、実の娘を婿に迎えてほしいと申し入れる。常陸介はその縁談を詳しく知らなかったと答える。
語釈・文法注
文法
- 「たゞいきに」(たゞいきにかみの居たりける前に行きて)
- 直に。いきなり、取り次ぎを経ずに。
- 「ずりやう」(ずりやうの御婿になり給ふ)
- 受領。地方官。貴族からは低く見られた。
- 「ゆるい給はゞ」(まだ幼きもあまたおはすなるをゆるい給はゞ)
- 許し給はば。お許しになるならば。
解説
仲人は、少将の打算を、世間の非難を恐れているという体裁で常陸介に伝える。言葉巧みな仲人の口上が、浮舟の縁談を覆していく。
常陸介は浮舟の縁談を詳しく知らなかった。母中将の君が一人で進めていた縁談であり、継父と継子の隔たりがここにも表れている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1068–1071頁(コマ245–246)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日