源氏物語 第45帖 橋姫(25)
弁の身の上
弁は「あの方が亡くなられた騒ぎに、母でございました人はそのまま病みついて、程なく亡くなりましたので、ますます沈み込み、喪服を重ね着して悲しいことを思っておりました頃に、長年よくない男が心をかけておりましたのが、私をだまして西の海の果てまで連れて行ってしまいましたので、京のことさえ跡絶えて、その人もあちらで亡くなりました後、十年余りして、別の世に来たような心地で上京いたしましたが、この宮には父方の縁で幼い頃から参り通う由縁がございましたので、今はこうして世間に交わるべき様子でもございませんのに、冷泉院の女御様の御方などこそ、昔聞き慣れた辺りで参り寄るべきでしたが、きまり悪く思われて顔を出せず、深山隠れの朽ち木になってしまったのでございます。小侍従はいつ亡くなったのでしょう。その昔若盛りと見ました人は数少なくなってしまいました。末の世に多くの人に後れる命を悲しく存じながら、それでもやはり生き長らえております」などと申し上げるうちに、例によってすっかり夜が明けた。薫は「よし、それならこの昔話は尽きそうにない。また人の聞かない気楽な所で聞こう。侍従といった人は、ほのかに覚えているのは私が五つ六つばかりだった頃だろうか、急に胸を病んで亡くなったと聞いている。このような対面がなかったら、罪深い身で過ごしてしまうところだった」などと言う。弁は小さく巻き合わせた反故の黴臭いのを袋に縫い入れたものを取り出して差し上げる。「あなたの御前で処分してください、私はもう生きられそうもなくなったとおっしゃって、このお手紙を取り集めてくださったので、小侍従にまた会う折にはっきりとお届け申し上げようと思っていましたのに、そのまま別れてしまいましたのも、私事ながら尽きず悲しく存じます」と申し上げる。薫はさりげなく、これを隠した。このような老人は問わず語りに、不思議な事の例として言い出すのではないかとつらく思うが、繰り返し、決して漏らさないと誓ったので、そうかもしれないと、また思い乱れる。粥や強飯などを召し上がる。「昨日は暇な日だったが、今日は帝の物忌も明けたでしょう。冷泉院の女一の宮がご病気のお見舞いに必ず参らねばならないので、あれこれ暇がございませんが、またこの頃を過ぎて、山の紅葉が散らないうちに参りましょう」と宮に申し上げる。宮は「このようにたびたびお立ち寄りくださる光に、山の陰も少し明るくなる心地がして」などと喜んで申し上げる。
- 1「「「空空むなしうしうしゅうなりなりなり給給たまひひいしししさわぎさわぎさわぎににに母母ははににに侍侍はべりりりししし人人ひとはははやがてやがてやがて病病やまいづきづきずきてててほどほどほどももも經經へずずず隱隱かくれれれ侍侍はべりりりにににしかしかしかばばば、、、いとゞいとゞいとど思思おもひひい給給たまへへえ沈沈しずみみみ藤藤ふじ衣衣ごろももももたちたちたちかさねかさねかさね悲悲かなしきしきしきことことことををを思思おもひひい給給たまへへえしししほどほどほどににに、、、年年とし比比ごろよからよからよからぬぬぬ人人ひとののの心心こころをををつけつけつけたりたりたりけるけるけるががが人人ひとをををはかりはかりはかりごちごちごちててて西西にしののの海海うみのののはてはてはてまでまでまでとりとりとりもてもてもてまかりまかりまかりにににしかしかしかばばば、、、京京きょうのののことことことさへさへさへ跡跡あと絕絕たえええてててそのそのその人人ひともももかしこかしこかしこにてにてにてうせうせうせ侍侍はべりりりにににししし後後のち十十と年年とせあまりあまりあまりにてにてにてなむなむなんあらあらあらぬぬぬ世世よののの心地心地ここちしししてててまかりまかりまかりのぼりのぼりのぼりたりたりたりしししををを、、、このこのこの宮宮みやははは父父ちち方方かたにににつけつけつけててて童童わらわよりよりより參參まいりりり通通かよふふう故故ゆえ侍侍はべりりりしかしかしかばばば今今いまはははかうかうこう世世よにににまじらふまじらふまじらうべきべきべきさまさまさまにににももも侍侍はべらららぬぬぬををを、、、冷冷れい泉泉ぜい院院いんののの女女にょうご御御おんどのどのどのゝゝの御御おんかたかたかたなどなどなどこそこそこそははは昔昔むかし聞聞ききききなれなれなれ奉奉たてまつりりりしししわたりわたりわたりにてにてにて參參まいりりりよるよるよるべくべくべく侍侍はべりりりしかしかしかどどどはしたなくはしたなくはしたなく覺覺おぼえええ侍侍はべりりりてててえええさしさしさし出出いででで侍侍はべらららでででみやまみやまみやまがくれがくれがくれのののくちくちくちきききににになりなりなりにてにてにて侍侍はべるるるなりなりなり。。。小小こ侍侍じ從從じゅうはははいついついつかかかうせうせうせ侍侍はべりりりにににけむけむけん。。。そのそのそのかみかみかみののの若若わか盛盛ざかりりりととと見見み侍侍はべりりりししし人人ひとははは數數かず少少すくなくくくなりなりなり侍侍はべりりりにににけるけるける。。。末末すえののの世世よににに多多おおくくくののの人人ひとににに後後おくるゝるゝるる命命いのちををを悲悲かなしくしくしく思思おもひひい給給たまへへえてててこそこそこそさすがさすがさすがにににめぐらひめぐらひめぐらい侍侍はべれれれ」」」などなどなど聞聞きこゆるゆるゆるほどほどほどににに例例れいののの明明あけけけはてはてはてぬぬぬ。。。
- 2「「「よしよしよしさらばさらばさらばこのこのこの昔昔むかし物物もの語語がたりはははつきつきつきすすすべうべうびょうなむなむなんあらあらあらぬぬぬ。。。又又また人人ひと聞聞きかかかぬぬぬ心心こころ安安やすききき所所ところにてにてにて聞聞きこえええむむん。。。侍侍じ從從じゅうととといひいひいいししし人人ひとはははほのかほのかほのかににに覺覺おぼゆるゆるゆるははは五五いつつつつ六六むつつつばかりばかりばかりなりなりなりししし程程ほどにににややや。。。俄俄にわかににに胸胸むねををを病病やみみみてててうせうせうせにににきききとととなむなむなん聞聞きくくく。。。かゝるかゝるかかる對對たい面面めんなくなくなくばばば罪罪つみ重重おもききき身身みにてにてにて過過すぎぎぎぬぬぬべかりべかりべかりけるけるける」」」ことことことなどなどなどのたまふのたまふのたまう。。。さゝやかさゝやかささやかにににおしおしおしまきまきまきあはせあはせあわせたるたるたるほぐほぐほぐどもどもどものののかびかびかびくさきくさきくさきををを袋袋ふくろにににぬひぬひぬい入入いれれれたるたるたる取取とりりり出出いでででゝゝて奉奉たてまつるるる。。。「「「御御お前前まえにてにてにてうしなはうしなはうしなわせせせ給給たまへへえ、、、我我わ猶猶なお生生いくくくべくべくべくもももあらあらあらずずずなりなりなりにににたりたりたりとととのたまはせのたまはせのたまわせてててこのこのこの御御おん文文ふみをををとりとりとり集集あつめめめててて給給たまはせはせわせたりたりたりしかしかしかばばば小小こ侍侍じ從從じゅうににに又又またあひあひあい見見み侍侍はべらららむむんついでついでついでにににさだかさだかさだかににに傳傳つたへへえ參參まいらせらせらせむむんととと思思おもひひい給給たまへへえしししををを、、、やがてやがてやがて別別わかれれれ侍侍はべりりりにににしししももも私私わたくし事事ごとにににははは飽飽あかかかずずず悲悲かなしうしうしゅうなむなむなん思思おもひひい給給たまふるふるうる」」」ととと聞聞きこゆゆゆ。。。つれなくつれなくつれなくてててこれこれこれはははかくいかくいかくい給給たまひひいつつつ。。。かやうかやうかようのののふるふるふる人人びとはははとはずとはずとわずがたりがたりがたりにににややや怪怪あやしきしきしきことことことのののためしためしためしにににいひいひいい出出いづづずらむらむらんととと苦苦くるしくしくしくおぼせおぼせおぼせどどど、、、かへすがへすかへすがへすかえすがえすもももちらさちらさちらさぬぬぬよしよしよしをををちかひちかひちかいつるつるつる、、、さもさもさもやややととと又又また思思おもひひい亂亂みだれれれ給給たまふふう。。。御御おん粥粥かゆこはこはこわいひいひいいなどなどなど參參まいりりり給給たまふふう。。。「「「昨日昨日きのうはははいとまいとまいとまののの日日ひなりなりなりしししををを今今け日日きょうはははうちうちうちののの御御おん物物もの忌忌いみもももあきあきあきぬぬぬらむらむらん。。。院院いんののの女女おんな一一いちの宮宮みや惱惱なやみみみ給給たまふふう御御おんとぶらひとぶらひとぶらいににに必必かならずずず參參まいるるるべけれべけれべければばばかたがたかたがたかたがたいとまいとまいとまなくなくなく侍侍はべるるるををを又又またこのこのこの比比ごろ過過すぐしぐしぐしててて山山やまののの紅紅もみ葉葉じ散散ちらららぬぬぬさきさきさきににに參參まいるるるべきべきべき」」」よしよしよし聞聞きこえええ給給たまふふう。。。「「「かくかくかくしばしばしばしばしばしばたちたちたちよらよらよらせせせ給給たまふふうひかりひかりひかりににに、、、山山やまののの蔭蔭かげももも少少すこししし物物ものあきらむるあきらむるあきらむる心地心地ここちしししてててなむなむなん」」」などなどなど、、、よろこびよろこびよろこび聞聞きこえええたまふたまふたまう。。。
現代語訳
弁は「あの方がお亡くなりになった騒ぎに、母でございました人は、そのまま病みついて、程なく亡くなりましたので、ますます思い沈み、喪服も重ね着して悲しいことを思っておりました頃に、長年よくない男が心をかけておりましたのが、私をだまして、西の海の果てまで連れて行ってしまいましたので、京のことさえ跡絶えて、その人もあちらで亡くなりました後、十年余りして、別の世に来たような心地がして上京いたしましたが、この宮には父方の縁で、幼い頃から参り通う由縁がございましたので、今はこうして世間に交わるべき様子でもございませんのに、冷泉院の女御様の御方などこそ、昔お聞き慣れ申し上げた辺りで、参り寄るべきでございましたが、きまり悪く思われまして顔を出せず、深山隠れの朽ち木になってしまったのでございます。小侍従はいつ亡くなったのでしょうか。その昔、若盛りと見ました人は、数少なくなってしまいました。末の世に、多くの人に後れる命を悲しく存じながらも、それでもやはり生き長らえております」などと申し上げるうちに、例によってすっかり夜が明けてしまった。
薫は「よし、それならこの昔話は尽きそうにない。また人の聞かない気楽な所で聞こう。侍従といった人は、ほのかに覚えているのは、私が五つ六つばかりだった頃だろうか。急に胸を病んで亡くなったと聞いている。このような対面がなかったら、罪深い身のまま過ごしてしまうところだった」ということなどをおっしゃる。弁は、小さく巻き合わせた反故などの黴臭いのを、袋に縫い入れたものを取り出して差し上げる。「あなたの御前で処分してください、私はもう生きられそうもなくなったとおっしゃって、このお手紙を取り集めてくださったので、小侍従にまた会います折に、はっきりとお届け申し上げようと存じておりましたのに、そのまま別れてしまいましたのも、私事ながら尽きず悲しく存じます」と申し上げる。薫はさりげなく、これをお隠しになった。このような老人は、問わず語りに、不思議な事の例として言い出すのではないかとつらくお思いになるが、繰り返し、決して漏らさないということを誓ったのを、そうかもしれないと、また思い乱れなさる。お粥や強飯などを召し上がる。「昨日は暇な日でしたが、今日は帝の御物忌も明けたでしょう。冷泉院の女一の宮がご病気でいらっしゃるお見舞いに必ず参らねばなりませんので、あれこれ暇がございませんが、またこの頃を過ぎて、山の紅葉が散らないうちに参りましょう」ということを宮に申し上げなさる。宮は「このようにしばしばお立ち寄りくださる光に、山の陰も少し明るくなる心地がしまして」などと、喜び申し上げなさる。
意訳
弁は、柏木の死後、母も亡くなり、男にだまされて九州へ連れて行かれ、十年余りして京に戻って八の宮に仕えていると身の上を語る。薫は後日改めて聞くと約束する。弁は柏木から託された手紙の袋を薫に渡す。薫は秘密が漏れることを恐れつつ、八の宮に暇を告げ、紅葉の頃にまた来ると約束する。
語釈・文法注
文法
- 「藤衣」(藤衣もたちかさね)
- 喪服。柏木と母の喪が重なったこと。
- 「みやまがくれのくちき」(みやまがくれのくちきになりにて侍るなり)
- 深山に隠れた朽ち木。世に埋もれて老いた身のたとえ。
- 「ほぐ」(おしまきあはせたるほぐども)
- 反故。書き損じの紙、不要になった手紙。
- 「かくい給ひつ」(つれなくてこれはかくい給ひつ)
- お隠しになった。「隠し」のイ音便。
解説
弁の数奇な身の上は、柏木の死が周囲の人々の人生にも大きな影響を与えたことを示している。柏木と女三の宮の秘密は、仕えた女房たちの運命をも変えてしまった。
薫は手紙の袋を受け取り、すぐに隠す。秘密を知った喜びより、それが漏れることへの恐れが先に立つ。薫の慎重で内向的な性格が、ここでもはっきりと表れている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、904–907頁(コマ163–164)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日