源氏物語 第45帖 橋姫(17)
弁の涙
この老女房は泣き出した。「出過ぎた罪になるかと思って我慢していましたが、哀れな昔のお話を、どんな機会に申し上げて、その端だけでもお知らせしようと、長年念誦のついでにも思い続けておりましたしるしでしょうか、うれしい折でございますのに、早くも溢れる涙にくれて申し上げられません」と震える様子は、本当にひどく悲しいと思っているようだ。薫は、年を取った人は涙もろいものとは見聞きしているが、こうまで思っているのも不思議になって、「ここにこうして参ることも度重なったが、このように哀れを知る人もいなくて、露に濡れる道中にも一人だけ濡れていた。うれしいついでのようなので、言い残さないでください」と言うと、老女房は「このような機会はもうございますまい。またあったとしても、一夜のうちも分からない命は頼りにできませんので、それではただ、このような古者が世にいたとだけお知りおきください。三条の宮に仕えていた小侍従は亡くなったとほのかに聞きました。その昔親しくしていた同じ年頃の人も多く亡くなりました末の世に、遠い国から伝って上ってきて、この五、六年ほどここにこうしてお仕えしております。ご存じではないでしょうね。この頃藤大納言と申すらしい方の兄君で、衛門督で亡くなった方(柏木)のことは、何かのついでに、あの方のこととしてお聞きになったこともございましょう。亡くなってからいくらも経っていない気ばかりしております。その時の悲しさも袖の乾く時もないように思われますのに、指を折って数えますと、このようにご立派に成人なさったお年のほども夢のようです。あの故権大納言の乳母でございましたのは、この弁の母でございました。朝夕にお仕えし慣れておりましたので、人数にも入らない身ですが、人に知られず、お心に余ることを折々ほのめかしておっしゃいましたが、最期となられたご病気の末に、私を呼び寄せて少し言い残されたことがございまして、お聞きいただくべきわけが一言ございますが、これほど申し上げたので、残りをとお思いになるお心がございましたら、ゆっくりとお聞きいただきましょう。若い女房たちも、見苦しく出過ぎていると突つき合っているようなのも、もっともでございます」と言って、さすがに口に出さずにしまった。
- 1このこのこのおいおいおい人人びとはははうちうちうち泣泣なきききぬぬぬ。。。「「「さしさしさしすぎすぎすぎたるたるたる罪罪つみもももやややととと思思おもひひい給給たまへへえ忍忍しのぶれぶれぶれどどど、、、哀哀あわれなるなるなる昔昔むかしののの御御おん物物もの語語がたりのののいかならいかならいかならむむん序序ついでにににうちうちうち出出いででで聞聞きこえええさせさせさせかたはしかたはしかたはしをををもももほのめかしほのめかしほのめかししろしめさしろしめさしろしめさせせせむむんととと、、、年年とし比比ごろねんずねんずねんずのののついでついでついでにににもももうちうちうちまぜまぜまぜ思思おもひひい給給たまへへえわたるわたるわたるしるししるししるしにににややや嬉嬉うれしきしきしきをりをりおりににに侍侍はべるるるををを、、、まだきまだきまだきにににおぼゝれおぼゝれおぼおれたるたるたる淚淚なみだにににくれくれくれてててえええこそこそこそ聞聞きこえええさせさせさせ侍侍はべらららねねね」」」とととうちうちうちわなゝくわなゝくわななく氣色氣色けしき誠誠まことにににいみじくいみじくいみじく物物もの悲悲がなしししととと思思おもへへえりりり。。。大大おおかたかたかたさださださだすぎすぎすぎたるたるたる人人ひとははは淚淚なみだもろもろもろなるなるなるものものものとととははは見見み聞聞きききき給給たまへへえどどどいといといとかうかうこうしもしもしも思思おもへへえるるるももも怪怪あやしうしうしゅうなりなりなり給給たまひひいててて「「「こゝこゝここにににかくかくかく參參まいるるることことことはははたびたびたびかさなりかさなりかさなりぬるぬるぬるををを、、、かくかくかく哀哀あわれ知知しりりり給給たまへへえるるる人人ひともももなくなくなくてててこそこそこそ露露つゆけきけきけき道道みちのののほどほどほどににに一一ひと人人りのみのみのみそぼちそぼちそぼちつれつれつれ。。。うれしきうれしきうれしきついでついでついでなななめるめるめるをををことことことなななのこいのこいのこい給給たまひひいそそそかしかしかし」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「かゝるかゝるかかる序序ついでしもしもしも侍侍はべらららじじじかしかしかし。。。またまたまた侍侍はべるるるともともとも夜夜よのののまままのののほどほどほど知知しらららぬぬぬ命命いのちののの賴賴たのむむむべきべきべきにににももも侍侍はべらららぬぬぬををを、、、さらばさらばさらば唯唯ただかゝるかゝるかかるふるふるふるものものもの世世よににに侍侍はべりりりけりけりけりとととばかりばかりばかりしろしめさしろしめさしろしめされれれ侍侍はべらららなむなむなん。。。三三さん條條じょうののの宮宮みやににに侍侍さぶらひひいししし小小こ侍侍じ從從じゅうははははかなくはかなくはかなくなりなりなり侍侍はべりりりにににけるけるけるとととほのかほのかほのかににに聞聞きききき侍侍はべりりりししし。。。そのそのそのかみかみかみ睦睦むつまじうじうじゅう思思おもひひい給給たまへへえしししおなじおなじおなじほどほどほどののの人人ひと多多おおくくくうせうせうせ侍侍はべりりりにににけるけるける世世よののの末末すえににに、、、遙遙はるかなるなるなる世世せ界界かいよりよりより傳傳つたはりはりわりまうでまうでもうできききてててこのこのこの五五いつ年年とせ六六む年年とせのののほどほどほどなむなむなんこれこれこれにににかくかくかくさぶらひさぶらひさぶらい侍侍はべるるる。。。えええしろしめさしろしめさしろしめさじじじかしかしかし。。。
- 2このこのこの頃頃ころ藤藤とう大大だい納納な言言ごんととと申申もうすすすなるなるなる御御おんこのかみこのかみこのかみののの、、、衛衛え門門もんの督督かみにてにてにてかくれかくれかくれ侍侍はべりりりにににしししははは、、、ものものものゝゝのついでついでついでなどなどなどにににやややかのかのかの御御おん上上うえとてとてとて聞聞きこししし召召めししし傳傳つたふるふるうることことことももも侍侍はべらららむむん。。。すぎすぎすぎ給給たまひひいててていくばくいくばくいくばくももも隔隔へだたらたらたらぬぬぬ心地心地ここちのみのみのみししし侍侍はべるるる。。。そのそのそのをりをりおりののの悲悲かなしさしさしさもももまだまだまだ袖袖そでのののかわくかわくかわくをりをりおり侍侍はべらららずずず思思おもひひい給給たまへへえらるゝらるゝらるるををを、、、手手てををを折折おりりりててて數數かぞへへへ侍侍はべれれればばばかくかくかくおとなしくおとなしくおとなしくならならならせせせ給給たまひひいにににけるけるける御御おんよはひよはひよわいののの程程ほどももも夢夢ゆめのののやうやうようににになむなむなん。。。かのかのかの故故こ權權ごん大大だい納納な言言ごんののの御御おん乳乳め母母のとににに侍侍はべりりりしししははは辨辨べんががが母母ははににになむなむなん侍侍はべりりりししし。。。朝朝あさ夕夕ゆうににに仕仕つこうううまつりまつりまつり馴馴なれれれ侍侍はべりりりしかしかしかばばば人人ひと數數かずにににももも侍侍はべらららぬぬぬ身身みなれなれなれどどど人人ひとににに知知しららられれれずずず御心御心みこころよりよりよりはははたたたあまりあまりあまりけるけるけることことことををををりをりをりをりおりおりうちうちうちかすめかすめかすめのたまひのたまひのたまいしししををを、、、今今いまははは限限かぎりににになりなりなり給給たまひひいにににししし御御おん病病やまいののの末末すえつつつ方方かた召召めしししよせよせよせててていさゝかいさゝかいささかのたまひのたまひのたまいおくおくおくことことことなむなむなん侍侍はべりりりしししををを聞聞きこししし召召めすすすべきべきべき故故ゆえなむなむなんひとひとひとことことこと侍侍はべれれれどどどかばかりかばかりかばかり聞聞きこえええ出出いででで侍侍はべるるるにににのこりのこりのこりをををとととおぼしおぼしおぼし召召めすすす御心御心みこころ侍侍はべらららばばばのどかのどかのどかににになむなむなん聞聞きこししし召召めしししはてはてはて侍侍はべるるるべきべきべき。。。若若わかききき人々人々ひとびともももかたはらいたくかたはらいたくかたわらいたくさしさしさしすぎすぎすぎたりたりたりとととつきじろひつきじろひつきじろい侍侍はべるるるめるめるめるもももことわりことわりことわりににになむなむなん」」」とてとてとてさすがさすがさすがににに打打うちちち出出いでででずずずなりなりなりぬぬぬ。。。
現代語訳
この老女房は泣き出した。「出過ぎた罪にもなるかと存じて我慢しておりましたが、哀れな昔のお話を、どんな機会に申し上げて、その端だけでもほのめかしてお知らせしようかと、長年念誦のついでにも混ぜて思い続けておりましたしるしでしょうか、うれしい折でございますのに、早くも溢れる涙にくれて、とても申し上げられません」と震える様子は、本当にひどく悲しいと思っている。薫は、大方年を取った人は涙もろいものとは見聞きしていらっしゃるが、たいそうこうまで思っているのも不思議にお思いになって、「ここにこうして参ることは度重なったけれど、このように哀れを知っていらっしゃる人もいなくて、露に濡れる道中にも一人だけ濡れていたのです。うれしいついでのようなので、言い残さないでくださいよ」とおっしゃると、老女房は「このような機会は、もうございますまい。またございましても、一夜のうちも分からない命が頼りになるわけでもございませんので、それではただ、このような古者が世におりましたとだけ、お知りおきくださいませ。三条の宮にお仕えしておりました小侍従は、亡くなりましたとほのかに聞きました。その昔、親しく存じておりました同じ年頃の人も多く亡くなりました末の世に、遠い国から伝って上って参りまして、この五、六年ほど、ここにこうしてお仕えしております。ご存じではないでしょうね。
この頃、藤大納言と申し上げるらしい方の兄君で、衛門督で亡くなりました方のことは、何かのついでなどに、あの方の御事としてお聞き伝えになることもございましょう。亡くなってから、いくらも隔たっていない気ばかりいたします。その時の悲しさも、まだ袖の乾く時もございませんように思われますのに、指を折って数えますと、このようにご立派に成人なさったお年のほども、夢のようでございます。あの故権大納言(柏木)の御乳母でございましたのは、この弁の母でございました。朝夕にお仕えし慣れておりましたので、人数にも入らない身でございますが、人に知られず、お心に余ることを、折々ほのめかしおっしゃいましたのを、最期となられましたご病気の末に、私を呼び寄せて、少し言い残されたことがございましたのを、お聞きいただくべきわけが一言ございますが、これほど申し上げましたので、残りをとお思いになるお心がございましたら、ゆっくりとお聞き終えていただきましょう。若い女房たちも、見苦しく出過ぎていると突つき合っているようなのも、もっともでございます」と言って、さすがに口に出さずにしまった。
意訳
老女房は涙ながらに、昔の話をいつか伝えたいと願っていたと語る。自分は柏木の乳母の娘の弁であり、柏木が臨終に言い残したことがあると告げるが、若い女房たちの目もあり、その場では口に出さずに終わる。
語釈・文法注
文法
- 「小侍從」(三條の宮に侍ひし小侍從は)
- 女三の宮の乳母子。柏木と女三の宮の密通を手引きした女房。
- 「衛門督」(衛門督にてかくれ侍りにしは)
- 柏木。衛門督のち権大納言で亡くなった。
- 「辨」(辨が母になむ侍りし)
- この老女房の名。柏木の乳母の娘で、柏木に仕えていた。
- 「つきじろひ」(つきじろひ侍るめるも)
- 肘で突つき合って合図すること。
解説
薫の出生の秘密を知る人物、弁が登場する。弁は柏木の乳母子で、柏木と女三の宮の密通を知る数少ない生き証人である。薫が長年抱いてきた疑問の答えが、思いがけず宇治の山里で示されようとしている。
弁が涙ながらに語りかけながら、肝心のことは口に出さずに終わる。この「語りさし」が、薫の好奇心と不安をかき立て、再び宇治を訪れる動機となる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、896–899頁(コマ159–160)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日