源氏物語 第45帖 橋姫(9)
冷泉院の歌と八の宮の返事
阿闍梨が宇治へ帰るに際しても、薫は「必ず参上して教えを受けたいので、まず内々にでもご意向を伺ってください」などと頼む。冷泉院は伝言で、「しみじみとしたお住まいを人づてに聞くことです」などと申し上げて、世を厭う心は山に通っているが、幾重にも立つ雲をあなたが隔てているのでしょうかと詠む。阿闍梨はこの院の使いを先に立てて宮のもとに参った。並の身分の人の使いさえまれな山陰で、宮はたいそう珍しく待ち喜んで、土地柄の肴などで、それなりにもてなす。返歌は、すっかり世を捨てて心が澄んでいるわけではないけれど、世を憂しと思う宇治山に宿を借りているのですと詠む。聖の方面は卑下して申し上げたので、院は、やはり世に恨みが残っているのだと気の毒にご覧になる。阿闍梨は「中将の君が道心深くいらっしゃいます」などと話して、「経文などの意味を理解したいという志を、幼い頃から深く思いながら、やむを得ず世に暮らすうちに、公私に暇なく明け暮れ、わざわざ籠もって習い読み、大方取るに足りない身で世を背く顔をするのも遠慮すべきではないが、自然と怠けて紛れて過ごしてきたが、たいそうめったにないご様子を伝え聞いてから、こうして心にかけて頼りに思い申し上げているなどと、熱心に申されました」などと話す。宮は「世の中を仮初めのことと悟り、厭わしい心がつき始めることも、我が身に憂いがある時に、世の中全体も恨めしく思い知るきっかけがあって、道心も起こるもののようなのに、年若く世の中が思いどおりになり、何事も不足はあるまいと思われる身の上で、そのように後世までもたどり知ろうとなさるのはめったにないことです。私の方はそうなるべき宿縁なのか、ただ世を厭い離れよと、ことさらに仏などが勧め導きなさるような有様で、自然と静かな思いにかなっていくが、残り少ない気がするのに、しっかりとした悟りもなく過ぎてしまいそうで、過去も未来も全くたどる所がないと思い知られるので、かえってこちらが恥ずかしくなるほどの法の友でいらっしゃるようだ」などとおっしゃって、互いに便りを交わし、薫自らも参上する。
- 1さてさてさて阿阿あざざざ梨梨りのののかへりかへりかえりいるいるいるにににももも「「「必必かならずずず參參まいりりりててて物物もの習習ならひひい聞聞きこゆゆゆべくべくべくまづまづまずうちうちうちうちうちうちにににももも氣色氣色けしき給給たまはりはりわり給給たまへへえ」」」などなどなど語語かたらひらひらい給給たまふふう。。。みかどみかどみかどははは御御おんことことことづてづてずてにてにてにて「「「哀哀あわれなるなるなる御御おん住住すまひまひまいををを人人ひとづてづてずてににに聞聞きくくくことことこと」」」などなどなど聞聞きこえええ給給たもうううててて、、、「「「世世よをををいとふいとふいとう心心こころははは山山やまにににかよへかよへかよえどもどもどもやややへへへたつたつたつ雲雲くもをををきみきみきみやややへだつるへだつるへだつる」」」。。。阿阿あざざざ梨梨りこのこのこの御御おん使使つかいをををさきさきさきにににたてたてたてゝゝてかのかのかの宮宮みやにににまゐりまゐりまいりぬぬぬ。。。なのめなのめなのめなるなるなるきはきはきわのののさるべきさるべきさるべき人人ひとののの使使つかいだにだにだにまれまれまれなるなるなる山山やま陰陰かげにににいといといと珍珍めずらしくしくしく待待まちちち喜喜よろこびびび給給たまひひいててて、、、所所ところにににつけつけつけたるたるたるさかなさかなさかなゝゝなどどどしししてててさるさるさるかたかたかたにににもてもてもてはやしはやしはやし給給たまふふう。。。御御おんかへしかへしかへし、、、「「「あとあとあとたえたえたえててて心心こころすむすむすむとととはははなけれなけれなけれどもどもども世世よをををうぢうぢうじ山山やまにににやどやどやどをををこそこそこそかれかれかれ」」」。。。ひじりひじりひじりのののかたかたかたをををばばば卑卑ひ下下げしししててて聞聞きこえええなしなしなし給給たまへへえれれればばば猶猶なお世世よににに怨怨うらみ殘殘のこりりりけるけるけるととといとほしくいとほしくいとおしく御御ご覽覽らんずずず。。。阿阿あざざざ梨梨り「「「中中ちゅう將將じょうののの君君きみののの道道どう心心しん深深ふかげげげににに物物ものししし給給たまふふう」」」などなどなど語語かたりりり聞聞きこえええててて「「「法法ほう文文もんなどなどなどののの心心こころ得得えまほしきまほしきまほしき志志こころざしなむなむなんいはけなかりいはけなかりいわけなかりしししよはひよはひよわいよりよりより深深ふかくくく思思おもひひいながらながらながら得得え去去さらららずずず世世よにににありありありふるふるふるほどほどほどおほやけおほやけおおやけわたくしわたくしわたくしにににいとまいとまいとまなくなくなく明明あけけけくらしくらしくらし、、、わざとわざとわざととぢとぢとじ籠籠こもりりりててて習習ならひひい讀讀よみみみ大大おお方方かたはかばかしくはかばかしくはかばかしくもももあらあらあらぬぬぬ身身みにににしもしもしも世世よののの中中なかをををそむきそむきそむき顏顏がおならならならむむんももも憚憚はばかるるるべきべきべきにににあらあらあらねねねどどど、、、おのづからおのづからおのずからうちうちうちたゆみたゆみたゆみ紛紛まぎらはしくはしくわしくてててなむなむなん過過すぐしぐしぐしくるくるくるををを、、、いといといとありがたきありがたきありがたき御御おん有有あり樣樣さまをををうけうけうけ給給たまはりはりわり傳傳つたへへえしししよりよりより、、、かくかくかく心心こころにににかけかけかけてててなむなむなん賴賴たのみみみ聞聞きこえええさするさするさするなどなどなどねんごろねんごろねんごろににに申申もうししし給給たまひひいししし」」」などなどなど語語かたりりり聞聞きこゆゆゆ。。。
- 2宮宮みや「「「世世よののの中中なかをををかりそめかりそめかりそめのののことことことゝゝと思思おもひひいとりとりとり、、、いとはしきいとはしきいとわしき心心こころのののつきつきつきそむるそむるそむることことことともともとも我我わががが身身みにににうれひうれひうれいあるあるある時時とき、、、なべてなべてなべてののの世世よもももうらめしううらめしううらめしゅう思思おもひひい知知しるるるはじめはじめはじめありありありてててなむなむなん道道どう心心しんももも起起おこるるるわざわざわざなななめるめるめるををを、、、年年とし若若わかくくく世世よののの中中なか思思おもふふうにににかなひかなひかない何何なに事事ごとももも飽飽あかかかぬぬぬことことことはははあらあらあらじじじととと覺覺おぼゆるゆるゆる身身みのののほどほどほどににに、、、さささはははたたた後後ご世世せをををさへさへさへたどりたどりたどり知知しりりりたまふたまふたまうらむらむらんがががありがたさありがたさありがたさ。。。こゝこゝここにににはははさべきさべきさべきにににややや。。。唯唯ただいとひいとひいとい離離はなれれれよよよととと殊殊こと更更さらににに佛佛ほとけなどなどなどのののすゝめすゝめすすめおもむけおもむけおもむけ給給たまふふうやうやうようなるなるなる有有あり樣樣さまにてにてにて、、、おのづからおのづからおのずからこそこそこそしづかしづかしずかなるなるなる思思おもひひいにににかなひかなひかないゆけゆけゆけどどど、、、のこりのこりのこり少少すくなききき心地心地ここちするするするにににはははかばかしくかばかしくかばかしくもももあらあらあらででで過過すぎぎぎぬぬぬべかべかべかめるめるめるををを、、、きききしししかたかたかた行行ゆくくく末末すえ更更さらににに得得えたどるたどるたどる所所ところなくなくなく思思おもひひい知知しらららるゝるゝるるををを、、、かへりてかへりてかえりてははは心心こころ耻耻はずかしげしげしげなるなるなるのりのりのりののの友友ともにににこそこそこそはははものしものしものし給給たまふふうなれなれなれ」」」などなどなどのたまひのたまひのたまいてててかたみかたみかたみににに御御おんせうそこせうそこしょうそこかよひかよひかよい自自みずからららもももまうでまうでもうで給給たまふふう。。。
現代語訳
さて、阿闍梨が宇治へ帰る時にも、薫は「必ず参上して教えを受け申し上げたいので、まず内々にでもご意向を伺ってください」などと頼みなさる。院の帝は御伝言で、「しみじみとしたお住まいを人づてに聞くことです」などと申し上げなさって、「世を厭う心は、あなたの住む山に通っているけれど、幾重にも立つ雲を、あなたが隔てているのでしょうか」。阿闍梨はこの御使いを先に立てて、あの宮のもとに参った。並の身分のしかるべき人の使いさえまれな山陰に、宮はたいそう珍しく待ち喜びなさって、土地柄の肴などを用意して、それなりにもてなしなさる。御返歌、「すっかり世の跡を絶って、心が澄んでいるわけではないけれど、世を憂しと思う宇治山に、仮の宿を借りているのです」。聖の方面については卑下して申し上げなさったので、院は、やはり世に恨みが残っていたのだと、気の毒にご覧になる。阿闍梨は「中将の君が道心深くいらっしゃいます」などとお話し申し上げて、「経文などの意味を理解したいという志を、幼かった年頃から深く思いながら、やむを得ず世に暮らしているうちに、公私に暇なく明け暮らし、わざわざ籠もって習い読み、大方取るに足りない身で世を背く顔をするのも、遠慮すべきことではないけれど、自然と怠けて紛れて過ごしてきたのを、たいそうめったにないご様子を伝え聞きましてから、このように心にかけて頼りに思い申し上げているのです、などと熱心に申されました」などとお話し申し上げる。
宮は「世の中を仮初めのことと悟り、厭わしい心がつき始めることも、我が身に憂いがある時に、世の中全体も恨めしく思い知るきっかけがあって、道心も起こるもののようなのに、年若く、世の中も思いどおりになり、何事も不足はあるまいと思われる身の上で、そのように後世までもたどり知ろうとなさるのは、めったにないことです。私の方は、そうなるべき宿縁なのでしょうか。ただ世を厭い離れよと、ことさらに仏などが勧め導きなさるような有様で、自然と静かな思いにかなっていくけれど、残り少ない気持ちがするのに、しっかりとした悟りもなく過ぎてしまいそうなので、過去も未来も全くたどる所がないと思い知られるのを、かえってこちらが恥ずかしくなるほどの法の友でいらっしゃるようですね」などとおっしゃって、互いにお便りを交わし、薫ご自身も参上なさる。
意訳
冷泉院は八の宮に歌を贈り、宮は世を憂しと思う宇治山に住むと返す。阿闍梨は薫の道心を伝え、八の宮は、若く恵まれた身で後世を求める薫に感心し、法の友として親しむ。
語釈・文法注
文法
- 「世をうぢ山」(世をうぢ山にやどをこそかれ)
- 「わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり」(古今集、喜撰法師)による。「宇治」に「憂し」をかける。
- 「のりの友」(心耻しげなるのりの友にこそは)
- 法の友。仏道を共に求める友。
- 「後世」(後世をさへたどり知りたまふらむ)
- 来世。死後の世界での安楽を求めること。
解説
八の宮は、若く恵まれた薫が道心を持つことに驚く。普通は不幸をきっかけに道心が起こるものだが、薫は何不自由ない身でありながら後世を求める。その理由が出生の秘密にあることを、八の宮は知らない。
「世をうぢ山」の歌は、宇治十帖の主題を象徴する。宇治は「憂し」の地であり、この地で繰り広げられる物語は、憂いに満ちたものとなる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、888–891頁(コマ155–156)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日