源氏物語 第44帖 竹河(30)
求婚者たちのその後
以前求婚した人々が、見苦しくなく昇進して、そのまま婿にしていても不似合いでない人が多くいる。その中で、源侍従といってたいそう若く華奢だと見えた人は、宰相の中将となって、「匂う」「薫る」と聞き苦しいほど褒めそやされている。本当にたいそう人柄が重々しく奥ゆかしいので、高貴な親王たちや大臣の娘たちを、心を寄せておっしゃるという話なども聞き入れないなどということにつけて、「あの頃は若く頼りないようだったが、立派に成長しそうだ」などと玉鬘方の人々は言い合っている。「少将だった方も三位の中将とかいって評判がよく、容貌までも申し分なかったわね」などと、何となく意地の悪い女房たちはこっそり、「厄介な院のご様子よりは」などと言う者もいて、気の毒に見えた。この中将(もとの少将)は、なお思い初めた心が絶えず、つらく恨めしく思いながら、左大臣の娘を妻にしたが、ほとんど心もとめず、「道の果てなる常陸帯の」と、手習いにも口癖にもしているのは、どう思うところがあったのだろうか。御息所は穏やかでない宮中のわずらわしさに、里にいることが多くなった。尚侍(玉鬘)は思っていたようではない娘の有様を残念に思う。内裏の君(中の君)は、かえって今風に気楽そうに振る舞って、世間でも由緒あり奥ゆかしい評判で仕えている。
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現代語訳
以前求婚申し上げた人々が、見苦しくなく昇進しながら、そのまま婿としていらっしゃっても不似合いでない人が多くいることよ。その中で、源侍従といって、たいそう若く華奢だと見えた人は、宰相の中将となって、「匂う」とか「薫る」とか、聞き苦しいほど褒めそやされているそうだ。本当にたいそう人柄が重々しく奥ゆかしいので、高貴な親王たちや大臣が御娘を、心を寄せておっしゃるそうなのなども聞き入れないなどということにつけて、「あの頃は若く頼りないようだったけれど、立派に成長しそうだ」などと言い合っていらっしゃる。「少将だった方も、三位の中将とかいって評判がよく、容貌までも申し分なかったわね」などと、何となく意地の悪い仕える女房たちはこっそりと、「厄介な院のご様子よりは」などと言う者もいて、気の毒に見えた。この中将は、なお思い初めた心が絶えず、つらくも恨めしくも思いながら、左大臣の御娘を妻にしたが、ほとんど心もとめず、「道の果てなる常陸帯の」と、手習いにも口癖にもしているのは、どのように思うところがあるのだろうか。御息所は、穏やかでない宮中のわずらわしさに、里にいることが多くなってしまわれた。尚侍の君は、思っていたようではないご様子を残念にお思いになる。内裏の君(中の君)は、かえって今風に気楽そうに振る舞って、世間でも由緒あり奥ゆかしい評判でお仕えしていらっしゃる。
意訳
かつての求婚者たちは出世し、薫は宰相の中将として評判が高く、縁談も断っている。少将は三位の中将となり、左大臣の娘を妻にしたが、大君を忘れられない。御息所は院の御所での苦労から里がちになり、尚侍の中の君は宮中で気楽に評判よく仕えている。
語釈・文法注
文法
- 「ひはづ」(いと若うひはづなりと見しは)
- 華奢、か弱い。
- 「にほふやかをるや」(にほふやかをるやと聞きにくゝ)
- 「匂う兵部卿、薫る中将」という世の評判。
- 「道のはてなる常陸帶の」(道のはてなる常陸帶の)
- 「東路の道の果てなる常陸帯のかごとばかりも逢ひ見てしがな」(古今六帖)による。わずかでも逢いたいという意。
解説
時が流れ、かつての求婚者たちはそれぞれ出世した。女房たちは、少将の方がよかったのではないかとささやく。玉鬘の選択は、結果として誰も幸せにしなかったようにも見える。
少将は妻を得ても大君を忘れられず、「常陸帯」の歌を口ずさむ。一度見た面影に生涯囚われる男の姿は、源氏物語に繰り返し描かれる。一方、尚侍となった中の君は宮中で気楽に暮らす。姉妹の運命は、桜の争いの勝敗とは逆になった。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、878–881頁(コマ150–151)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日