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源氏物語 第44帖 竹河(18)

大君の院参の支度

登場人物:玉鬘・夕霧・雲居の雁・藤中納言

四月九日に大君は冷泉院に参る。右大臣(夕霧)は車や前駆の人々を大勢差し向けた。北の方(雲居の雁)も恨めしいと思うが、長年それほど親しくなかったのに、この縁談のことで頻繁に便りを交わしていたので、また途絶えるのも嫌なので、被け物として立派な女装束をたくさん贈った。「妙に正気もない様子の息子の世話をしておりますうちに、承り留めることもなかったのに、知らせてくださらないのもよそよそしい」とあった。穏やかな様子でほのめかしているのを、玉鬘は気の毒に思う。夕霧からも手紙があり、「自分も参るべきだと思っておりましたが、物忌みがございまして、息子たちを雑役にと思って参らせます。遠慮なくお召し使いください」と言って、源少将や兵衛佐などを差し向けた。玉鬘は「情けのある方だ」と喜ぶ。大納言(紅梅大納言)からも女房たちの車を差し向ける。大納言の北の方は故大臣(髭黒)の娘、真木柱の姫君なので、どちらにつけても親しく交際してよいはずだが、それほどでもない。藤中納言は自ら来て、中将や弁の君達と一緒に事を取り仕切る。殿(髭黒)が生きていらしたらと、何事につけても哀れである。

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引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

九日に大君は院に参上なさる。右大臣は、お車や前駆の人々を大勢差し向けなさった。北の方(雲居の雁)も恨めしいとお思い申し上げなさるが、長年もそれほど親しくはなかったのに、このことのために頻繁に便りを交わしていらっしゃったのを、また途絶えるのも嫌なので、被け物として、立派な女の装束をたくさん差し上げなさった。「妙に正気もないような息子の有様を世話いたしておりますうちに、承り留めることもございませんでしたのに、お知らせくださらないのも、よそよそしいことで」とあった。穏やかな様子でほのめかしていらっしゃるのを、玉鬘は気の毒にとご覧になる。大臣からもお手紙があって、「自分も参上すべきだと存じておりましたが、慎むことがございまして、息子たちを雑役にということで参らせます。遠慮なくお召し使いください」と言って、源少将や兵衛佐などを差し向けなさった。玉鬘は「情けはおありになることよ」と喜び申し上げなさる。大納言殿からも女房たちのお車を差し向けなさる。その北の方は、故大臣の御娘で真木柱の姫君なので、どちらにつけても親しく交際なさるべきだが、それほどでもない。藤中納言は自らいらっしゃって、中将や弁の君達と一緒に事を取り仕切りなさる。殿が生きていらっしゃったらと、何事につけても哀れである。

意訳

四月九日、大君は冷泉院に参る。夕霧は車や人を差し向け、雲居の雁も装束を贈りながら息子のことをほのめかす。夕霧は息子たちを手伝いに送り、紅梅大納言も車を出す。藤中納言らが取り仕切るが、髭黒がいればと皆が思う。

語釈・文法注

文法

「うつし心もなき」(あやしううつし心もなきやうなる人)
正気もない。恋に思い乱れている少将を指す。
「ざうやく」(をのこどもざうやくにとて參らす)
雑役。雑用係。
「源少將兵衛佐」(源少將兵衛佐など奉れ給へり)
夕霧の子たち。

解説

大君の院参りには、夕霧家、紅梅大納言家からも支援がある。玉鬘の人脈が総動員されている。しかし雲居の雁の手紙には、息子の恋が報われなかった恨みがにじんでいる。

「殿のおはせましかば」という嘆きが繰り返される。髭黒がいれば、もっと華やかな入内となったはずである。父を失った家の寂しさが、この晴れの日にも影を落としている。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、870–871頁(コマ146)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日