源氏物語 第44帖 竹河(5)
正月の夕霧の来訪
正月の初め頃、玉鬘の弟の大納言(紅梅大納言、昔「高砂」を謡った人)や、藤中納言(髭黒の長男で真木柱の同母兄)などが参上した。右大臣(夕霧)も息子たち六人を全員引き連れてやって来た。容貌をはじめとして不足のない人柄と声望で、君達もそれぞれたいそう美しく、年の割には官位も進んで、何の悩みがあろうかと見える。いつも蔵人の少将は格別に大切にされているが、沈みがちで思うことがありそうな顔である。夕霧は几帳を隔てて昔と変わらず話をする。「これといった用もなくてしばしばお伺いもできず、年を取るにつれて参内以外の外出も気恥ずかしくなりまして、昔の話も申し上げたい折々が多いのに過ごしております。若い息子たちは、しかるべきことにはお召し使いください。必ずその誠意をご覧に入れよと戒めております」などと言う。玉鬘は「今はこうして世に数えられもしないような有様を、人並みに扱ってくださるにつけても、亡き院のことがいっそう忘れがたく思われます」と言うついでに、冷泉院からの申し出をほのめかして、「しっかりした後見のない人の宮仕えは、かえって見苦しいだろうとあれこれ思い悩んでおります」と言うと、夕霧は「帝からも仰せがあるように伺っていましたが、どちらにお決めになるのでしょう。院は確かに御位を退かれて盛りを過ぎた感じがしますが、世に比類ないご様子はいつまでも変わらないようなので、まあまあ育った娘がいればと思いながらも、恥ずかしいほど立派な方々の中に交わらせられる者がおりませんで残念に思っています。そもそも女一の宮の母女御はお許しになるのですか。以前の人々も、そうした遠慮で滞ったことがありました」と言う。玉鬘は「その女御が、所在なくのどかになった暮らしも、同じ心で後見して慰めたいなどとお勧めくださるので、どうしたものかと思うようになったのです」と答える。
- 1むつきむつきむつきのののついたちついたちついたちごろごろごろかんかんかんののの君君きみののの御御おんはらからはらからはらからののの大大だい納納な言言ごん高高たか砂砂さご謠謠うたひひいししし夜夜よ、、、藤藤とう中中ちゅう納納な言言ごん、、、故故こ大大おお殿殿とのののの太太た郞郞ろう、、、まきまきまきばしらばしらばしらののの一一ひとつつつ腹腹ばらなどなどなど參參まいりりり給給たまへへえりりり。。。右右みぎのののおとゞおとゞおとどももも御御み子子こどもどもども六六ろく人人にんながらながらながらひきひきひきつれつれつれててておはしおはしおわしたりたりたり。。。御御おんかたちかたちかたちよりよりよりはじめはじめはじめててて飽飽あかかかぬぬぬことことことなくなくなく見見みゆるゆるゆる人人ひとののの御御おん有有あり樣樣さまおぼえおぼえおぼえなりなりなり、、、君君きん達達だちもももさまさまさまさまさまさまいといといと淸淸きよげげげにてにてにて年年としのののほどほどほどよりよりよりはははつかさつかさつかさくらゐくらゐくらいももも過過すぎぎぎつゝつゝつつ何何なに事事ごとををを思思おもふふうらむらむらんととと見見みえええたるたるたるべしべしべし。。。世世よととと共共ともににに藏藏くろう人人どののの君君きみはははかしづかかしづかかしずかれれれたるたるたるさまさまさまことことことなれなれなれどどどうちうちうちしめりしめりしめりててて思思おもふふうことことことありありありがほがほがおなりなりなり。。。おとゞおとゞおとどははは御御おん几几き帳帳ちょうへだてへだてへだてゝゝて昔昔むかしににに變變かわらららずずず御御おん物物もの語語がたり聞聞きこえええ給給たまふふう。。。「「「そのそのその事事こととととなくなくなくてててしばしばしばしばしばしばもももえええうけうけうけたまはらたまはらたまわらずずず、、、年年としののの數數かずそふそふそうまゝまゝままににに內內うち參參まいりりりよりよりよりほかほかほかのののありきありきありきなどなどなどうひうひしくうひうひしくういういしくなりなりなりにてにてにて侍侍はべれれればばばいにしへいにしへいにしえののの御御おん物物もの語語がたりももも聞聞きこえええまほしきまほしきまほしき折折おり々々おり多多おおくくく過過すぐしぐしぐし侍侍はべるるるをををなむなむなん、、、若若わかきききをのこをのこおのこどもどもどもはははさるべきさるべきさるべきことことことにににははは召召めしししつかはつかはつかわせせせ給給たまへへえ。。。必必かならずずずそのそのその志志こころざし御御ご覽覽らんぜぜぜられよられよられよととといましめいましめいましめ侍侍はべるるる」」」などなどなど聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
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現代語訳
正月の初め頃、尚侍の君の御弟の大納言(昔「高砂」を謡った方)や、藤中納言、すなわち故大殿(髭黒)の長男で、真木柱と同じ母の方などが参上なさった。右大臣も御子たち六人全員を引き連れていらっしゃった。ご容貌をはじめとして、不足なく見える人のご様子と声望であり、君達もそれぞれたいそう美しくて、年の割には官位も進みながら、何の悩みを思うだろうかと見えるにちがいない。いつも蔵人の君は、大切にされている様子は格別だが、沈みがちで、思うことがありそうな顔つきである。大臣は御几帳を隔てて、昔と変わらずお話を申し上げなさる。「これといった用もなくて、しばしばお伺いすることもできず、年の数が加わるにつれて、参内のほかの外出なども気恥ずかしくなってしまいましたので、昔のお話も申し上げたい折々が多いのに、そのまま過ごしておりますが、若い息子たちは、しかるべきことにはお召し使いください。必ずその誠意をご覧に入れよと戒めております」などと申し上げなさる。
玉鬘は「今はこのように、世に数えられもしないようになってゆく有様を、人並みにお数えくださるにつけても、亡くなった院の御事も、いっそう忘れがたく思われます」と申し上げなさったついでに、冷泉院からおっしゃっていることをほのめかし申し上げなさる。「しっかりした後見のない人の宮仕えは、かえって見苦しいのではないかと、あれこれ思い悩んでおります」と申し上げなさると、夕霧は「帝から仰せられることがあるように伺っておりましたが、どちらにお決めになるべきことでしょうか。院は確かに御位をお退きになったので、盛りを過ぎた感じがしますけれど、世に比類ないご様子は、いつまでも変わらずばかりいらっしゃるようなので、まあまあに育った娘がおりましたらと思い寄りながら、恥ずかしいほどご立派な方々の中に交わることのできる者がおりませんで、残念に存じております。そもそも女一の宮の母女御はお許し申し上げなさるのですか。以前の人々も、そうした遠慮によって滞ることがございました」と申し上げなさると、玉鬘は「その女御が、所在なくのどかになってしまった暮らしも、同じ心で後見して慰めたいなどと、お勧めくださるにつけて、どうしたものかなどと思い寄るようになったのでございます」と申し上げなさる。
意訳
正月、紅梅大納言や藤中納言、夕霧と六人の息子たちが玉鬘を訪れる。蔵人少将だけは沈んだ顔をしている。
玉鬘は冷泉院からの申し出を夕霧に相談する。夕霧は、女一の宮の母女御の意向を尋ね、玉鬘は女御自身が勧めていると答える。
語釈・文法注
文法
- 「高砂謠ひし」(大納言高砂謠ひし夜)
- 昔、賢木の巻で、幼い弁の君(今の大納言)が催馬楽「高砂」を謡ったことを指す。
- 「まきばしらの一つ腹」(故大殿の太郞、まきばしらの一つ腹)
- 髭黒の長男で、真木柱と同じ母(式部卿宮の娘)から生まれた子。
- 「女一宮の女御」(女一宮の女御は許し聞え給ふや)
- 冷泉院の弘徽殿女御。頭中将の娘で、玉鬘の異母姉にあたる。
解説
正月の年賀に、源氏・頭中将・髭黒の各家の人々が玉鬘のもとに集う。かつての栄華の時代の人々の子どもたちが、新しい世代を形作っている。
夕霧は女一の宮の母女御の意向を気にかける。冷泉院の後宮には弘徽殿女御と秋好中宮がいる。後から入る者が先にいる人々と争いになることを、夕霧は心配しているのである。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、858–861頁(コマ140–141)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日