源氏物語 第44帖 竹河(1)
語り手の前置きと玉鬘の家
これは源氏の一族からも離れていた、後の太政大臣(髭黒)家にいた口さがない老女房たちの生き残りが、問わず語りに話しておいたもので、紫の上ゆかりの話にも似ないようだが、その女たちが言うには、源氏の子孫について間違ったことが混じって伝わっているのは、自分たちより年を取ってぼけた人の思い違いではないかなどと不審がっていたが、どちらが本当なのだろう。尚侍(玉鬘)の御腹に故殿(髭黒)の子は男三人、女二人がいたが、さまざまに大切に育てようと心づもりをして、年月が過ぎるのも待ち遠しく思っていたうちに、髭黒があっけなく亡くなってしまったので、夢のように、早くと急いでいた姫君の宮仕えも立ち消えになった。人の心は時勢にばかり従うものなので、あれほど威勢を誇った大臣の名残として、内々の宝物や領地などの方面の衰えはないが、大方の様子は打って変わったように邸の中は寂しくなってゆく。尚侍の近い縁者は世に多く広がっているが、かえって高貴な方々との間柄はもともと親しくなかった上に、故殿は情けが少し足りず、気まぐれが過ぎた性分で、人に疎まれることもあった縁からか、尚侍は誰とも親しく交わることができない。六条院(源氏)は、すべて昔と変わらず尚侍を娘の一人として数えて、亡くなった後のことを書き置いた遺産分けの文書にも、明石の中宮の次に加えていたので、右大臣(夕霧)などはかえってその心を汲んで、しかるべき折々には便りをする。
- 1これこれこれははは源源げん氏氏じののの御御おんぞうぞうぞうにににももも離離はなれれれ給給たまへへえりりりししし後後のちちちののの大大おお殿殿とのわたりわたりわたりにににありありありけるけるける、、、わるわるわるごだちごだちごだちのののおちおちおちとまりとまりとまり殘殘のこれれれるるるががが問問とはははずずずがたりがたりがたりしししおきおきおきたるたるたるははは、、、紫紫むらさきのののゆかりゆかりゆかりにににももも似似にざざざめれめれめれどどどかのかのかの女女おんなどもどもどものののいひいひいいけるけるけるははは、、、源源げん氏氏じののの御御おん末末すえ々々ずえにににひがごとひがごとひがごとゞゞどもももののの交交まじりりりててて聞聞きこゆるゆるゆるはははわれわれわれよりよりよりももも年年としののの數數かず積積つもりりりぼけぼけぼけたりたりたりけるけるける人人ひとののの、、、僻僻ひが事事ごとにににやややなどなどなどあやしがりあやしがりあやしがりけるけるける何何いずれれれかかかはははまことまことまことならならならむむん。。。內內ない侍侍しのののかみかみかみののの御御おん腹腹はらににに故故こ殿殿とのののの御御み子子こははは男男おとこ三三さん人人にん女女おんな二二ふた人人りなむなむなん坐坐おわしししけるけるけるををを、、、さまざまさまざまさまざまにににかしづきかしづきかしずきたてたてたてむむん事事ことをををおぼしおぼしおぼしおきおきおきててて年年とし月月つきののの過過すぐるぐるぐるももも心心こころもとながりもとながりもとながり給給たまひひいしししほどほどほどににに、、、あへなくあへなくあえなくうせうせうせ給給たまひひいにににしかしかしかばばば、、、夢夢ゆめのののやうやうようにてにてにていつしかいつしかいつしかととと急急いそぎぎぎおぼしおぼしおぼしゝゝし御御おん宮宮みや仕仕づかえもももをこたりをこたりおこたりぬぬぬ。。。人人ひとののの心心こころ時時ときにににのみのみのみよるよるよるわざわざわざなりなりなりけれけれければばば、、、さばかりさばかりさばかり勢勢いきおいいかめしくいかめしくいかめしく坐坐おわせせせしししおとゞおとゞおとどののの御御おん名名な殘殘ごり內內うち々々うちののの御御おん寳寳たから物物ものらうじらうじろうじ給給たまふふう所所ところ々々どころ、、、そのそのその方方かたののの衰衰おとろへへえはははなけれなけれなけれどどど大大おお方方かたののの有有あり樣樣さま引引ひきききかへかへかえたるたるたるやうやうようににに殿殿とのののの內內うちしめやかしめやかしめやかににになりなりなりゆくゆくゆく。。。かんかんかんののの君君きみののの御御おん近近ちかきききゆかりゆかりゆかりそこらそこらそこらこそこそこそははは世世よにににひろごりひろごりひろごり給給たまへへえどどど、、、中中なか々々なかやんごとなきやんごとなきやんごとなき御御おんなからひなからひなからいのののもともともとよりよりよりももも親親したしからしからしからざりざりざりしししににに故故こ殿殿とののののなさけなさけなさけ少少すこしししおくれおくれおくれ、、、むらむらしさむらむらしさむらむらしさ過過すぎぎぎ給給たまへへえりりりけるけるける御御おん本本ほん性性じょうにてにてにて、、、心心こころおかおかおかれれれ給給たまふふうことことこともももありありありけるけるけるゆかりゆかりゆかりにににややや誰誰たれにににもももえええなつかしうなつかしうなつかしゅう聞聞きこえええ給給たまははわずずず。。。六六ろく條條じょう院院いんにににはははすべてすべてすべて猶猶なお昔昔むかしににに變變かわらららずずず、、、かずまへかずまへかずまえ聞聞きこえええ給給たまひひいててて、、、うせうせうせ給給たまひひいなななむむん後後のちののの事事ことどもどもども書書かきききおきおきおき給給たまへへえるるる御御おんそうぶんそうぶんそうぶんののの文文ふみどもどもどもにににももも、、、中中ちゅう宮宮ぐうののの御御おん次次つぎににに加加くわへへえ奉奉たてまつりりり給給たまへへえれれればばば、、、右右みぎののの大大おお殿殿とのなどなどなどはははなかなかなかなかなかなかそのそのその心心こころありありありてててさるべきさるべきさるべき折折おり々々おり音音おとづれづれずれ聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
現代語訳
これは、源氏のご一族からも離れていらっしゃった、後の太政大臣(髭黒)の家のあたりにいた、口さがない老女房たちの生き残りが、問わず語りに話しておいたもので、紫の上ゆかりの話にも似ないようだが、その女たちが言ったことには、「源氏のご子孫について、間違ったことが混じって伝わっているのは、私たちよりも年を取ってぼけた人の思い違いではないか」などと不審がっていたが、どちらが本当なのだろうか。尚侍(玉鬘)の御腹に、故殿(髭黒)の御子は男三人、女二人がいらっしゃったが、さまざまに大切にお育てしようとお考えになって、年月が過ぎるのも待ち遠しくお思いになっていたうちに、故殿があっけなくお亡くなりになってしまったので、夢のように、早くと急いでお考えになっていた姫君の御宮仕えも立ち消えになってしまった。人の心は時勢にばかり従うものなので、あれほど威勢いかめしくいらっしゃった大臣の御名残として、内々の御宝物や領有なさる所々など、その方面の衰えはないけれど、大方の様子は打って変わったように、邸の中は寂しくなってゆく。尚侍の御近い縁者は、世に多く広がっていらっしゃるけれど、かえって高貴な方々との御間柄は、もともと親しくなかった上に、故殿は情けが少し足りず、気まぐれが過ぎていらっしゃったご性分で、人に疎まれなさることもあった縁からか、尚侍は誰とも親しく交わり申し上げることがおできにならない。六条院は、すべてやはり昔と変わらず、尚侍を娘の一人として数え申し上げなさって、お亡くなりになった後のことなどを書き置きなさった遺産分けの文書にも、中宮の御次にお加え申し上げなさっていたので、右大臣(夕霧)などは、かえってその心を汲んで、しかるべき折々には便りを申し上げなさる。
意訳
この話は髭黒家に仕えた老女房たちの語りだという。髭黒が亡くなり、玉鬘は三男二女を抱え、姫君たちの宮仕えの予定も立ち消えになった。邸は寂しくなったが、源氏が遺言で玉鬘を娘として扱っていたので、夕霧は折々に便りをする。
語釈・文法注
文法
- 「わるごだち」(わるごだちのおちとまり殘れるが)
- 悪御達。口さがない年配の女房たち。
- 「問はずがたり」(問はずがたりしおきたるは)
- 尋ねられもしないのに語ること。
- 「紫のゆかり」(紫のゆかりにも似ざめれど)
- 紫の上にまつわる物語、すなわち源氏の正統の物語。この巻はそれとは別系統の語りであると断る。
- 「そうぶん」(御そうぶんの文どもにも)
- 処分。遺産の分配。
解説
竹河の巻は、髭黒家の老女房の語りという形をとる。語り手は、源氏の物語とは別の伝えであり、どちらが本当か分からないと断っている。物語の中に複数の語り手を設定する、源氏物語の巧みな手法である。
髭黒の死後、権勢は衰え、玉鬘は孤立する。かつて多くの貴公子に求婚された玉鬘が、今は五人の子の母として家の行く末に悩む。時の流れと人の世の移ろいが、この巻の主題となる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、856–857頁(コマ139)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日