源氏物語 第43帖 紅梅(10)
移り香の噂
北の方(真木柱)が宮中から退出して、宮中のことを話すついでに、「若君が一晩宿直して退出した時の匂いがたいそうよかったのを、人は普段どおりと思ったが、春宮がたいそうお気づきになって、兵部卿の宮(匂宮)に近づき申し上げたのだな、道理で私を嫌ったのだと察して恨みなさったのがおかしかった。こちらに匂宮からお便りがあったのですか。そうも見えなかったけれど」と言うと、大納言は「そうだ。梅の花を愛でる君なので、あちらの端の紅梅がたいそう盛りだったのを、そのままにはしておけず、折って差し上げたのだ。移り香は本当に格別だ。宮仕えをする女などは、ああはとても焚きしめられないな。源中納言(薫)は、あのように好んで焚き匂わせるのではなく、身の香りこそ世に比類がない。不思議に、前世の契りがどういう報いなのかと知りたいことだ。同じ花の名でも、梅は生え出た根元こそ哀れ深い。この宮などが愛でなさるのももっともなことだ」などと、花にかこつけても、まず匂宮のことを話題にする。
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現代語訳
北の方が宮中から退出なさって、宮中のことをお話しになるついでに、「若君が一晩宿直して退出しました時の匂いが、たいそうよかったのを、人は普段どおりと思いましたのに、春宮がたいそうお気づきになって、兵部卿の宮に近づき申し上げたのだな、道理で私を嫌ったのだと察して、お恨みになったのがおかしゅうございました。こちらにお便りがあったのですか。そうも見えませんでしたが」とおっしゃると、大納言は「そうだ。梅の花を愛でなさる君なので、あちらの端の紅梅がたいそう盛りだったのを、そのままにはしておけず、折って差し上げたのだ。移り香は本当に格別だ。宮仕えをなさるような女などは、ああはとても焚きしめられないな。源中納言は、あのように好んで焚き匂わせるのではなく、身の香りこそ世に比類がない。不思議に、前世の契りがどういう報いなのかと、知りたいことだ。同じ花の名でも、梅は生え出たという根元こそ哀れ深い。この宮などが愛でなさるのも、もっともなことだよ」などと、花にかこつけても、まず匂宮のことを話題にし申し上げなさる。
意訳
北の方は、若君の移り香に春宮が気づき、匂宮に近づいたと恨んだ話をする。大納言は紅梅を贈ったことを話し、匂宮の移り香と薫の身の香を比べて語る。
語釈・文法注
文法
- 「うべわれをばすさめたり」(うべわれをばすさめたり)
- 道理で私を嫌ったのだ。春宮が若君に言った言葉。
- 「人香」(人香こそ世になけれ)
- 人の身から自然に香る匂い。薫の生まれつきの芳香。
- 「おひ出でけむね」(梅はおひ出でけむねこそ哀なれ)
- 生え出た根元。花の美しさの源をいい、薫の出生の不思議にも通じる。
解説
匂宮の移り香に春宮が気づくという話は、香りが人の関係を明かすことを示している。宇治十帖では、香りがしばしば人の秘密を露わにする。
大納言は、薫の香りを「さきの世の契り」の報いかと言う。生まれつきの芳香の不思議さは、薫の出生の秘密とも響き合っている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、854–855頁(コマ138)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日