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源氏物語 第43帖 紅梅(7)

若君と紅梅の枝

登場人物:按察大納言・若君・宮の御方・匂宮・光源氏

若君が宮中へ参上しようと宿直姿でやって来たのが、わざわざきちんと結ったみずらよりもたいそう愛らしく見えて、大納言はとてもかわいいと思う。麗景殿(大君)に伝言をする。「あなたにお任せして今夜も参上できそうもない、気分が悪いと申せ」と言って、「笛を少し吹け。ともすれば帝の御前の管絃に召し出されるのが気恥ずかしい。まだたいそう若い笛なのに」とほほえんで、双調を吹かせる。若君がたいそう上手に吹くので、「悪くなくなってきたのは、このあたりで自然と合奏するからだ。やはり合わせてください」と宮の御方にせがむと、宮の御方は困った様子ながら爪弾きでたいそうよく合わせて、ほんの少しかき鳴らす。大納言は口笛を太く慣れた声で吹いて、この東の端の軒近くの紅梅がたいそう趣深く咲き匂っているのを見て、「御前の花は風情があるようだ。兵部卿の宮が宮中にいらっしゃるそうだ。一枝折って持って参れ。知る人ぞ知る」と言い、「ああ、光源氏がいわゆる盛りの大将などでいらした頃、子どもとしてこのようにお仕えし慣れたことが、ずっと恋しく思われます。この宮たちを世の人もたいそう格別に思い、本当に人にもてはやされるようにお生まれになったご様子だが、源氏の片端にも思われないのは、やはり比類ないと思い申し上げた心のせいだろうか。普通の者として思い出し申し上げても胸の晴れる時もなく悲しいのに、近しい人が先立たれて生き長らえているのは、並々でない長生きだろうと思われます」などと話して、しみじみと寂しく思いめぐらし、しおれている。ついでの気持ちがこらえきれないのか、花を折らせて急いで匂宮のもとへ参上させる。どうしようもない、昔の恋しい形見としてはこの宮だけだ、仏が亡くなった後の名残には阿難が光を放ったというのを、仏が再び出現したかと疑ったという、賢い聖がいたのを、闇に迷う心の晴らし所として、申し上げてみようと、心あって風が匂わせる園の梅に、待っている鶯が訪れないことがあろうかと、紅の紙に若々しく書いて、若君の懐紙に取り混ぜて押したたんで送り出すのを、若君は幼心にたいそう匂宮に親しみたいと思っているので、急いで参上した。

  1. 1若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみうちうちうちへへへ參まゐ參まゐまいらららむむんととととのゐとのゐとのい姿すがた姿すがたすがたにてにてにて參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまへへえるるる、、、わざとわざとわざとうるはしきうるはしきうるわしきみづらみづらみずらよりよりよりもももいといといとをかしくをかしくおかしく見み見みみえええててていみじくいみじくいみじくうつくしうつくしうつくしとととおぼしおぼしおぼしけりけりけり。。。麗れい麗れいれい景けい景けいけい殿でん殿でんでんににに御おん御おんおんことことことつけつけつけ聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまふふう。。。「「「ゆづりゆづりゆずりきこえきこえきこえててて今こ今ここ宵よひ宵よひよいもももえええ參まゐ參まゐまいるるるまじくまじくまじく、、、なやましくなやましくなやましくなむなむなんととと聞きこ聞きこきこえええよよよ」」」とととのたまひのたまひのたまいててて「「「笛ふえ笛ふえふえすこしすこしすこし仕つか仕つかつこうううまつれまつれまつれともすればともすればともすれば御お御おお前まへ前まへまえののの御おん御おんおん遊あそび遊あそびあそびににに召め召めめししし出い出いいでででらるゝらるゝらるる、、、かたはらいたしかたはらいたしかたわらいたしややや。。。またまたまたいといといと若わか若わかわかききき笛ふえ笛ふえふえををを」」」とととうちうちうちゑみゑみえみててて雙さう雙さうそう調でう調でうじょうふかふかふかせせせ給たま給たまたまふふう。。。いといといとをかしうをかしうおかしゅう吹ふ吹ふふいいい給たま給たまたまへへえばばば、、、「「「けまうけまうけもうはははあらあらあらずずずなりなりなりゆくゆくゆくははは、、、このこのこのわたりわたりわたりにてにてにておのづからおのづからおのずから物もの物ものものにににあはするあはするあわするけけけなりなりなり。。。猶なほ猶なほなおかきかきかきあはせあはせあわせさせさせさせ給たま給たまたまへへえ」」」とととせめせめせめ聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまへへえばばば苦くる苦くるくるしししとととおぼしおぼしおぼしたるたるたる氣色けしき氣色けしきけしきながらながらながら爪つま爪つまつま彈び彈びびきききにににいといといとよくよくよく合あは合あはあわせせせててて唯たゞ唯たゞただ少すこ少すこすこしししかきかきかきならしならしならし給たま給たまたまふふう。。。かはかはかわぶえぶえぶえふつゝかふつゝかふつつかににになれなれなれたるたるたる聲こゑ聲こゑこえしししてててこのこのこの東ひんがし東ひんがしひんがしのののつまつまつまににに軒のき軒のきのき近ちか近ちかちかききき紅こう紅こうこう梅ばい梅ばいばいのののいといといとおもしろくおもしろくおもしろく匂にほ匂にほにおひひいたるたるたるををを見み見みみ給たま給たまたまひひいててて「「「おおお前まへ前まへまえののの花はな花はなはな心こころ心こころこころばへばへばえありありありててて見み見みみゆゆゆめりめりめり。。。兵ひやう兵ひやうひょう部ぶ部ぶぶ卿きやう卿きやうきょうののの宮みや宮みやみやうちうちうちにににおはすおはすおわすなりなりなり、、、一ひと一ひとひと枝えだ枝えだえだをりをりおりてててまゐれまゐれまいれ。。。知し知ししるるる人ひと人ひとひとぞぞぞしるしるしる」」」とてとてとて「「「あはれあはれあわれ光ひかる光ひかるひかる源げん源げんげん氏じ氏じじのののいはゆるいはゆるいわゆる御おん御おんおん盛さか盛さかさかりりりののの大だい大だいだい將しやう將しやうしょうなどなどなどにににおはせおはせおわせしししころころころ童わらは童わらはわらわにてにてにてかやうかやうかようにてにてにて交まじ交まじまじらひらひらいなれなれなれ聞きこ聞きこきこえええしししこそこそこそ世よ世よよととと共とも共ともともににに戀こひ戀こひこいしうしうしゅう侍はべ侍はべはべれれれ。。。このこのこの宮みや宮みやみや達たち達たちたちををを世よ世よよののの人ひと人ひとひともももいといといとことことことににに思おも思おもおもひひい聞きこ聞きこきこえええ、、、げにげにげに人ひと人ひとひとにににめでめでめでられられられむむんとととなりなりなり給たま給たまたまへへえるるる御おん御おんおん有あり有ありあり樣さま樣さまさまなれなれなれどもどもどもはしはしはしがはしがはしがはしにににももも覺おぼ覺おぼおぼえええ給たま給たまたまははわぬぬぬははは猶なほ猶なほなおたぐひたぐひたぐいあらあらあらじじじととと思おも思おもおもひひい聞きこ聞きこきこえええししし心こころ心こころこころのののなしなしなしにににやややありありありけむけむけん。。。大おほ大おほおお方かた方かたかたにてにてにて思おも思おもおもひひい出い出いいででで奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるももも胸むね胸むねむねあくあくあく世よ世よよなくなくなく悲かな悲かなかなしきしきしきををを氣け氣けけ近ぢか近ぢかじかききき人ひと人ひとひとのののおくれおくれおくれ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりててていきいきいきめぐらふめぐらふめぐらうはははおぼろけおぼろけおぼろけののの命いのち命いのちいのち長なが長ながながさささならならならしししかしかしかしとととこそこそこそ覺おぼ覺おぼおぼえええ侍はべ侍はべはべれれれ」」」などなどなど聞きこ聞きこきこえええ出い出いいででで給たま給たまたまひひいててて物もの物ものもの哀あはれ哀あはれあわれにににすごくすごくすごく思おも思おもおもひひいめぐらしめぐらしめぐらししをれしをれしおれ給たま給たまたまふふう。。。
  2. 2ついでついでついでののの忍しの忍しのしのびびびがたきがたきがたきにににややや花はな花はなはな折を折をおらららせせせててて急いそ急いそいそぎぎぎ參まゐ參まゐまいらららせせせ給たま給たまたまふふう。。。いかゞいかゞいかがはははせせせむむん昔むかし昔むかしむかしののの戀こひ戀こひこいしきしきしき御おん御おんおんかたみかたみかたみにににはははこのこのこの宮みや宮みやみやばかりばかりばかりこそこそこそははは佛ほとけ佛ほとけほとけのののかくれかくれかくれ給たま給たまたまひひいけむけむけん御おん御おんおん名な名なな殘ごり殘ごりごりにににははは阿あ阿ああ難なん難なんなんががが光ひかり光ひかりひかり放はな放はなはなちちちけむけむけんををを二ふた二ふたふた度たび度たびたび出い出いいででで給たま給たまたまへへえるるるかかかとととうたがふうたがふうたがう。。。さかしきさかしきさかしきひじりひじりひじりのののありありありけるけるけるをををやみやみやみにににまどはるけまどはるけまどわるけどころどころどころににに、、、聞きこ聞きこきこえええをかさをかさおかさむむんかしかしかしとてとてとて、、、「「「心こころ心こころこころありありありててて風かぜ風かぜかぜのののにほはすにほはすにおわす園その園そのそのののの梅むめ梅むめうめにににまつまつまつうぐひすうぐひすうぐいすののの問と問ととはははずずずやややあるあるあるべきべきべき」」」ととと紅くれなゐ紅くれなゐくれないののの紙かみ紙かみかみにににわかやぎわかやぎわかやぎ書か書かかきききててて、、、このこのこの君きみ君きみきみののの懷ふところ懷ふところふところ紙がみ紙がみがみににに取と取ととりりりまぜまぜまぜ押お押おおしししたゝみたゝみたたみててて出いだ出いだいだしししたてたてたて給たま給たまたまふふうををを、、、幼をさな幼をさなおさなききき心こころ心こころこころにににいといといと馴な馴ななれれれ聞きこ聞きこきこえええまほしまほしまほしとととおもへおもへおもえばばば急いそ急いそいそぎぎぎまゐりまゐりまいり給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

若君が宮中へ参上しようと、宿直姿で参上なさったのが、わざわざきちんと結ったみずらよりも、たいそう愛らしく見えて、大納言はとてもかわいいとお思いになった。麗景殿(大君)にご伝言を申し上げなさる。「あなたにお任せ申し上げて、今夜も参上できそうになく、気分が悪いと申し上げよ」とおっしゃって、「笛を少しお吹きなさい。ともすれば帝の御前の管絃の遊びに召し出されるのが、気恥ずかしいことよ。まだたいそう若い笛なのに」とほほえんで、双調をお吹かせになる。たいそう上手にお吹きになるので、「悪くなくなってきたのは、このあたりで自然と楽器に合わせるおかげだ。やはり合わせてください」と宮の御方にせがみ申し上げなさると、困ったとお思いになっている様子ながら、爪弾きでたいそうよく合わせて、ただ少しかき鳴らしなさる。大納言は口笛を太く慣れた声で吹いて、この東の端の、軒近くにある紅梅がたいそう趣深く咲き匂っているのをご覧になって、「御前の花は風情があるように見える。兵部卿の宮が宮中にいらっしゃるそうだ。一枝折って持って参れ。知る人ぞ知る」と言って、「ああ、光源氏が、いわゆるお盛りの大将などでいらっしゃった頃、子どもとして、このようにお仕えし慣れ申し上げたことこそ、ずっと恋しく思われます。この宮たちを、世の人もたいそう格別にお思い申し上げ、本当に人にもてはやされるようにお生まれになったご様子だけれど、源氏の片端にも思われなさらないのは、やはり比類あるまいとお思い申し上げた心のせいだろうか。普通の関係として思い出し申し上げても、胸の晴れる時もなく悲しいのに、身近な人で、先立たれ申し上げて生き長らえているのは、並々でない長生きなのだろうと思われます」などと申し上げ出しなさって、しみじみと寂しく思いめぐらし、しおれていらっしゃる。

ついでの気持ちがこらえきれないのだろうか、花を折らせて、急いで匂宮のもとへ参上させなさる。どうしようもない、昔の恋しい方の御形見としては、この宮だけだ。仏がお隠れになった後の御名残には、阿難が光を放ったのを、仏が二度目にお出ましになったのかと疑ったという、賢い聖がいたのを思って、闇に迷う心の晴らし所として、申し上げてみようということで、「心あって風が匂わせる園の梅に、待っている鶯が訪れないことがあろうか」と、紅の紙に若々しく書いて、この君の懐紙に取り混ぜて押したたんで、送り出しなさるのを、若君は幼心に、たいそう匂宮に親しみ申し上げたいと思っているので、急いで参上なさった。

意訳

大納言は宮中へ参る若君に笛を吹かせ、宮の御方に合奏させる。軒端の紅梅を見て、源氏の昔を懐かしみ、その形見として匂宮に紅梅の枝と歌を贈る。歌には、中の君を匂宮に差し上げたいという思いが込められている。

語釈・文法注

文法

「麗景殿」(麗景殿に御ことつけ聞え給ふ)
春宮に入内した大君の局。
「知る人ぞしる」(一枝をりてまゐれ。知る人ぞしる)
「君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る」(古今集)による。
「阿難が光放ちけむ」(阿難が光放ちけむを二度出で給へるかとうたがふ)
釈迦の入滅後、弟子の阿難が光を放ったのを、釈迦が再び現れたかと疑った聖がいたという故事。
「心ありて風のにほはす園の梅に」(心ありて風のにほはす園の梅に)
園の梅は中の君、鶯は匂宮をたとえる。中の君を匂宮に勧める歌。

解説

紅梅の枝に歌を添えて匂宮に贈る場面は、巻名の由来である。大納言は、中の君を匂宮に嫁がせたいと願い、紅梅の園に鶯が訪れないはずはないと詠む。

大納言は源氏の盛りの頃を懐かしみ、匂宮をその形見と見る。阿難の故事を引いて、源氏の名残を匂宮に求める大納言の心には、源氏への深い憧れがある。光源氏の存在は、亡き後も人々の心を支配している。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、850–853頁(コマ136–137)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日